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果実棒と蜂蜜




その日、春告げの舞踏会まで猶予もないところであったが、元使い魔ことアルテアが果実棒のお届けでリーエンベルクを訪れていた。


アルテアは使い魔だった頃と変わらぬ転移でリーエンベルクを訪れたものの、一緒に出迎えたウィリアムに片方の眉を上げると、なぜまだ鳥籠の管理に出向いていないのかと問いかける。


そんな渋めの問いかけを受けて、ウィリアムはにっこりと微笑んだ。



「……………まさか、あのまま居座ってるんじゃないだろうな?」

「俺も、自分がどんな時に無理をするべきなのかが分りましたからね。明日まではここに居る予定ですよ。それはそうと、アルテアは使い魔を解雇されたのでは?」

「とは言え俺はこいつのものらしいからな。………ご所望の果実棒を持ってきたぞ。ったく、あの絵はなんなんだ」

「かじつぼう様!!このお菓子を知っていたゼノから、桃味が一番美味しかったと教えて貰ったのです。なので、桃の絵を描きました!!」

「…………あの生き物の絵はいるのか?」

「桃の上に乗った小花柄のちびふわですか?渾身の力作なので褒めても良いのですよ」


ネアが何か問題があるのかなと首を傾げると、アルテアは深く溜め息を吐いた。

しかしじっと見上げると、桃は上手く描けていたと言ってくれたので、この人間の生み出す作品に暴言を吐いてはいけないという学びは得たようだ。



(この籠は、かじつぼうセットかな…………)



今日のアルテアは、春らしいジレ姿だ。

上着は持っておらず、灰紫色のパンツとジレに、少しだけカジュアルな雰囲気にしてくれるシャンブレー素材のような白いシャツが良く似合う。

丁寧に折り上げた袖に袖を止める為のバンドをつけているのが洒落者らしい装いだった。


そして、ネアが大注目しているのは、そんなアルテアが持っているピクニックセットのような籠だった。

じっと見ていると、準備するまで待てと言われてしまい、おやつをいただく為に会食堂に移動するまで、ネアはその籠を目で追いかけ続けた。

待ちきれずにくんくんしてみると、微かに甘い匂いがするような気もする。



「そんなに美味しそうだったのかい?」

「ディノは、かじつぼうを覚えていないのですか?」

「…………ゴーモントで何を食べたのかはあまり覚えていないかな。けれど、君が絵に描いてくれたようなものは見たことがあるかもしれない」

「丸いふかふかケーキに美味しい果物のクリームが入っていて、外側のスポンジに蜂蜜をたらりとまわしかけていただく美味しそうで楽しそうなお菓子だったのです。私も食べるのは初めてなので、わくわくしています!」

「弾んでる…………」



会食堂に集まったのは、ネアとディノ、そこに本日持ち込まれる果実棒の創造主であるアルテアと、本日もリーエンベルク滞在中のウィリアム。

果実棒は初めてなのでお茶の時間をずらしたエーダリアとヒルドに、そんな二人を荒ぶるかもしれないアルテアから守ると宣言しているノア。

そして美味しいものには目がないゼノーシュと、そんなゼノーシュが美味しいものをたくさん食べて元気でいて欲しいグラストになる。


あまりの賑わいに部屋に入ったアルテアはかすかにぎくりとしていたが、もうその土地の固有文化ごと失われてしまったお菓子に出会えるエーダリアも、ネアと同じような目をしている。



窓の外には柔らかな風が吹き、まだ雪の残るウィームではあるものの、そろそろ春の息吹を感じられるような気候の日が多くなってきた。


中庭には色とりどりの花が咲き、ネアが昨年は失せ物探しの結晶目当てで何個か剥いてしまったチューリップも、まだ固いものの小さな蕾をつけている。



そんな中で、アルテアが持ってきたバスケット入りのお菓子は、麗らかな春の日のお出かけを連想させるような不思議な楽しさがあった。



「……………拍子抜けする程にお前達は呑気だな」

「なぬ!呑気でなどいられるものですか。かじつぼうに逸る心に、今は少し息苦しいくらいです!」

「弾み過ぎだぞ。大人しく座ってろ…………」

「果実棒は、ゴーモントが滅びた後も周辺諸国に暫くは残っていたお菓子なんだけど、蜂蜜や果物をたくさん使えるような大きなオアシスの街が減ってきて、最後にサナアークが砂漠になった頃にはなくなっちゃったお菓子なんだよ。僕はね、果物によって蜂蜜の量を変えてたんだ」

「ゼノーシュは物知りだな」

「うん。僕、お菓子のことは他のことよりも詳しいよ!」




ネアがアルテアに窘められているその向こうで、ゼノーシュがグラストとエーダリアに果実棒の説明をしている。

優しく笑ったグラストに頭を撫でて貰い、嬉しそうに檸檬色の瞳を細めている姿は、その無防備さが容姿に相まって堪らぬ可愛らしさだ。



そんなゼノーシュの説明によれば、元々はただの果物を串に刺していただけだったので果実棒と言われていたが、ふかふかのスポンジケーキで包み、中に果物たっぷりのクリームチーズをぎゅっと詰めた最終段階な果実棒になったのは、ゴーモントの最盛期の頃なのだとか。

王様や貴族達が贅沢なお菓子として食べる、高級菓子の代名詞であったらしい。



かぱりと、アルテアが籠を開けた。



「ほわ!!」



ネアは甘い匂いに弾んでしまい、綺麗な蜂蜜色のつやつやとしたスポンジケーキで包まれた丸いお菓子に目を輝かせる。


お菓子を守る為に逆さまに収納されているが、すちゃっと棒を掴むだけですぐに食べられそうな果実棒がたくさん並んでいる光景は圧巻だった。


くるりとまわしかける蜂蜜も、蜂蜜の種類ごとにきゅっと絞り出せる使い捨ての専用袋に入っており、お皿などで蜂蜜を浸けて手やテーブルをべたべたにしないような心づかいが憎い。



「棒の色ごとに味が違う。赤が桃で、紫がシュプリとさくらんぼだ。で、黄色が芒果で黄緑が檸檬だな」

「…………シュプリとさくらんぼ!!……芒果と檸檬もあるのですね。そして、………じゅるり。ゼノのお勧めの桃です!」




籠から出した果実棒達は、丸いケーキに棒が刺さっているように見える。

これを逆さまにして棒を握って食べるのが、何だか楽しいではないか。


あの影絵のゴーモントで食べられていたものはもう二回りくらい大きかったが、このくらいの大きさの方が食べやすいので、ネアは三口ぐらいで齧れるアルテア風果実棒に期待を募らせた。



「蜂蜜をかけて食べるのだね…………」

「はい。私がゴーモントの宴会で見たのはそんな場面でしたが、まずはそのまま齧っても美味しそうですね」

「…………………花酔いなんて知らない」

「まぁ。またしてもそこに戻ってしまいました………」


ゴーモントの果実棒な光景を思い浮かべてにっこりしたネアに、唐突にまた不安になってしまったのか、ディノは頑固な目をして首を振る。

ネアはそんな魔物に、今は果実棒を楽しむことに集中していいのだと教えてやった。


すると今度は、ネアの隣で果実棒を見ていたウィリアムが首を傾げた。

そちらを見たネアがどうしたのかなと目を瞬くと、お休みの日は砂漠の方の国にいることが多いウィリアムは、確かにこんな食べ物を見たことがあったが、今迄はお菓子だとは思っていなかったのだそうだ。



「俺はずっと、…………串焼きにしたジャガイモか何かかと思っていたが……」

「ふふ、お芋を串に刺してお料理しても美味しそうですよね」



そう言ったネアに、ゼノーシュが教えてくれたのは、串に刺したジャガイモを騎士達が食べるガーウィンの禁欲の日の習わしだった。



「美味しいものを食べちゃいけない日だから、ジャガイモ料理だけを食べるんだ」

「まぁ。そんな恐ろしい日があるなんて………。ジャガイモも美味しいので少し気になりますが、美味しいものを禁じるという言葉の響きがもう、何とも邪悪な取り決めなのです………」

「禁欲の日は、宗教的な慰霊祭のようなものなのだ。鹿角の聖女が失われたとされる日で、ガーウィンではその日を、喪に服して質素に過ごすという取り決めがある。食材などだけではなく、調味料などの量も制限されることが多いな」

「…………エーダリア様、それはまさか、紅茶に入れるお砂糖の量もですか?」

「その日に飲んでもいいのは、何も入れない紅茶と水だけだ。酒や珈琲も禁止される」

「……………そんな日には、絶対にガーウィンには近付きません」


すっかり警戒したネアがそう宣言すれば、隣のディノがきりりと頷いてくれた。


ネアの中の美味しい物禁止の日々は、去年の死者の国の生活で向こう五年間程の我慢を使い果たしている。

そう思ってふるふるしていると、今度はウィリアムからも恐ろしい情報が出てきた。



「カルウィの南方の死者の日では、死者の味覚に合わせて調味料を禁止した食事になる。ネアはその日も気を付けた方が良さそうだな」

「なぬ。絶対に行きません!そして、今年は美味しいふかふかおまんじゅうの日に、様々な種類のおまんじゅうを食べ尽くすのだと、たった今決意を新たにしました。パイの日のように忘れないようにしないといけませんね………」

「今年は、色々なものを食べるのだよね」

「はい!去年はディノが持って来てくれた栗のクリームの美味しいやつで命を繋ぎ、戻って来た後にアルテアさんに美味しいおまんじゅうを作って貰いました。しかし今年は、屋台のおまんじゅう屋さんをあちこち回る予定なのです」

「……………言っておくが、お前はさっきからずっと食い物の話しかしてないぞ。ドレスは大丈夫なんだろうな?」

「ふふ。心配性な使い魔さん……ではなくなったアルテアさんですねぇ。嘘の精さんと、鳥小屋事件のお蔭で腰肉は去ったので、今日のかじつぼうは美味しくいただける予定なのです」

「……………食いすぎるなよ。…………ほら」

「むぐ!桃かじつぼう!!」



アルテアがひょいと手渡してくれた一本に、ネアは目をきらきらさせる。

ネアが最初の一本を持ったので、ゼノーシュもそっと手を伸ばし、アルテアに頷いて貰ってから持ち上げて笑顔になっていた。



ネアは、隣のディノにも気になった果実棒を取って貰い、ぷちっと蜂蜜袋の先を小さく手で千切り、蜂蜜をにゅっと出して丸いケーキの片側だけにかけてみた。

本当は一口プレーンで齧ってから蜂蜜をかければいいのだが、この果実棒に蜂蜜をかけていた嘘の精の姿があまりにも鮮やかに目に焼き付いており、蜂蜜が乗っている姿を一刻も早く見たかったのだ。


生き急ぐように果実棒に突進してゆくネアに、アルテアが呆れたように蜂蜜の種類の違いを教えてくれた。



「お前が取ったのが、アカシアの蜜だ。そっちが菫の蜜に、奥が夜光草の蜜になる」

「く、組み合わせが無限過ぎて、心が追い付きません!!」

「…………また幾らでも作ってやるから、一度に食べ過ぎるなよ」

「むぐふ。…………桃かじつぼうが、至高のお味です!!ふかふかとろりで、じゅわっと蜂蜜です!!」



我慢出来なくなったネアは、お小言の最中に桃果実棒をぱくりと齧ってしまった。


ふかふかのスポンジ部分はシンプルなシフォンケーキのような軽い味わいで、ネアは、そのふんわりとした生地の中に爽やかでジューシーな桃のクリームチーズが詰まっている喜びに、もぐもぐしながら足をじたばたさせた。


やはり淑女とて本能的な喜びには勝てないのか、こうしてがぶりと噛み付くお菓子は、わくわくして美味しく感じてしまう。



恐らく、冷やして固めておいた中のクリームチーズを棒に差し、外側用の丸く焼いたスポンジケーキを左右からかぱりと被せて、何かで貼り合わせたのだろう。

ふわっと軽いスポンジに果物の酸味の効いた甘ったるくならないクリームチーズが絡むのだが、どちらも口の中の体温に馴染むとしゅわりと消えてしまうような軽さなのだ。

蜂蜜部分と合わせて食べると、じゅわっとした甘味が加わり、味が三層になる。



「もごふ………アルテアさん、かじつぼうは何度お届けしてくれても構いませんよ!!」

「ほお?使い魔でもない魔物に、どんな理由でそれを強請るつもりだ?」

「…………む。使い魔解雇でしょんぼりしています?」

「……………する訳あるか」

「それに、アルテアさんは私の魔物ではあるので、引き続きアルテアさんの作る食べ物においては、全て私にも権利が発生します。素敵なお宅の知恵や、最近は狐さんが冬毛なのであまり呼んでいなかった白けものさんの招聘も含め、アルテアさんにはやることが沢山ありますね」

「どれだけ強欲なんだよ」

「……………ぎゅ。桃かじつぼうが、一瞬でなくなりました…………」



いつの間にか、ネアの手には串しか残ってなかった。


眉を下げて悲しげにそれを見ていると、隣に座ったディノが慌てて檸檬のものを取ってくれた。

ネアはそれを手に持ってふんすと胸を張ると、檸檬にはこれだとアルテアが教えてくれた甘みの強い蜂蜜を選ぶ。



「むぐ。………こちらの檸檬のものも爽やかで美味しいですね!蜂蜜が合います!ディノは、さくらんぼが気に入ったみたいですね」

「うん。………これは美味しいね。君も好きな味だと思うよ」

「…………エーダリア様は、時代考察をしながら食べていますし、ゼノが至福の表情で愛くるしいのです」

「僕、前に食べた果実棒よりもこっちの方が好きだな。ネア、アルテアを持ってて良かったね」


ネアと目が合ったゼノーシュは、もぐもぐしながらそう言ってくれた。

うむと頷いたネアに、なぜかアルテアは少しばかりじっとりとした目でこちらを見る。

赤紫色の瞳を眇めた表情に、ネアは微かな違和感を覚えた。



「……………アルテアさんも食べましたか?」

「出来上がりで味を見たからな。………いい。一本も食べれば充分だ」

「私の金庫に入っている、備蓄チーズを食べます?」

「……………意味がわからんぞ?」

「少しだけ疲れているような気がしたのです。お腹が空くとぐったりするので、どうか、いつも元気に満腹でいて下さいね」

「なんでだよ………」


今日は人が多いからでもあるのだが、いつもはアルテアが占有していた椅子には、ウィリアムが座っている。

そんなところでも寂しくなってしまったのかなと、ネアは少しだけ心配した。

荒ぶる魔物や悪い魔物は厳しく躾けてゆこうと思うが、寂しいという感情は出来れば汲み上げてあげたいと思ってしまう。



尻尾の付け根をこしこしされて腰砕けになる白けものや、尻尾が重くてプールでぶくぶく沈んだちびふわを思えば、こんな悪さをする魔物もなんとも愛くるしい生き物ではないか。


そう考えていたネアに、ウィリアムがふっと微笑みを深めた。




「アルテアが疲れているのは、祟りものになった人間の処置で忙しくしていたからだろう」

「む。アルテアさんが悪さをしたのではなく、悪いやつがいたのでしょうか?」

「……………何でお前が知ってるんだ」

「俺の領域ですからね。彼の通った足跡には、零れた怨嗟と穢れで疫病が広がっていましたよ。感情の振り幅に合わせてその度合いを変えるものが、ここ数日は随分と濃かった。そもそもハンクが鳥籠になったのはあなたの教え子の所為なんですよ」

「教え子も何も、駒の一つに過ぎないぞ。今更知ったことか」

「彷徨わせるくらいなら、早めに処理して欲しいですね。ネアのこともあるし、あまり不安要因を自由にしておかない方がいい」



何か事情があるのか、そう苦々しく口にしたウィリアムに、ネアは剣呑な表情をしたアルテアの方を見る。


何かたいそうな事件があったのだろうかとディノの方を見ると、ディノは美味しい果実棒が気に入ったのか、蜂蜜をかけて食べるお菓子というものが楽しいのか、珍しく多めに食べて、三本目になる果実棒を持ったまま教えてくれた。



「アルテアがかつて、駒として育てた人間の成れの果てだね。精霊の呪いを利用して、自らも禁術の祟りものになって彷徨っていたんだ。あのあたりで終わらせたとなると、浄化に使ったのは影の目の聖女かな」


ディノがそう静かに語れば、アルテアは驚いたように目を瞠る。

するとディノは小さく微笑みを深めて、色々なことが見えていたり聞こえていたりした頃もあったから、そのくらいは知っているよと話していた。


淡く微笑んだ魔物らしい表情ははっと目を奪う凄艶さだが、手に果実棒を持っているのが何だか可愛らしい。



「…………かげのめの聖女さん、でしょうか?」

「便宜上、光と影の二人の聖女を立てて、それぞれに契約させた人外者の力を借りた代理戦争のようなものがあるのだ。確か、影の目の聖女は悪しきものを鎮める力に長けていた筈だから、その聖女の力を借りるか、その聖女自身を贄にして穢れを封じたのだろう」



(光と影ということは、影のめの聖女さんなのかな…………?)



首を傾げたネアに次に答えてくれたのはエーダリアだ。


アルテアがお前も知っているのかとゆっくりとそちらを振り向けば、ガレンにはその街に長期滞在して、聖女の研究をしていた魔術師がいるのだと言う。

特定の一族が血を残してゆくことによって親和と浄化の力の特性を持った子供達が多く育ち、光と影という名前でそれぞれの力を振るうらしい。



なお、世界のそれぞれの側面を見届ける者という意味で、影の目、なのだそうだ。



「その魔術師さんも、ご一緒に代理戦争に参加したのでしょうか?」

「いや、代理戦争と言っても儀式の上での表現に過ぎないようで、二人の聖女が儀式の中で勝敗をつけるだけであるらしい。………その魔術師は、次の代の光の目の聖女と言われた女性を伴侶にしてしまってな、その街から、………というかその国から叩き出された。聖女になれるのは、未婚の女性だけなのだそうだ」



お役目のある人を、その場所から恋で奪ってしまうという普遍的だがロマンチックな展開に、ネアは少しだけそんな二人の聖女のいる国を想像してみた。


アルテアは恐らく、そんな聖女と契約をして力を貸していたのだろう。

であれば、その聖女に何かがあったのかもしれない。



「その聖女さんが、困ったことになってしまったのですか?」


心配になってそう尋ねたネアに、アルテアは露骨に嫌そうな顔をする。


「そいつは駒だ。元々、祟りもの封じの為の道具として関わっていただけだからな」

「…………………となると、荒ぶってしまった教え子さんは、無事に鎮まりましたか?」

「双方跡形もなくな。…………なんだ?気になるのか?」

「むむぅ。であれば一安心そうですが、………アルテアさんは、お怪我とかはしていませんね?或いは、去年の夏のように捕まってしまっていたりもしませんか?」



そんな問いかけに、アルテアはぴたりと動きを止めた。


まじまじとこちらを見るので、これはもう何か問題を抱えているのかもしれないと考えたネアが渋面になると、ややあってから小さく息を吐いて、そのような問題は抱えていないと言ってくれた。



「………相変わらず、自分の領域の外側には無関心だな」

「人間は、狭量で自分勝手な生き物です。見知らぬ方の顛末をどうこう言う程に繊細ではありませんが、もしその方達がアルテアさんの大事な方であれば、何かがあった際に動くアルテアさんの心を、慮るということはあるでしょう」



ネアがそう言えば、なぜに今更驚くのか、アルテアは赤紫色の瞳を微かに瞠る。


そこに滲んだ微かな感情の澱に、ネアは、ずっと前にご主人様を怖がらせては何かを確かめようとしていた不器用な魔物の姿を思い出した。

そんなディノより野生の獣に近いこの魔物は、人間との距離の測り方も少しばかり野性的なのかもしれない。

ちゃんとネアをつついて距離を測っていた初期のディノとは違い、アルテアは自分の行いを聞いたネアの判断を、ひっそりと暗闇から窺っているような感じがした。



(そういうところは、ウィリアムさんと全く同じではないけれど、何だか少しだけ似てるような気がする……)


とは言え強欲な人間は、その魔物が悪い魔物かどうかではなく、自分の領域の内側の生き物かどうかで判断をしてしまうのであった。



「困ったことがあったら、きりんさんを出張させるので相談して下さいね。悪事に使うのであれば関わりたくはありませんが、アルテアさんが脅かされているのであれば、そんな嫌な奴は、きりんさんで滅ぼしてしまえばいいのです。………それに、悦楽の妖精さんはこちらまで回ってきませんでしたし、嘘の精さんはディノがくしゃりとしましたので、きりん箱や獏さんの被験者がまだ現れていません………」

「…………さてはお前、実験がしたいだけだな?」

「なぬ。そんなことはありませんよ!私のものな魔物さんが、美味しいものを届けてくれなくなったら一大事なので、自分の財産は自分で守らなくてはいけません!」

「………おい、いつ俺がお前の財産になったんだ」

「む?………去年の春告げの舞踏会の時にでしょうか?」


ネアが今更何を言っているのだろうと不審そうにそう言えば、アルテアは妙に遠い目をしていた。

しかし、わざとらしく溜め息を吐いたその横顔はなぜか上機嫌だ。

これで寂しくなくなったかなと思いディノの方に視線を戻すと、ディノは少しだけ荒ぶったのか三つ編みの尻尾をネアの膝の上に置くところであった。



「既存の祝福だけでなく、系譜の祝福を合せて疲労回復の効果を大きく取っている。失われた食の叡智のようなもので、かつては、このような食べ方があったのだな」

「わーお。エーダリアが新発見だ…………」

「エーダリア様…………」

「グラスト、エーダリアの発見によると、疲れが取れるお菓子みたいだよ」

「だとすると、騎士達にもいいのかもしれないな………」


奥は奥で、何やら新発見に湧いているようだ。


丸という形そのものの持つ魔術効果で、砂糖と蜂蜜、そして各種の果物の祝福などの食べ物で得られる効果を倍増し、串に刺すことでその木の棒が元々持つ系譜の魔術に“複数の他の魔術を合わせて練り込む”という、擬似的な儀式錫杖めいた展開になっているらしい。


これは、魔術を自らは保有しない人間の目線だからこそ発見出来た効果であるので、ノアも驚いているようだった。


つまり果実棒は、美味しくて贅沢で、尚且つ疲労回復などの体にいい効果の強い、素晴らしいお菓子だったのだ。



「むむ。そういうことならば…………はい、食べて下さい」

「………おい、やめろ」

「ネアが浮気する…………」



疲労回復効果があると知り、ネアはアルテアの口に、手に持った新しい果実棒を押し込もうとしたが、すげなく拒絶されてしまった。

せっかくの果実棒が彷徨ったので、隣に座っているウィリアムを見上げ、ぎくりとしたその口にえいやっと果実棒を押し込んでおいた。


いきなり檸檬味の果実棒を食べさせられてしまったウィリアムは、目を瞬いている。



「ウィリアムなんて…………」

「あら、ディノはこうして一緒にお仕事をしていますが、ウィリアムさんはいつもお疲れですからね。疲労回復の効果のあるものなら、是非にたくさん食べて貰いたいです。そして私は、桃味、とさくらんぼシュプリ味が一番に好きでした!ディノは何味が美味しかったですか?」

「……………さくらんぼ」

「ふふ、ディノもさくらんぼでお揃いでしたね。ゼノは芒果が気に入ったみたいですよ。そしてエーダリア様は、密かに檸檬ばかり食べています」



ネアが目敏くそう言えば、ぎくりとしたようにエーダリアがこちらを見た。


檸檬味ばかりを一人で食べているので、ネアはその分桃を多めに奪っており、実は上手く回っている。


こうしてさり気なくみんなと輪になっているアルテアを眺め、ノアは少しだけ安心したようだ。




(ダリルさんの言う通り、早めに森から戻ってきてしまったみたい…………)



ダリル曰く、今のアルテアは決して自分で森に帰りたくなっているような時期ではないのだという。

寧ろ、粗相をして追い出されただけなので、数日で帰ってくる筈だと予言されていた。

その話を一緒に聞いてくれたディノとノアは、密かにみんなとの関わり合いの様子を見ていてくれていたようだ。

こうしてまた今迄通りにわいわい出来ることに安心したのか、今は二人とも果実棒を楽しんでいる。




また森に帰りたくなる時期もくるかもしれないので、ネアは、その前に一度白けものに会わせて貰おうと考えておいた。

これからもこうして自分で戻って来れる魔物になるように、沢山撫でてしっかり懐かせておこう。


人間は、とても強欲で我が儘な生き物だった。











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