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悪夢と風向き 1



目を覚ます前に、夜明けの暗闇の向こうにふと何か危うく禍々しいものの気配を見た気がした。



ネアはその寒々しい暗さに目を瞠ると、はっと目を覚ました。

半身を起こせば、すぐ側にディノの気配がある。


「目が覚めてしまったのかい?」

「ディノ、………何だか嫌な気配がします」

「…………私の指輪が馴染んだのかな。普通の人間は悪夢の気配にはそこまで敏感ではないのだけれど、危険を察知出来るということであれば良いことかもしれないね」



そう呟いて薄く微笑んだ魔物に、そっと抱き寄せられた。

どうやらディノは、ネアが目を覚ます前から隣に座ってネアを守ってくれていたようだ。



「まぁ。ディノの指輪の効果で、そんなことが出来るのですか?」

「私の魔術が守護として浸透していることで、万象に介入する変異の一つに気付くようになったようだね。君が得たものは全てではないけれど、悪夢が最も気付き難く忍び寄る侵食だ。これに気付けることは良いことだよ」

「ふふ、そんなところでもディノが守ってくれるのですね」

「…………今年の間で、二十四まで。婚約期間が終わるところで二十五の指輪を君に馴染ませる」

「…………二十五、まるでクリスマスの贈り物のようです」

「……君の世界の、イブメリアのことかい?」

「ええ、特別な贈り物のように感じる数字ですね。………それにしても、私が覚えているよりもずっと多いのですが、間に合うのでしょうか?」



ネアは少しだけ心配になった。

言いたくはないが、可動域の低さが問題である可能性もある。

指輪を馴染ませるのに時間がかかっているのではないだろうか。



「後二回だよ」

「なぬ。私が知っているよりもずっと多く指輪の追加が行われています!」

「君は…………私の練り直しでこちらに来たから、私の魔術との相性はとてもいいのだけれど、……やはり人間だからね。私は、ジネヴラのようにはなりたくない」



ふっと伏せられた瞳に、真珠色の長い睫毛の影が落ちた。


こんな暗闇の中でも光を孕むような水紺色の瞳の澄明さに、ふとこれは美しいというだけではなく、見る者によってはその美しさこそ恐ろしいものなのだろうと考える。

過ぎたる美しさは、その鋭利さで背筋をひやりとさせるものだ。

けれどもネアは、初めて出会った時からその恐ろしさにも見惚れたのだった。



「…………その方は、指輪を持つ方を亡くしたのですね?」

「人間達が、鹿角の聖女と呼ぶ者だ。ただし彼女には、他にも幾つか名前があった。修復を司る者でもあったが、本来は取り戻しの魔物だったからね」

「……成長したのですか?」



話が逸れてしまいそうだったが、ネアは思わずそこで目を丸くしてしまった。

初めて知ることだったのだ。


するとディノは、くすりと微笑みを深めると、人間は知ることに貪欲なものだよと言ってくれた。

悪夢が近いからか、目の前の魔物はとても魔物らしい。


いつかの悪夢で、誰かが万象は悪夢の影響を受け易いものだと話していたのを思い出した。



「世界が求めるものに応じて、取り戻しの概念が変化していったのだろう。元は失ったものを、……例えば、収穫物や家畜などを返して欲しいという願いから生まれ、生き物達の生活が豊かになるにつれ、それは命の修復を望むものへと変わっていった。人間達の生活に寄り添う中で生まれ、変異体として成長した珍しい魔物だったんだ」

「人間の文化圏で生まれたということは、………ダリルさんのような感じなのでしょうか?」

「うん。ダリルとジネヴラはよく似ているね。ダリルも最初から書架妖精だった訳ではないと思うよ。書架に生まれ、その中で書架を守護する者になることをダリル自身が選んだのだろう」

「………と言うことは、他の妖精さんになった可能性があるのですね!」

「あの場にあるものであれば、何にでも。けれども書架妖精であるのは実に巧みだね。望めば恐らく、知識や学問などの事象に近しいものとて選べただろうけれど、ダリルは書架そのものを選んだ。在りのままのようにも思えるけれど、それが始まりだからこそ、もっとも浅く広く全てを司れる」



ネアは寝台に半身を起こし、背もたれになってくれたディノにもたれかかるようにしてその話を聞いていた。

くたりと寄りかかって体を預けても、魔物はしっかりと支えてくれて揺らぐこともない。

真冬でもあたたかに魔術調整されたリーエンベルクの屋内でも感じる夜明けの微かな冷たさに、ディノの体温が染み入るようだ。



「修復の魔物さんも、選べたのですか?」

「いや、彼女は願いにより生まれ、願いに応えることで変化した魔物だ。だからこそ、魔物達と寄り添うよりも、人間達と暮らすことを好んだのだろうね」

「……………ふと思ったのですが、ディノがこうして私と一緒にこのようなところで暮らしていることを、他の魔物さん達はどう思っているのでしょう?」


ぞわりと、不安が胸の奥で揺れた。

やはり違う生き物なのだからと考えかけ、これはもしかしたら悪夢の影響なのだろうかと考える。



「…………むむ。ぞわぞわ不安になるのは、悪夢のせいなのですか?」

「ああ、悪夢の予兆だね。………大丈夫だよ。私は万象だからこそ、どこにでも在ることが出来る。同時にどこにも居ないというものでもあるから、その側面をどちらに向けようとも、私の資質を損なうことはない」

「…………ディノは、どこにも居ないものでもあるのですか?」


ネアは、その言葉に俄かに不安になってへにゃりと眉を下げた。

すると、後ろからネアを抱き込むようにして背もたれになってくれていた魔物が、すりりっとネアの頭に頬を寄せてくれる。



「だから、君の隣に在ることにしている。どこにもいかないから、怖がらなくていい」

「………むぎゅふ。それなら良いのです。ディノがお隣にいないと、私はきっとまた…………困ってしまいますから」


壊れたものに戻ってしまうだとか、扉が閉じてしまうと言いたかったけれど、それではまるで脅迫のようだ。

そんなことよりも、ネア自身の心に寄り添い共にいて欲しい。



「うん。君がいないと、私も…………苦しい」

「ずっと側にいます。…………それと、このままお隣で寝ようとしていますね?」

「隣にいないと困るのだろう?」

「むむぅ。それは私の人生的なものについてのことでしたが、今日は悪夢めが出現してぞわぞわするので、お隣で寝ていても構いません。……そ、その、……個別包装も解除します!」

「ご主人様!」



大喜びの魔物にぎゅうぎゅうやられつつ、ネアは今更ながらにはっとした。



「そ、そうです!エーダリア様達にご報告を!!」

「それなら、最初の予兆の時に連絡してあるよ。今回の悪夢は規模が小さいから、非常事態宣言をする程のことでもない。不要不急の外出を控えさせるくらいで事足りそうだね」

「……………それなのに、胸がざわざわしてしまうのですね」

「気象の一つだからかもしれないね。ほら、……例えば君は、静かな雪が降る日をとても好きだと言って、笑顔になるだろう?」

「…………曇りの日は憂鬱だと言う方もいます。……成る程、そういうものなのですね…………」



カーテンの向こうの空には、またあの暗闇が落ちてくるのだろうか。

ネアはひとまずいつもよりは少しだけ早く起きる事にして、ぬくぬくとした毛布の中に戻った。


そんなネアに寄り添った魔物が、ネアを抱き締めてほっとしたような安堵の深い息を吐くのが耳元で聞こえる。



「ノアは大丈夫でしょうか?」

「部屋にいたから話しておいたよ。君があの統一戦争の悪夢から拾って来てくれたものがあるから、もう悪夢は怖くないそうだ。ただ、火の慰霊祭の時にはまだ一緒に居て欲しいそうだよ」

「ふふ。その日はまた、狐さんと一緒に寝ましょうね」

「…………うん」


素直に頷いてはくれたものの、ディノは狐なんだねとどこか困惑の目をする。

ネアが人型のノアは危なくて一緒に寝れないからだと言えば、はっとしたらしく力強く同意してくれた。


この前、寝惚けたノアに、ネアがうっかり口付けされてしまったことを思い出したのだろう。


長椅子で眠りこけていたのでネアが起こしたからなのだが、その後のノアは、ディノが何かを言うよりも早く、その場にいたヒルドにどこかに連れて行かれてしまって暫く帰ってこなかった。




「…………っ」



ばたんと、強くなってきた風にどこかで何かが倒れる音がする。



「…………怖くないよ。外の遮蔽扉を閉めようとした者が、風に煽られて、思ったよりも強く閉まってしまったようだ」

「もし皆さんが作業をしているのなら、私達も手伝いに行った方が……」

「まだ夜明け前だし、君の仕事はきちんと取り決めてきた。……君はきっと、隠されているだけでは満足出来ないだろう?」

「ええ。大事な場所の、大切な方々のことを私も守りたいですから」

「朝食の席であらためて指示があるだろうけれど、悪夢が降りた後の、禁足地の森の見回りをすることになっている。今回の規模では、飛び地の森には影響がないそうだから、安心していい」

「ふふ、あのちびちびした生き物達が怖がらないで済むと知って、安心しました」



二人の体温が篭った毛布の中は、まるで安らかな繭のようだ。

これだけ近くにいるからか、二人の声は低く囁くように耳元で揺れる。



「少しでも、もう一度眠れそうかい?」

「ディノがくっついているので、すっかり安心してしまっています。でも、こうしてお喋りしているのも、何だか普段とは違くて楽しいですね」

「うん………」



今度は恥じらったのか、魔物がぐりぐりと頭を擦り付けてくるのが分かる。

その仕草に心が緩み、ネアは微笑みを深める。




「…………こんな風に怖いものから守ってくれるディノが一緒なら、長生きしても怖くないですね」




ネアが、魔術可動域の低い人間が長生きだと知らなかったと話した夜、ディノはとても不安そうにしていた。


あまりにも心配そうにするのでどうしてなのかと尋ねたところ、かつてのネアが、死というものをいつか到達出来る憧れの出口のように思っていたからだと言われた。

だからディノは、そのことを怖くてネアに言えなかったのだそうだ。



(確かにそこは、決して望んではいけない憧れの地だった)



その先が、安らかで優しい場所だと考えたからこそ、ネアはその門への扉を自分でくぐるだけの許しを、自分には与えられなかった。

それでもいつか、本当に耐え難い何かがあればそこに逃げ込んだかも知れない。

あの世というものがあるかどうかはどうでもよく、努力や孤独を投げ出せるということが堪らなく素敵だったのだ。


でも生者の領域で踏ん張れる内は、強欲に狡猾にそこで踏み留まることを、愛する者達の為に己に課した。

それは、幸せになって欲しいと常々口に出してくれていた両親の為にであり、お姉ちゃんが痛くなくて良かったと笑った優しい弟の為にでもあり。

自分以外の何も愛せなくなった自分が、最後に愛した者達に、そうして惨めに執着したからでもあったのだろう。




それを知るからこそ、ディノは怖がったのだと知り、ネアは少しだけ反省したものだ。


その晩は、もう死の扉の向こう側よりもずっと、こちらにある大切なものの方が魅力的だと思っていると説明してやり、長生きすると知ったからと言って、それを憂いたりはしないと魔物に説明してやった。



だから今も、ふっと心に浮かんだままに、それを伝えてみた。

すると魔物は微笑みの気配を零し、ぎゅっとネアを抱き締めた。



「……私はずっと隣にいるから、少しでも長く側にいてくれるかい?」

「はい」

「……………良かった」



その言葉に滲んだ安堵に、ネアはこの魔物がどれだけ怖がっていたのかをまたあらためて知る。

こうして言葉に出さずに恐れていることが、ディノにはどれだけあるのだろう。




「ディノ、一人で抱えて怖がらないで、怖いことは怖いと相談して下さいね」

「………ぞう、は、この世界にはいないかな」

「むむ。…………きっといないような気がしますが、私はぞうさんは怖くないので、現れたら守ってあげますね」

「あんなに恐ろしいものに、君が傷付けられたら困るからいけないよ」

「………子供の頃に、旅先で背中に乗せて貰ったこともあるのですが…………」

「……………ご主人様が、とても酷い目に遭わされていた……」

「ディノ?!………もしかして、泣いてしまいました?!」




その後ネアは、ご主人様が異国で象に乗せられたと知り泣いてしまった魔物を宥めるのに大わらわとなり、寝るどころではなくなってしまった。


ネアは別に嫌な体験ではなかったと一生懸命に説明したのだが、どうやら言葉が足りなかったらしく、魔物は、ネアが甘え下手なのは、幼い頃に象に乗せられた時に誰も助けてくれなかったせいかもしれないと真面目に悩んでしまう始末である。




「という訳ですので、既に疲れているのはその誤解を解くのに難儀したからでした」

「そ、そうなのか…………」



朝食の席でネアの顔色を心配してくれたエーダリアに、そう説明すれば微妙な表情で頷かれる。



「僕、あれの背中に乗せられたら多分死ぬと思う…………」

「なぬ。ノアが死んでしまう程に凶悪な生き物ではありませんよ?」

「でも、きりんでも死ぬかも…………」

「バケツ怪人さんが平気なのに、どうしてきりんさんやぞうさんが駄目なのでしょう?」

「シルは頭の上のやつが怖いみたいだけど、僕はあの首が…………この話はやめようか!」


途中でぶるりと身震いし、ノアは慌てたように首を振る。

ディノは夜明けのぞうさん談義ですっかり弱ってしまい、今はネアの横に椅子をくっつけて体を倒し、膝枕で体力を回復中だった。



「それにしても、不思議な暗さですね。まるで闇色の霧が立ち込めているようです」



窓の外には黒い靄が立ち込めていた。

美しいウィームの雪景色と合わさり、どこか幻想的にすら見える不思議な光景だ。

時折靄の向こうにチカチカ光るのは、悪夢から逃げている妖精だろうか。



「完全な暗闇になる程の悪夢ではなかったからな。その、…………見回りは大丈夫そうか?」

「ええ、ご安心下さいね。ディノもその頃には元気になると約束してくれましたから」

「なら、やはり任せることとしよう。……今回は規模が小さな悪夢なので祟りものなどの被害はないと思うが、実は、風向きの関係でこちらに流されてきたであろう妖精の群れがいてな。その妖精の対処を頼みたいのだ」

「妖精さんの群れ…………」

「すまないな、明後日の準備もしたいだろうに」

「いえ、ウィリアムさんに差し上げるものは決まっているので大丈夫ですよ」



エーダリアが教えてくれたのは、春惑いの妖精というものであった。

名前の通りに素晴らしい春の情景を見せることで獲物を惑わせる妖精だが、冬から早春の間にしか現れないものでもある。

偽物の春の風景に誘い込んだ獲物から、魔術や命を吸い取る怖い妖精だ。



「悪夢の派生時にディノにも伝えてはあるが、注意するようにな」

「悪いやつなのであれば、倒しておきますか?」

「勿論それが叶えば言うことはないが、ガレンでも討伐出来る事が少ない妖精なのだ。何十年かに一度小さな村などを襲うこともあるが、討伐隊が差し向けられるとすぐさまあわいに姿を消してしまう」

「逃げ足の速いやつなのですね」

「人間だけではなく、同族の妖精も獲物にする妖精ですから、我々も時折狩りの対象にしておりましたが、生態のよく分からない生き物という印象でしたね」


そう教えてくれたのはヒルドで、ヒルドの一族でも一人、その春惑いの妖精に食べられてしまった者が出たことがあるのだそうだ。

高位の竜と高位の魔物は食べないそうだが、それ以外は何でも食べてしまうので悪食の類かもしれないと考えていたのだとか。



「その妖精なら知ってるよ。僕が昔付き合ってた妖精の女の子も、妹を食べられた事があったって話してたからね。……確か、惑わされても、すぐに食べられる訳じゃなかったと思うよ」

「ああ。時間をかけて獲物を喰らう妖精なのだ。食べ尽くされる前に救出出来れば、どうにかなるのだが、喰われた魔術や命は戻ってこない。救われても酷く短命になってしまう者も多いな」



悪夢の日なので、今朝の朝食は簡易版である。


とは言え、素敵なふかふかパンケーキに苺や桃、無花果などの果物が沢山添えられ、あつあつにボイルしたチーズ入りの白ソーセージと、シンプルだが体に染みる系の野菜のスープもある。

パンケーキにバターを溶かし乗せてシロップを回しかけ、半分はソーセージと、残りの半分は果物と食べる運用で、ネアはとても幸せだと宣言出来るくらいの気分であった。



「出会っても、すぐには食べられてしまわないのですか?」

「ええ、春惑いの妖精は、春の風景に誘い込んだ獲物からしか食事が出来ないようですね」

「偽物の春の情景に迷い込んだ者は、そこで眠ってしまうのだそうだ。寝ている間に、その魔術や命を吸い取るらしい」

「では、そうならなければ、ただ滅ぼすだけで済みそうです」

「…………お前ならやれそうな気がしてきたな。ウィームには既に春惑いの妖精に対しては注意喚起を出しているので、領民は問題はないと思うのだが、春惑いの妖精を知らない者はその罠にかかりやすい。特にガーウィンの領民は、春惑いの妖精の犠牲になりやすくてな………」

「あちらの人々は、天上の楽園に行ける事や、人外の者に隠された救いの土地に誘われることを信仰の到達点にする者達も多いですからね」

「むむむ。さては、他領の方がウィームで事故ると、何かと面倒なのですね?」



そう気付いたネアに、エーダリアは渋い顔で頷いた。

ヒルドはどこかうんざりとしたような表情だが、それでも、少し根深い問題があるのだと分かるものだ。



「最近、ガーウィンの高官達の不慮の事故が続いてな。幸いにもガーウィンで起きた事故ばかりだが、彼等が敏感になっているのは確かだ。ウィームとしては、出来ればその議論に巻き込まれたくはない」

「うむ。では、春惑いの妖精さんを見付けたら、新製品のぞうさんでも見せてみますね」

「わーお。…………あれを見たら、すぐに全滅するんじゃないかな」

「……そこまで恐ろしいものなのだな」

「ふふふ。まだディノとノアにしか試していないのです。良い機会を得ました!」

「そ、それは良かった……」



残忍な微笑みを深めたネアに、エーダリアは若干びくびくしながらその会話を終わらせた。



「…………む。その妖精さんは、どんな姿のものなのでしょう?」


慌ててネアがそう聞けば、忘れていたのかエーダリアが眉を持ち上げてから頷く。


「すまない、言い忘れていたな。柔らかな金色の綿毛のような生き物だ。鳥のように囀り、背中には薄緑色の蝶の羽を持つ」

「蝶のような羽の妖精さんとなると、春惑いの妖精さんは女性なのでしょうか?」

「種族的に、女性しかいないようですね。必然的に獲物も男性ばかりで、女性はまず襲わないようです」

「そういう意味でも、私は適任だったのですね?」

「ああ。高位の魔物も襲わないそうだから、お前とディノであればまず問題ないだろう」



それならば尚更殲滅してしまいたいと考え、ネアは朝食の後、お気に入りのブーツに履き替えながら頭の中で何度か、象の絵を広げる瞬間のシュミレーションをした。



「ディノは、私がいきますよと言ったら、私の前に出ないようにして下さいね」

「……………出ない」

「そして、その悪い妖精めが出現したらぞうさんで滅ぼします!」

「君はその絵を持っていても、損なわれることはないのかい?春惑いの妖精を壊したいなら、私がやってあげるよ?」

「ふふ、ここは狩りの女王としての活躍どころです。大好きなウィームの為に貢献しますね」

「ネアがウィームに浮気する…………」

「とうとう土地にまで………」




そんな事を話しながら出立の準備をしていたところで、ネアはディノがどこか遠くを見るように瞳を眇めたことに気付いた。



ふわりと風もないのに揺れた真珠色の髪に、人ならざるものの凄艶さが見え隠れした。

悪夢の時にだけ垣間見える魔物らしい姿のディノに、ネアはほんの少しだけどきどきとした胸を押さえた。



「ディノ………?」

「どこかで良くないものが目を覚ましたようだね。………ただ、ウィーム……いや、ヴェルクレアからも遠い場所だ」

「…………怖いものですか?」

「悪食や祟りものに近しい。純白かなとも思ったけれど、………雪喰い鳥の気配には思えないかな」

「……………ほわ」



ネアは、声の余韻に残った不穏さに、ぴとりと魔物にくっついた。

こちらを見た魔物はふわりと微笑むと、ネアの頭を優しく撫でてくれた。



「対処に困るようなものではないよ。念の為に、遠くにいる者達に伝えておくといい」

「ダナエさんにはカードから伝えておきます。ウィリアムさんやアルテアさん、それにほこりは大丈夫でしょうか?」

「ダナエ達だけで問題ないだろう。ほこりには、食べようとして問題にならないよう、念の為にネビアに伝えておこうかな」

「………む?………白百合さんではなく?」

「友人が心配なようで、ネビアはよく白百合や白夜達の様子を見に行っているようだ。ほこりがその生き物を食べようとした時に止められるとしたら、ジョーイではなくネビアの方だろうね」

「…………他の方達は、ほこりの好きにさせてしまって抑止力にならないのですね………」



ネアはどこか遠くにいるであろう、白薔薇の魔物の幸運を祈っておいた。

ちょっと大変そうな役回りだが、ぜひに可愛いほこりを守って欲しい。



「そ、それと、ルドヴィークさん達は大丈夫でしょうか?」

「…………そうか、あちらが近いかもしれない」

「なぬ!すぐに危険を知らせましょう!!私の恩人さんなのです」

「アイザックに伝えれば、彼が守るだろう。最近はかなり気に入っているようだ」

「アイザックさんがいればもう、絶対的に大丈夫だという感じがしました。ダリルさんもですが、とても隙がないという感じがします」



ネア達は、その少しだけ心配な報せをエーダリアに届け、悪夢の揺らめく禁足地の森に向かうことにした。




ディノが良からぬ者の目覚めを感じたその時に、どこか遠い戦乱の地で終焉の魔物が顔を上げ、自宅で本を読んでいた選択の魔物が眉を顰めていた。

商会で部下達に指揮を出していた欲望の魔物は、すぐさま午後の予定を全てキャンセルし、件の土地に出かけて行ったのだとか。



その日の内に、ウィリアムからは誕生日会の延期のお願いが来た。

どうしても注視しておかねばならない土地があり、鳥籠案件になりそうなのだという事だった。


薔薇の祝祭の時には無事に来てくれたが、ウィリアムがその鳥籠で何を見たのか、その日、何が目を覚ましたのかをネアが知るのは薔薇の祝祭の後のことだ。




太古より美しいものがより恐ろしいものだとしたこの世界の人々が、どのような災厄を見たのかを、身を以って知ることとなるのだと、ネアはまだ知らずにいた。












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