髪結いの魔物
「髪、随分と伸びましたね」
そう言い出したのはヒルドだ。
最近、とある魔術の遺物をだしにして、リーエンベルクへの駐在許可を兄上から取り付けたそうだ。
常に居るとなると心強いが、……少しだけ気も詰まる。
「切ってもいいが、髪は魔術を溜めやすいからな」
「今までは溜めておられなかったのに?」
「この現状を考えれば、溜めておいて損はない。……同じ屋根の下に、白持ちが二人いるんだぞ」
「では、どこかで髪結いの魔物を呼びましょう」
魔術師が髪を伸ばす場合、その髪に溜め込んだ魔術を暴走させないように、髪結いの魔物に編み方を決めさせる。
特定の編み方で術式とし、それを維持することで力を制御するのだ。
髪結いの魔物は編み方を決めるだけなので、複雑な編み込みを決められて、毎朝泣き言を言っている魔術師も少なくない。
このような背景があるからこそ、短髪の魔術師は、己に自信があると判断されていた。
手入れのし易さだけで髪を短くしていたエーダリアは、特に支障はない。
「髪結いの魔物は、男性だったか?」
「いえ、女性ですから問題ないでしょう。念の為、ディノ様とゼノーシュ様に伺ってみますね」
予想に反して、反対したのはゼノーシュだった。
髪結いの魔物は可愛らしい女の子らしく、そのことを知ったゼノーシュが頑なにリーエンベルクへの立ち入りを嫌がった。
と言うより、グラストに会わせることを嫌がった。
「……ネアが解説してくれた。どうやらゼノーシュは、グラストの亡くなった娘に敵愾心があるらしい。同じような年齢の魔物は絶対に受け付けないそうだ」
「そういうことでしたか。……では、髪結いは外で行うことにしましょう。ダリルダレンの書架であれば、警備上の問題もなさそうですし」
「……ダリルに道を繋がせるか」
あの代理妖精が無駄にはしゃぐだろうと、エーダリアは頭が痛くなる。
ふと隣を見れば、なぜかヒルドも浮かない顔をしていた。
「そう言えば、お前もダリルには絡まれていたな」
「今回は、せめて私がご一緒するしかありませんからね」
羽がものすごくきつく閉じられているので、余程嫌なのだろう。
(今度は何をしたんだ、あいつは………)
「そう言えば、料理人から仕入れ先変更の依頼が来てたな。あの食材は、ネアが好きだから切らさないようにしておいてやらないと」
料理人の妖精は、ネアの食べっぷりを気高き侵略と呼び、ゼノーシュのことを大いなる闇と呼び、ひどく気に入っている。
その中でも、ネアのお気に入りである乳製品が、季節柄仕入れ先の変更を余儀なくされたのだ。
いつもならこのまま契約を続けるのだが、今回は味を落としたくないと、仕入先の牧場を変えたいと申し出があった。
「………エーダリア様は、ネア様のことをどう思っていらっしゃるのですか?」
ふと、ヒルドがそんなことを尋ねた。
もしや、ダリルあたりに余計なことを吹き込まれたのだろうか。
「前は、使い潰すしかないと思っていたがな……」
「使い潰す?ネア様を?」
ヒルドの声が低くなったので、慌てて過去のことだと否定した。
戦闘に長けた妖精は、弱きものを庇護すると聞く。
このような考え方は好まないのだろう。
(何の覚悟も自覚もない、足手纏いの女が、階位に目が眩んで悪酔いしないか、その懸念ばかりしていたが……)
ネアがエーダリアを頭痛持ちにしたのは、全く予想外の方向からだった。
「そろそろ、気心が知れた部下になりつつあるな。仕事のやり方も悪くないし、才能もある。いい歌乞いだと思うぞ」
「個人的にはどうお考えに?」
「……やはりダリルに何か言われたな。個人的には、気は合いそうな瞬間もあるが、言動の得体が知れなさ過ぎる。手に負えない。出来れば、仕事以外では関わりたくない……」
しみじみ本音を話したのに、なぜ不審そうにこちらを見るのだろう。
「好意を抱かれたことはないんですか?」
「……そうだな、」
信じて貰うしかないので、エーダリアは切り出す真実を思案する。
「親近感のようなものを感じたこともあった。だが、……あれにそのような繊細な感情を向けるのは無理だ。常に私を脅かし、常に私の胃痛の原因になる。夜の就寝前に会話すると、その日は決まって悪夢を見るしな………」
要するに癒されるという要素が全くないのだ。
惹かれることがあっても、一時も心が休まらない相手と、心を添わせたいとは思えない。
「………なるほど」
「ヒルド?お前も何かされたのか?」
「……何故そうお聞きに?」
「いや、お前の立場なら、ネアとの関係を推奨されても不思議はないと思った。お前は、ネアのことをある程度気に入っていたようだし。……あれはないと思うようなことがあったんだな」
「いえ、そういう訳では」
何故か素早く否定して、ヒルドは書類の整理に没頭した。
淡く光った羽を見て半眼になる。
ここまでヒルドを怒らせるとは、一体どんな騒ぎを起こしたのだろう。
(だがこれで、ネアが何かした場合、ヒルドは私側に付くな)
少し機嫌が上向きになる。
グラストは忠実な部下だが、如何せん正直過ぎて、あまりにも公平に判断してしまう。
味方になって欲しい時に中立を保たれると、少し泣きたくなることもあるのだ。
ようやく、心強い味方が出来た。
「まぁでも、私よりも先に、ヒルドが伴侶を得るのが先じゃないか。年齢的にも…」
ものすごい音がして、ヒルドが床に落とした報告書を無言で拾い上げている。
そんな下賎な話題には触れて欲しくもないということだろうかと、背筋に冷たい汗をかいた。
「…そ、そうだな。そういうものは、それぞれの時期を見てだしな。そう言えば、その髪結いはいつ頃手配出来そうだ?」
慌てて話題を変えて、何とか表情を取り繕う。
どうしてもヒルドには、今も頭が上がらない。
「三日後に手配しましょう。それと、近頃ダリルの悪ふざけが過ぎるようです。あれの言葉に翻弄されませんように」
三日後、エーダリアはダリルダレンの書架に居た。
小さな少女にしか見えない魔物に頭に張り付かれ、分け目をぐいぐい指で押される。
「おい、……その指圧の意味はあるのか?」
「魔術の絡まりと、魔力の道を見てる。黙れ、偏屈魔術師」
「へ、偏屈……」
舌足らずな口調で罵られるせいか、エーダリアもいつもの調子が出ない。
髪結いの魔物は頑固な職人肌の魔物で、魔術師の心を抉る毒舌家でも有名だった。
出来れば他を当たりたいが、この髪結いが最も優秀なのだから仕方ない。
「お前の魔術は神経質で攻撃的だ。顔もいまいち好みではないし、性格も同族には好かれないが、髪は悪くない」
「……髪しか褒められなかったな」
「エーダリア様、彼女は髪結いですから、きっと最大の賛辞ですよ」
「そっちの妖精はいつも一本縛りか。編み込みを入れろ。魔術が閉鎖的で、女受けしない」
「………私は妖精ですので、貴女方とは価値観が違います」
「でも、羽が色付くのに伴侶がいないのは、受け入れてもらえないから」
幾つか先の書架の上で、ダリルがお腹を抱えて笑い転げている。
本日は真紅のドレス姿で、ブーツは膝裏までの編み上げだ。
(これまでに見たどんな魔物よりも、魔物らしい姿だな)
背中の羽がなければ、決して妖精には見えない。
「ほら、この編み方だ。これで少し友達が出来るぞ」
「……友達の為に魔術を貯めるわけではない」
髪結いが定めたのは、右耳の上に細かい編み込みを作る形だった。
全体的な編み込みではなく、エーダリアは、ひとまずほっとする。
髪を取る幅は決められたが、伸びると同時に編み込みを増やす必要もなく済むようだ。
戻ってから鏡を見てみたが、華美過ぎず、寧ろ少し若返ったようで悪くないと思った。
あまり奇抜にされずにほっとした。
しかし、宮殿の廊下ですれ違ったネアは、あからさまに眉を顰めた。
「エーダリア様、まさかこのご年齢から、随分と尖ったお洒落に方向転換しようとしてますか?」
「……これは、魔術師としての術式の一環だ。ところで、お前はヒルドに何かしたのか?」
そう問いかけると、ネアは眉間の皺を深くした。
「ヒルドさんが、何かおっしゃっていましたか?」
「……いいことを教えてやる。妖精が羽を光らせるのは、殺したいくらい相手に怒りを感じているときだ」
「この前、二人きりになったとき、光ってて綺麗だなぁと……」
「本当に、一体何をしたんだ」
「……エーダリア様、もし私がヒルドさんに殺されても、決してあの方を責めないであげて下さいね」
「だから、何をしたんだ?!」
部屋に帰ると、ぐったりと疲れていた。
今夜も悪夢を見るのだろうか。