槍の話と星の話
「……………サナアークの流星雨か」
その夜、執務を終えたところでそう呟くと、ノアベルトが顔を上げた。
これからの用事の為に、銀狐ではなく魔物としての姿で執務室の長椅子に寝そべって本を読んでいる。
時々あーうーだの、こりゃ駄目だなど声を上げて、向かいに座ったヒルドに叱られていた。
「ありゃ、エーダリア、流星雨に興味があるのかい?」
「…………ああ。一度、夏のものを数分だけ見たことはあるのだが、冬から春への流星雨を見てみたいな。だが、砂漠には砂に潜む古い魔術が多くてな。私の扱える魔術では防御が少し危うい。あまり行ったことがないのだ」
そう言えば、執務室に入り浸っていた塩の魔物は、首を傾げて少しだけ何かを思案していた。
「…………エーダリア、今日の飲みだけどさ、サナアークでやろうか。僕の別荘があるからさ」
「い、いいのか?!」
「…………エーダリア様、安易に飛び込まず、まずはどのようにして実現するかを聞いてからにして下さい」
「ヒルド、…………その、問題がないようであれば………」
「私は構いませんよ。ただし、あまり長くリーエンベルクを空けることは出来ませんから、その点も考慮いただきますよう」
「それなら大丈夫だよ。承認制の魔術通路を一時的に使って、遮蔽室とでも繋げよう。サナアークにも僕の領域があるからさ、そこで酒盛りしようよ。………えーっと、アンゲリカだっけ?砂と相性が悪かったりしない?」
「そうだな、アンゲリカであれば問題ないだろう。決して彼の魔術が伸びる領域ではないが、砂漠であれば夜は冷え込むからな」
「あの槍は精霊そのものを武器化したやつだからさ、相性次第では持ち主が弱る厄介な道具だよねぇ………」
その夜、イプリクでの仕事を無事に終えたアンゲリカと、エーダリア達は久し振りに飲み交わす約束をしていた。
最初はヒルドとグラスト達だけだったのだが、エーダリアとノアベルトもいつの間にか参加することになっていたのだ。
イプリクへのネアの派遣自体は一昨日だったが、捕らえて来た背徳の妖精の処置も含め、やっと今日、その全てが片付いたのであった。
なお、あの妖精はダリルに引き渡され、恐らくは旧ロクマリアからヴェルクレアへの侵入路や、同じようにこちらに流れてきている他の生き物達のことなどを吐かされた後、処分されてしまうのだと思う。
同種のシーが他にも残っているとは言え、失われてゆくのが人ならざる高位のものだと思えば少しだけ心が竦んだが、その種の嗜好と系譜の妖精は執念深く呪うので、生かして放すととても厄介なのだそうだ。
ヒルドとダリルは最初からそのつもりだったようだが、その一件に関わったネアは大丈夫だろうかと心配したエーダリアに、ヒルドはネアが新しい武器の効果を試したがっていたという恐るべきことを明かしてくれた。
(だが、そのどれにも心が動かない訳でもないのだろう。………ただ、彼女は自分にとっての自分が選ぶべきものを、的確に見定められるのだ)
いつだったか、ヒルドが、だからこそネアとならいつまでもここで暮らせるだろうと話していた。
彼女は選び、その酷薄さを躊躇わない。
だからこそ彼女は、エーダリアの良き、そして生涯の友人になるだろうとも。
(友人というか、…………妹のようなものだな)
そう考えてから、何だか気恥ずかしい気持ちになって慌てて首を振った。
それはまるで、家族のようでどう捉えればいいのか分からない温もりだ。
けれどももう、心のどこかでエーダリアは、今のリーエンベルクにあるものを手放したくないと考えているのだろう。
(ヒルドがいて、ノアベルトもいる。…………グラスト達が壮健で、騎士達も頼もしい。…………であれば私は、ここをしっかりと守ってゆかなければだな)
一瞬だけ不安になり、小さく微笑んだ。
塩の魔物どころか万象の魔物以下、第三席までの魔物の助力が得られるのであれば、ネアがいる限りはここは安泰だと考えてもいいだろう。
しかしながら、それ以上にダリルがいればどうにかなりそうな気もした。
「…………ダリルも誘ってみるか!」
「おや、あなたがそう言うのは珍しいですね」
「いつもは酔うと散々こき下ろされるからな。だが、せっかくの流星雨なら、一緒に見てもいいではないか」
そう考えていい気分になったが、その一時間後、エーダリアは暗い目で床を見つめていた。
ふわりと風が揺れ、砂の匂いがする。
星空が揺れる音が魔術に響き、ウィームにはない魔術の気配にエーダリアはふっと目を瞠った。
「エーダリア、着いたよ。………ありゃ、まだダリルの言葉を引きずってるのかい?」
「そのようですね。ですが、しつこい男は恋人候補に逃げられると言われたようですので、今暫くは…………」
「わーお、辛口だなぁ。そんなダリルには恋人とかいるの?」
「まぁ、確かに用事があると言う者をしつこく誘うのはいけませんね。ダリルなら、今は恋人がいるようですよ。ですから、余計にあのように……」
そんなやり取りが聞こえてきたので、エーダリアは遠い目をした、
声を潜めるというような配慮はないのだろうか。
「だからエーダリアは余計に落ち込んだのかぁ。文通していた風竜が、自分より強い伴侶を見付けたんだっけ?」
「そのことで、なぜいつも竜に好かれないのだろうと、この一月程ずっとダリルに散々泣き言を言い続けていたようですからね。ダリルもうんざりしておりましたし、そろそろこのようにぴしゃりと言われるような気はしていたのですが、…………エーダリア様?」
「お前達、全部聞こえているぞ………」
「聞こえないような配慮はしておりませんからね。さあ、ほら、アンゲリカが困ってしまっているではありませんか。気持ちを切り替えて下さい」
「………そ、そうだったな。アンゲリカ、すまない、待たせてしまったな」
そう詫びれば、ヒルドの横にいたアンゲリカが苦笑して首を振った。
「謝る必要はないぞ。こやつはな、先程からこの土地を観察するのに忙しい。砂漠の土地に来るのは初めてなのでな」
そう言ったのは、アンゲリカの隣に立っていた小柄な少女だ。
真っ青な足元までの長い髪に、濃紺の宝石のような瞳をしている、一目で人間ではないと分かる美しい少女だ。
こうして人型にもなれるものの、実は彼女は、サハナムというアンゲリカが持っている青い槍その人なのである。
槍のあるところであれば、こうして人型で現れることが出来るが、槍がない場所には自力で行けないのが難点であるらしい。
実は、少女の姿なので心配になってこっそりゼノーシュに彼女の存在は問題ないのか尋ねてみたが、ゼノーシュ曰く、サハナムはとても高齢なので問題ないのだとか。
「はは、お恥ずかしい。あまりにも独特な魔術で、夢中になっておりました。それにしても、なんという星空でしょうね。…………グラスト様?」
「…………ああ、ゼノーシュがどこかに行ってしまったんだが、屋台がどうとか………」
そう言ってゼノーシュが消えたと思われる背後を心配そうに見ているグラストに、ヒルドが小さく微笑む。
気持ち良さそうに夜風に目を細めているので、森や湖の気配のない土地でもこのように訪れるのは嫌ではないらしい。
(安易に砂漠に行きたいと言ってしまったが、ヒルドが苦痛でなくて良かった………)
こちらに着いてから、ヒルドの系譜を思い出してひやりとしたので、エーダリアは密かにほっとする。
しかし、ヒルドにはお見通しであったらしく苦笑されてしまった。
「恐らく、ゼノーシュは、サナアークのオアシスの屋台に食べ物を買いに行かれたのでは?」
「一人で危なくないだろうか………」
「この辺りなら、ジョーイの管轄だから大丈夫だと思うよ。ジョーイはゼノーシュのことは気に入ってたからね。ほら、ウィリアムと似た気質の魔物だから、ゼノーシュも懐くんだ」
「そうでしたか!ほっとしました」
そうグラストが笑顔になり、ゼノーシュは暫くすると沢山の食べ物を抱えて帰ってきた。
「見て、流星雨の日だから、色んなお店があったんだよ!」
「はは、ゼノーシュ良かったな」
「うん!これは試食したら美味しかったから、お土産も買ったんだ。あとこれは、串焼きの魔物のお店があったから買ってきた!本当は持ち帰りはなしなんだけど、僕達友達だから特別なの。ネアとウィリアムもさっきまでお店に来てたんだって!」
「ありゃ、ジャミルの店に行ったのかぁ。そりゃネアは大喜びしただろうなぁ」
「三つ編みのムグリスと黒い毛皮の生き物が一緒だったみたい。黒いのって、何だろう?」
「…………おや、新しいご友人でしょうか」
「ヒルド……………」
微笑んだものの目が笑っていなかったヒルドには、ノアベルトがその獣については調べておくと約束している。
ネアならうっかり道中で下僕にしてしまったとか、そのようなこともありそうだ。
「これがね、棘牛のお肉で、こっちが駝鳥。前に砂漠の涙を探しに来た時にグラストが食べた、砂牛もあったよ」
「余は、駝鳥が好みであるぞ!!」
「うん、僕も駝鳥好き。美味しいよね」
「サハナム、落ち着いてくれ………」
「アンゲリカ!駝鳥はあまり食べてくれるなよ?余とこの魔物とでより多く食べるのだ」
「サハナム…………」
「それでね、こっちは挽肉のクレープで、これは砂喰い鳥の油を使ったスープなの。野菜を甘辛く味付けた餡を小麦粉の皮で包んだのが入ってるんだよ」
「すごいな、一人でこんなに沢山買って来てくれたんだな」
「うん!」
頬を高揚させ、あれこれと食べ物の説明をする姿は容姿のままの少年のようだが、これでも彼は公爵位の魔物である。
しかしそんなゼノーシュをグラストはまるで息子のように慈しみ、その愛情を受ける度、ゼノーシュは初めて親の愛を知る寄る辺ない子供のように瞳を喜びに煌めかせるのだ。
(……………ノアベルトもそうだった)
誕生日で、あんなに喜んでいた魔物。
たわいもない贈り物や、何でもないことで頼ったり、甘えさせてやったりすることで、この魔物はとても喜ぶのだ。
「…………ここは、素晴らしいな」
エーダリア達がやって来たのは、土地の領主館のようなところだ。
ただし、恐らく今は廃墟になっており、それをノアベルトの魔術を使った白い結晶石で修復してある。
砂色の石と白い結晶石が混ざり合った建物は、どこか奇妙な退廃の美しさがあった。
円柱が立ち並ぶ中庭には様々な花が咲き乱れ、青い水を湛えたモザイク装飾の噴水まである。
そして今夜も、エーダリアが思わず零した感嘆の言葉に、塩の魔物は嬉しそうな笑顔になるのだ。
「ここは、十年くらい前まで小さな街があったんだよ。でも、砂の精霊と砂虎の被害があったから近くのオアシスに移住してもぬけの空になったんだ。その一画を僕や、砂漠のシー達で切り分けて貰い受けたって訳」
「それはなぜなのだ?高位の者達であれば、人の手が入らない土地でも自由に扱えるだろうに………」
そう尋ねれば、ノアベルトは唇の端で微笑む。
「砂漠みたいにさ、生活可能な土地が狭い国では、案外人間達の方が安定した土地を探し出すのが上手いんだよ。それって、僕達より弱いのに不思議だよね。だから、こうして人間達が手放した土地は、僕達にとっては扱いやすいところになるんだ」
長方形に開いた中庭を取り囲むのは、円柱の回廊だ。
ウィームの建築とは違い、土地そのものを外壁で覆った後は、内側の壁などを少なくして中庭を眺められるようにするのがこちらの建築方式だ。
風を通し、魔術の流れを良くする知恵であり、遮るものを無くして砂地では貴重な水の系譜の者達のご機嫌を取る為でもある。
その中庭に、今は大きな森結晶のテーブルを出し、エーダリア達でサナアークのオアシスの屋台の料理などを並べている。
持って来たウィームの酒や果物が、こうして砂漠の国の空の下で広げられると、何やら不思議な感じがした。
(…………こうして、誰かと流星雨を見てみたかった)
ガレンの書物で季節の流星雨について知り、まだ若かったエーダリアは、そんな国へ旅してみたいと思ったものだ。
あの時は、王宮に残してゆかねばならなかったヒルドにその星空を見せてやりたいと思っていた。
少しだけ自由が利くようになった後、数分だけだからと無理をして、夏の流星雨を見に行ったこともある。
胸を打たれる壮大な光景であったが、一人きりであったし、短い時間であった。
(でも今は、…………)
でも今は、とても賑やかだ。
それを叶えてくれた魔物は、上機嫌にお気に入りのシュタルトのメゾンの葡萄酒を飲んでいる。
彼はもう、よくネアがディノに対してそう言うように、エーダリアの大事な魔物であった。
「そう言えばさ、何で槍になったの?」
「ノ、ノアベルト………それはあまり聞かない方がいいのではないか?」
「ありゃ、曰く付きの過去だったりする?」
「ああ、いえ、大丈夫ですよ。サハナムにとっては甘酸っぱい初恋の話ですから」
「初恋……………」
「わーお、初恋なんだ………」
「ほお、そなた達は知らなんだか!かつてのウィーム王の片腕だった魔術師にな、柔らかく笑う男だったが、この上なく腹が黒い男がおってな。愛しいそやつを困らせてやろうと、シュタルトの湖に星を降らせて遊んでいたら、この槍にされて封じられてしまったのだ。あの男が死んだ今、余の呪いを解けるものはこの世にはおらぬ。だが、この呪いは解けなくとも良いのだ。あの男が余に残した唯一の贈り物であるのでな」
それは、エーダリアは初めて聞く告白であったが、ふと、その中の一言が気にかかった。
「サハナムは、………氷の系譜の精霊ではなかったのか?」
エーダリアがそう言えば、夜空の色の瞳をした少女は薔薇色の唇を持ち上げて愉快そうに笑う。
「余は、冬星の精霊だ。冬の星座を司る者として、雪や氷の魔術も使えるのでな、よく知らぬ者には氷の魔術の系譜だと思わせておるのだ。ふむ、余は賢いであろう?」
「…………ほ、星?」
「おや、アンゲリカも驚いているようですよ?」
「なに?!そなたもしや、父から聞いてはおらぬのか…………?」
「…………初耳だった」
「……………あやつめ、息子への説明の手間を省きおって。引退後に悠々と釣りなどして遊び呆けておる時間があったなら、そのくらいは説明出来ただろうに」
「父上…………」
アンゲリカはぐったりとして両手で頭を抱えてしまい、その隣のグラストに、ゼノーシュが僕は知っていたよと話している。
星の祝福は人間が持つのは珍しい祝福なので、高位のものの目には止まるものであるらしい。
「だとすれば、その魔術師はかなりの手練れだったのだな。星の魔術の扱いは、人間が最も不得手なものの一つではないか」
「いやいや、そやつは実は魔物であった。余に、であればその男のかけた呪いは無効だと言いに来た大馬鹿者がいたが、滅ぼしてやったわ!」
「…………善意だったのでは?あなたを解放しようとしたのでしょう」
人間がかけた呪いと魔物がかけた呪いでは、基盤が違うらしい。
相手が人間を詐称した魔物であった場合、元の条件が変わってからくるからとその嘘を突いて呪いを放棄することも出来るのだそうだ。
しかし、ヒルドにそう言われたサハナムは、なぜか憤慨した様子で首を振る。
「余が唯一人愛した男が与えたものを、そんなことで取り上げられると思うか。この呪いは誰にも奪わせん!」
「…………と、まぁ、こういうところはずっと変わっておりません」
「……………以前のままのようだな」
「ありゃ、精霊らしいね」
「精霊はそのように愛するものだ!」
ふんすと小さな胸を張り、サハナムはどこか誇らしげに頷く。
代々、この槍の使い手達はこの小さな精霊の女王に魅せられ、心を与えてその使い手となる。
アンゲリカの父親のように、存命の内に息子に譲ったものは珍しく、大抵は死ぬまでサハナムを手放さない者が多い。
本来、人間が契約出来ない階位の精霊なのだ。
そんな存在が手の内にあり、自分の相棒となる喜びを手放せる者はそうそういないのだろう。
槍を継いだアンゲリカも、その傾向が強い男であった。
「…………不躾な問いになるが、サハナムはその辺りは寛容そうなのに、お前は家族を持とうとは思わないのか?」
エーダリアが尋ねた言葉に、アンゲリカは小さく微笑むと首を振った。
「俺は、ゼベルと似ていますよ。彼は狼を、そして俺はサハナムを愛し、……ウィームへの愛や忠義心以外の部分では、それ以外のものに共に暮らす者としての愛を割けません。まぁ、俺がサハナムに向ける愛情は家族愛のようなものなので、夜狼を伴侶にしたゼベルとは少し違うかもしれませんが………」
「へぇ、家族愛なんだね」
不思議そうにそう言ったノアベルトに、アンゲリカは小さく頷く。
先程まではどこか緊張した面持ちも見せていたが、ノアベルトの生来の人懐っこさのようなもので、会話をしている内に気を遣わなくなってきたようだ。
「俺も若い頃は恋のような思いをサハナムに抱きました。…………しかし、サハナムは今日はあの店の店員、次の日は森に住む妖精と、それこそ毎日恋の相手を変える恋多き精霊でして、自分では会いに行けないからと、俺にそこまで連れてゆくように強請るんです。…………すぐにそのような思いを向けていては心が持たないと悟りました………」
「軟弱な奴よのう………」
「十数年しか生きていない少年には荷が重いだろう…………」
「恋は多くした方が愉快なのだ。明日は、イプリクの粉屋の青年に会いに行くぞ!早く仕事を終わらせるようにな!」
「サハナム…………」
「おや、あなたと似てますね?」
「エーダリア、ヒルドが虐めるんだけど………」
今のアンゲリカにとっては、サハナムは手のかかる妹や娘のようなものなのだそうだ。
それが一転、戦場に出れば頼もしい相棒で、叡智深き高位の者にもなる。
とにかく口煩く手がかかり、他のことにかまけていられないのだそうだ。
「そう言えば、ネア様とはお会いにならなかったのですね。一度も出てこられなかったので、少し驚いていたのですが」
「……………で、出られるものか!あの娘の契約相手は万象の魔物の君であるぞ、ヒルド!!しかもあの方はな、アンゲリカに言い含める体で、可憐な乙女の姿であの娘を惑わせるなと、余に釘を刺してきたのだ。その忠告を無視する程、余も愚かではない…………」
「…………そう言えば、ネアは女友達を作るのを禁じられていたな…………」
半眼でヒルドの方を見れば、瑠璃色の瞳を細めて素知らぬ顔をされた。
ノアベルトが、わーおと呟いている。
変わって、さもありなんと答えたのはサハナムだ。
駝鳥の肉よりも、砂喰い鳥のスープが気に入ったらしく、お陰でエーダリア達は安心して駝鳥肉を楽しめていた。
「あの娘にとっては哀れなことだが、契約の魔物というのはそういうものだ。色恋に転じる異性よりも、その多くの時間を罪の意識なく切り分けてしまう、血族や同性の友人達をこそ、嫌厭する傾向にあるからな」
渋い顔でそう呟いたサハナムに、エーダリアは目を瞠った。
歌乞いは親家族からも引き離されるとは聞いていたが、このような理由を的確に表現されたのは初めてだったのだ。
「…………そういうものなのか」
「そうとも。浮気者には報復すれば良いだけだが、同性の友人は、愛や恋ではないくせにその者の価値観に大きな影響を与える。魔物達は、………精霊もだが、それはあまり好まないのだ。愛する者のありのままの心が欲しいのに、いちいちその友人とやらの忠告を再現されては腹も立つというもの。まぁ、余は心の広い良い女だからな!アンゲリカに友人達が多いのは良い事だと思っているぞ!!」
その言葉に、ディノがどれだけ多くのことをネアに許しているのかをあらためて考えさせられた。
或いはそれは、サハナムの言葉から考えるに、ネアの心を彼女自身の領域から変えることの出来ない相手であればと、許される関係なのかもしれない。
(そうか。………そう考えれば、確かにネアならどんな者との関わりであれ、自分の意思をディノ以外の者の為に曲げはしないだろう………)
そのことを理解し、そうして許したものなのかもしれない。
自分との絆が確かなものになったからこそ、魔物達はその独占欲を安心して緩める寛容さを見せられるようになるのだとしたら。
エーダリアはその知見を、近い内にガレンでの歌乞いの運用にも展開してみようと思う。
思えば、契約よりも踏み込み、相手が契約の魔物であることを失念した程の関係を結んだ歌乞い達は皆、苦労はしていても皆どこか幸福そうであった。
グエンなども、今思えばそのような歌乞いの一人だったのだ。
物思いから顔を上げると、グラストとアンゲリカに、サハナムが契約主の寿命の話をしている。
「………そうなのだ。余を使いたければ、余と同じものになるのがその対価。この槍を使い続けるが限り、そなたの寿命は精霊の王族のものと同じ。こやつはまだまだ長生きするぞ!」
「最初にアンゲリカの年齢を知った時は、とても驚いたものだ」
そう笑ったグラストに、アンゲリカが苦笑して頭を掻く。
「あの時は、あなたが突然敬語を使い始めて焦りました。同じ歳であれば、リーナもそうですし、シュタルト騎士の中にもいますしね」
「いや、すまなかった。あの時はまだ隊長になったばかりで、そのような者達とどう関わるのかを試行錯誤していてな。………言われてみれば、リーナもそうだったな。人間と竜の血を引く者達は幼子の時期が長いからな」
「グラストも長生きするよ!」
「はは、ゼノーシュが寂しくならないように、俺も長生きしないとだな」
(……………あ、)
そこで、星が流れ始めた。
満天の星がいっせいに流れてゆくのは壮観であるし、それがどこまでも連なる砂丘の向こうまで流れてゆくことに、不思議な胸の高鳴りを覚える。
暫くはみんな無言で、その流星雨を見ていた。
ノアベルトが、流星雨がよく見えるようにと外壁の一部を解放してくれて、そんな美しい星の雨を存分に堪能することが出来たからだ。
「アンゲリカ、余を星の光が当たるところに置いておいてくれ。星の光が移るからな」
「ああ。………これでいいか?」
「良いぞ!ああ、気持ち良いのう!!」
「エーダリア、魔術蓄積用の壺や、布はあるかい?」
「…………ノアベルト?………これでいいだろうか?」
「うん。こういうものを置いておくと、今夜は星の祝福が取れるよ」
「そ、そうなのか?!では、あの辺りに並べておこう。一番星の光が落ちてきているからな!!」
「エーダリア様……………」
ヒルドが呆れていたが、エーダリアは慌てて立ち上がると、一緒に着いてきてくれたノアベルトと一緒に、大量の壺や布を並べ始めた。
ふと思い至って、星の系譜の魔術書なども星の光を浴びさせてやる。
後ろからは、サハナムの声が聞こえてきており、どうやら少し酔っ払って統一戦争の時のことを話し始めたようだ。
「………そうだな。だが、その代わりこの槍の持ち主が現れずに百年が経てば、この槍ごと余も滅ぶという約定よ。それは不愉快なのだ。このウィームは、あの男が愛した国。統一戦争の時は、最初の奇襲で大怪我をしたアンゲリカの命を繋ぐ為に眠りについておったが、次は容赦せぬぞ!」
少しだけ気になってノアベルトの方を見ると、塩の魔物は、おやっとこちらを見て小さく笑った。
「エーダリアは心配性だなぁ。僕はもう、統一戦争の話をしても大丈夫だよ。…………この前ヒルドにさ、転移の間に飛び込んだら血だらけのネアがいて、僕は火竜を倒してそんなネアを連れて帰ったって話を酔っ払うと何度もするって叱られたんだ」
でも、悪夢の中の僕は、ネアを助けられて嬉しかったんだよねぇとノアベルトは微笑む。
「僕はさ、………一年前まで火が苦手だったから、温かい食事や、ストーブも駄目だったんだ。今はこうやって君達と何でも食べられるし、こんな風に僕の屋敷の一つに招待出来る友達がいるって、………うん、凄くいい事だよね」
「……………今日は、ここに連れてきてくれて礼を言う。私は、………ずっと誰か、……大切な者とこの流星雨を見てみたかったのだ」
エーダリアの言葉に、ノアベルトはふにゃりと瞳を潤ませると、慌てて誤魔化すように頷いて笑う。
「エーダリアもヒルドもさ、長生きしなきゃ駄目だよ!僕の、やっと出来た友達で契約者なんだからね」
「…………ああ」
そんなことを言い合って、お互いに何だか照れ臭くなっていた時のことだ。
「……………わーお」
「…………ほ、星が」
突然、ごごごと空が明るくなったと思ったら巨大な星が落ちてきた。
青白い尾を引いてすぐ真上を横切ると、この屋敷のすぐ近くに凄まじい轟音を上げて落ちる。
それは、エーダリア達の体が浮いてしまうくらいの物凄い振動であった。
「…………はっはっは!すまぬな、つい懐かしくなって星呼びをしてしまったら、失敗したのだ」
「サハナム………………」
あまりの事件に、呆然としているエーダリア達に気恥ずかしそうに謝ったのは、アンゲリカの槍であるサハナムだった。
「………えーっと、僕はちょっとご近所さんの様子を見てくるよ」
「それなら私も行こう!」
「ではあれば、俺も行きましょう」
「ネイ、エーダリア様とアンゲリカは、物見遊山ですから置いていくように」
「ありゃ………」
「ヒルド………」
「ヒルド様………」
その夜は、その後もとんでもない事件が続いた。
とても長い夜になったのだが、思いがけない者達に会え、エーダリアにとっては愉快な夜でもあった。
もっとも、同行者の数人にとってはそうも言えない夜になったに違いない。
なお、あまりにも大きな流星が近くを流れたので、エーダリアが並べた壺や布には星の祝福がたっぷりと蓄積されていた。
星の魔術書も夜になると星の煌めきを浮かべるくらいになったので、密かな自慢である。