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268. おまんじゅう祭りに向かいます(本編)




ウィームではその日、ネアが去年から待ちに待ったおまんじゅう祭りが開催されることとなった。



当日のウィームでは雨の予報もあったものの、怒り狂ったネアが雨が降ったら世界を呪うと公言していたところ、どこからかそんな発言がヨシュアに届いたらしく、優しい霧雨のシーの助言によりヨシュアが雨雲を遠ざけてくれることになる。


本来は、フードフェスティバル的なお祭りなので、気象の調整を行ってまで開催するものではない。

ネアの気合いの入れようを懸念していたエーダリアもほっとしたようだ。

昨晩からめそめそしながら頑張って仕事をしているヨシュアも、今日は大好きなイーザと一緒におまんじゅうを買って楽しむらしい。

せっかく雨雲をどかしてくれるのでと、ネアは有料の冊子タイプのおまんじゅうカタログを購入してディノ経由で二人に贈ったところ、ヒルドを介してイーザから、そのカタログを参考に祭りを楽しみ、カタログは一生大事にするとお礼の言葉があったのだ。

カタログに記載されているおまんじゅうは今年のお店のものなので、一生大事にされても困るのだが、ディノのような収集癖があるのかもしれない。

とは言え、貢献してくれたヨシュアもおまんじゅうを食べられるようで良かった。

カタログには、おまんじゅう一個引換券がついているのだ。



「ディノ、カタログの四ページをご覧下さい」

「四ページ目だね………」


そして、リーエンベルクの会食堂では、今日は意気込むあまりに朝食を控えめにするという歴史的な事件を引き起こしたネアが、ディノを対象に事前勉強会を行っていた。

教科書で勉強をする生徒のように、ディノはきりりと頷くと指定されたページを開く。



「おい、どうせお前は全部食べるんだろうが。この時間に意味はあるのか?」


うんざりした様子でそう呟いたのは、このようなイベントでのネアの事故率を勝手に心配してやって来てしまった使い魔だ。

どこかで忙しくしていたらしく、朝食の後の時間にこちらに到着し、妙に疲れた様子で濃い目の紅茶をいただいているところである。


今日のアルテアの服装は墨色に近いスリーピース姿で、ジレにだけ灰色がかったラベンダー色のストライプがある。

ネアは、今日のアルテアのベルトが、かつて白けものに贈ったもののいつの間にか本体のベルトに再利用されてしまったものであることを看破していた。

指摘すると不貞腐れてしまうので気付かなかったふりをするが、この使い魔はとてもよく懐いているのである。


「優先順位というものがあるので、この事前勉強会はとても重要なのです!ただでさえ、あちこちにおまんじゅうの屋台が出ると、近い順に制覇していってしまい、むぐむぐしている内に幸せになってしまって、人気店のものを食べ損ねてしまいそうです。そんな誘惑に抗う為にも、予習はかかせません」

「まずは、この店に行きたいのだね?」

「はい!少しスパイシーなソースで煮込んだ、異国風の豚肉煮込みが入っているおまんじゅうです。ソースには隠し味で果物がたっぷり使われていて、甘辛いご飯系のおまんじゅうですね」

「君はたくさん買いたいだろうに、一人三個までしか買えないのだね………」

「ええ。厳格な購入制限のある人気店なので、ディノも私も三個買いますよ」

「わかったよ」


意気込んだご主人様にしっかりと頷き返した魔物は、ムグリスディノであればちびこい三つ編みがしゃきんとなっているような状態だ。

忠実な色を浮かべた瞳はきらきらしていて、真珠色の髪の毛も艶々している。


「このお店は、手間暇かけた豚肉煮込みが大量生産出来ないので、限定数が少ないのです。とても人気だけれど数を多く用意してくれるので二店目に設定したのがこちら、二ページ目、左上に紹介されているマロンクリームのおまんじゅうです!」

「良かった。これも人気なのだね………」

「私が絶対に逃せないおまんじゅうの一つです。去年、このおまんじゅうをディノが買ってきてくれて、死者の国で食べた時の喜びは忘れられません………。何度かに分けておやつで食べられるように、このおまんじゅうは多めに購入しておきましょうね」

「うん…………」


去年の今頃、ネアは第四王子を狙った罠にかかり、死者の国にいたのであった。

楽しみにしていたおまんじゅう祭りに行けず、死者の国の食べ物には殆ど味がない。

様々な災難にも見舞われ、すっかり心が折れそうになったネアを迎えに来てくれたディノが、そのマロンクリームのおまんじゅうを持って来てくれたのだった。

その時のことを語ったネアに、魔物は誇らしげに目元を染め、はにかんだ。



「きっと、またあのおまんじゅうを食べたら、ディノが迎えに来てくれたことを思い出しますね」

「もう二度と、君をあんな怖い目には遭わせないからね」

「ふふ。ディノは頼もしい婚約者ですね」

「ずるい…………」

「むぅ。なぜに定型でそっちに行ってしまうのでしょう」



そう呟いたネアが隣を見ると、静かに紅茶を飲んでいるアルテアの横顔が気になった。

そんな死者の国に落ちたのは、アルテアから貰った飴玉が死者の門だったからだ。

アルテア自身も知らなかったことなので気にしていなかったが、この話を蒸し返すと、何となく嫌な気分なのかもしれない。


なので、さり気なく話題を変えようとしたのだが、アルテアが気にしてたのは違う問題であったらしい。



「とは言え、去年もそれなりに食べただろうが」



(あらあら…………)


ネアはそこでもう一人の魔物が、何だか面白くない的な冷ややかな眼差しになった本当の理由に気付き、内心微笑みを深めておく。

魔物とはとても厄介なものだが、時々酷く分かりやすい。

望みが明確だからなのだとも言えるが、蔑ろにしてしまうと思いがけない反動が出たりもする。

となると、やはり厄介な生き物なのだと結んでも良いのかもしれない。


ネアはたまたまアルテアと契約をしている身だが、本来こうして魔物の力を借りるということは、恩寵とされて大事に噛み締めなければいけないことなのだ。

感謝するというのは人間の関わりにおいても大切なことであるが、相手が人外者だとそこには更なる注意が必要となる。


だから、狡猾な人間はあえて何でもないような顔をした。


「そして、檸檬クリームと蜂蜜クリームチーズも忘れてはいけません。こちらはお持ち帰り用のおやつまんじゅうが主力ですので急がずとも買えますが、やみつきになるお味でした!去年は、アルテアさんが買っておいてくれたので、私は美味しくいただけたのです!」

「…………お前が死者の国から、カードに書いてきたからな」

「あら、あの時にはもうそれなりに良く懐いていたアルテアさんは、そんな私のお願いを聞き届けてくれて、美味しいおまんじゅうを買っておいてくれたんですよね!」

「やめろ」

「あの時のチーズとトマトソースのものも美味しかったので狙っていたのですが、今年は違うおまんじゅうを出しているようです。…………この、ピリ辛挽肉とトマトクリームのお店ですね」

「ここでも買うのかい?」

「ええ、ここも人気店ですので、早めに並びましょう!!」

「おい待て、お前はどれだけ食べるつもりだ………」



アルテアのうんざりしたような問いかけに、ネアは首を傾げた。

一年に一回しかないおまんじゅう祭りを前に、この赤紫色の瞳をした美しい魔物は何を言っているのだろう。



「……………欲しいものを、全種類?…………む………、なぜにそんなに驚いてしまうのでしょう?先ほどまで、私は全部食べると認識してくれていたのではなかったのでしょうか?」

「あれは言葉の綾だ。強欲すぎるぞ。少しは控えろ」

「し、しかし一年に一回の開催ということは、一年分を買うべきではないでしょうか?」

「ほう?それだけの量を買うなら、他に余分なものは何も食べないんだな?」

「むぎゅう…………」


意地悪な使い魔に虐められたネアが悲しい目で振り返ると、ディノがこくりと頷いてくれた。


「アルテアは叱っておこう。可哀想に………、好きなだけ食べて良いんだよ」

「ディノは優しい魔物ですね」

「ご主人様!」

「こいつの計画を野放しにしておくと、ムグリスになるぞ?」

「むぐる。私の腰はちゃんと括れております!」

「今のところはだな」



年に一度のお祭りに水を差してくる悪い魔物の言葉は意地悪なので、ネアはぷいっと横を向いて聞かないことにした。

すると、鼻を摘ままれそうになったので噛み付こうとすると、荒ぶったご主人様を鎮める為に、ディノが三つ編みをそっと設置してゆく。

膝の上の三つ編みを半眼で眺め、ネアはこの状況を引き起こした使い魔をじっとりと睨む。



「アルテア、ネアも一日で食べてしまったりはしないと思うよ」

「その量を一日で食べたら病気だな」

「一年分です!そして私は、買い溜めたものを無駄にしたりもしないので責められる謂れはありません!」

「今までムグリスにならなかったのが奇跡だな」

「……………食いしん坊を虐めると、ほこりに言いつけたくなりますね」

「やめろ」


ここでネアは、自滅した使い魔を放置して、本日の装備を確認することにした。

戦に出る前の時間は貴重なのだ。


動きやすい伸縮性のある素材のドレスは、袖口がきゅっと捲り上げられるようなニット素材めいたものだ。

小さな斜め掛け鞄には、食べ歩きに適した濡れおしぼりや、ごみ箱が見付からなかった時用の小さな紙袋などが入っている。

武器は全部首飾りに入っているので、この鞄はおまんじゅう祭り専用だ。


しかし、そんな装備確認をしているネアを、なぜかアルテアは呆れたような目で見ているではないか。

小さく唸って威嚇しておくと何も言わなかったので、今度一度、しっかりとこの強欲な人間の怖さを認識させておこう。

身勝手な人間はもわもわ妖精責めで心を損なったばかりなので、威厳を取り戻したくて堪らないのだ。



「準備は大丈夫そうかい?」

「はい。必要なものは全部入っていました。あとは、お外での食事で邪魔にならないように髪の毛を留めて完成です!…………むむ、そろそろいいお時間ですね」

「その髪留めはどうしたんだい?」

「…………むぅ。アルテアさんに貰ったものなのですが、そう言えばどこで貰ったのでしょう。お風呂で貰った様な気がしますが、アルテアさんの誕生日の翌日に一緒にお風呂に入ったことなどない筈なのです」

「ほら見ろ。食べ過ぎだ」

「なぬ。関係ないところでこじつけるのはやめるのだ」


あれこれ言いながらも面倒見のいいアルテアが髪の毛を可愛いハーフアップにしてくれ、いよいよ旅立ちの時となる。

ネアはあまりの期待に身震いしてしまい、はぁはぁしているので興奮し過ぎて倒れてしまったりしないよう、ディノにしっかりと諸注意を受けた。



「さぁ、旅立ちますよ!狙った獲物を完売などで失ったりはしません!」

「ご主人様!」

「…………やめろ、こっちを見るな」

「あらあら、付き合いの悪い魔物さんですねぇ」



そうして三人はおまんじゅう祭りの会場に向かった。

よく考えれば、こうしてアルテアも伴ってリーエンベルクから街のほうへ歩いていくことはないなと考え、ネアは隣を歩いているスリーピース姿の魔物を見上げる。

しかしそちらを見ているとディノは寂しくなってしまったのか、三つ編みが投げ込まれてきた。

受け取り損ねたので重力に従って持ち主の方へ落ちてゆく悲しい三つ編みの姿に、虐待すると悲しげに呟く魔物がいる。


ネアは、あまりにもしょんぼりとするので、仕方なく自分から手を伸ばしてそんな三つ編みを持ってやった。


「ご主人様…………」

「この先に待っているのは戦いなのです。もじもじしていて、討ち死にしないで下さいね」

「わかったよ。完売しそうなものから並ぶのだよね」

「使い魔さんは何というか奔放そうな感じがしますので、戦力にはなりません。私の頼みの綱はディノなのです」

「うん。君が望むことは何でもしてあげるよ」

「……………竜さん」

「虐待する……………」

「ふふ、ちょっと言ってみただけですよ。竜さんは飼いません」


ネアたちがそんな話をしていると、アルテアが小さく溜息をついた。


「…………そう言えば、ウィリアムと出かけたときに、地竜に会っただろう」

「む。大きな地竜の王様を見ました。なぜ知っているのですか?…………まさか、盗聴的な………。いくら懐いていても、それは許容できませんよ!」

「なんでだよ」

「この前に話した地竜の性質の所為かもしれないね。ウィリアムが話したのだろう」

「ディノが話してくれた、階位の高い地竜さんは、朗らかに押しが強いというところでしょうか」


そう話していると、アルテアはなぜか少しだけ驚いたようにこちらを見る。



「…………リロレイドのことは話したのか?」

「あの地竜の素敵なお姫様のことですね。はい。ディノから、ウィリアムさんを好きになる女性はちょっと思い詰めやすいので注意するようにと教えて貰いました。でも、ディノとノアが相談して、対策してくれたので、もう大丈夫ですよ」

「……………成程な。リロレイドが巣から出てこなくなったのは、それが理由か」

「彼女に会おうとしたのかい?ウィリアムへの執着を剥いだ時に少し怯えさせてしまったからね………」


その返答にアルテアはがくりと肩を落としたので、ウィリアムから何か相談されて地竜のお姫様を探してくれていたのかもしれない。

今日は珍しく帽子もかぶっており、擬態している髪色はけぶるような銀髪だ。


ディノはいつもの青みがかった灰色の髪の擬態をしていて、リボンはお気に入りの夜闇のリボンを結んでいる。

そこまで明るくない色合いの髪色なのだが、人間の持つ色彩や髪の毛とは違い光の透過率が高いので、このような明るい時間に外を歩くとディノの長い髪はきらきらと透明度の高い泉のように色合いを透き通らせる。

その結果、深みのある色合いなのに淡く見えるという雰囲気になり、そこに結ばれた夜闇のリボンは、天鵞絨に混ざる瑠璃色の色味が際立ってとても映えるのだ。

ネアが一度そんな組み合わせを褒めてから、ディノは、晴れた日の朝早くのお出かけでは夜闇のリボンを選ぶことが多くなった。


指にはネアの髪色を紡いだ宝石のある指輪が光り、澄明な水紺色の瞳はきらきらしている。



(みんなでお出かけしているけれど、これは日常寄りの特別な一日)



また少し、そんな日々の恩恵と安寧について考える。

去年の今頃は死者の国にいたのだと思い出したからか、あの静かに閉じている街の静謐さを考えてしまうのだ。

もしいつか、ネアがあちら側に行ってしまったら、ディノとは限られた日にしか会えなくなる。

であれば、魔物に殺された人間の赴くあわいとやらの方が、この魔物は寂しくないだろうか。


(前ほどに、その日が来るのがすぐ先だとは思わなくなったけれど、でも、必ずいつかその日は来る)



そんな時、ディノの心にはどれだけの彩りが残っているだろう。



こうしておまんじゅうを食べた日、お気に入りのリボンや狐温泉の砂糖菓子。

毛布の山を積み上げた巣に、夜明け前に二人で寝ぼけながらする会話。

三つ編みにして貰ったことや、ネアの微笑みも忘れずにいてくれるだろうか。

でもそれはあまりにも残り過ぎると寂しいばかりなので、どこかできちんと思い出を薄めてゆけるだろうか。


ウィリアムがアルテアに助けられたことを今でも覚えているように、ディノもネアと過ごした日々を思うのだろうか。



「ネア、手を繋ごうか」


そんなことを考えていたら、隣の魔物が三つ編みをネアの手から引き抜き、手を繋いでくれた。

ディノにとってはとても負担の大きい作業なので、あまり自分からは繋いでくれないのに。

どうしたのかなと驚いて水紺色の瞳を覗き込めば、美しい魔物はふわりと微笑む。


「何か、寂しいことでもあったのかい?」

「…………ディノにはいつもお見通しなのですね。………実は今、去年のこの時期には死者の国にいて、大事な魔物やみなさんと会えなかったことを思い出してしまっていました」

「そうだったんだね。でも、こうして手を繋いでいるから安心していいよ」

「はい。ディノが手を握っていてくれますし、反対側にはアルテアさんもいるので安心ですね」


ネアは少しだけ答えを誤魔化したが、もしかしたらそれさえも魔物にはお見通しだったのかもしれない。

アルテアの手前、また死者の国のことを持ち出すのは申し訳なかったが、どこかに真実を混ぜ込まないと嘘に気付かれてしまいそうであったし、自分が死んだ後のことを考えていると話した方が魔物たちは落ち込みそうな気がした。

あまり寿命の長くない生き物にとっては決して縁遠くはないことなのだが、そんな短命な生き物にすぐに置いて行かれてしまう長命な魔物たちにとっては、やはり酷なことなのだろう。



「お前の場合は、これだけ近くにいても油断できないからな」

「なぬ。不吉なことを言うのはやめるのだ」

「それと、もう着くぞ」

「むふぅ!胸が高鳴ります!」

「ネア、落ち着いて…………。深呼吸出来るかい?」

「は!あのお店は、マロンクリーム!!」

「おい、早速順番がおかしなことになってるぞ」

「し、しかし蒸したてほこほこのおまんじゅうが見えます。温かいおまんじゅうで、マロンクリームがほろりと溶けているお味を考えると、心の荒ぶりが抑えきれません!!」

「弾むな…………」

「かわいい…………。弾んでる…………」



ネアは手を繋いだ魔物をぐいぐい引っ張ってお祭り会場に急いだ。

そうこうしている間にも、誰かがネアよりも先にあのほこほこのおまんじゅうを食べていると思うと、羨ましさでいっぱいになってしまう。

ネアも一刻も早く、美味しいおまんじゅうにかぶりつきたかった。



「…………お前は、最初に予定していた方の店に並んでろ。既に十五分待ちだ」

「なぬ。………むむぅ。確かに既に十五分待ちの看板が出ています。開店の時間の五分前に着いたのに解せぬ」

「行列が出来て早めに店を開けたんだろ」

「ず、ずるいではないですか!それなら私だって、一時間前には来られたのです…………。ふぎゅう」

「こっちの店のものは俺が買っておいてやる。何個だ?」

「私のお持ち帰りが十二個、今食べる用が一個、ダナエさんとバーレンさんへのお土産で二個です」

「おい……………」

「私とディノの、おやつ四回用で、残りのものは食べ損ねたリーエンベルクの誰かに振る舞う用ですよ?今食べる用のものは、三人で分けて食べませんか?他のものもありますし、マロンクリームは割って食べても中身が零れてしまうようなことはないと思うのです」

「………ったく」


ネアは代金を渡そうとしたが、アルテアは首を振って行ってしまった。

マロンクリームのおまんじゅうは奢ってくれるようだ。


「うむ。では、豚肉のおまんじゅうは私が奢ってあげましょうね」

「私が買うから大丈夫だよ」

「謎の対抗意識を持ちましたね………」

「ご主人様…………」




会場には、あちこちにのぼりが立っていた。

ちょっとお洒落な市場風に様々な色合いの帆布を使ったテントが張られていて、どうやらテントそのものは色違いなだけでお揃いのものなので、このお祭りの運営からの支給品であるらしい。


ウィームという土地柄か、ヴェルリアのような色鮮やかな原色のテントが並ぶ訳ではなく、かすれたような風合いの渋めの檸檬色に、藍色、澄んだ水色にくすんだ灰ピンク色に、青みがかった絶妙な赤紫色。

何ともいい色合いのテントの並びは、絵に描いても楽しそうだ。

色合いはかなり計算されているのか、後ろに見えるウィームの街並みにとてもしっくりと馴染んでいる。



そんなテントを一つの区画とし、店舗主達は料金を支払ってお店を出すのだ。


場所代はこのお祭りの運営に関わった人々にだけその役目に応じた額で分配され、売り上げは全て店舗側の利益となる。

また、ウィームに支払うお金は一切かからない。


それなのにリーエンベルクの騎士たちが警備の為に配属されるのは、ウィーム領主からの無料サービスのようなものだ。

その代わり、騎士たちは休憩時間に行列に並ばずに好きなお店のおまんじゅうをどれか三個だけ、無料で食べる事ができる。

職業柄、非番でないとおまんじゅう祭りに並べない騎士も多いので、お目当てのおまんじゅうを持つリーエンベルクの騎士たちの中でも人気のお役目であるらしい。

店側でも、リーエンベルクの騎士が自分の店のおまんじゅうを食べに来たというのは自慢であるらしい。

店によっては、昨年は第二席の騎士がうちのおまんじゅうを食べましただとか、隊長お墨付きの味というようなアピールをしているところもあるのでなかなか商魂逞しいようだ。



「ディノ、ほら、あそこに木馬の魔物さんと奥様がいますよ」

「木馬の魔物なんて………」

「私の恋した木彫り木馬さんを彫ってくれた方です」

「木馬の魔物なんて…………」



二人は無事にお目当てのお店に並ぶことが出来て、わくわくそわそわと周囲を見回す余裕が出来てきた。


街付きの騎士たちは観光客や行列の管理をしており、時折お祭りを楽しみに来ている家族と思われる女性たちと楽しそうに会話をしていたりする。

ちらりと見えた奥の檸檬色のテントに並んでいるのは、小さな薔薇色の花竜を抱いた青年だ。

ネアはもしかしたらエルトかもしれないと思って嬉しくなる。

非番の騎士たちや、封印庫の魔術師の姿も見え、街中の人々が美味しいものを楽しんでいるという感じがした。



「おや、珍しいものだね。この時期なのに、まだ氷竜がいるようだ」

「ベージさんでしょうか?」

「リディアという古竜だよ。君はトンメルの宴で会ったことがあるかな?」

「そう言えば、あの方は甘党さんでしたものね」


ネアはそんな主催者な氷竜を見たことがなかったので、ディノが指さした方を伸びあがって覗いてみれば、そこにいるのは白髪の老紳士であった。

ネアには白髪に見えるが、ディノ曰く、白に限りなく近い銀髪であるのだそうだ。

氷竜の中でも特殊な古い魔術を持っている証なのだそうだが、ネアと同じで可動域がさして高くないので、リディアがそんな魔術を使いこなすことは出来ない。

その代わり彼は、人生において何よりも愛するもの、食というものの素晴らしさに出会ったのだ。



「一緒にいるのは、もしかしてゼノでしょうか。リディアさんは、思っていたよりも小柄な方で驚きました」

「氷柱などの魔術に長けた氷竜は小柄な竜が多いようだね。氷竜たちの中でも、稀にしか生まれない魔術の系譜だ」

「つらら…………」


ネアは頭の中で氷柱を思い描き、細くてしゅっとしているので、そんな魔術を使う竜達は小柄なのだろうかと考える。

リディアは小柄だが蝶ネクタイの似合う洒落ものという雰囲気で、青年姿に擬態したゼノーシュと並ぶと何だか祖父と孫の家族のようにも見えた。

カタログを手に、二人であれこれ話しているようだ。



「ほら、買ってきてやったぞ」


そこに、無事にマロンクリームのおまんじゅうを買ってきてくれたアルテアが合流し、ネアたちの前に並んでいた姉妹がこそこそと興奮気味に内緒話をしている。

特別な興味を惹かないような魔術を組んでいるのですぐに忘れてしまうが、それでもやはり目を惹く男性であるのは間違いない。


買ってきてくれたマロンクリームのおまんじゅうを器用に三等分にしてくれたアルテアを見ながら、ネアはそんな姉妹たちに心の中で話しかける。

この使い魔は人型の時の凄艶な美貌も勿論だが、白けものの時のしどけなさや、ちびふわの時の愛くるしさは格別なものなのだ。

本当は、是非ともそんな魅力もお伝えしたい。



「むぐふ!………美味しいでふ」

「…………皮の部分の色は黒糖かと思ったが、風味付けの麦と蒸留酒か…………」

「そうなのれふ。マロンクリームのしつこすぎない甘さと、ふわっとお口のなかに残る麦の香ばしさにお酒の香りで、珠玉の一品と言わざるを得ません。そして、甘いものの後のしょっぱいもの!これはもう世界の常識と言っても過言ではなく、永久運動という至福の境地に誘ってくれるのです」

「それで、ムグリスになるんだな」

「むぎゃ!よくも淑女の腰を掴みましたね!ゆるすまじ………」

「俺に何かすると、買ってある商品が手に入らなくなるがいいんだな?」

「むぐぅ。そんな悪い使い魔さんには、豚肉のおまんじゅうを買ってあげませんよ?」

「自分で買えるから気にならないな」

「では、最近ダリルさんから貰った、背中が毛だらけになる呪いを………」

「やめろ…………」



小さな小鳥たちが群れ飛び、ネアは清々しい晴天の空を仰ぐ。

白い雲が少しだけぷかぷかと浮かんでいる、

どこかでヨシュアもおまんじゅうを食べているだろうか。

そんなのんびりした幸せな気持ちで、ふと近くの木を見上げた時だった。


「……………怖っ」


ネアの声にそちらを見た魔物たちも、ぎくりとしている。

周囲の木々の枝には、みっしりと小さな生き物たちが集まり、爛々とした眼差しでこちらを見ている。

どうやら彼らは、はしゃいだお客がおまんじゅうを落とすのを虎視眈々と待っているようだ。


あまりにも強い眼差しを見れば、決して気軽に食べているおまんじゅうの欠片などを与えてはいけないと感じさせる。

隙を見せれば、一気に毟り取られるだろう。

よく見れば、遠くでそんな隙を見せてしまったものか、小鳥たちの集団にたかられてうわぁぁと悲鳴を上げている男性がいる。



「高位の精霊なのに、あんな風に襲われてしまうのだね………」

「むぅ。落としたおまんじゅうを狙われたようですね。誰かが手に持っているものを狙わないのはお利口ですが、その代わり落としてしまうとあんな風になってしまうのだと、肝に銘じておきます」

「…………時間の座の精霊王だな」



ディノだけではなくアルテアも、あまりの容赦のなさに驚いたようだ。

しかしながら、食べ物をめぐる戦いとはいつの時代も過酷なものなのである。



(油断していたら、……………やられる!)



長閑なおまんじゅう祭りの会場がにわかに緊迫したものに見えてきて、ネアはごくりと息を飲んだ。











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