春のドレスと隻眼の仕立て妖精
「はぁい、ネア様!愛のドレスをお届けするシシィですよ!!」
その日も晴れやかにどかんと扉を開けて入ってきたのは、仕立て妖精のシーだ。
春告げのドレスを仕立てる為に、採寸やデザインの打ち合わせに来てくれたのだ。
扉を強盗犯のように開けてしまったので、すかさず後ろにいたヒルドに叱られているが、この短髪の美しい仕立て妖精は素知らぬ顔をする。
「あらあら?そちらはどなたでしょう?随分と仕立て甲斐のありそうな……」
シシィが来るなり目をつけたのは、休暇滞在中のウィリアムだ。
昨晩は綿毛ひよこの騒乱があり、今日も特に大きな鳥籠の予兆などがなかったことを受け、ウィリアムは今晩もリーエンベルクに泊まるのである。
昨晩の綿毛ひよこが何か結界などを壊していないか、先程までグラスト達と一緒に見回りもしてくれていたので、ヒルドはとても有り難かったと頭を下げていた。
その間、主犯のウィーム領主はヒルドにみっちりと叱られていたという構図であった。
「その方は終焉の君だと思うよ」
「まぁ!お母様のご贔屓の!」
ネアが気になったのは、ウィリアムに詰め寄って終焉の魔物の表情を引攣らせていたシシィが同行した青年だ。
濃い緑の髪を短髪にしており、そこまで長身ではないがすらりとした均整のとれた体つきをした美しい青年である。
一見して、このシシィと血の繋がりがあると分かる程にそっくりで、どこか職人気質なひたむきさを感じる目が印象的だった。
「ネア様、こちらは弟のセシィです。弟も立派な仕立て妖精なんですが、先日片目を取られてしまったので、こうして私の仕立ての現場に連れて来ることで、傷の治癒を早めているんですよ。今日は助手なので、空気のように黙殺して下さいね!」
「まぁ、弟さんなのですね。黙殺はせずに、お姉様がいつも素敵なドレスを作ってくれるのですよと、ご挨拶してみます」
ネアがそうお辞儀をすると、セシィもぺこりと頭を下げた。
しかしながら、セシィの眼差しはあまりネアに留まらず、ディノやウィリアムを見るときらきらとする。
明らかにネアは、セシィにとっては創作意欲を掻き立てられる素材ではないのだ。
「弟はね、殿方の洋服を作るのが一等に好きなんですよ。黒い服しか作りませんし、黒が似合わないお客様は断ることもあるくらい、拘りが強い子で」
「そういうことであれば、セシィさんの作ったお洋服を存じ上げている気がします。もしかして、ノアのコートを作ってくれた方でしょうか?」
ネアの言葉にぱったり振り返ったセシィは、どこか得意げに頷いた。
「ノアベルト様のものであれば、僕が作りました。あの方は、この上なく黒が似合う良いお客なんです」
「やっぱりそうだったのですね!見せて貰ったコートはとっても素敵で、ノアにぴったりのコートでした。作って下さった方はノアのことをよく理解してくれていたに違いないと、とても驚いたのです!」
「ふふふ、私だってネア様にぴったりのドレスを作ってみせますから、ご安心下さいね。春と言えば、あえやかな薄物の季節!柔らかな色合いと匂い立つような肢体を際立たせる、とっておきのドレスにしてみせますとも!!」
「…………ほわ」
「そして、アルテアをそんなドレスで殺して下さいませ!!」
拳を握ってそう宣言したシシィに、ウィリアムが、この妖精はアルテアに何をされたのだろうとディノに尋ねている。
遅れて部屋に入って来たアーヘムが、片手を額に当てて肩を落としていた。
「アーヘムさん、ご無沙汰しております」
「ネア様、今年の春告げの舞踏会も、ドレスの刺繍を担当させていただきます。………ああ、万象の君、先日はご利用いただき有難うございました」
(む。………アーヘムさんがディノにご挨拶しているということは…………)
またクローゼットの中身が知らぬ間に増えていたりするのだろうかと、ネアはじっと魔物の方を見る。
するとディノは、ささっとウィリアムの影に隠れてしまった。
「むぐる……」
「さぁさぁ、ネア様、採寸しますね!まずは、お上着を……」
ここでシシィがさっそく採寸に入ったので、ネアはクローゼットのお洋服を無限に増やす悪い魔物から視線を戻し、羽織っていたドレスガウンをずばっと脱ぎ捨てた。
きゃっとなった魔物が長椅子の影に隠れてしまったが、ウィリアムは特に動じる様子もなく普通にしているので、やはりディノが過剰反応しているだけなのだろう。
「…………あら、腰回りは二ミリ増ですね」
「なぬ…………。二ミリ減らします………」
「減らせないと形に響きますが、間に合います?」
「間に合わせてみせます!幸いにもアルテアさんも今は森に帰ってますから、私を餌付けする悪い魔物さんは暫くいない筈なのです………」
「んふふふ、それって魔物の求愛行為ですねぇ」
「ええ。ご主人様を敬い、すっかり懐いているようなのですが、こうして時々心の旅に出てしまうのが謎めいていますよね」
「では、そんなあの男に膝を突かせてやりましょうね!ネア様!!」
「…………またしても、復讐の為の道具にされようとしています…………」
とは言え、シシィの作るドレスは素晴らしいので、ネアは安心して任せることにした。
あちこちを測られ、そこに刺繍を担当するアーヘムも加わっての議論が生まれる。
時折、ぼそぼそっとセシィが口を挟むので、黒い服ではなくとも、仕立て妖精の血が騒ぐということがあるらしい。
「今年は、淡い淡い春靄のようなドレスか、少しだけ色味を多く加えた花畑のドレス、そのどちらかにしようと思っているんです」
「むむむ、そのどちらも素敵そうで気になってしまいます………」
「春靄のドレスは、昨年のもののような感じで軽やかであえやかなドレスですね。花畑のドレスは、春の夜明けの霧のような儚げな灰色の透ける布を使って、下に着た春菫色のドレスを透かし、ドレス裾に夜明けの花畑を思わせる刺繍をこれでもかと刺しますが、勿論、足さばきは軽くしますよ」
「昨年とはがらりと趣向を変えた方がいいんじゃないか?アルテア様は洒落者だからな。そういう遊び心があっても良いと思う」
「あら、でもあえて同じようなドレスで統一感を出す事で、アルテアの変わらぬお気に入りだと主張してみせるのもありだわ」
そんな議論が白熱している中、ネアはシシィが見本で肩にかけてくれた柔らかな灰色の布地を、そっと撫でてみた。
しゃりしゃりとろりとした手触りの生地は、光を浴びる角度によっては非常に繊細に、儚げな煌めきを感じさせてくれる。
「その生地が気に入りました?」
そう微笑んで尋ねてくれたのは、アーヘムだ。
漆黒の装いから大鴉と呼ばれていたりもするが、刺繍をこよなく愛する繊細で真面目な妖精である。
その優しい問いかけにネアはこくりと頷き、シシィがにやっと笑う。
「では、そちらにしましょう!似合う似合わないの議論の先であれば、気に入ったドレス程、当人を美しく輝かせるものはありませんからね!」
「ふふ。そう言われると、その通りですね。では、そちらのドレスにしていただきたいです」
「そうなりますと、胸元は結構開きますから、華奢な肩周りと豊満なお胸を強調する感じにして、春の夜明けの花畑と霧という、普遍的に処女性を高める題材の中で、ぎくりとするような無防備さの中の女の色香を出してゆきますよ!!」
「…………なぬ。どこまでも復讐の道具にされます」
「んふふふふ。勿論、納品の際には、婚約者様と踊って下さいましな。ドレスを汚したりしなければ、いくらでも夜に向けてお互いを高め合うのに…」
ここで、とても晴れやかな微笑みを浮かべたヒルドがこちらに来ると、一度シシィの口を塞ぎ、優雅に一礼して部屋の隅に引き摺っていった。
そんな風に連れ去られたシシィをどこか慣れた様子で見送り、セシィは刺繍の位置を思案しているアーヘムに巻尺を渡している。
「ネア様は、あまり華やかなばかりの大輪の花よりも、森に咲くような花の方がお好きでしたよね?好きな花などはありますか?」
「ええ、どちらかと言えばそうなのでしょう。………好きなお花は、菫と紫陽花、ライラックにラベンダー、桜やヒヤシンスでしょうか。薔薇も大好きなのですが、花びらのみっしり詰まったティーカップのような薔薇が好きです!ぱっと思いつかないだけで、これもとても好きというお花も沢山あります」
「…………瑞々しい透明感のある青みの緑と、白、淡い白紫を基調にしましょう。一輪だけ、主張し過ぎない程度に赤紫色の薔薇を入れますが、宜しいですか?」
「はい。アーヘムさんの刺繍は大好きなので、そのままお任せしてしまいますね」
「では、ご期待に添える物をお作りいたします。………恐らくアルテア様は、どこかにご自身の色をと装飾品を用意するでしょうから、ドレスにもその色を乗せておきたいですからね」
ネアはそこで、昨年の春告げの舞踏会でアルテアが持ってきてくれた耳飾りを思い、確かにそんな感じだなと頷いた。
そして重ねて思い出したのは、首飾りの後ろにつけられた、アルテアがくれた薔薇の形の宝石だ。
髪の毛を持ち上げてみて、アーヘムに首筋を晒すと、その宝石を見せてみた。
「これもアルテアさんの宝石なので、恐らく首飾りはこのまま着けると思うのです」
「……………ふむ。であれば、背面にはその石に視線を誘導するような形の刺繍を入れましょう。朝靄か朝露の結晶を使って、首飾りの薔薇から朝露がこぼれ落ちるような表現にしてもいい」
「あら、アルテアはそんなものまで!ふふふ、すっかり夢中じゃないですか。では、今年のドレスは、うっかり触りたくなるような箍の外れるものに…」
「シシィ、私からの言葉がまだ上手く伝わらなかったようですね?」
そこでまた、戻ってきたばかりのシシィはヒルドに連れ去られて行った。
(とは言え、どんなに言葉が過激でも、シシィさんのドレスは上品に仕上がるし、どれだけ手を尽くしてくれても、折れそうに細い腰に同性でもどきりとする程に女性らしい体つきの美しい人達を恋人さんにしてきたアルテアさんが、そこまで褒めてくれるかというと、そうでもないような…………)
だが、またドレスを渡して貰った日は、ディノと踊るのだと思う。
ディノはどんな反応を示してくれるのかなと思えば、シシィがドレスに仕込もうとしている効果を少しはネアも楽しめるかもしれない。
女性としての欲をかくのであれば、いつも子供っぽいからと弾みを封じてくるアルテアにだって、おおっと言わせてみたいのだが、それは特等でもない人間風情には難易度が高過ぎる。
まぁ弾んでも悪くないなと思って貰えれば、上々だった。
「やれやれ、ヒルドは相変わらずの堅物ですねぇ。少しは女に溺れたり、振り回されて醜態を晒したりして遊び心ってものを知るといいんですが」
「…………それくらいは、知っての上なのではないかな」
ややあって、こちらに戻ってきたシシィがぶつくさ言うと、アーヘムはふわりと微笑んでそう呟く。
ヒルドとは友人であるようだし、何かとっておきの情報や過去を掴んでいるのかもしれないと、ネアは少しだけ気になった。
一緒に暮らしてゆく中で、とても愛情深い人だと伝わってくるヒルドにも、そんな過去の恋の一つや二つあれば素敵だなと思ったのだ。
(………あ、こうして見えると、とても痛そう)
アーヘムの手伝いをしているセシィの目元に、洒落た黒の眼帯の下に痛ましい傷跡の端を見てしまい、ネアはぎくりと心を強張らせた。
実は最近、ヒルド経由で先日の純白の事件でルイザが片目を負傷したと聞き、胸を痛めていたところだ。
どこで知り合ったものか、そんなルイザの負傷の報せにエーダリアの弟であるオズヴァルトが酷く取り乱していたと聞き、不思議な縁とそこに生まれた愛情の深さに感嘆したのだった。
(オズヴァルト様は、大慌てで霧雨の妖精さんのお城に駆けつけて、ルイザさんのお見舞いをしたのだとか……)
それは、かつて彼の婚約者であった歌乞いの女性に向けていた穏やかでお行儀の良い王子らしい愛情のかけ方とは違い、持っていた書類を全てひっくり返して駆け出して行ってしまうような、周囲の者達の心を緩ませる真っ直ぐで無垢な愛し方なのだそうだ。
ラエタでオズヴァルトと一緒に過ごしたネアは勿論、そんな報告に嬉しくなってしまうのだが、その話を聞き、オズヴァルトとは特に親交を深めていなかったエーダリアも、なぜだか妙に嬉しかったのだと言う。
かつて、オズヴァルトの婚約者だったアリステルの死に関わったヒルドもまた、ほっとしたようだった。
「すみません、気になりますか?」
ネアの視線に気付いたのか、セシィが片手で眼帯を押さえる。
ネアは目を瞠ってから慌てて首を振った。
「こちらこそ不躾でごめんなさい。最近、知り合いの方が同じように目を損ないましたので、妖精さんはこういう傷でも治せるのだなと、少しばかりの安堵と、でも痛そうだなというハラハラを混ぜた気持ちで、つい見つめてしまいました」
「…………その妖精も目を?もしかして、純白でしょうか?」
「なぬ。もしかして、セシィさんの目も、あやつがやったのですか?」
「あら、ネア様も純白に襲われたんじゃないでしょうね?役立たずのアルテアは何をしているんでしょう」
弟を傷付けた純白には鋭い目をし、妖精の妖精らしい残忍さを窺わせたシシィがそう言うので、ネアは、アルテアもその場で頑張っていたと言っておいた。
正確にはわざとリフェールによる誘拐を見逃した悪いやつだが、既に罰は受けているので、ここでシシィに言ってしまったら酷い目に遭いそうだなと考えたのだ。
春告げの舞踏会が近いので、狡猾な人間は慎重になるのである。
「純白は、まず片目を喰らうんです。僕の場合は、その場にいた顧客の方がお気に召したらしく、純白がお客をばりばり食べている間に、上手く逃げ出せましたが…………」
「そうだったのですね。セシィさんが無事に逃げられて何よりです………」
「幸い弟もシーですし、片目を喰らわれたくらいなら一月くらいで治せますからね。ネア様のお知り合いも、妖精ですか?」
「ええ。シーの方なのですが、取り替え子さんであるらしく、直すのには一月半かかってしまうらしいです」
「あら、ってことはルイザですね。彼女とは今度飲みに行く予定だったんですが、純白に襲われたので約束の日を変えて欲しいと言われていたんです。今のルイザがつけてる眼帯は、私が作って送ったんですよ」
「まぁ!シシィさんの作った眼帯なら、ルイザさんの傷も早く治ってしまいそうですね」
「まったく、純白も困ったものです。私の大事な顧客も、三人程食べられてしまいましたし、セシィはあの日以降、純白の着ていた服が気に食わないと毎晩のように魘されますし………」
「服が…………」
ネアが、魘されるのはそこなのかと繰り返せば、セシィはどこか厳しい表情で頷いた。
「純白の翼に淡い金髪、アイリスの色を滲ませた青い瞳。赤い軍服では強過ぎますね。僕なら、漆黒の軍服を作るのですが…………」
「あら、私なら砂色の軍服かしら。微かに玉虫色の艶のあるもので、ケープも同じ色よ」
「姉さんは分かってないなぁ。あの獣のような眼差しに似合うのは、闇夜のような漆黒だけだ」
「あら!誰がその純白を仕立て鋏で追い払ったと思ってるの。あの顔立ちであれば、淡い色合いで、髪色と翼に近い色にするべきだわ!」
「ほわ、仕立て鋏で………」
謎の姉弟喧嘩が始まったので、ネアはすすっと目線をアーヘムに移した。
アーヘムは苦笑し、どちらでもいいですけどねと呟いている。
「さて、そろそろ宜しいですか?いつまでもネア様が薄物のままでは良くありませんからね」
そう、姉弟喧嘩を仲裁してくれたのはヒルドだった。
リフェールに着せる服の色で揉めていたシシィとセシィは、そんな言葉に慌てたように仕事に戻る。
あちこちを細かに計られ、布を合わせられ、ネアが最後に恒例のお尻をわしっと持ち上げられる方式で計られてみぎゃっとなったところで、シシィはヒルドに羽を掴まれて部屋から追い出されていった。
「…………姉がご迷惑をおかけしました」
「いえ、あなたが謝ることではありませんよ」
「ヒルド、ドレスの納品は俺が来る予定だ。その時にまた」
「ええ。ディートリンデも楽しみにしておりましたよ」
(………その日に、ディートリンデさんの森に二人で行くのかな)
そんな会話の端から分かったことに、ネアは何だか嬉しくなる。
ディートリンデは、ネアの大好きな妖精の一人であった。
「ディノ、この灰色の素敵な生地でドレスを作って貰うことになりました!」
「うん。君の瞳の色にも合うし、とても良いものになりそうだね」
「また、ドレスが届いた日には踊って下さいね。ウィリアムさん直伝のふわっとターンもして欲しいです」
「…………ずるい、ネアが甘えてくる………」
「なぬ。なぜに逃げるのだ!」
「ネア、まずは上に何か着ようか」
「むむぅ。夏場よりは余程着込んでいるのです………」
羽織ってきたガウンが部屋の反対側の台の上にあったからか、釈然としない目をしたネアはウィリアムの上着を着せられてしまい、むぐぐっと眉を寄せる。
捕獲されてがばっと上から着せられたので、これではお風呂上がりに小さな子にするようではないかと、ドレスの採寸ですっかり淑女気分なネアはじたばたした。
なお、その日の夜に、旅に出ているアルテアから、またしょうもないドレスにするなよというメッセージが来ていたので、春のお花畑のような可憐なドレスだと伝えてみたところ、少しだけ安心したようだった。
当日にそのドレスを見たアルテアには、なぜ背中の様子について報告しなかったのだと責められたので、背中についてはネアも知らなかったのだと釈明した次第だ。