金貨の妖精と魔物の盃
その日、ネアは念願の妖精狩りに出掛けた。
そう記してしまうと、限りなく残虐な悪魔のような仕打ちだが、資産運用の為には心を鬼にしなければいけないこともある。
現在の貯蓄額を頭の中で数字にして置いておき、ここに祝福の分をかけてゆくのだが、こんな時にすぐに脳内で収穫の計算をしてしまう浅はかな人間は、既に口元が緩んでしまう。
そんな妖精狩りは、禁足地の森と市街地の境目である泉の側で決行される運びとなった。
雪が積もった木の根元には、季節外れの鈴蘭が咲いていて、魔術が潤沢に動いている大地では、このような光景が見られることもあるのだとか。
「ディノ、毛玉妖精さんを発見したら、すぐに報告して下さいね!」
「ネアが怖い………」
「当然ですよ。今回の狩りには、我々の生活もかかっていますから」
「……ネア。これから先で、お金で生活に困ることはないからね」
「でも、ゆとりがあれば生活に彩りが出ます」
「その彩りの部分も事足りるんだけどな……」
ディノは呆れているようだったが、ここは狩場なので真剣に戦って欲しい。
許された時間内で、どれだけのリズモを生け捕りにするかの勝負なのだ。
「………は!」
その時、少し先の木の下にふわりと毛玉めいたものが舞い降りた。
(来た!)
見聞の魔物の力を借りて、この位置を特定したのだ。
先行投資のクッキー缶の分の稼ぎがなければ、赤字になってしまう。
「逃すものですか!」
「ネア、走らないで」
一応水際の積雪地であるので、ディノは心配そうだったが、欲に駆られた乙女は、獣のように走り出すと、お手製の捕獲網を素早く振るった。
「ミッ!!」
小鳥のような声を上げて、リズモが網に引っかかっる。
捕獲するなり、待ち切れずにふわふわの毛玉を潰さないようにして鷲掴みにすると、ネアはリズモに優しくお願いをした。
「いですか、私に祝福を贈るのですよ」
「…ネア、それ思い切り怖がらせてるよ」
清浄な泉を楽しみに来たリズモは、突然身に降りかかった悲劇にぶるぶる震えている。
リズモを掴んだ人間は微笑んでいるが、目が全く笑っていないことに気付いたのだろう。
「ミィ……」
直後、ほわほわした金色の光が、ぽちりと弾けた。
リズモ的には、祝福などすぐに差し出すので生きて帰して欲しいというところだろう。
「いい子のリズモでしたので、解放してあげましょう!」
余程の恐怖だったのか、目にも止まらない速さで、最初のリズモが逃げてゆく。
残されたネアは、輝かんばかりの笑顔で、ディノに飛び付いた。
「これで一匹目です!」
「ものすごい手荒い狩り方でびっくりしたけど、可愛いからいいかな……」
抱きつかれたのが嬉しいらしく、ディノは残忍な狩りの女王を見逃すことにしたようだ。
「ヒルドも、君がこのような狩りをするとは思わなかったのだろうけれど……………」
ぽつりと呟いたディノの声を背後に、ネアは獣のごとく壮絶な戦いを繰り広げ、結果、十五匹のリズモが犠牲になった。
祝福をもぎ取られたリズモ達は、今夜は皆、巣の中で震えているに違いない。
リズモの巣が、水晶から紡いだ糸で出来ていると聞いたネアは、そちらにも少しだけ食指が動いたものの、流石に巣を襲うのは人道的ではないと判断した。
幾ら巣材が高価に取引きされるとは言え、家を奪うのは可哀想だ。
「ディノ、ディノ!見てみて下さい。私の、財産倍増能力は増えましたか?」
青灰色の髪をくしゃくしゃにしながら、ネアは極上の笑顔で審査を強請る。
ネアの魔術可動域は六なので、自分では、祝福がどれだけのものか判断出来ないのだ。
ディノは髪の毛のもつれを梳いてくれながら、やっと正気に戻ったご主人様に安堵した様子で、祝福具合を調べてくれた。
「うん、まぁまぁかな。あの妖精も命懸けで祝福したから、これから先はそれなりの恩恵が得られると思うよ」
聞けば、妖精の祝福には個体差があるらしく、ネアがもぎ取った十五の祝福の内訳は、以下のようになる。
十が豊穣の祝福。
二が財産の祝福。
そして達成と、残り二つが良縁の祝福。
その内訳を知ったネアは、呆然とした。
「金貨の妖精のくせに、財産の祝福が少ないのは何故なのでしょう……?」
「元々、この妖精の本領は収穫の守護だ。ごく稀に、商家などに育ったリズモだけが、財産の祝福を育てるんだよ。人間はそちらの祝福を好むから、金貨妖精と呼ばれるようになったのだろう」
「達成は、確かに金貨に繋がる才能ですが、良縁とは……。もしや、玉の輿でしょうか?」
「うん。そうだろうね。ネアには不要な祝福だけど」
「なぜ閉ざそうとするのだ……」
思った程に一攫千金にはならなかったが、この際、稀少な薬草などを育てるのもいいかもしれない。
そう考えかけて、ネアは自分が植物の生育に関して、非常に不向きだったことを思い出した。
大きな木などは問題ないのだが、小さな植物達とはどうも相性が悪い。
大雑把なのがいけないのかもしれないが、すぐに死んでしまうのだ。
(もしや、マイナスにかけてもマイナスとかそんな落とし穴……)
「ネア?」
なんとなく、むしゃくしゃしたので、ディノの背中にばすんと体当たりすれば、魔物は嬉しそうに微笑んだ。
「リズモ達は名札をつけるべきです!それぞれに、財産とか豊穣とか得意分野の主張をしていただければ、無駄な狩りなどしないのですよ………」
「そうすると、財産のリズモは絶滅してしまわないかい?」
そんなことを言われると、ネアの襲撃など可愛らしいものに思えるくらい、組織的な狩りの部隊が財産のリズモを一網打尽にする光景が浮かんだ。
想像なのだが、こちらの取り分が奪われるようで、妙に悔しくなる。
「他の方々に奪われると思うと、とても複雑な気持ちになるので、どうか捕まらずに健やかにいて欲しくなりました」
「君は、そんなに裕福になりたいのかい?」
ディノは、そう問いかけると不思議そうに眉を顰めた。
雪化粧の森とよく似た色なのに、ディノの持つ色は決して背景とは同化しないので、淡く光るような虹色の煌めきが美しい。
「基本的には、疲れない程度の備えがあれば十分です。でも、自分のお給金を、こうして自分で増やせるのがとても楽しいんです。きっと、この妖精の祝福という代物が、少しだけお手軽な手段なのが夢中になる要素なのでしょうね」
リノアールだって、あそこにある商品の全てを難なく買えたら色褪せて見えてしまうだろう。
頑張って働いたお金で、少しずつ買い集めるからこそ、きっと輝いて見えるのだ。
(手に入れられる頻度があまりにも低くても、疲れてしまうけど)
貧しいということは、とても疲れることだ。
しかし、それを知っていてもやはり、生活水準は中庸あたりが幸せだろうと思った。
王宮暮らしとは言え、ネアにとっての贅沢な常用嗜好品は、リノアールのクリームくらいなのだが、あと、もう二匹くらい財産のリズモを捕獲出来れば、そこに憧れの入浴剤も追加出来るかもしれない。
だが、そんなことを企んでいると、意外な真実が伝えられた。
「こんな風にリズモの群れに出会うことは、滅多にないからね」
「……そうなのですか?何匹もふわふわしていましたよ?」
「私はそこまで詳しくないけど、人間なら、生涯で二、三匹見かけるくらいじゃないかな」
「でも、ヒルドさんは是非に狩ってきたまえという雰囲気でしたが」
「多分、見かけたら幸運だから捕まえてみるといいってことを言おうとしたのではないかな」
リズモが出現するのは、かなり特定された期間と場所であるらしく、ヴェルクレア国内の、それもウィームに現れたこと自体が幸運なのだとか。
「だから、人間は高価な妖精の粉を買って、リズモを探しにいくものなんだ」
「………妖精の粉」
ふと、トラウマの扉が開きそうになって、ネアは密かに戦慄する。
「妖精の粉はね、妖精が幸福な時にしか落とさないものだから、それ自体が幸運の魔術を司るんだよ」
「………幸運」
であれば、ネアがこれまでに捕獲してきた妖精達に粉めいた様子がなかったのも納得だ。
ふと、先日指先に付着していた光るもののことを思い出す。
(と言うことは、ヒルドさんは本当に怒ってなかったのかな?)
「後は、誰かを呪うときにも落とすけれど、そちらのものの方が希少だろう」
「の、呪うときにも………」
希望は儚く砕け散り、ネアは、ディノを連れて大急ぎでリーエンベルクに戻った。
どっと疲れを感じたので、温かい飲み物が飲みたくなったのだ。
ちょっと泣きたい気持ちで帰宅を急いだ結果、不可抗力でディノのリードこと髪の毛を引っ張って歩いてしまい、無駄に魔物を喜ばせてしまった。
なお、そんな帰宅途中の茂みで、どんぐりの精のような不可思議な生き物に遭遇した。
どんぐりの精は、ネアと目が合うなり激しく震え出し、素早く土下座すると綺麗な硝子の盃を献上する。
狩りの女王への敬意と捉えて有り難く頂戴したところ、ディノはなぜだか悲しげな目をしていた。
「ネアが、また浮気した……」
「ディノ、よく見て下さい。こやつは、どんぐりです。確かにどんぐりの精のようですが、見た目は全力で木の実ですからね?」
「これは魔物だし、森の賢者だよ」
「………森の賢者?」
愕然として見下ろせば、やはり、雪に覆われた茂みの根元でどんぐりが震えているようにしか見えない。
そもそも、口に該当する部位が見当たらないが、これは喋れる魔物なのだろうか。
(魔物って何だろう………)
最終的には、この世界への疑問を深め、本日の妖精狩りは終了した。
どんぐりに貰った盃は綺麗だったので、いつか上等なお酒を注いでみようと思う。