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264. それはこちらにも難しいです(本編)





「イブリースさん、………どうされました?」


うりゅっと涙目になった火薬の魔物に、ネアはそっと尋ねてみた。

魔物に持ち上げられたままだが、対火薬の魔物の聴取はこのまま遂行するしかない。


するとつんつんしているのが定型のイブリースは、弱々しい声で助けてくれと呟く。

白みがかった薔薇色の髪を揺らし、辛そうに身を縮こまらせるとあまりにも悲しげなので、ネア達は顔を見合わせた。



(まさか、何かあったのかしら……?)



ネアは、このイブリースの近くにいる人達を思い浮かべ、ヴェンツェルやドリー達に何かあったのだろうかと不安になってしまう。

慌ててディノを見上げると、こくりと頷いてくれた。



「イブリース、何があったんだい?」



穏やかにそう尋ねたディノに、イブリースは儚く項垂れる。

そうすると、一つ結びにした髪の毛がはらりと肩口に落ちてきて、いっそうに悲しく見える。




「あの店の場所を教えて欲しい…………」

「あの店の…………?」

「ありゃ、何だろう………」



首を傾げた魔物達に囲まれ、ネアはすぐにぴんと来た。

こちらを見る金緑の瞳は、ご飯を強請る子猫のような無垢さでとても澄んでいる。




「………さては、焼き肉弁当のあのお店ですね?」

「そ、そうだ!今はどこにあるのか知っているか?!」



気付いてくれたネアに、門の向こうでイブリースが飛び跳ねる。

火の気配が強い火薬の魔物は、リーエンベルクの中には入れて貰えないのだ。



「ごめんなさい。こちらでも、もう随分と見失っているのです。ゼノも、ずっと探しているのですが………ほわ、死んでしまいました」


ネアからの言葉を最後まで聞けずに、イブリースはへなへなと地面に崩れ落ちてしまう。

門を守っていた騎士達が、地面に蹲った火薬の魔物を驚いたように見守っている。



「焼き肉弁当…………!」


だしんと地面を拳で打ち、イブリースは苦しみに身悶えていた。

ネアはあまりの嘆きように、いささか慄く。



(完全に、中毒症状が………)



「ご、ごめんなさい。どこかでお店の情報を聞いたら、すぐにイブリースさんにもお伝えしますね」

「………………もう、ずっと食べてないんだ」



涙目でえぐえぐしながらそう呟くイブリースに、騎士達が顔を見合わせた。

すると、エドモンがネア達の隣までやって来て、ノアに何かを耳打ちしている。

ノアはおやっと眉を上げて少しだけ思案した後、門の外で地面と一体化しているイブリースに声をかけた。



「………イブリース、彼の考えだと、リーエンベルクの騎士のゼベルであれば調べられるかもしれないらしいよ」

「そ、そうなのか?!」



その反応は顕著であった。

しゅばっと立ち上がり、すぐさま駆け出して行こうとしたイブリースは、魔術の何かに足を取られ、びたんと地面に倒れこむ。



「ぎゅむ?!何をする?!」


またしても地面と一体化したイブリースが、柳眉を釣り上げて振り返れば、ノアは年長者らしく腕を組んでそんな火薬の魔物を見下ろした。


ひとまず、ネアとディノは息を殺して見守りに徹している。



「行けば調べてくれるって訳じゃないからね?ゼベルはとても強欲で残忍だから、ヒルドかダリルを介して、その店の場所を知っているかどうか聞きたいって仲介して貰わないと、八つ裂きにされるよ」

「…………八つ裂き。……ふ、ふん!そんな事を出来るものか!人間など返り討ちに……ぎゃあ!!」



直後、眩しい光を浴びたようにイブリースが両手で目を覆って悶絶する。

こちらにもいる残忍な人間が、不届きなことを考えた火薬の魔物に、首飾りからちらりときりんさんの頭を出して見せつけたのだ。

なお、ディノには少しだけ、遠くを見ていて貰った。



「……………お、おのれ人間め」

「わーお。僕、ネアが何を見せたのか分かったから、振り向かないようにしよう……」

「ご主人様……………」


うっかり身内な魔物達も震え上がらせつつ、ネアは焼き肉弁当に狂わされた魔物が、大事なリーエンベルクの住人に悪さをしないよう、しっかりと脅しておくことにした。



「ゼベルさんは、もっと容赦ないですよ。正式な経路から紹介して貰わないと、こてんぱんにされます。もしくは、イブリースさんが焼き肉弁当にされてしまいますね」

「焼き肉弁当に…………」

「ええ。タレに漬け込んだのち、美味しく焼き上げてしまうのでしょう。あら、思っていたより簡単そうですね………」

「………………く、くそっ!ヒルドに聞けばいいんだな?!」

「はい。良い子ですね。きちんと理由を話して、お願いしてみて下さいね。少し悔しいかもしれませんが、焼き肉弁当の為です」

「焼き肉弁当の為に…………」



そう言われてしまうと崇高な気持ちになったのか、イブリースは凛とした眼差しでこくりと頷いた。

立ち上がり膝の土を払うと、そこでようやく自分が荒ぶってしまったのはディノとノアだったことに気付いたのか、さあっと青くなってびゃっと一礼し、物凄い速さで駆け去って行った。



「転移ではないのですね…………」

「そんなに好きだったのかな………」

「大迷惑な訪問理由だったけど、場合によってはリーエンベルクで一つ貸しに出来るからいいかなぁ………」



三人は駆け去ってゆく火薬の魔物を見送り、ほうっと息を吐いた。

事件が解決したので、ネアはちろりとノアの方を見る。



「…………ゼベルさんなら、見付けられるかもしれないのですか?」

「ありゃ。ネアも真剣だ…………」


ご主人様の欲求に気付いたのか、ディノがその可能性について触れてくれる。

ただし、さりげなく三つ編みを持たせる常習犯なので、ネアは受け渡された三つ編みを仕方なく握る羽目になった。


「彼に庇護を与えているのは、エアリエルだからね。あの店は隠されている訳ではないから、あちこちを漂い旅する者達なら知っている可能性はあると思うよ」

「それに、エドモンが提案したから、まずそれで見付かるんじゃないかなぁ?」



ノア曰く、灯台の妖精の血を引くエドモンがそれならばと思いついたということは、それこそが良い導きである可能性が高いのだという。

エドモン自身もそれを知っているので、ノアに思いついた解決策を打ち明けてみたのだ。



「うむ。ゼベルさんが帰ってきたら、私達も聞いてみましょう。時々、ゼノも探しているので気になっていたのです……」

「ゼノーシュが見付けられないとなると、どのような場所にいるのだろうね」

「むむぅ。行き難い場所でないといいのですが………」



その後、焼き肉弁当のお店はなんとハヴランの方にある地底の国にあることが分かった。

その情報を聞いたゼノーシュは飛び出して行ってしまい、地底の国の入り口を固めている岩の精霊と壮絶な戦いを繰り広げ、無事に焼き肉弁当を買ってきた。


それが羨ましくなったネアは、あまりそのようなことに抵抗のなさそうなウィリアムと出かけた時に、帰りに寄ってもらった。

ウィリアムがひと睨みで岩の精霊を黙らせてくれたので、ネアは焼き肉弁当をお土産に買って帰れたのだが、それはまだ先の話である。




まだ火の慰霊祭であるこの日は、イブリースの訪問以外にも事件があったのだ。



それは、エドモンと別れたネア達が、やれやれと屋内に戻ろうとした時のことだった。



「む…………」


ネアは、暗い禁足地の森の方で、黒い翼を広げた生き物が見えたような気がして目を凝らした。

開けた扉からネアが入って来ないので、最初に屋内に入ったノアも不思議そうに顔を出す。




「何かを見たのかい?」


そう尋ねたディノに、ネアはこくりと頷いた。

多くの生き物を知っている訳ではないが、大きな竜がいたように見えたので、知り合いの竜なのかなと気になったのだ。


「森に、竜さんのような影が見えました。なので、……………灰が」



はらはらと、白い雨が降って来た。

一瞬雪のようにも見えるのだが、雪というものの降る様をよく知っているネア達からすると、これは明らかに違うものなのだと一目で分かる。


曇天の隙間から漏れる陽光で白く見えたものは、はらはらと地面に落ちて灰色のかけらになってべったりと崩れた。




「火の顕現だね………僕が、」

「私が消してこよう。ノアベルト、この子を抱いていてくれるかい?」

「シル、……………僕でも大丈夫だよ?」



そう言い出したディノに、ノアは目を丸くした。

だがディノは、淡く微笑んで首を振る。



(ディノ……………)



はらはらと雪のように降り続ける灰に、ネアの瞼の奥にごうごうと燃え盛る赤い火に包まれたリーエンベルクが蘇った。


誰かの慟哭が聞こえ、美しかったものが無残にも死に絶えてゆくあの気配を。

咽び泣いていた見知らぬ人の背中と、手を握り合って最後の別れを交わす者達。



「ディノ、一人で行くのはいけません。私も連れてゆくか、せめて騎士さんの誰かに同行して貰って下さいね」



はしっと魔物の三つ編みを掴み、そう言ったネアにディノが目を瞠る。

こちらを不思議そうに見た水紺色の瞳が、はっとしたように澄明な揺らぎを深めた。



「ネア……………。そうだね、そうしようか」

「はい。きっとディノ一人で出来ることなのでしょうが、場合によっては強い思いが影絵の核になることがあるのだと、私は知ってしまいました。どうか、気を付けて下さいね」

「…………かわいい、捕まえてくる………」

「む。深刻な場面ですので、ご主人様を撫でてはいけません」



ネアは我が儘かもしれないが真剣な思いを伝えたのだが、魔物は三つ編みを握って捕獲してくるご主人様が嬉しかったようだ。

もじもじと恥じらいながら、ご主人様の言いつけ通りにノアがもう一度呼んでくれたエドモンと禁足地の森の方に火の気配を潰しに行った。




はらはらと、まだ灰の雨は降り続けている。


リーエンベルクの美しい庭を覆い、花々の息を止めるようなその不穏さに慄きながら、ネアはエドモンと組んでいたアメリアが魔術で灰避けを行うのを手伝うノアと手を繋いでいた。


建物や草木を傷めないように最初から灰避けをする方法もあるのだが、今回の灰は前兆である。

その前兆を見逃さないよう、エーダリアはその術式を最初から敷いてはいなかった。


けれどもう、前兆としてのものは確認したので、結界で遮っても構わないのだ。



「…………禁足地の森に竜の影となると、西門前も気になりますね」


作業が終わり、そう呟いたのはアメリアだ。

その言葉を受けて、ノアが眉を寄せて考え込む。



「統一戦争の再現ってこと?であれば、北門の方が厄介なんじゃないのかな?」

「北門側の禁足地の森には、友人の雨降らしが住んでおりますから、あの辺りであれば、火の気配がしたら彼が即座に消してくれるそうです。彼は森の生き物達をこの上なく愛しておりますし、純白とも交戦出来る程に頑強ですからね」

「わーお、戦ったんだね」

「国外で、カーテン飾りの精霊が生まれたと聞いて、生まれたばかりの赤子を見に出かけていた先で遭遇したようです。小鳥達を怯えさせていたので、蹴散らしておいたと話していました」

「…………あの穏やかな方が蹴散らしてという表現を使ったところに、ミカエルさんの強さを見たように思います」



愕然としたネアだったが、ノアは然程驚いていないようだ。


「……でもまぁ、ミカエルは、階位はかなり高い雨降らしだからね。土地の魔術が雨降らしに有利なところであれば、そのくらいは可能そうかなぁ」

「まぁ。とても頼もしいご近所さんだったのですね!」



(そう言えば、何だか強いということを聞いたような聞かなかったような………)



よく思い出せないのは、実はこれが、ネアが記憶を曖昧にしてなかったことにしてしまうくらい、不都合な真実であるからだ。

安心したように微笑みながら、ネアは、ミカエルの守備範囲が毛皮の外に出ないことを強く願う。


今はまだ、ネアの狩りの獲物とミカエルの守りたいものが重なっていない。

ムグリス狩りについては少しばかり心配されているものの、ムグリスが決して傷付けられないことと、ネアに祝福を捥ぎ取られたムグリス達が、良い避難所があると知ってミカエルに甘えに行ったりもするので、ある意味ミカエルも恩恵を得ている。


なのでこの強欲な人間は、優しい雨降らしが狩りの女王の敵として立ち塞がる日が来ないことを切に願っていた。



真剣な顔でそんなことを願っている人間の横で、ノアとアメリアは警備のあれこれを相談し終えたらしい。



「では、西側を見て参りますので、こちらはお任せしても宜しいでしょうか?」

「うん。西側でも、規模が大きい場合はすぐに僕を呼ぶこと。ここは僕の家でもあるんだから、誰にも傷付けさせないよ」

「…………ええ。必ず」



ノアの言葉に、アメリアはくしゃりと微笑む。


ウィームの領民の殆どが何かを無くしているとは言え、彼は、統一戦争によって明確に自分の家族を奪われている傷深いひとの一人だ。

そうして多くを失いやっと健やかな形に戻ったこのリーエンベルクを、塩の魔物が守ってくれるということはとても嬉しいことなのだろう。



「相変わらず、グラストは騎士の配置が上手いなぁ」



リーエンベルクの敷地内にある騎士用の転移陣を踏んで移動したアメリアを見送り、ノアはそう呟いた。

もう灰の雨は降っていないが、やはり空はどんよりと重く、どこからかあるはずもない延焼を知らせる鐘の音が響いてくるような錯覚に襲われる瞬間がある。

そんな筈はないとはっとすると聞こえなくなるその幻の音も、この火の慰霊祭の日の特徴的な幻であった。



「ノアから見ても、グラストさんは配属上手なのですね?」

「うん。去年の運用も良かったけど、今年は火の気が強いってことで儀式会場の方の警備に重点を置いてるからね。階位としては下がるけれど、被害を出さないってやり方でここを守るなら、アメリアとエドモンの組み合わせはかなりいい。目が良くて調停に長けているアメリアと、資質的に災厄を避けられる魔術を持つエドモンだから」



それに、何かが起きてしまったとしてもここには、万象の魔物と塩の魔物がいる。

火力としてはそれで十分に事足りると信頼もされているに違いない。



(いいな、そういうところも家族らしくて………)



これが、魔物達に心を傾け過ぎるなと忠告していたエーダリアの統治する、リーエンベルクの今の形なのだ。

そう考えて微笑ましくなったところで、ネアはびくりと体を揺らした。



ぴしりと、氷が軋むような音がしたのだ。



はっとしたネアがそちらを見ると、近くにある部屋の外側の窓がぴしぴしと蜘蛛の巣のように氷を張ってゆくではないか。



「氷が…………」

「………火の出現の前兆だ。氷は相対する系譜のものだけれど、これ自体が、幻惑や悪夢の足音、悪意の気配や不穏なものが近付いてきているという前兆だからね。ネア、息を吐いてみて。…………うん、白いね」

「…………ディノ達は、皆さんは大丈夫でしょうか?」

「シル達は大丈夫だよ。…………アメリアは呼び戻した方がいいかもしれない。……ちょっと待ってて。リーエンベルクの外周に霧が出て来たから、結界で侵入を防ぐよ」



ノアに言われて外を見ると、森の奥の方からしっとりとした濃い霧が流れ出てくるではないか。


ネアはウィームの霧が大好きだったが、この前兆として湧き上がる霧は、ネアの好きな霧とは色が違うように感じた。

指先で触れてその冷たさを楽しみたい霧ではなく、どこかどす黒いような不穏な暗さを貼り付けた霧だ。



「…………あ、」


そこで、ネアが今日はしっかりと襟元につけていた、エーダリアから貰った一粒石の魔術通信道具がふるりと揺れた。

慌てて指先でこつりと弾き、その通信を受け取る。



“ネア、聞こえるか”

「はい。エーダリア様、何かありましたか?」

“こちらの近くで、先程大きな火の気配が顕現した。だが、幸いにも……その、なぜか雲の魔物が手伝いに出されてきていてな。すぐに鎮火したのでこちらには大事はない。そちらは大丈夫か?”



ネアはノアと顔を見合わせ、その確認にはノアが答えてくれる。

ノアの方がエーダリアの求める疑問に的確に答えられるだろう。



「禁足地の森の奥で、竜に似た影をネアが見てるよ。今はシルとエドモンが調べに行った。灰の雨が降って、かなり火の前兆が出ているね。………エーダリア、今回の火の慰霊祭は何かが妙だよ。僕はよく知らないけれど、それでも、冬明けが遅れてもここまで火の気配が強まることはそうそうない筈だ」



その言葉に、ネアは小さく息を飲む。

何か予測していなかったことが起きていると聞いてしまうと、途端に不穏さが増した。



(何かが起きているということ………?)



“私もそう考えている。…………何か、火の気配を増進させるような異変が、どこかで起きている筈だ。グラストとゼノーシュには、今その原因を探って貰っている。こんな状況だからこそ、こちらでは慰霊祭を恙無く終わらせなければいけないからな。…………そちらに人手を割けずに済まない”



( ああ、エーダリア様は、リーエンベルクが心配で堪らないのだわ…………)



ノアは元々火が苦手であるし、昨年よりも火に対しての抵抗力を取り戻したとは言え、エーダリアにとっては昨年よりもずっと大切な存在になっている。

ノアだけではなくネア達と、騎士達やここで働く者達も、領主としてこちらに戻る訳にはいかないエーダリアは、心配で堪らないのだろう。



「嫌だなぁ。そんなに心配しなくても、もし不穏なことが起こったとしても、ここには僕やシルがいるから大丈夫だ。僕達はそれなりに強いし、頑丈だから安心していいよ!………ただ、街中の警備は足りそうかい?」

“ああ。こちらも、問題が起きても対処出来るということに変わりはない。だが、何かが起きる可能性と言うことについては、だいぶ高まってしまったな……”



何点かの対策と共有事項を詰め、エーダリアからの通信は切れた。

ノアはかなり心配そうだったが、こうなってくるとお留守番組にもお家を守るという役目があるので、自身に力のないネアには、ここはいいからエーダリア達のところに行ってあげてとは言えない。



「ありゃ、何で落ち込んだの?僕は大丈夫だってば」

「いえ、私にこの身に持つ氷の祝福を扱うだけの可動域があれば、ここでノアに、リーエンベルクは私に任せてエーダリア様達のところへ行ってあげて下さいと言えるのにと、少しだけ悲しくなりました………」


ネアがそう白状すると、ノアは、小さく微笑みを深めてぎゅっと抱き締めてくれた。


「そんなネアよりも、僕は今のままのネアがいいよ。このネアだから、僕はここに自分の居場所や大切なものを得られたんだ。寧ろ、このネアじゃないと困るなぁ」

「むぐ。有事なのにノアが泣かせてきまふ…………」

「エーダリア達の方には、ウィーム在住の霧の精霊王も非公式に助力に来てくれているらしい。ほら、あのエーダリアの方の会の会員らしくてね。ヨシュアもいて水竜までいて、何と言ってもヒルドもいるんだから、向こうも大丈夫だよ」

「ドリーさんもいますしね!」

「…………あ、忘れてた」




少しすると、ディノとエドモンも無事に戻って来てくれた。

ついでに少し他のところも調べ、南門の入り口の小さな火を見付けてすぐに消し止めてくれたそうだ。


森にいたのは、火竜の形をした凝りの竜のようなものの生成途中の塊で、早く見付けられたことで凝りの竜になることを防げたと、ネアは発見者として感謝される。


西側を見に行って来たというアメリアは、西側の門の近くに顕現しかけていた火の影を、その剣で滅ぼしていた氷竜の騎士に出会ったらしい。

無事に帰ってきたアメリアが、そんな功労者を伴って来た。



「まぁ、ベージさんです!」

「ご無沙汰しております」



顔見知りの竜にぱっと表情を明るくしたネアだったが、ディノはカップケーキのお店で一度あれこれお喋りしているので、あまり荒ぶることはなかった。


騎士服ではないが、きちんとした貴族の休日的な装いが清廉な印象のベージは、こちらに来ると丁寧に一礼してくれる。



「氷竜はもう、城を閉ざしている季節なのではありませんか?」


思いがけない登場に驚いたのだろう。

そう尋ねたエドモンに、ベージは優しい水色の瞳を細めて苦笑した。



「ええ。一族の者達はもう殆どが氷竜の国に篭ってしまっていますが、この時期でも一定階位以上の竜であれば、まだ外でも活動が可能です。特に今日のような日には、火の気が強くて息苦しい反面、悪変の前兆で氷が張りますから、俺でも充分に動けるんですよ」



氷竜達がその国を閉ざすこの時期、ベージは長い休暇に入る。

氷竜達の多くは初夏から夏の終わりまで眠りにつき、秋の気配で目を覚まして国を開ける準備をするのだそうだ。

冬眠ならぬ夏眠の準備をするこの時期は、内部調整に関わる他のお役目の竜達が忙しくなり、騎士達は全員が早めの休暇となるらしい。



昨晩まで友人達と一緒にこの近くで過ごしていたベージは、火の気配が完全に街を覆う前にと自分の領地の屋敷に帰る途中だったのだそうだ。




「今年は妙に火の気が強い。リーエンベルクが少し気になったので、帰りがてらこの前を通っていたところでした」

「まぁ、それで悪いものを滅ぼしてくれていたのですね!……ただ、そうなると、早くご自宅に帰らなくて大丈夫ですか?ベージさんの体調や、ご家族の方なども………」

「いえ、ここまで怨嗟の霧が立ち込めてしまうと、帰るのも一苦労ですのでこちらでお力になれることがあればと、アメリア殿と話し残ることにしました」



穏やかに微笑んでそう言ってくれたベージに、ノアも、素直に助かるよと返している。

それぞれの種族ごとに得られる感覚が違うので、竜種がいるということで得られるものが、良い助けになるかもしれないのだそうだ。



勿論、その申し出を受理したのは、アメリアから一報を受けたヒルドだったのだが、一応は現在のリーエンベルクでは一番階位が高いのはディノである。

騎士達はそんな魔物がご主人様の竜問題に敏感だと知っているからか、少しだけ不安そうにこちらを見ていた。

だが、魔術の細やかで繊細なところまでを管理出来るノアを信頼しているディノも、ノアの判断に任せる形でベージの滞在をすんなりと受け入れてくれた。




「今回の状態が特異であるのに、何か大きな理由があるのでしょうか?」



リーエンベルクの屋内に入ってしまうと、身の安全は守られるが外の異変に気付き難くなる。

なので、ネア達は現在、外廊下の部分に結界を張って雨風を凌げるようにし、机と椅子を用意して臨時対策本部にしていた。



最初にそう質問したアメリアに、そうだねぇと腕を組んで息を吐いたのはノアだ。



「誰かの介入で火の怨念に燃料がくべられている場合が一つ。もしくは、偶然その資質を強める条件が整っている場合が一つってところかな」

「偶然となると、星の配列や暦の並びなどですか?」


ネアはグラストやゼベル以外の騎士達のやり取りをあまり見たことがなかったが、このような時には階位も高く年長者であるアメリアが発言し、エドモンは静かに控えている。


それぞれの特性があるので、単純な階級制ではないのだが、集団で活動することの多い騎士達らしく、効率の良さを重視してそれぞれの役割を認識しているのだろう。



「うん、それが一般的だけど、調べてみたらそれはなさそうだ。そうなると、魔術的な地脈の濃度や、誰にも真実は推し量れないけれど魂の配列、もしくは、彼等を奮起させて目覚めさせるような言動を、知らずして誰かが成してしまった場合だね」


ノアの説明によると、この地に残っている火の怨念は、当人達が残っていることで土地が淀んでしまう、祟りものや狂乱とは違う。

もっと儚く曖昧なものだ。

だからこそ、例えばかつてヴェルリア側の誰かが下した開戦の号令のようなものをうっかり一語一句違わず口にした者がいると、そんなことでも今回のような異変は起こりうるのだそうだ。



「或いは、偶然、火の気を纏う者がこの土地に揃っていたりした可能性もある。確か、ヴェルリアの雪の慰霊祭の日に、雪結晶の首飾りを購入した侯爵夫人のせいで、大きな被害が出たことがあった筈だ」

「あー、……………あったね」



(おや、…………?)


ディノの言葉に頷いたノアの表情を見て、ネアは、それはもしかしたらノアの策略だったのではないかなと考える。

ヴェルリア王家の傍流であったその侯爵夫人は、その年の雪の慰霊祭で行方不明になった後、翌朝に遺体で発見されたそうだ。


王都でウィームへの反感が強まらなかったのは、侯爵夫人のあまりにもタイミングの悪いお買いもののせいで、他にも被害が出たからだった。

何ということをしてくれたのだという不満は、幸いにもそちら側に向いたのである。



「むむぅ。そこまで拾ってしまうとなると、原因を探るのは難しそうです…………」

「うん。だから、守護を固めつつ火の気配を逃さぬように対処しながら、儀式を終えてしまうのが一番だね」


そう言うディノは、先程までテーブルと一体化して儚くなっていたとは思えないくらい、きりりとした魔物の顔だ。


「山車が出て、全ての儀式が終わるまで、後四時間ほどですか……」



低くそう呟いたアメリアに、ネア達はみんなで神妙に頷いた。



(きりんさんで滅ぼせたらいいのに…………)





暗い空からは、まだ灰の雨が降り続いている。

それを見上げて、ネアは小さく溜め息を吐いたのだった。







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[気になる点] >ムグリス狩りについては少しばかり心配されているものの、ムグリスが決して傷付けられないことと、ネアに祝福を捥ぎ取られたムグリス達が、良い避難所があると知ってミカエルに甘えに行ったりもす…
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