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263. 今迄の火の慰霊祭とは違います(本編)




その日、ようやく冬の系譜の者達が春に道を譲り、少し遅れていた祝祭がやってきた。

祝祭ごとの中では鎮魂の儀にあたる、霊を鎮め祟りを祓う為の火の慰霊祭だ。



仄暗いウィームに、はたはたと温度のない風が吹く。

曇天ではあるが、雲間から光は差している。

それなのに、視界に一枚灰色のフィルムをかけたような奇妙な暗さが辺りを包んでいた。

そのひたりひたりと滴るような暗さが、不安を煽る。



良くないもの、不穏なものが息を潜めているに違いない。

そう思わせるこの空気がやはり、恨みを持つ者達の怨嗟が彷徨っていること故なのだろう。



(その炎が燃え上がる瞬間を、私は見たことがない……)



でもネアは、瞼を閉じると統一戦争のあの夜の炎の赤さを思い出すことが出来る。

その色を知っているということは、やはり今日の日を特別な思いで見つめるということでもあったのだ。



ディノもそれを思うのか、今朝はネアが目を覚ます前から寝台の横に腰掛けていて、おはようと頬を撫でてくれた眼差しは気遣わしげだった。

とても優しい魔物なので、ネアは朝から頭突きのご褒美をあげている。



「その日のことを、ウィームの皆さんは言わないのですね。私はあの影絵を経て、初めてそんなことに気付きました」

「そうだね。ウィームの民は穏やかだが、ひどく頑固で誇り高くもある。これが、彼等なりの矜持なのだろう」


やっとネアが知ったこと。

それは、この火竜の王子達が斃れたその日こそ、ウィーム王宮が陥落した本当の日であるという事だった。

本来であれば今日は、火の慰霊祭などではなく、その夜に亡くなったウィーム王家の者達の慰霊祭であっても良い筈なのだ。


けれど、ウィームの民はそのことで苦言を呈することはない。

ただ、粛々と、そして飄々とこの日を火の慰霊祭とし、夜には火の気配を見落とさないように冷たい食事を食べる。




統一戦争の時にウィームで斃れた火の系譜の者は多いが、その中でも強く恨みを残す者達の怨嗟が、この雪の加護の途切れる時期になると、どこかでぼうっと赤黒い炎になって燃え上がる。

ウィームはかつてこの怨念により大火に見舞われたことがあり、それ以降はこうして慰霊祭を行うようになっていた。



当時、ヴェルクレアは建国したばかりであった。

国内の混乱を鎮め、様々な取り決めをしなければならない時期に、国民感情を宥め上手くやっていこうとしたばかりのウィームが大火に見舞われたのだから、ヴェルリアの者達もひやりとしただろう。

当時、出来たばかりのガレンの魔術師長が先陣を切り、あえてそちらの者達が音頭を取って慰霊祭を行うこととなった。

当時のウィームの領主はヴェルリアから来た者であったし、終戦の宣言で二度とウィームを火で損なうことはないと誓約を交わした直後のことである。

つまりのところ、こちらの不手際なので任せてくれとウィームの領民達に頭を下げ、その鎮魂を行ったのだ。



「その頃のヴェルリアは混乱していたんだ。余計な憎しみを買うのは、もうまっぴらだったんじゃないかな」



朗らかに笑って青紫色の瞳を刃のようにしてそう言うのは、今日は人型でネアの隣に座っているノアだ。



終戦直後にノアは、ヴェルリアの王家に名を連ねていた一人を、それはそれは残忍な方法で殺したのだそうだ。

その凶行こそが塩の魔物からの呪いの署名であり、そこから、ヴェルリアへの塩の魔物の報復が始まった。



塩の魔物の怒りがウィームに端を発した報復であった為、ヴェルリア側は特にその庇護を受けるウィームの扱いには慎重であった。

現に、アルビクロムでも当時、石炭の呪いと呼ばれる、統一に尽力したものの暗殺された火竜による呪いの災厄があったが、そちらは治安部隊を少数名派遣しただけに留まり、新しい国を治めてゆくヴェルリアの王族が訪れて鎮魂を祈るようなことには至っていない。



(必要な統一だったのだと、その背景も私はもう知っている……………)


でもネアはウィームの民でしかなく、ヴェルリアの立場で過去を見ることはないだろう。

人間はとても狭量なもので、ネアは決してそこで公平であろうとは考えていなかった。

大局を見据える役目は、他の相応しい者達が務めるだろう。


なので、その質問をしたのは、単なる興味本位であった。



「これからも、ヴェルリアの人達は、お塩を手に入れられないままなのでしょうか?」

「呪いや憎しみはね、当事者じゃなくなるとあっさり忘れ去られるものなんだ。自分事じゃない呪い程に、どうでもいいものはないよ。だから僕は、その呪いを撤回するつもりはないかな。して欲しいかい?」

「いいえ。ノアがそう言うのなら、是非にこれからも続けて下さい。知り合いにお塩が手に入らなくて困っている方はいませんし、私はウィームの領民なので、存分にやってくれ給えと気軽に言えるのです」

「うん。君はウィームの領民だ。僕の大事なものは、みんなウィームのもので良かったよ」



そう微笑んだノアは、ネアの頭をそっと撫でてゆく。

秘密を知られた以上は殺すしかないと思っていた出会いから一年あまりだが、この魔物もいつの間にか家族のようになっている。



「…………ネアを自由に撫でていいのは、今日だけだからね」

「うん。いつもは、一日に二回までなんだよね。さーて、今日は撫でるぞ!」

「ノアベルトなん…て…………」

「なぬ。ディノとノアの間で、私の知らない密約が交わされています………」



ネア達は今年も、リーエンベルクの中に待機していた。


エーダリアは夕方からの儀式に向けてリーエンベルクを出るまではこちらにいるが、それでも騎士達との打ち合わせを続けているし、ヒルドは、領内の不審火などの情報を集約しその対処にあたる為に、執務室と議会堂に編成された対策委員会などの現場を行ったり来たりしている。



本来であれば、ノアやネア達はその戦力の一端としてこの日も活躍出来た筈なのだが、ノアは元々火が苦手であるし、この、統一戦争で命を落としたヴェルリアの者達の呪いに纏わる身としては危ういところがある。

ネアも影絵の中でとはいえ統一戦争のその最前線を経験してしまったので、誰にも分らないような部分で何かの繋ぎが生まれているかもしれないと、本日は外出を禁じられていた。



「今年は少し、火の気が強いようだね」


ネア達の部屋でくつろいでいた時に、そう呟いたのはディノだ。

ネアは微かにぎくりとしたが、その動揺を隠そうとして、そんなことは無理だろうなという結論に音速で達したのですぐにディノに寄りかかってみる。

すると、素直に甘えられた魔物は、とても嬉しそうに目を細めた。



「むむ。そのような違いがあるのですか?」

「今年は冬が明けるのが遅くなったからね。慰霊祭のようなものは、早めにやってしまえる方が良いものなんだよ」

「そうなると、大きな火事などにならないといいのですが………」

「水竜がいるから大丈夫だろう」

「そう言えば、エメルさんがいるのでした!」



火を扱う者達は夏の系譜に属する者が多く、一般的にも恨みを強く持つとされる系譜になるが、王都では今でも冬の入りの初雪の日になると、視界を白く染め上げる程の吹雪になるそうだ。


こちらは統一戦争で亡くなったウィームの人外者達の怨嗟によるもので、エーダリアがウィームの領主になってからはかなり落ち着いたらしい。

とは言えやはり、雪の慰霊祭の日にヴェルリアの民が外を歩くのは危険で、今でも不用意に外に出てしまい、命を落とす者が出ることもある。


ここはとても美しい世界だが、そうして過去の因縁により続いてゆく儀式や風習もある世界なのだった。




窓の外はどんよりとした灰色の曇り空だ。


火の慰霊祭の日が晴天になることは少なく、大抵がこのような陰鬱で暗い日になる。

これもまた、ディノがいつか話してくれた前兆のようなものの効果なのだろうかと思いながら、ネアは去年よりは格段に顔色のいいノアを見た。

目が合うと、ん?とこちらを見るのだが、怯えというよりは憂鬱そうなだけの翳りしかないようだ。


「ノア、怖かったり悲しかったりはしませんか?」

「僕の未来の妹は心配性だなぁ。そりゃ、あんまりいい気分じゃないけれど、君がここにいて、リーエンベルクには僕の家族がいるからね。そう考えるといい気分になるから、僕はいつも通りの元気で魅力的な僕だよ」

「…………弟」

「ありゃ」



ネアがこうも心配になるのは、この日特有の不穏な空気のせいだろう。

言うならば、一つの映画が始まった瞬間の、ああ、これは普通の美しい導入だがホラーだぞと予感する効果のような、そんな気配があるのだ。


不思議にそわそわするような感覚に苛まれながら、ネアは何度も窓の外を見てしまう。



昨年の火の慰霊祭の日、ネアはべったりとした灰色の泥のようなものを見付けたことがあった。

どこかで起こった不審火の前兆である灰の雨が風に飛ばされてきたものだったのだが、またそれがどこかに落ちてはいないかと気になって仕方がない。


すると、そんなネアの落ち着きのなさに気付いたのか、ノアがまた頭を優しく撫でてくれた。



「ほら、怖くないよ」

「むむぅ。去年と立場が一変しました………」

「今年からは君を助けられた僕だからね。怖いことがあったら、僕に言うんだよ」

「ノアベルトなんて………」

「あら、ディノは既に私の羽織ものになっているではありませんか。これで私の安全は確保されているのでしょう?」

「ネア、怖いことはないかい?…………ノアベルトも」

「ありゃ、シルに主導権を奪われた………」



ディノは頼って貰えないと寂しいのか、ノアまでまとめて心配をするという荒業に出たので、三人はそろそろ昼食を摂る為に会食堂に向かうことにする。

途中、屋外から聞こえた微かな物音でエーダリア達がリーエンベルクを出てゆくのを察し、ノアが窓の外をじっと見ている場面もあった。



「ノア、やはり、エーダリア様達のお側に居たいのですか?」

「……………そうだね、外に出るとなると、心配にはなるかな。でもあの二人には僕の特製の術符を持たせてあるし、毛玉も沢山服に潜ませたし、ゼベルやゼノーシュにも、二人のことは任せてくれって言われたんだ」

「ふふ、少しだけ誇らしげなノアです!」

「うん。………そうやってさ、任せられる相手がいるのがいいよね。特にゼベルの魔術は火消しにも向いているし、僕がとっておきの魔術を教えてあるから無敵だよ」

「ほわ、最近ゼベルさんがめきめき強くなっているという噂は、ノアのお陰だったのですね………」

「でも、そこまでかな。ヒルドに、あんまりゼベルだけに魔術を教えるとエーダリアが拗ねるって言われたからね」

「…………エーダリア様には、教えてあげないのですか?」



そう尋ねたネアに、ノアは微かに秘密めいた眼差しを向けた。


出会った頃と違い、少し長くなった髪をリボンで結んでいる姿をもう見慣れてしまった。

ネアと出会った頃は、髪を伸ばすと少し柔和な印象になるので、女性達への印象を優先してあえて短くしていたのだそうだ。

心臓を失くしたことで扱わなくなった魔術があり、その調整をしなくなったことで身軽になったのだとか。


けれどもそんなノアが他者の心臓で補ってまで魔術を整え直したのは、ヴェルリアを呪う塩の魔物になってからだ。

あちこちをふらふらして遊んでいた頃には必要のなかったより複雑な魔術も扱うようになり、髪も伸ばしたらしい。

そして今のノアは、怨嗟で扱っていた複雑な魔術を、今度は守る為のものとして手にしている。



「あんまり、何でも出来ない方がいいんだよ。少なくとも今のエーダリアは、分からないことや力が足りないことを、自尊心の為に見過ごさないで僕達に相談してくれる。この流れを壊したくないんだ。一人で出来てしまうということは、その時には一人きりかもしれないということだからさ」

「むむ。狡猾な作戦でしたが、エーダリア様に関しては私も賛成なのです。ただし、私が魔術を使える余地があるのに隠していた場合は、すぐさまに白状するのだ!!隠し立ては許しませんよ!」

「うーん、ネアは可動域が………。国一つ治められるくらいの氷の祝福も持ってるのに、紅茶を冷ますくらいしか…」

「むぐるる!」

「ありゃ、しまった」

「ご主人様、ほら今日の昼食には、シュニッツェルが出るのだろう?」

「……………は!怒りを捨てて、綺麗な私に戻れました。シュニッツェル万歳なのです!!」

「僕はもしかして、シュニッツェルに命を救われたのかな…………」



今日は、火の気配を察知出来るように午後からは火を使わない食事が主流となるので、温かな食事を出来る昼食はしっかりと食べておかなければならない。

ネアは、先程の可動域の話は歴史から消すことにして、朗らかにノアに向き直る。



「ノア、今日のお昼はシュニッツェルですよ。夜が冷たいものになるので、その代わりにお昼は温かく食べれる美味しいものを出してくれるんです」

「シル、ネアが直前の会話だけ記憶から消したみたいだよ。でも、大好物だから、僕もシュニッツェルを尊ぶかな………」

「まぁ、ノアはシュニッツェルが大好物なのですか?」

「うん。色々な国に似たような料理があるから、そうでもないものもあるんだけど、ウィームの伝統料理としてのシュニッツェルは大好きだよ。特に気に入っているのは、リーエンベルクのものと、シュタルトの湖水メゾンのもの、ザハのものも好きかなぁ。後はザルツにも美味しい店があるんだ」

「去年の火の慰霊祭にもありましたが、この日にシュニッツェルを食べるという風習があったりするのでしょうか?」

「ありゃ、去年もあったんだね。覚えてないや………」

「どうなのかな。聞いたことがないけれど、エーダリアなら知っているかもしれないね」



ネアがそう首を傾げると、やはり昨年はそれどころではなかったらしいノアは少しだけ情けなさそうに首を傾げ、ディノも不思議そうにしていた。

普段はこのような風習もよく知っているノアだが、さすがにこの日は滅多に城の外に出なかった日なので、知らないと言う。

良く分らないものの、美味しいシュニッツェルは素晴らしいだけなので、ネア達はさくさくの衣に感動しながら美味しい昼食を食べることにした。



夜は冷たいお料理なので料理人達が張り切るのか、火の慰霊祭の日の昼食は豪華になりがちだ。


昨年と同じとろりとチーズをかけたシュニッツェルに、濃厚な牛コンソメのスープに小さなクネルとお野菜が入ったもの。

前菜の盛り合わせのような大きめのお皿には、温かくて美味しい手の込んだお料理が一口サイズで幾つも並んでいる。

燻製にした鱈の香草蒸しに、ほくほくのジャガイモと茄子に美味しいトマト風味のピリ辛挽肉を合わせたものは、薄いクレープ生地に包まれていて、隣のクレープも同じ中身かなと思ってナイフで切ってみると、そちらは鮭とホウレンソウとクリームソースが入っていた。

グヤーシュをアレンジした一口ビーフストロガノフ的なものとバターライス、贅沢に一切れだけ盛り付けられた棘牛のコンフィには、オレンジのソースが爽やかだ。



「うーん、こうして見てみると、ウィームの伝統料理が多めなのかな」

「言われてみると、そんな感じがしますね。もしかしたら、このような慰霊祭の日ですが、ウィームが大好きな皆さんはこっそり伝統のお料理で対抗しているのかもしれません」


そう考えると、ネアは何だか嬉しくなった。

微笑んだネアにつられたのか、ウィーム大好きっ子のノアもどこかはっとしたように、煌めく目でお皿を見ている。

しかし、ディノの関心は違う方向を向いていたようだ。


「……………ネア、何か交換するかい?」

「みんな一口サイズで美味しいので、今回は…………むぅ、私の魔物がしょんぼりなので、ではこれではどうでしょう?私の切り分けたシュニッツェルと、ディノの切り分けたシュニッツェルの交換です」

「ご主人様!」



無事に交換の儀式を終えた魔物は心も安定し、その後は暫く和やかな食事の時間が続いた。


それでもネアは、食事をしながら何度かノアの方を見てしまったが、三度目くらいで大丈夫だよと笑われてしまった。


でも、昨年は何とかデザートのシフォンケーキを食べてくれたぐらいで、すっかり怯えていたのだ。

もう大丈夫なのだと分かっていても、ついつい食事具合を見てしまう。



「ノア、今年もシフォンケーキですよ!」

「うっわ、ネアが食べさせてくれるんだけど………!!」

「ずるい、ネアが浮気する………」

「むぐぅ。ついつい甘やかして食べさせてしまいたくなるのです。では、こちらの荒ぶる魔物にも、特別に食べさせてあげますね」

「………………ずるい。かわいい……」

「………………ありゃ。シルが死んだ」

「儚くなってしまいました。自ら欲して死んでゆく、不思議な生き物ですねぇ」



ノアに引き続き、ネアにフォークで美味しいシフォンケーキをお口に入れて貰い、ディノはあえなくテーブルに突っ伏してしまった。

これから夕方になってゆくのだからと、ネアが腕を指先でつんつんすると、ずるいと呟いて余計にテーブルと一体化してしまう。

ぼさっと倒れたせいか、テーブルから悲しげに真珠色の三つ編みが垂れ下がり、ゆらゆらと揺れていた。



「ディノが死んでしまったので、ノアは私が守りますね!」

「うーん、シルはネアにすぐ殺されるんだなぁ………」

「いざとなれば、きりんさんぬいぐるみは五号までいるので、いつでも言って下さい」

「ネア、それは僕も死んじゃうよね……」

「む?」



ノアが悲しそうにそう言うので、ネアはあえて首飾りの中から何かを出す素振りをしてみた。

すると、ヴェルリアを呪う塩の魔物ともあろう者が、きゃっとなって逃げてゆくので、残忍な狩りの女王はついつい追いかけてしまう。



「シル!起きて!!ネアが僕を虐待するよ!」

「まぁ!首飾りに手を入れたまま追いかけただけではないですか!」

「…………………ずるい。ノアベルトを追いかけるなんて」



そんな風に食後の時間を過ごしていたネア達だったが、のんびりと食後のお茶をしていると不意にノアが立ち上がった。

ぎくりとしたネアも慌てて立ち上がり、テーブルの上に突っ伏して死にかけていたディノも、さっと顔を上げる。



大きな雲が横切るように、さぁっと窓の外が暗くなった。



リーエンベルクの周囲はまだそうでもないのだが、少し先の方の空が、突然ぐっと暗くなったのだ。

人間風情の視力で目を凝らしても、どこか遠くの空が暗くなったことしか分らないのだが、急激な変化にネアは心配になる。



実は今年は、中央から慰霊祭に参加する為に訪れるヴェンツェル達が、少し早めにウィームに来ており、ウィーム領民からの有志参加という形で儀式の準備を手伝ってくれているエルト達とこっそり会っているのだ。

そんな事情で早めに外に出ている家族が心配になってしまったネアだが、幸いにもディノ達の表情は暗くはならなかった。



「ディノ………」

「一番近い、火の気配がするあたりだね。大きな予兆でもある灰の雨が降る程の規模ではないから元々懸念する程ではなかったけれど、その火の芽が雨の魔術で消されたようだよ。この魔術はヨシュアかな」

「……………あの雲の集まり方、………ヨシュアみたいだね。ありゃ、何でいるんだろう………」

「誰かに働かされてしまっているのかな…………」



空が急に暗くなったのは、火の気配のした場所に、雨をざあっと降らせる雲が湧き上がったからであったようだ。

リーエンベルクの門扉や木々に遮られてあまりよく見えないが、どこか街の方で雨を降らせ、火を消してくれているのだと、ディノが教えてくれる。


火の慰霊祭は雨模様のことも多く、普通の雨では怨嗟の火は消えない。

しかし、火を消すことを目的として展開される雨であれば、怨嗟の火を消す事が出来るのだった。



「そう言えば、イーザさんは最近ヒルドさんと仲良しですし、イーザさんは元々仲の良いご友人がウィームにいるのですよね。お願いしてくれたのかもしれませんね」

「ヨシュアがいるなら、街の方は安全かな………。でも、何だか嬉しくはないんだよね」

「ふふ、ウィームはノアのお庭ですものね」

「その通りだよ。でもさ、最近アルテアには前から目をかけていたのは俺だぞって、虐められるんだ。我が儘になってきたから、時々森に里帰りさせた方がいいんじゃない?」

「森に里帰り………。ちびふわは、寂しくて泣いてしまわないでしょうか?」

「ネア、アルテアはアルテアが本体で、ちびふわが正体じゃないからね?!」

「………は!つい……………」

「ちびふわに思えてしまうんだね…………」



そんな会話をしていると、おやっというようにディノとノアが顔を見合わせた。

ネアが首を傾げてその様子を見ていると、二人は小さく息を吐いて困ったような顔をする。



「何か、事件でしょうか………」

「イブリースがこちらに来ているようだ」

「…………もしや、また門の外に………」

「なぜこちらに来てしまうのだろうね。彼は、火の気が強い魔物なのだから、儀式を行う会場を離れるのは好ましくないのだけれど」

「困った魔物さんですねぇ………。他の魔物さん達に被害が出ないのであれば、壁にきりんさんでも貼っておくのですが………」

「わーお、リーエンベルクの前に死体の山が積み上がるからやめようか」



イブリースはリーエンベルクの裏門の方でうろうろしてるというので、ネア達はお茶を切り上げてそちらに向かってみることにした。

道中、ネア達を探していたらしいエドモンに出会い、珍しく渋面で不愉快そうにしている彼から、火薬の魔物がネアに会いに来ていると伝言を貰う。



「申し訳ありません。お手間をおかけします」

「いえ、こちらこそ、お忙しい日なのに困ったお客様に対応させてしまって、ごめんなさい」


優しい墨色の髪に、水に墨色を薄く伸ばしぽつんと深紅を落としたような特徴的な瞳を持つこの青年は、灯台の妖精の血を引く騎士だ。

彼の祖父は統一戦争の影絵の中でネアを助けてくれたこともあり、その時の話をエドモンにした際には、片手で顔を覆って男泣きしていた。


統一戦争の時に、最後までリーエンベルクを守って戦った祖父は、彼の誇りなのだという。

そんな彼であるからこそ、この日に、リーエンベルクを火薬の魔物が訪れるということには不快感があるようだ。



「イブリースさんが、どうして会いに来てしまったのか、ぎゅうぎゅうと問い詰めてきますね」

「何かよからぬことであれば、俺も同席しましょうか?」

「大丈夫、大丈夫、僕達で儀式会場に投げ返しておくよ。それとも、報告書の為にとりあえず同席するかい?」


そう尋ねたのはノアで、塩の魔物兼、エーダリアとヒルドの良い相談役で守護者として騎士達に人気のあるノアは、何回か騎士だけの飲み会にも参加しているらしい。

ノアとエドモンもそれなりに面識があるのか、報告書のことまで気にかけてくれる魔物に、エドモンは鋭くしていた眼差しをほんのり和らげた。


「支障がないようであれば、そうしていただけますと助かります」

「じゃあ、そうしよう。まず、何の用件かを聞いて、僕達だけで収めなければいけないような話題だったら、勝手に音の壁を展開するからさ」

「………前回のイブリースさんは、呪いのかかったお手紙を持ち込む困った魔物さんでした。エドモンさんが巻き込まれないように、ディノも見ていてくれますか?」

「勿論だよ。イブリースの手にした要素がこちら側に影響を及ぼさないよう、結界で弾いておこう」



ネア達は薄暗い回廊を抜け、裏門に程近い扉を開けて外に出ると、遠くに臨んだウィームの街はどんよりとした黒雲に覆われていた。

時折ざあっと雨を降らせている雲があるのは、引き続きヨシュアが働かされているからかもしれない。


(また泣いてしまっているのかしら……?)



そんなことを考えながら裏門に近付くと、お久し振りな火薬の魔物が、門を守る騎士達になにやら詰め寄っている。



「むぅ。きりんさんを投げつけましょうか」

「ネア、死んだら困るからやめようか!」

「お仕事中の騎士さんを困らせるなんて、困った………」



ネアは、そこで言葉を途切れさせた。

目が合った火薬の魔物が、うりゅっと涙目になったのである。


びょんびょん飛び跳ねてネアに出会えたことを喜んでいるので、何だか可愛いやつめという気持ちに一瞬でなってしまった人間に気付いたのか、短く息を飲んだディノが慌ててご主人様を持ち上げた。



火薬の魔物を涙目にさせてしまう何があったのだろう。

ネアは、まさかドリー達に何かあったのではあるまいかと、どきどきする胸をそっと押さえたのだった。








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