砂風呂と地竜の選定 2
ネア達が案内された更衣室は、同じ部屋を布を張ったパーテーションのようなもので区切ってあるという、安心設計の個室であった。
砂風呂の中でも一般区画とは違う、高価な区画のチケットを買った者用のサービスなのだろう。
ここが元は宮殿であったことを踏まえると、客間などの一つであった部屋を開放し、お客様の更衣室兼、浴室として開放しているのだ。
藍色と水色を基調とした部屋は、壁周りや柱の装飾などが金色なのだが、しっくりと色が収まり、決して華美過ぎるという印象ではない。
寧ろ異国風の宮殿の装飾や造形によく合う色彩で、垂れ下がるような形をした硝子ランプが幾つもある部屋の雰囲気を素晴らしいものにしていた。
部屋には青磁の鉢に入った観葉植物のようなものも多くあり、砂漠の中のオアシスの国だったという、この宮殿の過去の姿を偲ばせる。
中でも青緑の葉が美しいオリーブの木に似た植物は、小さな赤い光る実をつけていてクリスマスのような繊細さが可愛らしかった。
「お飲み物はこちらの一覧からお好きなだけ。砂風呂の方にも一覧がありますので、お持ちいただかなくても、向こうでも注文出来ますよ。寝台はございませんが、寝椅子があちらに二脚ございます。浴室には必要なものを揃えておりますが、タオルなど足りないものがあればお申し付け下さい。この部屋にあります、魔術通信機、砂風呂の方にあります魔術通信端末から私を呼んでいただければ、すぐにお伺いします。まずは、お着替えが終わりましたら、砂風呂のお二人の区画にご案内しますね」
「ああ、着替えが終わったら呼ばせて貰うよ」
微笑んで一礼したルグリューが立ち去ると、ネアはウィリアムの手をくいっと引っ張って質問してみた。
お仕事帰りのお父さんのように、自然に服を脱ぎ始めたウィリアムの姿に、ふと死者の国での短い共同生活を思い出す。
「シシィさんのご主人が担当になって下さるのを、ウィリアムさんはご存知だったのですか?」
「ああ、この前、ウィームで偶然シシィを見かけたから、今度こちらに行くと話しておいたんだ。ルグリューは、以前にサラフと来た時にも担当だったんだが、気持ちのいい男だな」
「ええ。とっても優しい目で微笑む方ですよね。きっと、とても仲良しなご夫婦に違いないので、シシィさんとお二人でいるところを想像してしまいます」
聞けば、シシィはウィームに住む上得意が他にもいるらしく、ウィリアムがネア達のところを訪れる時に、何度か大きな鞄を持って颯爽と歩いている姿を見かけたのだそうだ。
ネアは一度も見かけたことがないのでなぜだろうと思ったところ、シシィは魔術の道の中を歩いているので、表の通りでは遭遇しないらしい。
「仕立て妖精は、女王との付き合いの方が長いが、ルグリューと出会ってから、シシィととも話すようになった。サラフが彼を気に入って、かなり世話になっているようで、何度か夫婦の家に泊めて貰ったこともあるらしい」
「まぁ!サラフさんは、そんなに仲良しなのですね?」
「甘え易いんだろうな。サラフは王だが、まだ竜としては若い。時には、年長の竜に甘えたくもなるだろう」
サラフは、初回の訪問時でもうルグリューと仲良しになってしまったそうで、二人は時々一緒に飲みにいったりもするらしい。
毎回酔い潰れて夫婦のお宅に泊めて貰い、ハレムのお妃達からサラフが行方不明になったと連絡を受けた最初の時には、ウィリアムが迎えに行ったのだそうだ。
そんな付き合いもあったので、今度はネアと行くと話した結果、こうして担当になってくれたのだが、元々ルグリューがこの客層の担当をしているのか、ウィリアムが来るということで気を回して担当になってくれたのかはウィリアムにもわからないそうだ。
「サラフさんが甘えてしまうのも分かります!まだ若いけれど、みんなの大好きな優しいお父さん!という雰囲気がありますから」
「ネアは、ルグリューを気に入るだろうと思った。彼は、女子供だけではなく、動物達にも好かれるようで、一度サラフの宮殿に遊びに来た時には、ペットの獣達にまで囲まれてしまっていたらしい」
「不思議な温かさのある方ですよね。声や眼差しも、ふんわり暖かいのです」
「それはな、地竜の性質の一つなんだ。地竜には二種の気質を持つ者がいて、大地の荒々しさを司る者と、大地の暖かさを司る者がいる。前者の竜達が高位を占めるが、後者の者達はとにかく様々な者達に好かれるそうだ」
「ふふ、あの方に今日初めてお会いした私でも、何だかわかるような気がします」
そんなルグリューをあまり待たせてもなので、二人はパーテーション越しにお喋りをしながら着替えた。
ネアはリーエンベルクから服の下に水着を着てきたので上を脱ぐだけなのだが、こうして一緒の更衣室で着替えるというのはなかなかに気恥ずかしい。
こういう時、とても爽やかに見えるウィリアムを前にもじもじしていても挙動不審なばかりなので、ネアはそんな気恥ずかしさをあえて口に出してしまうことにした。
「お向かいでウィリアムさんが服を脱いでいると、何だか緊張してしまいますね」
「……………っ、…………はは、そうだな」
ネアは、変な空気にならないようにといたって朗らかに言ってみたつもりなのだが、ウィリアムは逆に触れられる方が照れるタイプだったらしい。
ふわっと目元を染めて虚ろに苦笑され、ぎこちなく視線を逸らされたネアは少し反省する。
この場面だけを見られたら、痴女に言い寄られた爽やかな男性が怯える現場のようではないか。
「むぐる………」
「すまない、ネアに気を遣わせたな?」
「ごめんなさい、………私が勝手に緊張して気恥ずかしくなったのを発散したかっただけなのに、ウィリアムさんを巻き込んで諸共事故る感じになってしまいました…………。今のは、自分の技量の拙さを憂いていたのです」
結局自損事故になってしまったネアが自分の愚かさを悲しく笑うと、着替え終わったウィリアムはパーテーション越しに手を伸ばして頭を撫でてくれた。
さすが軍隊などに紛れて生活していたこともあるというだけあって、いつの間にか着替えは終わっている。
ネアは脱ぐだけなのだが、脱いだお洋服を畳むのに手間取り、まだわたわたしていた。
「可愛い水着だな」
「まぁ、有難うございます!ディノがくれた水着なんですよ。最初は水着を着るだけで大事件だと荒ぶってしまっていたのが、今は一緒にプールに行くことに慣れてくれたようで、時々衣裳部屋の水着が増えているんです」
ただ、ディノは女性ものの水着に対する知識はあまりないらしい。
だからとネアが最初に買って着ていたものを参考にするのか、仕立て屋さんな誰かに頼んでいるものか、自分で増やしておきながら、いざ着替えると、そんな水着を着るだなんてとくしゃくしゃになって死んでしまうこともある。
ネアが今日着ているものは、この前のエーダリア達とプール遊びをした日に下したものだ。
藤色がかった淡い水色で、上は首の後ろでリボン結びにするタイプでカップは浅めだが、胸の下部分がきゅっと締まっているので、意外に安定感がある。
下は、こちらの世界の流行なのか、ディノがウィーム風を踏襲し続けているものなのか、お尻の下側が少し見えるくらいのショートパンツ風のインナーに、お尻のカーブの中ほどくらいまでのミニスカート風の一枚を重ねたものである。
後ろ側だけフリルがついており、色合いによって可愛らし過ぎるのではと警戒してしまいそうだが、幸いにもピンク色の水着などは用意されておらず、今のところ安心して着られていた。
「やっぱり、ウィリアムさんの水着姿は、恰好いいですね」
「ん?そうか?…………ネアにそう言われると嬉しいものだな」
そう微笑んだウィリアムは、今日もぴっちりとしたボクサータイプの水着である。
少し着痩せするものか、そんな黒一色の水着を着ると男性的な色香に加えて、しっかりと逞しい肢体が凛々しく見えて素敵だった。
「お待たせしました。もう出られます!」
「よし、じゃあルグリューを呼ぼう」
砂を払う為のタオルは向こうにあるそうなので、ネア達は手ぶらで砂風呂に行けばいいのだそうだ。
砂風呂の場所までの屋内を水着で歩くのは何だか緊張もするが、ウィリアムにルグリューを呼んで貰い、いよいよ砂風呂までの道中を案内して貰うことになった。
すぐに迎えに来てくれた地竜から、この王宮の中を砂風呂にしたのは、大広間などがあった一階部分の内側が風化してほとんど空洞状態になってしまい、宮殿の柱や壁だったものが砂になったり、外側から吹き込んだ砂が入ってきてふんわりとした砂が積もったのが始まりだと教えて貰う。
砂風呂に向かう廊下には徐々に砂が多くなってきていて、そんな砂風呂の成り立ちが垣間見えるような気がした。
「最初はただの砂だったんですよ」
その後、近くに地竜と仲良しの火山竜などが棲みついたこともあって、地下水が温められて宮殿の中の砂がほこほこと蒸気を上げているのを見て、腰を痛めた地竜の貴族がこの砂の上にシートを敷いて横になる治療を始めたところから、この土地での砂風呂の歴史は始まった。
「上に更に砂を盛り、砂の中に横になって砂蒸しの風呂を楽しめるようになったのは、ここ二百年くらいのことらしいですよ。私は元々もっと南方の土地に暮らす地竜でしたが、伯父が腰を悪くしたのをきっかけに、この地に移り住んだんです。レイジャルの砂風呂は竜の病とも言われる腰痛や、膝の怪我などに効くと有名でしたからね」
それは、以前にダナエから聞いたことがあった。
体の大きな竜は足腰を痛めやすく、翼がある者は多く飛ぶことで、或いは人型で長く過ごすことでその疾患を避けるらしい。
ダナエのように春闇になれる竜は、そんな心配がないらしい。
(ヒルドさん曰く、光竜さんはにょろにょろ系だから、寧ろ首や背中を痛め易いということだった………)
そこはきっと、種族的にあれこれあるのだろう。
ミカエル達のような翼を持つ人型の生き物は、翼を折ってもすぐに治癒は叶うが、翼の美しさを損なうとすっかり気落ちしてしまうらしい。
折れても構わないが羽は綺麗にしておきたいという習性には理解し難い部分もあるが、そこはやはり不思議生物であるようだ。
「その、伯父様の腰は良くなったのですか?」
「ええ。父の一番上の兄で高齢でしたので、もう亡くなっていますが、晩年は腰の痛みも軽減されて、趣味の釣りや庭いじりなどが出来たと嬉しそうでしたよ」
「むむ。地竜さんは釣りをするのですね。何だか楽しそうです」
「地竜は体が大きく重いので、どの種の竜よりも狩りは不得手なんですが、釣りは道具があれば楽しめますから、釣りを趣味にする地竜は多いんです。…………そうそう、この前サラフ殿下とお妃様の一人のサーシェ様と三人で釣りに行ったんです。お二人は風竜ですから、水面を巧みに揺らしてくれて、そうすると魚が針にかかりやすくなってあの日は大漁でした」
「ああ、だからなのか。この前サラフに会った時に、自慢げな顔で釣りは得意かどうか聞かれた。よほど楽しかったらしい」
ルグリューは、サラフにとっては年上の竜にあたる。
ウィリアム曰く、サラフは年上で穏やかな声で色々なことを教えてくれるルグリューが大好きで、一緒に出掛けるのを楽しみにしているようだ。
「サラフ殿下はよく、ウィリアム様の話をされますよ。自慢の師であり、自慢の友なのだと」
「確かに、サラフにとっては、俺はそういう存在なんだろうな。君のことは、兄のように思えるらしい。風竜のハレムには同年代の男がいないから、歳が近いものの甘えられる年長者だと考えているようだ」
「シシィに、卵を持つお妃の一人の誕生日の衣装を頼んでくれたので、彼女も張り切っていました。風竜には風竜にしか似合わない盛装があるので、腕の振るい甲斐があるそうです」
サラフは、今年の夏に子供が生まれるそうだ。
既にそのお妃は二個の卵を抱いているのだが、竜の卵は宝石のように透明なので、その中にいる子供が同じ竜種の大人には見えるのだとか。
男の子と女の子の双子であるらしく、一族はお祝いモードであるらしい。
本来は産まれるまでにもっと時間がかかるのだが、サラフが壮健な内に少しでも王子を大きくしておきたいという一族の要望を受け、風竜の大人達があちこちから集めてきた育みの祝福で卵の成長を早めたのだそうだ。
双子の母親は一番の寵愛を受けるお妃という訳でもないものの、だからこそ逆に男児の生母としてはいい立ち位置だろうとウィリアムは考えているようだ。
「サラフは、最後の王子として過酷な運命を辿ったが、その反面大事にもされた。甘えると我が儘になる傾向もあるからな。最初の王子の母親は、彼を甘やかさない年上の竜がいい」
「はは、確かにサラフ殿下にはそのようなところがありますね。でもあの方はきっと、良い父親になられますよ」
「ああ、それは間違いないだろうな。風竜の男達はいつも愛情深かった。彼も、そうだった父や兄達を見てその姿を記憶している」
(風竜の赤ちゃんが生まれる!)
ネアは、ぜひにお祝いという体でその赤ちゃんを見に行けないだろうかと考えたが、やっと生まれてくる王族の男児の大事さを考えれば、生まれてすぐによく知らないお客さんを迎えるような迷惑はかけない方がいいだろう。
赤ちゃんはとても繊細なだけでなく、思いがけず力強く何かと手がかかるものだ。
そんな風竜の子供達が外の生き物に会ってもいいくらいに逞しくなる頃に、お祝いを持って遊びに行けたらいいのだが。
それまではせめて、そっくりの男の子と女の子のちび竜を想像して、幸せな気持ちになっていよう。
「さぁ、着きましたよ。ここがお二人の区画になります」
サラフの話をしている内に、ネア達は用意された区画に着いたようだ。
確かに広めであり、保冷魔術と水の祝福で守られた鉢植えの大きな木が目隠しになって、他のお客さんからは上手に隠されている。
緩やかに傾斜している砂地の中では一段高くなったところで、おそらく元は階段の踊り場のようなところだったのだろう。
宮殿のドーム天井の真下程の迫力はないが、こちらはゆったりのんびりしながら、砂風呂の全景をこっそり堪能出来る隠れ家的スポットに思えた。
「中央も寝そべった時に見える天井が美しいので、当初はあの辺りに高位の方用の区画を作ったそうですが、その場所に行くまでに他のお客様達の間を縫って歩くのが辛いと、不評でして。それに、あのシャンデリアなどを見ようとすると、ついつい視線が集まってしまうところでもありますし、何しろあの辺りの砂が一番高温になりますからね」
そう苦笑したルグリューから、ネアは壁側に頭を向けて寝そべるやり方を教えて貰った。
既にネア達が入る穴が浅く掘られているのだが、頭の部分を高くするように埋めてくれるらしく、中央の素敵な青い天井や金色の光を落とすシャンデリア、壁に蔓を這わせて満開の花を咲かせる薔薇まで、その全てが見えるようになるのだとか。
「お飲み物はどうされますか?魔術仕掛けのストローを刺しておきますので、飲みたい時にストローを呼び寄せて飲むことが出来ますが」
「そ、そんな素敵なストローがあるのですね?!」
「ええ、こちらになります。特にネア様は砂風呂は初めてという事ですから、お飲み物を横に置いておいた方が、安心して寛げるかもしれませんね」
「じゃあ、そうしてくれるか?ネア、どれがいい?」
「む、………むむぅ。爽やかな檸檬紅茶も気になりますが、苺たっぷり紅茶にします!」
飲み物は全てが冷製だが、きりりと冷えたものと、常温に近いものを選ぶことが出来たので、ネアはきりっと冷やしたものにして貰った。
この施設で貸し出してくれている特製サンダルで歩いているとそうでもなかったが、サンダルを脱いで砂の上に立つと、じんわりと砂が暖かい。
この温度はかなり気持ちいいやつだぞと、ネアは期待に身震いした。
「ウィリアム様はご存知ですが、ネア様は初めてですので、砂風呂の楽しみ方をご説明しますね。まずは、砂に埋まってしっかり砂蒸しにして体を温めます。次に、砂をかけず、もしくは足先だけ、或いは痛みのある箇所などだけに砂をかけて、背中にクッションや枕をあてて、ゆっくりと砂の上に寝そべっていて下さい。目安としては、じんわり額に汗をかくくらいで切り替えるのが一般的ですが、たっぷり汗をかきたい時には、もう少し長めに埋まっていても構いませんよ」
この砂風呂の中でかいた汗は、魔術の仕掛けで浄化されてしまうので、後々厄介な問題になったりはしないそうだ。
上客を呼ぶ為には必須であるそのシステムを構築する為に、この砂風呂を運営する者達は多大な投資をしたとも言える。
(確か、ここの経営者さんは、砂竜の王族の方と、地竜の王族の方だとか………)
共同経営というところに心配はあるが、その竜達は血族であるという。
かつては夫婦の竜がここを管理していたが、砂竜であった奥さんが亡くなり、今は砂竜の側の家名を継いだ娘と息子、そして地竜側の息子と父親での家族経営だ。
砂風呂を経営する為には、そのどちらの竜の力も必要なのでと両者が協力している内に、職場のどこかで砂竜と地竜の恋が生まれるのだとか。
「では、この窪みに横になっていただけますか?」
「はい。…………こんな感じでいいでしょうか?」
「ええ。では砂を乗せさせていただきますね。砂をかけてしまった後に、髪の毛が気になるですとか、取って欲しいものがあるですとか、もし何かありました場合は、私を呼んで下さい。ただ、ご自身の力でも砂の中から手を上げるのは容易いので安心して下さいね」
「それを聞くと安心して埋まれますね。…………むむ!ほこほこふかふかした不思議な砂ですね。既にとっても気持ちいい暖かさです!」
ネアはじんわりほこほこする砂の温度に、早くもぐうと眠ってしまいたくなった。
決して熱いだとか、逆に温度が足りず寒いと感じることはなく、じわじわと肌の内側に浸透する温度の気持ちよさに頬が緩んでしまう。
おまけにこんもりと体の上に砂を盛るのだが、ちっとも重たくなくて快適なのだ。
ネアは、自分の砂盛りが終わる頃にはもう、注文した苺たっぷり紅茶の到着にも気がそぞろになる程、うっとりとろりの塩梅で極楽気分になる。
「ほにゅ…………。このままだと、気持ち良過ぎてウィリアムさんが埋まるまで起きていられないかもしれません………」
「はは、眠っていて構わないぞ。俺も少し昼寝をするかもしれないから、気にせずのんびり楽しんでくれ」
「ふぎゅ。面白みのないお隣さんでごめんなさいでふ。…………ぐぅ」
ネアはその後すぐに寝落ちしてしまい、ウィリアムの砂盛りがいつ終わったのかもわからない有様だった。
ほこほことした蒸気を含む温かな砂に包まれ、よだれが出てしまいそうな気持ち良さの中で微睡んでいると、気持ちのいい風が頬を撫でてむがっと目を覚ます。
「………………ふぐ?!」
寝過ぎてしまっただろうかという焦りで、覚醒の間際ではっとすると、目の前を綺麗な青い小鳥が飛んでいるところだった。
ぱたぱたと飛んできてネアの上にこんもりと盛られた砂の上に一度降り立つと、小首を傾げて可愛い目をしてから、またぱたぱたと飛んでゆく。
不思議なことに、その小鳥が飛び去るとまた今迄通りのほこほことした空気に戻り、気持ちのいい涼やかな風は感じなくなった。
(迷子だったのかな…………?)
どうしてここに来たのだろうと考えて不思議になったが、まぁいいやとすぐにどうでもよくなってしまい、また気持ちのいい温度の砂の虜になる。
ふと思い出して、教えて貰ったようにストローを呼んでみると、ネアの魔術可動域でもぎりぎり反応してくれるエコ魔術設計なストローがお口まで動いてくれて、無事にジューシーな苺の甘みが堪らない美味しさの苺たっぷりアイスティーを堪能することが出来た。
このストローは、砂地に張り巡らされた魔術の補助を受けるので、お客様の可動域を三程度しか使わないのだそうだ。
思っていたよりずっと美味しかったので、ネアは目を瞠って紅茶を沢山飲んでしまう。
「さっきの鳥は、土地の祝福が形になったものだ。こんなところにもいるんだなと驚いた」
不意にそんな声が聞こえてきて、ネアは目を瞬く。
どうやら隣のウィリアムも、先程の小鳥の訪れを見ていたらしい。
「すっかりぐぅぐぅ寝ていました………」
「はは、俺もだ。ネアが隣にいるからか、すっかり寛いでしまった。あの鳥の羽ばたきで魔術が動いて、目が覚めたんだ」
「鳥さんは、珍しいものなのですか?」
「豊かな土地だという証のようなものなんだ。場所によって、花だったり泉だったりもするが、土地の魔術が満ちているという印として、あんな風に姿を見せる。ここを管理している竜達が見たら、喜ぶだろう」
「ふふ。ルグリューさんに見せてあげたかったです」
ネアはそれから、ウィリアムとお喋りをしながら気持ちのいい砂のお布団をかけて、美しい宮殿の天井やシャンデリアを眺めていた。
中央付近で、むがぁっと飛び起きている男性が見えたので、やはりあの辺りは砂の温度が高いらしい。
時折飛び交う黄色の小鳥達は、具合の悪くなっているお客様がいないかどうかの監視員のようなものであるらしく、その姿も何だか心を寛がせる。
立ち昇る蒸気に淡い金色が揺れ、青い青いドームの天井の奥には深い瑠璃色の光が揺蕩う。
崩落した天井部分から差し込む光の筋に蒸気が入ると、淡い金色の蒸気が澄んだ銀色になり、ゆったりと流れるようで細やかに刻々と変わってゆく景色が目にも楽しい。
ネア達が埋まっていた時間は、せいぜい半刻くらいだったのだそうだ。
砂風呂に埋まって気持ち良くて寝てしまう時間は、長くても三十分が限度であるらしい。
短い時間でぐっすり寝込んでしまう為に、目を覚ましたお客達はその爽快感が病みつきになるそうで、ネアもこれははまるなと重々しく頷いた。
ネアのような者でも体の奥に蓄積された疲労感が抜け落ちたように感じるのだから、普段から体を使うような仕事をしている騎士達には堪らないだろう。
(リーエンベルクに帰ったら、ゼノにも教えてあげよう!)
品物のお土産だけではなく、こうして素敵な情報を持ち帰れるのも嬉しいので、ネアはすっかりご機嫌になって、掘り出しに来てくれたルグリューに微笑みかける。
「ゆっくり出来ましたか?」
「はい。小鳥さんが来るまで、すっかり眠りこけていました。あまりにも深く眠ったのですが、眠りに落ちる瞬間と起きた時が、今迄に感じたことのないような気持ち良さですね」
「俺もすっかり眠っていた。一年近く来れていなかったが、やはり、ここの砂風呂はいいな」
「そう言っていただけると、私としても嬉しい限りです。さて、掘り起しますので少々ご辛抱下さいね」
掘り出しの作業は、まるでオムレツを割るようなものだった。
こんもり盛り上げた部分に割れ目をつけ、左右に砂を崩してゆく。
ルグリューは巧みに飴色の鉱石製のスコップを使い、体の上から落とした砂を左右に積み上げてくれる。
この落とした砂を腕置きにしたり、体の上に残したい部分はそのままにしてくれる。
一部分だけ残すと、ごろごろするときに気持ちいいそうだが、ネアは初心者なのでまずは全部どかして貰い、手元に置いてあるお客様用ミニスコップで自分で後乗せにすることにした。
必要であれば体の左右に積んだ砂を崩して乗せるだけなので、初心者でも簡単にまた砂のお布団にくるまれる。
「枕とクッションです。枕はしっかり眠る用で、クッションは上半身を起こせますよ。どちらにされますか?」
「むむ。…………ウィリアムさんは、もう少し休まれますか?」
ネア的には、一度しっかり眠ってしまったのでどちらでも構わないという感じであった。
二度寝も楽しいだろうし、この気持ちのいい砂の上で、半身を起こしてウィリアムとお喋りするのも楽しいだろう。
なので、まずはウィリアムにお伺いを立ててみることにした。
お互いに掘り出されて久し振りに出会う感じのするウィリアムは、額に光る汗がなんだか運動の後のようで爽やかだ。
首筋を伝う汗に少しどきりとしてしまうが、すっきりとした表情に少しでも疲れが取れたのかなとネアも嬉しくなる。
「ネアが満足したようであれば、俺はクッションにしようかな」
「では、私もクッションにします」
「はい。それでは、お二人の背中の下にクッションを差し込ませていただきますね。お手伝いしますので、上半身を起こしていただけますか?」
ここで、しっかり腹筋と背筋の鍛えられたウィリアムはすんなり半身を起こせたが、虚弱なネアはむぐぐっと反動をつけて置き上がらねばなからなかった。
そんなところで少し恥ずかしさも残しつつ、背もたれになってくれる素敵なクッションを挟んでもらう。
「左右に持ち手がついていますから、位置を変える際にはここを持って下さい」
「まぁ!何て便利なんでしょう。このクッションは素敵ですねぇ」
「先代の砂竜の経営者が、横着をする為に開発したようですよ」
それは亡くなったという砂竜の奥さまだろうかとネアは思い、便利クッションの素晴らしさにその発明への感謝を深めた。
事件が起こるのは、この一時間後のことである。
地竜達の未来を変えるかもしれない事件に巻き込まれることになるネアは、現在、追加の飲み物でクリームのたっぷり乗せたしゃりしゃり檸檬氷を頼むことに夢中であった。