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266. 犯人が判明しました(本編)




よりにもよって火の慰霊祭の日にウィームを訪れてしまい、ノアにお叱りを受けることになった海嵐の精霊王を壁の向こうに望み、ネアはそんな海嵐の精霊の特質をディノから説明して貰っていた。



騎士達の通用門の所にネアは立っているのだが、こちらから見ると、優美なデザインの鉄柵……ではなく、真夜中の結晶石という素敵なもので作られたところから、外側の通りが良く見える。


だが、実際にはネア達が立っているところには不可視の結界が衝立のように設置されており、こちらからは外が見えるが外からは誰もいないリーエンベルクの中庭だけが見えるという、異世界マジックミラー方式になっているのだった。



「海嵐の精霊は、海での祟りものや怨嗟などをも司る精霊なんだ。海でのそのような生き物達は火の姿を好む事が多い。系譜は違えど、火と怨嗟というその両方の特性を持つから、今日の様な日にはとても相性が悪い存在と言えるね」

「だから先程、わざとではなくても街の方で影響を出してしまったのですね?」

「悪意がないかどうかは、ノアベルトが確かめるだろう。彼等は滅多に海を離れない筈だから、どうしてリーエンベルクにやって来たのか少し気になるところだね………」

「むむぅ………。お耳と尻尾は見えませんね。となると、故意だった場合はきりんの刑でしょうか」



ネアはまたしても盾になってくれている結界にへばりつき、リーエンベルクの外に出てそんな海嵐の精霊達と相対しているノアの背中を眺めた。


火の気を払っているリーエンベルクの内側にいても火の気配を感じるくらいなのだから、この壁の外側はさぞかし濃密だろう。

もう大丈夫だよと言ってくれてはいるが、それでも今晩は部屋に来るという塩の魔物が、ネアは心配でならなかった。



そう考えてやきもきしている時に、ネアはノアの方を見て形ばかりは恭しく一礼した羽根飾り帽子の男が、どこか酷薄で冷やかな眼差しをしていることに気付く。

上手く言えないが、アルテアやアイザックのような、悪しき者としての嗜好や言動を取ることも少なくはない魔物達とよく似た、底知れぬ眼差しではないか。




「むぐ。ノアを援護します!」

「ネア?」


我慢出来なくなったネアは、結界の衝立の端っこに駆け寄ると、姿は見せないようにしつつ外側に向かって声を張る。



「どなたかいらっしゃるのですか?」



すうっと息を吸い込んで出来るだけ余所行きの声を出したのだが、思っていたより上手くいったようだ。


その問いかけは、そこにいる塩の魔物が一人ではないぞという威嚇でもあったが、同時にノアに対してはいつでも参戦出来るぞという合図でもあった。

ノアはそんなネアの意図をすぐに汲んでくれたものか、過保護すぎる人間にふわっと困ったように微笑むと、朗らかな声で答えてくれる。



「迷子の精霊だったよ。火の気を呼ぶようであれば、排除しておくから大丈夫」



(……………む!)


けれどもネアは、ノアがそう言う為にこちらを見た瞬間、羽飾り帽子の方の海嵐の精霊が、腰に吊るした半月刀のようなものの位置をさり気なく変えたのを見てしまった。

一見柄の部分を後ろ側に向けたようではあるが、あの位置は上着のスリットの部分ではないか。


気付かせずに剣を抜くのに最適な位置変更であるので、ネアは警戒レベルを上げざるを得ない。


今日はとてもノアを大事に守りたいデーであるネアは、その事実をたいへん重たく受け止め、更なる負荷をかけることをネア内の総意により決定した。

ましてや、彼等の所為でエーダリアの紫陽花が燃えてしまったのだとしたら、二重に重たい罪を犯した重罪人ではないか。



「困った精霊さんであれば、ひとまず滅ぼしておきましょうか?」

「……………ありゃ」



ノアは、ネアの声が鋭さを増したことに気付いたのだろう。


さっと羽織ものになって荒ぶるご主人様を鎮めようとするディノには、一度声の漏れない結界の中にぐいぐいと押し込んでから、あの海嵐の精霊が不届きにも刀の位置を抜き易いように動かしていたのだと言いつけておく。

するとディノは、綺麗な水紺色の瞳を瞠った後、それは困ったねと、どこか魔物らしい冷やかな微笑みを浮かべた。

ディノにとっても、今日はノアを大事にする日である筈なのだ。



「なので、卑怯な人間は、安全なところからあの精霊王めに意地悪をするのです!」

「意地悪を………」

「はい。心に負担をかけられると、そこから離れたくなりますからね。ただし、悪質な犯罪を犯していた場合は、すぐさま捕獲してきりん箱に入って貰うようになります」

「ご主人様…………」



結界から外に声が届く位置にしゅたっと戻り、すっかりねちねち意地悪攻撃な工作員となったネアは、海嵐の精霊達への威嚇を再開することにした。


ここに獰猛な生き物がいると理解すれば、彼等は警戒するだろう。

警戒するだけでもその動きは制約を増やすし、ノアは、それを生かして有利に交渉や干渉をすればいい。


「悪い奴なら、うろうろさせる前に踏み滅ぼしてしまいましょう。そう言えば、きりん箱の被験者もまだ見つかっていないので、突然いなくなっても構わない悪者を見付けたら、是非に提供して下さいね!」

「わーお、すごく前のめりだけど、ひとまず殺すのはやめておこうか。高位の精霊だからね」


慌てたように声を揺らしながらも、こちらを振り返ったノアの瞳がどこか愉快そうに細められていた。

きりん箱と言われてもきりんをまだ知らない精霊達には、それがどんな拷問手段なのかわかるまい。

困惑することで手薄になる足場を、ノアは決して見逃さないのだ。

加えて、執念深い人間はここでとある質問を投げかけ、精霊達の様子を窺うことにした。



「…………私の大事な門の前の紫陽花の茂みを焼いたのは、この方達ではないのですか?」

「………………もしかして、まだ怒ってる?」

「うむ。原因を作ったかもしれない方がいれば、まだ疑惑の段階であっても無差別に虐殺しても構わないくらいには怒っています。とても腹立たしいので、私の八つ当たりの為だけに滅ぼす相手でも構いません。幸いにも、精霊さんに仲良しの方はあまりいませんので、見ず知らずの方を滅ぼしても足も付き難いかと…」


ネアは勤めて平静なつもりだったのだが、ぎくりとしたようにノアがこちらを見たので、うっかり本音が漏れてしまい、ノアは少しだけ本気で焦ったようだ。

背後の魔物も、これはご主人様を解き放ってはいけないと確信したのか、ネアを後ろから拘束してくるではないか。



「それって、完全に犯罪者の台詞だからね?!」

「時として、人間は利己的で我が儘ですからね。なお、あちらの精霊さんのベルトは綺麗なので、あれを引っぺがしてから滅ぼしましょう」



(………紫陽花のことは知らなかったみたいだから、火の気配を強めてしまった犯人だとしても、意図的なものではないみたい?)


そう考えたネアは、この辺で許しておいてやるかとふんすと胸を張った。

王様でなければ通り魔になって滅ぼしてしまっても良かったが、さすがに王様を安易に滅ぼしてはいけないとわかるので、きりん箱実験はまた今度に延期とした。

勿論、荒ぶる本心に気付かれたからではなく、戦略的撤退である。



(それに、この様子ならば長居はしないのではないかしら………)



得体の知れないものからの、悪意や害意を滲ませた声は、心をざわつかせるものだ。

どれだけ相手が高位であっても、見知ったものはその脅威の在り方が想像がつくからこその安心感があるとネアは思う。

ノアと相対しても剣の柄の位置を調整していたあの男性だが、ネアという得体のしれないものの干渉で警戒し、素直に引いてくれるといいのだが。



(ただの観光客だったらという申し訳なさもあるけれど、ノアの様子を見ていると見過ごすことは出来ない相手のようだし、ああいう目をした人には用心しておいた方がいい気がするから………)



「後はもう、私が見ておくよ。君はこの三つ編みを離さないようにね」

「むぐぅ。勇敢に戦った戦士なのに、三つ編みが渡されました…………」


見ず知らずの精霊を苛め終えたご主人様は、その攻撃の終了を受けてディノに回収された。

外では、ノアがネアの残虐さを言い含めて体よく精霊達を追い払うとみせ、あえて背中を向けた相手が心を緩めたところで、ひやりとするような牽制を投げかけている。




「ところでゾーイ、どうしてリーエンベルクを見ていたんだい?」



退出しようとしているところで、背中越しにそう問いかけられるのはさぞかし恐ろしいだろう。

そんな問いかけは、前線から撤退したネアでもどきりとするくらいだ。



(あの帽子の人は、ゾーイという名前の精霊さんなんだわ………)



ノアの声音にはいっさいの温度がなく、微笑んで鋭い刃物をひらめかせるような響きがある。

しかし、海嵐の精霊王だという男性は、動じた様子もなくゆったりと振り返ると、大きな帽子を取って優雅に一礼してみせた。

ひらりと揺れたコートの裏側には、何かじゃらじゃらとした宝石類や道具類が収められているようだ。

一度引っぺがして何が隠されているのかを調べてみたくなるくらい、様々な色合いが万華鏡のように煌めく。



「ここは美しいから、せっかくウィームに来たのであれば見ておきたかった。それ以外に理由はありません」



大抵の女性なら魅惑的だと評するだろう低く甘い声で誓い、礼儀正しく微笑んでそう頭を下げるのだから、確かにノアは海の系譜に対して大きな影響力を持っているようだ。

けれども精霊王の方も、決して卑屈な様子はない。

ただ、優雅に一礼した精霊王に対し、一緒にいる黒衣の精霊の方はぐらりと体をふらつかせるのだが、それはノアの声に含まれた鋭さだけではなく、この壁の内側で魔物としての精神圧を漏らしたディノの影響も受けたのだろうか。



「ふうん、それならいいのかな。逃がしてしまってもいいかい?シルハーン?」


恐らくそれはわざとかけた圧の一つだったのだろう。

ふつりと微笑んだディノも、そんなノアの問いかけに答え、存在を知らしめる。



「そうだね、壊してしまうと海が荒れるかもしれない。今はこのまま行かせて構わないよ」


朗らかにそう話し合う魔物達は、いかにも人ならざるものという感じがした。

その声の美しさと冷酷さにぞくりとして、ネアは冷やかで美しい魔物の横顔をじっと見上げる。



(…………ディノは、私にこういう自分を見せることを好まないけれど、私はこういうディノも好きだな………)



その美貌で線引きされる向こう側はあまりにも隔絶されていて、美しいがあまりに残酷にも思える特別なもの。

そうして自身が持ち得るその力を当たり前のように振るう時、この魔物はやはり白というものが貴色なのだと再認識させてくれるばかりの輝きで、何とも暗く美しい。



(でも、こうしてディノまで警告をしておこうと思うくらい、あの精霊さんは要注意人物なのだわ………)



今回の訪問は他意がなくとも、それでも刃を見せておかねばならないもの。

ネアがあまり接点を持たない海には、まだまだ厄介で未知の生き物が沢山いるのだろう。



そんなことを考えて握った三つ編みの先を眺めている内に、不届きものな精霊達はリーエンベルクの前から立ち去ったようだ。

そろりと振り返りこちらを見た魔物には冷酷さの欠片もなく、あまりにもご主人様が見つめてくるせいで、目元を染めて恥じらっている。



「ご主人様…………」

「あら、どうして恥じらってしまうのでしょう?」

「………やれやれ、何でこんな日に、よりにもよって海でも一番面倒臭いのが観光に来たのかなぁ。アイザックの煙草の匂いがしたから、どうもアクスに寄った後みたいだけど…………ありゃ、シルはどうしたの?」



ノアがひょいっと門を開けて戻ってくると、ご主人様に凝視され過ぎた魔物は、くしゃくしゃになって両手で顔を覆ってしまっていた。

すっかり弱っているので、何が起こったのだろうとノアは焦ったようだ。



「ネア、きりん箱の被験者は、また今度僕が探してきてあげるよ!!」

「むぐ!獲物を逃がしてしまったとディノを折檻していた訳ではありませんよ!きりっと魔物さんらしいディノでしたので綺麗だなと思って見上げていただけなのです。それなのにまたしても弱ってしまうというのは、いささか抵抗力が足りないと言わざるを得ません………」

「わーお。………シル、見られるのも苦手だったんだね………」

「三つ編みを握って、にこにこしてる。ずるい………………」

「解せぬ」



ここで、無事に海嵐の精霊にはお帰りいただいたと連絡をしようと騎士棟に通信をかけたネア達に、今度はアメリアから、今回の火の気を強めている原因が分ったと報告が入った。

アメリアからの通信を受けているノアを見ながら、ネアはディノとこそこそと内緒話をする。



「ノアはいつの間にか、騎士さん達との通信の回線も持っています。仲良しですねぇ」

「耳元で喋るなんて…………」

「むぅ。すぐに弱ってしまう魔物め。強くなるのだ!」

「ずるい。ご主人様がつついてくる………」

「あ!僕がいない内に、楽しそうなことしてる!」



通信を終えたノアは、耳打ちでも弱ってしまう儚い魔物の抵抗力を上げる修行の一環として、ご主人様に腕をつつかれたディノが羨ましかったようだ。

すすっと腕を差し出してくるので、ネアは仕方なく指先でつんつんしてやった。



「…………うん。思ってたより、ぐっとくるかも?」

「そうでもないのなら、最初から求めないで下さい…………」

「希望を出してもいいなら、もっと他にしたい事があるのは事実だね。でも、君がしてくれるなら何でも嬉しいよ。それと、火の気を強めている原因は、ウィームの外れにある、楓の森で事故を起こした馬車だったらしい」

「まぁ、森で事故を起こされた方がいたのですか?お怪我などは………」



ネアは、誰かが事故を起こして助けを求めていたのだろうかと目を瞠ったが、話を聞けばその馬車は盗まれたものであるようだ。


異国の商人達が、ウィームか他の領のどこかで、修繕待ちで工房に運ばれていた古いシャンデリアを積んだ馬車を奪ったらしい。

上質なシャンデリアは高価な結晶石などを使っていることが多く、解体して高値で売ることが可能だ。

蝋燭のいらない近年主流になったシャンデリアだと、シャンデリア自体に魔術の火で明かりを灯せるような造りになっている。

そうすると、魔術を含む鉱石などが少ない土地では、魔術の火を灯せる鉱石というだけでもその価値は計り知れないのだとか。

馬車の盗難自体は、転売目的が濃厚であるらしい。



「その馬車を盗んだ方達は、どうなってしまったのですか?」

「みんな殺されていたらしいね。仲間割れか、手に負えない者に出会ったか……、全滅の理由はさて置き、その結果、シャンデリアに住んでいた火入れの魔物達が怯えて逃げ出したみたいで、そんな火入れの魔物が森に逃げ込んだことで、火の気が強まったらしいよ」

「住処を追われたのだから、彼等も気が立っているだろう。それでこのようになってしまったのだね」

「そうせざるを得なかったのであれば、火入れの魔物さんも可哀想ですね。…………と言うことは、火入れの魔物さんを保護出来れば、慰霊祭も無事に終わるのですね?」



幸い、その逃げ出した火入れの魔物達は、大部分が既に捕獲されたようだ。


火の気が強まる原因を探っていたのがゼノーシュ達だったので、ゼノーシュが、近くにいたものは全て捕獲してしまったらしい。

だが、その追跡で更に怯えてしまい、禁足地の森の方へ逃げ込んだ個体が二匹いるようで、その結果禁足地の森に囲まれるようにして建っているリーエンベルクの周囲では、慰霊祭の儀式の後にも関わらず火の気が強まってしまったようだ。



「元々ね、火の気というか火竜や火の精霊の怨嗟が残るのは、リーエンベルクの周囲とローゼンガルデンの辺りだけなんだけど、だからこその周囲は念入りに浄化されているし、慰霊祭を行うことで儀式会場の方に火の気を寄せているんだよね。ただ、どれだけ念入りに浄化されていても、この日に怨嗟に近い負の感情で火を扱う者が近付くのは、やっぱり危ういんだよなぁ………」


ノアはそう呟いて、心配そうに森の方を見る。

灰の雨は降り止んだが、まだ霧は立ち込めているし、ふっとどこかに火の手が上がりそうな不穏さは残っていた。



「住処を追われて追いかけられたのであれば、火入れの魔物さんもかなり神経質になっていそうですね………」

「向こうは、山車が街を回る時間になるからね。火の気の警戒だけじゃなくて、外に出るエーダリア達の警備でも人手がかかる。ゼノーシュ達は引き続き、その馬車周りの対処。こっちではアメリアが捜索に出るそうだから、禁足地に森に逃げ込んだ火入れの魔物は、僕が一緒に森に入って捕まえておくよ」


ノアがそう言ったのは、能力的な問題を考えれば至極まっとうな判断であった。

けれども今日は火の慰霊祭で、これからノアが追いかけようとしているのは火を扱う魔物である。


「確かに、禁足地の森の方に火の気の強いところがあるようだね。魔物の気配であれば、私の方が捕捉し易いだろう。騎士の捜索には私が加わるよ」


ディノはそう言うと、三つ編みを持たせていたネアをずずいっとノアに受け渡す。

ご主人様は一人でも生きていけるのだが、ノアは目を瞬いた後、渡されたネアをしっかりと抱き締めた。



「シル…………?」

「この子を捕まえておいておくれ。…………ネア、ノアベルトと待っていてくれるかい?」

「ええ。ノアのことは任せて下さいね。ただ、狩りというものに関しては私はかなりの凄腕ですが、私がいなくても大丈夫ですか?」

「うん。前にゼノーシュに教えて貰ったのだけれど、アメリアは小さな生き物を探すのが上手いのだそうだ。彼と一緒に、火入れの魔物を捕まえてくるよ」



狩りの女王が手をわきわきさせたので少しだけ怯えながらも、ディノはきりっとして頷いてくれた。

そう言えばアメリアは、よくミカエルと一緒に野生動物観察の旅に出ているようなので、そのような生き物を見付けるのは上手なのかもしれない。



そうして、真珠色の髪の毛のままの魔物が一緒だと知りたいそう恐縮しているアメリアと一緒に、ディノは禁足地の森に入っていった。




「火入れの魔物さんが早く見つかるといいのですが………」



そんな二人を、ネアは微笑んで見送る。

ディノのことも心配だが、アメリアのような気質の人が一緒であれば無茶はしないだろう。

それに、ディノが率先してノアを大事にしている姿を見るのは、そしてそんなディノに目を瞬いて途方に暮れているノアを見るのは、何だかとても素敵なことに思えた。




アメリアがここを空けている間、リーエンベルクの騎士達の取り纏めは、階位のない騎士であるエドモンに専任されるので、何か困ったことがあればその判断はノアに委ねられる。

この形は、少し前からエーダリアやヒルド達と話し合われて決められていた緊急時の体制で、騎士達もウィームを大事にする塩の魔物の力を借りることは、なかなかに誇らしいのだとか。


引き続き、客員騎士のベージは、エドモンと共にリーエンベルクを守ってくれることになり、ネアは氷竜の騎士団長の奉仕精神に感動するばかりだ。



そしてさっそく、階位のない騎士の一人がノアに挨拶に来てくれると、他の騎士達との連絡係としてネア達と行動することになった。



「シバと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」


初対面ではないのだが、騎士らしい律義さで丁寧にネアにまで挨拶してくれたその騎士は、他領で生まれ元々はガレンの魔術師だったと言うゼベルとよく似た経歴の持ち主だ。

短い銀色がかった茶色の髪に、青い瞳をしている。



シバは、統一戦争前にヴェルリアに嫁いだウィーム出身の母を持つ騎士で、戦後に生まれた彼はその高い魔術可動域からガレンの魔術師となったが、ヴェルリア貴族だった父が亡くなった後は、身寄りがなくなりウィームの血を顕著にする肌の白さで軽んじられたヴェルリアを離れ、母子はウィームに移住した。


ネアは去年、ちびまろ館にクッキーを差し入れに来たグラストと一緒だった彼と話したことがあるのだが、愛する祖国が攻め滅ぼされるのを目の当たりにした母親の心労は計り知れず、敵国に嫁いだという罪悪感を背負ったまま、それでも生まれ育ったウィームに戻れることに涙した母親の為に、彼はリーエンベルクの騎士になることを決めたのだそうだ。


ガレンの魔術師でいることも悪くはなかったが、同じように魔術に向き合い組織に所属するのであれば、母の後悔を晴らすような形でウィームの地に貢献したいと考えたらしい。

幸い、ガレンでエーダリアと親交もあったシバはすぐに騎士に転職出来たし、ウィーム領に完全に移住した彼の母親も、温かく故郷の親族達に迎え入れられた。



(お母様は昨年亡くなったそうだけど、良い親孝行が出来たというだけでなく、最良の仲間を得られたと話していたから、そういう意味でも、シバさんはリーエンベルクが大好きな騎士さんの一人なのだろう……………)



彼は、グラストと仲のいい騎士の一人だ。


階位がないのは、その母親の介護で五年程休職していたからで、高齢で病気もし、介護が必要になった母親を抱え途方に暮れていた彼を、ぽんと五年間の有給休職扱いにしたのはダリルなのだそうだ。

母親の介護をしながら市井で病人を抱えた暮らしをしてゆくシバに、ダリルはその目線で見付けることの出来る、ウィームの脆弱な部分や、支援の足りていない部分、必要だと思われる制度などの報告提案を義務付けた。


騎士としての感覚を持ちながら、決して特別ではないが、誰もが体験する訳ではない目線からそのような問題を取り纏められる機会は少ない。


そう考えたダリルは、休職中のシバのことも、リーエンベルクに勤務しないだけの騎士として扱ってくれたらしい。

勿論、リーエンベルク務めの騎士達に比べればお給金は低くなるが、それでも介護を必要とする母親だけでなく、自身も充分な暮らしが出来るだけの手当だったと微笑んだシバは今、このリーエンベルクの騎士として生きて行く誇りと覚悟を新たに暮らしている。


グラストが以前、彼はダリル殿が死ねと言えば死ぬくらいでしょうねとさらりと話していたので、このウィームで最も力を持つ、ダリル派の会員でもあるのだろうとネアは認識していた。



「なお、ダリル様から、基本的にはこのリーエンベルクの留守を預かっていて欲しいが、何か気になることがある場合はその野生の勘を優先させて欲しいと承っております」

「ほわ、さすがダリルさんです…………。しかし、野生の勘というよりは、狩りの女王の勘なのですよ」

「うん。野生の方は、ネアに狩られる側だね」

「はは、違いないですね」



階位のない騎士達の中では年長者にあたるシバは、とても物腰の柔らかい騎士らしい騎士だが、ゆったりとした言動がとても落ち着いて見える人だ。

ゼベルやリーナのような飛び抜けた能力、或いはエドモンのような特殊な技能を持つという騎士ではないが、周囲の人々の心を寛がせる上に、妙に頼もしいと感じるこの雰囲気だけでも、領主館に勤める騎士としては望まれる才能だろう。




(空が赤くなっている………)



遠く街の方で、山車が練り歩いているであろう灯りが見えた。

重たく雲に覆われた空に火の系譜の者達を模した山車に灯された炎の色が映り、まるでそちらで大きな篝火をたいているようにも見える。


統一戦争の夜や、その後の大火を知る人達は、あの赤い空を窓からどのような思いで眺めるのだろう。



ネアは、隣で静かにそんな赤い夜空を見上げているノアの手を握ってあげようとしたところで、指先で触れた手をぺっと引き剥がし、ててっと庭の花壇の方に駆け寄った。



「えっ、今なんだかいい事してくれそうだったのに!!」


悲しげな声を上げて追いかけて来たノアは、花壇の脇にしゃがみこみ尻尾が煤けた栗鼠のような生き物を両手で持ち上げたネアの横に一緒にしゃがんでくれる。


「ありゃ、森妖精の一種だね………」

「…………可愛そうに。尻尾が焦げて、………熱かったでしょうね」

「キュイ」


ネアは、この小さな生き物が花壇の脇でくすんくすん泣いていたのを発見し、慌てて救出に向かったのだった。


手のひらの上の栗鼠は、柔らかな茶色に水色の縞があって、ふさふさの見事な尻尾の先が焦げ煤けている様が、堪らなく痛ましい。

やっと助けてくれそうな人達に巡り会い、涙をいっぱいに溜めた目で、さかんに森の方を振り返っている。



「むむ、もしかして悪い奴が森にいるのですか?」

「キュイ!」

「森には私の魔物が捜索に出ていますが、そこから離れていたのかも知れませんね………。ノア、この尻尾は痛くないでしょうか?」

「よいしょ。すごく頼りになる僕が、守護が紐付かないように上手く治してあげようか」



ノアが手を伸ばして煤けた尻尾を治癒してやると、泣いていた栗鼠は驚いたように尻尾をくるりと巻き直して、ふりふりと動かして何度も見ている。

煤けて焦げてしまったふわふわ尻尾が元通りになったと分ると、とても嬉しかったのか、たしんとジャンプで宙返りをしてみせた。


そして先程までの涙を払い、一生懸命小さな手でネアの袖を引っ張るではないか。

シバが穏やかな声で事情を尋ねてくれたところ、リーエンベルクのネア達の暮らす棟の側に広がる禁足地の森で、何かよからぬ生き物が荒ぶっているらしいということが分った。


それは真っ赤な狐か栗鼠のような悪い奴で、仲間達の立派な集会所を狙って攻めてきたのだそうだ。

尻尾を燃やす乱暴者だと聞き、ネア達は顔を見合わせた。



特徴的にも、まず火入れの魔物に違いない。



「そして、シバさんが栗鼠さんの言葉を理解していることが、一番の驚きでした」

「妖精の魔術なんですよ。私がガレンで弟子入りした研究室は、獣型の妖精の持つ言語と、森などの開拓で派生する祟りものの研究をしていましたから」

「そこで学ばれたのですね。栗鼠さんと話せるなんて、とても素敵です……」

「相手側に伝えようという意志がないと使えない条件の厳しい魔術ですが、このような時に、小さな目撃者から情報を貰うことが出来るのは、とても有難いことですね。………ノアベルト様、ひとまずアメリアに現在位置を聞きますが、リーエンベルクに随分と近いようですから、こちらに入り込まれる前に我々が出た方が早いかもしれません」

「出た方がいいだろうね。エドモンには僕から話をしておくから、君は、歩きながらアメリアと会話をするといい。ネア、シルには伝えておくから、僕と一緒にいよう」

「はい。ノアと一緒に行きますね」



尻尾を元通りにして貰った栗鼠は、どの恩人に懐こうか思案した結果、会話の出来るシバの肩を選んだらしい。

落選したネアはがっかりしたが、小さな栗鼠が安心したように騎士の肩に乗っている姿がたいそう愛くるしかったので、良いものを見られたので満足であると気を取り直した。



(ノアはまだ火の匂いや気配のする森に出て、大丈夫かしら?)



ネアは飄々としているノアが心配になったが、今はノアが判断をする状況だ。

彼が決めたのであれば、反対はするまい。



「やはり、アメリア達は森の反対側ですね。木のうろに入り込んだ火入れの魔物を一匹発見して、二人がかりで引き摺り出しているところのようなのですが………」

「な、何かあったのですか?!」

「隣にあったハシバミの木が火の気が嫌だと激昂しているようで、かなり苦戦しているみたいです」

「………ハシバミさん。あの、ホラーな木ですね…………」

「ほらー?」


かつて荒ぶるハシバミを目撃したネアは、その時の光景を思い出してぞくりとしたので、慌ててノアの手を掴んでしまう。

ノアは、ネアにも森に怖いものがあるんだと驚いていたが、くで始まる危険昆虫など、苦手なものはそれなりに多いのだ。



「よし。じゃあ、ネアは僕と手を繋いでおこうね。うんうん、役得だなぁ」

「は、ハシバミさんが来たら、守って下さいね」

「キュイ!」

「栗鼠さんのこともです!!」

「いいよ。僕に任せておいて」

「ただし、火を使う悪い奴は、私がきりんさんかぞうさんで滅ぼしますので、ノアも安心して下さいね」



ネアがきりりとした眼差しでそんな主張をすると、ちょうどネア達の部屋の前の庭を横切って森に入ろうとしていたところだったノアは、青紫色の瞳を瞬いてから、ふわっと嬉しそうに微笑んだ。

部屋から漏れる灯りに、その瞳がきらきらと輝く。



「ありゃ。………今日の僕は、シルにもネアにも守って貰えて、幸せ者だな」

「ふふ。私は狩りにかけては、ネイアさん以外の方には負けない自信があるので、どうか頼って下さいね」

「よーし。じゃあ、将来の妹を頼ろうかな!」

「ノアは弟になるのでは………」



ちょっと年長者感を出してそんな二人のやり取りを見守ってくれているシバは、森に入って不安そうにしている栗鼠をそっと撫でてやっていた。




「む!あれに違いありません!!」




そうして、ネア達が最後の一匹となる脱走火入れの魔物を見付けたのは、ネアの部屋の前の小さな庭から続く禁足地の森の、入って少し歩いただけのところであった。


部屋からもかなり近いところだったので、ネアはここで捕まえられそうで良かったと胸を撫で下ろす。


火入れの魔物はリーエンベルクのシャンデリアにも住んでおり、結界の振り分け上、敷地内に入れてしまうので、危うく中で火を出すところであった。



キキッと鳴きながら木の枝にぶら下がっている狐猿のような生き物は、すぐにでも捕獲出来そうではないか。

これならすぐに解決してノアの負担にもならないなと考えたネアは、まだこの夜がどれだけ大変な騒ぎになるのか知らずにいた。




その夜に起きた凄惨な事件は、魔物達にとっても、ネアにとっても、とても悲しい惨事に発展してゆくのであった。






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