星鳥と百合の魔物
青い青い空の見える夜だった。
満月に照らされた夜空は澄み渡った青さで、その城は冴え冴えと白く美しい。
殆どの部屋には入ったことがないが、世話をしてくれる者達はそちらも管理してくれているようだ。
調度品などの揃えが素晴らしいと言われるが、最初からあまり興味がない。
こつこつと床を踏む音に、背中を向けて立っていたジョーイが振り返る。
その眼差しの優しさに、胸がきゅっとなった。
「どうした?」
そう尋ねる声はとても優しい。
その声のあたたかさを聞くといつも、優しく色々なことを話しかけくれていたネアの優しい手を思い出した。
「ジョーイ、……僕ね、………ルドルフも好きだよ。鬱陶しいけど、色々優しいから」
そう言うのにはとても勇気が必要だった。
けれども、それを言わなければ、どこかで何かが上手くいかなくなる気がしたのだ。
ぼく、と言おうとすると少しだけ緊張した。
変なやつに付きまとわれることが減るからと、ゼノーシュと相談して決めたのだ。
女の子だと思って攫おうとしてきた精霊王もいたが、その時はアイザックの友人だったのでアイザックが対処してくれた。
「ん?どうしたんだ、急に」
唐突な告白に、お城のバルコニーの手摺に腰掛けて外を見ていたジョーイは、眉を持ち上げてふわりと微笑んでくれる。
「……………僕の名付け親の婚約者はね、ネアが他の誰かを気に入ると、浮気だって言うよ」
「それは、……婚約者だからではないのかな?」
「でも、ジョーイは僕の相棒だから、ルドルフも一緒だと嫌なのかなって思ったんだ」
「ルドルフは、………その、……独特な性格だが、今の彼は嫌いじゃない。愛するということを知っているからな」
「じゃあ、ジョーイもルドルフは好き?」
「…………そうきたか。………そうだな、嫌いではないが、好きだと敢えて言う程でもないな。だが、ほこりが仲良くしていても、嫌な気分にはならないから安心していい」
「ほんとう?」
じいっと上目遣いに見上げると、ジョーイは何故か微かに目元を染めた。
ディノが時々こんな顔をしてネアを見ているので、もしかしたらジョーイは、ディノがネアを思うみたいに自分を好きでいてくれるのかもしれない。
ほこりにはもう伴侶がいる。
今の伴侶を気に入っているし、伴侶にしたことを後悔はしていない。
でもやはり、どこかでジョーイと一緒にいる時間は特別で、ルドルフはいつの間にか側に居るのが当たり前の存在になっていた。
「ああ、本当に。…………どう言えばいいのかな、飼い主と、飼い主が大好きな使い魔みたいで仲良しでいいなと思う」
「そうなんだね」
それを聞いてほっとした。
それはつまり、アルテアとネアのような関係なのだろう。
であれば何の問題もないのかも知れない。
「じゃあ、良かった」
「ほこりは、そんな事を気にしてたのか。可愛いな」
手を伸ばしてジョーイが頭を撫でてくれたので、嬉しくなって微笑んだ。
ジョーイはいつも、こうやってほこりを大事にしてくれる。
それが、あのリーエンベルクで過ごした幸せな日々のように思えて心が綻んで、ほこりはこの白百合の魔物が大好きになったのだ。
「……………っ、」
すると、背後から歯軋りをするような音が聞こえてきた。
振り返ると、バルコニーに出る扉のところに少しだけ顔を出してこちらを見ているルドルフがいる。
「ルドルフ、何で隠れてるの?」
「…………もうお邪魔はしません。今日はあなたの誕生日なのですから、あなたが幸福であるのが一番です」
「こっちに来る?」
「喜んで!」
嬉しそうに駆け寄ってきたルドルフに、ほこりは少しだけ考えた。
ルドルフが自分にとっての使い魔のようなものなら、どうやって接してやるのが適切なのだろう。
ふと思い出したのは、今日、ネアがアルテアにしてやっていたことだ。
「ルドルフ、屈んで」
「はい!」
よく分からないままに言われた通り屈んだルドルフに、ほこりはその灰色の髪の上に手を乗せた。
かつては短い髪だったが、ほこりがお腹が空いた時に差し出せるようにと、最近は長く伸ばして一本に縛っている。
そんな頭をさりさりと撫でてやると、ルドルフは目を丸くして固まった。
ふるふるとしながらこちらを見上げ、なぜかじわっと涙目になる。
「あんまり好きじゃない?」
「と、とんでもない!よ、喜びの涙です!!」
ぐしぐしと片手の甲で涙を拭い、ルドルフは褒めてあげた時にだけ見せる満面の笑顔を見せた。
鮮やかな鉱毒のような緑の瞳が、涙で潤んでいる。
「じゃあ、これからはこうするね」
「良かったな。いい扱い方が見付かったみたいだ」
「うん。ネアとアルテアを参考にする」
「……………アルテアが?」
ジョーイは困惑したように視線を彷徨わせ、少しだけ青ざめていた。
するとそこに、会場で誰かと話していたゼノーシュが来てくれる。
「ルドルフと仲直りしたんだね」
「うん。アルテアとネアみたいにするの」
「パイやケーキを焼いて貰うの?」
「……………ルドルフ出来るかなぁ」
「命じて下されば、なんなりと!」
「じゃあ、焼いて貰う。今度、ケーキを焼いてくれる?」
「何百でも!」
「それと、時々可愛い獣に擬態して、お腹を撫でさせてあげてるよ」
「………それはあんまりいらないかなぁ」
「………望んで下されば、腹部などいくらでも解放しますのに」
「それはいいや。……ジョーイ、どうしたの?」
「……………俺が外に出ていない内に、アルテアは随分と変わってしまったんだな」
「そうなの?僕の知ってるアルテアは、いつもそんな感じ」
「……………成る程。……ああ、ネビア。どうしたんだ?疲れた顔をしているぞ」
バルコニーに抜ける扉を開けて、次にこちらに来た魔物は白薔薇だ。
ネアとも知り合いだというので、ほこりは大事にしようと思っている。
どこか怖いところに落とされたネアを、ネビアが助けてくれたことがあるらしい。
ゼノーシュからそう教えて貰って、ルドルフにも名付け親の恩人だから虐めたら許さないと伝えてある。
そんなネビアは、ほこりがもうパーティに飽きてこちらに来てしまったので、お客達は帰るように手配したと教えてくれた。
アイザックが用意してくれた人達が上手くやってくれるらしい。
人と会うのは嫌いだけれど、今日ばかりは色々な食べものが貰えるので、彼等の言うがままにこんな会を開いて貰ったのだ。
魔物は、本来ならば恋人や伴侶以外の相手にあまりこのような形の贈り物をしないし、まだ魔術の定まっていないほこりへの贈与の魔術の繋ぎは厄介なものであるらしく、招待客達は食材になるようなものを色々と持ってきてくれた。
自身への損傷や侵食だけであれば問題ないと言う者も多くいたが、ジョーイやルドルフが話してくれて、ほこりにも反動が出るといけないのでということになり、今年の持ち込みは食べ物だけになっている。
とは言え、祟りものになった首飾りや、魔物を食べるドレスなど様々なものが集まり、珍しい祟りものが幾つもあって、美味しいものを沢山食べる事が出来たほこりは大満足だ。
(アイザックは、商人になる為に敷いた魔術が使えるからって、贈り物をくれたし)
唯一、品物を贈ってくれたのはアイザックだ。
彼は自身の仕事の関係で、“品物を卸す”という魔術許諾が特別に構築されているらしい。
そんなアイザックは、取り込み中であるらしく、挨拶に来て、ほこりがあちこちを齧って駄目にしてしまった寝台を新調して届けてくれると、すぐにまたどこかへ帰って行った。
いつものように微笑んでいたがどこか切迫したような様子があり、ほこりは少しだけ不思議に思っている。
「…………それと、君らしくなく、西側の国境域の扱いが粗雑過ぎたぞ。あれでは国境の外から攻められてしまう」
「…………ソリアモか。すまない、そこでも手を貸してくれていたんだな………」
「その子の事が大事なら、土地が荒れないように気を配っておくべきだ」
「友よ、迷惑をかけたな」
「…………いや、君が妙なことに巻き込まれても困るからな」
このネビアは、ほこりの相棒であるジョーイと仲の良い友人のような存在で、よくジョーイやほこりに手を貸してくれる。
(エーダリアやヒルドみたいな感じかな……)
そう考えると分かりやすかったので、ほこりはネアがしていたように、時々ネビアにもお土産とかをあげるべきなのかもしれない。
「それと、ランシーン国で厄介なものが目を覚ました。暫く近付かない方がいい」
そうジョーイに伝えたネビアに、ほこりは首を傾げる。
ネビアはエーダリアのような服装をしていることが多いが、今日はどこかに出かけていたのか足下までの灰白のケープを羽織っている。
風が吹くとその裏地の鮮やかな水色が揺れて、白と濃紺の組み合わせで同じような装いをしたジョーイと対になるようだ。
なお、ルドルフはいつも黒ばかり着ている。
陰気に見えるので、物陰からこちらを見ている時には少し気持ち悪い。
「その国に、何かいるの?」
「古くからいる悪名高い悪食だ。前の覚醒のどこかで魔物を取り込んだようで、気配が殆ど魔物に近くなっていて、当初は魔物の悪食が出たのかと噂されていたが………。狂乱の危険もあるので、決して近付かないように」
深刻そうなネビアと、ジョーイやルドルフが話している。
ゼノーシュはどこか緊張した様子で、純白という言葉が何度か聞こえてきた。
「美味しいのかな」
そう言った途端、ジョーイとルドルフに詰め寄られた。
「駄目だぞ、絶対に駄目だ」
「いけませんよ!狂乱は、時としてその狂気が病のように伝染するものです。狂乱した魔物には決して近付かないように」
「魔物じゃなくても?」
「僕もやめた方がいいと思うよ。魔物を食べちゃって狂乱してるのなら、魔物の狂乱に近いかもしれない。触って大変なことになったら、もう美味しいものも食べられないよ」
そう言ってくれたゼノーシュの眼差しに、慌てて深く頷いた。
ゼノーシュは、一度だけ狂乱した魔物に襲われたことがあり、命からがら逃げた苦い思い出があるのだそうだ。
すぐに何でも食べてしまうと言われるが、そんな厄介なものには進んで手を出そうとは思わない。
ほこりは、その生き物は食べないことにした。
「カルウィの精霊の預言者の見立てでは、海を渡ってこちらの大陸にも来るそうだ。どこを餌場にするかだが、カルウィ近くの、とある国が有力視されている」
「…………ヴェルクレアには行かない?」
思わずそう尋ねれば、ネビアは神妙な面持ちで頷いてくれた。
「あの生き物は、かつてとある人間の魔術師の呪いによって、ウィームの領土内には入れなくされている。……その後、国家としてのウィームはなくなり、ヴェルクレアという国になったが、あの呪いはそうそう消えるものではない。残忍で貪欲な生き物だが、狡猾で慎重な者だ。その呪いの禁を侵すことはないだろう」
ほこりは、少しだけ眠たくなってきた頭で一生懸命考えた。
(よく分からないけど、食べたくなくてネア達が危なくないならいいのかな)
ランシーンも、カルウィも、ほこりとジョーイの統括する土地からは離れている。
ふと気になって顔を上げると、ネビアに声をかけた。
「ネビアの統括の土地に近い?」
そう尋ねたほこりに、ネビアは微かに目を瞠って少しだけ微笑む。
「気にかけさせてしまったな。………ランシーンからカルウィに抜ける際に、場合によっては横切られはするだろうが、問題はなさそうだ。土地の託宣の巫女に確認させたが、こちらでは被害が出ても数十人程度で済むらしい」
「それなら大丈夫だね」
少し考え込むようにしていたルドルフに視線を向けると、彼は珍しく憂鬱そうな鋭い目をする。
とても困った魔物だったのだと、いつか教えてくれたのはディノだ。
ネアを虐めたことがあり、ディノが作り直してしまったらしい。
実はほこりも、その日に白夜のお城にネアと一緒にいたのだった。
「ランシーンの辺りからこちらに抜けるとなると、………道中にあるのは、砂糖と雲の土地か」
「ヨシュアはあまり統括には意欲的ではないな。……だが、純白は目覚めるとまず最初に、力を蓄えた妖精や精霊を喰らう。ヨシュアは妖精と繋がりが深いから、場合によっては問題になるかもしれない」
ルドルフの言葉にそう答えたジョーイに、ゼノーシュが眉を顰める。
「ネア達は、ヨシュアと仲良くしてるんだ。ヨシュアのところの妖精達が、一度助けてくれたから。この前リーエンベルクにも遊びに来て、グラストもお喋りしてた」
「それなら、やっぱり齧る?」
「ううん。………僕、リーエンベルクに帰ってみんなに話してみる。それと、アイザックにも話しておくね」
「アイザックから聞いたのだ。どうも、彼が目をかけている者が、ランシーンにいるらしい」
「………じゃあ、アイザックが、その誰かを助ける為に、ヨシュアのところの妖精を餌にしないかなぁ」
ゼノーシュは困ったように呟き、ルドルフが見ず知らずの妖精であれば、するだろうと答えた。
「ほこり、ごめんね、僕はもう帰る」
「うん。今日はお昼から一緒にいてくれてありがとう。その白いのは食べないようにするけど、困ったら言ってね」
「うん。ほこりも気を付けてね」
手を振ってゼノーシュがいなくなると、ほこりは小さく息を吐いた。
「それって、昔からいるの?」
「ああ。雪喰い鳥の変異種だ。殆どを地下の巣穴で寝て過ごすが、何百年かに一度目を覚ましては、甚大な被害を出す」
ジョーイはそう教えてくれて、微かに目を伏せた。
「ロクマリアが滅亡に向かったのは、西側の国境沿いの豊かな領地を、純白が食い荒らしたからだと言われていたな」
その言葉に、何故か少しだけ悲しげにネビアが頷いた。
「ああ。あの土地を失ったのは痛かったのだろう。国が傾き出してからは、あの土地の豊かさで国家を支えていたからな。………国が滅びるというのは、悲しいものだ」
「カルウィと、カルウィの近隣の小国と、どちらに落ち着くかが問題だな。場合によっては、あの辺りの国家間の均衡が崩れる」
「周辺の統括はグレアムだ。彼ならばそのような不手際は犯すまい。かつての犠牲ならともかく、今代の犠牲は特に」
(…………グレアム。滅多に統括の会議にも来ない魔物だ………)
その魔物は、とても有名な魔物だった。
先代の犠牲の魔物は、伴侶を殺されて狂乱し、魔物が狂乱した記録の中で最も大きな被害を出したらしい。
万象の魔物に仕えた魔物だったそうだが、最後には選択の魔物が滅ぼしたのだと、ほこりは統括会議で聞いたのだ。
今代の犠牲の魔物は魔物嫌いで、滅多に魔物達が集まるところには出て来ない。
気の合う者には顔を見せることもあるそうだが、統括の魔物としては、かつての白夜のように人間達を傅かせるような類の統治を行っているそうだ。
残忍な魔物になったという者がいる。
冷酷な魔物になったが、元々彼にはその種の気質もあったとジョーイは話していた。
なぜならばそれはやはり、犠牲なのだからと。
(でも、そんな魔物なら上手くやるかもしれない)
そして、ウィームには入れないのであればもう、心配する必要はないだろう。
「まだ、貰ったテーブル残ってたかな」
「空腹であれば、祟りものも残してありますよ?」
ルドルフがすぐにそう言ってくれたので、ほこりは頷くと欠伸をした。
するとジョーイが頭を撫でてくれる。
「はは、眠たくなったな。今日は疲れただろう」
「うん。食べたら伴侶の部屋でもう寝る」
「では、俺達もそろそろ帰ろう。今日は楽しかったか?」
そう尋ねてくれたジョーイに、ほこりは振り返った。
今日はネア達にたくさん撫でて貰ったし、珍しい箪笥も食べられた。
夜の誕生日会では様々な食べ物や祟りものを貰ったし、ジョーイにも頭を撫でて貰えて、ルドルフの扱い方も分かった。
「うん。楽しかった。また誕生日会したいな」
「じゃあ、来年も必ずやろう」
「ええ、全力でご用意させていただきます!」
てくてくと歩いてゆくと、走って行って先回りしたルドルフが、誰かが持ってきてくれた蜥蜴の形をした祟りものを持ってきてくれた。
「いただきます」
ぱくりとそれを食べ、幸せな気持ちで微笑んだ。
扉を開けて伴侶な部屋に入れば、ほこりの大事な伴侶は今日も綺麗に輝いている。
「今日も一緒に寝ようね」
伴侶に話しかけると、その真下にある大きな寝台にもそもそと入り込んだ。
きらきら光る伴侶を見上げて幸せな溜め息を吐く。
ほんの少しだけ犠牲の魔物のことを考え、伴侶を亡くすということについて考えてみたが、想像もつかなかった。
今日はとても楽しい一日だった。
明日は何を食べようか。