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新しい獣医と小海老のサンド



今年は冬の明けが遅れたウィームでも、春の風物詩が荒ぶる季節になってきた。



即ち、荒ぶる感情に身を委ね、高く鳴いて空を支配したい青雲雀の精霊に、優雅に鋭く鳴いて敵を追い払う為に空に舞い上がる黄雲雀の戦いが見られるようになったのだ。

大好物の蝶の魔物を追回し、春先に実をつける穀物を一掃する勢いで荒らしつくす青雲雀の傍らで、小食な黄雲雀達は羽を綺麗にしたり可愛らしく囀ったりしている。

しかし、この二種の雲雀が遭遇すると、同じ雲雀のくせに性格の不一致が顕著であることが我慢ならないのか、生息域もぴたりと重なる青色と黄色の雲雀達は大戦争を始めてしまうのだ。


結果、この時期のウィームでは、雲雀達の巻き起こすつむじ風に吹き飛ばされてゆく人々があちこちで見られる。

とは言え被害が出るばかりではなく、季節の楽しみとして雲雀料理も出回るので、何とも壮絶な光景だ。




ネア達は、そんな雲雀まみれな街を眺めながら、ゆったりとお散歩していた。

否、とある場所に向かって明確な意志を持ち、狡猾に歩を進めていたのである。



「雲雀の屋台がある隣で雲雀さん達が喧嘩をしているのが、何だか悲しい光景ですね」

「本人達がそこに巣をかけるなら、それでいいんじゃないか?」

「しかし、ご店主は満面の笑みでそんな雲雀さん達の姿を、販促に用いています。雲雀焼きは美味しいので、そんな世界の残酷さを感じながら齧るしかありません」

「そう言いながらも食うのかよ…………」


アルテアは呆れた様子だったが、今日は少しだけ元気がない。

髪の毛の変なはねも隠せず、ネアが持っていた髪紐でちび結びにしてやっていた。


魔物の第三席ともあろうものがこんなに弱っているのには理由があって、銀狐を予防接種に連れてゆくにあたり、その前日に白けもの姿で寛いでいたアルテアは、その獣も予防接種に連れてゆくぞとウィリアムに追い回されてしまったのである。

ウィリアムの前で擬態を解く訳にもいかずに死にもの狂いで逃げ回り、リーエンベルク近くにある禁足地の森の木の上で尻尾をけばだてて隠れていたが、途中で上手く替え玉の人形と入れ替わって逃げられたようだ。


その後のリーエンベルクでは、げっそりやつれたアルテアというたいへん珍しいものが見られた。



本日のアルテアは珍しい装いで、休日のお父さんスタイルである。

銀狐の毛がついてもすぐにわかる青みがかった灰色のリネンシャツに、質感を変えた同じ麻素材の白と紺のストライプのカジュアルなカーゴパンツ風の姿だ。

そんな、サスペンダーがお洒落な新たな装いを、ネアは心の中で予防接種対応スタイルと名付けていた。


ネアがそんなアルテアの装いではしゃいだので対抗してみたのか、今日のディノはポニーテール風である。

アルテアの髪を結んでいつもと違う雰囲気だとネアが口にしていたのを聞いてしまい、自分も違う装いにチャレンジするのだと荒ぶった結果だ。


そうして髪型を変えたことで本人も気分が高揚したのか、ディノは少しだけ軍服みのある初めましての服装で隣を歩いている。


長い髪は三つ編みではないのでさらりと春風に揺れ、きゅっと根元で縛ったリボンが華やかだ。

青みがかった灰色の髪をいつもよりワントーン明るくし、上着は装飾などを極力抑える代わりに素材の良さで目を惹くようなものにしたらしい。

柔らかだがしっかりと艶も張りもある美しい服地は水色がかった素敵なアイスグレーである。

アルテアの助言でシャツを少しだけカジュアルダウン出来るような素材にし、タイはなしにしたことで硬派な男性的な雰囲気を強めているのが素敵ではないか。


「いつものディノも大好きですが、時々こんなディノを見られると素敵ですね。今日のディノは少しだけウィリアムさんよりというか、高貴な軍人さんの休日のような感じで凛々しいです!」

「うん。………君が気に入ったのなら、またこういう服も着てみよう」

「ふふ、ほら、狐さんも届かないと分かっていても、ディノの髪が揺れるとついつい、びょいんと跳ねてしまうのですよ」

「まだ楽しんでいるようだね………」



昨日はあんなに白けものが予防接種で追い回されていたというのに、銀狐は今日になるとすっかりそのことを忘れてしまったようだ。

ウィリアムに狩られんばかりの勢いだった白けものを見送り、青ざめて震えていたノアはどこに行ってしまったのだろう。


春の麗らかな日のお散歩に張り切り、まだ冬毛の尻尾をぶりぶりと振り回して勇ましく歩きつつ、ディノの髪の毛が風に揺れるとじゃれついて飛び上がる。

このまま疲れてしまってくれば、少しは会場での暴れ方が弱まるだろうか。

そう考えていたネアだったが、現実はそんなに甘くなかったようだ。



不意に銀狐が立ち止ったのでどうしたのかなと思えば、荒ぶる狼を引き摺ってゆく老紳士が道の反対側にいるではないか。

細身といってもいいくらいの上品な紳士だったが、自分が乗れそうなくらいの大きさの狼をぐいぐいと引き摺ってゆく様は荒々しく頼もしい。


しかし、そんな光景を見て尻尾をしゅばっと立てた銀狐は、その直立した尻尾をへなへなと地面に落とすと、悲しげな目でネア達の方を振り返った。



「まぁ、お散歩が嫌になってしまいました?」


ネアがそう尋ねれば、地面に引き摺ったままの尻尾が力なくふりふりされる。

だがすぐにへなりと力を失ってしまい、疑いに瞠った瞳でこちらをじっと見た。


「では、抱っこしましょうか?」


ネアがそう尋ねると、てしてしと歩いて来てネアの爪先を両前足で踏んでいるので、抱っこがいいのだろうか。

ネアが手を伸ばして抱き上げてやると、少しだけ不安が薄れたのかネアの胸にぽふんと顔を埋めて現実から逃れることにしたようだ。


「よし、こっちに寄越せ」

「む。落ち着いたばかりなので、このまま前進しましょう」

「私が抱いてもいいけれど、………こちらには来ないのかい?」


そんな銀狐を今の内に拘束してしまおうとしたのか、魔物達が手を差し出したが、銀狐はちらりと視線をそちらに向けただけでぷいっと顔を背けた。


「おい……引き剥がすぞ」

「今日は他に大事なことがあるので、そちらの遂行を最優先にしましょう。狐さんとて賢い狐さんですので、そろそろ自分の心と向き合って戦う決心を固めたのかもしれません」


賢いも何も公爵の魔物なのだし、昨日の夜はアルテアが代わり身の術的な魔術で使った手法の、より効率的な魔術を提唱していたりした素晴らしい魔物なのだが、この姿になると最大の脅威は予防接種とボール禁止になってしまう。

ネアが、まだ冬毛なのが可愛いがそろそろ抜け毛の量も気になってきた銀狐を抱き、一ブロック程歩いたところで事件は起きた。


ムギーっと一声鳴いた銀狐が、ネアの腕の中から飛び降りて脱走しようとしたのである。

しかしながら、お散歩中でリードをつけていたので、ディノの持ったリードがびぃんと引っ張られただけだった。


「まぁ、逃げようとしてはいけませんよ?踊り狂って失踪するのは、狐さんだって嫌だと思うのです………」

「もういっそ、寝かしつけておいて運び込めばいいんじゃないのか?」

「他の魔術との相性が悪いといけないので、そういうことは禁止されているのですよ」

「会場を変えてみたのに、やはり気付いてしまうんだね………」

「良く考えろ。もう他の獣達の悲鳴が聞こえてきているだろうが」

「むむぅ。………それにしても、ディノから痛みを緩和出来る魔術をかけて貰ったのに、それでもまだ苦手なのはどうしてなのでしょう?」

「………………おい、それは構わないのか?」

「ええ。意識を失っていると問答無用で接種資格をなくされてしまいますが、獣医さんが気付かれないようなものであればかけられるので、ディノが、注射と相性の悪くないものを選んでかけてくれるのです」

「それなのに怖がってしまうのは、なぜだろうね。………ほら、すぐに終わってしまうものだから、逃げないで受けてしまおう」



ディノは、悲しい声で銀狐にそう話しかけている。

だが、当の銀狐はリードをぐいぐい引っ張って、お散歩に行きたくない犬のようにお尻を落として踏ん張っていた。



「なぜでしょうね。生命の持つ、根源的な恐怖心か何かでしょうか」

「そう言うからには、お前も苦手なんだな?」

「いえ、私はじっと患部を凝視していられる鋼の心の持ち主です!白けものはどうでしょうか?」

「ご主人様…………」

「…………そろそろ行くぞ」


そこでアルテアは、おもむろにムギーと踏ん張り続けていた銀狐をひょいっと抱き上げて、尻尾を振り回してのムギャムギャ大抗議を受ける。

換毛期に差し掛かりかけている冬毛がもわもわと舞い散り、アルテアは遠い目をして歩き始めた。



「お前、さては換毛期用のブラシを使ってないな?」

「むぐ。まだふわふわの毛が抜けていなかったので、普通のものでお手入れしていました。そろそろあの素敵なブラシの出番だったのですね………」

「アルテア、………その、本人の気持ちが整うまで、もう少し待った方がいいのではないかい?」

「そうすると、期間中ずっとごね続けるぞ」

「そうなんだね…………」



ディノは泣き叫ぶ銀狐が可哀想で堪らないのか、どうしてもアルテアの周りをうろうろしてしまう。

味方がいることに気付いた銀狐が涙目で助けてくれと訴えるものだから、いっそうに不憫さが募るようだ。

どんなに腕の中の銀狐が泣き喚いても、いっさいそちらを見ないアルテアとは対照的な光景である。




ネア達は、すぐにほど近い会場に到着した。

今年の春の予防接種の会場は、封印庫前の広場だ。

封印庫前の会場は実は二箇所あり、ネア達が選んだのは一昨年から開設された、若い獣医達の区画である。



過去の予防接種の記憶がない場所を選んであげたつもりだったが、大聖堂前よりも周囲の建物が少ないので、開放感がある分悲鳴を上げる獣達の声がよく響く。


リーナやゼベルが大聖堂前の会場を勧めたのは、あの周辺の方が気が散るようなものが多いからなのだなとネアはあらためて実感した。



とは言え、どちらにせよ大騒ぎするのであれば、こちらの会場の方が訪れやすい。

銀狐の普段の散歩コースに近いのだ。



そして、この会場には、もう一ついいところがあった。


獣医達によって取り組み方が違うのか、こちらには不思議な仮面を首の後ろにかけた青年がいて、その青年が患者達の振り分けを上手にしてくれる。

今迄の会場よりも、列の進みが早く感じられた。



その青年は、羊の角のある髑髏のお面はものものしく感じたが、整った顔立ちは端正であるし、かなり仕事が出来る御仁のようだ。

獣医でもあるのかてきぱきと会場を訪れる獣たちを振り分けては、素早く戻ってきて自分の列の予防接種を終えてゆく。


地面の石畳に敷いた青い絨毯と、飴色の木製診察台についてはもう一つの会場と同じものであるらしい。


こちらの診察台は六つで、その六本の行列の中で少しだけ離れた一番右端のものは、周囲に影響を及ぼしかねないくらいに大騒ぎする個体を隔離するものだ。

よって銀狐は、速やかにそちらの行列に並ばされることになった。



「向こうの会場とは少し違いますね。お医者さんの椅子もないようで、皆さん立ったまま注射を打っています」

「高階位の獣用の列と騒ぐ獣の列を一緒にしたのは正解だな。階位の高い獣が近くにいると、本来はどの獣も騒ぎ難い」

「………………まぁ、…………]


その説明にネアとディノが悲しい気持ちで泣き暴れている銀狐を見ると、アルテアがそんな銀狐を冷静に分析してくれた。


「お前達が甘やかし過ぎたからだろう。高位の生き物に慣れ過ぎだ」

「そ、…………そうですね」

「……………うん」


ネアはそんな鋭い考察を見せたアルテアの背中を優しく叩いてあげたくなったが、ここは澄ました顔で受け流さなければいけない。

何とか堪えてそう返答すると、ディノもふるふるしながら頷いてくれた。


(と言うか、中身が塩の魔物だからなので………)



アルテアはいつ知ってしまうのかなとネアが考えていると、ムギャムギャの大騒ぎがふっと途切れた。



銀狐も、ずっと泣き叫んでいる訳ではない。

時折電池が切れたようにぴたりと鳴き止み、虚無の表情を見せる僅かな時間がある。

以前、それを見たディノやゼノーシュが、自分が塩の魔物であることを思い出したものの、再び狐としての本能に飲み込まれるまでの僅かな時間なのではないかと話していたが、であれば少しでも長く自我を保って欲しいところだ。


ネアは祈るような気持でそんな静かな銀狐を見守っていたが、すぐにムギーと声を上げて再び荒れ狂い始めた。



「大丈夫なのかな………」


本当は塩の魔物な銀狐の狂態が不安になってしまうのか、ディノはアルテアの周囲をまたしてもおろおろと行ったり来たりする。

すると、そんな自分の味方を見付けた銀狐は、ディノの方を見て涙目で泣き叫ぶという負の連鎖なのだ。

相変わらず、アルテアは小脇に抱えた銀狐の方を決して見ようとしない。



やがて、十五分程も経つとネア達の順番がやってきた。



先程この列にネア達を誘導してくれた青年が立つ診察台にところに行き、飴色の木の天板の上に銀狐を乗せると、銀狐は最後の昂ぶりを周囲に誇示するべく、すうっと息を吸い込んで力いっぱいの悲鳴を上げようとした。



するとその瞬間、獣医の青年は、親指と人差し指で輪っかを作り、その輪をきゅっと閉じるようにして銀狐のお口を封じてしまうではないか。

むぐっと絶叫を封じられ、銀狐は呆然と目を丸くしたまま固まった。



すかさずアルテアが体を押さえたので、獣医の青年はそのまま銀狐のお尻にぷすりと注射針を刺してしまい、過去二回の大狂乱が嘘のような静かな幕引きとなった。


口を押えていた手が外されると、銀狐は目を丸くしたまま、事後ではあるが虐められたのなら怒りの大暴れをしてやるぞと不審そうに獣医の青年を見上げる。

しかし、尻尾をけばけばにして固まったところを見ると、どうやら相手の方が一枚も二枚も上手のようだ。


診察台の上で控えめにたしたしと地団駄を踏んだ後、可哀想になってしまったのかさっと手を伸ばして友達を救出に行ったディノの腕に飛び込むと、銀狐は涙目でじっとりとそちらを睨んでいる。



(凄い!手早いし、あんな注射の仕方が出来るからには腕も良さそうだし、この獣医さんは凄い!!)



証明書を書いて貰い、ネアは感動したまま、そんな凄腕獣医さんにぺこりと頭を下げた。



「狐さんの最後の大騒ぎを封じてくれて、有難うございました」

「…………早い方が怖がらないからな。それと、エーダリア様の首を守っているのは良いことだ」

「…………まぁ、狐さんをご存知なのですね」

「あの方を守るのであれば、注射は都度受けて貰いたい」



ぱっと顔を輝かせたネアに神妙に頷き、青年はそう締め括った。

結果、銀狐はいっそうにけばけばになったが、同じエーダリアを慕う者としての好意も抱いてしまうのか、尻尾の先だけがちんまりふりふりされている。



まだ背後から悲鳴や絶叫の追いかけてくる阿鼻叫喚の予防接種会場を抜けつつ、帰路に就いたネア達は、先程の獣医さんについて盛り上がる。



「あの素早さに驚きました。会場の整理と注射の両方をこなしておられるのは、手際が良いからなのでしょう」

「次の接種もこちらの会場だな」

「白けものさんも、あの方なら安心ですね!」

「やめろ」

「しかし、ウィリアムさんは、次こそはあの獣を捕まえるから一緒に行こうなと再戦を誓っていましたよ?」

「その時期には、あいつをリーエンベルクにいれるなよ」

「あらあら………」



そんなやり取りをするネア達の隣で、ディノの腕の中の銀狐は、最後の大暴れの機会を奪われて何だか釈然としないし、やはり世界は理不尽であるという暗い目で震えている。

そんな銀狐が可哀想でならないのか、ディノがそっと頭を撫でてやっては、ムギムギと狐語で悲しみを訴えられていた。



「それにしても、人間で終焉の系譜の魔術を使う魔術師は珍しいな」

「変わった魔術を持つ人間だったね。以前に見た時にも思ったけれど、特殊な魔術を代々継承してゆくような家の者なのだろう」

「…………先程の獣医さんのことでしょうか?」

「うん。彼は変わった魔術を使う魔術師のようだね。魔術師には色々な者達がいるけれど、あのように特定の血筋にしか扱えない魔術を持つ者がいるということは、良いことなんだよ」

「まぁ。となると、その魔術の恩恵のようなものが得られるのでしょうか?」


首を傾げたネアに、こちらを見たアルテアが頷いてくれる。


「特定の血筋の魔術が残るってことは、一定期間ごとにその魔術を必要とする機会があったということだからな。………終焉の系譜となると、疫病封じか死者の整理あたりか」

「あの人間は屍人使いだと思うよ。ウィリアムが排除していないことを考えると、収集家かな。このような土地だから、死者の持つ技術にも貴重なものが多いのだろう」

「収集家さん………?」

「特定の技術や情報を持っている者が突然死んでしまった場合に、死者の日以外に死者をこちらに呼び下ろせる魔術を持つ者が、依頼主の望む情報を収集してくれるんだ。職人の技術などのように研鑽を積まないといけないものは難しいけれど、簡単な情報を得たいのであれば有用な魔術だね」

「凄い魔術ではないですか!そんなことが出来るのであれば、行列の出来る魔術師さんになってしまいますね」



ネアはまた凄い魔術を知ってしまったと大興奮だったが、片方の眉を持ち上げたアルテアから、そう簡単な事ではないと教えられる。



「禁術の一つだ。広く用いられずに特定の一族にだけ残る魔術の多くは、それ相応の対価を必要とするからこそ、その厄を一つの一族に押し付けたものが起源であることが多い」

「…………となると、始まりはあまり良いものではないのですか?」

「だろうな。どれだけ稀有な魔術であれ、使い勝手がいい難解な魔術程、死に物狂いで欲しがる魔術師達が多い。そんな魔術師達の気質を踏まえて、広がらないものはそれなりに理由がある」


アルテアがこうして推論として知識を語るのは珍しいことであった。

ネアが首を傾げていると、近しい筈のウィリアムの系譜のものであるのに謎に包まれている理由について、ディノが触れてくれる。



「終焉の系譜の魔術は、どれも禁術が多いんだよ。ウィリアム自身も秘密を対価としてその魔術を残すことを赦している事が多い。アルテアが話したように、汎用性のあるものではなくても、そこまで考えが至らずに不特定多数の者達が扱うと、ラエタのようになってしまうからね」

「ウィリアムさんの領域のものは、……何というか、世界の均衡を整えるようなものが多そうですものね…………」

「そう。だから、ウィリアムは自身の系譜のものについては決して口外しない。系譜の者達だけで管理し続けているから、魔物達の中にも終焉の系譜の知識の蓄積がなく、こうしてその一端を担う者に出会って、その時に初めて知られるものも多い」

「それでもディノは、あの方を見てどのような魔術を使うのかが分かってしまうのですね?」

「終焉の系譜以外にそれを判別出来るのは、私と、心臓を持っていた頃のノアベルトだけだね。ノアベルトが今もそれを可能とするのかどうかは、聞いてみないと分からないな」



死者の国や鳥籠での仕事が大変であるということ以外で、ネアはあまりウィリアムの仕事について考えてみたことがなかった。

自由気儘に動いているアルテアとは違い、明確に死者の行列と呼ばれる系譜の者達の集まりがある以上、ウィリアムの周囲には様々な顔ぶれや規律がある筈ではないか。



(そして、人間の魔術師さんの中にも、ウィリアムさんの系譜の力を持つ人がいるのだわ………)



「仲良しだったりするのでしょうか?」

「どうだろう?ウィリアムは、系譜の者達と必要以上に懇意にすることはないんだ。その要素から、仕事の時以外に彼等が集まってしまうのは良くないことだし、ウィリアム自身も仕事以外でその属性に触れるのは好まないらしい」

「…………そう考えると、やはりウィリアムさんは、とても大変なお仕事を毎日してくれているのですね」

「そうだな、一度死者の行列の先頭にいるあいつを見てみろ。いつも笑ってるぞ」

「なぬ。それはきっと、格好良いに違いありません!!」

「は………?」

「ネアがウィリアムに浮気する…………」



ディノが少し荒ぶりかけたところで、残酷な運命に翻弄されたばかりなのに誰にも労って貰えなかった銀狐がムギーと暴れ出し、ネア達はそんな銀狐のお疲れ様会も兼ねて、市場のサンドイッチ屋さんで期間限定で売られている小海老のオープンサンドを食べにゆくことにした。



幸い、銀狐の換毛期はまだ本番ではないようで、荒ぶる狐を抱っこしたネア達の服が、お食事処に入れないくらいの状態ではなかったのだ。



賑わうウィームの市場にあるサンドイッチ屋さんでは、この時期になるとヴェルリアで水揚げ過多になる小海老が安く入ってくるそうで、ぷりっと塩茹でにした小海老をたくさん乗せたオープンサンドが販売されるようになる。


お店の自家製の美味しいタルタルソースをかけて食べると堪らないそうで、そんなお店の情報をゼノーシュから聞いていたネアが提案したのだ。



お店に着くと、銀狐が予防接種後だと知った店員さんが、涙目で悲しさをアピールした銀狐の為に専用の小海老サンドを作ってくれた。

通常のものよりも薄切りにしたパンで具材をくるっと包み、銀狐のお口で食べても中身が零れないような優しさに溢れた小海老サンドである。


みんなで小海老サンドを美味しくいただき、油が染みださないような加工をした素朴な茶色い紙袋いっぱいに入れてくれる、小海老の揚げ物も追加注文した。

やはり素朴なお料理が好きなのか、ディノはそれをたいそう気に入り、あつあつのものに、乾燥檸檬と胡椒とお塩をミルに入れてがりがり削ってかけて食べる美味しさに頬を緩めている。




夏にとある国で本場の小海老サンドを食べた時、ネアはこの日のことを思い出したものだ。

最後の大暴れがなかったので何か発散出来なかったものが残るのか、しつこく涙目でムギムギ言いながらも小海老サンドをばくばく食べていた銀狐は、とても可愛かったのだ。




なお、その後何度か、市場の小海老サンドを食べているエルトとその宝になったという男性を見かけた。


そこには、あの手袋専門店のオーナーが加わったり、巻角を持つ優雅な男性が一緒だったりする。

ヴェルリア生まれのエルトにとっては、小海老サンドは懐かしい故郷の味なのだろう。

そんなエルトの可愛さに心打たれたのか、エルトを引き取った商家がウィームへの海産物の物流ルートを強化し、小海老サンドが夏まで食べられるようになるのはその翌年のことである。





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