花畑のドレスと魔物のお作法
「はーい。今日も素晴らしいドレスをお届けに上がりましたよ!」
その日、リーエンベルクにやって来たのはシシィだった。
萌木色の髪と瞳を煌めかせ、柔らかいミモザ色のパンツスーツに春のあでやかさを感じる。
ドレスのお届はアーヘムになると聞いていたが、今回のドレスは渾身の作なので、是非に衣装合わせの場に同席したいとシシィは他の予定を二晩徹夜して縫い上げてしまい、今日のお届の運びとなったらしい。
「まぁ、シシィさん!今回もきっと素敵なドレスなんでしょうね。楽しみです!」
「んふっふっふ。楽しみにしていて下さいね。今夜は色々と…」
「シシィ?」
「堅物ヒルドはどうして毎回いるんでしょうねぇ。もしかして、ネア様のお着替えを見たいんですか?」
「おや、羽を捥がれたくなければ、少しは口を慎むように」
「あーやだやだ。これだから偏屈な妖精は」
シシィは不貞腐れたように唇を尖らせていたが、それも、優しい萌木色の革のトランクから、魔法のように素晴らしいドレスを取り出すまでであった。
「……………………ほわ」
ネアはそのドレスを広げられた途端に絶句してしまい、ドレスの裾を乗せて広げて貰った膝の上に忽然と現れた美しい花畑に呆然とする。
事前説明通りに、春の夜明けの霧のような儚げな灰色の透ける布をふんだんに使ったドレスだ。
菫色のアンダードレスを透かせば、淡く詩的な繊細さのある灰色のドレスは菫色の煌めきを仄かに帯びる。
ドレスの裾の部分からはその菫色の部分が覗き、踊る度にひらりひらりと美しい色を添えるのだろう。
膝下までを夜明けの花畑の中に立っているような刺繍を一周施されており、花畑の中を歩いたドレスの裾に花畑の光景が焼き付いてしまったといってもいいくらい、見事な刺繍ばかりである。
今迄のアーヘムの刺繍は単色のものばかりを見てきたが、この夜明けの霧にほわっと霞んだような優しい色使いといい、瑞々しい花びらの上の滴を表現した結晶石といい、額に入れて飾りたくなるような優しく素晴らしい色合いの写実的だが柔らかい刺繍にネアは夢中になった。
「夢中で見てくれるのは、仕立て妖精冥利に尽きますね!あえて華美になり過ぎる花を避け、野の花のような可憐で繊細なものばかりにしました。このドレスの清楚で夢見るような色合いと、この菫色と白、水色の花々で表現するのは無垢な少女の清らかさです。そしてここ!ここですよ!!この一輪だけ咲いた、赤紫色の薔薇の花で、心の中に色付いた大人の女性の色香を表現していますからね!!」
「………もう、着るよりも額に入れて飾りたいくらいで言葉が上手く発せません………」
「あらあら、まずは着て下さいまし。着てみたらびっくりしますよ!」
「この一輪の薔薇も、霧に霞んだような色合いで赤紫色が強過ぎないで繊細なのですね。…………ディノ、この綺麗な刺繍を見て下さい!!なんて素敵なんでしょうね」
ネアは振り返って魔物ともその感動を共有しようとしたが、なぜか魔物達はすでに長椅子の影に隠れてしまっているではないか。
まだ着てもいないのに大丈夫だろうかと首を傾げていると、長椅子に座ってこちらを見ていたウィリアムが、苦笑して教えてくれた。
なぜかウィリアムはちびふわのお仕置きの日からずっと、リーエンベルクに滞在しており、今日のこのドレスのお届けまではとちょっとした休暇を取っていたようだ。
仕事は大丈夫だろうかと心配したネアだったが、今はローンや系譜の人外者達がウィリアムの分も頑張っているらしい。
ウィリアム曰く、やっと何にもおいて優先するべきものがあるということが分ったということだったので、もしかしたらかなりの果実棒マニアだったのかもしれない。
「シルハーンとノアベルトは、背中が随分と開いているのが気になるみたいだな」
「む…………?確かに、しっかり開いていますね。襟ぐりも深いのですが、はらりと落ちてしまったりしません?」
「ええ、そこはシシィにお任せ下さいな。ネア様はお胸がありますからねぇ。そこで、むちむちぐいっと!」
「シシィ?」
「まったくもう、なんでこの堅物妖精は興を削ぐんでしょう!」
そこでネアはまず、納品された素晴らしいドレスを試着してみることにした。
いざ着てみようと思えば思ったよりも背中が開いているようだが、左右に大きく開いている訳ではないので下品な感じはしないのが秀逸である。
淡い淡い灰色が肌に馴染み、かなり下の方まで切れ込みがあるものの、その縁取りのレースの繊細さと、そのレースの部分が肌から浮かずにぺたりと吸い付くように肌に添う特殊な素材であることで、実際に着てみればなんとも可憐で上品なドレスだ。
「このぺたりと肌に吸い付くような効果が不思議です。レースを指でなぞっても、べたべたしていたりはしないのに………」
「それは、包装魔術の応用なんですよ。中身にしっかりと寄り添いますが、開くとき、つまりは脱ぐ時にははらりと落ちますので安心して下さいね」
「こうして着てみると、なんて儚げで詩的なんでしょう。………この裾の部分から覗く菫色が、はっと目を惹く色合わせでとっても素敵です!」
確かにこのドレスは、乙女のドレスと言われただけあり無垢な感じが際立つ。
しかし、実際に踊る者は、思ったより素肌率が高いことに驚くだろう。
つまりのところ、その他大勢の参加者達と実際のパートナーとで、見える印象が変わってくるドレスなのだ。
ネアも少しだけ背中の開きが深いかなとも思ったが、そう言えばアルテアは手袋の人である。
まぁいいかと思い、そんなことよりも中身が入って膨らんだスカートの刺繍の素晴らしさに夢中になった。
「見て下さい、ディノ。こうしてスカートが膨らむと、お花の朝露の表現で細やかな結晶石が…………。む、いない」
ドレスを着たネアが部屋に戻ると、なぜか一度は扉の前で待っていてくれた魔物達はびゃっと逃げ出していってしまった。
ノアはカーテンに包まってしまっているし、ディノは長椅子の後ろに隠れている。
ウィリアムは元の位置にいたが、なぜかその瞳は虚ろだ。
ヒルドまで無言になったので、ネアはむぐぐっと眉を寄せた。
「誰も感想を言ってくれないのです…………」
「男は馬鹿で単純ですからねぇ…………」
ネアが悲しい溜息を吐いたその時、ぱたんと扉が開いて、もう一人の観覧者が入ってきた。
「ネア、僕も入っていい?…………わぁ、ネアのドレス凄い綺麗だね」
「ゼノ!今回もやっぱり、ゼノが褒めてくれて嬉しいです!!」
「刺繍がすごくネアって感じがする」
「ふふ。こんな素敵な刺繍にそう言って貰えたら、私は暫く自信満々になってしまいますね」
そうすると、飛び入り参加のゼノーシュがそつなく褒めてしまい焦ったのか、長椅子の後ろやカーテンの後ろに隠れていた魔物達が戻ってきた。
わらわらと出ては来たものの、そちらを向くときゃっとなって及び腰になる。
「ディノ、このドレスはどうですか?」
「………………ずるい。可愛過ぎて…………ずるい」
「ネア、やっぱり当日は、アルテアの目は潰しておこうよ」
「なぬ。不用心なのでやめて下さい。なぜにそんな凄惨な事件になるのだ」
「………………ネア、そのドレスは、…………上に何か羽織るんだよな?」
「ウィリアムさん?………いえ、春のドレスなので羽織るようなことはないような………」
かなり深刻な面持ちでそう尋ねられたが、ネアが上には羽織らないと言うと、ウィリアムは両手で顔を覆って座ったまま項垂れてしまった。
まったく謎めいているので、ネアは首を傾げる。
そうすると、ふるふるしながら寄ってきたディノが、そっとネアの背中の方を覗き込み、びゃっとなっていた。
なお、視線を戻した途端に前面でもびゃっとなった挙句、またノアの隣まで逃げて行ってしまう。
「…………ディノ?」
「……………アルテアなんて」
「でも、一番に踊るのはディノですからね?」
「ネアが虐待する…………」
「解せぬ」
ネアは眉を寄せたまま胸元を見下ろした。
確かにオフショルダーなラインで両肩を出して胸元もしっかり開いているが、その代わりにぴったりと肌に添う柔らかな薄い生地で肘の少し上まで袖があるデザインなので、決して肌を見せ過ぎているという感じはしない。
ゆったりとした弧を描くような胸元は、少し深く刳れているものの、やはり肌との境界線が繊細なレースでぴったり肌に吸い付くので、アンダードレスの柔らかめなコルセットでドレスを着るラインがだらしなくならない程度に胸元を押し上げてていても、ドレスの縁が浮いてしまって危ういというような問題もないのが素敵だった。
前の春告げのドレスのような、特別な襟元の刺繍などはない。
繊細なレースはドレスの生地が淡く透けたような同色同素材のものであるし、袖の部分もシンプルだ。
けれど、だからこそ裾の部分の刺繍が映えるのであるし、そもそもこのけぶるようで感傷的な色合いの灰色は、ネアの瞳や髪の色にとてもよく似合った。
自画自賛になってしまうが、自分に合うと思える色合いのドレスを着ていると、自然に背筋が伸びる。
「ネア、髪の毛は降ろすんだよな?」
「ウィリアムさん?いえ、ふわっと結い上げて貰う予定なのです」
「…………そうか。…………ネア、当日もしアルテアに何かされたら、春告げの会場でも、俺を呼んでいいからな」
「むむぅ…………。こんな綺麗なドレスには、アルテアさんも悪さをしないと思うのです。しかしながら、このドレスを汚したりけなしたりしたら、私がまず踏み……当日は違う靴でしたので、きりんさんで滅ぼします!」
「……………ありゃ、背中の部分のレースには、少しだけ色が入ってるんだね。肌の縁が色付いているみたいで、かなり計算されてるなぁ………」
「着てみると、背中がばりんと出てしまっている感じはしなくて上品ですよね。この不思議なレースが、肌にぴったりするのが凄いのです。包装用の魔術を応用してあるそうで、着ているととっても動きやすいんですよ」
「……………ネア、ヒルドが正気に戻る前に、少し触っていい?」
「おや、私は正気を失ったりなどはしておりませんよ?」
「ごめんなさい…………」
ヒルドに睨まれたノアが離れてゆき、ネアの正面には目元を染めてふるふるしているディノだけが残った。
ネアが、さあ褒めてくれ給えという面持ちで両手を広げて見上げると、更に目元を染めてもじもじした後、頑張って背筋を伸ばしてくれた。
「…………とても綺麗だよ、ネア。………君の為のドレスではあるのだけれど、君そのもののドレスのようだ。………それから、すごく…………………虐待」
「むぐぅ。なぜ最後にその言葉がついてしまったのでしょう?」
「可愛い……………。アルテアなんて」
「ふふ。でも褒めてくれて有難うございます。ディノが褒めてくれるのが、一番嬉しいですから」
「ずるい…………………」
ここで魔物がくしゃりと床に沈んでしまったので、気を良くしたネアはノアとヒルドの方に自慢しに行った。
やっぱり触りたいと手を伸ばしたノアを叱るヒルドの目は厳しいが、なぜかあまりネアの方を見てくれない。
「ヒルドさん、アーヘムさんの刺繍が素晴らしいんですよ。この、小さな青いお花のところなんて……」
「ネア様、あまり屈まれませんよう…………」
「む。…………襟元が開いているようには見えるのですが、隙間は開かないという凄い仕様なんですよ!そして、この腰の部分のきゅっとなっているところに、ドレスの布と同色の糸でこんなに繊細な刺繍が入っていることに、今気付きました………」
「ネア、体を捻らないで…………」
「ノア……………?」
ネアは不可思議なことばかり言われてしまい、困惑したままシシィの方を振り返った。
こちらを見てにんまり微笑んでいるシシィは、ネアと目が合うと微笑みを深くして頷いてくれる。
ヒルド達はなぜか視線を微妙に逸らしてくるので、ネアはその足で今度はウィリアムの方にドレス自慢に出かけた。
ててっと小走りでそちらに近付くと、謎めいたことにそれだけで室内から呻き声が上がる。
小走り禁止ということなのかと眉を顰めて振り返ると、外客用の焼き菓子を食べていたゼノーシュが、可愛いから大丈夫だよと安心させてくれた。
「ウィリアムさん、シシィさんとアーヘムさんにこんな素敵なドレスを作っていただいたのです!」
「………………ああ。凄く似合ってる。………っ、ネア、弾むのだけはやめてくれ」
「まぁ。せっかくのドレスなのに、新しいドレスを着る喜びが溢れると子供っぽくなってしまうのでしょうか。当日は気を付けますね…………」
「ネア様!包装の魔術が効いているので、弾んでも溢れちゃったりはしませんから、安心して弾んで下さいまし!!」
「ふふ、そんなところまでお心遣いしてくれるなんて、シシィさんのドレスは魔法のドレスですね!」
「わーお。ものすごい思考誘導で言葉がすれ違ってるぞ…………」
向こうの方からノアの声が聞こえてきたが、ネアはやっとじっとドレスを見てくれているウィリアムに気を良くして、その前でくるりと回ってみせた。
しかし、そうするとウィリアムは、数歩後退してすとんと長椅子に座ってしまうではないか。
「すまない。限界だ…………」
「むむぅ。もう飽きてしまったようです。ディノ………」
「ネアが虐待する…………」
「しゃっきりして下さい!ウィリアムさんはドレスを自慢されるのは飽きてしまったみたいなので、ディノにもう一度自慢しに来ました。この後はまた踊ってくれる約束なので、まずは少しだけ生き返って下さいね」
ネアが両手を掴んでぐぐっと上に引っ張り上げて立たせると、ディノは澄んだ水紺色の瞳を揺らしてじっとネアを見下ろした。
また逃げて行ってしまうかなと思っていると、ネアの手をくいっと引っ張って綺麗にくるりと回してくれ、ふわっとドレスの裾を翻して元通りの姿に落ち着いたネアに、無言でひたと見入る。
けれどもう一度ドレスの背面の方に視線を向けると、ネアをくるっと裏返して後ろから羽織ものになって背中の部分を隠してしまった。
「羽織ものになりました………」
「ネアが勿体ないから、もうあまり他の者達には見せないようにしよう」
「まぁ、私はそうそう減りませんよ?」
「君は私のものだからね」
魔物らしい高慢な宣言であったが、どれだけ美しい声であってもべったりと羽織ものになりながら言われては威厳も何もない。
ネアはすっかり警戒心を剥き出しにしてしまった魔物の腕を撫でてやり、魔物を羽織ったままシシィに素晴らしいドレスのお礼を言った。
「シシィさん、今年の春告げの舞踏会も、こんな素敵なドレスを有難うございました。これを着て踊るのが楽しみです」
「うふふふ。まずは今夜、婚約者様とたっぷり踊って下さいまし。そうしてくっついていますと、色合いの馴染が素晴らしいですね。まるで溶け…」
「シシィ、そろそろ良いでしょう。たまたま帰り道ですので、門まで送りますよ」
今日もシシィは、ヒルドに引き摺られて退出となるようだ。
羽の付け根を掴まれて連れ出されてゆくシシィに手を振り、ネアは羽織ものな魔物をそっと見上げてみた。
目が合うとぎくりとしたように目元を染め、またきりっと魔物らしい艶麗な微笑みを浮かべ直してくれる。
じゃあねと手を振ったゼノーシュが慌ててそんなシシィとヒルドを追いかけていったので、もしかしたらゼノーシュも、何かシシィに仕立てを頼みたいものがあるのかもしれない。
「僕にはちょっと刺激が強かったから、この後はヒルドと衝撃を分かち合うよ……………」
「むぐぅ、ノアが謎めいています。少しドレスを着ただけでこんな風になってしまうということは、普段の私はどれだけ幼く見えているというのでしょう………」
「ありゃ。誤解させたけど、そうじゃないからね。そのドレスが激し過ぎるんだよ。………何ていうのかな。凄く無垢な感じがする清廉なドレスなのに、あちこちが無防備過ぎて持って帰りたくなるような…」
「ノアベルト?」
「…………あんな顔してるけど、ウィリアムもそう思ってるんじゃないかなぁ」
ネアはふと、子供の頃にあまりにも繊細で美しくて、持って帰って自分のものにしたくなるような思いで憧れた、バレリーナ姿の陶器の人形を思い出した。
淡いピンク色の衣装に、足元には春の小花が咲いていたような気がする。
すっかり心を奪われてしまい、翌日にはひと月早めの誕生日プレゼントを買って貰う権利を捥ぎ取り、その店をまた訪れたものだ。
(もし、そんな風に気に入ってくれているのなら、何だか嬉しいな………)
あの小さな陶器の人形に抱いた憧れは、今でもこんな風に思い出すことが出来る。
ここにいる魔物達のように何でも手に入れてこられたような高位の生き物が、そこまでとはいかずとも、このドレスを気に入って褒めてくれたのであれば、やはり女性として心が弾むような思いがした。
余談だが、その陶器の人形はネアがお店に戻るよりも早く誰かに買われてしまっており、泣きじゃくるネアに慌てた父親が、同じ百貨店の他のお店でもふもふふかふかの雪豹のぬいぐるみを買ってくれたのだ。
母親は、バレリーナ人形を買って帰る筈の娘が、泣き腫らした目で猛々しい雪豹のぬいぐるみを抱えて帰ってきたので、父親にもう少し小さな女の子の好みを考えてやるようにと言っていたように思う。
でもネアは、そんな豹のぬいぐるみがすっかり気に入ってしまい、幼い頃はいつも抱いて寝ていた。
思えば、あの事件をきっかけにして、ネアは雪豹が好きになったのだろう。
「さて、私達は移動しようか」
「ええ。きちんと当日のように、踊れる靴で来ましたよ!」
「じゃあ、俺はそろそろ失礼します。………ネアのドレス姿も見れたのでと言いたいところですが、アルテアが悪さをしないかかなり心配になったので、良かったのかどうか…………」
ディノにそう挨拶をしたウィリアムがどっと疲れた様子だったので、ネアは綺麗なドレスなのにあまり好みではないのだろうかとしゅばっと裾をふりふりして、ドレスの綺麗さをアピールしてみた。
するとウィリアムは、そんなネアの努力に気付いたらしく、ふっと目元を和らげて微笑んでくれる。
「…………そうだな。俺もノアベルトの言うように、持って帰りたいくらいに魅力的だと思う。当日は、くれぐれもアルテアからはぐれないようにするんだぞ?」
「ふふ、ウィリアムさん、有難うございます。ディノ、お人形みたいだと褒めて貰いました!」
ネアが嬉しくなってそう自慢すれば、なぜかディノとウィリアムは顔を見合わせて困惑の表情をしている。
「人形なのかい?」
「ええ。私も小さな頃、綺麗なお人形をお店から持って帰りたいと思ったことがあるのです。ウィリアムさんはあまりお人形を集めるようには思えないので、そんな方にも褒めて貰えたとすれば、これはもうシシィさんのドレスが無敵なのでしょう」
「…………人形なのかな………」
ディノにはまだ可憐なお人形を愛でるような趣味はないのか困惑に首を傾げていたが、ウィリアムはふわりと苦笑すると、大きな手でネアの頭を撫でてくれた。
「ネア、サナアークの串焼き屋は来週にでも」
「お肉様!舞踏会が終われば、腰肉など怖くありません。楽しみにしていますね!」
こうしてウィリアムも帰ってゆき、廊下でノアと手を振って別れると、二人はお気に入りの影絵の中の大広間を訪れていた。
しんしんと、窓の外に静かな雪の降る大広間は、がらんとしていてもほうっと息を吐きたくなるくらいに美しい。
僅かに桜色を帯びた雪は、この影絵が生まれたいつかの時代のものなのだろう。
まるで満開の桜の花びらが風に散りゆく中に佇んでいるようで、ネアは床に落ちるひらひらと舞う雪の影をそっと爪先で踏み、微笑みを深めてディノを見上げた。
ディノがいつもの小箱を叩けば、流れてきたのは優しいピアノの旋律だ。
特別な装いなどせずとも見惚れるくらいに美しい魔物に手を取られ、腰に回された手のひらの温度には、居心地の悪さではなく安心感を覚えるようになった。
ふわりと寄り添ってゆっくりステップを踏めば、そこからはもう大事な魔物の腕に全てを預けても大丈夫なのだ。
くるりと回されると、体がふわっと浮き上がる。
何度か練習したターンは、まるで体が宙に浮くようでネアは目を輝かせた。
大喜びしているネアの目を見返し、ディノも満足げに微笑みを深める。
どこか男性的なあえやかな眼差しの色に向けて微笑んでも、ネアはもうディノが怖いとは思わない。
何しろここにいるのはネアの大事な魔物で、ちょっと暴走して鳥小屋を壊してしまったりはするものの、怒ったご主人様を宥めるべく、初めての作業にもめげずに可愛い小鳥の巣箱を作ってくれるような優しい魔物なのだ。
ぐっと深く寄せられた体に、柔らかな体温が宿る。
悪戯に額に、そして鼻先から唇にと口付けられ、ネアはそんな優しい温度がくすぐったくてまた微笑む。
「去年の春告げの舞踏会の前にも、一緒に踊ってくれたのを覚えていますか?」
「勿論、君とのことで忘れてしまうことなんて何もないよ」
そう微笑む魔物はやはり美しい。
その美貌は決して柔らかなものではなく、凄艶だからこそ感じる排他的な要素も消えてしまった訳ではない。
美し過ぎるものはどこか残酷さを帯びるのだ。
そう思う感慨もまた、出会った頃と変わってしまった訳でもないのだけれど。
「あの時はまだ、ディノにどきどきしてしまうこともあったのですが、今はもうしなくなりました」
「え……………」
ネアが幸せな気持ちでそう告げると、魔物は悲しげに目を瞠った。
ばさばさの長い睫にも美しい真珠色の影が落ち、ネアは少しだけその繊細さに見惚れた。
「ディノといると、毛布にくるまれているみたいに、ふわっと安心するのです」
「どきどきしたりは、……………しないんだね?」
「少ししていたものもすっかりなくなり、今や、今日はお仕事がないので二度寝出来ると思うくらいの安心感です!ぬくぬくとしていて幸せで……………ディノ?」
「ネアが虐待する………………」
なぜかその後、魔物はすっかりしょぼくれてしまい、めそめそしながら一緒に踊ってくれた。
晩餐の席でもまだしょんぼりしていたディノに、ネアがことのあらましを告げると、怯えた顔をしたノアから、二度とそんな酷いことを言ってはいけないと叱られてしまう。
よく分らないのだが、魔物はやはり少しだけ怖がっていて欲しいのだなと思い、ネアはさっぱり意味が分っていないのを悟られないように、ノアの言葉にこくりと頷いておいた。
とても大好きな魔物だが、やはり種族の違いは時として大きな擦れ違いを生む。
これからは、がおーとやられた時には、少しだけ怖がってみせなければなるまい。