流星雨とテントの夜
サナアークのオアシスを出ると、砂漠の夜はすっかり紫紺色の影に沈み、ぐっと冷え込んできた。
先程までは明るくあたたかに思えた月光が冴え冴えと光り、青白い煌めきの靄を砂の上に引き摺る。
昼夜の寒暖差で立ち昇る靄に、月光の光が揺れれば夜の陽炎のようだ。
砂漠とはいえここは、魔術が豊かな地脈や、かつての都などが砂の下に隠されている。
そんな揺らめきの向こうに、もう失われた筈の砂漠の王宮を見付ける者もいるのだろう。
ちりんちりんと、鈴が鳴った。
「クルツに乗るのは二度目なのですが、ディノは乗ったことはありますか?」
「キュ………」
「あら、初めてであれば、ディノの初めてをまた一つ一緒に過ごせて楽しいですね」
「キュ!」
「ウィリアムさん、すっかりムグリスなディノですがクルツは初めてなのだそうです。この通り三つ編みがきりりとしてたいそう喜んでいるので、今日もクルツに乗せてくれて有難うございました」
クルツは、夜の砂漠を走る砂の妖精の一種だ。
額に見事な一本角のある、漆黒のユニコーンのような生き物で、体にはまばらに鱗があり、足はネアの世界にいた駱駝のような不思議な形をしている。
鞍の代わりに織物を重ねて背中に敷き、手綱は色鮮やかな織り紐で鈴が編み込んであるので、歩く度にそれがチリリと鳴る。
行きはこの姿でお客を乗せて走ってくれるが、お客を目的地に届けて単独で戻るときには、黒い蝶に姿を変えてお店に戻ってゆくので、誰もいない砂漠で鈴の音を響かせる黒い蝶を見付けても捕まえてはいけない決まりになっている。
「そうか、シルハーンは初めてなんですね………」
ディノがクルツに乗るのは初めてだと知り、ウィリアムは少し驚いたようだ。
ネアの胸元から顔を出して、ムグリスディノは砂漠を軽快に駆けてゆくクルツに目を輝かせている。
そんな小さな横顔を肩越しに見下ろす気配がして、ウィリアムがどこか嬉しそうに微笑むのを感じた。
少し肌寒くなったからか、ご機嫌でクルツからの眺めを楽しんでいるムグリスディノに、ネアも何だかうきうきしてしまう。
だが、クルツなどは乗り慣れているぜ風な黒ちびふわは、ネアの後ろに乗ったウィリアムのことをじっとりとした目で見上げていた。
締まった砂を踏むぎしっという音に鈴の音、そしてふすふすというクルツの呼吸の音。
時々、砂丘の向こうを歩いてゆく商隊の影を見付けたムグリスディノが小さく鳴く声に、ネアの方に体を屈めて砂漠に隠れている珍しい生き物を見付けて教えてくれるウィリアムの声の温度。
砂漠の夜は静かで美しく、そして賑やかで穏やかだった。
「ネア、………あの窪みに青い尻尾が見えるか?」
「…………む。ふさふさ尻尾が覗いています」
「尻尾蠍という生き物で、あの尻尾で獣のような生き物だと誤解させ、食べようとして捕まえると砂の下から大きな蠍が出てくるんだ」
「……………教えて貰わなければ危ういところでした。うっかり狩ろうとして、砂の中から蠍めが出てきたら困るのです……………」
「この砂漠だとあのくらい大きなものがいるが、砂地などにもっと小さな個体がいたりもする。砂から尻尾だけが出ている生き物は、全体を見るまでは用心した方がいいかもな」
「……………く、………くもさんはいませんか?」
「もっと砂漠の奥地に行けば、砂蜘蛛がいる。だが、この辺りには砂虎がいるだろう?それを嫌って近付かないんだ。砂虎がいる土地には、砂蜘蛛はいないと思っていい」
「まぁ!砂虎さんは恰好いいだけでなく、くもめを寄せ付けない良い子なのですね!」
「キュ………」
「むむぅ。浮気ではないのです………」
さらに暫く歩くと、大きな角を持つ鹿のような生き物がのそのそと歩いてきた。
漆黒の長毛種で、砂漠などではなく寒い土地の山間などにいそうに見える。
「…………砂牛だな」
「む。鹿さんではなく、先ほど食べた牛さん」
「シルハーン、アルテア、落ちたら攫われますから、ご注意下さい」
そう言うと、ウィリアムはポケットから紙袋を取り出して中身を一つぽいっと砂の上に放り投げた。
「あ、杏飴が!!!大事な杏飴が砂漠に飲み込まれてしまいます!!!」
思わずネアが悲痛な声を上げた途端、その砂牛は瞳をぎらりと煌めかせると、その砂飴をぱくっと砂ごと食べてしまい、さっと駆け去って行った。
「むぐぅ…………!」
「ネア、助かった。飴を一つ渡してしまったが、砂牛は出会ったものの大事なものを奪うからな」
「…………そう言えば、以前に砂漠に来た時にそう教えて貰いました………。そんな牛さんですが、串焼きになるととても美味しかったですね」
「ああ。困ったことに砂牛は美味なんだ。そのせいで犠牲になる者達もいる。砂牛は防御魔術に長けていて専門の牛狩りじゃないと倒せないからな」
「きっと、美味しい砂牛さん目当てで張り切ってしまう方々がいるのでしょう……じゅるり」
また砂漠に静けさが戻ってきた。
ネアは、ウィリアムに、お口に持ち帰り用の杏飴を入れて貰い、ご機嫌でクルツに乗っていた。
紙袋に入っているのは、串に刺した杏飴とは別に買える、持ち帰り用の穴の空いてない杏飴だ。
屋台の飴があまりにも美味しかったので、ネアもリーエンベルクへのお土産として買い込んで金庫にしまってあるのだが、ウィリアムも後でテントで食べようなと言って少しだけ持っていてくれたのだ。
(中の杏ジャムとゼリーがとってもジューシーで、外側の飴の部分が薄くて美味しい!!)
そんな飴を食べながら見る砂漠は素敵だった。
深い夜の光を内包した砂漠は、南国の真夜中の海がぼんやりと光るような、不思議な夜の光に揺れていた。
いつの間にか吐息が白くなり、ネアはウィリアムが羽織ったケープで後ろから包んで貰う。
そのうちにまた、どこからともなく宴のような音が聞こえてきた。
ネアがきょろきょろすれば、ウィリアムが指差してくれる。
「……………ほら、あっちに」
そこには、夜の砂漠に浮かび上がった不思議な宴の光景があった。
中央に魔術の火を焚き、薄物を纏った美しい踊り子が優美に腰をくねらせる。
胡座をかいた男が楽器を掻き鳴らして歌い、その歌声はえもいわれぬひたむきさで、胸を打つのだ。
これは砂の歌い手という妖精で、どこからともなく聞こえる楽の音を探して彷徨う者達の恐怖心や、その音楽にうっとりと聴き入る者達の喜びを食べる。
ネアが提供するのは後者だろう。
(なんて素敵なのだろう。女性の歌い手で、男性の踊り子のこともあるというから、いつかそちらも聴いてみたいな…………)
この文化圏で暮らしたことなどないのに、その歌声にふっと胸が苦しくなって涙が出そうになるのは何故だろう。
ネアがふしゅると息を吐くと、後ろからネアを抱き寄せるようにしてクルツに乗ったウィリアムが、ネアの腰に回した手をきゅっとしてくれた。
しっかりとした胸に寄り添えば、ネアはその暖かさにほっとする。
いつかのどこかで美しいものを見て心が緩んだ時は、ネアはそれを誰かに告げられなかった。
一人ぼっちだったのだ。
しかし今は、胸元に入って顔を出しているムグリスディノがいて、肩には黒ちびふわがいる。
あまりにも暖かくて、ウィリアムの方を少し振り返って、ネアはどこか浮かれた気持ちでいた。
「とても不思議でとても美しいですね。一人で砂漠にいたら、あの輪に入りたくなってしまうのかもしれません」
「あの輪に入った旅人の中には、二度と帰って来なかった者も多い。その理由はよく分かっていないんだ」
「…………捕まってしまったのか、一緒に行きたくなってしまったのか、…………砂漠は不思議で、…………どこまでもどこまでも、遠くまで行けそうな気がするのです」
「キュ?!」
ネアの言葉に、ムグリスディノがぎょっとしたようにこちらを見上げる。
微笑んだネアはその小さな頭を指先で撫でてやり、秘密っぽく囁く。
「でも、私はもう一人で生きてゆくのはうんざりなので、旅に出る時にはディノも一緒に来て下さいね。それに、リーエンベルクには大事な方達がいるので、行くとしても最長三泊くらいにしましょう」
「キュ!」
すると今度は、安心したように三つ編みをふるふるさせたムグリスディノの代わりに、黒ちびふわがネアの肩の上でぎりっと爪を立てた。
相変わらず足が小さいのでまったく痛くない。
「フキュフ」
「使い魔さんが一緒だと、事故るような気がするのはなぜでしょう……」
「フキュフ…………」
「それじゃあ、ネア達の護衛は俺が引き受けよう」
「ふふ、ウィリアムさんがいたら怖いものなしですね!」
「フキュフ!」
「それでは、使い魔さんはこのようにちびふわ襟巻きになって側に居て下さい。エーダリア様が開発した手法ですが、ずっと羨ましく思っていたのです。む、………とは言えお料理班でも構いませんよ?」
「………フキュフ」
「まぁ、素直ではありませんねぇ」
ちびふわでは体が小さいので、銀狐襟巻きのように、片方の肩に乗って尻尾をくるりと首に巻きつける技は使えない。
ふさふさ尻尾も首を一周することはないが、このちびふわは尻尾でドアノブにぶら下がれるような尻尾も自在に動かせる系の生き物なので、尻尾をくるっとネアの首裏に巻きつけ、それでちびふわ自身も体を支えているのだ。
(よく考えたら、髪の毛の片側を綺麗に編み込んだのは、肩に乗ることも想定済みだったのかしら………)
「キュ」
「ほわ、ウィリアムさんのテントが見えてきました!」
「良かった。流星雨が流れ始める前に到着したな」
「今夜は宝虫さんはいませんでしたね………」
「ああ、星の降る夜は巣から出てこないんだ。宝虫狩りはまた今度だな」
ウィリアムが擬態を解き、クルツがむむっと振り返って目を丸くしている。
ネア達の視線の先には、以前見た美しいテントが佇んでいた。
三本の木と、崩れた遺跡に囲まれた秘密基地のような土地に真っ白なテントが張られている。
その秘密めいて美しい佇まいに、ネアの心に眠っている冒険心がむずむずと動くのだ。
「…………おっと、擬態を解くのが早かったな。ネア、ケープの内側に入っていてくれるか?」
「………………む?」
「厄介な妖精が来たんだ。この時間は領域外だろうに……………」
しかし、ネアはそこで、ウィリアムのケープにすぽっと包まれてしまう。
その暗闇と、どこか親密なウィリアムの体温の中で、何か事件かなとどきどき息を潜めていると、外側から鈴を鳴らすような美しい女性の声が聞こえた。
「お久し振りですわ、ウィリアム様。アルテアを見なかったでしょうか?」
「リンシャール、夜が翼を広げてから出歩くのは珍しいな」
「私の可愛い占い師が、この砂漠にアルテアが来ていると言うのです。ふふ、見付けたら八つ裂きにして差し上げませんと。閨の中で私を組み敷きながら私の求婚を断るなんて、愚かな人でしょう?」
「やれやれ、彼も相変わらずだな。見付けたら君と話すように言っておこう」
そんな外の声を聞きながら、ネアは膝の上に避難して来た黒ちびふわが瞳をまん丸にして固まっている姿をじっと見下ろす。
暗いところで黒いちびふわなのでその輪郭はよく見えないが、まん丸な赤紫色の瞳はよく見えた。
とても悪い奴だが見付かったら八つ裂きらしいので、ネアはむんずと黒ちびふわを掴むと、スカートとインナードレスの間に突っ込んでおいた。
これなら見えないし、少しの間だけなら窒息もしないだろう。
(黒ちびふわなのは、白いと騒ぎになるからかもしれないけれど、この女性に見付からない為でもあるのかしら?)
「うふふ、ウィリアム様も可愛い方を連れているようですわね?お望みであれば、たっぷりと刺激的な夜を過ごせるような媚薬を差し上げましょうか?オアシスなどに行かず、誰もいない砂漠で交わす愛も美しいものでしょう」
「………それは遠慮しておこう。彼女は、媚薬よりもこれからの流星雨を喜ぶような気質なんだ。さてと、もういいか?」
「これはこれは、失礼いたしました。あの愚かな人はこの砂漠の美しさなど理解しないでしょう。街の方を探してみますわ」
しゃりしゃりと装身具の触れ合う音がして、誰かの気配がふわりと消えた。
どうやら転移で離れたらしく、ウィリアムがふうっと息を吐くのがわかる。
「………念の為に用心しよう。もう少しだけ、このままで我慢してくれ」
そう言われてクルツが歩みを進めるのがわかり、ややあってからウィリアムのケープの上から抱き上げられるようにしてクルツから降ろされると、そのまま抱き抱えられて運ばれた。
スカートの中できゅっとなったちびふわが暴れる気配がしたので、ネアは少しだけスカートまわりに空間を作ってやる。
やがて、ケープがばさりと剥がされると、ネア達は既にウィリアムのテントのすぐ横に居た。
「………むむぅ。とんでもない修羅場になるところだったのです…………」
「ん?アルテアは逃げたのか?」
「この中に隠してあります。………むむ、いなくなりました。てい!」
スカートの中でちびふわなアルテアが行方不明になったので、ネアがばさばさスカートを振ると、ぽとりと黒ちびふわが落ちてくる。
若干けばけばになっているが、潰れてしまっていたりはしなかったようだ。
「ネア、アルテアをスカートの中に入れたら駄目だろう」
「そのままの言い方だと大変如何わしい感じですが、この小さなちびふわが八つ裂きにされたら大変なので、慌てて隠してしまいました」
「キュ!」
「あら、胸元にはムグリスなディノがいたので、他に隠す場所がなかったんですよ?」
「キュキュ!!」
「ふふ、荒ぶらないで下さいね。ほら、流れ星がきらりと見えたので、そろそろ流星雨ですよ」
「…………キュ?」
「おっと、こうしてはいられないな」
ネアが夜空に見付けたのは、一筋の流れ星だ。
慌てたようにウィリアムがネアをテントの方に連れて行ってくれると、テントの入り口を左右に開いてその紐を木にかけて固定し、テントの入り口のところでふかふかのビーズクッションのようなものにぼすんと座って流星雨を見られるようにしてくれた。
「座れたか?形を変えられるから、空を見上げ易いように座るといい。それと、これは横にある受け皿に置いておくからな」
「わ、美味しそうな花のお茶です!しかも、空中に浮く受け皿が!!」
「魔術固定をしてあるんだ。指先で引っ張って自分の取り易いところに固定するといい」
「引っ張ってしまったら、落ちてしまいませんか?」
「はは、落ちないから安心していい」
ウィリアムは魔術で沸かしたお湯で温かなお茶を淹れて渡してくれ、ネアはわくわくとほこほこで笑顔になる。
空中に浮く受け皿は、翡翠で出来た美しいトレイのようなもので、お茶の入ったマグカップだけでなく、お菓子なども置けそうなくらいの大きさだ。
小さな本も置けそうなので、寝台での読書にもいいかもしれない。
「キュ……」
「ふふ、ムグリスディノは、私のお膝で仰向け寝な感じで見るのですね?」
「……………フキュフ」
「恋人さんの八つ裂き宣言から立ち直った使い魔さんもやって来ました」
「フキュフ」
「まぁ、小さな足でわしわしされてもちっとも痛くないのです。…………む?」
「ネアはシルハーンを持ってるからな。アルテアは俺が引き取ろう。ああ、ここが見易いですよ」
「フキュフ?!」
「あらあら、空中固定な受け皿での特別席ですね!アルテアさん、素敵なお席で良かったですね」
「……………フキュフ」
黒ちびふわは受け皿の上でじたばたしていたが、やがてネアが夜空に釘付けになると、いつの間にか黒ちびふわも流星雨に夢中になってしまったようだ。
小さな顔を上げて空を見ている。
「ほわ、……………星がたくさん落ちてきます!!」
それは、突然始まった。
夜空の満天の星が、一斉に流れ始めたのだ。
それはまさに、星の雨であった。
「わぁ!手で掴めそうなくらいのきらきらです!!なんて素敵なんでしょう!!」
ネアは身を乗り出してしまい、あまりにも美しい夜空に見入った。
どこまでも連なる紫紺の砂丘に降り注ぐような、星の雨が降る。
空の中を流れてゆくだけで、実際に地上には落ちてこないのがこの春告げ前の流星雨だ。
季節の移り変わりの星達の大移動が、こうして流星雨として見られるのだとか。
時々、移動に失敗してぽこんと地上に落ちてくる星もあるが、それはきらきらしゅわりと光って燃え尽きてしまう。
「ネア、少しだけ手を伸ばしてごらん。ああ、こうして袖をまくって素肌を出して」
流星雨の中で、ウィリアムにそう言われたネアは目を瞠った。
ウィリアムは優しく微笑むと、ネアの片腕の袖を捲り上げてくれる。
ネアが言われたままに袖を捲った手を伸ばしてテントの影から出してみると、素肌に流れてゆく流星雨の影が映る。
「なぬ!!肌にきらきらが映り込みました!」
「ああ。流星雨の光を素肌に浴びると、ほんの少しだけだが、肌に星の光が映るんだ」
「た、楽しいです!この流星雨は、なんて綺麗で楽しいのでしょう!」
気持ちが弾んだネアは、両手の袖を捲って、少し肌寒いもののその肌に流星雨の光を乗せて夜空と共に楽しんだ。
途中でムグリスディノも参戦し、素敵なきらきら流星雨仕様のムグリスディノになってくれる。
ウィリアムも袖を捲ってお揃いにしてくれて、二人で流星雨の煌めきを帯びた手を並べてみたりしていると、横でばりんと音がして黒ちびふわが特別席から飛び出してきた。
「むむ!黒ちびふわなアルテアさんが脱走しました」
「フキュフ!」
「あら、尻尾が流星雨仕様になりましたね。黒い毛皮がきらきらするのも素敵ですね」
「キュ!」
「ふふ、ムグリスディノが一番なので安心して下さいね」
「キュ…………」
「…………恥じらいました」
どこまでも、どこまでも。
夜の砂漠の上を、流星雨が降り注ぎ流れてゆく。
艶やかで美しく、儚くて不思議な光景にネアは目を輝かせてご機嫌で弾んだ。
ふかふかクッションはそんな荒ぶりを受け止めてくれたが、何度目かで体が傾いでしまって隣のクッションに座ったウィリアムにこてんとぶつかってしまった。
そろりと顔を上げると、ウィリアムがぎくりとしたようにこちらを見る。
「ネア…………?」
「むぐ、はしゃぎ過ぎました。ぶつかってしまってごめんなさい」
「……………いや、喜んでくれているみたいで嬉しいよ」
「ふふ、ウィリアムさんも楽しんでくれていて良かったです。こんなに綺麗なものを見れたら、元気になってしまいますよね」
微かに照れ臭そうに目元を染めたウィリアムに、ネアはそのはしゃぎぶりをさらりと肯定してみせる。
ウィリアムのような魔物でも、この流星雨には心が弾んでしまうのだろう。
そんなところを見られてしまって恥ずかしかったのだろうが、そんな無防備さが見れたネアは何だか嬉しかった。
「フキュフ…………」
「キュ………」
なぜかふわふわもこもこ達がじっとりとした目をしているが、どうか無邪気なウィリアムも受け入れてあげて欲しい。
「見て下さい、大きな星ですよ!」
「………ああ、大きいな。…………おっと」
「むぅ。……………どこかに落ちましたね」
「やれやれ、落ちた方の集落に被害などがないといいんだが。…………いや、あの辺りはもう廃墟か。大丈夫そうだな」
「大きな星さんなので、重たかったのでしょうか」
「…………フキュフ」
「む?なぜにそんな目でこちらを見るのでしょう?何もしていませんよ?」
その夜は、いつまでも見ていたい流星雨の下でネア達は流れる星が落ち着くまでずっと空を眺めていた。
遠い砂丘の上を歩いてゆく隊列は、この星空に何を思うのだろう。
やはり美しいと思い、見上げて瞳を輝かせてくれるのだろうか。
ネアはふと、その隊列の先頭に一匹の二足歩行な猫がいるような気がしたが、気のせいだったのかもしれない。
結局その後も、ウィリアムとあれこれお喋りしたり、ムグリスディノや黒ちびふわと遊んでいたりして、その夜はすっかり夜更かししてしまった。
そうして、眠ってしまった素晴らしい夜の後、ネアが目を覚ましたのは夜明け前のことだ。
「……………むぐる」
まだ朝日も差さないくらいの夜明けの少し前の暗闇でぱちりと目を開いたネアは、あまりの寝苦しさにむぐぐぅと眉を寄せる。
低く唸り声を上げてじたばたしたが、何故か体が動かせない。
何とか体を捻ると、素敵な織物の壁なテントの内側と、テントの中心の柱になっている美しい星の木は見えた。
「むぐるるる…………」
どうやら、個別包装の民であるネアは、あるまじきことに近くに寝ている何者かにぎっちり拘束されてしまっているようだ。
ぎぎっと顔を横に向ければ、睫毛が触れそうなくらいの近くにぐっすり眠っているウィリアムがいた。
あまりにも顔が近いのだが、どうやら同じ枕で眠っているらしい。
ネア達が誕生日に贈った枕だが、個別包装信仰者をこの状態でも熟睡させてしまう恐ろしい安眠枕であったようだ。
「むぐる」
今度はぎしぎしと反対側に顔を動かすと、ぴったりくっついて眠っているディノがいた。
ムグリスではなく、人型に戻ってすやすや眠っている。
どうやら、人型に戻ったディノに隣にへばりつかれ、ネアはウィリアムの方に押し出されたようだ。
「…………むぐるふ」
最後に足をばたばたさせてみれば、膝から下が誰かの体の上に乗っかっているようだ。
低い呻き声が聞こえてきて、ネアはむんずと足首を掴まれてぎゅんと引っ張られた。
「むぎゃ!」
引き摺られ引き寄せられて、ネアは悲鳴を上げたが、すぽんと隣からネアが引き抜かれてもディノもウィリアムも起きた様子はない。
「ったく、煩いぞ」
「…………むぐ!」
そうしてこちらも人型に戻っているアルテアは、引き寄せたネアを抱き込むとそのままこてんと眠ってしまうではないか。
ぞんざいに抱き寄せられたまま寝られてしまい、ネアは渋面になる。
ずるりと引き摺られてしまったので、髪の毛はとんでもないことになっているし、持ってきた寝間着のお腹と背中はすっかりめくれてしまっている。
下に敷かれたふかふか毛皮が暖かいので寒くはないが、この有様は淑女の姿としては不本意だ。
(…………そう言えば昨日の夜、黒ちびふわが悪さをするからって、ウィリアムさんにスプーンでお砂糖を口に突っ込まれていたような………)
ウィリアムにもちびふわがお砂糖で酔うのかもしれないと伝えてあったので、酔わせて寝かしつけようとしたのだろう。
その結果黒ちびふわはこてんと眠ってしまい、その隣でネアも寝た後に、何やらこっそり人型に戻ったディノとウィリアムで飲んでいたような気配がした。
なのでネアは、仲良しな二人を微笑ましく思いつつ、寝たふりをしている内に眠ってしまったのである。
アルテアが足置きになっていて眠っていた理由は分からないが、人型に戻った際にそのような配置に置き変わってしまったのかもしれない。
(という事は…………)
これはつまり、酔っ払い達に囲まれての目覚めということなのだろうか。
「……………むぐるる」
暫くの間は、解せないことだがそれなら仕方あるまいと我慢していたネアだが、あまりにもみんながすやすやと気持ち良さそうに寝ている気配の中、一人だけくしゃくしゃの髪の毛で、寝間着がめくれてお腹も背中も剥き出しになっていることが、だんだん我慢ならなくなってきた。
風邪をひく程ではないにせよ、肌寒いというか心許ない感じで不快なのだ。
「…………むぎゅう」
何とか寝間着をぐいぐい引っ張って元に戻そうとしたネアは、暴れるなと言わんばかりにアルテアにぎゅっと拘束された途端、怒り狂って獣のように暴れ出した。
「むぐるるる!」
「っ?!」
「……………ネア?」
ぎょっとして怒り狂う人間から距離を置いたアルテアに、ぽわんとした目でディノが体を起こす。
アルテアは人型に戻った後に一度は目を覚ましたのか、脱いだ上着を畳んで枕にして寝ていたようだ。
シャツの襟元を寛げ、どこか無防備な目で呆然としている。
「むぐるるるる!」
「どうしたんだい?ほら、こっちにおいで。アルテアに何かされたのかな?」
「…………おい、俺はいきなり肩に噛み付かれて蹴られただけだぞ?」
「この時間に体に触れるものがあると、時々こうなってしまうんだ。ほら、ご主人様。これで個別包装だよ」
ディノは、どこからともなく取り出した毛布で荒れ狂う人間を器用に包むと、ウィリアムが用意してくれていた枕も明け渡してくれて、ネアの居場所を整えてくれる。
その捧げ物にようやく怒りを鎮めた人間は、ふすんと息を吐くと幸せな毛皮の敷物布団に戻って行った。
「そうだね、まだ夜明け前だからもう少しお休み」
「…………むぐ。ぐぅ…………」
「……………何だったんだ。おまけにウィリアムは寝たままか」
「珍しいことだけれどね。彼にも安心してぐっすり眠る日というのも必要だろう。………さてと、私ももう少し寝ようかな」
衣擦れの音がして、またテントの中は静かになった。
ネアは隣に頼もしい魔物の体温を感じながら、ふかふかの毛布に顔を埋め幸せな眠りについたのだった。