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星の話と魔術師の話




流星雨の夜のサナアークの外れに、巨大な星が一つ落ちてきた。


その星が落ちたところにあった屋敷は衝撃で消し飛んでしまい、近くの屋敷で流星雨を見ていたノアベルト達は現在、徒歩ニ、三分のご近所で、そんな惨状を恐る恐る眺めている。



「エーダリアが着いて来ると、僕がヒルドに叱られるんだけどなぁ」

「だから、ヒルドも連れてきたのだ」

「まったく、あなたという方は…………」



ヒルドはそう呆れているが、エーダリアはとても嬉しそうだ。

なぜなら、これだけ大きな流星が落ちるということもなかなかない。

つまりここは、既に魔術特異点となっているのだった。



(こりゃ、エーダリアは我慢できないかぁ…………)



大きな星が落ちた場所は、深く地面が抉れ、星は燃え尽きてしまったものの、まだしゅわしゅわと星の魔術が淡く煌めいていた。

あちこちから小さな妖精や魔物達が集まってきて、その滅多にない大きな流星に焦がされた砂を嬉しそうに持って帰っていっている。

エーダリアもこそっとその部分の砂を採取していたが、ヒルドが厳しく監視しているから穴に落ちるようなことはないだろう。



さらさらと砂を揺らし、星が落ちた後なので魔術が動いたのか、ひんやりとした風が髪を揺らした。



現在、ノアベルトは擬態している。

このような場所だと誰がいるか分からないので、いつだったか王都で暗躍していた魔術師としての姿を少しだけ調整し、瞳だけはそのままにして魔物だと分かるようにしておいた。

ヒルドとエーダリアも黒髪に擬態させておき、他にも少しばかり気配の調整をしている。



そして、この流星落下現場を見に来た野次馬の一人を見て、ノアベルトはそんな己の慎重さに感謝したのだった。




「……………へぇ、随分と懐かしい人間だな」



ノアベルトが眉を寄せたのは、その中に一人見知った相手がいたからだ。


どうやら今回は白持ちの人間であるらしい。

白髪の髪を隠しもせずにいる代わりに、口元を布で覆って表情を隠している。

けれども、魔物にはとあることが一目瞭然であるので、どれだけ姿形を変えようとこの人間を見つけ出すのは容易いのだった。



この人間はかつて、ノアベルトが殺し損ねた稀有な人間なのだった。



「………ヒルド、あの男にエーダリアを近付けないようにね。複雑な魂の持ち主でね、面倒な奴なんだ。あ、周囲の音は調整しているよ」

「……………彼が?」



しかし、なぜか驚いたように目を瞬いたヒルドが立ち位置を変える前に、当のエーダリアが声を上げた。

ぱっと顔を輝かせ、まるで大事な知り合いを見付けたような目をする。



「ガルディアナ…………!」



その声に目を瞠った男が、こちらを振り返り、ぎくりとしたように眉を持ち上げた。



「……………その呼び名、…………その瞳と魔術の気配は、リアか!」


そうして、はっとしたように周囲を見回すと慌ててエーダリアに駆け寄った。

白髪の男は音の防御層を魔術展開したようだが、ノアベルトはエーダリアと契約しているので、こちらの調整魔術の基盤に立つノアベルトとヒルドにも、その二人の会話が聞こえて来る。



「魔術の擬態をするといい。俺の連れは厄介な奴でな。今晩は出掛けていて戻らない予定だが、万が一あれが戻って来るとまずい」

「あ、ああ…………。すまない、一人だと思って声を出してしまった。国の者なのか?」

「いや、契約の………魔物なのだ。不慮の事故で契約する羽目になったのだが、そちらの国に、いささか拘りがあるようでな」



何やらこそこそと話し合っているので、こほんと咳払いをして振り返った二人に微笑みかける。

魔術の基盤の動く風に、黒いコートが大きく広がりその裾をばさりと手で押さえた。



「さて、君達は知り合いなのかい?…………言っておくけど、僕は君に出会うのは初めてじゃないよ?欠け残りの魂君」



ノアベルトがそう声をかけると、男は目を丸くして一拍固まってから、ふっと微笑みを瞳に浮かべた。

やはり覚えているのかと思えば、この人間の魂の複雑さを思う。


彼の魂に残るのは爪痕だ。

ずっと昔、脆弱な人間の魂を書き換えるくらいの力を持った誰かが行かないでくれと引き止め、ゆがめられてしまった痕。




「……………驚いた、その瞳は俺も覚えている。だがやはり、俺があなたに出会うのは初めてだ。あなたが出会ったのは、昔にどこかにいた誰かなのだろう。…………リア、彼は?」

「……………どう言うべきなのだろうな。良き隣人の一人なのだが、ガルディアナと彼の関係が分からないことには説明するべきかどうか…………」

「はは、それはそうか。…………もしかして、そこにいるのはヒルドか………!」

「ご無沙汰しております、王子」



ヒルドが慇懃に一礼したので、ノアベルトはそれが他国の王子であることを理解した。

﨟たけた白い肌ではあるが、魔術の質が少しばかり異質なのでこの容姿は白髪以外は擬態だろう。

魔術の癖と香りを紐解き、カルウィだなと思い至れば、尚更に警戒心は募る。

大国同士で友好的に振る舞ってはいるが、ヴェルクレアとカルウィの関係は、決して順風満帆とはいかないものだ。



「やれやれ、君は今生でも僕の領域に触れるのか。今度も君が邪魔をしないといいのだけど、どうなんだろうね?」

「…………彼等に関しては、傷付ける意思はない。だが、今生ではと言う言い方はどうかやめてくれ。俺は切れ端を覚えているだけで、過去の人格を引き継いでいる訳ではないし、………リアが驚いている。………それと、あちらから来た魔物は高位のものだ。彼を案じるのであれば、ここから早く彼を連れ出した方がいい」

「ああ、彼は大丈夫だよ。………やあ、ローン」



そう声をかけると、疫病の魔物は微かに一礼した。

相変わらず漆黒のケープを羽織り、フードを深く下した姿で、ネアが狂喜したという耳や尻尾はこの状態では見えない。


夏の事件でネア達が関わっているし、彼はウィリアムの系譜の魔物だ。

こちらに悪さをしたりはするまい。



「………ご無沙汰してます。……それにしても、これは酷いものですね。ここには砂地脈の精霊の王子の屋敷があったのでは?」

「………うーん、消し飛んだねぇ。中に誰かいたら、木端微塵かなぁ…………」

「やれやれ、あの王子はよい顧客だったのに残念です。…………それと、今晩はリンシャールが出歩いているようなので、ご注意された方が宜しいでしょう」

「ありゃ。…………リンシャールか。ん?………いや、僕は付き合ってないんじゃないかな?」

「…………あなたではないとなると、誰を探してるのやら。求婚を断った男を探しているそうですよ」

「……………もしかして、アルテアかな」

「……………それは残念です。居場所を知っていたら、是非に伝えたものを」



暗い声でそう呟くと、ローンは自分の屋敷の方に帰って行った。

ウィリアムの系譜であるローンとは決して良い関係という訳ではないのだが、敵対したこともない。

だが彼は、上得意であるネアがウィリアムのお気に入りであることと、そんなネアが自分達と暮らしていることは知っている。

それだけで充分であった。


アルテアさえ絡まなければ、荒ぶりはするまい。



(そのアルテアはネア達と一緒だけど、……まぁ、シルとウィリアムも一緒だから大丈夫かな………)



出掛けのネアの鞄の中に、アルテアが入っていたらしい。


ゼノーシュが教えてくれたのだが、あの鞄に入る大きさとなると、ちびふわになったのだろう。

恐らく串焼きの魔物が見たという黒い生き物はアルテアに違いないが、擬態ならともかく、自分仕様の色まで編み出してその姿を常習化するなら考えものだ。

万が一、その姿でリーエンベルクに住む気があるのなら、毛皮を持つ生き物としての誇りをかけて戦わねばならないので厄介なのだった。



そうこうしていると、背後ではエーダリア達が何やら話し込んでいた。

むむっと眉を顰めそちらに戻れば、顔を上げたヒルドが片手を上げる。


ひとまず周囲に重ねて排他結界を張り、会話が他の場所や生き物に零れないように結界を強める。

既にそこにもエーダリアかヒルドが展開したものがあったし、ノアベルト自身も最初に展開はしていたが、覗き見に長けた高位の者が欲を出すといけないので、このくらいは頑強にしておきたい。



「彼はまぁ、……エーダリア様付きの相談役であるのですが」

「ヒルド、この男は僕のこと知ってるよ」

「………ああ。その瞳を見れば、塩の魔物だと分かる。自分でも、あなたのことを覚えているとは思わなかったが…………」



こちらを見たエーダリアの瞳に、微かな不安が過ぎる。

それを見て少しだけむっとした。

先程エーダリアは、この男のことをまるで憧れの師でも見るような目で見たのだ。

ノアベルトにとって、エーダリアがそう見る相手はヒルドであるべきだったし、ウィリアムについてはひとまず保留とするとしても、リーエンベルクやウィームの領域外の誰かが契約者に近寄るのは不愉快だった。



「………その、彼は良き隣人なのだ。あなたも、ウィームと塩の魔物の逸話は知っているだろう。今晩は、サナアークにある屋敷に招いて貰えたところだったのだ」



(……………ありゃ)



けれども、そう説明したエーダリアを見た途端、彼が守ろうとしているのは自分だと分かり、ノアベルトは目を丸くする。

どうやら憧れの相手で、尚且つ知り合いであるらしいのに、こちらとの関係を隠し把握されないようにと気を遣っている。


上手く説明出来ないふわふわした気持ちになりつかつかと歩み寄ると、ノアベルトは、エーダリアとヒルドの腕を掴んで自分の背中の後ろに押し込んだ。



「…………ノアベルト?!」

「…………ネイ?」


押し込まれた二人が驚いたようにするので、これだから危ういのだと小さく息を吐く。



「僕にこの男との関係を説明してよ。でなければ、僕は暫くはこのままだ。君達はすっかり忘れてるけれど、人間曰く、魔物は縄張り意識が強い生き物らしいからね」



そう言えば、目を丸くしたまま、エーダリアはこくりと頷いた。

ヒルドには、私まで守る必要はないのですよと言われたが知らんぷりをしておく。




そうして受けた説明によれば、この男は今は、あの第一王子の数少ない友人、………それも幼馴染みというものであるらしく、その上、エーダリアにとっても恩人であるらしい。



「王子時代に、カ、……彼の国からも……」

「カルウィなんだろうね。魔術に癖がある」

「…………リア、国名は出しても構わない」

「…………王子時代に、カルウィ国からも王子達が招かれた晩餐会があってな。私は王都ではあまり良き立場ではなかったので色々と懸念していたが、兄の友人だからと、彼がさりげなく庇ってくれたことが何度かあったのだ。………それと、私が昔、初めて一人であわいの古本市に出かけた時、厄介な魔物から逃がしてもくれた」

「…………ふうん。それなら、…………何とか許容範囲かな………。それと、その魔物の名前は?」

「ノアベルト…………」

「念の為に注視しておくべきだよ。もし、君個人に興味があって介入した場合は、放っておけないよね?」

「…………その魔物であれば、もう代替わりしている。白樺の魔物だ」



そう呟いた男が自分の短い白い髪に触れたのは、無意識だったのだろうか。

そちらを一瞥して、またふうんと呟いた。



「白樺が人間の魔術師に蝋燭にされたって話は、君だったか。アルテアに教えたら、喜んで君を巻き煙草にしそうだね」

「ノアベルト………!彼は、兄上の数少ない友人なのだ!」

「……………っ、」

「………………ガルディアナ、あなたはなぜ笑っておられるのだ……」

「いや、………くくっ、わ、我が友ながら、弟にそのように言われるくらいに友がいないと思われているのは、いささか不憫だな。………だが、リアが兄を案じてくれているようで良かった。………なあ?」



その声に、暗がりから小さな溜め息が聞こえる。

今は星が翳り、深い闇になったその場所に、一人の人間が腕組みをして立っていた。


ノアベルトは最初からそこに一人の人間が、そしてその奥の壁の向こうに護衛らしい竜が立っている事には気付いていたが、そこはこの男の屋敷の領域の中であったので、気配までは探れずにいたのだ。

だがまぁ、恐らくはヴェルリアの第一王子であることは察していた。

隠されていても独自の魔術や血の気配があるし、ノアベルトが、ヴェルリアの王族を見落とすことだけはありえない。


そこから出て来はせずに、その男はぽそりと呟く。



「…………他にも友人はいるのだがな」

「……………兄上」



がくりとエーダリアが肩を落とし、ヒルドが片手を額に当てて小さく呻く。

ヴェンツェルは、擬態云々ではなく、結界内から出てこないことで気配を遮断しているようだが、正体を明かしても尚そうするのには、何か理由がありそうだ。



「…………ガルディアナ、人が悪い。兄上がいるのであれば、そう言っていただければ良いものを…………」

「友が、王都での晩餐会を抜け出してここにいることを、弟には黙っていて欲しいのかと思ってな」


そうガルディアナと呼ばれた男が微笑めば、淡く門扉のところの街灯に魔術の火が入り、青い髪の男に擬態したヴェンツェルがどこか疲れたような目をするのが見えた。


「……………ドリーに見付かったところで、もう色々と諦めている。よもや、ヒルドにまで知られる羽目になるとは思わなかったが………」

「やれやれ、よりによってこの時期に全く浅慮なものですね。あなたは昔から、彼と出掛ける時ばかりは無謀なことをする」


ヒルドの声は呆れかえっていたが、ヴェンツェルに出てくるように合図をされ、その屋敷の方から出てきたもう一人の男に頭を下げられ、小さく息を吐いた。

こちらは擬態はしておらず、火竜の祝福の子の姿そのままだ。


「面目無い。見付けた時にはもう、逃げ出していたんだ。…………ここで捕まえたものの、一時間だけだと言うから、少しだけ甘やかしてしまった」


王都で第一王子の契約の竜をしている火竜は、友達に会う為に脱走した契約の子供を追いかけて、サナアークまで慌ててやって来たのだろう。

何やら疲労困憊している。



「ああ、すまぬな。これより先には出られないのだ。先日結んだばかりの条約に反したくはない」

「相互不可侵のものでしたからね。やっとの思いでそれを結んだばかりであるのに、よりにもよってあなたは………」

「説教はうんざりだぞ。先程まで、ドリーにも散々ぼやかれていたのだ。折角の流星雨と美味い酒が台無しだな」

「おや、愚かで軽率な行いをした者が言える言葉ではありませんね?」

「ヒルド、ヴェンツェルのことは俺が叱っておこう。悪い事をしたのに口答えをしないよう、言い聞かせておいたばかりなのだが…………」

「ドリー、私は小さな子供ではないのだぞ……………」

「充分にまだ小さいだろう。それに、久し振りに会える大好きな友達に会いたくて無理をする、無謀なところがある」

「ドリー………」



彼等はサナアークとの条約に触れぬよう、ガルディアナと呼ばれている男の屋敷の領域から外には出れないのだそうだ。

なのでその後は、ヒルドとエーダリアがその境界ぎりぎりまで歩み寄り兄達と話している間に、ノアベルトはガルディアナと呼ばれている男と短い会話を交わした。



しゃりんと、どこかで星の鳴る音がした。

まだ流星雨は降り続けている。



「成る程ね。白持ちの魔術師だから、ガルディアナか。確か人間の魔術師の到達者を示す名称だったかな」

「あなたが誰かに守護を与えたことには驚いたが、………リアにであれば、確かにそうするだろう。俺の前歴であった男と出会った時も、あなたはウィームを傷付けたヴェルリア王家を呪っているところだった」

「今も呪ってはいるけどね。であれば、そのヴェルリアの直系である君の友人が心配かい?だから彼を僕から隠したんだろう?」

「…………ああ。その為にあえて、あなたが塩の魔物だと口にも出した。……だが、友はあなたの正体を知っても恐れる様子はなかった。であれば、あなたとは和解したのだろう」

「まぁ、そんなところだ。彼がエーダリアやヒルドを傷付けなければ、僕も彼を殺しはしないよ」



そう言ってやれば、ガルディアナと呼ばれた男は小さく微笑んだ。


「それは決してあるまい。彼にとって、心を許せる親族はリアしかいない。だからこそ俺も、あの古本市で彼を助けたのだ。………もっとも、相手が白持ちになる為に探していた魔物の一人であったのは、偶然による幸運だったが」

「へぇ、随分と明け透けに話すね。…………白持ちになる野心を満たす為に同族を負かした人間を、僕が面白がって壊すとは思わないのかい?僕達魔物は、どうでもいい同族の為にだって、気紛れに人間で遊ぶものだけど」

「俺は友との約束を果たす為に、カルウィの王となるまでの手段は選ばない。………あなたは人間嫌いで有名な魔物だからな。俺を煙たく思ってうっかり排除などされぬよう、言わねばならなかった」

「不思議なことを言うねぇ。僕が君を見逃すとすれば、それは君がエーダリアの兄の友達だからかい?」

「いや。俺と友が、決して大国間の戦争などを起こさせない次の世代を築くからだ。…………どうやら、今生の俺にとっての彼は、大切な幼馴染であるらしい。…………祖国に愚かな王が立つことを許し、失うわけにはいかないものだ」



そう告白して、ガルディアナは真っ直ぐにこちらを見た。


その眼差しの向こう見ずさにふと、欠け残りの魂であれ、これはあのヴェルリアの将軍とは別の人間なのだと理解する。



あのヴェルリアの隻眼の将軍は、愛した女のいるウィームとの戦争でも、抜かりなくその愛を足場にして利用し、手柄を立てた狡猾な人間であった。


戦争だから許してくれと口先だけの言葉で詫び、呆然と立ち竦む幼馴染の向日葵の精霊の首を落した。

自分達の仲間がウィーム侵攻の為の国境域の密偵代わりに利用されていたと知った向日葵の精霊達は激怒したが、その群生地はすぐに火竜に焼き尽くされてしまい、それを指示したのも彼だった。


それでも涙を流し恋を惜しめば、運命に翻弄されたのだろうし、彼はとても魅力的な人間だからと許す者もいたと言う。

けれどもノアベルトにとっては、彼は狡猾で醜い人間の一人であったのだ。


であれば今回は、それを否とする人間なのだろう。



「あの男とは違うと言いたいのかな。全く、人間は時々愚かで向こう見ずだ。僕がそれでもお前は信用ならないと、君を排除するとは思わないのかい?」

「…………それをしないと俺にも少しだけ分かるのだ。あなたは、守護を与えた者の為に、俺に機会を与えるだろう。………白樺の魔物から奪った白を得た今、ふと、魔物ならこうするだろうということが理解出来る時がある。それに、今はやけに魔物の心境について説明してくる者が近くにいるからな………」

「ああ、そうか。君は歌乞いになったんだっけ?」

「…………そのようだ」



小さく首を傾げてじっと見つめると、緊張したように息を詰めるのが分かった。

そんな男にふわりと微笑みかけ、白持ちとは言え人間程度の魔術では推し量れないだけの魔術を足元に潜ませる。



それでも、この魔物らしい瞳の色を見れば、高位の魔術師は誓約の場だと分かるだろう。



「それならば君は王になるといい。僕の守るべきものを君が損なわない限り、僕の守護を受ける者達がいる土地、国に悪意を向けず、王となってウィームの益となる限りは、僕は君を殺さないでいてあげるよ。前回の君は、殺す前に老いて死んでしまったからね」



その言葉に、ガルディアナは淡い微笑みを浮かべた。

小さく無言で一度頷いてから、思い出したように声を出す。


「ああ、確かに。あなたの言葉を、その隠された誓約を受けよう。…………王座というのは時に邪なものだ。あなたとの約定が、自身の願いを、自身の野心の為に殺さずに済む枷になる」


そう笑った男は、こちらを心配そうに見ているエーダリア達の方へ視線を向ける。

肩を竦めたヴェンツェルが、どこかほっとしたような無防備な微笑みを見せ、ノアベルトは少しだけ驚いた。



「止めなかっただろう、ヴェンツェル」

「ああ。お前がこの先ずっと私の友人でいるのが確定した良い夜だ。その誓約が枷になって国を追われたら、亡命先には我が国を選ぶといい」

「追われるような不手際はご免だな。……………もう、自分の願いを自分の手で殺すのはこりごりだ」



はたはたと風に揺れる長い砂色のケープを翻し、ガルディアナはもう一度小さく頷いた。

こちらの眼差しに気付くと苦笑し、僅かに首を振る。


「俺の前歴の男の話ではない。………彼は、その記憶の切れ端を持つ俺の目から見れば、存外に流されやすく、そのくせに自己愛が強く、誰からも愛されているようで酷く弱い男だった」

「それなら、今のお前は真逆だな。付き合う者を選ぶ偏屈さで、頑固で我が儘だ」

「…………ヴェンツェル、その言葉は全部自分に跳ね返るぞ…………」


何やらそちらで、穏やかなようでかなり感情の籠った言い合いが始まったので、エーダリアとヒルドは、そろりとこちらに戻って来た。




「あの通り、兄上が唯一声を荒げて喧嘩の出来る友人なのだ。ウォルターとも仲は良いのだが、お互いに理解し合えない部分も多いのだろう。ガルディアナは多分、兄上に良く似ているのだ。………それに、私が魔術師というものを権力ではなく望みとして目指したのは、ガルディアナが己の自由を魔術師として勝ち取るのを実際に見たからかもしれない」

「そういうところ、あまり執着を見せられると僕達は嬉しくないんだよ?」

「いや、執着というものはまるでないと思うが、…………どう言えばいいのだろうな。有能な先人であり、尚且つ兄の一人しかいない親友というか…………」

「ネイ、顔が笑っていますよ。もうさして気にしていないのであれば、エーダリア様を困らせないで下さい」

「ありゃ、ばれたか。………さてと、もうあっちは放っておいていいかな。戻らないと、あの槍がまた何かしでかしそうだよね」

「ああ。………そうだった、戻った方が良さそうだな」



そうして、三人は思いがけない隣人とそのお客に別れを告げ、屋敷に戻ることにした。

大きな星の落ちた痕跡の淵を歩き、自分の別荘に戻る道中、隣に並んだヒルドに先程の会話について尋ねられる。



「欠けの残りの魂ということは、ニケ王子は、前歴の記憶を持つ者なのですか?」

「僕にその名前を言ってもいいのかい?」

「勿論、寧ろ言っておかねばならないでしょう。あなた方の眼差しは、実際に国や政治と関わる我々とは違う。ニケ王子が何らかの要因で影を落とすのであれば、私やダリルはそのことを把握しておかねばなりません」


そう言われたことは、なかなかにいい気分だった。

こちらは内側で、あちらは外側なのだ。

あらためてそう感じられるような気がして、唇の端を自然に持ち上げてしまう。



「彼の話を聞いていると、欠け残りの中でも、記憶や感情ではなくて、場面の切れ端を記録として持っている方みたいだね。竜が賢者の翼を継ぐ感覚に近いかな。人間の欠け残りは、多くの場合は前歴の人格や感情をそのまま引き継ぐことが多い。僕が警戒したのはそこだったんだけど、前のあいつなら絶対に今日の彼のような言葉は選べないだろう。だから、………まぁ、ひとまずは心配はなさそうだね」

「彼の前歴の者は、私でも知っているような者なのだろうか?」

「知っていると思うよ。バーンチュア王の腹心の部下、ヴェルリア国最後の将軍だった男だ。ドーンメイという隻眼の男を知っているかい?」

「…………………メイ将軍か!」



はっとしたように表情を強張らせ、エーダリアは小さく呻く。



「であれば、お前が嫌うのも当然だったな。ウィームの花の精霊達が、死んでも呪うと誓った男の名前だ。だが、彼はその呪いを避ける為に、三人の奥方とは別に、炎竜とも婚姻を結んだと聞いている。…………寧ろ、よく彼の話を聞いてくれたな、有難う」

「…………そういうところさ、エーダリアは狡いよね」

「そ、そうなのか?」

「ヒルドも多分そう思ってるよ」

「確かに、エーダリア様は叱られる前に無意識にこちらを懐柔し、上手くすり抜けてゆくことはありますね」

「いや、お前には随分叱られているような気がするが………」

「そっか、だからダリルとヒルドでいい組み合わせなんだろうね。片や甘めで、片や厳しめって感じだもんなぁ」

「……………おや、私はネイの目から見れば、随分とエーダリア様に甘かったようですね」

「甘くない!甘くないぞ?!」


慌てたエーダリアが必死に首を振っているが、ヒルドは今後はもう少し厳しくしようと自分自身に言い聞かせるように呟いている。

恨みがましい目でこちらを見る契約者がいたので、ノアベルトは小さく微笑んだ。



「まぁ、僕はどんどん甘やかしたくなる方だからさ、ヒルドはもう少し厳しくてもいいよね」



そう言うと、なぜかヒルドとエーダリアで顔を見合わせてこそこそ何かを話しているので、何かおかしなことを言ったかなと首を傾げる。

甘やかされたい方ではないかと聞こえてきたが、勿論それも大好きだ。




(でもまぁ、まだ流星雨も流れてるし、何だかんだで一番危険視していたカルウィにはいい繋ぎが取れたし、今夜は上々かな…………)



しかし、別荘に戻るとまた新しい事件が一つ起こっていた。


今夜は何かと騒がしい夜になるようだ。



「………………なぜ、アンゲリカが行方不明になったのだ」


そう呻いて頭を抱えてしまったエーダリアに、ゼノーシュが何かを食べながら事の経緯を説明する。


「サハナムがね、酔っぱらってアンゲリカの靴を投げたんだよ」

「わーお。そもそも靴を脱いでるって、あの騎士もそこそこ酔っぱらってるよね」

「はっはっは!悪気はなかったのだ!なぜかついつい投げたくなってな。投げたもののいささか力加減を間違えた結果、あちらの壁に引っかかった。アンゲリカはそれを取りに行こうとして壁から落ちたのだ」



その説明にヒルドと顔を見合わせ、首を傾げる。

アンゲリカ程の騎士が、壁にひっかかった靴を取ろうとして落ちたりするだろうか。



「まぁ確かに、あの壁の向こうは砂の斜面だから、落ちたら下まで転がるだろうけどさ………」

「うん。だから、帰ってくるのを待ってたの。サハナムを一人で置いていくと危ないからね。じゃあ、僕とグラストで探してくる」

「あ、ああ。そうだな………ヒルド、それで構わないか?」

「ええ、グラストとゼノーシュであれば心配はないでしょう」



ヒルドもどこか不思議そうな表情のまま二人を送り出し、二人の姿が消えて暫くしてからはっとしたようにテーブルの方を振り返った。



「……………サハナム。もしかして、あなた達が飲んでいたのは、この酒ですか?」

「うむ。コルという酒でな、ゼノーシュのお気に入りなのだそうだ。美味いぞ!」

「ありゃ…………」

「それが原因ですね…………」

「ということは、グラストも飲んでいるのではないか?!」

「わーお。探しに行った方が良さそうだね」



テーブルの上にある空っぽになった瓶には、暖炉の上に悪魔が座っている絵柄のラベルがあった。

これは魔物でも三杯以上は遠慮したいというかなり強い酒なのだ。

四人だったとはいえ、すっかり空になっているのはかなり危うい。



「……………酒席とは言え、ネアがいなければ、事故らないと思っていたのが甘かったようだな」




エーダリアのその呟きに、ノアベルトとヒルドは、重々しく頷いた。

と言うか最早、コル、コッツ、コルヘムあたりの酒が全て、自分達の運命に試練を与えるのかもしれない。









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