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プールの午後と美味しいタルト



その日、ネア達はディノの誕生日プレゼントでもある素敵なプールで、伸びやかに午後を楽しんでいた。



事の始めは、エーダリアがその日に会う予定だったザルツの伯爵が急に熱を出したからで、代理の者を立てて話し合うには少し注意を要する内容であったので、急遽会談が延期になった。


その会談が紛糾することも見込み、リーエンベルクではかなりの時間を空けていたそうで、全ての騎士達の予定も含め、今回のザルツの伯爵との件を優先させる形で調整をしていたらしい。

結果、他に急を要することなどもなく時間が空いてしまったのである。



「別件で呼び戻されたりすることがないよう、再三調整を重ねていたのですが………」



そう呟くヒルドは、微笑んではいるが目が笑っていない。


ネアは、これはもう、そのザルツの伯爵とやらはとても怒られてしまうのだろうと確信する。

病気とは言え、熱の原因はとても珍しいお酒を手に入れてしまい、その伯爵が我慢出来ずに飲んでしまったことに起因する。

その結果、そのお酒のあまりの強さに驚いた体が高熱で抵抗してしまったのだから、今回の体調管理は自己責任でもあるとして結果やはり叱られるのだろう。


コッツという名前のお酒だったそうなので、ネアはその効果知っているぞよと寝込んだ伯爵を悲しく思う。


だが、夢のように美しい妖精の水浴び姿を拝謁出来た人間は、その憐れな伯爵の不幸を心の中で称賛してしまうという身勝手な衝動にあっさり負けた。



(ヒルドさんとプール!!)



一緒に海遊びをしたことはあるが、やはりヒルドの持つ色彩や美しさの特性上、このように、窓の向こうにゆったりと茂る見事な木々や、森を彩る花々を背景にした水辺程似合うものはない。

宝石を削ったような優美な羽を伸ばし、綺麗な水に体を浸す時はそうするのだという長い髪をばさりと下した姿は、溜め息を吐きたくなるほどに美しい。


ザルツの伯爵への不満を呟いていても、憂鬱そうな瞳の影すら詩的に見えた。



「ネア様?」


ふっとこちらを見て微笑んだヒルドの素晴らしさに、ネアは荒ぶり弾みたくなった。

こんな美しい妖精が、家族を見るような優しい眼差しを見せてくれる幸せに、この際だから運命にも感謝を捧げておこう。



「ヒルドさんは、このような水辺の風景がとても似合うのですね。実はこっそり、雪の積もったリーエンベルクの庭園のヒルドさんと、薔薇の祝祭の時の影絵の中のヒルドさん、そして夏至祭の時のヒルドさんを同率一位にしていましたが、今日のヒルドさんも少し雰囲気が変わって素敵なのです!」

「おや、そのように褒めていただけると、ザルツ伯の不手際にも少しばかり寛容になれそうです」

「ヒルド…………」

「とは言え、次の日程の調整は優先的に。任せていたガーウィンとの調整も、その日までに規定に足りるだけの成果を上げさせましょう」



ネアには優しく微笑んでくれたヒルドは、やはりザルツの伯爵に手心を加えるつもりはなさそうだ。

エーダリアはとても遠い目をしていたが、そんなエーダリアはプール遊びはあまりしたことがなかったそうで、先程まで楽しそうに泳いでいた。



「それにしても、やはり水辺というものは心を和ませるのだな。海も良いが、私はやはりこのように湖を望む場所で泳ぐ方が好ましいようだ」

「エーダリア様は、海では泳ぐというよりも、波竜さんや海渡りさんを楽しむ方が良さそうですものね」

「ああ!今年も兄上があの島を開放してくれるらしい。その代り、何か興味深いものを拾ったら、少し分けてくれと話していた」


実は、ネア達は、ヴェンツェルからその後にも一度あの島を解放して貰っている。

その一度の権利をみんなで分かち合っても良かったのだが、満月の夜にディノと手を繋いでただ夜の砂浜をゆったりお散歩するという贅沢な使い方をさせて貰った。


そのような婚約者らしい時間を過ごしてみたかったのと、二人だけの時間でも特別なものを楽しみ、大事な魔物にやはり自分は特別なのだとしっかり実感して欲しかったのだ。


だから、その夜はネアも砂浜に蹲って埋まっているお宝の捜索をしたりはしなかった。

その分、夏に出かける時には沢山の宝探しをしよう。

次こそ波竜にだって会いたい。



「波打ち際での収穫は任せて下さい!!また、あの愛くるしい黄色ちびラッコに会いたいです……」

「ネアが浮気する……………」

「むぐぅ。私が海に帰したかったのですが、あの時はきちんと我慢したではないですか」



荒ぶるネアが魔物の腕にびしゃりと水をかけると、ディノは謎に恥じらってしまい、ご主人様が求婚すると頬を染めている。



「解せぬ」

「水の精霊達は、意中の相手に水をかけて求婚するそうですよ」



くすりと微笑んだヒルドにそう教えて貰って何となく理由は分かったが、ディノには、自分が魔物であることをどうか思い出して欲しい。


プール遊びに至り、エーダリアとヒルドは、ゆったりとした布を巻き付けたようなドレープが美しい、貴族の水着的なハーフパンツ風のウィーム水着に着替えていた。

エーダリアもヒルドも、着衣で感じるよりもしっかりとした体つきをしており、決して軟弱には見えない。

ネアは、エーダリアの背中にある刀傷のようなものを初めて知った。



「痛そうな傷ですが、魔術で消せなかったのですか?」


心配になってそう尋ねたネアに、エーダリアは少しだけ恥ずかしそうに治癒出来なかったのだと話してくれた。

かつて、ヴェルリアの王宮で暗殺されかけたことがあり、これは、その時に受けた傷なのだそうだ。

とは言えエーダリアはすぐに浴室に避難出来たのだが、気付く前にその火獣の爪で背中に傷を負ってしまったのだという。


「傷を残すまでもないほどに、浅い傷ではあったのだ。だが、爪先にあったのであろう呪いの術式に気付くのが遅れてな。どうして発動しなかったのか謎だが、危ういところだった。暫くしてから傷が消えなかったことで魔術洗浄を忘れていたことに気付いたのだ」

「傷を受けてすぐに、術式洗浄をするのは基本でしょうに」

「…………あの時は、………私を救ってくれた者が、戻ってくるのを待っていたのだ」



昔のことでもハラハラしてしまうのか、ぴしゃりと叱ったヒルドに苦笑してそう呟いたエーダリアに、ネア達は言葉の続きを静かに待つ。



柔らかなプールの水の光が頬に影を映し、ゆらゆらと瞳にも光の影を落としたエーダリアは、あらためて見ると、とても美しい男性である。

隣にいる妖精や、その奥にいるノアと同じ枠の中に並べられてしまうからこそ無害にさえ見えるものの、ネアは出会ったばかりの頃、この銀髪に鳶色の瞳をした美貌の元王子は、きっと只人ではなく悪い奴に違いないと警戒をした程であった。



「どなたかが、エーダリア様を助けてくれたのですね?」

「或いは、………私がそこにいることを気付かないまま、王宮の中で暴れていた獣を処分しただけなのかもしれない。だが、その翌日に、私を快く思っていなかったであろう貴族の一人が、屋敷の中で召喚魔術に失敗して自らが召喚した火獣に襲われて命を落としたと聞いた。………その獣は確かにあの日、私を襲っていた筈だったのだ………」



そう呟き、エーダリアは淡く微笑む。


小さな第二王子がその誰かが戻ってくるかもしれないと期待し待ち続けたのは、ウィームなどに由縁のある隠れた味方が、王宮にいるのではないかと考えたからだ。

そんな誰かと出会い、守ってくれて有難うと言いたいという儚い願いは、寄る辺ない小さな王子にとってのささやかな希望であった。



そして王子は、魔術洗浄をすることも忘れて夜が明けるまでずっと、その場に佇んでいたという。



「ヒルドの教えを得て視野を広げてからは、もしそのような者がいたとしても、決して名乗り出ることは出来なかったのだろうと理解した。…………それに、兄上が私に好意的になってくれた後のことであったからな。あの日、兄上は王宮にはいなかったが、誰かに密かに手をかけてくれるよう頼んでいてくれたのかもしれないとは思うのだが…」

「ありゃ。別に、第一王子に頼まれたからじゃないよ。あの頃は第一王子なんて大嫌いだったしね。………手を貸したのはさ、……うーん、何だろう。気分かな…………?因みに、魔術の効果を取っておいたのも僕だね」



伸びやかな声で穏やかにそう言われ、エーダリアは水飛沫が立つ程に勢いよく振り返った。

その視線の先に困ったように微笑んでいるのは、先程までふざけて水に潜っていたせいで、髪の毛をびしゃびしゃにしたノアだ。



「…………ノアベルト?」


低く、慎重にその名前を呼んだエーダリアに、ノアは淡く苦笑を深めて肩を竦める。



「ただの気紛れだったんだよ。あの頃の僕は酷いものだった。ヴェルリアの王族を苦しめるのが何より楽しかっただけで、人間は大嫌いだったからね。だから、誇れるような理由でエーダリアを助けた訳じゃない。でも、…………あの獣は火獣だったし、浴室に立て籠もっていた君はウィームの子供だったからね。何でかな。あの日はなぜか、見過ごせなかったんだよね」



だから言わなかったんだよと、ノアは笑う。

まっとうな人助けではなく、その場限りの気紛れのようなものだから、名乗り出るには貧弱過ぎる善行だったのだと。

しかし、そう言われたエーダリアは、目を瞠ったままふるふると首を振った。


ヒルドも知らなかったことなのか、呆然と目を瞠っていた。



「……………気紛れでも、何でも良かったのだ。………あの夜が私にはあった。それだけで良かった。あの時の私は、母上が亡くなっても私を嬲り殺したいと考え手を下す程の者達がいて、このような悪意があるのだと知り、それならばいっそという程の落胆があった。………だが、見知らぬ誰かが私を助けたのも事実なのだ。………それまでにも何度か、気付くか気付かない程の微かな守護や、耳を澄ましていないと聞こえない程の忠告を与えられたこともあった。だが、あの日程にはっきりと誰かに守られたと感じたことはない。………あの日があったからこそ私は、この生がただ暗く過酷なばかりのものではないと、そう思えたのだと思う」


熱くそう主張したエーダリアに、ヒルドも微笑んで頷く。


「ええ。あなたは、姿のない誰かに救われたことがあったと話しておいででしたね。そのような存在を感じるからこそ、自分は、自分を待っていてくれるかもしれない、ウィームに帰りたいのだと」

「ああ。だから、……………ノアベルト?」



そこで、ノアがじゃぼんと水に沈んでしまい、ネア達は顔を見合わせる。

ヒルドは微笑みを深くして、あれは照れているんですよと、困惑しているエーダリアの背中を優しく叩いた。



「ふむ。もしくは、目にゴミが入ったのかもしれませんね」

「目に、………何か入ってしまっただろうか?」


ネアの言葉の意味が分からず、エーダリアが首を傾げる。


「最近のノアは、家族というものが大好きなのです。エーダリア様の熱烈な言葉で、感動して泣いてしまったかもしれません」

「泣いて…………?」



そう聞いて心配になったのか、エーダリアはざぶざぶとそちらに行くと、沈んだままの塩の魔物を引き揚げにかかった。

やっぱり照れ臭かったのか、何とか誤魔化そうとしているノアに一緒に水に沈められたりしつつ、何だか楽しくなってしまったのかわいわい遊び始める。


とても無邪気で可愛いので、そのまま遊ぶがよいと、ネアは深く頷いておいた。




「…………ネイが、その救いの手を差し伸べた人物だとは思いませんでした」


そんな二人を見守りながら、ヒルドは柔らかく微笑む。

美しい羽をプールの水に浸し、ふわっと広げてきらきらとした水しぶきをたてたのは、ヒルドなりにも、その喜びを示す動きなのだろうか。



「エーダリア様が私に手を伸ばした時、そしてあの方が私を諦めずに解放したその時、私はあの方の心に火を灯した者に心から感謝したものです。………あの方がいなければ、私は、………恐らくもう生きてはいなかったでしょう」

「ヒルドさん…………」

「不思議なものですね。…………その者が今、私の友人でもある。こうして、共に暮らしてゆくことになるとは………」



その微笑みは、滲み落ちるような鮮やかで優しい色をしていて、ネアは思わずそんなヒルドに抱き付いてしまった。

ヒルドは驚いて目を丸くしていたが、何だかそうして静かな喜びを噛み締めているヒルドを、大事にぎゅっと抱き締めてやりたくなったのだ。



「あっ!ずるい!!」

「…………………ネアがヒルドに浮気する」


ヒルドは目を瞠って驚いたようにした後、ふわりと微笑んでネアの頭を撫でてくれたが、気付いた魔物達はすっかり荒ぶってしまうではないか。

ディノは慌ててネアを捕獲しに来るし、ノアは自分にもやるべきだと声高に主張してくる。



嘆き悲しんで頭をぐりぐりと擦り付けてくる魔物と、妹になるのだから兄には気軽に抱き付いて構わないと主張する魔物に囲まれて、感動の場面を邪魔されたネアが遠い目をしていると、奥の方に浮上したエーダリアと目が合った。

しかし、この騒ぎには関わりたくないのか、さっと目を逸らされてしまう。



「…………ノア、エーダリア様が拗ねましたよ?」

「ありゃ。仲間外れにしてないよ?」

「す、拗ねてない!なぜそのように解釈したのだ?!」

「それじゃあ、エーダリアもネアに抱き締めて貰おうよ。ただし、順番だから僕が先だよ?」

「それは遠慮させて貰おう。………ヒルドの方を見てみるといい」

「……………ありゃ。………え、えーと、ネア、僕はエーダリアと泳いで来ようかな。水着で抱き締めて貰うのは、また今度にしよう!」



ヒルドの眼差しに何を見たのか、じゃばじゃばとノアが逃げてゆき、ネアの側には、へばりついたままのいつもの魔物だけになる。


ヒルドはプールサイドでのんびりと読書をするようだ。

時折水を楽しみ、美味しい飲み物を飲み、優雅に本を読む。

まさにネアの憧れたプールの楽しみ方である。


しかしこちらには今、悲しげにへばりついてくる真珠色の髪をした美しい魔物がいるのであった。

この魔物を羽織ったまま、優雅に読書をするのは難しいだろう。

塩の魔物の転落物語を読んで以降、ディノはご主人様を自分から奪う読書には、とても敏感になっている。

腰紐で繋いでいてやらないと荒ぶってしまうので、プールサイドの読書にはとても向いていない。



「………さて。ディノ、少し泳ぐ練習をしましょうか?それとも、あちらの湖が見える方にいって、水に浮くマットの上でごろごろしますか?」

「…………練習をしようか」

「ふふ。では、この前のおさらいから始めましょうね」

「うん。……………また手を繋ぐのかな?」

「バタ足の練習の時は繋ぎましょうね。それとも、壁に掴まる方がいいですか?」

「……………ネアが正面にいると危ないから、壁にするよ」

「あら、手を離してしまったりはしませんよ?」

「……………虐待」

「なぜなのだ…………」



決して虐待はないと信じる人間が注意深く聞き取り調査をしてみると、魔物は正面で手を握っていてくれるご主人様が近過ぎて落ち着かないのだそうだ。

であれば先程の羽織りものは何なのだと言いたいところだが、魔物には魔物なりの拘りがあるらしい。

水着のご主人様には、正面から近付く際の上限の距離が厳しく設定されているのだとか。



「なぞめいていますね」

「だから、ヒルドに抱き付くときには水着ではない時にしようか」

「ヒルドさんもびっくりさせてしまったので、少し反省したのですが、あの時は優しく微笑んでくれたヒルドさんを抱き締めてあげたくなったのです」

「………………ずるい」

「自分にはしてくれないと寂しくなってしまったのなら、ディノも抱き締めてあげましょうか?」

「ネアが虐待する…………」

「解せぬ」



穏やかな午後は続いた。



エーダリアは、奥で泳ぎを例題にして、様々な魔術の効果や、細やかに丁寧に魔術の表面を整える方法をノアから伝授されていた。

なぜかノアは、エーダリアには決して大技のようなものを教えたりはしないのだが、その代わりにこうしてちょっとした工夫で仕上がりが変わるようなものは嬉しそうに教えている。



(エーダリア様は優秀な魔術師だから、あまり大技を教えてしまうと手を離すようで寂しいのかしら………?)



そんなことを考えて微笑ましく思っていると、何か失敗したのか、エーダリアが水の表面を爆発させた。

声を上げて笑っているノアと、慌てて自分の手を見て何が失敗したのだろうと再確認に入る生真面目なエーダリアに、本から顔を上げてそちらを見たヒルドが微笑んでいる。



「ネア、この前より泳げるようになったよ」

「しかし、ディノは息継ぎを放棄しましたね。そのままだと、泳げる距離に限界が出てくるような気がします………」

「息継ぎは、…………まだいいかな」

「あらあら………。でも、今の距離の倍くらいまでであれば、息継ぎなしで泳げそうな気もするので、まずは泳ぐことの方を優先させましょうか」

「もう、アルテアよりは泳げるかな…………」

「むむ。アルテアさんは、もう少し長く泳げるような気がします。でも、ディノは始めたばかりなので、すぐに追いつけますよ。ただ、ディノがすいすい泳げるようになってしまうと、水泳の先生をしているご主人様は少しだけ寂しいですね」

「かわいい。………ずるい」


狡猾な人間は、アルテアは七メートルの何倍も泳げるのだと明言することは避けた。

更に、生徒離れ出来ない先生であることもアピールしておき、万が一ディノがこれ以上距離を伸ばせなかったとしても落ち込んでしまわないように、狡猾に手を回しておく。



やがて、みんなで思い思いにプールを楽しんでいる内に、遅めのお昼を食べる時間になった。



実は今日は、ザルツで昼食も済ませてくるつもりであったエーダリア達に合わせ、ネアとディノも厨房で簡単な昼食を作ってしまうつもりだったのだ。


なので、まずはプールでのんびり遊び、何もない穏やかな午後らしく、遅めの昼食をみんなでプールサイドで食べることにした。

こういう時、魔術でしゅぱっと水気を切れるのは、何と便利なことだろう。



「さて、そろそろ昼食にしましょうか」


そう立ち上がったヒルドに、お腹が減ったなと思い始めていたネアも、慌ててプールから上がる。


ムグリス姿では水陸両用であることを自慢する魔物は、真珠色のムグリスになってぷかぷかとムグリス用プールに浮かんでちびこい三つ編みをしゃきんとさせていたところだ。

人型に戻って貰っても、思いのままに水に浮かんでいた感動が冷めやらぬのか、誇らしげに目を輝かせている。



「ほわ、いい匂いですね」

「たまには、このような昼食もいいものだな」

「エーダリア様、今度、影絵の中にあるお庭でピクニックもしませんか?」

「ああ。良いかもしれないな」



ヒルドが臨時のお食事用テーブルに広げてくれたのは、リーエンベルクの厨房から現れた素敵な作り置きのお料理と、夜の準備をしていた料理人がその場でささっと焼いてくれたほくほく焼きフェンネルだ。

グリルしただけの焼きフェンネルにリーエンベルク特製のマヨネーズをかけたもの、香草の香りとピリッと辛いのが癖になる青唐辛子をきかせた豚肉のテリーヌ、表面を美味しくかりっと焼き上げたパンは仄かに甘みがあって、中は驚く程柔らかいのが堪らなく美味しい。


可憐な花柄のテーブルクロスを敷き、その上にバスケットを広げる。

魔術でふわんと現れるお皿に、もう少し重めにどすんと出現する冷たい紅茶をなみなみと蓄えた大きな水差し。


とろとろの美味しいポテトスープも添えて、何だかいつもとは違う楽しい昼食会の始まりである。



「そして私からは、使い魔さん特製のフルーツタルトです!」

「わーお、また持ってきたのかぁ………。懐き過ぎじゃないかな」

「こちらのタルトは、ドライフルーツを使った日保ちするものなので、納品時に三個納めてくれたんですよ」

「…………アルテアは、料理そのものがかなり好きなのだろうか?」

「計画を立てて完成させるまでが、思考や体の運びの良い訓練になるとお話しされていましたが、私が分析するに、実はかなりのお料理好きで、食べさせるのが大好きな家庭的な魔物さんなのです」

「家庭的だと、良い花嫁になるんだよね…………」

「む。ディノがなぜかしょんぼりしました…………」



ディノは相変わらず、アルテアが良い花嫁になってしまうことが悲しいようだ。

どこか悲しげな目をして三つ編みをそっとネアの膝の上に置くと、自分のお皿の上に分配されたテリーヌを見つめてネアの方を窺う。

一口大にカットしたものをご主人様のお皿に献上する、心優しい良い魔物だ。



「明日は、いよいよ火の慰霊祭か………」


食事をしながらそう呟いたエーダリアの気遣わし気な眼差しに、ノアは微笑んでもう大丈夫だよと頷いた。

すると、それは良かったとヒルドが晴れやかに微笑む。



「であれば今夜は、寝るまでボール遊びをする必要は、もうありませんね?」

「………………ええと、念の為にやった方がいいんじゃないかな?」

「しかし、もう大丈夫なのでは?」

「ネア!ヒルドはいつもこうやって僕を苛めるんだよ!」

「そういう時は、十五分だけでいいからと丁寧にお願いするのです。ボール遊びは、狐さんが思っているよりも重労働ですからね」

「十五分じゃ足りないよ。せめて二時間……………」



ネアの指定した時間の無常さにくしゃくしゃになったノアは、ヒルドに二時間は遊びたいと申し出ている。



「やれやれ、気紛れとは言え、あなたが幼かった頃のエーダリア様を救ってくれたとあれば、今夜ばかりは譲歩するしかありませんね」

「やった!新しいボールを買ったから、持っていくよ」



新しいボールという恐ろしい条件に身の危険を感じたのか、ヒルドは、食後には銀狐になった塩の魔物を、プールでたっぷりと遊んでやっていた。


沢山遊んで疲れさせるのが狙いだったようで、その夜の銀狐は、新しいボールで三十分程遊んで貰うと、ご機嫌でヒルドの部屋で眠ってしまったらしい。

そういう時は仕方なく寝台に上げてやるそうだが、中身は一応公爵の魔物なので、ヒルドはいつも複雑な思いを抱くのだとか。



朝方に仕事に出るヒルドに、幸せそうにぐうぐう寝ている銀狐を部屋にお届けされ、ネアはこんなにもみんなが家族になったのだなと、ほっこり胸を温めたのだった。










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