誕生日と枕
その日、とうとう遅れに遅れたウィリアムの誕生日がやって来た。
ウィリアムはノアと同じようなお祝いの形を希望しており、少人数でほっこり祝いたいのだそうだ。
華やかに薔薇を生けて飾られた部屋を見回したネアは、ふすんと鼻を鳴らす。
参加者は、ネアとディノ、そしてリーエンベルクの皆の衆な感じだが、ネアは本来、そこにアルテアとサラフなども呼んであげたかったのだ。
「むむむ。せっかくのウィリアムさんのお誕生日なので、私はもっと多くの人にお祝いして貰いたいのに、これでいいのですか?」
「ああ。せっかくネアが祝ってくれるんだ。ここで少ない人数でやって貰う方が、俺の性に合うかな」
「しかし、アルテアさんくらいは………」
「ネア、アルテアは叱られたばかりで色々とあるだろう。暫くはそっとしておいた方がいい」
ネアはよりにもよってなタイミングで森に帰ってしまった使い魔を呼び戻そうとしたが、ウィリアムは好きなようにさせてやった方がいいとそんなネアを止めた。
とは言えきっと寂しいに違いないので、ネアは奮発してクリームのお花を乗せたケーキなど作ってみる。
アルテアを呼ばなくていいと言ったとき、ウィリアムがふっと睫毛を伏せて寂しげな目をしたような気がしたのだ。
「…………それ、本当に何とも思ってないんじゃないかなぁ。ウィリアムってそういうところ、かなり冷淡だよね」
準備を手伝ってくれたノアにはそう言われたが、ネアはむぐぐっと眉を寄せて難しい顔になる。
「そうでしょうか?ウィリアムさんはウィリアムさんなりに、アルテアさんのことを気の合うご友人か兄弟のように思っているのではないのかなと思うのです。ウィリアムさんが寂しくないように、仮のアルテアさんとしてお人形に帽子を被せて置いておきましょうか?」
「わーお。凄く不気味だからやめようか!」
「なぬ。そこにアルテアさんがいるようで、ウィリアムさんの心が弾みません?」
「…………ご主人様、それはやめようか」
「むぐぅ」
ネアは良い案だと思ったが、ディノとノアに反対されてしまい、アルテア人形は渋々諦めた。
ウィリアムにも作って欲しい人形がないか尋ねてみたが、笑ってネアのなら欲しいなと誤魔化されてしまった。
「それとも、ギードさん……を呼びますか?貰った石を使えば……」
「ネア、俺はネアがいるだけで充分だぞ?」
「むぎゅう」
へにゃりと眉を下げ、ネアは見上げたウィリアムの優しい微笑みにくしゅんと悲しい顔をする。
微笑んで頭を撫でてくれた終焉の魔物は、ふっと声を潜めると、ネアの耳元に秘密を打ち明けてくれる。
「そうだな、………アルテアやギードがいると、初めての誕生日だから、俺も緊張しそうだ。最初の誕生日は、俺が気負わずに祝えるように、ネア達だけでやってくれないか?アルテア達は、俺がもう少し慣れてからにしよう」
「ふみゅ。………ウィリアムさんの誕生日は世界の皆で祝うのだというとても残酷な気分ですが、ウィリアムさん自身が楽しいのが一番なのです。では今年は、私達と家庭的なお祝いにしましょう!」
「ああ、そうしてくれると嬉しい」
かくしてネアは、ウィリアムの為にケーキを作った。
お料理そのものはリーエンベルクでも用意されたが、簡単なサンドイッチや唐揚げのようなものはネアも準備して、けれどもそれはウィリアムだけに出すと荒ぶる婚約者の為に、みなさんで召し上がって下さいな感じにしてある。
「唐揚げは、香辛料強めのものと、香草を効かせたものの二種類です!そしてこれが、薄く切ったサラミとマスタードが隠し味なソースのサンドイッチで、トマトとオリーブ入りチーズのサンドイッチ、歌劇の街から盗んだレシピの辛めの鶏肉とチーズたっぷりのあつあつサンドイッチです!」
ネアが張り切って色々と作ったこともあり、最初はウィリアムへの手料理にめそめそしていたディノも、ご主人様の手料理をあれこれ食べられることの方に気持ちが向いたようだ。
ネアの出したものはつまめる系の簡単なものばかりなので、しっかりと凝ったお料理はリーエンベルクの料理人達が用意してくれている。
華やかな前菜や手の込んだ煮込み料理など、気取ったばかりのものではない程よい安心感のある料理のバランスは、今日もネアの心臓を掴んで離さない。
(とろりとしたクリームソースで煮込んだ鶏肉や、トマトと茄子の煮込みがあるから、美味しいパンと合わせて食べ進められるし、メインを家庭料理風にしてくれて前菜が綺麗に盛り付けられたものばかりで心が華やぐし!)
うきうきと頬を緩めたネアは、目が合ったウィリアムに微笑みかけた。
今日のウィリアムは寛いだ普段着のような姿で、軍人さんの休日のような普段とは違う雰囲気にどきりとする。
これだけの美貌なのに軍服を脱いだ彼がふわりと周囲に馴染んでしまうのは、終焉というものが誰もが持つ要素だからであるらしい。
「ウィリアムさん、お誕生日おめでとうございます!」
「有り難う、ネア。ネアに言われるのが一番嬉しいな」
「ふふ、ウィリアムさんはいつも優しくて、そんな風に私を嬉しい気持ちにさせてくれるのです」
「そうかな?心からの言葉しか言っていないつもりなんだが……」
「ウィリアム誕生日が無事に来て良かったね!」
「…………ノアベルト?」
そこに強引にお祝いを捻じ込んで来たのはノアで、その背後ではヒルドがやれやれと息を吐いている。
「ネイ、大人気ないですよ」
「ありゃ、僕だってお祝いした方がいいんじゃないかな」
「ノアベルト、まずはネアから祝って貰うから、最後で構わないぞ」
「ほら!ウィリアムはこういう奴なんだ!!」
微笑んで最後尾に回されてしまい、ノアは不満を言っている。
ネアはおやおやと思い微笑んでしまった。
「ネア?」
「急いでお祝いを言いたいくらい、ノアはウィリアムさんのお誕生日に前のめりなのですね。なんだかんだで仲良しなお二人なのでした」
「…………ありゃ」
「だからノアも、はしゃいでしまうのですよね」
「……………わーお、困ったぞ。ヒルド、助けて」
「あなたとて立派な魔物なのですから、自分で対処してみてはいかがでしょう?」
「エーダリア、ヒルドが冷たいんだけど」
「わ、私に言われてもどうすればいいのだ。………その、仲が良いのは悪いことではないのではないか?」
「エーダリアもそっちだった!」
そんな風に塩の魔物に詰られたエーダリアは、今日は珍しくそわそわしている。
勿論ノアは特別な存在なのだろうが、エーダリアはウィリアムのことも大好きなのだ。
共に関わり合って行くのがノアであるなら、エーダリアにとってのウィリアムは、憧れの魔物である。
「その、契約などがない私からは特別なことは出来ないが、保管庫から良い葡萄酒などを持って来てある。楽しんでいってくれ」
「それは嬉しいな。有り難く飲ませて貰おう」
ウィリアムもそんなエーダリアには優しい微笑みを向けており、ネアは相変わらず高位の生き物達をさり気なく捕まえてしまう上司の姿に遠い目になる。
こんなエーダリアだが、引き続き自分は一般人であるという立ち位置を崩さないのだ。
ネアのことをあれこれ言うくせに、塩の魔物と契約して終焉の魔物や選択の魔物に気に入られているだなんて、一体どこが一般人なのだろう。
「今迄は、このような祝いの場は持たなかったのですか?あなたであれば、こうして祝う者達もいたでしょうに」
そう尋ねたのはヒルドだ。
「いや、そもそも俺達に誕生日をと考える者はあまりいないからな。鳥籠の少ない年に擬態して暮らしていた先の軍隊で、書類記入用に誕生日を設定しておいたこともあるが、男同士でそのような話題を出すこともなかったし、…………そう言えば、過去に関わった相手からも誕生日について触れられたことはなかったかな」
人間とも多く関わったんだがなとウィリアムがどこか悲しい目になったので、ネアは慌ててそんなウィリアムが喜びそうな話題を持ち出した。
「ウィリアムさん、今度また毛皮の会でお出かけしましょうね!」
「ああ。ムクムグリスもまだだったものな」
「でもその前に砂漠の流星雨なのです!」
「春告の舞踏会の少し前になる筈だ。あれは一度見たら忘れられなくなる。楽しみにしていてくれ」
「はい!」
「ウィリアムなんて……………」
「あらあら、ディノも一緒に来ればいいではないですか。素敵な流星雨を独り占めしたりなんてしませんよ?」
ネアがそう言うと、悲しげな目をしていたディノは、困惑したようにウィリアムの方を見る。
ウィリアムも困惑したようにディノを見返し、一拍二人で固まった後、二人ともこくりと頷いた。
とても仲良しなのだが、この二人だけにするとどこか無防備になってしまう様子が、邪悪な人間の目にはとても可愛らしい。
「ウィリアムさんのテントはとても素敵なのです!ちょこっとだけでいいので、また行ってみたいです」
「また泊まればいい。砂漠は滞在してその移り変わる姿を見てみないと、本当の美しさが見えてこないからな」
「まぁ、またお泊まりしていいのですか?」
「この前の帰り際、また来たいと言ってただろう?ネアならいつでも大歓迎だ」
「むむぅ。ウィリアムさんのお誕生日なのに、私が喜ばされてしまいました」
「……………ネアが浮気する」
「あら、ディノもウィリアムさんのテントが気になるのなら、一緒にお邪魔させて貰いますか?」
「ウィリアムのテントに……………」
そこでまたその二人は先程のやり取りを繰り返し、ネアはあまりの微笑ましさに口角を持ち上げる。
「む。ノアも行きたいですか?」
「ウィリアムのところはいいかな。それよりも、またあの温泉に行きたいから、今度の週末に一緒に行こうよ」
「あそこであれば、私も行きたいです!」
「ネア、あんまりノアベルトを甘やかさない方がいいぞ」
「ウィリアムさんも毛皮の民なのですから、一度ご一緒しませんか?もふもふ達の大集合な狐温泉は、とってもいい匂いのする素敵な場所なんですよ」
「狐温泉…………」
ネアに狐温泉の説明を受けたウィリアムは、その白金色の瞳に困惑を浮かべる。
まさかノアが行こうとしているのが、狐温泉だとは思わなかったようだ。
ノアからも、ウィリアムにはあの素晴らしさは分からないだろうねと言われてしまい、途方に暮れたような目のまま、そうだなと相槌を打っていた。
「そう言えば、純白のことですっかり失念していたが、そろそろ悪夢の時期に入るな。ウィームもだが、海沿いのヴェルリアでは数日後に大きなものの到来が予報されていた筈だが…」
その話題に触れたのはエーダリアだった。
ネアも気にしていたが、このように冬が長引いていると、その冬がふっと春に傾いた日の直後に大きめの悪夢が発生したりするのだそうだ。
窓の外はまだ美しい雪景色だが、昨晩は強めの風が吹き、春の系譜の者達が少しずつその要素を強めてはきているらしい。
まだ今は冬の系譜が勝っているそうだが、ある日くるりとその系譜が入れ替われば、季節が春へと移り変わってゆくのだ。
「ああ。既に隣国では被害が出ている。カルウィの方では、砂嵐と悪夢が同時に出現したらしく、一部の地域に大きな被害が出たらしい」
「そちらでは、ウィリアムさんは呼ばれてしまったりしなかったのですか?」
「幸いにも、俺が呼ばれるような被害にはならなかったんだ。あの国では階級制度がしっかりしているからな、ヴェルクレアのように全ての民を守ろうとするやり方ではないが、被害を抑える方法は分かっている」
「そちらのお国の事情は色々とあるのでしょうが、それはぽいしておき、ウィリアムさんがまたお仕事漬けになってしまわないで良かったです!今の内に、少しでも休んでおいて下さいね」
「はは、ここに来てネアの顔を見るのが一番だな。ほっとするよ」
「ネア!ウィリアムのこういうところに、騙されちゃ駄目だからね!」
慌てて分け入ってきたノアに、ウィリアムは片方の眉を持ち上げて微笑みを深めた。
ひどく優しい微笑みだが、ネアも最近は、こんな微笑みを浮かべている時のウィリアムが、アルテアをさくっと成敗してしまったりするのだと知っている。
「ノアベルトは何か誤解しているようだな」
「僕から言わせて貰うと、誤解じゃなくて確信だけどね」
「困ったな。俺は言葉通り、ネアの姿を見ると一番ほっとすると言っただけのつもりだったんだが」
(むむむ。優しさからしてくれたリップサービスで、ウィリアムさんが追い詰められている………)
美味しい前菜を食べていたところだったネアは少しだけ対処が遅れたが、すぐにそんなウィリアムの袖をくいくいと引っ張ってみた。
こういう時は、話題を変えるのが一番である。
「ネア?」
「ウィリアムさんは、お休みの日のお食事はどうしてるのですか?」
「…………そう言われると、どうしてたかな。鳥籠明けは食べるよりも寝ている気がするが、………適当に外で食べることが多いかもな」
「アルテアさんみたいに、自分で作ったりはしないのですね」
「ああ。出来なくはないが、アルテアのあれは趣味だからな。必要に駆られての調理なら、俺は出来ればその作業は省きたい。勿論、やってみようと思って楽しむ時もあるぞ?」
「むむ。そう言われるとウィリアムさんのお料理も気になります!」
「じゃあ今度、腕を振るおう。ただ、あんまり期待しないでくれ」
「ウィリアムなんて…………」
「ディノ、そういう時は自分も食べたいと言ってみてもいいんですよ?」
「私も、…………かい?」
ネアの言葉に、ディノは水紺の瞳を瞠る。
手に持っていたグラスをテーブルに置き、おろおろとノアやエーダリアの方に視線を向ける。
残念ながらディノがよく助けを求めるゼノーシュは、現在は誠心誠意お食事と向かい合っている。
グラストは、そんなゼノーシュにあれこれとお料理を取ってあげていた。
「ええ。ディノだって、お友達なウィリアムさんの手料理が気になってしまいますものね!」
「そうなのかな…………」
「ふふ、それできっと、少しだけなんだか寂しいような悔しいような思いがしたのだと思います」
「…………うん」
不思議そうに目を瞬いてから、おずおずと頷いたディノに、ネアはそんな幼気な魔物を撫でてやる。
きっと、大事な友達にネアばかりが構ってもらっているようで、寂しい気持ちになってしまったに違いない。
「シルハーンにも振る舞うとなると、少し鍛錬した方が良さそうですね」
ウィリアムも、そんなディノの様子に淡く微笑みを深め、優しくそう重ねてくれた。
ディノに対することに触れる時、ウィリアムはこうして労わり深く穏やかな言葉をくれることが多い。
ネアがとても素敵だなと思う、ウィリアムの一面であった。
「ウィリアムさんがディノと話している時の、ふんわりほわりと微笑んでくれるお顔が、私はとっても好きなのです!」
既に少々のシュプリが入っていたネアは、いい気分でそう言ってみた。
すると、突然そんなことを言われてしまったウィリアムがこちらを見て目を丸くする。
「………そうなのか」
「それと、帽子をかぶってお仕事な感じの格好の時と、私がわしゃわしゃした時に、私にどうしたんだと尋ねてくれる時の表情もとても好きで…、…………む。ウィリアムさん?」
「……………ああ、いや、……すまない。不意打ちだった」
言葉の途中でウィリアムが片手で顔を覆ってしまったので、ネアはこてんと首を傾げた。
特に軍服姿のウィリアムについては、語ろうと思えば十分くらいは語れるのだが、あまり人前で褒められてしまうと恥ずかしいのだろうか。
そう考えていると、膝の上にぽさりと三つ編みが投げ込まれてきた。
「あら、ディノのお友達を奪おうとはしていませんよ?」
「ご主人様……………」
「きっとウィリアムさんにとっては、ディノがまず、とても大切な存在だと思うので、ディノは安心してででんと構えていて下さいね」
「え…………」
「ふむ、それとアルテアさんもそうでしょうか」
「アルテアも…………」
「ですので、単純にウィリアムさんが素敵だという感想を伝えてしまっただけなのです。…………む」
そこでネアは、今度は両手で顔を覆ってしまったウィリアムに、首を反対側に傾げ直した。
こちらの視線に気付いたウィリアムは、顔を覆った手を外すと、困ったように淡く苦笑する。
その目元は、かすかに染まっていた。
「…………いや、そういう風に好意を示されることはないからな。少しだけ動揺した」
「まぁ。ではウィリアムさんの周囲の方は、自分の気持ちを素直に表現しない方ばかりなのでしょう。………確かにそう考えると、ディノもアルテアさんも、そのような言葉は苦手そうですよね…………」
「わーお。真っ先にその二人を絞り込んで来るんだ…………」
「む、ノアも密かに思う枠で入れておきますか?」
「それはやめて………」
そんなことを話していると、やっと心ゆくまで美味しい食事を終えたゼノーシュが、檸檬色の瞳をきらきらさせて声を上げた。
「僕も、ウィリアムのこと好きだよ」
ネアはそんな愛くるしいクッキーモンスターの言葉に息が止まりそうになったが、それはウィリアムも同じだったようだ。
目を瞠って固まってしまうと、小さくげふんと咳をしてから、ふっと柔らかい微笑みを浮かべた。
「………有り難うな、ゼノーシュ」
「うん!ケーキ食べる?」
「はは、そうしようか。そろそろ、ケーキの時間だな」
「うん!」
そんなゼノーシュの隣のグラストはもう、可愛いことを言ううちの魔物が可愛いという目をしており、俄かに室内は優しい空間度合いを深めてきた。
「では、リーエンベルクのケーキはお任せして、私が作ったケーキは私が切りますね」
「花のところは…………」
「今日は主賓のウィリアムさんに食べて貰いますね」
「ウィリアムなんて………」
「あらあら、荒ぶってはいけませんよ?今日は、ディノにとっても大事なお友達の誕生日なのでしょう?」
ケーキを切る際にナイフについたクリームを無駄にしたくない派の庶民な人間は、使い終えたケーキナイフの上のクリームを自分のフォークでするりとこそげ取る。
このあたり、不思議魔術でそんな無駄を出さないアルテアが羨ましいと思う部分だ。
そしてふと、悲しげにこちらを見ている魔物が気になった。
「えい!」
ケーキのお花を取られてしまって少し可哀想になったので、そんなフォークのクリームを差し出してディノに食べさせてやる。
すると魔物は、条件反射でぱくりと食べてくれた後、ふるふるとしてからぱたりと死んでしまった。
「またしても死んでしまいました。お誕生日会はまだまだこれからなのです!」
「ネアが虐待する…………」
「解せぬ」
ひとまず、死んでしまったディノは置いておき、ネアは切り分けたケーキを配分した。
リーエンベルクの素晴らしいケーキもあるので、ネアは最初、ウィリアムにあげるケーキを控えめな細切りにしようとしたのだが、もう少し食べたいなと言ってくれたので、普通サイズのケーキになった。
(ふふ、ウィリアムさんも、お誕生日だからはしゃいでるのかな。普段はあまり甘いものを沢山食べないイメージだったのに、ケーキを二個も食べてくれるなんて)
ヒルドとノアもネアのケーキを普通に食べてくれるそうで、もしかしたらここにいるみんなが気付かずはしゃいでいるのかもしれない。
慶事というのは、そういうものなのだ。
「美味しいな」
ネアのケーキをぱくりと食べ、ウィリアムがそう微笑んでくれる。
一瞬死んでいたディノも慌てて生き返り、ご主人様のケーキを堪能中だ。
ゼノーシュが奥でふた切れ目のケーキを取るのが見え、ヒルドがウィリアムに悪さをしようとしたノアを叱っている。
ネアがふとそんな部屋を見回したことにつられたように、ウィリアムもその周囲を見回して、ふっと眼差しを和ませた。
「………不思議なものだな。誕生日か…………。祝って欲しいと思ったことは今迄なかったが、これからは毎年思うんだろう」
「勿論、毎年お祝いしますよ。ねえ、ディノ?」
「ウィリアムなんて……」
「でも、ディノだってウィリアムさんのお祝いをしたいでしょう?」
「………………うん」
少しだけ視線を彷徨わせてから、ディノは途方に暮れたような目をして素直に頷いた。
思いがけずそんなことを言われてしまったウィリアムが、今度こそ完全に固まり、邪悪な人間はそんな二人の魔物の姿にしめしめとほくそ笑んだ。
「やはりお誕生日なのですから、こうして素直な好意を伝えるべきなのです。お祝いするのは大切だからこそですし、大切な方に大切だと思っているのだと知って貰う為の日でもあるのではないでしょうか」
この世界に来て、ネアが一番嬉しかったのは自分を大切にしてくれる人達が増え、自分が大切に思う人が増えたことだ。
そんな思いや優しさを実感出来る一つの機会として、誕生日はやはり有効なものである。
贈り物に思いを込め、あなたの為にというメッセージを様々な形で伝える。
あのアルテアだって、ネアが贈った手袋を色を擬態させて毎日のように着けてくれているくらいなので、彼等のような長命高位な生き物達は、案外、そのような贈り物に慣れていないのかもしれない。
であればここは、その喜びを知っている先人として、ウィリアムにも誕生日を堪能して貰うのがネアの務めだ。
「そして、そんなウィリアムさんに、私とディノから贈り物です!」
「……………いいのか?」
「ええ。いつもお仕事が忙しくて、体を休める時間の少ないウィリアムさんに、うってつけのお品物にしましたよ!」
主賓がいい具合に感動を深めたところを狙い、ネアは誕生日の贈り物を取り出した。
思いがけず大きな包みに驚いたように、ウィリアムは、ヨシュアと同じ包装紙はばりっと派なところを見せて中身を見てくれた。
「…………これは、枕だな」
「はい!持ち運び自由、頭をぽすりと乗せると至福の睡眠に誘う魅惑の枕です!汚れたりしないように状態保存の魔術もかけられているので、お仕事先に持って行っても大丈夫ですからね」
「わーお、枕なんだ」
「良いものだと思いますよ。就寝時程、心身共に無防備な時はありませんからね」
「ああ、ネアらしいが、相談された時に、私も良い贈り物だと思った。治癒や守護の魔術もかけられていて、滅多に見ないような品物なのだ。あの中に組み込まれた術式だけでも知りたいと思ったが、制作元で禁術にされているらしくてな…」
「エーダリア様?」
「い、いや、それだけ素晴らしいものだという話しでだな………」
奥でエーダリアが叱られている中、ウィリアムはその枕を抱えて酷く無防備な目をしていた。
「…………そうか、これがあれば、忙しい日も安心だな」
「はい。ディノにも手伝って貰って、その枕で眠る人が安らげるように、魔術の補強をかけてあります。ウィリアムさんのお仕事が忙しいのは我々にはどうしようもありませんが、そんな激務の中のウィリアムさんを、少しでも助けられるものをと、これにしました」
白金の瞳が、微かに揺れた気がした。
イニシャルやメッセージを刺繍出来る枕のタグの部分には、紺色の刺繍糸で“あなたの味方”と入れて貰った。
(責められることが多いと、大切な人ともすれ違ってしまうことがあると聞いていたから…………)
ウィリアムの仕事は、そして彼自身そのものが司る一端は、やはり悲劇に属するものである。
であれば、そのようにしてこれからもウィリアムを傷付けたり苦しめたりするものはあるだろう。
そんな時に、苦しい思いを抱えて眠るその時に、このタグのメッセージでほろりと緩んで貰いたい。
苦痛や悲しみを抱えて眠るのはとても辛いことだ。
休まるべき時に休まらない心の辛さを知っているから、ネアは贈り物は枕にしようと考えたのだった。
「…………凄いな。この枕で眠ったら、どんなことでも忘れられそうだ」
「ウィリアムさんを大事に思う力をふんだんに込めてありますので、これで眠れば悪夢なんて見ませんよ!」
「ああ。……………ネアはいつも、俺の持つその側面を受け入れた上で、こうやって手を差し伸べてくれるんだな」
ぽつりと、ウィリアムはそんな言葉を言った。
その響きの頼りなさに、ネアはふんすと力強く頷く。
「そうでなければ、私は最初からウィリアムさんと仲良くしようとは思いませんでしたよ。これでも我が儘で狡賢い人間なので、好きでもないものに労力など割かない主義なのです!」
「…………そうか。……頼もしいな」
「ここには、私もディノも、ウィリアムさんが大好きなゼノーシュやエーダリア様もいますから、困った人達が文句を言ってきても、そんなものはぽいしてきて下さい。…………むぐ、ヒルドさんとノアをどう挟めばいいのか分かりませんでした」
ネアがそう白状すれば、ヒルドが小さく微笑んでくれる。
「私としても、ウィリアム様は頼もしく良き隣人として心得ております。私もネア様のように余計なものには労力を割かない主義ですからね。でなければ、このような会にも出てきませんよ」
「…………僕は、ウィリアムはまたあの竜に一度くらいなるといいと思うなぁ」
「ネイ…………」
「でもまぁ、ウィリアムはいつも、僕の大事な家族を守ってくれるからね。困ったことがあったら、僕に相談するくらいはしてもいいよ」
「あらあら、素直ではないですねぇ」
そう言ってぷいっと視線を逸らしてしまったノアに、ネアは何だか笑ってしまった。
ネアの隣に座ったディノは、なぜかじっと自分の三つ編みを見つめた後、そっと隣のウィリアムの膝の上に置いてみたようだ。
ぎょっとしたようにその三つ編みを見て固まった後、ウィリアムは一度だけ手にとってみてから、丁寧にディノに返してきた。
「やっぱり、ご主人様だけかな………」
「ふふ、それでも、ウィリアムさんにも持たせて差し上げるなんて、ディノは優しい魔物ですね」
「ご主人様!」
ウィリアムはふかふかの白い枕を見つめ、またそっと手で撫でている。
今夜はこれで寝てみようかなと笑うので、ネアは今夜はその枕ではなくてもどんな枕でも安心安全なリーエンベルクなのだと補足しておいた。