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252. 春告げの舞踏会が終わります(本編)




低く呻いたアルテアが何かを振り切るように息を吐き、次にじろりと一瞥したのはシェダーだった。



「で?お前はいつからこちらの領域に踏み込むようになったんだ?」

「踏み込むつもりはないが、彼女の守護者のことを考えれば、あの方の為にも戻り雪の領域に落ちることは望ましくない。だから彼女を上に引き上げたんだ。だが、君が無事に戻ったのであれば、俺はもうお役御免でいいだろう」

「その通りだな」

「シェダーさん、助けて下さって有難うございました!」

「いや、たまたま隣にいたからな」



淡く微笑むと、シェダーはダナエと何かを話してから、柔らかな灰色の髪を揺らして立ち去っていった。

ネアはふと、冬告げの舞踏会の時のようにその髪を隠していたりはしないのだなと考え、その差分の理由も不可解な、やはり少しだけミステリアスな魔物だと位置づける。


微笑んで見送っていると、アルテアにひょいっと持ち上げられて体の向きを変えられたネアは目を丸くした。


「…………俺がいない間に、誰かの皿から食べたりはしていないだろうな?」

「そんなことはしていませんよ!出会ったばかりのシェダーさんのお皿から、お料理を略奪したりはしないのです。…………むむ!」



そこでネアは、おもむろにぽわりと飛んでいた毛玉妖精を鷲掴みにし、近くにいた精霊達をぎょっとさせた。

ネアに掴まれた妖精はミーミー鳴いて怯えていたが、残虐な人間から解放して欲しいかをゆっくりと尋ねられると、しゅわしゅわする祝福のようなものを授けてきたので、手を開いて逃がしてやった。



「うむ。リズモに似ていただけあって、同じ方法で祝福を得られました。……むが?!」

「お前はいい加減自重しろ!」

「頬っぺたを摘むなど許されることではありませんよ!使い魔さんは……むむ、使い魔さんではない魔物さんなど、こうです!」


怒り狂った人間からばすんと体当たりされ、アルテアは静かに片方の眉を持ち上げる。


「ほお?俺は言った筈だぞ?お前はそれでいいんだな?」

「む?…………尻尾は結構です」

「何の話だよ」



そんなやり取りをしていると、ダナエがとあるお料理のお皿を丸ごと持ち上げているのが見え、ネアは慌ててアルテアの手を引っ張った。



「お、お料理が壊滅させられてしまいます!あの丸い揚げ物と、桜色のもちもちしたやつを食べなくては!」

「清々しいくらいに、食欲ばかりだな」

「なぬ。アルテアさんとだって、六曲近くも踊ったではないですか。なお、六曲目の始めでダンスが途中になったのは、アルテアさんがステップを間違えたからなので私に罪はありません。………むぐ!」


お皿から小さな串に刺した丸い揚げ物を取ったアルテアに、それをずぼっと口に突っ込まれたネアはもぐもぐしてから両手で頬を抑える。

マッシュしたジャガイモにチーズと甘辛く味付けした挽肉が入っており、とても美味しかったのだ。



「ほわ、美味しいです……。さくとろじゅわりで、中の餡のようなものが堪りません」

「そりゃ良かったな。…………おい」


ネアはアルテアがもう一本手に取ったので、くれるのかなと思ってぱくりと食べてしまった。

しかし渋面になられたので、それはアルテアが自分で食べようと思って取り上げたものだったらしい。

しかしながら、使い魔契約は解除したとは言え、暫定ネアの持ち物であるアルテアである。

序列としては上位にあたる人間は、もぐもぐしながら、良きに計らえと頷いておいた。



「…………いいか、お前は一度、祝福と食事について勉強し直せ」

「解せぬ」

「ネア、たくさん食べたから踊ろう」

「はい、ご一緒しますね。アルテアさん、ダナエさんと踊る約束をしたので、行ってきますね。バーレンさんを少しだけ宜しくお願いします。ダナエさん、このもちもちをお口に入れるので少しだけ待っていて下さい!」


隣で持ち上げたばかりの大皿のお料理を全て食べてしまったダナエが、くいくいとネアの腕を引っ張った。

見れば会場の中央の方では、またダンスが始まっている。


ネアは慌てて桜色のもちもちしたものお皿に乗せると、ぽいっとお口に入れた。

桜色の出所は謎なお餅の中には、梅のソースのようなものとカリカリしゃきしゃきを楽しませてくれる、揚げたお米のようなものと、細かく刻んだセロリが入っている。

目を瞬いたネアは、もう一つ口に放り込んで至福の溜め息を漏らした。



「…………は?」

「むぐふ。………アルテアさんが行方不明の間に、ダナエさんと踊る約束をしたんですよ」

「こいつの相手はどうした?まさか、また食ったのか……」

「ダナエさんが一緒に来たのは、バーレンさんなのです。お二人で踊るとなると、バーレンさんの精神にちょっとした負荷がかかるようですので、私が一緒に踊ることになりました」

「踊らせておけばいいだろう。…………なんだ?」

「アルテア、次のバルバにも棘牛はある?ないなら、持っていく」

「…………おい待て、何でやる前提なんだよ」

「棘牛タルタルもありますか?!」

「お前は弾むなと、何度言えば分かるんだ?」

「むぐぅ。タルタル…………」

「……………やめろ、爪先を踏むな。それは俺用じゃないだろうが。体当たりもやめろ。それから、首飾りから妙なものも出すな。………ったく、俺はもう使い魔でも何でもないんだぞ?」

「は!そう言えば思い出しました。使い魔枠が空いたので、新しい出会いに邁進出来るのです」

「やめろ。お前が捕まえる奴は、どうせろくでもないものだろうが」

「ダナエさんを勧誘するとバーレンさんが威嚇してしまいますし、よく考えればディノは竜さんを飼うのは反対なのです。竜さん以外………」



ネアが冷酷な狩人の目で会場を見回したからか、アルテアの声がぐっと低くなった。



「………成る程。お前は余程俺に躾けられたいようだな」

「竜は駄目なのかい?」

「ええ、ディノが荒ぶってしまうのです。大きくてお家に入らないからかもしれませんね」

「…………飼い主にはなってくれないんだね」

「ふふ、でもダナエさんとはお友達ですからね!」

「うん、ネアは友達だ」

「はい!…………む?アルテアさん?」



ネアが、そう言えばアルテアが何か話していたようだぞと振り返ったのは、目が合ったバーレンが慄いたようにアルテアを指差していたからだ。

振り返ったネアが見たのは、この上なく冷ややかな魔物らしい瞳をしたアルテアだった。



「…………空白があればあるだけ、お前はどうせそれを埋めるんだろうな」



妙に静かな声でそう言われ、ネアは微笑みを深める。



「ええ。飼いたいものがあるのは私の強欲さですが、助けになるものを備えておきたいのは、私に大事なものがあるからなのです。人間は向こう見ずで愚かですが、慎重でもありますからね。…………は!もうすぐ今の曲が終わりますね。アルテアさん、という事なので、一曲だけ出かけてきますね」

「……………ダナエ、曲が終わったら必ず俺のところに連れ帰れよ?でないと、バルバはなしだ」

「………!!………必ず、アルテアのところに連れて帰る」



バルバで脅されたダナエがこくりと頷くと、アルテアは深く息を吐いて、ネアを腕の中から出してくれた。

その際に身を屈めてネアの頬に口付けを落としたので、やはり少しばかり神経質になっているのかもしれない。


(心配してくれているのかしら………)


ここが異形の者達も多い不安定な場所であることは、ネアとてきちんと理解はしているのだ。



「アルテアさん、ちゃんと事故らず戻ってくるので安心して下さいね。悪いやつが出たら、アルテアさんを呼びますか?」


なので、連れて来てくれたアルテアを困らせないようにとそう尋ねたネアに、アルテアは驚いたように目を瞠った。



「……………ああ。必ず俺を呼べ」

「はい。では、行って来ますね」



ダナエが差し出した手を取り、ネアはふわりとドレスの裾を翻して美しい生き物達が集まる、会場の中心に向かった。

ダナエはアルテアよりも背が高く、その上で鹿の角に似た一本の白い角を持つので、殊更に大きく見える。

それでいて儚げで仄暗い美貌を持つ、ネアが大好きな美しい竜だ。


手を繋いで会場の真ん中まで行くと、近くにいた春宵の魔物がおやっと目を瞠る。

ネアは視界の端でそんな魔物の姿を捉えてはいたが、見えなかったことにしてあまり関わらないようにした。



「ダナエさんは、バーレンさんとすっかり仲良しになりましたね」

「うん。バーレンはいい竜だし、一緒に旅をするのは楽しい。この前、光竜の鱗を使った魔術書を見つけたけど、バーレンの知らない竜だったので少しだけ落ち込んでいた」

「あの白い傘さんのように、どこかにバーレンさんのご家族や知り合いがいたら、とても素敵ですね」

「そうしたら、その竜とも一緒に旅が出来る」



優しい目でそう微笑んだ春闇の竜は、やはり彼もまたどこかに孤独を抱いていたのだろう。


悪食で愛するものを全て食べてしまうダナエには、長らくこうして共に過ごすような相手はいなかったのだそうだ。

他の竜と親しくなっても、やはり悪食というものを本能的に恐れる傾向が強く、心が弱ってしまって離れていくらしい。

その点、種族的に上位にあたるバーレンは、ダナエを恐れはしない希少な竜であった。



音楽が流れ始め、ネアはそんなダナエと向き合ってステップを踏む。

アルテアのようにネアの負担を全部軽減してくれる訳ではないし、ウィリアムのように動き出した途端に抜群に上手いと感じる訳でもない。

それでも、ダナエのダンスもまた、高位のものらしく流麗で滑らかだ。



「…………ネア、スリジエとは知り合い?」


踊っていると、ふとダナエがそんなことを尋ねた。

目を瞠ったネアに、ダナエは少しだけ長命な竜らしい気遣わしげな眼差しをする。



「いいえ。去年の春告げの舞踏会でもお見かけはしましたが、お話ししたのは今回が初めてです」

「じゃあ、少し気を付けて。あの、………シェダーという魔物が、気にしていた」

「もしかして、先程ダナエさんにお話しされていたのは、そのことですか?」

「…………うん。ほら、やっぱりアルテアとも話しているね」



ダナエにそう言われ、ネアはターンでくるりと回される機会を生かしてそんな二人の姿を人波の向こうに見付けた。

近くには高位の魔物とお近付きになりたい雰囲気の参加者達もいたが、アルテアとシェダーは何やら厳しい眼差しで言葉を交わしている。



「談笑しているだけみたいだから、違うかな?」

「………いえ、アルテアさんのあの表情は、少し深刻そうですね。……でも、お会いしたことがない方なのに、どう気を付けたら…」



その時、視界の端にそんなスリジエの姿が見えて、ネアはぎくりとした。

するとダナエが淡く微笑んで、大丈夫だよと保証してくれる。



「私達の言葉は、スリジエには聞こえないよ。春闇の魔術は、こういう時に便利なんだ」

「まぁ!ダナエさんの魔術は、凄いのですね」

「スリジエよりは強いから」



またふわりとターンがあり、ダナエの美しい濃紺の髪が揺れる。



「あの魔物がね、スリジエがこちらに向かって来た時、バーレンではなくてネアを見ていたような気がするって」

「それは、お目当のバーレンさんのお相手かと警戒したのではなくて、でしょうか?」

「どうなのかな。私が入る時に、バーレンが連れなのは見ている筈だよ。でも、よく分からない。………アルテアがいれば安心かな」

「ええ、そうだとは思いますが、アルテアさんは事故度も高いのです。帰ったら、ディノに相談しておきますね」

「うん。それと、後で祝福をあげるよ。スリジエの魔術は幻惑や酩酊なんだ。私の魔術なら、同じ系譜で効果を弾くから」

「………ダナエさん、有難うございます」


ネアが思いがけず頼もしいダナエにお礼を言うと、ダナエは微笑んで友達は大事だからと言ってくれた。



「それに、ネアがバーレンを紹介してくれた。バーレンと旅をするのは、凄く楽しい」

「ふふ、バーレンさんもダナエさんが大好きなようですね。あの方はどこか寄る辺ない尖った部分がありましたが、今はすっかり伸び伸びと過ごされています」

「去年の秋くらいから、怒ったり拗ねたりもするようになったんだ」


そう呟くダナエは、まるでエーダリアやヒルドのことを語るノアのような眼差しをする。

少し慣れなくて、けれども嬉しくて、とても大切な友達を得たのだと、見ていて分かる眼差しにネアは胸の奥が暖かくなる。



「バーレンが食べたくない性別で良かった」

「ふふ、恋人さんだと食べてしまう可能性がありますものね」

「うん。この前も、気付いたら食べてた」

「なぬ………」

「バーレンに叱られたけれど、悲しいと言ったら、沢山の食べ物を持って来てくれた」



どこか自慢げに話しているダナエは、桜色の瞳を嬉しそうに煌めかせこの上なく美しい。

いつもは儚げで眠たげな眼差しでいて、そこにはやはり春の系譜らしい仄暗さも滲むのに、こうして微笑むと何とも無垢で優しい感じがする。


二人はあれこれお喋りしながら二曲踊り、ダナエはきちんとネアをアルテアの下へ送り届けてくれた。



「無事に戻りました!」

「…………二曲も踊る必要があったのか?」

「積もる話があったのです。…………ほわ」


そこでネアは身を屈めたダナエから、おでこに口付けを貰う。

目を細めたアルテアが言葉を発する前に、ダナエがその口付けの理由を言葉にしてくれた。


「お守り代わりに」

「ダナエさん、有難うございます」



ダナエの手が離れ、アルテアの手に引き渡される。

こちらは事故らなかったぞと自慢げに見上げたネアに、アルテアは無言でネアの鼻をびしりと指先で弾いた。



「むぐる……」

「………すぐに儀式となる。その前に、お前に一つ話しておくことがある」



また何か理由をつけて虐められるのだろうかと考えたネアに、アルテアはそんなことを言った。

静かで慎重な声音には、どこか魔物らしい背筋をぞわりとさせる重さがある。

仕返しをする為にアルテアの脇腹をつつこうと思っていたネアは、その手を引っ込めて大人しく聞く体勢を整えた。



「………音の壁を作ってあるが、あまり分かりやすく視線を動かすなよ?」

「スリジエさんのことでしょうか?」

「…………ああ。ダナエが話したか。お前といるとぼんやりしているようだが、あいつは本来、最高位に近しい冷酷な竜だからな………」

「狙われる理由が皆無なのですが…………」

「そんなものは気にしなくていい。その理由までをこちらで理解してやる必要はない」


(…………そうか。魔物さんは、そう考えるものなんだ…………)



そこで明確に線を引くからこそ、彼らは時に高慢にも、そして冷酷にも映るのだろうか。

けれども言われた内容は最もだったので、ネアはこくりと頷いた。



「不愉快ではあるが、ダナエの祝福は賢い選択だな。それもダナエは、祝福を贈る瞬間を上手く春闇で隠した」

「まぁ。隠されていたのは、さっぱり分かりませんでした……」

「形のないものを司る竜だ。その手のことには長けている。だからこそ、悪食としての狩りにも長けてるんだ」

「………ほわ、確かに狩りにはうってつけですね」

「だが、まだ足りないな」

「…………む。帰ってから、ディノに相談しても、でしょうか?」



ネアがそう言えば、アルテアはすっかり忘れていたことを思い出させてくれた。



「春告げの儀式を忘れたのか?小枝を渡されて、スリジエを咲かせる魔術を競う。つまりその間、お前の手の中には合法的にお前の魔術に触れるスリジエの一端がある。俺達と違い、お前は可動域が低くて侵食への認識が難しいだろう」

「…………むぐ。では、あの小枝はぽいして、春告げの女王になるのは諦めます」

「狙ってたのかよ………。だが、あの小枝は全員が受け取るものだ。この春告げの儀式の一環で、冬や秋の時のように、手を貸さないでも済む余興じゃない」

「…………そうなると、危険を承知で小枝を咲かせなければいけないのですか?」


不安になったのは、そもそも咲かせることすら不可能だと考えたからだ。

そこまでを見透かしたように呆れた溜め息を吐き、アルテアは眉を下げたネアの頬を指の背で撫で上げる。


「課されているのは、一度受け取るところまでだ。後は誰が咲かせても構わない。……とは言え、受け取りは避けられないからな」



そこで一度だけ言葉を切り、アルテアは静かにネアを見つめた。

目を瞠ってそんな選択の魔物の瞳を見返せば、そこに過ぎったのは微かな躊躇のようなものだろうか。


白い髪が柔らかな春の風に揺れ、はらはらと桜の雨が降る。



「…………繋ぎは多いに越したことはない。ネア、……もう一度、俺を使い魔にしろ」



ひたりと、胸の内に沈み込むような静かな静かな言葉に、ネアは詰めていた息を飲み込み、目を瞬いた。



「…………それは、アルテアさんにとって、不本意なことではないのですか?」



だからこそそう尋ねると、僅かだが苛立ったように眉を顰められる。



「手を切ったのはお前だ。言葉で成された契約や誓約は、言葉での明確な拒絶でその全ての繋ぎを断ち切られる。………それを問うなら、寧ろお前にだろう」

「…………む。その言い方だと、アルテアさんはもう、私のものでもないのですか?」

「あの夜のお前は、解雇という言葉の他に、立ち去るようにと言っただろう。あの言葉で全ての繋ぎが失われている。……やっぱり、気付いてなかったのか…………」

「ほわ……………」



そこまでのことになっていたとは知らなかったネアは、慌ててアルテアの袖をがしりと掴んだ。

この魔物はすぐに悪さをしてしまうが、美味しいパイを作ってくれるし、素敵な家作りを教えてくれるであろう、偉大なる白けものでちびふわでもあるのだ。

強欲な人間からすれば、決して失えない財産なのである。



「…………お前は、もう一度俺と契約をするつもりはあるのか?」

「も、勿論です!私の幸福の為にも、私の人生計画の為にも、アルテアさんは必要なのです!」



慌てたネアがそう言えば、アルテアははっとする程に深く微笑んだ。


それは深く艶やかで、まっとうな人間であれば躊躇いかねない程に、人ならざる者らしい暗闇の向こう側。


けれどもネアは、もし本当にそんな風に全ての契約が失われていたのであれば、それでも果実棒を作ってくれて、今日一日何かと世話を焼いてくれたこの魔物を知っているのだ。



(勿論、アルテアさんは良きものという訳ではないのだろう)



しかし、それもまたアルテアの側面の一つとして、ネアは親しい隣人の一人として、情深くも感じる彼と深く関わってきた。

時々悪さをしたり暴れたり、森に帰ったりもするが、ネアにとってはよく見知った魔物の一人なのである。



「だが、今回のことがなくても、お前はそう望めるのか?契約を交わすなら、それは今回限りのものにはならない。その場凌ぎだけならやめておけ。………お前なら、他の選択肢もあるだろう」

「悪い魔物さんがいなくても、アルテアさんの要素が失われるのは困るのです。……ですが、この契約が私に悪さをする為の用意であったり、またあのように泣かされてしまうのであれば、私も自壊願望はないのでそう望むべきではないのかもしれません」



また虐めるだろうかとじっとりとした目で見上げると、ふっと唇の端を持ち上げて苦笑された。

伸ばされた手が、ふわりと頭を撫でる。



「損なう為に従属に落ちる程、俺は物好きじゃないぞ?」

「鳥小屋………」

「……………悪かった」



あまりにもすとんと謝られ、ネアは目を丸くしてからこくりと頷く。

そして袖を掴んでいた手を移動させ、アルテアの手をわしっと掴んでみた。

この手は、素晴らしい料理を生み出す神の手なのである。



「では契約だ。……お前の言葉で俺を望め。俺が必要だと、使い魔になって欲しいと望めば、俺はそれに応えてやる」



恐らく意図的にネア達を隠すような位置に立ってくれているダナエの影で、アルテアは腰に手を回してネアをぐいと引き寄せると、睦言のように甘く囁く。


その暗さに怯みそうになりかけ、ネアは構って欲しい時にじっとりとした目でこちらを見ている白けものやちびふわを思い出した。


(これは多分、その種の暗さと鋭さでもあるのだ…………)



荒ぶりがちなディノだけでなく、ノアも時折、構ってくれないと不貞腐れて魔物らしい暗い目をすることがある。

それは噛み付きはしない魔物達なりの、不安や孤独を訴える為の唸り声のようなもなのだろう。

甘えて鳴く愛玩動物とは違い、この生き物達はこうして牙を剥いて唸ることがある。



「使い魔さんを得る為には、自分の領域に落し込むことが必要な筈なのですが、ここで大丈夫なのですか?」

「一時的にだが、お前の守護の要素を足元に広げてやっているからな」


そう言われたので、ネアは安心してその赤紫色の瞳を見上げた。


「…………アルテアさんには、今日からまた私のものになって欲しいですし、これからもずっと美味しいパイを作って欲しくて、仲良しでいたいです。また私の使い魔さんになってくれますか?」



ネアは、真っ直ぐに望むことを伝えてみた。

するとアルテアは、なぜか片手で目元を覆ってしまうではないか。



「……………むぐる。言わせておいて断る系の嫌がらせ行為なら、許しません」

「……………お前な……。契約で食べ物を強請るのは、求婚並みの要求だぞ?」

「むむ。………しかし、美味しいものをこれからも献上して欲しいので、この際世の中の定型はぽいしましょう。何しろ、アルテアさんは美味しいものを献上したい系の魔物さんですものね!」

「……………ったく」


小さくそう呟き、アルテアは目元を覆っていた片手を外すと、優雅な仕草でネアの顎に指をかけて上向かせ、唇にふわりと口付けを落とした。



「お前が死ぬまでは面倒を見てやる。その代わり、二度と契約の解除はするな。………いや、なしだ。それで誓約を完了とする」

「………なぬ。解雇の自由が失われております」

「当たり前だ。そもそも使い魔の契約は本来、終生のものしかないのが一般的だぞ。その契約を解除するのは、使えない使い魔を廃棄する為に殺す時くらいなものだ」

「……………そうなのですか?」

「………知らなかったのか」


どこか遠い目をするアルテアが少しだけ不憫になって、ネアはその腕をぽんぽんと叩いてやった。



(だから、アルテアさんを解雇したと話した時に、ディノ達があんなに怯えてしまったのだわ……………)



それならそうと、もっと早くに誰かに教えて欲しかったが、幸いにも大事故にはならなかったので良しとしよう。

まず間違いなく、ダリルは全てを知った上で焚きつけた確信犯である。




「さてと、………そろそろ、枝が配られ始めたな」



アルテアがそう言うと、ダナエが振り向いた。



「話せたかい?」

「ああ。………何だ?」

「また使い魔に戻ったんだね。………契約を結んだばかりの魔術の匂いがする」

「…………匂いで分かるのは、お前くらいだろうな」

「そうなのかな?」


匂いで何があったのかを理解してしまったダナエにアルテアは呆れた様子だったが、ネアは誓約の最中、盾になってくれていたダナエにきちんとお礼を言った。

一緒にいたバーレンは不思議そうな顔をしているので、こちらの動きには気付いていなかったらしい。



「また守って貰うことにしました。ダナエさんも、有難うございます」

「うん。ネアは小さくて幼いから、何かあったらみんなで守らないと」

「…………いや、何があっても一人で倒せそうな気もするが……」



バーレンばかりは、きりんの恐怖から過剰にネアの偉大さに恐れ入ってしまっているようだが、とは言えネアは決して事故知らずの豪傑ではない。


寧ろ危うい要素が多いからこそ、こうして心を傾けて力を貸してくれる隣人達が頼もしいのだ。



「…………と言うことは、もう安心してまた春告げの女王になっても良いのでしょうか?」

「お前の可動域で、咲かせられるならな」

「むぐ!そこは、使い魔さんが死力を尽くして満開にするべきなのでは……」

「何でだよ。それと、今年は変に目立つな。スリジエの力も主軸としている場で、一人だけに付与されるものは得ない方がいい」

「むぎゅう………。やり直しチケットがもう一枚欲しかったのに………」



ネアがそう呟くと、おやっと目を瞠ったダナエが内部情報をリークしてくれた。



「今年は違うものみたいだよ。………確か、好きな幻を好きなだけ見られる権利……?」

「ふむ。それもまた退廃的な感じで良いですね。春らしい感じがします。でも、それなら然程惜しくないので、一輪も咲かせられなくても世界を呪ったりはしません」

「何の説得力もない目だな………」

「むぐる…………」



暫くすると、去年と同じ羊の頭をした春告げの精霊の従者達が籠に入れた小枝を持ってきて配ってくれた。

ネアは少しだけ警戒しつつ、その中の一本を受け取りまじまじと眺める。


手の中の小枝は他のみんなのものと変わらずに見え、特に怖い要素はないように思えた。




「お花は、どうやって咲かせれば…………」

「ったく、貸してみろ」

「むぐ。私が蟻可動域だとばれないように、皆が感心するくらいには咲かせて下さい」

「三輪も咲けば充分だな」

「おのれ!悪い使い魔です!!」



ネアは三つしか花を咲かせて貰えずにじたばたしたが、ダナエも手を貸すと優勝候補にしてしまいかねないと、結局ネアの小枝はそのままにされた。


世界を呪う暗い眼差しでその小枝を持っていた人間に周囲はすっかり怯えていたが、幸いにもそんな獰猛な人間には悪さを出来ないと思ったのか、その後、特にスリジエからの介入や接触はないままだった。



今年の春告げの舞踏会の女王は、春宵の魔物のパートナーだった女性のようだ。

意外にも物静かな感じの眼鏡の女性で、そんな本命向きな女性を連れて来たなんてと、ネアは少しだけ春宵の魔物を見直してしまったくらいだ。



ダナエとバーレンは、またバルバの時にウィームに遊びに来てくれるらしい。

シェダーと姿を見れずにいた彼のパートナーとは出会えず、ネア達も無事に春告げの舞踏会から帰路に着く。




会場を出る前にネアは一度だけ振り返ったが、スリジエの魔物の姿はなく、ただ、満開の桜に囲まれた幻のように美しい春告げの舞踏会の会場が、舞い散る花びらの向こうに見えるばかりだった。





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