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265. 割と厳しめでいいと思います(本編)




ゆっくりと陽が暮れてゆく。


陰鬱な暗さに包まれた曇天のウィームが、更にその明度を落して灰色に塗りつぶされてゆく。

いつもならそんな曇り空の日も好きだと言えるネアだったが、今日ばかりは気を引き締めて持たされた魔物の三つ編みを握り締めていた。


真珠色の贅沢すぎる命綱は、ネアの手の中でこの灰色の世界を切り裂くように淡く清廉に光る。

宝石を紡いだようなと表現したくなる美しい髪は、こうして見れば確かに、人間の髪の毛とは違うもので出来ているように見えるのだった。



(私も、何か出来ないだろうか…………)



そんな中、ネアは少しだけしょんぼりしていた。

エーダリアのあの気遣わしげな声を思い出し、何か自分にも出来ることはないかと考えたのだが、どんなに考えても事故らない以外の回答が導き出せないのだ。



実は、火の気が立つという事象は、事前に防げるようなものではない。


火の気配が強まり怨嗟が立ち篭めたその場を見付けては、都度丁寧に浄化してゆくしかないものだからこそ、慰霊祭を行い広域で傾いた資質を一気に健やかなものに書き換えるのである。

慰霊祭というものは、人間でも行える原始的な魔術の基盤の練り直しなのだと、昨晩ディノに教えて貰った。


よって、ネアから見れば怪奇現象にも等しい灰の雨の前兆や、発火現象ではあるが、こちらの世界ではその予測は気象予報のような区分けになる。


大きな異変がなければ待ちの体勢になるしかないので大人しく座っていたが、ネアはふと、エドモンが何やら帳簿のようなものをつけているのが気になった。


「エドモンさんは、何をされているのですか?お手伝い出来ることであれば、言って下さいね」

「ああ、今回、リーエンベルク内で被害が出たところの修繕確認です。普通の火とは違うものですから、損傷が出たところは後日丁寧に浄化し、壊れたり焼けてしまったりしたものを修繕するんですよ。これは………その、可動域がないと見付けられないものも多いので……」

「むぎゅう………」


作業を中断させてしまったのに、丁寧に対応してくれたエドモンに、ネアは残酷な現実に直面して悲しげに呻いた。

すると、慌てて話題を変えようとしてくれたのか、そう言えばとアメリアが声を上げる。


「門の外の紫陽花を、庭師が気にしていた。優先して手配を頼む。他に庭木や花壇など、被害が出ていなければだが」

「まだこれからのものもあるでしょうが、報告にある紫陽花のあたりが、一番酷いですね」



アメリアの問いかけに、エドモンが痛ましげに顔を曇らせる。

しかし、その返答に静かに頷いたアメリアより、激しい反応を示したのはネアであった。

突然がたんと立ち上がったネアに、俄かにその場の空気が張り詰めた。



「……………門の外の紫陽花と言うと、南側の門のところにあり瑠璃色の紫陽花が咲く、私の背よりも高い大きな茂みでしょうか?」



隣の魔物が怯えてびゃっと身を竦めるくらいに低い声でそう尋ねたネアに、エドモンが見てはいけないものを見るかのようにゆっくりと視線を上げた。

その表情はすっかり青ざめていたが、じっと暗い目で自分を見ているネアを刺激しないように細心の注意を払ったものか、囁くような声でそうですよと教えてくれた。



「あの紫陽花を……………。とても大好きで、いつお花が咲くのかなと楽しみにしていた、あの紫陽花を…………」



そう言えば確かに、ディノとアメリアが戻って来た時に、南門の話をしていた。

だが、ネアはまさか、怨嗟の火が瑞々しい紫陽花の茂みを燃やすものだとは考えていなかったのだ。


芽吹いたばかりの鮮やかな新緑の緑がふくよかな青緑色に変わりつつある紫陽花の茂みには、夜になるとぽわりとした妖精達の光が見えていた。

その様子を見て微笑んだことを思い出したら、あまりの無念さにわなわなしてしまう。



「シル、ネアが祟りものになるよ!」

「ご主人様、ほら、君の好きな雪菓子だよ?」

「むぐ!…………一瞬の美味しいで、この憎しみは消えません!!もし誰かがわざと火の気を強めている悪さをしたのなら、見付け次第踏み滅ぼしてきりん箱に放り込みます!」

「ご主人様……………」



お気に入りだった紫陽花の茂みが燃えてしまったと聞いて、怒り狂った人間は凄惨な復讐を誓った。

人間はとても身勝手で獰猛な生き物なので、多少その証拠がふわっとしていても、今回の悲劇の引き金を引いたかもしれない者を見付けたら、見付け次第生まれてきたことを後悔させてみせると拳を握る。


魔物達は、お口に雪菓子を入れても鎮まらないとすっかり怯えていたが、気のいい氷竜の騎士団長は、すっかり荒ぶったネアの悲しみに同調してくれて、これから良い花を咲かせる時期だったのにとても残念だと一緒に怒ってくれた。



「それは酷いことをしますね。あの立派な紫陽花は、咲けばさぞ見事でしょうに……」

「みっしり詰まった、それは見事なお花が咲くのです。それを焼いてしまうなんて…………」



その優しさを受け、ネアはますます報復を誓うばかりだ。



「むぐる!どこに犯人がいますか?私が今から滅ぼしに行きます!!」

「ネア、今年の火の気が強い理由は、まだ分らないんだよ。………可哀想に、君はあの紫陽花を気に入っていたんだよね。紫陽花は庭師が庭師の魔術で治療してくれるそうだから、どうか元気を出しておくれ」

「シル、この場合は、怒りを鎮める方が先じゃないかなぁ…………。アルテアを呼んで、ちびふわにでもする?」

「アルテアを…………」



おろおろとする魔物達は迷走しかけていたが、ネアはその発言の中に気になる言葉を拾い、小さく唸るのをやめて、ディノを見上げる。

唇を引き結んだご主人様が恐ろしいのか、魔物は一生懸命にネアの口元を指先で撫でてくれている。



「……………ふぐ、紫陽花さんは、治療をすれば元通りになるのですか?」

「うん。私が見た時には上の方しか燃えていなかったから、恐らく問題ないだろう。それとも、あのような状態になるともう再生は難しいのかい?」


そう尋ねられたのはアメリアだ。

責任重大な局面に立たされ、緊張の面持ちで首を振った。


「いえ、すぐに発見して火を消しましたので、上部の焼けてしまった部分を剪定する必要と、浄化の魔術で癒しを与える必要はありますが、花の時期に小さな花をつけるくらいまでには回復出来る筈ですよ」

「ふぎゅ……………」



ここで、怒りよりも安堵が優って心が緩んだネアに気付き、すぐさまノアもこの鎮めの儀式に参加した。


「だったら、ヒルドに相談してみたらいいんじゃないかな?森の系譜のものの浄化は、ヒルドが一番上手いと思うよ」

「ヒルドさんに相談してみまふ………。そして犯人がいた場合は、やはり滅ぼします」

「ありゃ、まだ荒んでる。………シル、他にも何か甘いものはある?」

「ご主人様、ほら焼き菓子もあるよ?」

「むぐふ。甘いものでささくれ立った心を癒します…………。あの特別な紫陽花を傷付けるなど、許すまじ」



ネアはオレンジの香りがするマドレーヌのようなお菓子を貪り食べ、ふすんふすんする胸を宥めた。

ヒルドに頼んでみて、少しでもあの紫陽花が元気になればいいのだが、まずは、火の慰霊祭が終わったところで、どういう状態なのか南門に見に行ってみよう。



(あの紫陽花は、猫さんがくれたものなのだ)



エーダリアから、以前ウィームに来たばかりの頃にあれこれ教えてくれた山猫の使い魔がくれた苗を、グラストと一緒に植えたのだと教えて貰っていた大事な紫陽花である。



ウィームを象徴する青を持つ花は幾らでもあるが、紫陽花はその山猫の大好きな花であったらしい。

それを知り、好意という形で寄せられたその紫陽花の苗は、エーダリアにとっては歓迎の証のように思えたのだとか。

リーエンベルクの庭に植えることも考えたが、その山猫にも楽しんで貰えるように、あえて門の外側に植えることにしたのだそうだ。

翌年には見事な瑠璃色の花を咲かせ、山猫はウィーム王家の色だととても喜んだらしい。

庭師達もその話を知ってのことか、あの紫陽花を今でもとても大事にしてくれている。



「ネア様、ご安心下さい。あの紫陽花は、エーダリア様のお気に入りですからね、万が一がないように株を分けたものを中庭でも育てております。門の外のものは今年の花は控えめになるでしょうが、中庭のものも楽しんでいただけますよ」

「ほわ、…………では、あちらの紫陽花が元気がなくなってしまっても、猫さんがくれた紫陽花がなくなってしまったりはしないのですね?」

「はい。エーダリア様がウィームに戻られた年に植えられた、大事な紫陽花ですからね」



そこで、アメリアがネアの不安の根源に気付き、そう教えてくれた。


ほっとするあまり祟りものにならずに済んだネアは、その紫陽花の話を知らなかったらしく不思議そうに首を傾げていたディノとノアに、エーダリアと山猫の使い魔の記念の紫陽花なのだと説明してやる。


ネアがその紫陽花の見事さに心を奪われたのはそんな歴史を知る前だったが、その話を知ってからはますます大好きな紫陽花になったのだ。



「……………ヒルドの魔術で充分だと思うけど、僕も少し守護をかけておこう。あの辺りだけ、結界を強化しようかな………」


すると、ノアも少しばかり紫陽花過激派になったので、ネアは仲間が増えた喜びにふんすと胸を張る。

ディノは、ご主人様の顔色を窺いながら、薔薇の香りのする美味しいラムネ菓子を取り出して、お口に入れてくれているところだった。




「また少し、空の色が変わりましたね」


紫陽花の話が落ち着いた頃だろうか。

ベージがそう言って空を仰ぎ、ネア達もふっと暗さを増した空に眉を顰める。

陽が落ちてきたことで随分と暗くなったが、大きな鳥が横切ったようにいきなり暗くなったので、魔術の動きを認識出来ないネアでも異変なのだと察知出来る。



「………やれやれ、困ったことだね。土地の魔術を荒らす者がいるようだ」

「なぬ!紫陽花さんの仇ですか?!」

「いや、意図的に場を崩しているという訳ではないようだ。………今日の魔術の状態と相性が悪いのかな」


眉を顰めて顔を上げたディノは、この仄暗い場所の中ではぼうっと輝くようにも見える。

その美しさには魔物らしい怜悧さがあり、自分ではない別の誰かに向けられた表情だと知っていても、やはり緊張はするらしい。

慌てたようにアメリアが立ち上がったが、ディノは綺麗な手をすいっと持ち上げて、大丈夫だよと微笑む。


「こちらに近いのであれば、我々で注意を促して来ますが………」

「いや、少し離れたところなんだ。街の中心の方だよ。……………おや、海の系譜の者のようだね」



(そんなに遠くのことも分ってしまうんだ………)



ネアは、魔物の関知能力の凄さに驚いたが、今は火の慰霊祭で緩み歪んだ土地の怨嗟の気配が、深くしっとりと漂う霧を通して繋がっているような状態であるらしい。

さざ波が立つように、土地を荒らす者がいる所を中心に揺らぎが生まれ、その位置を特定しやすいのだと言う。



「ですが、高位の方であるからこそ分ることでしょう。俺には、土地の魔術を揺らした者があちらの方にいるとしか分りません」


そう言うのはベージで、アメリアとエドモンはもう少しもやっとしか分らないらしい。

方角も分らないが、ある程度近くにいることを感じるのが限界なのだが、こういう場合、エドモンは何だか街の方から探してみようと自然に正解に近付いてゆける才能があるのだそうだ。



「…………もう少しすると、儀式場を出て山車の準備になるので、エーダリア様にご報告しておきますか?」


ネアは襟元の通信端末を見せてそう提案したが、ディノは微笑んで首を振る。


「今はまだ、少し不安定な者がいるようだというくらいだからね、あちらは儀式の最中だろうから、彼等に報告を上げて共有して貰うだけで大丈夫だろう」


そう言うディノに、アメリアはすぐにエーダリア達と行動を共にしているゼベルに通信をかけてくれた。

応答したゼベルは、夜に山車が通る経路に近いので、すぐにリーナを向かわせて調べるということだった。


どこか心配な気持ちが残りつつ、これで大丈夫だろうかと眉を下げたネアに、くすりと笑ってノアが眉間の皺を指先で伸ばしてくれる。



「そいつが近付いてきたり、また何かをしたら、 僕が懲らしめるよ。海の系譜の者なら、僕が優位になる属性の者だから言う事をきかせやすいんだ」

「まぁ、それなら、ノアのいるリーエンベルクは安心ですね!」

「うんうん、昔はその領域で悪さもしていたから、大抵の場合は僕の名前を出せば逃げ帰るしね」

「…………刺されてしまわない系のことでしょうか?」

「ありゃ。女の子に悪さをしたんじゃないよ………」




その後、ゆっくりとではあるが少しだけ火の気配が落ち着いたので、エドモンはベージと連れ立って、リーエンベルクの外周の見回りに戻った。

ベージがいることで頼もしさ的には五倍増しくらいになるそうなので、ネアも安心してその二人を見送ることが出来る。

実はもう少しだけお気に入りの竜であるベージとお喋りしたかったが、空気を読める大人らしくここは我慢だ。


アメリアは他の騎士達や非番の騎士達などが詰めている騎士棟に戻り、何か異変がなかったかどうかを調べた上で、彼等とリーエンベルクの敷地内の巡回に出るらしい。



いつの間にか、灰の雨は止んでいた。

微かな雲間が覗き、その隙間から夕暮れの青い光が滲み出している。



「日暮れに向けて悪化してゆくのかと思っていましたが、少しだけ明るくなってきましたね」

「エーダリア達の儀式が終わったからだろう。最後まで終えないと安全とは言えないけれど、湧き上がった穢れや怨嗟の状態は、随分と良くなった筈だよ。とは言え、本来の火の慰霊祭は夜が総仕上げだ。陽が落ちてからの方が大きなものが動くが、それは儀式の内側のことだからこちらには出てこないよ」


そう聞いてネアは安心したが、ノアは不愉快そうに目を細める。


「ノア………?」

「あの最後の火竜や火の精霊の山車が、僕は大嫌いだ」

「むむぅ。最終的にはあやつらは燃やされてしまうので、灰になってなくなりますよ」

「……………言われてみると、確かにそうだね」


一応、正式な儀式のお作法として大事に燃やされるのだが、鎮魂の儀式とは言え、燃やすものは燃やすのである。

大嫌いな山車が燃えてなくなってしまうと知り、ノアは唇の端を持ち上げて少しだけご機嫌を直してくれた。




「ネア、今夜は君達の部屋にいていいんだよね?」

「ええ。狐さんを春の装いに向けて換毛期ブラシでお手入れする約束ですからね」

「僕の冬毛はどうなっちゃうのかな………」

「また、すかすかの涼しい姿の狐さんになるのではないでしょうか………」

「ふと思ったんだけど、雨が降る頃は少しだけ肌寒くなるよね?換毛期ブラシは、もう少し後にしてもいいんじゃないかな………」

「む、冬毛を残そうと策略を練り始めましたね!」

「ノアベルト……………」



また儚い夏毛の狐姿になってしまうと知り、ノアは焦り始めたようだ。


ディノから、魔物なのだから、アルテアの白けもののように毛が減らないようにすればいいのではないかと打診されていたが、そこは、あえて普通の狐であることへの拘りもあるようだ。

ノアの狐への拘りを聞いてしまい、ディノは再びのどうして友人がもふもふになってしまうのかという謎に囚われ、悲しげにネアにへばりついてきた。



(不思議だわ。先程の方が暗かったように感じるけれど、灰の雨が降り止んで時間が巻き戻ったみたい………)



三人は先程よりも幾分か明るくなった外廊下の臨時拠点でお茶をしながら、火の慰霊祭の残り時間が少しずつ減ってゆくのを眺めていた。



近くで火の気が凝り始めるとノアがさっと均してしまったり、街の方で何か動きがあるとディノが騎士達にそれを教えてやったりしているが、先程までの重苦しさはもうないようだ。


目の前で長い睫の影を落として優雅に過ごしているように見える美しい生き物達が、実はここから離れたところにある路地裏の気配を察知していたり、火の気を帯び始めていた空気を清浄なものに変えたりしているのだと思うと、ネアは何だか感動してしまう。


そんな魔物の不思議をじっと観察していたら、ディノが、唐突にぱたりとテーブルに倒れてしまうではないか。



「ほわ!ディノが!!」

「……………………ネアが虐待する」

「解せぬ」


もの凄く驚いたのに、とんだ濡れ衣を着せられたネアは、理不尽な告発だと荒ぶる。

なぜなのだと椅子の上で弾んだネアに、監察医のノアがディノの顔を覗き込んで現場検証をした後、厳かに頷いた。



「ネアが、頬杖を突いて、じっとシルを見ていたからだと思うよ」

「なぬ。儚すぎる魔物に困惑を禁じ得ません。私の魔物をじっと見る自由が、私にはある筈なのです!」

「でもほら、シルには刺激が強すぎるんじゃないかなぁ……………」

「でも、伏目がちに恥じらう魔物が綺麗だったので、じっくり観察してみたかったのです。この薄暗さだとディノの目の方が明るいくらいなので瞳の光彩模様もよく見えますし、座っているだけで遠くの事が分る魔物さんの体の不思議が気になって堪りません」

「ありゃ。じゃあさ、僕を好きにしていいから色々調べてみる?二人っきりで色々しようよ」

「………………それはまさか、きりん箱の被験者に立候補…」

「ごめんなさい」


少しだけ悪い目をしてみせたノアだったが、目の前の人間は強欲に実験体を求める残忍な生き物であったことを思い出したのか、慌てて辞退を申し出た。

手に入りかけた被験者に逃げられてしまったが、うっかりノアが死んでしまったら嫌なので、ネアは悪い奴を積極的に利用する方針であることを共有させていただいた。



「少し前だったら、アルテアが入ったんだろうけどなぁ………」

「使い魔さんをきりん箱の刑にすると、約束しているクリームケーキが………」

「ネア、あんまり食べ物を強請るとアルテアが調子に乗ると思うよ。先の長い契約になったんだし、少しだけ厳しくしていかないとね」

「………となると、やはり白けものさんにして、敷布団の刑ですね?」

「うーん、どうせならウィリアムをもう一度あの竜にして欲しいかな」

「あら、私もあの竜さんのとろふわはやみつきでしたが、今は躾のお話をしているので、私情を挟んでウィリアムさんを巻き添えにしてはいけませんよ?」

「そうなると、次のカードで僕がウィリアムを負かすしかないね」



ネアは、もしノアがウィリアムを負かしたとしても、とろふわ竜になって敷布団になって欲しいとお願いすると何だかウィリアムが酷く困惑しそうな気がしたが、現在のノアの思考は三割程が狐に浸食されているので、優しく見守ってあげるしかない。

決して、ネアもとろふわ毛皮な竜を敷布団にしたいという、よこしまな動機で目を瞑る訳ではないのだ。



そうこうしている間にもどんどん陽は傾いてゆき、完全に夜になる前の最後の青さに包まれる時間帯となった。

春の訪れがあったとはいえウィームはまだまだ肌寒いので、それに気付いたディノが生き返り、慌ててどこからか取り寄せたストールでご主人様を包み始める。



「あら、ノアが気温の調整をしてくれているので、寒くはありませんよ?」

「君がまた、…………かぜ、……になるといけないからね」

「ふふ、確かにそうですね。そして、その時のことを思い出すと葡萄ゼリーが食べたくなります」

「アルテアなんて………」

「今度のお休みに、一緒に葡萄ゼリーを作ってみますか?」

「ご主人様!」



目元を染めた魔物が少しはしゃいだところで、ネアはぎくりとする。

もう既に周囲はだいぶ暗いのに、その上でまた、ぐっと視界が暗くなったではないか。




「……………へぇ、リーエンベルクに用があるのかな。それとも物見遊山かな?」



その暗さにはわはわしたネアの正面で、そう魔物らしい微笑みを深めたのはノアだった。



「彼等を諌められるかい?それとも、私が排除してしまおうか?」


そう尋ねたディノの眼差しも、微笑むその穏やかさこそがひやりとするくらいに恐ろしい。


「僕が声をかけてみるよ。知り合いって程じゃないけど、知ってはいる連中なんだ。……それにしても、こんな日にリーエンベルクに近付くだなんて、とんだ愚かさじゃないか。騎士達には、暫く正面の正門付近には近付かないように言わなきゃだね」



そう呟き立ち上がったノアに、ネアは慌てて付いて行こうとした。

ノアから一人で大丈夫だよと言われたのだが、それでも心配なので近くまでは付いてゆくことにする。


やはり今日は火の慰霊祭なのだ。

もう平気だよと言ってくれても、ネアはこの大事な家族になる魔物が心配なのだった。



ディノからアメリアに、本部を離脱したことと、正門付近には近付かないようにと伝えて貰いつつ、ノアが向かったリーエンベルクの正門の横にある通用門の方に歩いてゆけば、ぞわりと足元の霧が濃くなるのが分かる。



「…………悪い人達なのですか?」

「悪意があるかどうかは分からないね。先程話していた海の系譜の者達だよ。どうやら、リーエンベルクの正門の辺りに来てしまったようだ。高位の者だから、騎士達にはこちらに近付かないようにと伝えてある」

「……………高位の方なのですね」

「系譜の王と、王族相当の者だからね」

「まぁ……………」



ノアは、リーエンベルクの外周の壁の外側に立って彼等を迎えるようだ。

そうなると、壁で隔てられるネアはすっかり不安になってしまい、通用門の近くで壁にへばりつき、そんなノアに万が一がないようにしっかりと監視する体勢に入る。

場合によっては、すぐさまきりんのぬいぐるみを投げ込めるように、外からは死角になる位置だが、少し身を乗り出せばこちら側からは外を見ることが出来る位置を押さえた。


そこはリーエンベルクの守護結界で一枚の衝立のような壁が挟まれている場所で、外側からは普通に中のお庭が見えるのだが、実際には、奥の庭の風景を映したその不可視の結界の裏側は見えていないという魔術の目隠しがあるのだ。




「へぇ。随分と珍しい御客人だねぇ。火の気配が騒がしいのは、君達がうろついているからかな?」




壁の外からそんなノアの朗らかな声が聞こえて来て、ネアはしっかりとディノの腕の中に収められたまま、そちらを覗き込んでみた。



(海賊の船長みたい……………)



するとそこには、大きな羽根飾りのあるつば広の帽子を被った、背の高い男性が立っているのが見えた。

目の覚めるような紫紺の柔らかな巻き髪を長く伸ばしていて、この距離から見てもどこか大型の猛獣を思わせるような美しい男性だ。

従者か護衛のような、よく似た海賊スタイルの黒ずくめの男性を連れている。



温度のない風に、羽根飾りの帽子の男性のコートが揺れる。

きらりと光った瞳は、何とも不思議な琥珀色がかった水色に見えた。

夜明けの光を映した海か、稲光を映した海のような不思議な色だ。



(でも、どうしてこんな距離から、瞳の色がこうもはっきりと見えるのかしら………)



首を傾げかけて、人外者の持つ色彩の優位性について教えられていたことを思い出した。

もし、遠くからでも見えるくらいに身に持つ色彩が強いのだとすれば、それはその男性がそれだけ高位であるという事なのだ。




「ディノ、あの方は王様なのですか?」

「海嵐の精霊王だよ」

「海嵐さん。…………もしや、お耳と狼さん尻尾の?!」

「ご主人様……………」



すっかり荒ぶった人間が目隠しの結界にへばりついたので、背後からは悲しげな声が聞こえてきた。



謎の訪問者は、海嵐の精霊王だという。


ネアは、撫でられるくらい好意的な人なのか、きりん箱に入れてもいい悪いやつなのか、そのどちらかだといいなと成り行きを見守ることにした。






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