花の国とアイスクリーム
リムファンに迷い込み、嘘の精と対峙することになったネア達は、リーエンベルクに事件解決の一報を入れた後、近くの小さな国にある有名なアイスクリームショップを訪れることになった。
そこに有名なアイスクリームショップがあることをギードが知っており、ネアに教えてくれたのだ。
蜂蜜チーズも勿論魅力的だが、そのお店にはぷちっと美味しい花の氷蜜のお菓子もあると知り、ネアは是非にそのお店に行ってみたいと大はしゃぎしたのだった。
すっかりしょぼくれた魔物は現在、勝手に椅子になってしまい、拘束椅子から羽織ものまで発動するという中々に困った状態になってしまっている。
けれどもそんな膝の上に座ったネアは、満月の夜にだけ咲く特別な林檎の花の蜜を、ぽとりと落ちてきた瞬間に凍らせて作った花氷を入れたアイスに夢中になっていた。
あまりの美味しさに、一口スプーンで食べるたびに、足をばたばたさせてしまう。
爽やかで果物を贅沢に使ったアイスの中に、その花氷がふんだんに入っているのだ。
凍ったままの花蜜をしゃりしゃり食べてもいいし、お口の中で溶かせばとろりとした蜜に戻すことも出来る。
ネアはそんなみつみつしたおやつにすっかり夢中になり、むふぅだとかむぐぅだとか呟きながら堪能していた。
「ディノ、みつみつした花氷の楽しみのある、苺味が堪らない美味しさです。でもこちらのみつみつ林檎のものもとても美味しくて、結果どちらもやめられないのです。…………むむぅ、まだ生き返れないのですか?どうしてそんなに、私の同性のお友達問題に敏感なのでしょう?」
「花酔いの魔物なんて知らない………」
「まぁ、そんなことを言ってはいけませんよ。ディノとは親しそうでしたし、とても素敵な雰囲気の方でした。少し崩したような雰囲気のある髪型がとっても魅力的で、……………むぐぅ、拘束椅子がぎゅっとなりました」
ぎゅうぎゅうとしがみついてくる魔物に、ネアは渋面になる。
この運用ではやはり、この世界のとびきり魅力的な女性達への規制が厳し過ぎると言わざるを得ない。
元の世界では物語の中でしか存在しなかったような綺麗な女性達がたくさんいるのに、ネアはそんな美女達のだれともお友達になっていないのだ。
「……………影絵の中の私は、怖くなかったかい?」
「ええ、それは心配しなくていいですからね。あの中のディノは、…………王様らしくてみんなが憧れの目で見ていて、………でもなぜか私は、とても不安定で寂しそうに思えたのです」
ネアがそう言えば、ディノは少しだけ顔を上げると悲しげに息を吐いた。
その頼りなさが愛おしくなり、ネアはスプーンでアイスを一口食べさせてやる。
「……………ずるい。可愛い」
「相変わらず、ずるいの正しい運用方法が行方不明のままなのです」
「……………ドーモントで過ごした時間を、楽しいと思った記憶はないんだ。…………いつもヨシュアに誘われて行っていたけれど、賑やかなばかりでいつも同じことばかりしていた。そのことをグレアムに話したら、もう行かなくていいと言ってくれて、ヨシュアが拗ねていたような気がする………」
「あのような会は、仲良しの方やお気に入りの方と一緒に過ごしてこその楽しさだと思うのです。今はこうして二人きりですが、大勢でわいわいしなくてもとっても楽しいですしね」
「ご主人様………!」
ネア達がいるのは、アイスクリームショップのある街の外れにある広大な花畑だった。
この小さな街では香水などを作る為の香りのいい花の畑があちこちにあり、満開になった花々の芳香で噎せかえるようだ。
けれど、その濃密な香りが苦痛なほどではなくちょうど良いくらいに楽しめるのは、花畑を渡ってゆく気持ちのいい夕暮れの風のお蔭だろう。
ざあっと風が渡ってゆけば、色とりどりの花びらが舞い上がる。
夕暮れの澄んだ菫色と光を孕んだような藍色の空にその花びらの色が散らばれば、それはそれは素晴らしい光景だった。
花畑にはネア達の他には誰もいない。
ディノがあまり運用しないような特殊な結界を敷き、誰の注意も惹かないよう、誰も近付かないように少しの間だけ調整しているのだ。
普段はみんなのものの場所を独り占めすることは禁じているのだが、今日ばかりはディノがすっかり警戒心を強めてしまっているので、ネアは自分も頑張ったのだからと自分自身に言い訳してしまう。
半刻だけ、この花畑は二人の貸切だ。
「はい。もう一口どうぞ。美味しいものはディノにも楽しんで欲しいのです」
「……………ずるい」
また一口食べさせて貰い、ディノは目元を染めてもじもじする。
そんな魔物の腕の中で、ネアはぬくぬくとアイスを食べながら寛いでいた。
先程まで真っ暗な町を彷徨い歩いていたとは思えないくらい、世界は明るく美しく、お口の中も幸せだ。
(本当はウィームの市場で良かったし、お仕事なのだから早く帰って報告もしたかったけれど…………)
でも、ディノは怖がっていたし、こうしてネアに特別なものを見せてくれることで、その怖さが少し宥められるのだろう。
であればネアは、そんなディノに甘やかされてあげたい。
あのドーモントの花の舞う街で泰然としながらも寄る辺なく感じた美しい魔物を、今はこうして精一杯甘やかしてやれるのだ。
ここにいるディノは、ネアの守ってやることの出来る大事な魔物なのだった。
「………………むぐ」
ふっと視界が翳り、どうしたのかなと見上げるとふわりと口付けが落とされた。
アイスのお礼かなと思い、ネアは顔を離した魔物に微笑みかけてやる。
或いは、またしてもどこかに落ちてしまったので、守護を強めようとしているのだろう。
「…………嫌がらないなら、君は本当に怒ってないのだね」
「なぬ。また謎めいた実験を行いましたね………」
「どんなに微笑んでいても、女性は心の中では怒っていることがあって、そういう時はさり気なく口付けを避けるのでわかるそうだ」
「……………そんな情報はどこで仕入れてくるのでしょう」
「ノアベルトが話していたよ。彼はよく怒らせてしまうから、そうして確かめるらしい」
「ディノ、私は構いませんが、余所の方にはそんな風に試してはいけませんよ?守護を与えたような方がいるならいいのでしょうが、見知らぬ方にしてしまうと事件になる可能性もあります」
「……………ネアが虐待する」
「解せぬ」
またざあっと風が吹き、花びらが空に舞い上がる。
ここは砂漠の国の端にあたり、ここからは徐々に緑なども増えてゆくような土地なのだそうだ。
この小さな、けれども高価な香水で有名な国の花畑には、春の妖精達の豊かな祝福がある。
随分昔にこの土地には、そんな妖精達に愛された花の魔術を使う女性がいたそうだ。
地中深くまで染み込んだ祝福が育ち、この土地はそんな者達がいなくなった後も尚、花の産地として名高いのだという。
(ウィームの中央都市くらいの小さな国だけれど、とても豊かで美しいところなのだわ………)
国境を隔てたすぐ向こう側は砂漠である。
少し離れただけで貧富の差は顕著になるので、ネアの生まれ育った世界であれば諍いの種になってもいいくらいの豊かさだ。
しかしながら、この世界ではそれぞれの土地の系譜というものがあり、この国と砂漠の向こう側ではまるでその系譜が違ってくるらしい。
したがって、砂漠で暮らす為の魔術を磨いた人々には、この国はどれだけ豊かでも暮らし難いのだそうだ。
この国がその豊かさを生かし、指定した近くの幾つかの国の来訪者達に優しく門戸を開いていることでも、近隣諸国との関係は安定しているのだそうだ。
(傭兵さん達も、みんな同じ色の服を着ているのだわ………)
花の国、マグダリの国民は総じて美しい。
祝福のある花の中で暮らしてゆくことで、美などの祝福を子供に授ける種類の妖精が多いのが理由だという。
黒髪で緑の目をした者が多く、肌は優しいミルク珈琲の色だ。
淡い淡い砂色のシンプルな作りの裾の長い服を着て、皆が朗らかに微笑んでいる。
(とは言えこの国の人々は老獪な商人ばかりだというけれど………)
勿論、花を育て国を守る人々は、美しく嫋やかなだけではやってはいけない。
潤沢な国費で質のいい傭兵たちを雇い、その傭兵たちは充実した待遇に満足する事でその職を失わないようにと力を尽くしこの国を守る。
花を守る為に交渉術に長けた聡明な者達が年少者の良い手本となり、若く賢い者達がまた国を支えてゆく。
良い循環で保たれている美しい国であった。
「……………君は、私が他の誰かに口付けしても構わないのかい?」
いい国だなぁと考えていたネアは、不意にそんなことを尋ねられた。
目を瞠って魔物を見上げると、どこか悲しげな水紺色の瞳がこちらを見ている。
そこに男性的な欲と頑固さのようなものも見えたので、ネアはふわりと微笑んだ。
「ディノは魔物なのですから、私にはよく分らない魔術的なあれこれで与える口付けもあるでしょう。何しろこちらの世界には、口付けに関する運用が、家族用から祝福用まで色々ありますからね。でも婚約者用にくれているような口付けを他の方に安易に振り撒いたら、有体に言えばノアのように沢山のお嬢さん達と関わるのであれば、私は怒り狂いますよ?」
「………………君以外の誰にも、祝福なんて与えないよ?」
「困った魔物ですねぇ。そこは、ディノには大切なお友達だっているので、女遊びはしないと言ってくれるだけで充分ですよ。大事なご友人の為に、口付けの祝福を切り出したい時もあるかもしれません」
「魔物には、そのように祝福や守護を切り分けることはないんじゃないかな」
「む。であれば、ディノからの口付けを貰えるのは私だけなのですか?」
「…………君にしかしたくないんだ」
「大事な雪豹アルテアや、ディノのお気に入りの毛布にも?」
「……………品物は別の扱いにしようか」
「ふふ。それなら、私も少し安心です。ディノが、ディノを想っているような魅力的な女性の方に祝福を切り分ける時、きっと少しだけ寂しくて、身勝手にはらはらするのだろうなと考えていたのです。でもこれは秘密ですよ?私は、自分のそのような狭量な部分をどう扱うのかよく分らないので、こっそり隠していたのですから」
ネアが声を潜めてそう言い含めると、ディノは嬉しそうに目元を染めて頷いた。
ぐりぐりと頭を擦り付けてきた魔物を撫でてやり、ネアは時々大型犬になってしまうのもまぁ可愛いではないかと考える。
だが、髪の毛がアイスクリームのカップに入りそうで心配なので、食事中は気を付けていただきたい。
「君には、………祝福の為に必要な口付けもあるだろう。私はどんなことよりも君を無くしたくないし、君はすぐ誰かに攫われてしまうから」
「…………あの嘘の精めは、ウィリアムさんやアルテアさんにとっちめられれば良いのです」
「…………うん。だからね、祝福や守護のものは私も我慢するよ。ゼノーシュのように、敬意の口付けを与えた魔物を内々に壊してしまったりもしない」
「…………ゼノが知らないところで荒ぶっていました…………」
「けれど、………君の婚約者としてのものは、どうか誰ともしないでおくれ」
そう言って、ディノはじっとネアを見つめた。
悲しげでどこか仄暗さもある深く澄明な瞳の色に、ネアは微笑んで頷いた。
「勿論です。と言うか、私の婚約者はディノだけですし、他の方とそんなことはしたくありません。………家族相当のものや、守護の口付けも時々気恥ずかしいので、ワンコにくっつかれたと思おうと脳内変換していることもあるくらいですから」
「…………わんこ」
「大型犬による犬の挨拶ですね!でもまぁ、よく考えれば違う種族なので、 変換しなくてもそんなものなのかもしれませんね」
「ご主人様……………」
花びらの舞う風があんまりにも綺麗で、柔らかな夜の香りはあまりにも芳しくて、ネアはこの異国の花畑で時間いっぱいディノとお喋りした。
美味しいアイスを食べて幸せいっぱいだからか、あのゴーモントの影絵で見たディノのせいで、今のディノを心ゆくまで慈しめるからはしゃいでしまうのか、心がじんわり潤うような不思議な幸福感に包まれる。
「ディノ、今度のお休みには、前に約束していたフレンチトーストの歌を教えてあげますね。ただし、私の歌声なので心して挑んで下さいね」
「ネアの歌声は、少し変わってるけど可愛いよ」
「し、死んでしまったりしません?ディノがいなくなったら悲しいので、無理は禁物です」
「ご主人様の歌声は可愛い………」
「そう言ってくれると、ちょっと嬉しいので撫でます!」
「ご主人様!」
ネアはここで、この魔物はずっとご主人様と呼ぶのかなと考え、その運用をやめてもいいのだとそれとなく伝えてみた。
しかしディノは、この世界でネアをご主人様と呼べるのは自分だけなのだと、すっかり荒ぶってしまう。
確かにご主人様呼びをするときは甘えている時が多いので、ネアは仕方なくその運用を今後も許可し、婚約者やいつかは伴侶となる魔物から、ご主人様と呼ばれ続ける苦難を背負って立つ覚悟を固めた。
「ふと思ったのですが、使い魔さんも私をご主人様と呼べるのでは………」
「それなら、アルテアが使い魔になった直後に話し合っているよ。アルテアには、君をそう呼ぶことを許していないから、安心していい」
「…………安心…………?」
「…………アルテアにも、そう呼んで欲しいのかい?」
「いえ、アルテアさんにご主人様と呼ばれるのは何だか落ち着かないので、ちょっと嫌なのですが、私は決してご主人様と呼ばれたい系のご主人様ではなく……」
「では、私は特別なんだね」
そう呟いたディノが嬉しそうにもじもじしたので、ネアはそれ以上の弁明を諦めた。
ディノにとっては、婚約者でもあり、魔物にとっての恩寵である歌乞いでもあるという部分もまた大事な要素なのだろう。
残念ながら歌ってあげる時にはそれなりのリスクを伴うが、その分は三つ編みを引っ張ってあげたり、爪先を踏んでやったりしている。
「……………ネアは、まだ竜が飼いたいのかい?」
「むむぅ。竜さんをお庭で飼うという、こちらの世界らしいペットの恩恵を授かりたいという欲求は確かにありますが、最近はご新規でちびふわにも出会いましたので、ちびふわでもいいかなと思っています。ただし、その場合には室内飼いになりますが………」
「ムグリスになるのに…………」
「ふふ、ディノはムグリスにもなってくれる婚約者であって、やはりそちらの要素が強いですからね」
「……………ずるい。可愛い…………」
「それと、私が竜さんに憧れるのは、私のいた世界には、物語の中に竜が良く登場して、ちっぽけな人間に知恵を貸してくれたり、力を貸してくれたりするのです。竜はそんな風に自分の手に負えないものを助けてくれる恩寵として刷り込まれましたので、ついついお庭に一匹いたら安心だなぁと思ってしまうのでしょう」
「それは、君が良く話してくれる、てんし、というものもそうなのかい?」
ネアは魔物のおぼつかない発音ににっこりして、天使は人間からすると上位存在だったのだと教えてやった。
「竜さんは、時に人間の相棒にもなる野生の獣さんでしたが、天使さん達は、信仰の対象であり、人間がお願いしてお願いして渋々で力を貸してくれ、そのくせに荒ぶって約束を反故にしてきたりもする偉い存在なのです。王政で例えると王様の位置に神様が存在し、その下にいるのが天使でした。こちらでいう王族の方達や、偉い貴族の人達のような存在でしょうか」
「人外者を神々とする文化は、こちらでもランシーンの方にあるね。前の世界で普及した価値観の一つで、あまりこちらの大陸では聞かないだろう?」
「確かに、ルドヴィークさんのお母様は、ディノのことを上等な神様だと仰っていましたものね」
そろそろ時間になるので、ネア達は立ち上がって素敵な花畑を散策しながら話を続けた。
ディノは気付かずに手を繋いでくれているので、このまま三つ編みではなく手を繋いでお散歩出来ればいいのだが。
アイスクリームの容器とスプーンは、ゴミの片付けの問題などで街の景観が損なわれないよう、少し割高な容器ではあるものの、食べ終わって指示通りにくしゃりと畳むと、魔術の炎になって消えてしまうエコ素材だ。
お店で食べれば容器代はかからないので、地元の住人達はお店で食べたり、お持ち帰り用の保冷箱を自分で持って来ていたりする。
「前の世界と今の世界とでは、世界の………中心地と言えばいいのかな。大きく栄えている土地が違うんだ。だから、あの辺りには前の世界の叡智を引き継ぐ精霊がいたのかもしれないね。かつては、ランシーンがあるあたりにも大きな大陸があったようだ。そのほとんどは海に沈み、砂に飲み込まれてしまったらしい。…………私が最初に見た世界は、砂ばかりだったよ」
その声に滲んだのは寂寥だろうか。
悲しく苦しく、けれどもどこか懐かしむような淡い声に、ネアはギードが見えると言う絶望の花びらを思った。
「最初は、ディノ一人きりだったのですね?」
「そうだね。すぐにウィリアムが派生した。でも彼は、…………何もない世界が苦痛だったのだろう。ノアベルトの派生もその頃かもしれないけれど、彼は気付いたらもうそこにいたし、ずっと眠っていて目を覚ますのはだいぶ遅かったから、派生の早い魔物という括りで語られることはないかな。もしかしたら、私とそう変わらず派生したのかもしれないとも思ったけど、眠ってばかりでなかなか会えなかった」
(だからディノは、ノアをどこか特別な存在に感じたのかしら………)
「最初にあったのは、新しい世界と終焉だけだ。終焉の絶望から、選択と絶望、欲望も生まれた。他にも様々な者が派生したのだろうけれど、それ以降はあまり把握出来ていないかな。犠牲であるグレアムが派生したのは少し後で、美しい花などを司る魔物達が派生したのは、様々な生き物達が生まれその営みが安定してからだね」
ゆっくりと夜は夜を深めてゆき、ディノはその夜の中で冴え冴えと白く輝く。
風に揺れる真珠色の髪に、光を放つ宝石のような水紺色の瞳。
初めて森でこの魔物を見た時には、ネアはその色彩から単純に白いものを司る生き物だと思ったのだった。
少しだけ雪の魔物かなと思ったりもしたのだが、ニエークを知った今、その時の感想は永劫に封じようと思う。
「君は今回も、ギードの力を借りて無事に帰ってきてくれた。私には君がいて、………いつも君は帰ってきてくれるんだ」
「言ったでしょう?人間は強欲で頑丈なのです。特に私はその傾向が強いので、いつだって必ずディノのところに帰ってきますからね」
「……………君で良かった」
その囁きは静かで、けれどもどこか切実なものだった。
長く一人で彷徨ったからこそ愛する者を見付ける誰かを沢山見て取り残されたような気持にもなったが、それはその反面、愛する者が失われる誰かを見る旅でもあったのだと言う。
そんな風にディノが思うのは、先代の犠牲の魔物なのかもしれない。
ネアはふと、見えない筈の絶望の花びらを纏う在りし日のディノが見えるような気がした。
「ウィリアムとアルテアが、イダを持って帰ってしまっただろう?私があの精霊を排除しようと考えていたから、少しだけ不愉快だったのだけど、こうして君とこの国に来て君が幸せそうにしているのを見たら、これで良かったのだなと思えたんだ。君は私のものだけれど、私だけしか関わらない君ではないからこそ、君に多くのものを持たせてあげることが出来る。…………ただ、竜は懐き過ぎるから、飼うことだけは許してあげられないんだ。知り合いくらいの竜であれば増やしても構わないから、どうか我慢しておくれ」
「精霊さんは飼ってもいいのですか?」
ネアが悪戯にそう尋ねて見ると、ディノは絶望的な目をしてこちらを見た。
ふるふると首を振っているので、ネアは微笑んで首を振ってやる。
「ふふ、精霊さんは飼いませんよ。ちょっと、………面倒そうですしね」
「……………精霊なんて」
「あらあら、ディノが荒ぶらなくても、私も精霊さんはちょっと苦手です」
「…………精霊を飼うのは禁止する」
少し拗ねたように言う魔物がこうして甘えてくれるのが優しいことに思えて、ネアは繋いだディノの手を引っ張り寄せると、その手の甲に口付けを落としてやった。
「人間は欲深いので口先だけで、あれが欲しい、これが欲しいと言ってしまうこともあるでしょう。でもね、どんな時も私の、私以外で一番大事なものは、ディノだけなのです。これからも色々なことを一緒にしてゆきましょうね」
「……………うん」
くしゃりと微笑んで、口付けを落とされた手の甲を見て、ディノはびゃっと姿勢を正してまたくしゃりとなった。
頬を染めて目をきらきらさせて、ここにいる魔物はとても幸せそうだ。
「私はディノが、大好きです」
そう言って微笑んだネアは、全く正反対の言葉をすぐに言うことになるとは、少しも予期していなかった。
それは、ウィリアムやアルテアも巻き込んだあまりにも残酷な事件になるのだが、その時は二人とも、そんな悲劇が訪れるとは思っておらず、花の国の美しい花畑を、手を繋いでのんびりと歩いていた。
嘘の精は、最後にとても狡猾な罠を一つ、ネア達に残していったのだ。