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アフタン





人生には一度だけ、大きな打ち上げ花火のような物語が訪れるという。




であれば、………であれば、この現在の状態は甥のルドヴィークに訪れた物語なのだろう。

アフタンはそう考えて微笑むと、高位の魔物である黒髪の男に、あれこれと世話を焼かれている甥を微笑ましく眺める。

本人にはそんな意識があるかどうか分からないが、あの魔物は相当甥のことを気に入ったようだ。




これは、稀人の少女を助けたことで、生まれた縁であった。



あの日ルドヴィークが助けた少女は、抱えた問題を話せば運命が好転すると言われる稀人で、アフタンの家族はそんなネアに、様々なことを話した。


そうして彼女が手にしていた豊かな恩寵のかけらがアフタン達の家族に齎したのは、家族の命を救った傷薬であり、危うく高位の者達の駒にされかけていたアフタンとルドヴィークをその恐ろしい運命から解放したことであり、そしてこのように甥を気に入った魔物の存在であった。



(お前はいい物語を得たよ。……そのお陰で俺まで、失ったままの片手をあんなに素晴らしい義手で補える)



風に揺れるのは、片腕を失い空っぽになった片袖だ。



純白と呼ばれる高位の雪喰い鳥に襲われた時、アフタンは咄嗟に利き腕ではない方で顔を庇ったので、幸いにも生活への不便は最低限で済んだ。

しかしながら、片手が使えないということは恐ろしく不便であることには変わりない。



体重のかけ方が変わることで歩行が揺らぎ、当たり前だが残された片手で何かを持つともうそれで何も出来なくなる。

片手しかないと思えば、その手を塞がれたくないという思いで常に心に大きな不安と負荷がかかる。


情けないことだが、着替えはともかく用を足す時にも苦労する。

そのようなことで苦労するというのは、男としてたいそう情けないことだった。



(それが、こうして魔物の義手を得られることになった。しかもあの魔物からの贈り物で、金すらかからないという……)



アイザックという魔物の弁によれば、アフタンを万全な状態にしておくことは、ルドヴィークの家族を整えることに繋がり、希少な動植物の知恵を持つ友人を損なわずに済むという恩恵が得られるらしい。

強いては、友人と語らう時間で得られる自身の調整にも響くので、是非に整えておきたいのだと言う。



(ルドヴィークは気付いてないが、そりゃ、ルドヴィークが大事過ぎて俺にまで守護の手を広げてると言っているようなもんだぞ………)



余談だが、アフタンは耳がいい。

なぜか、自身に関係のあることをふと聞き及ぶことが多いのだ。

また、アフタン自身からすると運の廻りは最悪と感じるやたら怪我が多いところも、周囲に言わせると帳尻の合う運の良さに繋がっているのだとか。

それについてはまぁ、あくまでも周囲の意見だ。



(だから俺は、偶然に小耳に挟んで、アイザックがどうやら欲望の魔物らしいと知っている。ルドヴィークのやつは、まったく大した神様に気に入られたもんだなぁ……)



そんな風に好意と善意で縁を繋げる甥っ子は、アフタンの自慢の甥っ子なのだった。


竜の祟りにより、アフタン自身は子を持つことは出来ない。

そんなアフタンにとって、ルドヴィークは可愛い息子のような存在でもあった。

最もそれを姉に言うと、ルドヴィークとアフタンとの方が年齢が近いのにと笑われてしまうのだが。



勿論ルドヴィークの兄のプラードも素直で可愛いのだが、どちらかと言えばルドヴィークがアフタンに、そしてプラードがレンリに懐いている。

そうなるとやはり、アフタンはルドヴィークが可愛いのだった。




(…………それにしても、俺の場合は不運から縁を繋げるっていうならだ………)



慣れ親しんだ腕を無くし、心許なくなった袖を見て少しだけ苦笑する。



「………この義手製作の旅が、もう一度俺の物語を動かしてくれんのかな」



そう小さく呟き、眩いばかりにそびえる美しい王都の建物を見上げる。

海は真っ青に煌めいており、ランシーンの暗い灰色の海とは違う深く力強い青の美しさに、あの友人はこんな国で育ったのかと恐れ入った。



(…………あいつらに、また会えたらなぁ)



そう考えて首を振り、アフタンは微笑みを深めた。

同じ街に来たからといって、一介の民間人ごときが大国の王子に会える訳がないことくらいは知っている。

それに名乗りを上げて会いに行けば、必ず誰かがあの日のことを尋ねるだろう。



かつて、とある国で祟りものになった竜がその国の王子を殺し、外遊で集まっていた各国の王子達の中の二人を殺した。

最後に呪われた若い騎士は、偶然にもその土地を訪れた白持ちの魔術師に助けられ、血を残せないという呪いと引き換えに難を逃れた。


あの竜を滅ぼしたのは誰なのか、それを知りたがる者達はとても多い。


だがそれは、各国の要人達にとっての切り札である己の手札を明かす危険であり、ヴェンツェルとニケにとっては、不安定な関係を結ぶ二カ国の王子として、危険視されかねない個人的な繋がりを明かす訳にはいかないという切実な問題も孕んでいた。


あの怪物を倒した者として賞賛されることと引き換えに、手柄を明かせばより多くのものを失うというのが、二人の王子に課せられた重たい鎖でもあったのだ。



(だからこそ、俺達の友情は隠された。繋がりを人々の意識に残さないことで、あの夜の秘密を守る為に…………)



そんな日陰の日々を超え、そろそろ隠れてではあるが会えるかも知れないと言い始めていた頃だったのだ。

ヴェンツェルやニケとの連絡を取り持ってくれていた恩師である将軍が戦死した。

それは、反乱軍に急襲されたのだと公表されていたが、彼を裏切って手を回した王の手による暗殺だったのだと、アフタンは気付いていた。


だからこそ、王の護衛をしていた時に目を負傷したことを利用し、素早く将軍の座から退いたのだ。

時に、忠臣を殺す程の疑心暗鬼に駆られた王の粛清は疑いをかけられた者の身内にも及ぶ。

片目を無くしたくらいで退役する臆病者と謗られようとも、あそこで王都に残れば、アフタンだけでなく、家族にまで累が及ぶ可能性があったからだ。



(左目は失明したってことにしてるが、それも兵としての能力を惜しまれない為の方便だ。上手く逃げ仰せはしたが、最後に来ていた手紙は、燃やすしかなかった。………あいつらは、俺が死んだと思っているんだろう……)



連絡を取る術は失われた。

ルドヴィークの友人であるあの魔物に頼ることも出来るだろうが、約束にはない手段で繋ぎを取り、アフタン個人の欲の為に、大切な友人達に不安要因を持ち込むことだけは避けたい。


会えなくてもかけがえのない友情は残る。

それでいいではないか。





「どうされました?」



そう尋ねてくれたのは、今回の半日の観光の旅で案内役を務めてくれる落ち着いた感じの美女だ。

ウィームの観光案内所から派遣された女性だが、この観光業務はアクス商会の委託業務であるらしい。


ウィーム内の観光はウィームの民が請け負い、領外への行程のものは領外にも支店のあるアクス商会が請け負っているということであるらしく、アフタンには商売の事は分からないが上手くやっているようだ。

あちこちで民間の企業を上手く取り入れているので、この土地の領主は随分と懐が広いのだろう。



(確かウィームは、敗戦国だったな………)



かつてのウィームは、竜と花の魔術師に守られた魔術大国だった。

雪深く、深い森と澄明な湖のある美しい国のことを、いつだったかアフタンは祖父に教えて貰ったのだ。


祖父はウィームを知っていたようで、さかんにその国の美しさと優しさを語ってくれた。

幼いアフタンが行ったことがあるのかと尋ねると、秘密だよと片目を瞑ってほんの十数年間の短い時間だったと教えてくれた。


アフタンはあの時の祖父の言葉を、大人になってからも時折考えることがある。



(ジジイは、前歴を覚えている人間だったんだろうか…………)



それならば、もっと話をしておきたかった。

様々な事を尋ね聞いておけば、あの夜に唇を噛み締めて空を見上げていた幼い友に、自分は前歴の記憶を持つのだと告白したニケに、もっとましな言葉をかけられたのだろうか。


だが、祖父が生きていた頃のアフタンはまだ幼く、大人というものはそのような過去を秘めていることもあるのだろうと、若い頃に国を出て秘密裏に他国に暮らしていたに違いないと決めつけて納得していたのだ。

後に祖母から祖父はこの国を出たことがないと聞き、あの時の会話は与太話だったのだと決めつけていたが、実際には友人と同じ運命を背負った人間であったのかもしれない。



(ニケの奴も、元気にしてっかな………)




この後は中央市場に移動だと、案内役が話している。

アフタンが参加した時間の枠には、他に六人の男女がいた。

そのどれもが夫婦や家族たちで、一人で参加した隻腕のアフタンは少しばかり浮いている。

だが、そんな気恥ずかしさでこの機会を手放すつもりは微塵もなかった。



もう二度と会うことなどないかも知れないが、大切な友達だったのだ。

こうして、見事な王都を高台の美しい公園から一望し、この国の第一王子が人望厚い男で、伝説の竜と契約した将来の王候補だと言われている街を歩けば、それだけであのアフタンが出会った人生最高の日々の興奮と喜びが蘇る。



あの夜、二人の異国の王子と一人の騎士が出会い、一月の間に友情を育み、最後の夜には恐ろしい怪物を倒した。

それは数奇な運命を辿ったが故の出会いであり、生涯の友を得たアフタンの人生における最高の物語だ。


二人の王子を庇って呪われたアフタンを助ける為に、ヴェンツェルとニケは命をかけて共に戦ってくれた。



『そなたが教えてくれたのだ。世界は広く、閉ざされているようであっても奇跡や運命というものは確かにあるのだろう。………私は、望むことが恥ずかしかった。望みが潰えれば惨めだし、自分が望んでいると知ることすらも恐ろしかったのだろう。………だが、そなた達がいればもう、……恐ろしくはないな。既に友は得たのだ。そなた達のような友を得られたのだから、………私は母のような人間にはならない。一つくらい為損じても、私はもう、空っぽにはならない………』



別れ際にそう言ったヴェンツェルを、アフタンはニケごと抱き締めた。

そこを離れて部屋を割り与えられた離宮に戻れば、三人はお互いの名前も知らない程度の演技に戻る。



そして多分、もう二度とこうして三人で共に冒険をすることはない。




出会った時には、妙に老成して小生意気な王子だと思っていたヴェンツェルは、あの夜の約束の通り伝説の竜と契約したのだ。

幼いヴェンツェルが王宮内の噂話で知り、心を寄せて胸を痛めたという悲劇の火竜の王が唯一心を傾けたというその弟の火竜を、ようやくあの塔から救い出せたのか。



手紙でその顛末を知ってはいても、その手紙を読んだアフタンが思い描くのはかつての少年だった頃のヴェンツェルだ。

しかしここで聞くのはどれも、立派な大人の男になり、契約の竜と共に王子としての職務を全うするアフタンの知らないヴェンツェルの話で、そんな当たり前のことを実感出来たのが嬉しかった。




「アフタンさん、そろそろ移動しますよ」

「へいへい。…………いい都だなここは。つい見惚れちまう」

「…………ええ。ヴェルリアは良い都ですわ。強くて美しいものを残酷だと言う者もおりますが、少なくともヴェルリアの民はその残酷さも誇りとします」

「あんた、ヴェルリアの生まれなのかい?」

「そうですよ。でなければここまでこの街に深い愛着を持ちはしなかったでしょう。ヴェルリアを愛する者は、ヴェルリアの生まれの者が多いのです。見事な都ですが、誰もが愛する王都と言うにはこの街は大国の王都としては特殊ですから」

「まぁ確かに、闇鍋みたいな街だわな。王都の近くに港があり、市場や商人達の住まいも他国じゃ想像出来ないくらいに近い。だが、力強くてしたたかで、いい都だと俺は思うぜ」

「ふふ、異国の方に褒められるのは、良い気分ですわね。さて、これからはこのヴェルリアの食を支えている市場をお見せしますわ。ここは貿易の港でもありますから、品物の多さに驚きますよ」

「そりゃぁいいなぁ」


「………すまない、その市場を見に行くのはまたの機会にしてくれないか?」



ふと、穏やかな男の声が割って入り、振り返った案内役が驚いたように息を飲んだ。

アフタンは勿論最初からその男が近付いてきているのを知っていたが、無駄はないが目を惹く華やかさと強さのある真紅の盛装姿の男を、この国の騎士は美しいものだなと思いながら感心して見ていたのだ。


淡い金色の瞳は太陽の欠片のようで、もしかしたら騎士などではなく、これは噂の火竜の一族かもしれないと、密かにわくわくしていたところだった。

火竜の一人でも見ておけば、尚更来た甲斐があったと考えていたのだが。




「…………ドリー様!」



けれども案内役の女性がそう驚いたように声を上げたところで、アフタンはそれがただの騎士などではないことに気付いた。


ただの火竜でもなく、何度も何度も友人の手紙の中で書かれた、その竜なのだと。



(ああ、…………これがそうなのか)



これが、ヴェンツェルの大事な竜なのか。




アフタンも決して背は低くないが、その男はとても大きかった。

種族として人間とは作りが違うのだろうかとぽかんと口を開けて見上げていると、こちらを見た金色の瞳がふわりと微笑む。



「…………君に会いたがっている我儘な子供がいる。少しだけ、俺に付き合ってくれないか?」

「……………ああ。……ん、俺に会いに来たのか?!……………子供?」

「…………チャドリ、すまないが君の客を一人借りてもいいか?」

「その、…………ドリー様のご依頼であれば構いませんが、この方はアイザック様の大事なお客なんです。時間までには返していただけますか?」

「彼の?……それなら、俺からアイザックに話を通しておこう。決して彼に危害を加えたり、不利益なこともしない。それで構わないだろうか?」

「…………約束していただけます?ドリー様にこんなことは言いたくないのですが、私も仕事ですから」

「はは、それもそうだな。誓約書でも何でも書くよ。彼は、俺の契約の子供が会いたがっていた、大事な古い友人なんだ」

「まぁ、そうですの。……では、この紙に」



さらさらと大きな手で誓約文を書かされている伝説の火竜に慌てて、案内役の女性に自分の意思で出向くのだから問題ないと言ったのだが、それでもお預かりしたお客様であるし、アクスの代表はそのような失態を許さないのでと言われてしまう。


伝説の火竜からも、彼女は姪の娘だからこういうものを渡しても心配ないと言われ、アフタンは火竜が観光案内の仕事をしていることにたいそう驚かされた。




「…………アイザックは凄いやり手だな」

「彼と親しいのか?」

「いや、甥っ子の友人でな。すっかり過保護に懐いちまって、魔物は恐ろしい生き物だが気に入った者には驚く程に愛情深いという伝承は、本物だったんだなと感心している」

「…………アイザックが。驚いたな」

「あんたも、アイザックの知り合いなのか?」

「いや、………だが交流はある。アクスはウィームと縁深いし、俺の契約の子供はウィームにいる弟が可愛くて仕方ないからな」

「ああ、………エーダリア、だったか。まだ数日しか滞在してないが、ウィームでの評判も良くて、あいつが手紙でべた褒めだった可愛い弟かと感慨深かった」



そう言うと、特殊な魔術の道を先導してくれていたドリーがちらりとこちらを見た。

どこか悩ましい眼差しに首を傾げると、契約の子供は自分にはそんな素直なことは言わないのだと、少しだけ寂しそうに言う。



「君には随分と明け透けに話すのだなと、少しだけ羨ましく思った」

「はは!伝説の竜は、ヴェンツェルの手紙にあった通りの過保護さだなぁ。安心してくれ、俺はヴェンツェルがまだあの面倒臭い性格を完成させる前の手紙で、弟大好きな一面を知ったんだ。まだ素直にあれこれ書いてくれていた頃には、あんたがどれだけ凄いか、どれだけ優しいのかしか書いてない手紙もあったぞ」



既にこの火竜から、自分やニケとの友情について、あの夜のことも聞いていると知らされていた。

アフタンが明かした言葉に目を瞠り、嬉しそうに微笑んだ火竜は、確かにヴェンツェルの手紙にあった通り、穏やかで優しい目をしている。



「そうなのか…………?」

「ああ。やっと自分を預けることの出来る、家族のような相手に出会えたと書いてあった。短い言葉だったが、あいつがどれだけ嬉しかったか、どれだけあんたを好きなのか、読んでるこっちが貰い泣きしそうなくらいの熱の入りようで、俺はあの時、大事な友達と契約してくれた伝説の火竜に遠く離れた小さな島から感謝したんだ。………愛する者がいるかいないかで、人生は随分と変わってくる。俺やニケが友ならば、あんたはあいつの夢だった。そして契約した今は、たった一人の相棒で家族なんだろう」

「…………夢?」



そう不思議そうに尋ねられ、アフタンは首を傾げる。



「…………どうしてあいつが、あんたと契約したのかを知ってるか?」

「………王宮での地位と、安全を確保する為だったと聞いている。第一王子としての地位は確固たるものだったが、それでもヴェンツェルは子供の頃は、あまり体が丈夫ではなかったからな。堅牢な契約と守護が必要だったと」


その返事に呆れた顔をすれば、人の良さそうな火竜は困ったようにこちらを見るのだ。



「あいつ、…………さては恥ずかしがったな」

「ヴェンツェルが………?」


それは友の秘密なのかもしれない。

だが、秘しておくのが美徳という訳の内容ではなく、寧ろ言った方がこの竜が喜びそうなので、アフタンは伝えておくことにした。

立場や力などではなく、心で欲したのだと言ってやった方が喜ぶだろうに、ヴェンツェルは恥ずかしくて言えなかったようだ。



「ヴェンツェルがあんたと契約したのは、勿論、あいつが話しているように王宮内での立場や権力の安定をはかる意味もあった。…………でもな、子供の頃に王宮で聞いた火竜の王の話が最初のきっかけだ。友人の国を攻め滅さねばならずに戦後に自死した火竜の王がいたと知り、その悲しい物語を知って子供心に胸が痛んだらしい。火竜がそんなに優しい生き物なら、その王だけが会いに行っていたという弟竜は、きっと一人で封印の塔に残されて寂しいだろうと胸を痛めた。だから、自分が会いに行けば、その火竜は一人ぼっちの自分の友達になってくれるだろうかと小さいあいつは考えたらしい。だからあいつの子供の頃の夢は、伝説の火竜と友達になることだったんだと……」



そんな真実を明かされ、ドリーという火竜は目を瞬いてから、ちょっとすまないと一言断り、片手で目元を覆ってしまった。




「………さてはあんた、泣いたな?」

「…………素直でないことが多いが、やはりヴェンツェルは優しい子供だな。俺は、…………あの子の声で目が覚めることが出来て、本当に良かった」

「ヴェンツェルもそう思ってるさ。あんたと契約してから、あいつの手紙には安堵や愛情が滲むようになった。ニケも孤独だったが、あいつは愛情の在り方を知ってはいた。ヴェンツェルは器用貧乏なところがあったからな。あんたと出会えなけりゃ、愛情の温度を知らずに育ったかもしれない」

「だが、君やニケとの友情があっただろう?」

「俺は高尚に詩的な感性がないから上手く説明出来ないが、……友情と愛情は似ていても重なり合わない部分がある。あんたがヴェンツェルに与えたものは、俺達では補ってやれないような、人間の子供の心にとって一番大事なものだったんだと思う。あいつが初めて食べた温かい料理は、あんたの作ったスープだったんだろ?」

「……………ああ。小さな子供が、温かい料理を食べた事がないと言うんだ。あの夜のことを、………俺は死ぬまで忘れないだろう」

「俺やニケでは、友達だからこそ、大事に守ってやろうという思いのかけ方は思いつかない。………俺の大事な友に、その夜に温かいスープを飲ませてくれて礼を言う。もし偶然にでも会う事が出来たなら、友を愛してくれたあんたに礼が言いたいとずっと思ってきたんだ。まさか、こんな形で叶うとはな………」



一度立ち止まり、深々と頭を下げた。


アフタン達と別れて自国に戻ったヴェンツェルには、とても不愉快で辛い事件があったことをアフタンは知っている。

友を得るということを知ったヴェンツェルが、少しでも絆を深めようと言葉を交わすようになったばかりの弟の母親を、自分の母親が奴隷の妖精に命じて殺させようとしていたのだ。


ヴェンツェルは母親がそんなことなどしなくてもいいようにと、自分の継承者としての立場を磐石にするべく契約の竜を得たが、弟の母親の暗殺に間に合うことは出来なかった。


けれども代わりにその日、心がひび割れたヴェンツェルを抱き締めて守ってくれた竜を得ることは出来た。

この竜が母親を亡くした弟にお悔やみの言葉をかける場を整えてくれたことも、アフタンは知っている。



(さすがに内容が内容なだけに、俺達だけで作った暗号で書かれた手紙だった。それでも、そんな危険を冒してまで打ち明けたかったくらいに、ヴェンツェルを打ちのめした事件だったんだ………)



それは、この豊かな大国の暗い秘密の一つ。

だからアフタンは、友がそこまでのことを話したとはこの竜にも言いはしない。

この愛情深い竜が友を愛するからこそ、その秘密を知るアフタンを排除するしかなくなったら申し訳ないからだ。




“なぜ私は、あの女から生まれたのだろう”



そう書かれた、年下の友人の悲痛な叫びを乗せた手紙を読んだ日のことは、今もアフタンの記憶に鮮明だ。

それは母親という絶対的なものに失望した小さな子供の叫びでもあり、下手をすれば、やっと誇りを取り戻したばかりの自身への失望にも繋がりかねなかった苦痛であった。



しかしその手紙には、その夜は一晩中ドリーがヴェンツェルを抱き締めていてくれたことも綴られていて、アフタンは大切な友人の心が壊れずに済んだことを、その愛情深い竜がそこにいたことを、どれだけ感謝したことか。




「ああ見えて、ヴェンツェルは甘えん坊だからなぁ。あんたみたいな竜だからこそ、あいつは立派な王子に育てたんだろう」

「そう言うと怒るが、確かにヴェンツェルは寂しがりやだ。だから、遠征の土産には人形やぬいぐるみを買ってくるのに、わざと怒ったようなふりをして受け取るんだ」

「ああ、そりゃ照れてるんだな!本気で嫌がっている時は、あいつは寧ろ上機嫌に見える。相変わらず素直じゃねぇなぁ………」




そんなことを話しながら歩いていると、その先に一人の男が立っていた。


アフタンと同じくらいの身長で、民族的な特徴差だろうがアフタンよりは若干細身だ。

華やかな太陽の色の髪に、火竜の髪の毛のような深い真紅の瞳をしている。



ばさりと、風に真紅のケープが広がって揺れた。




「…………誰が素直じゃないだと?」

「……………ヴェンツェルか!細っこい王子が、随分とでかくなったな!!………ああ、今のお前を見ると、誰かが深い愛情をかけたのがよくわかる。……良かったなぁ。お前はもう、一人じゃないんだな!!」



友は、立派な大人の男になっていた。

それが嬉しくて思わず抱きつき背中を叩いてやれば、喉にものが詰まったようなおかしな音を立てて、ヴェンツェルは固まってしまう。



「ん?どうした?………さては感動の再会に、胸がいっぱいになったな?」

「…………お前は、相変わらず恥ずかしいやつだな…」

「何だ何だ、格好つけるなよヴェンツェル。好きなものと大事なものには、それに相応しい扱いがあるってもんだ。俺は今、お前に会えて死ぬ程嬉しいぞ!!」


残された片手だけでも、友が側にいれば塞いでいても不安はない。

アフタンは上機嫌で、素直ではない友人の背中をばしばし叩いた。



「……………っ、………そういうところが、………」



手でこちらの体を押しやろうとして、ヴェンツェルがぎくりと固まるのが見えた。

その瞳に過ぎった深い悲しみと驚きを押し隠し、冷静な王子に相応しい表情を整える。




「……………アフタン、腕はどうした?」



その声の静かさに、アフタンはふわりと微笑む。

相変わらず優しくて、それを隠すのが上手い男だ。



「ああ、これな。純白とかいう雪喰い鳥に食われた」

「…………すぐに義手の手配をしよう。ガレンに依頼すれば…」

「安心しろ。甥っ子の友達の魔物とやらが、義手の魔物の義手を作ってくれている。それで今は、ウィームに来ていたんだ」

「…………そうだったのか。だが、ウィームに来ていたのなら、どうしてすぐに私に連絡を寄越さないんだ………」

「別にお前のことを忘れていた訳でも、俺がお前に会いに行くことで生じる問題を、お前が解決出来ないだろうと思った訳でもないからな?…………それでもな、お前は俺の一等に大事な友の一人だ。万が一の迷惑でもかけりゃ俺は一生後悔する。まぁ、死ぬ程会いたかったけど、お前の為なら我慢するさ!」

「…………そういうところは相変わらずだな」

「お?耳が赤いぞ。ははは、さては照れたな!」

「アフタン………!」

「でかくなっても、照れ屋なのは変わらんなぁ…………」



小さく笑う声にそちらを見ると、伝説の火竜は、わたわたしている契約相手を見て控えめに吹き出している。

恨みがましくそちらを見たヴェンツェルの眼差しに、アフタンはとても嬉しくなった。




「にやにやするな………!」

「ヴェンツェルは、本当にドリーが大好きなんだなぁ」

「…………っ?!」



ヴェンツェルはその一言ですっかり項垂れてしまい、アフタンはドリーという名前の火竜と顔を見合わせて笑った。



だが、ニケは元気かと尋ねると、ヴェンツェルはどこか得意げな微笑みをみせた。



「今夜の予定は全て断ってくれ。ニケは今夜までサナアークの別宅にいるんだ。会いに行くぞ」

「…………ん?俺も行っていいのか?」

「当たり前だろう。ニケにはもう伝えてある。さっさと出かけるぞ」

「…………こいつ、今でも照れるとぶっきらぼうになるんだな」

「ああ。それはそれで可愛いんだが、相手に誤解されることもあるので、気を付けるようには言っているんだ」



ドリーとそんなことをこそこそ話していたら、ヴェンツェルが少し怒ったような目をしてこちらを振り返った。




(ああ、あの日々でもヴェンツェルは同じ目をしていたな……)



澄ました顔をしていても、実際には繊細で優しかったヴェンツェルを、よくニケとこんな風に揶揄ったものだ。

とは言えニケはヴェンツェルとよく似ている部分も多く、ヴェンツェルを揶揄うことで、アフタンはそんなニケの心もつついてやっているつもりだった。



懐かしむような眼差しに気付いたのだろう。

ヴェンツェルがこちらを見て、小さく呟く。



「……………お前には、もう会えないと思っていた」

「………手紙の返事を書けなくてすまなかった。王が、師に逆賊の疑いをかけて暗殺したんだ。俺が王宮に残れば家族が危なかった。一介の兵士の俺には、あの手紙を持ち帰ってお前に返事を出す術もなかったしな…………」



そう言えば、ヴェンツェルは短く頷き、小さく笑った。



「これからは、ニケと分け合っている魔術通信のカードがある。それに、お前の分の魔術路も添付するぞ。ニケならば出来るらしいからな」

「………あ、そう言やそんなもんがあったな。甥っ子に今晩は宿に帰らないと伝えておかなきゃならん。ちょっと待っていてくれ」

「……………持っているではないか」

「………ん?これは甥っ子用だ。アイザックから、持っているようにと……ヴェンツェル?」

「まさか、アクスの代表と顔見知りなのか………?」




困惑したように尋ねたヴェンツェルに、ニケとも再会してからその話をすると約束した。



あの日、甥っ子が助けた稀人の少女から繋がった縁が、腕一本の対価は必要としたが、この再会に運命を繋いでくれた。



だからアフタンは、もう一度大切な友人達に出会えたことを、その運命に心から感謝しようと思う。



なお、戻ってからルドヴィークにそのことを感謝すると、叔父さんが最初に僕たち家族を守る決断をしてくれたので、僕はネアを助けられたんだよと可愛いことを言う。



やっぱり、ルドヴィークは世界一可愛い甥っ子だ。









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