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暴走水路と雲影の精霊



ウィームの西のはずれの小さな都市で、水路に暴走精霊が現れるので調伏して欲しいという依頼が入ったのは今月の初めのことだったらしい。



その都市の自警団がまずは対策にあたり、高位の精霊も絡んでいる異変だと、リーエンベルクとガレンに同時に報告が入った。

当初はダリルのところで下働きをしている水竜のエメルが解決に向かう予定だったのだが、体の弱い水竜は季節の変わり目ですっかり体調を崩してしまい、この世界ではあまり一般的な病ではないものの、ネア的には風邪ではなかろうかという症状で寝込んでしまった。



なので今日、この街に事態の収拾に訪れたのはネアとディノ、そして最新の運用を模索中で試験運用な使い魔ことアルテアと、既にちょっとだけ泣いているヨシュアであった。



「…………おい、何でこいつがいるんだ」

「どうも、暴走精霊さんは雲の系譜の方のようなのです。匿名の会から、リーエンベルクの騎士棟に密告があったようでして、助手として使うようにと縛られたヨシュアさんがリーエンベルクの門の前にお届けされた次第です」


ネアは、きっとエーダリアを盛り立てる会の会員の誰かがやってくれたのだろうと、有り難くその好意に甘えることにした。



「…………ヨシュアが縛られていた時点で、水路の精霊よりも問題だろうが。こいつはこれでも、白持ちの魔物だぞ?」

「どうやら身内の犯行のようですが、…」

「犯人は見てない………ふぇ。言ったら叱られる…………」

「この通り、ヨシュアさんの口が固いので、特定が出来ません。ご好意を有り難く頂戴する為に、こうして助手として同伴いただきました」

「…………お前は、その縛られた紐を解こうとは思わなかったんだな」

「む…………?」



ネアは現在、紐でぐるぐるに縛られたヨシュアを、リード代わりに使えるように伸びた紐の先を持って引っ張って歩いている。

すっかり怯えてしまったヨシュアはちょっと泣いているが、ネアの隣にいるディノがその扱いを羨ましがって拗ねているのを見て、果たしてこれはそんなに良い扱いなのだろうかと困惑もしているようだ。

なので大仰に泣いてしまうことも出来ず、ぐすぐすしているだけに留まっていた。



「ここが、問題の土地なのですね………」

「チューリップ畑のようだね………」

「他にも色々なお花畑があるのですが、主にこのあたりに出没する悪者のようです」



ネアは、紐を引っ張ってヨシュアを連行しながら、広大なチューリップ畑を見回して感嘆の溜め息を吐いた。


どこまでも広がるチューリップの畑に、昨年の戻り時の妖精の事件で訪れたチューリップ畑を思い出したが、そこよりも遥かに規模が広いようだ。

色とりどりの点になって揺れるチューリップの花を見ていると、仕事とは言え、春らしく弾んだ気持ちになる。



「このあたりは、ウィームの中では有名な花の産地なんだよ」

「まぁ、ディノも知っているのですか?」

「…………昔、知り合いを尋ねて来たことがあるんだ。ほら、土地の住人達の集落とは別に、あちこちに大きな屋敷が見えるだろう?」

「………むむ!あの山肌の方にも、立派なお屋敷がありますね。と言うことは、このあたりは別荘地のような場所でもあるのでしょうか?」

「景観だけじゃなく、花の魔術は魔術の質もいいからな。深い森や古くからある湖などの近くを好む者も多いが、こういう整えられたことで潤う土地を好む人外者もそれなりに多い」



アルテアがそう補足してくれて、ネアはよく見ればあちこちにある立派なお屋敷を目で追いながら頷いた。

かつてここには、ウィーム史で最も有名な花の魔術師の別荘もあったようで、エーヴァルト王は王に即位するまでをよく過ごしていた少年時代の隠れ家の一つとして、この土地を愛したのだという。



「チューリップなんて…」

「ヨシュアさん、こんな綺麗に咲いているチューリップに悪さをしたら、イーザさんに言いつけますよ!」

「ふええ…………」


残忍な人間に脅され、雲の魔物はじわっと涙目度合いを上げている。

そんなヨシュアの方を振り返れば、そちら側にはまた違う春の花を満開に咲かせた花畑が広がっていた。



この土地は一つの大きな街と、小規模だが花づくりに長けている小さな村の間にあたる。

正確にはここから少し離れた山間部にあるもう一つの街も加わり、三つの集落でこの広大な花畑を管理しているのだ。

だからこそこれだけ広大な花畑の管理が出来るのだろうとネアが感動していると、この花畑の維持を可能にした連携の工夫を、アルテアが教えてくれた。



「主に流通と加工を請け負っているのがロイダルだ。大型の公共転移門と、川や鉄道、様々な流通路を持っている。花の育成に関わるのがリーダル、この村には花の魔術師が多いな。元々花の魔術が生まれやすい土地の住人をエーヴァルトが指導したことで作られた、小さいが質のいい花の魔術師を育てる専門機関もある。土地の管理や天候の魔術で、育成に適した環境を管理するのがヘイデルだ。ここから少し離れた高地に花煉瓦造りの村がある」



加工や流通を司るロイダルが最も大きく裕福な都市になるが、ロイダルは利益を上手く他の村に還元しているそうだ。

ネアはその説明を聞いて、最近みつみつしたアイスクリームを食べた国のことを思い出した。


(何だろう。やはり、花を育てるという作業を得意とすることで、施策や気質が似るのかしら……?)



どうも、還元し分け合うということが、共通点となるらしい。



ウィームの場合では、大きな大学や医療施設などはロイダルにあり、リーダルとヘイデルにはそんなロイダルとの間を繋ぐ専用の魔術通路があって、その二つの村の住人に限り無料で利用することが出来る。


学生でなくても利用出来る大学の図書館などはとても人気で、仕事の合間や休日に図書館でのんびり過ごす魔術師達も多い。

ウィームでは、花の魔術や天候などの魔術を扱う者の人気は高く、そんな図書館で憧れの現役魔術師に知り合えるチャンスもあるとなれば、学生達もわざわざ遠方からロイダルの大学を選んで進学してくるのだそうだ。

花の魔術師達は人気がありあちこちに職を得てはいるものの、この土地のようにただ花に関わり、花の為だけに生きられる場所はそう多くはない。


ウィームの民に今も人気のあるエーヴァルト王が愛した花畑が残り、人間の領域だけで生活しながら、過不足なく花との暮らしを楽しめるこの土地への移住希望者は少なくはなく、後継者不足などとは無縁の賑わいを見せる土地でもあった。



「水路ということでしたので、てっきり街中にあるような排水用の水路を想像していたのですが、お花畑の中に巡らされている水路だったのですね………」


今回の仕事でネア達が見るのは、そんな広大な花畑の中にある給水用の水路であった。

勿論、天候管理の魔術師もいるので雨も程よく降らせることが出来るそうだが、元々、ウィームの住人は過剰に自然を変化させることは好まない。

時折、自然の采配で訪れる荒天の時の為に、この水路が作られたそうだ。



「花畑には妖精や精霊達も多く住んでいる。そいつらの生活の場でもあるんだろう」

「花畑に住む妖精さんだなんて、きっと素敵に違いありません!」

「ネア、あの黄色いチューリップのあたりが見えるかい?そこに、蝶のような生き物がいるだろう。あれは春の雨の妖精の一種だよ」

「……………むむ。蝶の羽を持った栗鼠さんのような生き物ですね」

「花の蜜を主食にしているそうだ。ただ触るととても濡れているから、気を付けるといい」

「なぬ。気を付けますね………確かに、べっしょり濡れているように見えます………」



アルテアが言うように、そしてディノが教えてくれたように、この広大な花畑には様々な生き物達が棲みついているようだ。


夜になるとあちこちがぽわぽわ光って壮観らしいのだが、中には子供を攫う悪い妖精もいる。

けれども、そんな人ならざる者達と長らく共存してきた人々は、だからと言って彼等を過剰に恐れることはない。

厄介な病気に悩む子供を特別な祝福で助けてくれたりするのもまた、そんな人ならざる者達であるからだ。



「ディノ、………あの奥の方で、しゅばっとなっているのが噂の精霊さんでしょうか………」



花畑を歩いていると、明らかに様子のおかしい一画がすぐに分かった。

ばさばさと花が揺れ、何かが高速で移動しているのが遠目でも確認出来る。



「あれのようだね。……確かに、花を薙ぎ倒しているから、この土地の管理者達は嫌がるだろう。………ヨシュア、彼等と話をしてくれるかい?」

「ほぇ…………」



ディノに縛られていた紐を解いて貰い、ヨシュアは頼りなげにネアを振り返った。

なぜかもぞもぞしていて行こうとしないので、ネアはこてんと首を傾げた。



「ヨシュアさん、………もしかして、一人で行くのが嫌なのですか?」

「僕は、知らない精霊とは話せないから、君が一緒に行くべきだと思うよ」

「あらあら、人見知りなのですね。でもこれは確かに私達のお仕事なのですから、私もご一緒しますね」

「おい、人払いをしたのは相手が精霊だからだ。ヨシュアを先頭にしておけよ」


ネアは微笑んで一緒に行こうとしたが、なぜか復帰したての使い魔に腕を掴まれてしまった。

そう言えば、精霊は荒ぶると厄介なのでと、花畑の作業員に退避して貰ったくらいなのだ。



「アルテアなんて、畑で転べばいいんだ………!」

「ほお、そんなに転びたいなら、いつでも手伝ってやるぞ?」

「む。………私の後ろに隠れましたね」

「アルテアは君の使い魔だから、君が叱ればいいと思う………」

「使い魔さんは立派に自立した魔物さんですし、私は放任主義ですので、当人同士で解決して下さいね」

「シルハーン、ネアが苛めるよ」

「ヨシュア、ネアから離れようか。羽織ものになってもいいのは、私だけだからね」

「ふぇ…………」



悲しくなってしまったらしい雲の魔物がまた所在なくうろうろしたので、ネアはちょいちょいと手招きしてやり、ディノの袖口に掴まるようにと手を添えてやった。

袖口をヨシュアに掴まれたディノは困惑していたが、ヨシュアは仲間外れ感が解消されたのかほっとしたようだ。



「それと、あのしゅばっと水路を暴走しているやつめが、こちらに向かっているような気がします。水路側に配置した使い魔さんで、対処出来るでしょうか」


ネアにそう言われ、淡い水色のスリーピース姿のアルテアは、小粋にかぶった帽子で微かに翳った目を細め、ヨシュアの方を見る。

砂色の髪に擬態したアルテアもそうだが、ディノやヨシュアも髪色や気配などを丁寧に擬態している。

そうしないと今度は、高位の魔物達の魔術が重複することで、影響が強過ぎて花が枯れてしまうのだ。


「そいつを水路に放り込んでおけばいいだろ。言っておくが、俺が今回同行したのは、お前の仕事を手伝う為じゃなく、お前がロイダルの花蜜の専門店に行きたいと言ったからだからな?」

「むむぅ。そうなると、ヨシュアさんには水路に入って貰うしか………」

「水路になんて入らないよ。あんな精霊なんて、ここから壊してしまえばいいのに」

「ところが、暴走精霊さんは複数いるようですので、一匹を捕まえて話を聞かないとこの問題の解決にはならないようなのです。なので、今回はヨシュアさんにも来て貰ったんですよ。まずは、あの近付いてきているものを私が捕獲しますね」

「ネア、私がやるから君は離れておいで。精霊だからあまり触れないようにしよう」

「ディノは大丈夫ですか?もしディノも触らない方が良ければ、ヨシュアさんを水路に設置するので言って下さいね」

「君は、もっと僕を大事にするべきだと思うよ!」



ネア達がわいわいしている間にも、花畑の向こうからぎゅんぎゅんと水路を暴走する何者かが、勢いよくこちらに迫って来るのが見えた。


あまりにも激しく水路を移動するので、巻き上がる風や水飛沫で水路沿いの花を駄目にしてしまう、とても悪い生き物なのである。

畑を管理する魔術師達が何度も捕まえようとしたのだが、その中の一人がもわもわする霧の塊のようなものを投げられて二日間意識不明になったこともあり、正式なルートで調伏依頼される案件となった。



水路沿いの花がしばばっと激しく揺れ、ネアの位置からも、こちらに向かう真っ直ぐなコースに入った精霊の姿が見えた。

爪先立ちになって水路の中に潜む精霊を見ようとしたネアを、ディノがひょいっと持ち上げてくれる。

なぜか系譜の最高位であるヨシュアがびゃっとなってディノの後ろに隠れてしまったからか、アルテアがうんざりした顔で溜め息を吐くのが見えた。



ネアがいよいよ遭遇の時かと息を詰めていると、ずばんと激しい水音がして水路の精霊は急停止したようだ。



「ほわ………。急停止しました」

「結界で覆って捕まえてあるよ。………ヨシュア、これなら怖くないだろう?」

「……………壊せばいいんじゃないかな」

「いけませんよ。どうして水路で暴走しているのかを聞いていただき、周囲の迷惑になる暴走をやめるように言って欲しいのです」

「………………ほぇ。あんな精霊なんて………あ、雲影の精霊だ…………」

「まぁ。雲影の精霊さんと言うのですね………」


それは果たして獰猛な生き物なのだろうかとネアが首を傾げると、ディノがその精霊について教えてくれた。

しかしその前にと、色を擬態した青灰色の三つ編みを、なぜかしっかりとネアの手の中に押し込んでくる。



「雲の影に生まれる精霊で、雲のような形をしたものだ。日陰の祝福を与えることが出来るから、砂漠の国の方では好まれる精霊だね」

「…………見えました。…………まぁ、愛くるしいおだんご毛玉なのですね…………」



捕獲場所に歩いて近付いてみれば、ブギーと鳴いて怒り狂っている雲影の精霊は、平べったく潰れた草色のおだんご毛玉のような姿をしていた。

雲のような形というか、潰れたおだんご毛玉にしか見えず、よく見れば、怒りに弾むとちびっとした尻尾があり、ぴょんと飛び出た三角の耳も見える。

怒りに燃えるつぶらな瞳は、怖いというよりも大変に愛くるしいではないか。



「ヨシュア、さっさとしろ」

「ふぇ。アルテアだって、そんな風に焦ってるってことは、怖いくせに………ぎゃあ!」



アルテアにステッキで小突かれながら、ヨシュアは渋々水路の方に近寄っていった。

すると怒り狂って閉じ込められた結界の中で弾んでいた雲影の精霊は、ぴたりとその動きを止め、如実にしまったという表情になった。


案外礼儀正しいところもあるのか、ヨシュアを見上げてぺこりとお辞儀をする。



「…………ブギ」

「………ここの水路で暴れるのは許さないよ。僕の言うことをきかないなら…」

「おだんご毛皮です!」

「ブギ………?」

「ネアが、変な生き物に浮気する………」


ヨシュアは冷やかな眼差しで雲影の精霊を威圧しようとしていたが、うっかり毛皮に目のない人間に割り込まれてしゅんとなってしまった。

ヨシュアを押しのけて毛皮の質を見定めようとする人間の鋭い眼差しで凝視された雲影の精霊は若干慄いていたが、こんなちっぽけな人間は怖くないと思ったのか、ブギギと小さく唸り声を上げてみたようだ。


さっと青ざめたヨシュアの横で、見知らぬ毛皮の威嚇を受けたネアは、にっこり微笑んで首飾りからきりんぬいぐるみを取り出そうとしたところで、後ろから使い魔に持ち上げられてしまい、そのまま撤収させられた。



「むが!身の程の知らずな毛皮だんごめを懲らしめるのです!」

「暴れている理由を聞くんじゃなかったのか」

「むぐぅ」

「あんな精霊なんて…………」


雲影の精霊が毛皮生物だとわかってネアに三つ編みを持たせたらしいディノは、ご主人様がぺっと魔物な乗り物を乗り捨てて、水路に毛皮生物を見に行ってしまったことが悲しかったようだ。

少しだけ荒ぶりながら、アルテアに撤去されたご主人様を回収しにきた。



水路の方からはブギブギ声が聞こえてくるので、ヨシュアは頑張って事情聴取をしているようだ。

ネアはそんな水路の方をとても威嚇している魔物に持ち上げられたまま、暫し、美しいチューリップ畑の中でヨシュアの戻りを待った。



さわさわとチューリップが風に揺れる。



今日は、雲間に青空が見えるくらいの曇りの一日で、どこまでも広がったチューリップの上に、さあっと雲の影が流れていくのが見えた。

遠くで跳ねたのは妖精だろうか。

雲雀の鳴き声も聞こえるので、どこかに巣を作っているのかもしれないし、場合によっては雲雀同士でまた戦っているのかもしれない。



「ネア、雲影の精霊は飼えないよ?もうアルテアがいるだろう?」

「おい、俺はペットじゃないぞ………」


ネアが遠くを見ているのを拗ねていると思ったのか、ディノがおずおずとそんなことを言ってきた。

おやっと目を瞠り、微笑んだネアは、不安そうにこちらを見ている魔物にごつんと頭突きしてやる。



「頭突き…………」

「ふふ、それで心配になってしまったのですね?水路を暴走する乱暴者を飼おうとはしていませんよ。ただ、愛くるしい系の生き物でしたので、近くで見てみたかったのです」

「………良かった。もし君が、あの生き物をアルテアと交換しようとしていたら、困ってしまうからね」

「あら、使い魔さんに戻ったばかりのアルテアさんを、おだんご毛皮と交換してしまったりはしないのです」

「おい、あの精霊と同等にするな。やめろ」

「でも、ちびふわよりは大きな毛皮生物ですよ?」

「あれは、術符の擬態効果であって、俺の本体じゃないだろうが」

「……………は!そう言えばそうでした………」

「おい…………」



ネアは最近、うっかりちびふわは素直なアルテアの化身のように考えていたが、どこかじっとりとした眼差しで指摘されて慌ててその認識を新たにした。

使い魔に戻ってきた魔物を構いたくなって、ティースプーンでお砂糖をあげてしまったりしないようにと自分に言い聞かせる。




「ネア。僕に感謝するといいよ」

「…………ヨシュアさんが戻ってきました!」



そこ戻ってきたのは、若干よれよれしているヨシュアだ。

水路の方からはブギーと声が上がっているので、雲影の精霊はそのままディノの結界に閉じ込められているままであるらしい。



「水路を一番早く泳げた者が、一族の新しい王になるらしいよ」

「なぬ。そのようなたいそうなご事情があったのですね?」

「僕だから聞けたんじゃないかな」

「ヨシュアさん、そんな凄い秘密を聞き出してくれて有難うございました。やはり、系譜の上位の方は凄いのですね」

「うん。もっと褒めていいよ。僕は偉大だからね!」

「よし。こいつはもう用無しだな?その辺に捨てていけ」

「ただ歩いてただけのアルテアより、ネアは僕を褒めると思う………」

「おい、聞こえてるぞ?」

「僕にはネアとシルハーンがいるから、アルテアなんかには負けないよ!」



わぁわぁとアルテアと喧嘩を始めてしまったヨシュアに、ネアとディノは顔を見合わせた。

最初、アルテアはあまり相手にしていなかったのだが、どこかの国にアルテアが出資している葡萄畑があるらしく、そこに土砂降りの雨を降らせてやると言ったヨシュアをステッキでべしりと叩いている。



「………雲影の精霊さんはどうしましょうか?」

「ヨシュアがこの場にいる間に、系譜の王の前で彼等の王を決めさせてしまってはどうだろう。このままやめさせることも出来るだろうけれど、王が不在にしているのであれば、それはあまり良いことではないからね」

「そういうことであれば、ヨシュアさんの前で御前試合のようにしてしまい、その一回で最後にすればいいのですね?」

「王になれる程の精霊の個体はそう数が多くない筈だよ。水路の幅を考えると一斉に競争させるのは難しいだろうから、時間の早さを競わせるといいのかな?」

「私の魔物はなんて優秀なんでしょう!そんな素敵な作戦があるのであれば、一緒にそれを試してくれますか?」

「ご主人様!」




かくして、ディノの発案により、ヨシュアの前で、雲影の精霊達の王を決める熾烈なレースが行われることになった。


スタート地点で精霊達がフライングをしないように見張る役目を任されたアルテアは若干目が死んでしまっていたが、自分が踏ん張らなければ早く終わらないと思ったのか、丸いおぼんサイズなおだんご毛皮こと、王様候補な今日までの死闘で絞り込まれた三匹を引き連れて、少し離れたスタート地点に移動してくれた。


アルテアがスタートを切り、その合図を魔術でこちらでも共有する形で、ヨシュアの前に雲影の精霊達が辿り着くまでの時間を計るのだ。




まず、最初の一匹が挑戦する。



「ブギー!!!」

「ほわ、もの凄い早さでした。しかし、あまりの暴走具合に、周囲も自分もびしゃびしゃになっているのです…………」


最初の一匹は黄色がかった草色の個体で、じゃばじゃばと水を跳ねあげてゴールを決める。

結界を張っているので届きはしなかったようだが、跳ね上がった水飛沫にヨシュアは渋い顔をしていた。

ディノはおだんご毛皮の暴走レースそのものが見ていて複雑なのか、少しだけふるふるしているので、ネアは可哀想になってそっと撫でてやる。




「ブギブギー!!!」


その次の個体は、茶色がかった草色の個体だ。

少しだけ他の二匹より尻尾が大きく、声が荒々しい割にはあまり早くない。

しかも頑張り過ぎて力尽きたのか、ゴールするなりぶくぶくと水路に沈んでしまったので、ネアが落ちていた棒きれにひっかけて救い出してやらねばならなかった。



「ブギ!」

「む。助けたのは私なのに、荒ぶって間に割り込んだディノに祝福を与えました。解せぬ」

「…………ご主人様」

「その祝福の賠償として、この後でアルテアさんに連れていって貰う花蜜のお店で、美味しい花蜜をひと瓶買ってくれますか?」

「勿論だよ、ご主人様!」


命を救われた二匹目の雲影の精霊の恩返しは、ディノ曰く夏場の日差しからほんの少しだけ守ってくれる効果だったらしい。

淑女にこそ必要な良い祝福であったので、そんな祝福を取られてしまったネアは、花蜜の瓶を買って貰うことで手打ちとする。



「ブギッ!!」


そうして最後にゴールしたのは、青みがかった草色の個体だ。

ネアの肌感では一番早かったように思うが、どうだろうとヨシュアの方を覗き込んだ。



「なぬ。寝てる……」


すると、よりにもよってヨシュアは魔術でぷかりと浮いたまま、すぅすぅと居眠りをしているではないか。

ネアはせっかくのレースを見逃した雲の魔物にばしりと一撃を加え、叩き起こしてやる。



「ほえ…………」

「ほえ、ではありません。やり直しのきかない最後の死闘を見逃しましたね?なお、この最後の子が一番早く、尚且つ水飛沫も少なかった優秀な泳ぎっぷりでした」

「…………じぁあ、それでいいよ」

「そんな風に投げやりに決めてしまうなんて!せっかくの御前試合なので、皆さんはヨシュアさんの前でいい結果を出そうと頑張ったのです。頑張った優勝者はしっかりと褒めてあげなければいけませんよ!」

「ふぇぇ。ネアが怖い…………」

「ヨシュア、私が見ていても最後の者が一番早かったようだ。王として認めるのであれば、きちんと系譜の者達と話をしておいで」

「うん。君が王でいいよ。僕は帰る。ぎゃあ!」


雑な労いにネアががすがすと地面を踏み鳴らすと、すっかり怯えてしまったヨシュアはめそめそしながら、頑張って王様らしく優勝者を褒めてやっていた。

ヨシュアに褒められた雲影の精霊はぷくぷく体を膨らませて喜んでいたが、他の二匹は険しい顔でヨシュアの行動を見張っている獰猛な人間の方をじーっと見ている。




「…………終わった。僕は働くのなんて大嫌いなんだ。もう帰る……………」

「うむ。最後はきちんと出来ましたね。やれば出来るではないですか」

「褒めるなら、幾らでも褒めて構わないよ!」

「はいはい。よく頑張りました」



さわさわと、今度は山の方から吹き降ろしてきた風が、チューリップ畑を揺らす。


王様に任命された雲影の精霊は、嬉しそうに弾んだ後、きりっとして青みがかった草色の毛皮をふくらませていた。

奮戦したものの敗れた二匹も荒ぶることはなく、そんな仲間の両脇を固めきりっとしている。

そしてなぜか、雲影の精霊達は最後にネアに向かって深く平伏した。



「む。……崇められました」

「おい。目を離した隙に、何でお前はまた余分を増やしてるんだ」

「そして、少しくしゃりとなった使い魔さんが戻ってきました……」



聞けば、スタート地点は荒ぶる毛皮が弾み回り、ついつい荒ぶるあまりにスタートの合図を聞き逃してしまいそうになるので、アルテアはそんな精霊達を順番になる度に水路に放り込まなければならなかったのだそうだ。

荒ぶる毛皮生物を鷲掴みにしては水路に投げ込む作業では、かなり疲弊したらしい。



ネアは使い魔復帰直後にそんな重労働を強いられたアルテアが不憫になったので、ロイダルの街で美味しいお茶を奢ってあげることにした。

すると、早く帰りたがっていたヨシュアまでもが僕にもその権利があるのだと暴れ出したので、ヨシュアにも奢ってあげることになる。



「ネア、君が奢ると魔術契約が結ばれてしまうから、ヨシュアには自分で払わせなくてはいけないよ」

「むぐ。それをすっかり忘れていました。ヨシュアさん、そういうことなので、ごめんなさい」

「ふえええ!!」

「ぎゃん泣きしました…………」

「ヨシュア…………」



その日、ロイダルのとある老舗喫茶店では、泣きじゃくる美麗なターバン姿の魔物を引き連れてやってきたお客に驚く店員達がいた。

人外者達の別荘地にも近いので高位の者の訪れは決して珍しくはないのだが、さすがに泣きじゃくる魔物の来店は初めてだったのだ。


なお、隣の駅の街で行われている変わったお祭りを紹介したことで、楽しいことが大好きなターバンの魔物を華麗に泣き止ませた可憐な少女の店員は、泣き止めばはっとする程に美しいターバンの魔物から褒めて貰い、その日は笑顔で帰路につけたそうだ。



もし、その日の彼女の行いに一つだけ重大な落ち度があったとすれば、そのお祭りが奇祭の一つであることを、ネア達に伝え損なったことだろう。











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