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狐の魔物とちびふわの魔物




その日の朝、ネアはとんでもなく幸せな光景を目にして満面の笑顔を浮かべると、哀れな犠牲者たちを見捨てて離脱し、さっと扉の影に隠れた。


直後、廊下を向こうから歩いて来たヒルドに気付き、慌てて飛びかかると同じ扉の影に引き摺り込む。




「……………っ、ネア様……?」



さすがのヒルドで、いきなりの凶行にも比較的落ち着いて対応してくれた。

一瞬怒ってしまったのか羽は淡く光っているが、すかさず振り払って捻り上げようとした手を引きネアの背中を支えてくれると、驚いたように目を丸くしている。


そんなヒルドを押し倒した通り魔のネアは、異世界でも変わらない万国共通の仕草で唇に人差し指を当ててみせた。




「寝起きの狐さんが、寝起きのちびふわに出会ったのです!とうとう私の作戦が成就しました!!」



勿論声を潜めてのことではあるが、ネアが大興奮でそう説明すれば、体を起こしてから上に乗ったネアを慎重に床に降ろして立ち上がったヒルドは、ちらりと廊下の向こう側を確認して眉を持ち上げると、こちらを振り返った。




「……………あのちびふわは、アルテア様ですか?」

「はい。なぜか昨晩は勝手にやって来て泊まって行ったので、今朝方お部屋に忍び込み、ノアがくれたちびふわ符を貼り付けてしまったのです」

「……ネア様、アルテア様のお部屋に入られた時は、ディノ様もご一緒でしたか?」

「いえ。ディノはあんまりちびふわを愛でると荒ぶるので、一人でこっそり……」

「ネア様?」



ここでヒルドがすっかり怖いお母さんの目になってしまったので、寝ぼけたアルテアに狩られそうになったということは秘密にするしかない。

ひっくり返されてお腹を撫でられそうになったので、侵入者がもふもふだと勘違いしたのでなければ、案外見えないところでもふもふを愛でている可能性もある。



「ディノ様はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「………むぐ。今はお風呂に行っています。アルテアさんをちびふわにした後は、素早くお部屋に戻ってディノにおはようを言い、お風呂に送り出してから寝起きでまだ事態を飲み込めていないちびふわを回収しに行き、廊下でお腹を出して寝ていた狐さんの上にそっと設置してみたのです………」

「………また彼は、廊下で寝ていたのですね」

「…………む。と、隣にボールが落ちていたので、ボール遊びの途中で寝てしまったのだと思います」

「…………先週も、遊び疲れて廊下で寝ないようにと注意したばかりなのですが…………」



その時、ムギーという声が聞こえて来たのでネア達はぎょっとして廊下をの方を覗き込んだ。


すると、先程までは銀狐のふかふかのお腹に乗せられてけばけばになったちびふわと、目を覚まして固まった銀狐がいるばかりだったのだが、銀狐の頭の上に乗って銀狐をむしゃくしゃさせているちびふわの図になっているではないか。


ちびふわはけばけばしたまま、片足でたしたしと銀狐の頭を踏みつけている。



「……むむぅ。ちびふわが勝ちました。あわよくば、狐さんに勝っていただき、私の弟になるノアにアルテアさんが懐けば、そのままアルテアさんが末っ子になると企んだのですが………」

「…………アルテア様をご兄弟に?」

「終身雇用になった使い魔さんが弟とも上手くやってゆける方法を模索した結果、アルテアさんをノアの弟にしてしまえばと思い立ったのです。ディノから、もしかしたらノアの方が派生が早いかもと聞いていたので、いいかなと……」

「…………ネア様、それにはお二人の関わり方もありますので、一概に兄弟にしてしまえばというものでもありませんよ。近しいからこそ上手くいかないということもありますからね」

「ふぎゅう。アルテアさんに、姉だと威張れるので二度美味しいと思っていたのですが…………ぎゃ!!」

「ネア様?」



ネアはここで、ぱっと立ち上がると慌てて廊下の方に駆け出して行った。




「き、狐さん!!ちびふわを食べてはいけません。ぺっして下さい!!」



ネアが悲鳴のような声でそう懇願すれば、ちびふわの首根っこを咥えた銀狐が、首を傾げて振り返り、尻尾をふりふりする。



「ち、ちびふわ!!ちびふわは生きていますか?!」



ネアの悲痛な声に、咥えられてだらんとなったちびふわが、暗い目をしてこちらを見上げた。

すっかりけはけばになっており、うんざりだぜ的な表情を浮かべてはいるが、尻尾がブラシのようになっているので咥えられてかなり驚いたのだろう。

幸いにもまだ、親猫が子猫を咥えて運ぶような構図のままだ。



先程ネアが見たのは、頭を振って落ちて来たちびふわを、ぱくりと咥えた銀狐だったのだ。




「…………おやめなさい。それはボールではありませんよ?」



すぐに合流してくれたヒルドからもそう叱られると、銀狐は尻尾をけばけばにして首を振った。

お口にちびふわを咥えているのでくぐもった声でムギムギ鳴いているのだが、なぜか体を捻ってちびふわを咥えていることを隠そうとしている。



「…………狐さん!ボールならこっちにありますよ!」



ネアが、先程まで狐の隣に落ちていたボールを拾い上げ、さっと翳してみる。

しかし銀狐は、一瞬尻尾をふりふりしたものの、じりっと後退してゆくではないか。



(こ、これはまずい…………)



困り果てたネアは、縋るような目でヒルドを見上げる。

愚かな人間が策に溺れ、大切なものを失ってしまいかけているこの状況だが、きっとヒルドなら助けてくれるという救いを求める目であった。



「ヒルドさん、どうしましょう?!ちびふわが食べられてしまいます!!」

「弱りましたね。…………散歩に行きますか?」



その提案にも銀狐は尻尾をふりふりし、すぐにはっとしたようにじりっと後退する。



「…………フキュフ」

「ちびふわ!待っていて下さいね。すぐに助けますから……」



ちびふわアルテアが、打つ手なしの二人を見て恨めしげに小さく鳴いた時だった。

はっとしたように耳をぴーんと立てた銀狐が、ちびふわを自分の前足の間に下ろすと、舌でさりさりと甲斐甲斐しくその頭を舐め始めたではないか。



「き、狐さん………?」

「これは、…………親にでもなってるつもりのようですね」

「狐さんが、ちびふわのお母さんに…………」



呆然として見ていれば、しゃっと逃げ出そうとしたちびふわを前足でべしりと押さえ、またさりさりと舐めてやっている。

すっかり慈しみ深い聖母の眼差しなので、確かに子育てのつもりなのかもしれない。

前足で押さえつけられたちびふわは、目をまん丸にしてけばけばになっているのだが、銀狐はとても満足げだ。



「狐さんがとうとう、アルテアさんのお母さんに………」

「この場合は父親でしょうか。思いがけない面倒見の良さですね…………」



すっかり感心してしまった二人が狐の子育てを眺めていると、誰も助けてくれないことに荒ぶったちびふわが暴れ出した。



「フキュフ!!」

「まぁ、ちびふわ、お父さんの言うことを聞かない悪い子です」

「フキュフ!」


すると銀狐は、荒れ狂うちびふわの尻尾を前足で押さえたまま少しだけ自由に暴れさせておき、ちびふわがぜいぜいしたところでまたよいしょと抱え込み舐め始めた。


頭頂部を舐められ過ぎて、頭の毛がけばけばこわこわになったちびふわが、呆然としたまま長い垂れ耳をふるふるさせる。




「………フキュフ」


ちびこい前足をちょいっと出され、ネアは目を瞠った。


謂うところの、助けてのサインである。



「まぁ!愛くるしい抱っこの催促が…………!!」




勿論そんなあざとさに人間は容易く籠絡されてしまい、一度しゃがむと、銀狐をムギーと鳴かせながらネアは両手で固まったままのちびふわを取り返して抱っこした。

頭から首筋にかけてが、べっしょりと濡れているが、あまりのことに放心状態になっている以外は元気そうだ。


息子を奪われた銀狐はびょいんと足元で跳ねて抗議していたが、さっとヒルドに抱き上げられて耳元で何かを言われると、はっとしたように目をまん丸にして尻尾をけばけばにしている。

愕然とした眼差しでネアの手の中にいるちびふわを見ているので、ちびふわが我が子ではないことを、やっと思い出したのかもしれない。



「………ふむ。ちびふわと狐さんが出会うと、狐さんがお父さんになることが分かりました。ちびふわ、お父さんが出来て良かったですね!」

「……………フキュフ」

「む!べっしょり濡れているので、肩に登るのは許しませんよ。水ではないので、これから頭を洗ってあげますね」

「フキュフ…………」

「では、この狐は私が連れて行きましょう。いささか混迷の度合いが深いようですからね」

「はい。ヒルドさん、狐さんを宜しくお願いします」



目を丸くして尻尾をけばけばにしたまま固まった銀狐は、ヒルドに抱っこされて去って行き、ネアは舐められ過ぎてしまったちびふわを連れて浴室に行くことにした。


途中、慌てたように部屋から出てきたディノに出会う。




「ご主人様がまた逃げた……」

「あらあら、ここにいますよ?それとディノ、ちびふわが、ちびふわを我が子だと思った狐さんにたくさん舐められてしまってべっとりしているので、浴室で洗おうと思うのです」

「……………アルテアがまたちびふわになったんだね」

「新しい発見もありましたし、心が綺麗になるような微笑ましい光景でしたので、ディノにも見せてあげたかったです!」

「ノ………あの狐が、アルテアを?」

「はい。狐さんなお父さんは、とても面倒見が良かったんですよ!」


しかしながら現在、両手で抱き上げられだらんとしたままのちびふわはとても遠い目をしているので、ディノはそんな友人が不憫になったのか、自分が洗おうかと言ってくれた。



「いえ、ディノはお風呂から出て来たばかりでしょう?どうせなら私がお風呂に入りつつ洗ってしまうので…」

「ネア、それはアルテアなのだろう?」

「は!うっかり失念していました。一瞬、ちびふわとお風呂で遊ぶことしか考えていなかったです…………」

「アルテアが…………」

「まぁ、へなりとなってしまいましたね。驚かせてしまってごめんなさい。うっかりでしたが、私からのセクハラになってしまいましたね……」

「せくはら…………?」



ネアはたわしのようになってしまったちびふわを慌てて浴室に連れて行き、洗いやすいようにと浴槽の隣に小さな椅子を置いて作業場を整えてから、浴槽に浅めにお湯を張る。


お風呂場に常備してあったアヒル浮き輪もぽいっとお湯に浮かべ、まずは淡い水色の琺瑯の盥に入れたお湯にちびふわを投入し、香りのいいボディソープで丁寧に洗ってやった。


ちびふわは洗われ始めで正気に返ったのか慌てて逃げようとしていたが、程よい温度のお湯で丁寧に洗われることにふきゅんとなってしまい、後はもう、うっとりとしたままネアの手に身を委ねてくれる。



「アルテアが…………」

「ふふ、気持ち良さそうです」


最初は頭だけのつもりだったのだが、洗われるちびふわが可愛いので全身を洗ってしまった大雑把なネアに、隣で見ていたディノはなぜかしょんぼりしている。


お腹もお尻も、尻尾の先まで綺麗に洗い上げると、いい匂いのする白いちびふわの出来上がりだ。

ネアは、ふかふか尻尾だけリンスでさらつやにしておき、浴槽の方のアヒル浮き輪にすぽんとはめ込んでやった。



「フキュフ?!」

「ふふ、ちびふわのお気に入りの浮き輪ですよ」

「フキュフ!」



ちびふわは、建前上はこんなものでは遊ばないとアピールしたかったのか、一度だけフーッと威嚇してみたが、体を揺らしたことで浮き輪がぷかぷかと動いたのでミッとなって目を丸くしている。

少しだけ面白かったのか、また控えめにフーッとやってみて体を震わせることで動く浮き輪でこっそり遊び始めた。



「ネア、………アルテアはこれでいいのかな?」

「ええ。少しだけこんな風に遊んでいて貰いましょう。使い魔さんも、昨晩はとても疲れた目をしていましたから、何にも考えずに遊んだりする息抜きが必要ですからね」



ネアが微笑んでそう言えば、ディノは驚いたように目を瞠った。

朝の浴室の窓から差し込む陽光に、水紺色の瞳がきらきらと澄明な輝きを帯び、長い睫毛を揺らして小さく頷く。



「フキュフ…………」


こちらを見上げたちびふわも、ネアがそんなことを考えているのが意外だったのか、赤紫色の瞳を丸くして驚いていた。



「…………私達は、君を不安にさせているかい?」

「まぁ、どうしてそんな風に思ってしまうのでしょう?皆さんが残響さんの残したものを警戒してくれて、苦労して万が一の時の為に準備をしてくれていることを私は知っているのです。だから私は、そんな大事な方達に、少しだけ肩の力を抜く時間を持って欲しいのでした」

「ネア……………」

「………実は昨晩そんな風に息抜きでボール遊びをしてあげた狐さんが、今朝方、廊下でお腹を出して寝ていたのですが、その件に関しては、ヒルドさんには私がボール遊びの相手だと内緒にして下さいね?途中で狐さんを見失ったのでお部屋に帰ってしまったのです………」

「うん。………もしかして、今朝随分と早く起きていたのは、私にも何かをしてくれるからなのかい?」

「ふふ、悟られてしまったので告白しますが、お仕事がお休みの今日の朝食は、なんと私の手作りなのですよ!」

「ご主人様!!」



思いがけない手料理の訪れに、魔物は目を輝かせ嬉しそうに微笑んだ。

もじもじしながら頬を上気させて頷いたディノに、ネアは味としてはリーエンベルクの朝食より落ちてしまうけれど、パンとバターはみんなと同じだからと言っておく。



「君の料理が一番美味しいよ?」

「あら、ディノは、リーエンベルクのグヤーシュ大好きっ子なのにですか?」

「ご主人様…………」

「そしてディノは、アルテアさんのお料理も大好きですよね?」

「ご主人様の料理が一番…………」


魔物は首を振って必死にそう抵抗したが、ネアは微笑みを深めて頭を撫でてやった。

ご主人様としてはディノに好きなものが沢山あるだけで嬉しいのだと言ってやれば、まだ少しだけふるふるしたままこくりと頷く。



「でも、ディノにとっての手料理は、大好きという意味もあるのですよね?だから今朝の朝食は、大切な魔物を思った手作り朝食にしてみたのです」

「ずるい。ご主人様が可愛い…………」



そんな会話をしながら、ネアはお湯に手を入れてしゃばしゃばと水を揺らしてアヒル浮き輪を動かしてやっていた。


同じ冬の系譜に思えるが、ちびふわはムグリスとは違って熱に弱いということもなく、暖かいお湯が大好きだ。

元になった生き物が、渡りや冬眠をするような性質のものではないのだろう。



その後も少しだけちびふわをお風呂で遊んでやり、ネア達はリンス効果で尻尾がつやぴかなちびふわを連れて厨房に移動した。


ネアは当初、ちびふわ擬態を解いてアルテアにはリーエンベルクの朝食をと思っていたのだが、なぜかちびふわがへばりついて離れなかったのだ。



「むむぅ。ゼノがいたからアルテアさんの分の朝食が無駄にならずに済みましたが、困ったちびふわですねぇ………」

「アルテアなんて…………」

「そしてなぜか、元の姿に戻らなくなりました。たいへん愛くるしいので、定期的に撫でてしまうのです」

「アルテアなんて…………」



ディノは、ちびふわにもご主人様の手料理が振る舞われたことに少しだけ荒ぶったが、その代わりに後で好きなご褒美を一つ貰えると言われて、ご機嫌でとろとろスクランブルエッグを食べている。


トマトベースの野菜たっぷりなクリームスープはちびふわも気に入ったのか、小さなお口で荒々しく、がぶがぶと飲んでいた。



なお、白けものと同じ遊びが好きだろうかと考えた人間の手によって、ちびふわは食後に尻尾の付け根をこしこしされてしまい、大喜びでフッキュウフッキュウ鳴いて伸びてしまったので、のんびりと午前中を過ごせたようだ。



ディノはご主人様に飛び込みの儀式をして貰えたので、その日の昼食時には髪の毛を艶々にして、ご機嫌でみんなに自慢していたと報告しておこう。

対するネアは、か弱い人間の身で結局三回も飛び込みをする羽目になり、少しだけ体がぎしぎしする昼食となってしまう。



無事に人型に戻ったアルテアからは、謎に頬っぺたを摘まれる虐めを受けたので、そんな素直になれない使い魔には、毛皮の会の会長なウィリアムに寝ぼけてネアのお腹を撫でようとしたこと言いつけると宣言しておいた。



やはり隠れもふもふ好きだったらしく、そんな秘密を暴露されたアルテアは、会食堂にいたディノやノアからのじっとりとした眼差しを浴びて呆然と立ち尽くしていた。


とても恥ずかしがり屋さんなので、今度の毛皮の会の活動には連れて行ってあげようと思う。






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