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心得るべきもの



「あなた、取り違えの歌乞いだそうじゃない」


唐突にそう告げた女性に、ネアは固まった。

知らないことをいきなりに突きつけられると、まずは脳内に疑問符が飛び交う。

返答を組み立てるのは、それからのことだ。



「あなたはどなたでしょう。そして、何のお話でしょうか?」


その女性は、見事な金髪に緑の目をしており、淡い黄色のドレス姿で、真っ白な帽子をかぶっている。

ネアの感覚は若干人間ではないものでおかしくなっていたが、華やかな美人と評されるような女性だろう。


「私は、イオン・カーライル。歌乞いよ」

「初めまして。歌乞いの方なのですね」


ひとまず、何かあるといけないので名前は名乗らずにご挨拶をしたネアに、イオンという名前の女性は、つかつかと歩み寄り、強い眼差しをあてる。

はっきりとした色彩の瞳なので、その強さにまた驚いて、ネアは瞬きをした。


(まるで、出会った頃のエーダリア様のような表情だわ)


疑問、失望、怒りに拒絶。

一般人でしかないネアがぶつけられるには、少々厳しい冷たい感情であるし、今回に限っては全く知らない女性なので、ネアは途方に暮れた。



「異国の人間だと聞いたわ。………そんな人間が、ヴェルクレアの歌乞いだなんて、あなた、自分でおかしいとは思わなかったの?」

「私も事情には明るくないのですが、託宣だと言うことで拝受いたしました」

「貴女、おまけに魔術可動域も低いようじゃない。魔術は使えるの?」

「いえ、魔術はさっぱりです」


あまり抉られたくないところを突かれて、ネアは仏頂面になりかける。

こちらの女性は、見ず知らずの他人の心の傷を抉ってはいけないと、幼少期に学ばなかったのだろうか。


(親しいのなら、忠告や提言としては有りだし、敵の精神力を削ぐ効果としてなら有りだけれど……)


そこでふと、敵視されているようだぞ、と気付いた。

眼差しが鋭いのは、つまりそういう訳なのだろうか。



「自分で気付けなかったの? 取り違えの歌乞いだって」

「その、取り違えというのは、何なのでしょう?」

「あなた、取り違えも知らないの?! どんな野蛮な国から来たのよ?」


ざわり、と人影が笑うのは、イオンの後方に彼女の知り合いであるらしい、複数の男女がいるからだ。

つまり、有り体に言えば、ネアは、囲まれて糾弾されているようである。



「会話を中断させてしまいますが、教えていただけますか?」


突然の敵意への反感もあるけれど、知らないのは確かなので、教えを請うてみる。

知らない単語があるまま、彼女の話を理解するのはきっと無理だろう。

イオンは明らかに蔑む表情でこちらを見たが、敵意そのものが萎んだのは、お話にならないと判断されたからのようだ。



「取り違えというのはね、同じ時間、同じ土地で行われた魔術によって、成果が混線することよ」

「まぁ。そのようなことがあるのですね」

「そしてもう一つ教えてあげるわ。私が歌乞いになったのは、貴女と同じ日時よ。そして、ほぼ隣の土地なの。言いたいことはお分かりかしら?」

「イオンさんと、私の魔術が混線したということでしょうか?」

「ふん、理解出来て一安心だわ」



イオンが褒めてくれたので、ネアは、その隙に言われたことを整理してみた。

歌乞いになった瞬間の成果が取り違えられたということは、つまり。



「ディノは、私の魔物ではないんでしょうか?」

「ネア。どうして私が、君を間違えたと思うんだろう?」


振り返ると、ディノは微かに剣呑な眼差しを浮かべている。

淡い微笑みの美しさは眩い程だが、それは、なんて暗いのだろうと思える眩さだ。



「魔物のことだけではないわ。私は、託宣そのものを指しているの」



ネアはここで、本当に取り違えだろうかという疑惑の眼差しを戻した先で、そう宣言したイオンの足元で震えている魔物に着目した。

イオンの足元に蹲って膝を抱えたまま震えているので、たいそう具合が悪そうだが、大丈夫だろうか。



(魔物さんは契約した歌乞いに執着すると言うし、トレードされそうになればショックなのかもしれない)


きっとイオンのことが大好きなのだろう。

可哀想になって、肩を叩いてやりたくなった。



「ネア、どうしてあの魔物を見てるの? 壊してもいいかな」

「いえ、あんなにも涙目なので、可哀想に思ったのですよ。別に浮気心はありません」

「あれに乗り換えようとしたら、また書き変えて捨ててくるからね」

「物騒なことを宣言してはいけません。そして、言い直す前は壊そうとしましたね。無駄な殺戮は禁止します!」


ディノがこの様子なので、イオンの足元の魔物が、頭を抱えてごめんなさいと呟き続けているではないか。

少し、イオンの知人達も引いている。



「ちょっと、聞いてるの?」


躾の最中に、イオンに会話に引き戻されて、ネアははっとした。


「……そもそも、私にディノを躾ける資格もないかもしれない……?」


場合によってはその可能性もあるのだと気付いたネアが、悲しくなって悄然とすれば、いつもより強引に抱き上げられた。

驚いて目を瞠ると、睫毛の影も見えそうな距離に水紺の色鮮やかな瞳がある。

そして、そんな大事な魔物は、どこか呆れた顔をしていた。



「ネアはね、私が見つけて、私がこちらの世界に引き落としたんだ。間違える筈がないだろう?」

「…………では、うっかりお隣さんの歌と間違えたりもしていません?」

「私は、歌を聴いて現れた訳ではないと話しただろう? 君を練り直したのも私だし、元々ネアの傍にいて、乞われるのを待っていたんだよ」


そう言えばこの魔物は、ネアの歌はさして聴いていなかったのだった。

そこまでの状況証拠を取りまとめ、ネアは最悪の可能性が回避されたことにほっとする。



「………良かったです。今更、私の大事な魔物を、他の魔物と取り替えられません」

「……ご主人様がやっと心を決めた!」



妙なところで感激している魔物はさて置き、ネアは抱き上げられたまま、体を捻って若干言葉を失っているイオンに振り向く。


「イオンさん、と言うことで、うちの魔物は私に元々付き纏っていた魔物のようですので、取り違えではないと思われます」


説明しながら、おや、これはストーカーだったのだろうかと遠い目になる。

ストーカーに変態となれば、難易度は最高峰と言っても過言ではあるまい。



「……魔物は、契約したら主人に鎖で繋がれてしまうのよ?どうせあなたが、都合のいいことしか囀らないよう、上手く調教したんでしょう?」

「……調教。………ディノ、本当にいいんですか?取り違えはないにしても、この方は、そちらの方面では結構な手練れとお見受けしますが、後で後悔したりしません?」

「ネア、やめようか」


本気で嫌そうにしたので、ネアは提案をさっと引っ込めた。

複雑ではあったが、イオンは、たいそうな女王様の素質所有者に見えるので、一度は魔物の為に我慢してみようかと思ったのだ。

とは言え、本人が嫌がってくれるのなら、ネアとてディノを手放すつもりはない。



「イオンさん。託宣そのものについては、取り違えがあったかどうか、私には判断が出来ません。確かに私には過ぎる肩書きではありますので、上司に託宣の取り違えがないかどうか調査していただきます」

「わざとらしい物言いね。逃げようと言うの?」


ディノの機嫌があまり良くないこともあり、ひとまず、再調査を約束してその場を収めようとしたのだが、イオンはいたくご機嫌を損ねてしまい、なぜかその流れでディノのご機嫌も急降下した。

ネアの大事な魔物は、綺麗な微笑みを浮かべたままだが、薄い柔和さの向こうには、刃物のような凄艶さが見える。


(どうしよう。二人も怒らせてしまった………)



なぜか、とてつもなく板挟みだ。



「……では、ディノ、グラストさんかヒルドさんを呼んで来てくれますか?」

「君をここに一人で残してかい?」


ネア達がいるのは、リーエンベルクの正門前にあたる場所だった。

街から戻り、いつものように西門から入ろうとしていた矢先に、イオン達に呼び止められたのである。


「でも、私がせめてここに残らないと、イオンさんは逃げたとお思いになるでしょう。ディノを残して行くのも、妙に不安を感じますし」


そろそろ、イオンの足元の魔物が限界そうなので、それも気掛かりだった。

このあたりは観光客も来る場所なので、せめて場をあらためての話し合いにしてはどうだろう。



(せっかく馴染んだ環境が失われるのは悲しいけれど、貯金もあるし、ディノもいれば別の土地でも……)



でも、ネアはもう、このリーエンベルクが大好きだった。

ちょっと面倒な上司に、優しい騎士と可愛いクッキーモンスター。

それに殺意を抱かれているかもしれないが、美しい妖精もいる。

話し合いの内容によっては、彼等はもう、ネアの隣人ではなくなるのかと思えば、やはり気持ちが塞いだ。


「では、ここから離れずに、誰かに、この場に来ていただく手段はありますか?」


先々のことを考えて落ち込みかけたのが、やはり表情に出たのだろう。

そうお願いすれば、ディノはとても気遣わしげな表情になる。


「もう来ているから、大丈夫だよ」

「……え?」

「俺が引き継ぎましょう。ネア殿は、下がられていて下さい」


視線を背後に向ければ、グラストとゼノーシュが立っていた。

ゼノーシュがディノに一礼したので、彼に何らかのメッセージを送ったようだ。

珍しく冷ややかな表情のゼノーシュに、ネアは少し驚いてしまったが、目が合えば、少しだけ表情を緩めて微笑んでくれた。



「大丈夫。僕が復讐しておくからね」

「え、それはなんか違…」


くらり、と視界が暗転した。

いつの間にかそこは、リーエンベルクの中で、ネアは慌てて周囲を見回す。


「ディノ?」

「大丈夫かい?もう建物の中に戻ったから、安心していいよ」

「こんな風に退場してしまって、不興を買わないでしょうか?もし、イオンさんが本物のヴェルクレアの歌乞いなら、お怒りは尤もでしょうし」


ネアにとっては不都合なことを言う人物であったので、あの眼差しから解放されてほっとしたけれど、心配になってそう問えば、ディノはどこか鋭さの残る微笑みを閃かせた。



「まさか、あの人間達の言葉が、真実のものだと思ったのかい?」

「……………まぁ。違うのですか?」

「あの歌乞いは、自分の主張を信じているようだったけれどね」

「ではやはり、正式な調査結果を待つべきでしょう。そもそも私は、……………音痴な上に、可動域も元四なのですよ?」

「託宣というものがそもそも、非常に高度な魔術の成果なのだけどね…」


ふわりと額を合わされる。

より近くなった距離感に動揺したけれど、魔物の瞳に浮かぶのはただの労りだったので、ネアは、深く溜息を吐いて身体の強張りを解く。


「嫌な思いをしたね。途中からもう聞かせたくなかったけれど、君は最後まで話を聞くだろうと思った」

「そう、ですね。……私も途中で逃げたくなりましたが、ディノは私の魔物だとわかって、心強かったです」

「最後は勝手に切り上げたけれど、あれ以上はネアが可哀想だったからね」

「………ありがとうございます。ふふ。ディノは優しい魔物ですね」

「おや、ではご褒美をくれるかい?」

「ええ、勿論」


ディノがようやくいつも通りの微笑みに戻ったので、ネアは擬態を解いた真珠色の美しい魔物の頭を撫でると、やっと安心して微笑んだ。






その後、エーダリアの執務室に呼ばれたネアは、事の顚末を教えて貰った。


「だいたい、託宣は歌乞いの前に確定していただろう。取り違えの筈がないんだ」


渋い顔でそう告げるエーダリアに、ネアは首を捻る。


「イオンさんは、特定の時間や場所を把握されているようでしたが…」

「お前が収監された夜だと推測したのは間違いないが、場所はまるで合っていなかったな。お前が歌乞いをしたのは、儀式用の神殿ではなく禁足地の森だっただろう」


そこでネアにも、エーダリアの言わんとしていることが腑に落ちた。


「神殿のご近所だったと言われたんですね?」

「ああ。愚かな者達だ」

「ディノは、イオンさんは自分の主張を信じていると言っていました。それに、あの方が歌乞いなのは間違いないでしょう。それでも誤解されてしまったんでしょうか?」

「恐らく、あの女は、周囲の人間に上手く唆されたのだろう。契約の魔物が必死に止めたらしいが、自分はヴェルクレアの歌乞いだと信じてしまったらしい。このような事が、いつかはおこりかねないとは思っていたが、領内で起こったのは想定外だった」

「そうでしたか………」



ネアは、成る程そういう事かと頷くと、脱力してしまい、くたりと椅子の背もたれに体を預けた。

そのような作為や手段があるのだと、初めて知った一日だ。



(とても驚いて、動揺して、悲しくなったり寂しくなったりして)



「魔物や魔術とは違う階層での、人間の欲と悪意がある。今後もお前の行動を制限するつもりはないが、くれぐれも用心するといい。特に、あのようなウィーム領民ではない配色の者達は、他領からの権力争いで仕掛けられた罠である可能性が高い。用心するのだぞ」

「はい。有難うございます、エーダリア様。今後は、このように動揺してしまわないよう、気を付けますね」



(でも、嬉しいことも幾つかあった)



例えば、前に出てくれた時のグラストがとても頼もしく素敵だったこと。

ゼノーシュの好意や、ここが大好きだと実感したこと。

ディノが、あらためて自分の守護者でもあるのだと、深く意識出来たこと。


「そう言えば、エーダリア様!ヒルドさんとは、どうやら和解しました!」


一番の成果はそこだった。


「………和解?」


「ええ。先程、もし何かの手違いがあり、ここを解雇されたらどこで働こうか悩んでいたら、もしそんなに不安なら、そのような時は自分が面倒を見るので安心するようにと仰って下ったんです。今も殺したいなら、さすがにそんなことは言いませんよね?」

「ああ、そうだな。……ヒルドは庇護欲が強い種の妖精であるし、お前のことも、あの事件がある前までは気に入っていたようだったからな。…………そうか、もう大丈夫そうだな」

「はい!今回の件で、一ついいこともありましたね」



イオンやその魔物、そして周囲にいた人達がどうなったのかを、ネアは知らない。

エーダリアもグラストも、魔物達も自然にその話題を避けたので、あえて掘り返すこともしなかった。


ある程度の酷薄さは、多分組織には付きまとう要素なのだ。


だからいつか、その切っ先が自分に向かう時が来るとも限らない。

その時の為に覚悟はしておこうと思えば、やはり、ヴェルクレアの歌乞いという肩書きは重くのし掛かる。


(でも、私には私の大事な魔物がいるし)



あの夜にディノと出会えて良かった。

心からその恩寵の豊かさに感謝するのは、いつの間にかここが、ネアの新しい居場所になっていたからだろう。




(そして、この食環境を失わないで本当に良かった!!)



朝食の席で生まれ変わった冬仕様のホイップバターに出会い、ネアは、しみじみと己の運命に感謝したのだった。






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