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水鏡と白い鳥 2




灰色の瞳の男性と、ちびふわなアルテアは暫く見詰め合っていた。



「…………お知り合いでしょうか?」


そんなネアの問いかけにはっとしたように、男性が視線を外す。

ちびふわ姿からアルテアの正体を見抜く程なので、かなり親しいのかもしれない。


「……………ああ。ある程度はな」

「ある程度…………」


こてんと首を傾げたネアに、男性は薄く苦笑して、ちびふわに危害は加えないから安心していいと教えてくれた。


ちびふわはなぜか急に恥ずかしがり屋になったのか、もそもそとネアの腕の中に隠れ、ネアの髪の毛の下に顔を埋めてしまう。

ふるふると震えており、尻尾も器用に畳んで隠している様子に、ネアは不思議な気持ちになる。


以前ヨシュアの前に出てきたことがあったが、別に恥じらう様子などはなく普通にしていた。


となると、正体がばれる以上に何か特別な思い入れのある相手なのかもしれない。



「恥じらいました。………もしかして、片思い…」

「フキュフ!!!」


ネアに恥ずかしいことを言われてしまい、荒ぶったちびふわは、腕の中でじたばたしている。

そんなちびふわの姿に一つ頷き、ネアは目の前で若干呆然としている男性に視線を戻した。


「片思い………?」

「失礼しました。秘めたる思いを第三者がお伝えするのは好ましくありませんよね。また今度、お二人でゆっくりと話をしてみて下さい。そして、何よりもまず、先程は助けて下さって有難うございました」



ぺこりと頭を下げたネアに、男性は何か言いたげにしてはいたものの小さく首を振ってくれた。



「俺が管理している土地のことであったし、特定の魔術が動いたのが分ったからな。………だが、少し厄介なことになった。その、…………ちびふわにかけられた試練の魔術が、どうやらまだ解除されないらしい。場の移動を制限するもののようだが、何か心当たりはあるだろうか?」



魔術的なことはよく分からない。

なのでネアは唯一の思い当たる節を告げてみる。


「であれば、ちびふわに課せられた試練が、この姿であの雪喰い鳥さんから逃げるというものであったのが、要因になっているかもしれません」



目の前の男性は貴族的だがどこかシンプルな服装で、黒一色の装いだ。

まだ少し動揺が残っているのか、ネアはノアの服でアイザックの色だなと、そんなことをとりとめもなく考える。



「…………そうか。であれば、ひとまず君自身の為にも、君の側に居る誰かをここに呼ぶしかないのだが、俺にはあまり他の同族に会いたくない事情があってな。悪いが擬態させて貰おう」

「そのようなご事情があるのに、お手数をおかけしてごめんなさい。恩人さんにこれ以上ご負担をおかけしないよう、すぐに私の魔物を呼びますね!」



ネアが慌ててそう言った言葉に、男性は困ったような淡い微笑みを浮かべた。


そうすると、端正だがそれ故に冷たい面立ちが和らぎ、はっとする程に優しい表情になる。


魔術の風に揺れる耳下で揃えた灰色の髪は、優しい春の雨のような綺麗な灰色で、透明感の強い宝石を紡いだような質感はディノの髪にどこか似ていた。

背が高くしなやかな肢体は、ディノやアルテア達のようなネアの見慣れた魔物達に良く似ているシルエットで、ドリー程ではないが、ウィリアムと同じくらいの身長なのだから、かなりの長身だ。



「困ったことだが、君達が今ここに避難出来ているのは、俺の魔術がその隙間を縫っているからだろう。俺も同席していないと、その、………ちびふわは、リュツィフェールのところへ戻されてしまうな」

「りゅっつ………?むぐぅ。………先程の鳥さんは、発音がややこしいお名前なのですね…………」

「確かに言い難いな。皆もそう思うのか、一般的には、リフェールと呼ばれることが多いような気がする」

「むむ。それなら行けそうです!そして、…………あなたがいないとちびふわが大変なことになってしまうという部分は、他の魔物さんにその魔術を繋いで貰うことは出来ませんか?」



またしても、言い澱んだネアに、男性は小さく微笑む。

ふと、この微笑みにどこか親しんだものを感じたような気がして、ネアは内心首を傾げた。


出会うのは初めての筈なのだ。


とは言えネアは、この男性が誰なのかをとても良く知っていた。

初めて会う魔物ではあるが、彼が誰なのかを知っているのだ。



「名前がないと呼び難いだろう。………そうだな、シェダーとでも呼んでくれ」

「はい。ではそう呼ばせていただきますね」

「…………おっと、ネア、あまり下がらないように。ここは、不安定な空間なんだ」

「そ、そうなのですね。失礼しました!」



きちんと顔を見て話す為に一歩下がろうとしたネアは、慌てたシェダーに腕を掴まれた。

不安定なところでちびふわと二人で迷子になりたくはないので、ばくばくした胸を押さえて慌てて謝る。

腕の中のちびふわにもばしばしと小さな前足で叩かれ、ネアはよろめいたりもしないように、きりりと立つことにする。



擬態魔術に、ふわりと空気が揺れた。



(…………ああ、この人は、自分の一切の要素を残さないつもりなのだ)



ネアはシェダーの擬態した姿に目を瞠り、そこに彼らしさが残っていないことに、微かな寂しさを覚えた。


どうして他の魔物に会いたくないのだろう。

そう考えると理由が知りたくてむずむずしたが、ともあれここにこれからディノを呼ぶのだ。


せめて、大事な魔物に、このシェダーが自分を助けてくれたのだと言えることは、何だか誇らしいことでもあった。



そんな風に複雑な思いでシェダーを見ていたネアに、ちびふわがじっとりとした目を向ける。

あまりにも恨みがましい気配に下を向いたネアは、その暗い目にぎくりとしたので撫でておいた。



「よし。もう呼んで構わないぞ」

「はい!では呼んでみますね。ディノ!」



そう呼んだ途端、ざわりと空間が軋んだ。

そう表現するしかない音がして、目も眩む程の白い輝きが燃え上がる。

薄闇の中に鮮やかに転移を踏んだ魔物の色が、この淡い闇の色を切り裂くように艶やかなのだ。



「ネア!」


すぐにそんな魔物の腕の中に抱き寄せられて、慌てたネアは力の籠った腕をぎゅうぎゅうと片手で押しやる。

すると魔物は、ひどく気遣わしげな悲しい目をして、どこか狼狽したようにネアの頬に手を添えた。


「………どこか痛いのかい?」

「う、腕の中のちびふわが、圧死してしまいます!」

「…………ちびふわ」

「ええ。アルテアさんが、私を雪喰い鳥さんから守ってくれようとして、試練を受けてしまいました。今は愛くるしいちびふわになっており、片思いの方の前で恥じらって隠れてしまい………むぐ?!」



そんなことまでを詳らかにされてしまったちびふわは、ネアの腕の中で大暴れをすると、すぽんと飛び出しディノの肩の方に逃げていった。


いっそうに酷く暗い目をしてこちらを見ているが、ネアは心配して駆けつけてくれたディノに、決してアルテアが、ただちびふわになって怖くて隠れているだけではないのだと、きちんと事情の全てを伝えておきたかったのだ。


片思いの旨を伝えておかねば、隠れたちびふわはただの臆病者のようになってしまうではないか。



「……………片思い」

「シェダーさんです。私とちびふわを、………リ、……………雪喰い鳥さんから助けてくれたんですよ!」

「………リフェールだな」

「り、リフェールさんです!」


うっかり教えて貰った名前を失念した人間は、シェダーに補足して貰って安心して頷いた。

ちびふわが離れたのでとしっかりとネアを抱き込み、そちらに視線を向けたディノは少しだけ無言になる。



その顔を見上げ、ネアは、ディノも気付いたのだろうかと考えた。



「…………君が、この子を助けてくれたのかい?」

「…………ええ。通りすがりでしたが、純白が人の子を襲っているのが見えましたので。残念ながら、一緒に居た人間達は死んでしまっていましたし、その、………ちびふわにかけられた魔術がある限り、これより遠くへは転移出来ないようです。あわいに隠れ、距離を取るばかりですので、早急に試練の魔術を解除してしまった方がいいでしょう」



ディノに丁寧に一礼したシェダーは、漆黒の髪の凡庸な青年の姿になってしまっていた。

肩口までの髪をゆるく縛り、長めの前髪で瞳はほとんど隠れてしまっている。


そんな姿を見てどう思ったものか、ディノは表情を変えることなく短く頷いた。



「では、そうした方が良さそうだね」

「むむ。場合によっては、リフェールさんは滅ぼしてしまいましょうか?」

「ネア、彼は悪食の白持ちだ。不用意に関わらない方がいい」

「しかし、きりん箱に入れたら、滅びるのではないでしょうか?」

「…………そうだね」



悍ましい提案をしたご主人様に、ディノは怯えた目をするとこくりと頷く。

この話題が出ると、どうしてもきりんを想像してしまうのか、少しだけふるふるしているのが幼気な感じである。



「激辛香辛料油があの素敵な翼に染み込むと、白い翼が油汚れで白くなくなってしまいそうです………」

「ネア、純白の存在は、ある程度の秩序を司るものでもある。悪食の多くは災厄を体現する者として世界の調和に必要なことがあるんだ。少し変異が進んでいるのは厄介だけれど、壊してしまうのはやめた方がいいと思うよ」

「むむぅ。狩れないとなると厄介ですね…………。滅多に見ないくらいに美しい方でしたが、ちびふわに悪さをしようとした鳥など、滅ぼすしかないと思っていましたが………」

「…………君は、あの純白を美しいと思ったのだね?」



不意に、そんなことを尋ねたディノに、ネアはふすんと頷いた。



「私が育った場所では、信仰に基づく高貴な方が、あのような姿だと言われていました。そのような刷り込みもあるので、いっそうに綺麗に見えるのかもなのです。ただ、悪い奴なのであの綺麗な翼を毟ってしまうのも吝かではありません」

「…………毟ってしまうんだね」

「それか、翼を変な模様にしたり、べたべたするきのこを生やしたりします」

「きのこを…………」



なぜか一瞬だけ危うい程に酷薄な目をしたディノだったが、雪喰い鳥の羽を毟ってしまうと宣言した人間にすっかり怯えてしまったのか、おろおろとした後にネアの手にしっかりと三つ編みを持たせてきた。

またしても初対面の人の前でそんな目に遭ってしまい、ネアは手の中の三つ編みを悲しい思いで見つめる。



「三つ編みではなく、手を繋いでもいいのですが…………」

「腰紐の方がいいかい?君が安心出来るもので構わないよ?」

「…………むぐぅ。三つ編みで我慢します」



ネアはこれ以上シェダーが不審がってしまってもいけないので、渋々三つ編みを持つことに同意すると、不慣れな様子でぽつぽつと何があったかなどを話している二人の魔物を見上げる。


ディノは魔物らしく敷かれた魔術の織りの規則などについて言及していたが、じっと見上げているネアに気付くと、唇の端でふわりと微笑んでくれた。



「すぐに行けなくてごめんね、ネア。君がどこかに引き落とされたのは分ったのだけれど、アルテアがこちらは大丈夫だからひとまず待てと言っていたものだから、少しだけ様子を見ていたんだ。怖かっただろう?」

「ちびふわになるまでのアルテアさんとは、連携が取れていたのですね」

「なぜ君が呼び落とされたのかが分らないので、慎重になった方がいいというのがアルテアの意見だった。あの雪喰い鳥に、何かをされたかい?」


不安げな声に首を傾げ、ネアはそのままのことを正直に話してみた。


「他の方の巻き添えで落ちたようです。……リフェールさんには探している人がいたようですが、最初は蟻可動域の私は眼中になかったらしく、あまりにも弱いので見逃してくれる方針でした」

「………それでも、彼が探していたのは、君だったのかい?」



その報告にディノは、目を細めてどこか冷ややかな表情になった。

たいそう魔物らしく美しいが、ネアは慌ててディノが抱いたであろう可能性を否定する。



「いえ、私を特定して探していた訳ではないようです。嫌いな奴めを探し出して食べる予定だったそうで、その行方を知っている人を探していたのでしょう。………そして、そんなグリムドールさんを滅ぼしたのが私だと知ると、今度は恩赦をくれることにしたようです。とは言え、ちびふわを置いてゆけと言われてしまったので、であれば戦うしかないというところでした…………」

「フキュフ!」

「まぁ、荒ぶっても、そんなちびこいお姿で、どうやってあの鳥さんに勝つと言うのでしょう!であれば私が居た方が、この靴もありますし、きりんさんやぞうさんだってあるので安心ではないですか」

「フキュ!フキュフ!!」

「因みに、激辛香辛料油については、アルテアさんも半殺しにしたことがあります。あの威力を疑うのですか?」



ネアがそう言えば、何かを思い出したのかちびふわは、みっとなってディノの髪の毛の中に隠れてしまった。

それまで小さな体でディノの肩の上で弾んで荒ぶっていたのが嘘のように、しんとしたその辺りを見ていたが、髪の毛の中から出てくる様子はない。



「うむ。ご主人様の偉大さを認めたようです」

「ご主人様…………」

「あら、ディノはしょげてしまわなくても、大事な魔物を激辛香辛料油で苛めたりしませんよ?」


そう言われはしても、まだ怖さが抜けなかったのか、ディノはしゅんとしたままそそっと爪先を差し出してきた。

最近分って来たことだが、こうしてご褒美を貰えることで、ご主人様が残虐な狩りの女王モードではないのか確かめていることもあるらしい。


仕方なく爪先を踏んでやり、虐めないから安心していいのだというメッセージを伝えておいた。



ディノが少しだけ大人しくなってしまったので、その後の会話の舵取りをしてくれたのは、シェダーだ。



「…………………その、………ちびふわに、魔術添付で転移と防壁を持たせ、一度自分の力でリフェールの前から離脱して貰うのがいいのでは?」

「うん。そうするのが妥当だろうね。けれど、この姿は呪いでなされたものの一環だ。その上で添付をするとなると、調整に時間がかかりそうなものだけれど、大丈夫だろうか?」

「……………俺がやりましょうか。偶然ですが、この質の呪いの擬態術には覚えがあるので、編み込まれた魔術の隙間を開き易いですから」

「……………では、君に頼むよ」



そう言われたディノは、シェダーを警戒することもなく、肩の上にいたちびふわを捕まえるとそっと差し出す。

しかしながら、ディノの手の上でちびふわはふーっと威嚇をして足を踏ん張っていたので、案外気が短いのか、シェダーはむんずとそのちびふわを掴んで回収してしまった。



「フッ、フキュフ!」

「…………先程はディノの髪の毛に隠れたくせに、今更助けを求めても遅いのです。そちらで、色々添付して貰って下さい」

「………自分でどうにか出来ると言っているみたいだよ」

「ほわ、………保冷庫に落ちてカチコチになったり、尻尾が重くて泳げないちびふわが…………?」


ネアがあまりにも不思議そうにしたからか、ちびふわは、けばけばのまま固まってしまった。

そんなちびふわが暴れない貴重な時間を無駄にせず、シェダーは魔術の何かを施したらしい。



「…………フキュフ」


へろへろになって戻ってきたちびふわをディノから受け取り、ネアはけばけばのままのちびふわの頭をそっと撫でてやった。



「頑張ってあの鳥さんをやっつけたら、またアヒルさん浮き輪で遊んであげますからね」

「フキュフ…………」

「ふふ、興味がないふりをしても騙されませんよ!そして、困難に見舞われはしたものの、そんな時だからこそ、大事な方に手を貸して貰えて良かったですね」

「フキュフ?!」

「……………大事な方?」



そう首を傾げたディノに、ネアは伸び上がって声を潜めた。

耳元に唇を寄せられた魔物は目元を染めている。


「ディノ、さっきもお話ししたように、どうやらアルテアさんは、シェダーさんのことがお好きなようなのです。シェダーさんを見るなりすっかり恥らってしまって可愛かったのですよ」

「フキュフ?!」

「アルテアが………………」



困惑したディノにじっと見つめられ、シェダーは狼狽したように首を振った。

もっさりとした前髪で目は見えないが、それでもひどく動揺した気配が伝わってくる。


「その、………どうしてそんな風に思われたのか、さっぱりなのですが……」

「…………アルテアが、君に………?」

「フキュフ!」


荒ぶるちびふわに尻尾でばしばし叩かれ、ネアはもふもふの愛くるしさに頬を緩めた。

ぽふぽふあたる尻尾はふかふかしていて、よきにはからえないい気分ではないか。


「ふふ、照れ屋さんですねぇ」

「フキュフー!!」

「アルテアが……………」


ディノはなんだか悲しくなってしまったのか、あらためてネアの羽織ものになる形でぺそりと懐いてきた。

そんな魔物が不憫になって撫でてやると、ネアを抱き締める腕に微かに力が籠る。



「君が怪我などしていなくて良かった」

「………私は薄情な人間ですので、その前に襲われてしまった方達のことを思うと胸が苦しいのですが、自分だけが無事に助けられたことに安堵してしまうのです。………ディノ、亡くなった方達に何があったのかを、ご家族の方達に伝えられる場を、設けて貰うことは出来るでしょうか?」

「私から話しておこう。それと、君は一度ウィームに帰ろうか。アルテアは私が見ていてあげるから、安心してお帰り」

「むむ。…………あの鳥さんは、グリムドールさんと、アイザックさんを探していたようですが、その両方を存じ上げているのがばれましたので、この後も付き纏われたりしませんか?」


ネアがそう言えば、ディノは魔物らしい凄艶な微笑みを浮かべた。


「させないから安心していい」

「…………でも、ディノが怪我をすると嫌なので、きりんさんを持って行ってくれますか?」

「……………それはいいかな」

「む。目を合わせてくれなくなりました」

「ご主人様……………」



(あ、……………)



小さく微笑むような気配に、ネアはそちらを見た。

ひらりと、長いコートがあわいの風に揺れる。


「では………」

「うん。行こうか。ネア、君を預けるのにウィリアムを呼ぶから、少し待っていておくれ」

「はい」


もう会えないのかなと、ネアはシェダーの後ろ姿を見送った。




そうして、ディノとシェダーはアルテアなちびふわを連れてリフェールを探しに行くことになったのだが、困ったことにリフェールはもう姿を消してしまっていたようだ。


最後の手段として、転移と防壁の魔術を添付したちびふわの安全確認をしてから、ぽいっと手を離してあわいから出してみたところ、ちびふわは魔術の理にしばられて、ぎゅんとリフェールの所に引き戻されたようだ。





「…………だ、大丈夫だったのですか?!」



それを聞いたネアはがたんと立ち上がったが、顔を顰めたアルテアは暗い目で頷いた。

無事に試練を乗り越えて人型に戻り、今はリーエンベルクのとある部屋で、みんなで純白対策会議に参加出来ている。


試練さえ克服してしまえば、不調があるどころか祝福さえ貰えるものなので、決して損なうばかりではなかったようだ。


なお、何の祝福を貰えたのかは、なぜか頑なに教えてくれない。



「…………転移魔術を持って、雪喰い鳥の目の前から逃走するくらい、出来ない筈もないだろうが。……それと、お前は覚えておけよ?」

「む…………?」

「ネア、アルテアは、片想いの相手の前で無力なちびふわに姿を見せる羽目になったことで、拗ねてるんだろう。気にしなくていいからな」

「…………ウィリアムさん」



あの後、ウィリアムがすぐに駆けつけてくれた。


ディノ達がリフェールを追い掛ける時、ネアを預ける相手として呼び出されたからなのだが、忙しい筈のウィリアムはすぐに来てくれて、ネアは申し訳なさでいっぱいになる。



(…………シェダーさんとディノは、何かお話し出来たのかしら?)


ネアは、自分を預けるのにディノがウィリアムを呼んだのは、もしかしたらウィリアムもシェダーに会わせてあげようとしたディノなりの一計であったのではと考えていたが、ディノもウィリアムも、その事については触れなかった。



(でも、多分………)



でも、多分と、ネアは思う。

きっとそれは、悪いばかりの悲しいばかりの再会ではなかった筈だと。




「それにしても、何で純白がアルテアに試練を与えられたのかが、謎だよねぇ」



カップを傾けながら、そう首を傾げたのはノアだ。


ウィリアムが呼び出された時は、エーダリア達と一緒にいたので、ディノはあえてノアを呼ばなかったらしい。

純白が魔術を辿ることでウィームの中に手を出せることを知り、エーダリア達に危害が及ぶことを警戒したのだそうだ。



「侵食系統の魔術だろうな。大方、贖罪の持っていた魔術を使えるようになったんだろ」

「うーん、彼女にあった魔術となると、少し厄介ですね。純白が元々持ち合わせている魔術可動域が大きいこともあって、贖罪本人より扱いに長けてくる可能性もある」


贖罪の魔物は、調整や浸透などには向いていたが、火力が足りないような系統の魔物だったのだそうだ。

しかし、今はその火力を、リフェール本来の魔術が補ってしまうのだ。



「…………でもさぁ、その分、負荷もかかってるんじゃないかな?侵食系統の魔術まで使えるなら、もっと食べ放題だよ。それなのに、一つの場所を襲った後に必ず姿を消している時間がある。………一定間隔で、不安定になるんじゃないかな」


ノアがそう言い、その場にいたネア達はこくりと息を呑んだ。


それはつまり、リフェールの弱点とも言うべきものではないか。



(とは言え、滅ぼしてしまえないのであれば、どうやって対処するのかしら……)



こてんと首を傾げて、ネアはその方法について考えてみたが、さっぱり分からなかった。



「………リフェールさんを発見したら、どう対処するのでしょう?ウィームには悪さをさせないようにして、眠るのを待つのですか?」

「それが手堅いところであろうな。……だが、侵食の魔術を使えるのであれば、果たしてそれだけでいいのだろうか」



エーダリアが先程から考え込んでいたのは、領主として、ガレンの長としての責任があるからなのだろう。


ザハから、隣国の山中であったというあの場所に引き落とされて亡くなったのは、件の商人の息子と、ウィームに住む商家のご婦人であった。


妻を失った夫は泣き崩れていたそうだが、息子が恐怖に囚われ、稚拙な歌乞いで純白に道を繋げてしまったことを知った父親の商人もたいそう衝撃を受けていた。


その商人の国では、優秀ではない子供達が淘汰されてゆくのは致し方ないという文化なのだとか。

なので裕福な者達は子供を沢山作り、力のない者が脱落してゆくのをやむなしとする。


子供を惜しむよりも、今回の事件の責任が問われることを恐れたのだろうと教えてくれたのはヒルドで、その商人の国では人外者が絡もうと、その罪の在り処を人間に問い、厳しく罰する法がある。

かつての闇の妖精の事件で、被害者でもあった女性を、妖精の魔術に惑わされた加害者として処刑した国の民なのだ。



そんなヒルドは現在、領内でまた純白への道が開いてしまわないよう、各所と連携を取りに現場の指揮にあたっている。



「厳密には、リフェールさんが雪喰い鳥という区分のままで良かったですね……」


決して良い顛末ではないものの、一つだけ救いがあるとすればそこであった。

亡くなったご婦人は幼子を亡くしたばかりで、せめて我が子と同じ場所に妻が行けるのが幸いだと、ご主人は涙ながらに話していたらしい。



「あの女性は、自分の子供と同じ区画に行って、自分の息子と再会している。そこは安心していいからな」


ウィリアムがそう保証してくれ、ネアは小さく頷いた。


「………あの時、手を伸ばして押さえようとしたのですが、騒がしくするとかえってリフェールさんの注意を引いてしまいそうで、一瞬迷ったのです。………その迷いのせいで私は、あの方を守ってあげられませんでした」



そう言ったネアを、隣の椅子に座っていたディノが膝の上に引き上げた。

綺麗な手で、優しく頭を撫でてくれる。



「君が責任を感じることではない。その人間を壊したのは、純白なのだからね」

「…………ふぎゅ。無事にディノのところに帰ってこられて、アルテアさんも無事でした。そのことに喜んでしまうと、申し訳なさでいっぱいになるのです………」

「困ったご主人様だね。では、君が無事で安堵する私も罪だと思うかい?」


そう悲しげに微笑まれてしまうと、ネアは首を振るしかないではないか。

老獪で優しい魔物に転がされ、ネアはふすんと鼻を鳴らしてからおずおずと首を振る。


すると魔物は、ひどく嬉しそうに、けれども魔物らしく艶麗に微笑むのだ。


それは多分、ネアが見知らぬ誰かの命に思う罪悪感よりも、この魔物を優先したからこその喜びなのだろう。

ぬくぬくとした腕の中で安全に守られ、狡い選択をした人間は眉を下げたまま、そんな魔物に少しだけ微笑みを返す。



「さて、ひとまず君は、魔術洗浄をかけよう。純白が証跡を残していないとも限らない。………それを辿ることも出来るけれどね」


ディノは結局、リフェールに会えていない。

捕まえて魔術を削いでしまおうと話していたので、その機会を得られなかったことに、魔物らしい不快感を覚えているようだ。



「…………ま、証跡が残っていれば色々と使えたのに、残念なことだな」


しかし、そう微笑んだアルテアの魔物らしい眼差しを見たネアはぞくりとしたので、そんなものが残っていなくて良かったと胸を撫で下ろした。


こちらの魔物は、ちびふわのお尻を叩かれたことをかなり根に持っているようだ。



(……………おや?)


その時ネアは、ディノがふっと魔物らしく眇めた瞳でその中のとある魔物を一瞥したことに気付いた。

ただ案じるのとは違う、魔物を統べる者らしい眼差しに内心首を傾げる。



そこにも一つ、小さな予感が散りばめられていた。



「…………む」

「どうしたんだい?」

「…………今何か、とても大切なことを思い出しかけたような気がしたのですが、頭の中から消えてしまいました」

「おや、思い出せるといいね」

「………大切なことではないといいのですが」



その時に脳裏を過ぎったものが何なのかをネアが再び思い出すことが出来たのは、暫く後になってからであった。










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