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269. おまんじゅう祭りを満喫します(本編)



「こ、これは!!」



ネアは、行列の先でやっと手に入れた、スパイシーなソースで煮込んだ異国風の豚肉煮込みの入ったおまんじゅうを頬張り、幸せいっぱいの微笑みを深める。


香辛料のきいた甘辛いソースがしっかりと豚肉に染み込み、噛めば噛むほど美味しい。

皮の部分がふかふかで微かな甘さがあるのだが、素朴なおいしさの皮とスパイスの効いた具材との組み合わせはもはや至高の職人技と言ってもいいだろう。



「おい、弾み過ぎだぞ………」

「私の分も、もう少し食べるかい?」

「むぐ!弾むのは魂の叫びですので止められる筈もありません。そして、ディノにもお揃いの喜びを味わって欲しいので、味がお口に合わないのでなければ、自分で食べて下さいね」


そう教えてやると、魔物はこのおまんじゅうはとても美味しいと認め、なぜかもじもじし始めた。


「ご主人様…………。お揃いだね」

「はい。しかし、その表現だと一抹の恐怖を感じずにはいられません…………」

「ご主人様とお揃い…………」

「聞いていませんね…………」


婚約者な魔物が少しいけない方向に走り出したので、ネアは慌ててディノの袖を引っ張ると、次なる目的地に向かって歩き始める。

魔物は目元を染めてお揃い感を楽しみつつ、引っ張られることにも喜びを見出したようだ。

すごく引っ張ってくるのが可愛いと、すっかりご機嫌である。




「これはずっとこのままなんだろうな…………」

「またしても不吉な予言をしてはなりません!」

「予言も何もただの状態予想だろうが」

「そんな使い魔さんには、近日中に愛くるしいちびふわになってしまうという予言をしておきますね」

「それは、お前が何もしなければ起こり得ない事象だな」

「と言うことはつまり、アルテアさんはどんな悪さしても構いませんが、世界でただ一人、このご主人様を怒らせてはいけないということなのです」

「……………お前のその線引きは相変わらずだな」



アルテアがそう呟き、視線を持ち上げる。


ついでに隣を歩いているネアの歩く位置を少し左にずらしてきたのは、頭上の枝の上におまんじゅうを狙うあまりに荒ぶってはぁはぁしている小鳥がいたからかもしれない。


加えて、ネアが今だけは淑女であることを失念しておまんじゅうにかぶりついていたせいで、ほっぺたにソースがついていたらしい。

指先でそんなソースを拭って貰い、ネアはそんな危険に晒されていたことを知り、ぞっとする。



「ほわ、…………あの嘴でほっぺたを抉られていたかもしれません」

「ネア、結界があるから大丈夫だよ」

「む?今のアルテアさんは、私の命を救ってくれたのではないのですか?」

「……………そうなのかな?アルテア、結界があるから大丈夫だよ。…………おや」



二人がそちらを見ると、ネアに何かを言いかけていた筈のアルテアは、いつの間にやら既に事故っているではないか。

何という儚い生き物だろうとネアは遠い目をして、通り魔な食いしん坊を一人釣り上げてしまった不憫な使い魔の姿を眺める。


次のお店に向かっていただけなのに、アルテアは早速手に持っていたおまんじゅうを狙われてしまったようだ。




「ほぇ…………僕、それは見ていないけれど、僕にも食べさせるべきだと思うよ」

「自分で買ってこい。後ろの藍色のテントの店だ」

「………………もしかしてアルテア……………?」

「…………お前はまさか、気付いていなかったのに話しかけたのか?」


ネア達もてっきりアルテアだと分かった上で話しかけてきたのかと思ったが、髪色くらいしか擬態していないにも拘らず、ヨシュアは誰だか分からずに声をかけてきたらしい。


確かにヨシュアの方向から近付くと帽子の影になって顔が少し隠れるものの、それでも察するのが高位の魔物同士というものではないのだろうか。




「むぅ。早速、ヨシュアさんを発見しました」

「いっぱい食べるんだね…………」

「あら、確かにたくさんお土産のおまんじゅうを買ったのですね」

「これは、イーザの家族が食べるんだよ。僕は偉大だからね。今日の祭りを無事に終わらせることが出来た魔物の証として、こうして買って帰るといいってイーザが言うんだ」

「……………そ、そうですね」


それは多分転がされてしまっているのではと考えながらネアがぎこちなく頷くと、ヨシュアは誇らしげに手に持った沢山のお土産まんじゅうを見せてくれる。


そこにはネア達が狙っているおまんじゅうも幾つか見受けられ、ネアは敵の動きの速さに微かな焦りを覚える。

今日はターバンではなく季節外れのニット帽を被っているヨシュアは、若干季節感のないお育ちのいい貴族のお坊ちゃんのようにも見えて何だか可愛らしい。

ウィーム風の服装で顔の白い模様は擬態で見えなくしており、淡い栗色にした髪の毛と優しい水色にした瞳とで人懐こい大型犬のようだ。



「ヨシュア、荷物は金庫にしまったらどうだい?」

「……………シルハーンだ」

「おい、何で気付いてないんだよ。それと、お前の保護者はどうした?」

「僕には保護者なんていないよ?」

「…………あの相談役の妖精はどうした?」

「イーザなら、そこで誰かと話していて僕を一人にしたんだ。少しは反省した方がいいからね」

「…………そんなイーザさんが、向こうから走ってきました」



偶然出会った友人に挨拶をしていたというイーザは、すぐに走ってヨシュアを迎えに来た。


かなり急いで走って来たので、淡い水色に美しい霧雨を思わせる銀色の淡い筋のある羽が煌めき、ネアは格別に美しいと思っている妖精の一人に出会えたことに嬉しくなる。


ネア達を目に留めヨシュアが誰といるのかを理解した途端に、片手を額にあてて一度固まってしまったイーザは、闇の妖精事件の時には一族全体でネア達に力を貸してくれた心優しい霧雨のシーだ。


理知的で常識人という雰囲気の怜悧な美貌だが、ヨシュアには何かと振り回されている気がする。

とは言えこの二人は仲良しで、ヨシュアはイーザが大好きなのだ。




「イーザ、僕達は、このおまんじゅうを買いに行くからね」

「あなたは、またご迷惑をおかけして…………」

「ふぇぇ、怒ってる!」

「当たり前ですよ。短い挨拶の間も待っていられないとは思いませんでしたからね。それと、きちんとご挨拶はしたんですか?」

「挨拶……………」

「しておりませんね。…………万象の君、ネア様、アルテア様、ヨシュアがご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」

「迷惑なんてかけてないよ。僕が知らないものを食べてたから、声をかけたんだ」

「お前のところの相談役ですら俺が誰だかわかるのに、お前には分からなかったけどな」

「僕にそんなことを言っていいのかい?今日のウィームが晴れているのは、僕のお蔭なんだよ?」

「ヨシュア、まずは荷物をしまったらどうだい?」

「ほぇ……………荷物…………」



ヨシュアがばたばたする度に雑に腕に引っ掛けたおまんじゅうの入った袋が、ずっとがさがさしているので、ディノはもう一度そう提案してみたらしい。


袋が横になるとおまんじゅうがひっくり返ってしまったりもするので、ネアもハラハラしていたのだ。

お持ち帰り用のおやつまんじゅうには、上にクリームが乗っていたりするのでひっくり返らないように、きちんと箱に入れてくれるものもある。



「金庫にしまえばいいでしょう。ただし、また放り投げたら許しませんよ」

「僕を一人にしたイーザなんて、少しは反省するべきだと思うよ」

「ヨシュア?」

「ふぇ…………。ネア、イーザは最近意地悪なんだ」

「あらあら、ヨシュアさんはお友達に構って貰えなくて寂しいのですね?それと、あちらのトマトクリームソースのおまんじゅうのお店に向かって歩きながらの会話でいいですか?」

「藍色のテントの店に行くんだよ」

「私達はもうそのお店のものを買った後なので、であればさようならですね。お元気で」

「ふぇぇ!」

「なぜ泣くのだ」



泣き出したヨシュアは、面倒くさくなってしまったらしいアルテアに、魔術の繋ぎを絶った豚肉のおまんじゅうを半分貰い、ふすんと泣き止んでネア達に付いて来た。


イーザはすっかり恐縮してしまっているが、ヨシュアはまだまだ話したいことがあるようだ。

このあたりでネアは、一連の経緯を考えるに、どうもこの魔物は懐いたようだぞと考える。



「イーザは最近、ご主人…」

「ヨシュア、今日随分と話しましたね。そろそろ、口を噤んでもいい頃合いでしょう」

「い、虐める!!」

「む。私を盾にするのはなぜなのだ」

「ほら、ヨシュア、そちらに戻ろうか」

「そうだな。こいつを黙らせたいなら、手伝ってやるぞ」



みんなにあれこれ言われ、ネアの後ろに隠れたヨシュアは悲しい目でじっとこちらを見上げたので、ネアは条件反射でその悲しげな魔物の頭を撫でてやった。

すると今度は、ディノが荒ぶり始める。



「ヨシュアを撫でるなんて、悪いご主人様だね。ヨシュア?」

「ふぇ、ぼ、僕の所為じゃない…………」

「むむ。確かに今のは私の条件反射がいけませんでしたね。ディノ、ヨシュアさんを虐めないであげて下さいね」

「いえ、万象の君のお手を煩わせることもありません。ヨシュア、その頭はもういりませんね?」

「ふぇぇぇ!」



すっかり怯えてしまい、ますますネアから離れなくなってしまったヨシュアだったが、ネアはこれでもなかなかに狡猾な人間なので、怯える雲の魔物をイーザに返そうとしているディノを篭絡することから始めてみた。



「ディノ、ヨシュアさんを大好きなイーザさんの元に穏便に返してしまえば良いのです。そして、その際にヨシュアさんが寂しくないように、イーザさんに構って貰えそうな作戦を伝授出来れば尚いいでしょう」

「ヨシュアなんて………」

「あら、その作戦に協力してくれたら、ディノも撫でて差し上げようとしたのですが、残念です………」

「ヨシュア、ネアの言うことを聞くんだよ?」

「ほぇ…………」

「っつーかもうこいつは普通に突き返せよ」

「しかし、大好きなご友人に構って貰えなくて寂しいのは、少し可哀想です」

「そ、そうだ!僕はもっと大事にされるべきだよ!」

「申し訳ありません。私の不手際でご……ネア様を悩ませてしまいましたね」



事態を引き起こしたのは自分の至らなさであると、イーザはすぐに謝ってくれたが、ネアは微笑んで首を振る。

恐らく、イーザのことだから、ヨシュアを放置したといっても何かきちんと言い含めておいた筈なのだ。

その時の指示を無視して勝手にどこかに行ってしまったのは、我慢のきかないヨシュアの方なのだと思う。


そこでネアは、まずはめっとそんなヨシュアを叱ってみた。

やっとお土産のおまんじゅうは金庫にしまったものの、ネアにへばりついた雲の魔物は涙目のままだ。



「きっとイーザさんのことなので、お友達とお話をされる際にも、ヨシュアさんに少し待っていて欲しいというような一言があったのではないでしょうか?それなのにヨシュアさんがいなくなってしまったので、きっとイーザさんはとても心配した筈です。ですので、まずはそんなイーザさんにちゃんと謝りましょうね?」

「ふぇ、…………一人にされたのに、僕が謝るのかい?」

「あら、イーザさんに一人ぼっちにされてむしゃくしゃしたのは、イーザさんが大好きだからでしょう?同じように、イーザさんもヨシュアさんが大切だからこそ、心配したのです」



そう言えばヨシュアはこくりと頷いたので、であればそんな相手に心配をかけてはいけないと言うと、きちんと腑に落ちた訳ではないのだがそういうものなのだろうかと考えたヨシュアは、素直に謝ることにしたようだ。

狡猾な人間の読み通り、イーザへの好意を盾に取られてしまうと、言いなりになってしまうらしい。



「心配させたなら、謝るよ」

「ヨシュアさん、これからは待っているようにと言われた時には、きちんと待っていると言い添えた方が効果的ですよ?」

「そういう時は待ってる…………。でも、イーザが危ない時は待たないよ」



ここで、思いがけない一言が出てきたことにより、ネアは珍しくイーザが完敗する場面を見ることになった。

そんなことを言われてしまった霧雨のシーは、片手で目元を覆って固まってしまった後、ふわりと唇の端を持ち上げてどきりとする程に優しい目をして微笑む。



「あなたという人は…………。ほら、もう怒ってはいませんよ。これ以上ネア様達にご迷惑をおかけしないよう、我々はそろそろ行きましょう。それと、最近は会合にかかりきりでしたからね。昨晩は頑張りましたし、今月はしっかりとあなたの面倒を見る時間を作りましょう」

「イーザ!!」


ぱっと笑顔になった雲の魔物は、ネアの方を見上げて作戦は上手くいったぜ的な頷きを見せてから、大好きな相談役の妖精の元へぱたぱたと戻っていった。


ネアはどこかで見たことがあるような関係性だなと思いつつ、自分の不手際でヨシュアが失礼しましたとまたあらためて謝罪してくれたイーザにいえいえこちらこそ雨天を遠ざけてくれて有り難うございますと微笑みを返し、二人が、ヨシュアが美味しかったと言った豚肉まんじゅうのお土産を買いに行く後姿を見送る。



後日、イーザがヨシュアを構っていなかったとは言え、月に五日程度しか不在にしていなかったことが判明して、雲の魔物の甘えん坊度が露見するのだが、この時は、きっとあれだけの規模を誇る霧雨の一族の中で、シーとしての責務も果たしているに違いないイーザの多忙さに感心しただけであった。



「さて、ヨシュアさんとイーザさんにもご挨拶が出来ましたね」

「ネア、次はトマトクリームのものを買うのだろう?」

「ふふ、甘いですね。ヨシュアさん達とお喋りをしていた風ですが、ここは既にそのトマトクリームのおまんじゅうのお店の列なのです!」

「ご主人様…………!」



(あら……………)



そこでネアは、ふいっとここから離れようとしたアルテアの姿に目を瞠った。



「む。アルテアさんが脱走します…………」

「放っておけ。この騒ぎに飽きてきただけだ」

「……………は!久し振りに森に帰るのですね?」

「なんでだよ」



とは言えネアは、アルテアが何となく居心地が悪くなってしまった理由は分かるような気がした。

その場から離れて雑踏に紛れてゆくアルテアを見送り、ふむふむと頷く。



「やはり、アルテアさんはアルテアさんなので、特に使命もなくこうやってのんびりと行列に並んでおまんじゅうを買うということには慣れないのでしょう。そろそろ悪さを企み出す頃合いかもしれません」



そう呟けば、隣に立つディノが心配そうにネアの瞳を覗き込む。



「君は、それでいいのかい?…………彼と話し合った上で、この先もと、彼を使い魔にしたのだろう?」

「ふふ、ディノは優しいですね。でも、私が使い魔さんに任命したのは、アルテアさんなのです。それは、私の扱いやすい魔物さんに人格矯正した魔物さんではなく、ありのままのアルテアさんを使い魔さんにしたということなので、アルテアさんはアルテアさんのままでいいのではないでしょうか?」



そう説明すれば、こちらを見下ろしている魔物はどこか安堵したように、けれどもどこか複雑そうに小さく頷く。


ディノは、本心など覗かせない老獪な魔物の時も多いが、今回はそんな複雑そうな心の奥が垣間見えたので、ネアは大事な魔物にばすんと体当たりしてやった。

勿論、公共の場でのことであるので、肩でこつんとやったくらいの打撃だ。


するとディノは眼を瞠り、ぶつかってきたネアにおずおずと尋ねた。



「ご褒美…………?」

「危うく、私も大事な魔物を寂しがらせてしまうところでした。一つ、大事な言葉を言うのを忘れていたので、お伝えしますね。そんなアルテアさんですが、私の大事な婚約者に悪さをしたら、アルテアさんとは言え容赦なくきりんさんの刑です!ディノは私の一番大事な魔物なので、虐めたら使い魔さんとはいえ、くしゃりです!!」

「ネア……………」



すっかり感激してしまった魔物が目元を染めて羽織ものになってきたが、ここは男前に魔物を羽織ったまま耐え抜くしかない。


先程のヨシュアのように、ディノも寂しさを溜め込んでしまったら大変だ。

計算高い人間は、老後にお庭で白けものを走らせてやったりしてみんなで楽しくやる予定なので、その為にも、ここにいる魔物をまずは大事に慈しんでやらねばならない。


ネアは大事なものを幾つも守ることには慣れていないが、とても強欲なので自分の大事なものは一個だって落とさないように考えたりもするのだ。



(ありのままでいいという問題は、ディノが飲み込むのに一番時間のかかった問題だもの。そんな話を他の魔物さんに対してもされてしまうと、少しだけ寂しくなってしまうのだと思う………)



それぞれの個体によって、愛されていると感じる特別な領域がある。

それを他の個体にも分け与えているのだと感じると、獣は拗ねてしまうのだそうだ。

ネアは多頭飼いの指導本で、そんな記述を読んで覚えていた。



「そして、アルテアさんは私の大事なマロンクリームのおまんじゅうを持ったままです。もしこのまま脱走するのであれば、そんな理由でも滅ぼさずにはいられません」

「ご主人様…………」

「それと、あちらに奇妙な生き物がいます…………」

「………………バケツ怪人じゃないかな………」



そう言われたネアは、少し離れた位置にあるお店の行列に、あまり直視してはいけない系の生き物が並んでいるのを発見してしまった。

しかし、ネアが見付けたのはそんなクリーチャー的な形状のものではなく、黒っぽいボールのようなものだ。



(何だろう。あんな風に黒っぽくて丸々とした生き物って…………)



心なしか、その生き物がいるあたりは人々が少しだけ大回りに歩いているような気がするので、どう猛な生き物だったりするのだろうか。

バケツ怪人から視線を逸らす意味も兼ねてそんな黒っぽいものを観察していたネアは、人波が途切れてその全容が見えてしまった直後、さっと顔を背けた。



「ネア……………?」

「あ、あそこに、ギョームの魔物さんがいます…………」

「……………ほんとうだね。おまんじゅうを買うのかな…………」

「は、早くおまんじゅうを買って去るのだ!」



ギョームの魔物は、丸いボールに黒髪がみっしり生えたような姿をしている。

草食であるし、大量廃棄された鬘から派生した魔物なので毛髪を失うような呪いの良い薬にもなるのだが、なにぶん、見た目がホラー過ぎる。



「君はあれが苦手だったよね。排除してあげようか?」

「い、いえ、………あの魔物さんも並んでおまんじゅうを買おうとしているようです。今日はこの会場にいるみんなが、おまんじゅう祭りを楽しむ同志ですので、そっとしておいてあげましょう」

「では、君はあちらを見ないようにしておいで」



ディノがそう言って上手く盾になってくれたので、ネアは恐ろしい生き物をそれ以上は見ずに済んだ。

もういなくなったよと言われて顔を上げると、確かにあの黒い塊はどこにもいなくなっている。

甘く煮た杏の入ったおまんじゅうを買って、満足げに帰っていったそうだ。


「あの魔物さんの謎が深まりました。おまんじゅうを食べるのも謎ですし、お金を持っていたということも謎めいています…………」

「どうやって支払ったのかな…………」



そうこうしている内に、ネア達は無事にピリ辛ひき肉とトマトクリームソースのおまんじゅうも購入することが出来て、大きめのおまんじゅうを二人で半分こにして食べた。


ピリ辛のおまんじゅうなのでお店では冷たいお茶も販売しており、ネアはそんなお茶の中から、仄かな甘みが口の中に残る満月の夜に摘まれた茶葉のものを購入し、近くに空いていたベンチで、はふはふしながら食べる。


アルテアにも呼びかけてみたが、ディノ曰く暫く放っておいて欲しいそうだ。



「うむ。上手に半分こに出来ました。はい、ディノの分ですよ」

「可愛い……………。ずるい…………」

「またしても、ずるいの使い方が行方不明になりましたね…………」



このおまんじゅうも美味しかったが、味の想像が難しかったので買うのは一個だけにしておいた為、お持ち帰り用は買っていない。

もし失敗して好みの味付けでなかった場合、何個も買っておくと勿体無いではないか。

少しだけ後悔したが、あの行列にまた並ぶのはやめておこう。



ネアは正面で半分こなおまんじゅうを食べ終わり、ご主人様は次はどこのお店に行くのかなと首を傾げた魔物に微笑みかけた。


そんな仕草をするとどこか無防備で愛おしくなるのだから、こんな長命な魔物なのに不思議ではないか。

そっと手を伸ばしておでこを指先で撫でてやると、魔物はずるいと呟いてくしゃりとなってしまう。



「次は、ここから近い順に回ります。まずは檸檬クリームのお店でしょうか。ディノは食べてみたいおまんじゅうはありますか?」

「……………チーズグヤーシュ」

「なぬ?!そんな素敵なおまんじゅうがあったのですか?」

「君の後ろの店にあるようだよ」

「では、それも絶対に買いましょう!まずはチーズグヤーシュです!!」

「ご主人様!」



(ディノが、こんな風に食べたいものを主張してくれると、嬉しいな………)


特別なことではないのだが、ネアは何だか嬉しくなって微笑みを深めた。


有名店ではないらしく、カタログでチェックしていなかったお店のものであるということだけでなく、ディノがこうして自己主張をしてくれたのがとても嬉しかったのだ。



幸い、チーズグヤーシュのお店はちょうど列が途切れたところであったので、そのおまんじゅうはすぐに買えた。


中に絶妙なあつあつ感のグヤーシュにとろけるチーズが入っていて、小さめのおまんじゅうなので二口くらいで食べられてしまう。

食べたディノが嬉しそうに目を輝かせていたので、ネアはさっと引き返すと、お家で蒸して食べるタイプの三個入りのお持ち帰り用のものも追加で買っておいた。



(鶏肉とスパイスのものも買っておく予定だから、想定より保管するおまんじゅうが増えるけど、一度おまんじゅうパーティな晩餐を二人でしてもいいし!)




そう考えると楽しくなってしまい、ネアはその後もおまんじゅう祭りを堪能した。

途中、トンメルの宴の主催者であるリディアにも挨拶が出来て、心は乙女な老紳士という新たな境地を見たりもする。


ディノは、今日はご主人様がたくさん引っ張ってくれると大喜びで、そのような側面からもおまんじゅう祭りの楽しみを見出したようだ。



そして、どこで何をしていたものか、別行動をしていたアルテアが戻ってきたのは、そんなネア達がそろそろ帰ろうかという時間帯であった。


何やら満足げな魔物らしい顔で帰ってきたので、悪さをしてきたのかもしれない。

そして、合流したネア達を見るなり、とても遠い目をした。




「なんだそれは……………」



アルテアが見たのは、肘にとまった一匹のコグリスと睨み合ったまま、身動きが出来なくなっているネアである。


下手に動くと危ないので、ネアは中腰の難しい体勢のまま動けずに困っていた。

ディノはというと、ネアの隣で小鳥たちの止まり木にされており、困惑したまま固まっている。


ちょうど人気のない公園側への道に向かう木立の中の小道だったのも、いけなかったのかもしれない。

周囲には人影はなく、助けを呼ぶことも出来なかったのだ。



「むぐ……………。通りすがりのおまんじゅう屋さんで、試食の珈琲クリームのおまんじゅうを貰ったのです。しかし、ディノが手に取ったものがよく切れていないままに二個ついていたようで、その一つの欠片がぽこんと落ちそうになったのでした。器用なディノはそれを空中で拾い上げてしまった結果、御覧のとおりの小鳥さん達の抗議に遭っています。なお、私はそんな惨事に驚いて自分の分の試食まんじゅうを取り落としそうになって掌ですぐに捕まえたのですが、そんな隙も逃さずに襲ってきたコグリスと睨み合いになりました」


まさに不幸な偶然が重なったという状況なのだが、その説明を受けたアルテアは、なぜか呆れたようにふっと微笑むと、踵を返して立ち去ろうとする。



「おのれ!私を見捨てるつもりですね!!」

「そのくらい自分でどうにかしろ。食い意地が張り過ぎての自損事故だろうが」

「むぐる。コグリス!あちらにいる帽子の使い魔さんを狙うのです!!あの髪の毛を引っ張ってくれたら、この珈琲クリームなおまんじゅうの試食を差し上げましょう」

「にゃーん」

「…………は?…………おいやめろ!」



おまんじゅうと引き換えであれば致し方ないと頷いたコグリスは、ぶーんと飛んでゆくと慌てて振り返ったアルテアの後頭部付近にぴたりとつけ、捕まえようとした選択の魔物の手を俊敏に躱し、ぐいっと髪の毛を引っ張ってからしゅばっと戻って来た。



「うむ。良い働きでしたね。褒美を授けましょう」

「にゃーん」



試食用のおまんじゅうを貰った仲間が満足そうに飛び去ってゆくのを見て、ディノにとまった小鳥たちも、じーっとアルテアを見ている。

その眼差しの鋭さにぎくりとした選択の魔物がどこか酷薄な眼差しになったので、止まり木にされたディノが、今は危ないからいけないよと小鳥達を窘めていた。



「そうか。最初に買っておいたものは、もういらないんだな?」

「あらあら、私にそんなことを言ってもいいんですか?」

「言っておくが擬態用の結界を強化してある。もう今の手は食わんぞ?」

「そんな時の為に、このちびふわ符です!これを貼り付ければ…」

「やめろ」

「久し振りに、お砂糖で酔う愛くるしいちびふわを愛でたいですしね!」

「やめろ。いいか、絶対にだ」

「マロンクリームのおまんじゅう…………」

「ったく。渡してやるから、二度とそんな気を起こすなよ?」

「うむ。最初から素直になればいいのですよ」

「やめろ」



その時のことだった。



「あ!」



何者かがネアの手からちびふわ符を奪うと、ぶーんとアルテアに飛んでゆき、ちびふわ符を投下したのだ。




「フキュフ?!」



するとそこにはもう、凄艶な眼差しの美しい魔物ではなく、ちびちびふわふわしている愛くるしい生き物がいるではないか。

ぽてんと地面に落ちた真っ白なちびふわに、ネアは目を丸くする。



「にゃーん」

「……………まぁ、コグリスさん。もしかして、またおまんじゅうが欲しくて、私の為に働いてくれたのですか?」

「にゃーん!」

「フキュフー!!!」



余談だが、コグリスは肉食だ。

慌てたちびふわは、ててっとネアの方に走ってくると、よじよじと這い上って来て肩の上に避難する。

既に力を発揮できる雪の季節ではないし、こんなところで、他のコグリスや大きな鳥にでも襲われたら一大事だ。

ネアの肩の上に小さく丸まってふるふるしているちびふわに、ネアはそっと問いかけてみる。



「さて、このままおまんじゅう欲しさに荒ぶる皆さんの中に置き去りにされたくなければ、リーエンベルクに帰った後に、ちゃんとマロンクリームのおまんじゅうを渡してくれますよね?」

「…………フキュフ」

「ふふ、いい子なちびふわなので、ちゃんと守って差し上げますね。それと、私の為に戦ってくれたコグリスさんには、先ほどのお店で購入のおまけで貰った、プレーンおまんじゅうです!」

「にゃーん!」

「ディノを止まり木にしているそちらの鳥さんたちも、私達を襲わないと約束してくれれば、分けて差し上げますよ?」



いい加減に魔物を救出しなければいけないので、ネアはおまけで貰ったおまんじゅうを放出することにした。

プレーンなおまんじゅうなのでシチューにつけて食べようと思っていたが、逆に中身がないので小さな動物達にはいいかもしれない。


かくして、ネアは千切って与えたおまんじゅうで小さな生き物たちを狂喜乱舞させつつ、現場を後に出来たのであった。




「ディノ、今日のおまんじゅう祭りは楽しかったですね!」

「うん。この珈琲クリームのものを半分食べるかい?君のものは、コグリスに与えてしまっただろう」

「まぁ、小さなものなのに分けてくれるのですか?………むむ、クリームがさっぱりしていて美味しいですね!」

「……………フキュフ」

「あら、お砂糖で酔っ払ってしまうちびふわには、このおまんじゅうは危険ですよ?」

「フキュフ」

「ちびふわは、一度地面に落ちてしまったので、帰ったら綺麗に洗ってあげましょう!」

「……………フキュフ」




たくさんのお土産を持って、ネアはほくほくしながらリーエンベルクに帰った。

おまんじゅうで満足した後にちびふわとも遊べるので、素晴らしい一日になりそうだ。

ついでに、森に帰りたい気分な使い魔を撫で回して、もう暫くは逃げられなくしておこう。



とは言え、そんな浮ついた気持ちを責めるように、帰るなり茶色い首なし馬にもわもわ妖精責めにされるのだが、その時のネアはまだ、その悲劇の訪れを知らずにいたのであった。












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