砂風呂と地竜の選定 3
「み、見て下さい。ホイップクリームましましです!!」
ネアは、ルグリューが届けてくれたかき氷系しゃりしゃり飲み物を見て、歓喜の声を上げた。
綺麗な檸檬色のフローズンドリンクには、上にソフトクリームのようなクリームがででんと乗っている。
最初は氷菓子風にさくさくと崩しながら食べるのだが、ほろ苦い酸っぱさと甘さを想像するだけでもう口の中が美味しい。
こちらを見たウィリアムが、座ったまま弾んだネアに目を細めて微笑んでくれる。
「うん、美味しそうだな」
「一口食べますか?」
「…………そうだな、一口くれるか?」
ネアはグラスを渡して食べるのかなと思ったが、ウィリアムは顔をこちらに寄せたので、さくっとスプーンで美味しそうなところをすくってお口に入れてあげた。
記念すべき最初の一口だが、食いしん坊とてこの素晴らしい砂風呂に連れてきてくれた恩人には報いるものだ。
「美味しいですか?」
「ああ。さっぱりしていて食べやすいな。ネアはかなり好きなんじゃないか?」
「むむ。食べて見ますね。…………ほわ!美味しいです!!」
思った通り、ひんやりとしゃりりとした氷部分をすくって食べると、ほろ苦い檸檬の風味と生クリームの甘さが混ざって至高の味わいである。
砕いて滑らかにした氷に特製の檸檬シロップを合せてあるようなので、口の中でじゅわっと氷の爽やかさも感じ、汗をたっぷりかいた後の爽やかさにぴったりではないか。
最初はさくさくと氷菓子として、氷が少し溶けると飲み物になる二度美味しい素敵な一品だ。
一緒にウィリアムが注文したのは、お酒の風味のある炭酸水のようなものの一種だったのだが、そちらのお味見は知らないお酒だったので遠慮することにした。
万が一酔っぱらって暴れると周囲のお客さんを砂地獄に誘ってしまうし、ぱたんと倒れてしまったりすると、ウィリアムに砂人形を洗わせる羽目になってしまう。
(気持ちいいなぁ………)
一度しっかり砂蒸しにされたからか、砂の上は温かかった。
不快にならないぎりぎりの温度を保ち、汗をかいても爽やかですっきりとするばかりなのが不思議で、背もたれ代わりになっているクッションもちょうどいい堅さでしっかりと体を支えてくれる。
汗をかくので肌に砂がついたりもするのだが、よく見ると細かい砂色の結晶石を砕いたような砂はさらさらしていて、手で払うだけでさらさらっと落ちてくれるので、不快感もない。
強いて言えば、肌の表面にじんわり浮く汗を気兼ねなく拭えるともっといいのだが、ネアはそのあたりは割り切ってあまり気にしないようにした。
やはり淑女として、汗を拭き易い位置と、あまり人前では拭わない方がいい位置とがある。
ちょっと水着をずらして汗を拭いたりしたら、ウィリアムにまた痴女扱いされてしまうではないか。
「ネアは、そうやって髪を結ぶと、雰囲気が変わるな」
「むむ。二つ結びだと子供っぽいでしょうか………?砂の上に横になると聞いたので、頭がごつごつしないようにしてみました」
「いや、水着に似合ってると思う。可愛いよ」
「ふふ、こんなに美味しい飲み物を飲めただけでなく、ウィリアムさんに褒めて貰いました!」
ウィリアムは、褒められて微笑みを深めたネアを優しい目で見て頷いてくれる。
この淑女の端くれは、いつもとは違う髪型を指摘してくれた上に褒めてくれた良い魔物に、勝手に好感度を高めた。
男性からしたら厄介な文化だろうが、やはりこうして気付いて褒めてくれるという行為は、とても嬉しいものだ。
(髪の毛と言えば、ディノを連れてきた時には、三つ編みをしっかりめに編まないとだわ………)
ウィリアムのように短髪だと、髪の毛を手櫛でささっとやるだけで砂が落ちるが、ディノのような長い髪は大変そうだ。
でもその代り、ネアは気を遣うことなく汗を拭えるだろう。
「ああ、…………今日はいい休日だな」
天井を仰ぐようにしてウィリアムがそう呟く。
そう呟いて微笑んだウィリアムは、額や首筋に滲んだ汗で、お疲れのお父さんがサウナを楽しんでいるようにも、休暇の騎士が日光浴を楽しんでいるようにも見える。
髪色だけ砂色に擬態しているものの、造作はそのままいつものウィリアムの美貌なのだが、やはりウィリアムは不思議なくらいに周囲に馴染むのだ。
砂蒸しを終えてから一時間程経っただろうか。
二人が、のんびりゆるゆると寛いでいる時のことだった。
ふっとウィリアムが横を見たので、檸檬の飲み物がなくなってしまい、しょんぼりとグラスを置いていたネアもつられて顔をそちらに向ける。
「………ここは個人的な領域の筈だったが?担当者変更という訳でもなさそうだな」
柔和な微笑みを浮かべ口調も柔らかいが、ウィリアムはどこかひやりとする眼差しでネア達の区画に立ち入った制服の女性に話しかける。
立っていたのは、一人の竜らしき女性だ。
男性のような短髪だが、紺色の制服が色香を倍増させているのではと思うくらいに豊満で女性的な肢体で、一目で女性だとわかる優雅な美しさを持つ魅力的なひとだ。
くりんとした角から、地竜なのだということは分るが、どうしてここにやって来たのだろう。
「お休みのところを失礼いたします」
短い焦げ茶色の髪に黒い瞳をした女性は、凛々しい眉を寄せ眼差しをきつくすると、まずは深々と一礼する。
そして、その微かなざらつきが木の肌のような温もりに感じられる独特な声で、ここを訪れた事情を説明してくれた。
「お二人は、新代の地竜の王の選定者に選ばれました。土地の祝福が、お二人なればと選んだようです。たいへん恐縮ですが、わたくしに同行いただけますでしょうか?」
それは、唐突な申し出だった。
ネアは目を丸くしてウィリアムの方を見たが、ウィリアムはゆっくりと刃物のように薄く鋭い微笑みを深める。
その微笑みに、地竜の使者が青ざめたのは仕方あるまい。
不思議なことに、唇の形は綺麗に優しげな微笑みの弧を描いているのに、どこまでも冷たく感じるのだ。
「それは困ったな。断ると言ったらどうするつもりだ?」
「…………我々でも、予言と魔術の式を当て嵌め選定者を選んでおりますが、お二人は土地の選んだ選定者ですから、その場合は選定自体が行われないことになります。どうか、お察し下さいませ」
「………………やれやれ、地竜の王はそろそろだなと思っていたが、先程の鳥がまさか土地の裁定者だとはな………」
ウィリアムのその言葉に、女性の目がきらりと光った。
なぜそんなことを知っているのだろうと油断なく目を細めているので、ウィリアムが誰なのかを知らずに声をかけているのだろう。
ネアはとてもひやひやするので、ウィリアムがこの素敵な砂風呂を壊滅させてしまわない為であれば、ちょっとの御用くらい聞いてあげるという心持ちであった。
そんな不安が伝わったのか、ウィリアムがこちらを見て溜め息を吐く。
こちらを見たウィリアムの眼差しは、先程のままにとても優しい。
「すまない、新代の王の選定はおろそかにするとまずい。話の分かる王だからな、恐らく長くはならないだろう。少しだけ付き合ってくれるか?………とは言え、せっかくの休日に水を差された形になるんだ。きちんと保障もさせよう」
「それは…………、」
地竜の女性が反論しかけ、ウィリアムがそれを遮る。
「保障させるさ。レグーリでも、新しく王になる者にでも。それと、俺達の担当だったルグリューという男を呼んでくれ。彼を困らせたくはないからな。ここを離れると伝えておきたい」
「それはこちらからお伝えいたしましょう。まずは…」
「彼を呼ぶんだ。君達地竜は、その資質によって性質が違う。君達は些事をないがしろにし、彼は細やかに気を遣って気を揉むだろう。退出の挨拶くらい自分でするさ」
ネアは、担当を呼ぶのであればと通信端末の方を見たが、ウィリアムが微笑んで首を振った。
あくまでも、この女性にやらせるということであるらしい。
「…………かしこまりました」
女性の竜は渋々といった感じではあったが、すぐにその場の端末からルグリューを呼んでくれた。
その通信の隙に、ウィリアムから特殊な魔術を敷いたので、名前を呼び合っても大丈夫だと耳打ちされ、ネアは頷く。
置かれていたタオルで汗を拭い、ネアは体についた砂を払っておいた。
背面部分はウィリアムがやってくれたので、ネアもウィリアムの背面をやってあげる。
ルグリューはすぐに駆けつけてくれた。
ネア達を見て眉を顰めると、何かを言いかけたが、なぜかウィリアムが視線で黙らせる。
「俺達は、どうやら地竜の王の選定者に選ばれたらしい。担当してくれた君には悪いが、どこかへ行かなければいけないようだ」
「………………っ、畏まりました。何かご入り用のものがあれば、お持ちいたしましょうか?」
「いや、構わない。時間内に戻れるようであれば、ここはこのままで。部屋もそのままで構わないか?」
「勿論です。お客様の区画は、本日いっぱいお好きにお使い下さいませ。……お戻りになられましたら、私をお呼び下さい」
「ああ。そうしよう。君のことを気に入ったからな」
その言葉に慇懃に一礼したルグリューを見て、ネアは、ウィリアムがあえて彼をただの職員として扱ったのだと理解した。
これから何か厄介なことになった場合に備えて、ルグリューと親しいということを意図的に伏せたのだろう。
だからこそ今ここで、あの女性にルグリューを呼び出させる必要があったのだ。
(そっか、目を見て話したからこそ、ルグリューさんもウィリアムさんの言いたいことを理解したんだわ。通信だけでは汲み取れない可能性もあるから、きちんと彼のことも配慮したんだ………)
ウィリアムは時々、ネアもぎょっとするくらいに大雑把な時があるが、本来は繊細な人でもある。
ルグリューは地竜の中では恐らくあまり高位ではないし、大事な養い子の大切な友達だ。
こうして、大事にする者をしっかり守ろうとしているウィリアムを見て、ネアは頼もしく思った。
「ではこちらに」
「その前に、着替えさせて貰おう」
「いえそのままの方が宜しいでしょう。選定の間は、地底湖の中央になります。水着のままの方が良いからこそ、今日この瞬間なのかもしれません。我々は、そのままの選定者達をと指示されております」
そう言われたウィリアムは眉を寄せていたが、気を効かせたルグリューが、さっとタオル地のガウンのようなものを渡してくれた。
男性のウィリアムのものはガウン状だが、ネアの女性ものはすとんとかぶる筒型のワンピースのようなもので、前が開いて見えてしまうこともない。
そんなネアの姿を確認して、ウィリアムは何とか納得したようだ。
「…………そうだな、ひとまずはこれでいいか。……………ネア、気になるようだったら服を用意するから、少しだけそれで我慢してくれるか?」
「ええ、ウィリアムさんにお任せします」
砂風呂用のサンダルも出してくれたのでそれを履いたが、ネアはいつもの頼もしいブーツでないことに微かな不安を覚える。
とは言え、一緒にいるのはウィリアムだ。
何と言うか、物理的には最強という気がするのでまず間違いなく大丈夫だろうという結論に達した。
頭を下げているルグリューを後ろに、ネア達は砂風呂を出て従業員用とおぼしき扉を開け、砂落としも兼ねているに違いないふくよかな緑色の絨毯を貼った階段を上る。
(この竜達は、砂風呂を経営しているという地竜の王族の使いなんだろうか。それとも、この施設には関わりのない地竜の使者なのかしら?)
大人が四、五人並んで歩けるくらいの充分な広さではあるのだが、先程までの開放感から一転であるので、ネアはほんの少し息苦しいような、何ともいえない不安感を覚え息を詰める。
その様子に気付いたのか、ウィリアムが繋いだ手をぎゅっと握ってくれた。
「心配しなくていい。俺がいるからな。だが、面倒事なのは確かだ。怖い思いをさせてすまない」
「いえ、ウィリアムさんのせいではありません。ウィリアムさんもせっかくのお休みですし、ゆっくりして欲しかったのですが、妙なことに巻き込まれてしまいましたね………。綺麗な小鳥さんだと思わずに、すぐに手でくしゃっとやってしまえば良かったです」
「はは、あれは土地の祝福だ。滅ぼさないでくれ」
ウィリアムは笑って流してくれたが、ネアがあまりにも物騒なことを言ったからか、ぎょっとしたように案内役の女性が振り返る。
階段を少し先に登っているので、タイトスカートから覗くふくらはぎが眩しくて、同性の目から見ても扇情的にも見えるが、あまりウィリアムの心には響いていないようだ。
(でも地下に向かうのに、階段を上がるんだ…………)
この宮殿の造りは分らないが、上がってからまた下りる羽目になるのだろうかと思っていたら、上がり切ったところに転移陣のようなものがあり、それを使って地下に下りるようだ。
階段などでは時間がかかり過ぎるくらい、その地底湖は深い地下にあるのだという。
ウィリアムがすかさず抱き上げてくれたので、ネアはサンダルが脱げてしまわないように爪先を持ち上げねばならなかった。
その調整にはなかなかに足首を酷使したので、今後サンダルでの持ち上げには気を付けよう。
淡く転移の暗闇を隔て、すんと、水の匂いがした。
(なんて暗くて青いのかしら…………)
短い転移を経て、出たのは大きな地下洞窟のようなところだ。
ネアはその青さに驚いて周囲を見回したが、黒曜石のような漆黒の岩盤が抉れて出来た空間には、中央に大きな湖がある。
その湖の水が孕む青い光がちらちらと壁や足元に揺らめき、唯一の光源となってその空間を青く青く染め上げていた。
ここには、後から来たネア達の他にも何人かがいるようだ。
地竜だと思われる盛装姿の男女が十五人程おり、選定の為に砂風呂から連れて来られたのであろう、ネア達と同じタオル地仲間が四人いる。
タオル地仲間は、一人の男性と、二人組の妖精の女性、そして竜らしき一人の女性という構成だ。
どこか気難しい顔をしている地竜達に比べ、チームタオル地の巻き込まれたのであろうお客達は、一様に困惑の気配が強い。
「王、お連れしました」
ネア達を案内してきた女性がそう言えば、湖の中にあるごつごつとした岩だと思っていたものが動き出し、ゆっくりと首をもたげて顔を上げる。
(…………お、大きい!)
ネアは思わずぎょっとしてウィリアムに抱き付いてしまったが、この大きさは恐竜の首長竜のようなものを想像すると一番似ているだろうか。
その巨体は灰色味の強い茶色をしていて、体の一部には小さな木まで生えているおとぎ話で出てくる老竜という雰囲気でもある。
そうして、その地竜の王様は、ぐいんとその顔をこちらに向けて淡い水色の瞳を瞠った。
(あ、嫌な感じや、怖い感じはしないみたい………?)
獰猛な気配は微塵もないが、ひどく穏やかな泉のような水色の瞳に狼狽が走る。
その瞳が映しているのは、ガウン姿でも泰然としているウィリアムだ。
ネアは、タオル地のガウン姿でも様になってしまう終焉の魔物に、さすが高位の魔物なのだなぁと、何だか違うところで感動してしまう。
「久しいな、レグーリ」
「……………御身においでいただくとは、光栄の至り。一族の若輩者が、あなたにご迷惑をおかけしていないといいのですが」
「そうだな。少し融通はきかないようだが、俺も特に名乗っていないし名乗る必要も感じていない。選定の儀を行うということは、後継者を決めていないのか?」
「お恥ずかしながら。………そこにおりますリロレドと、ルドールのどちらかが、次代の王となりましょう。私も百年程は後ろに控えておりますが、あくまでも隠居の身」
他の地竜達は、王に対して高圧的な物言いをするこの男は誰だろうという目でこちらを見ているが、地竜の王はウィリアムが身元を明かすつもりはないと暗に示した言葉を受け、そのように振る舞うことにしたようだ。
ネア達を案内した女性は、蒼白になって髪の長い女性の竜に何かを訴えているが、そちらの女性はウィリアムに軽く会釈をし、短髪の女性を黙らせた。
ウィリアムとは知り合いなのかなと考えながら、ネアは地竜の王が口にした言葉に眉を寄せる。
(亡くなってしまうという訳でもなく、本当にただの代替わりなんだ………)
そうなると、なぜにこんな風に突然砂風呂のお客が巻き込まれるのか謎であるが、ネアはきっと、今日は告知だけで後日集まるような融通は利かず、いきなり今日の今になってしまっただけの魔術的な指定があるのだろうなと諦めるしかない。
ネアには、そのような仕組みはまだ難しいが、魔術の理というものが厄介だということは知っていた。
「困ったな。決め手はないのか?」
ウィリアムは微笑んでそう問いかけただけであったが、その言葉の響きに何を感じたものか、大きな体を持つ地竜の王は微かな怯えを瞳に滲ませた。
固まって同席している地竜達の中の、先程の腰までの長い髪を持つ女性がはっとしたように進み出て王を庇おうとしたが、そちらに視線を投げた王自身によって制止される。
おじいさまという声が聞こえたので、孫の一人なのだろう。
「どちらも良き地竜の子供です。大きな力を持ち、心明るく叡智に富んでいる。一族の支持も二分しましたので、古きからの理に則り、地竜ではないその場に居た者達を選定者として、選定の儀を行うことになりました」
「………………成程。…………だそうだ。ネアはどっちがいい?」
「む、ものすごく軽い感じに決断を求められています…………」
「俺の記憶が確かなら、あの奥の二人が新代の王候補だ」
ウィリアムはちょっと面倒臭くなってしまったらしい。
けっこう雑にネアの決断を求めてきたので、未だ持ち上げられたままのネアは焦ってしまった。
奥にいる該当候補者達は、ウィリアムが自分達を知っていることに驚いたようだ。
「なぜ、俺がそうだと分る………?」
「なぜ、僕を知っているのだろう?」
二人の竜王候補は、ひそひそと話し合っているのだが、如何せんここは洞窟のようなところなので、その囁き声はみんなにしっかりと聞こえてしまった。
そんな子供達に小さな溜息を吐き、地竜の王は窘めるような低い声を発する。
「客人の前で不作法をするでない。この方は、お前達が卵から生まれた頃をご存知なのだ」
「……………そんなに前から?」
「申し訳ありません父上。みっともないところをお見せしました、御客人殿」
どうやら、そんなやり取りを見るだけでも、後継者達の気質は正反対のようだと分る。
ネア的にちょっと分りやすく例えると、ヴェンツェルっぽい雰囲気が長兄で、少し柔和で控えめな感じの、オズヴァルト風なのが弟なのだろう。
部外者がこの場で見る限り、二人の仲が悪いという雰囲気はないので、比較的穏便に後継者を決められそうではある。
「黒髪の竜がリロレドで、その隣がルドールだ」
「むむぅ。…………お二人の能力に大差がないのであれば、或いは正反対過ぎて選ぶのが難しいのであれば、もういっそとんでもない窮地に追い込んでその時の対応を見るしかないのでは?」
「…………ん?随分と過激な方法を提案したな。あまり、体の大きな竜種が騒ぎを起こさない方が、俺としては嬉しいんだが」
ウィリアムに真剣に不安がられて、ネアは慌てて首を振った。
奥にいる地竜達からも、えっという狼狽の気配が伝わってくる。
「いえ、そういう大騒ぎではないのです!………何と言うか、精神に膨大な負荷をかけ、そんな精神的に追い詰められたところでの反応を見るといいのかなと思いました。きりん箱を使います?」
「………………ネア、その箱に入れたら、多分二人とも死んでしまうだろう」
「むぐぅ。繊細ですねぇ……………。では、人面魚さんと一日同じ部屋で過ごして貰いますか?」
「………………頑なに、精神的な負荷をかける方向で行くんだな?」
「はい。……………む!決して、楽しい砂風呂の時間を邪魔されて荒ぶっている訳ではありませんよ?竜の王様や偉い竜さんを滅ぼすのは得意なので、その場合は容赦なく報復します。……ただ、王様になるということは大変なことも多いでしょうから、そういう状況下で見られる言動の真価を問えるのではと思いました。でも、王様というのは止まり木のようなもので、決して能力云々ではありませんからね。とっても迷惑な部下を押し付けて、その方をどう扱うのかを見てみるというのもいいかもしれません」
案外過激派な人間の意見で洞窟内はざわざわしたが、あの、と声を上げて手を上げた女性がいた。
他の選定者であろう、二人連れの妖精の女性の一人だ。
「私は、その迷惑な部下を押し付けるという選出方法は賛成ですわ。優しさも厳しさも、そのどちらをも見ることが出来ますし、上に立つ者としての機転も計れるでしょう」
その女性が声を上げると、他の選定者も発言のきっかけを得たようだ。
一人でいた男性が小さく唸り、なんと人面魚作戦を支持した。
「人面魚でいいだろう。王は孤独で過大な重責を担うもの。その苦痛の中でどんな判断力を見せるのか、目に見えて分るってもんだ。それに、人面魚を使うとなるとアクス商会が儲かる。これでも融通が利く立場なんでな、安く貸し出すぜ?」
「なぬ。アクス商会の方が紛れ込んでいます…………」
「これはこれは、お嬢様。今後とも弊社をどうぞ御贔屓に」
優雅に腰を折って挨拶してくれた男性は、擬態をしているので誰とは分からないものの、ネアを知っているようだ。
ウィリアムが苦笑して、海嵐の精霊だと耳打ちしてくれた。
(……………この人も、海嵐の精霊さんなんだわ)
その場合、耳や尻尾はどうしたのだろうと鋭い目で観察したが、擬態で隠してしまったのだろうか。
ネアの刺すような視線は怖かったのか、おっとと呟き、男性は怯えたように体を屈めていた。
そんなアクスの精霊に話しかけたのは、一人で来ていたすらりと伸びた角を持つ女性だ。
「ねぇ、あなた、その人面魚とやらはそんなに効果があるの?」
「下位の連中なら、いちころだ。まぁ、竜の王族なら死にはしないが、一度くらいは気絶するかもしれないし、一年は悪夢に見るだろうな」
「それなら、同時に試せばどう?その、人面魚とやらのいる部屋で、迷惑な部下と二人で仕事をさせるの」
「そいつぁ、…………災難だな」
総じて女性陣の方が容赦なく、その場に居た男達は顔を見合わせる。
特に、その審議にかけられる王子達は、止めて欲しいというような懇願の目をしていた。
「………それはちょっと可哀想ではありません?」
やっと優しい発言をしたのは、二人連れの内のもう一人の女性だ。
ネアも少しだけ考えて、万が一王様候補が死んでしまったらまずいのかなと、他に精神に負荷を与えるものはないかなと考えた。
「他にとなると、………ボラボラにしてみます?確か、竜さんはボラボラでかぶれるそうですから」
「それなら、ボラボラがいいと思うわ!死んでしまうことはないでしょうし!!」
ネアが代替案でボラボラを提案すると、その女性も笑顔で同意してくれた。
ただし、竜達は全員が酷い顔色で首を横に振っている。
女性陣は意気投合して頷き合うのだが、男性陣は不安げな顔をして視線をあちこちに投げていた。
「ネア、竜種にとってボラボラはかなり深刻な問題なんだ」
「むむぅ。………では、一族のみなさんに集まって貰い、お二方が見栄を張りたいような方を招待して、その方の前で幼い頃からの恥ずかしい話の暴露大会をして貰うとか……」
「やめていただきたい!!」
そんなネアの提案に、どきっとするぐらいの声を上げたのは、弟竜の方だ。
兄に、お前の恋人は絶対に呼ばないようにすると慰められているので、恐らくその女性に絶対に知られたくないことがあるのだろう。
「あらあら、子供の頃は男の子ばかりに恋をしていたなんて、笑い話でしょうに。でも、親友のリムムールには勝手に口付けをして絶交されていたわね……」
「姉さん?!」
そして、姉だったらしい女性の一人に思わぬとどめを刺され、蹲って頭を抱えてしまっていた。
選定者として呼ばれた妖精の女性二人は、そういう嗜好は絶対になくならないと、どうかはしゃいで語り合わないであげて欲しい。
「リロレドはあまりそういう話はないんじゃないか?」
「そうですねぇ。従姉妹のルレルドに恋をして、四十年付き纏った挙句、我慢の限界に達した彼女に足の骨を折られて砂漠に置き去りにされたことくらいかしら」
「言うなぁっ!!!」
「あら、お兄様。あの時は、彼女に嫌われたとめそめそ泣いているお兄様を救出に行った私は、それはそれは大変でしたのよ?お兄様はここで野垂れ死にたいと砂に潜ってしまうし……」
「うわぁぁぁぁ!!!」
まだ本番でもないのに物凄く追い詰められた兄竜は、妹に掴みかかって拳で地面に沈められていた。
ネアはもう、女達の方が王様に相応しいのではと考えざるを得なかったが、そこはやはり男性ではないといけない何かがあるのだろう。
「……ふむ。お二人ともくしゃくしゃになりましたね。思っていたよりも、ずっと打たれ弱いのです」
「……………うーん、今回は分が悪いと言えなくもないがな」
ネアが半眼で溜め息を吐くと、ウィリアムが苦笑して、可哀想な竜達を眺める。
王様候補な二人は、今や二人共蹲って頭を抱えている。
「……………息子達がみっともないところを見せてしまったな。選定者達よ、どうやらあなた達の提案で我々はより多くの答えを得ることが出来そうだ。本日は御足労いただき、誠に感謝する」
これはもう一度仕切り直すしかないと判断したものか、今ので充分だったのか、地竜の王はそう言うと、深々と頭を下げてくれた。
「何だ。もういいのか?」
そう顔を上げた海嵐の精霊に、隣にいた兄を拳で沈めたばかりの竜の女性が微笑む。
「ふふ、何だか皆様の提案を使わせていただければ答えが出そうですもの。後程、皆様には一族の者達よりお礼をさせていただきますわ。………さぁ、お前達、お客様をお連れした場所にお戻しして。こんな所までお連れしたのですから、礼を欠くようなことがあってはいけませんよ!」
そんな号令で、ネア達はあっさり解放された。
ウィリアムは、地竜の王からあらためて私からお詫びとお礼をさせていただきたいと言われて苦笑していたが、その横で竜王候補の妹は、抜かりなくアクス社員に人面魚の手配をお願いしている。
寧ろ、あの兄弟にとっての最大の負荷をかけてくるのは血を分け合った姉妹のようだ。
「終わりましたね」
「やれやれ、思ってたより随分と早く終わったな。戻ってまたゆっくりとしよう」
「はい!あの檸檬の飲み物の、メロンのものがあったのです。それを飲んでもいいですか?」
「ああ、それは美味しそうだ。また俺にも一口くれるか?」
「ええ、勿論です!」
こうして、ネア達が巻き込まれた地竜の選定の儀式は無事に一定の決着を得たようだ。
とは言え、その日の一番の惨事はその後の事件であったので、ネアにとっては選定のお役目があっさり終わって良かったのだと思う。
後日、その選定の結果が出たらしく、ウィリアムから誰が次代の王になったのかを教えて貰った。
人面魚のいる部屋で迷惑な部下を押し付けられて執務を行うという選定方法は決行されたらしく、兄は一月寝込み、弟は泣きじゃくって部屋から出てこなくなったらしい。
そんな二人の兄を励まし、その間は二人分の執務を一手に引き受けていた末の弟が、次代の地竜の王になるという。
姉妹達はその末の弟を元々推していたそうだが、それまでは補佐に徹していた彼は、周囲には評価され難かったのだそうだ。
想定外な王の誕生に地竜の国は大騒ぎになったが、苦難の時に助けられた兄二人がすっかり懐いているのを見て、他の竜達もあらためて末の弟竜の偉大さを知ったのだとか。
なお、ネア達には、砂風呂から出る時までに素晴らしい地竜の秘宝が届けられた。
土地を途方もなく豊かにするという地竜の宝玉は、贈答用のちび宝玉ではあったが、持ち帰ったところエーダリアを狂喜乱舞させた。
ダリルからもボーナスが出たので、ネアは総じて楽しい砂風呂体験だったと締めくくることにする。
ただし、今回の地竜の新代の王の選定者には、とても残忍な人間がいたという評判はどうにかして欲しいと考えていた。
あの場にいた人間の女性は、ネアしかいなかったのだ。