237. 新しいお家が決まりました(本編)
傘祭りで怪我をした子竜の引取先が決まった。
そう聞いたネアはほっとしたのと同時に、どこか寂しいような不思議な思いがした。
もしその子供がドリーの兄の翼を受け継ぐ者であれば、リーエンベルクに近しいものに養われるのが好ましいのではと考えていたのだ。
しかしながら、子竜のエルトを引き取ることになったのは、ウィームに住む豪商の青年であるらしい。
この青年は今年の新年のお祝いの時、雪面に敷き詰められたお花を寄付してくれた人物で、ウィームの名産品でもある硝子製品を扱う商会の代表である。
淡い銀髪に緑の瞳の青年は、決して目を惹く美麗さという訳ではないものの、ご婦人からも人気があり、どこか暖かな眼差しから、人ならざる者達や気難しい妖精の職人達からも好かれているそうだ。
三日目のその日の午後、もうリーエンベルクから出されてしまうと知ったエルトはみんなとの別れが寂しくてびゃんびゃん泣いていたが、なぜかその青年と対面した後はぴたりと泣き止んだそうだ。
その面談には、ヒルドとエルトの現在の保護者であるバンルも同席したらしい。
ドリーはその報告にほっとしたようで、先程、早々に青年に会いに行き、何度も頭を下げていたのだとか。
本来はぎりぎり最後の日の晩餐までの滞在予定だったものの、青年にべったりなエルトがそのまま一緒に帰ってしまったので、タイミングが悪くお風呂中だったネアはお別れが出来なかった。
その代わり、エルトからのお手紙という幼児のクレヨンお絵描きのような可愛い贈り物を貰ったのだ。
ディノの練り直しのお陰で、ほとんどの言語が習得済み扱いという恩恵を享受しているネアだが、竜語はなぜか除外されていた。
ただし、竜文字は添付されていた知識だったらしく、これはネアにも読めたので、また遊んでねという言葉に可愛いの極みだと宣言をせざる得ない。
「出来れば、エルトさんの履歴としてはこちらで生活出来れば良かったのにと思ってしまいますが………」
「これでいいのだろう。あの竜は、自身の終の住処とする場所をしっかりと見付けたのだと思うよ」
「その男性の方を、気に入ったということなのでしょうか?」
ネアが宝物を見付けたのかなと期待に満ちた目でこてんと首を傾げると、ディノはどこか困惑したような目を細める。
「人間には生まれ変わっても記憶を引き継ぐことへの信仰があるし、ごく稀に魔術的な欠陥や策略で前歴を受け継ぐ人間が生まれることもある」
「…………こちらの世界では、人間が生まれ変わって前世の記憶を持つということは、欠陥のようなものなのですか?」
「そうだね。……やはり生まれ直すのであれば、それは新しいものであるべきだ。過去に引き摺られてしまうことは、決して幸福なばかりではないだろう」
「…………もしかして、その方も?」
ネアは微かな期待に目を煌めかせたが、ディノは静かに首を振った。
「いや、その可能性を考えたのだろう。エーダリアに一目見てくれと言われて見てみたけれど、彼は前歴の記憶を引き継ぐ者ではなかったよ。前歴の記憶を持つ者の場合は、魔術の歪みがあるから見れば分かるものなんだ」
そう言われてしまい、ネアはがっかりした。
しかしそんなネアの頭を、ディノはふわりと撫でてくれる。
「けれども、記憶を持った生まれ変わりというものではなくても、かつての誰かが受け持っていた役割や気配を、新しい誰かが受け持つということがある。時折、まったくの別人だが身に纏う雰囲気が酷似していたり、殆ど同じような役回りで生きた者達がいたりするだろう?」
「…………エルトさんを引き取られた方は、記憶を持って転生されてはなくとも、そのようなものを持たれていると?」
「表面的なものを見れば、確かにエーダリアは自身の曽祖父によく似ている。曽祖父であり、祖父でもあった人間とね」
ネアはここで首を傾げた。
言葉通りで流れが思い浮かばず、ややこしかったのだ。
「曽祖父であり、祖父?………むむ、それはまさか、複雑過ぎるご家庭の事情が……」
「エーダリアの曽祖父であったエーヴァルトは、史実の上では死去したことになっていて、その後を継いだディヴァート王がウィーム最後の王だとされているだろう?けれども、実際にはディヴァートという人物は、エーヴァルト王が亡くなったとされる事件で命を落としている。王位に就いたディヴァート王は、その妹が身代わりになっていたんだ。つまりは、エーダリアの祖母になる女性だね」
ネアはほんの少し飲み込むまで頭の中でその構図を考え、理解すると目を丸くした。
「エーダリア様のお祖母様は、亡くなったお兄様のふりをして、王様になっていたのですね?」
「そういうことになるね。……ただし、これはウィーム王家の秘密だから、ヴェルリアには知られていないことだ。強く古い魔術で封じられている秘密だから、あまり口に出してはいけないよ?」
「はい!秘密にしますね。そして、エーヴァルト王が亡くなったとされている、という言い方だということは、実際には生きておられたのですね?」
「自分の娘が王として即位した後も暫くは事件の影響で動けなかったようだが、どこからか復調して娘と入れ替わったようだね。ウィーム最後の王とされる、ディヴァート王だが、実際には息子の名前を騙ったエーヴァルト王であったんだ」
窓の外には降ったばかりの雪の上で羽の手入れをしている、小さな青い小鳥がいた。
安らかで穏やかなリーエンベルクの日常の光景を見ると、心が柔らかく解けてゆく。
「…………立派な方だったのでしょうね。最初にディヴァート王だったエーダリア様のお祖母様も、後からその名前を使われた前王様も。私が知る限り、ウィームの王様はどなたも、誰からも愛されていたという記録ばかりなのです」
「そしてそんなエーヴァルト王に、エーダリアはとてもよく似ているとされる。でもね、それは彼の血族だからの要素であって、よく似た嗜好や気質だとしても、エーダリアは曽祖父の魂を継ぐ者ではない」
ネアはその説明に頷いた。
もしかしたら、そんな風に偉大な過去のウィーム王によく似たエーダリアに、愛した者の姿を透かして見てしまう者もいるのかもしれない。
それでもネアにとっては、エーダリアはエーダリアでしかないのだ。
「ディノが言いたいのは、ぱっと見エーヴァルト王によく似たエーダリア様ではなく、何の繋がりもないように見えたのだとしても、よりエーヴァルト王の要素を持った方がいらっしゃったということなのでしょうか?」
「……勿論、そこには何の繋がりもないかもしれない。記憶を受け継いだ訳ではないし、同じ魂がそこにあるのかどうかは、誰にも分からないだろう。因果の系譜の者達だとしても、引き摺られた要素もない魂の繋がりは殆ど辿れないからね。………でも、あの子竜は、そこに探していたものを見付けたのだと思うよ。ドリー曰く、あの商人の青年を自分の宝物だと言っているそうだから」
「……………まぁ!」
ネアは、その嬉しい報告に思わず涙が出そうになってしまった。
それはきっと、心を寄せて切望したものだからこそ、表面的な近似性だけではなく、もっと深い部分で探していたものが分かるのだ。
そうではないまったくの偶然かも知れないが、そう思えば胸が熱くなった。
「…………きっと、幸せになれる筈です。ここはもう、穏やかで自由な土地と時代ですし、エーダリア様が領主様である限り、それを守ってくれるでしょう。であれば、エルトさんは、きっとその方とずっと一緒に居られる筈なのです」
「うん。……私もそう思うよ。エーダリアが竜に取られてしまわずに、ノアベルトもほっとしたようだし」
「ふふ。銀狐さんがけばけばの涙目で必死に抗議していましたものね。あんなに竜が大好きなエーダリア様が、やはり自分の契約の相手はノアだけなのだと言ってくれて、どれだけ嬉しかったことでしょう」
実を言えば、ネアはリーエンベルクで飼える竜がいなくなり少しだけがっかりもした。
だが、それ以上に素敵な縁の奇跡を見れたような気がして、胸がほこほこになる。
その夜の晩餐の席で、エーダリアがその商人の青年が子竜を引き取ってくれた経緯を教えてくれた。
「彼はな、…………フェルフィーズという青年なのだが、幼い頃から火竜に強い憧れがあったのだそうだ。………その、お前の支持者なのだと思うぞ」
「なぬ…………。突然雲行きが怪しくなりました」
「おや、彼はネア様を見守る会の方ではない筈ですよ?」
しかし、ヒルドがすぐにその情報を訂正してくれた。
驚いたように目を瞠ったエーダリアに、ヒルドが苦笑する。
「だから、彼をネア様に会わせないようにと仰ったのですね?」
「だ、だが、新年の時の寄付があったではないか…………」
「あれは、その魔術を得意としている領民として、そして我々リーエンベルクの者達への気遣いとしていただいたものです。エーダリア様のこともご心配されていましたから」
「………そうだったのか。私は、てっきりネアの特定の支持者だとばかり………」
(成る程。エーダリア様の会の方に違いない)
ヒルドの言い方にぴんときたネアは、そう考えてふむふむと頷いておく。
そこで気を取り直したのか、エーダリアはその青年の説明を続けてくれた。
「……彼はな、商人の家に生まれたことを生かし、火竜のいるヴェルリアの支店に行くことも考えていたらしいが、ウィームを離れる事は出来なかったと言っていた。そんな中、怪我をしたエルトを見て居ても立っても居られなくなり、両親を説得してここにやって来たらしい。エルトが火竜を思わせる赤い竜だったことも大きいのかと思ったが、……もしかしたら、そこには私達の知り得ないような運命の恩寵もあるのかも知れない」
微笑んで頷いたのはヒルドだ。
「その青年は、花の魔術を得意とする者としても有名なのですよ。残念ながら、生み出す花には魔術が織り込まれていませんが、花そのものを生み出す技術には誰よりも長けています。花の絵を細工する工芸品を扱う商会のご子息ですから、職人達によく花を提供しているそうですね」
「……お花を?」
「ああ、そうかお前は知らないのだったな。私の曽祖父は、……恐らく、祖父でもあったと聞いているだろうが、……竜を魅了したという花の魔術で有名な魔術師でもあった」
(だから、あの絵の火竜の王様は白い花を持っていたのかしら………)
そう思ってそのことを話してみたネアに、エーダリアはその絵こそが、エルトとエルトの宝物になった青年の運命を変えたのだと教えてくれた。
あの日、ドリーはまだ幼いエルトをウィームにやるかどうか、最後まで悩んでいたそうだ。
幼い子供が、ウィームに行って探し物が見付からず、失望から挫折してしまうことを懸念していたのだ。
「だが、我々にエルトのことを話すかどうか悩み啓示を求めて兄の絵を見に行った先で、お前達があの絵の前にいた。それで決心したのだそうだ。こちらに許可を取りに来た時に、ドリーはそう話していた」
「……………きっと、エルトさんの居場所はきちんとそこに用意されていたのですね」
「ああ。そうであると私も信じたい。………正直なところ、偉大な曽祖父の面影を重ねられるのは血族としては嬉しいばかりなのだが、あの子竜の思いに応えられる自信はなかったのだ。エルトの特殊な経歴を踏まえてもリーエンベルクでは預かれないことは明白であったし、………何というか、時折エルトは私を見上げて何かが違うという目をして途方に暮れていた。……それがな、不憫でならなかったのだ」
「ありゃ。…………もしかして、エーダリアがあの竜に優しかったのって、それで?」
「………だから、特別な感情はないと言ったではないか」
「…………わーお、じゃあ、僕とヒルドがあれだけはらはらしたのは、無駄だったのかぁ…………」
「私はその辺りは分かっておりましたよ。あなただけが、大騒ぎをしていたのでしょう」
「エーダリア、ヒルドが僕を虐めるんだけど!」
わしゃわしゃして来たそちらを見ながら、ネアは、銀狐がエルトが滞在中はずっとエーダリアの寝室で寝ていたことを初めて知って驚いた。
「ふふ、ノアはエーダリア様が大好きなのですね?」
しかし、ネアにそう言われてしまったノアは、目を瞠って固まってしまい、暫くは片言な魔物になってしまった。
エーダリアはどこか気恥ずかしそうに、そしてヒルドはそんな二人の姿にひどく満足げに微笑む。
そこにあるのは、いつの間にかそんな風に確かなものになったのか、家族にしか見えないような暖かな形だ。
「それにしても、お若い方なのであれば、自社の代表になるだけの才能を持つ、とても優秀な方なのでしょうね」
「ああ、確かにそうだな。歳は私と同じくらいなのだろうか……」
「エーダリア様、彼はあなたのお母上と同じくらいのご年齢ですよ?」
「……………なに?」
ヒルドのその言葉に、エーダリアは固まった。
ネアも、確かに青年という名前が聞こえて来た筈だと思い、首を傾げる。
「あの方は花の魔術をお持ちですから」
「…………そうか、花の魔術を持つ者は常に年若いままの姿でいることが多いからな」
「………不思議です!そういうものなのですか?」
「逆に、金属周りの魔術は物によっては老化が早くなる。その属性を扱うのに適した姿というものがあるのだろうが、フェルフィーズは立派な花の魔術師であったな……」
「フェルフィーズ様は、確かに魔術師としての側面より商人としての側面がお強い方ですからね。前に商会の代表をされていたお父上もご壮健ですし」
「………ああ、すっかり失念していた。そうか、私より年長者であったか」
(エーダリア様のお母様と同じくらいということは、終戦間際か戦後に生まれた方なのかしら………)
「君は、あの竜に宝を得て欲しかったのだろう?良かったね」
そう微笑んでくれた魔物に、ネアは微笑んで頷いた。
ネアがぱっと微笑んだ途端、こちらを見てゆったりと微笑んでいた魔物が、微かに目元を染める。
「はい!あの子が花の竜になったのは、その方のところに行く為だったのかもしれませんね」
「その人間が生み出した花を力と出来るのだから、良い循環だと思うよ。竜は、自分の宝から貰ったものをとても大事にするからね。治癒魔術なども、宝とした者から施されると、通常のものの十倍近くの効果が出るそうだ」
「なんて素敵なんでしょう!エルトさんが大はしゃぎで弾んでいる姿が見えるようです。………結果として、あの傘祭りでエーダリア様の為に頑張ったからこそ、その方の目に入ったのだとすれば、みんな繋がっているのですね」
ネアがそう椅子の上で弾んでいると、エーダリアが目を瞬いた。
「そうか。………そう思えば、あの子供は自分で運命を掴んだのかもしれないな」
「…………なんだ。僕はあれだけ頑張ったのに、エーダリアはあの竜を契約の竜にするつもりはなかったのかぁ」
ノアは気が抜けたのか、ぱたりとテーブルに突っ伏してしまい、エーダリアをおろおろさせている。
「あなたが、そこまで警戒したのは、エルトが火竜だったからですか?」
「…………エーダリアがさ、ボールで遊んでやろうとしたんだよ」
「ノアベルト………」
「ノア、ディノがくしゃくしゃになってしまったので、その理由はなかったことにして下さい!」
「しかも、僕のお気に入りの紐のついたボールで…………」
「す、すまなかったな。今度からあれは、あの狐専用にしよう」
「いくら僕だってさ、あんな小さな竜を不必要に警戒はしないさ。でも、ボールはちょっとね。…………ん?ヒルドは何で頭を抱えてるの?」
「ノアが野性に侵食され過ぎていることに、衝撃を受けたのだと思います………」
「ありゃ。僕、変なこと言った?」
「むむぅ。かなりの重症でした…………」
ネアは、このままではディノとヒルドが弱ってしまうと判断し、話題を変えることにした。
「そう言えば、もうすぐほこりのお誕生日なのです。お腹を一杯にしてやって来るそうですが、ほこりの滞在時間は一時間程度なので、精一杯お祝いしてあげましょうね」
「こちらからの食事は、大皿のものを幾つか用意します。それと、封印庫の魔術師達から、大きな祟りものを引き受けてくる予定ですので、それで事足りるといいのですが」
ヒルドが話しているのは、ほこりのお誕生日のご馳走のことだ。
味の染みた祟りものが大好物のほこりは、お昼の時間をリーエンベルクに来てくれ、夜は白百合の魔物と白夜の魔物、その他の信奉者達にお祝いして貰うらしい。
伴侶のシャンデリアの下でお祝いするらしく、ゼノーシュはそちらにも行くのだとか。
「アルテアさんも、特製のケーキを持って来てくれるんですよ」
「そう言えば、傘祭りの夜に少しだけ来ていたが、何かあったのか?」
「エルトさんと仲良くしたいかカードで尋ねたところ、私の顔を引っ張る攻撃をしにわざわざやって来たのです!しかも、一時間しか居られないといいながら、騎士さん達に独身かどうかを聞いてはならないと、私をお部屋に軟禁したのですよ!」
「…………それは、何というか、………よく頑張ったな」
「むぐ!使い魔さんの意地悪癖も、まったく困ったものですね。次回、お時間のある時に遊びに来たら、すかさずちびふわにしてしまうのです」
ネアがそう厳しく宣言すれば、少しだけ復活したのか頬杖を突いたノアが小さく微笑む。
「僕さ、アルテアは苦労人だなぁって最近思えてきた」
「なぬ。苛めっ子気質が過ぎて、使い魔さんを忙しくしているとか…………」
「わーお。君はそう捉えるんだねぇ。でも、君とアルテアは、いい組み合わせだと思うよ。人間でよく遊ぶ彼が野放しだと、シルも心配だったろうしね」
ノアのその言葉に、ディノは少しだけ考え込んでからこくりと頷いた。
「そうだね。………やはり、人間にとって危うい魔物は、君とアルテアと白夜だからね。そこを心配しなくてもいいのは、助かることだね」
「ありゃ。僕も入れられた」
「少し前までは、そうだっただろう?それに、君は、とても女性が好きだし」
「うわ!シル、それを冷静に指摘するのやめて!何だか妙にいたたまれない!!」
「む。またしてもノアが死んでしまいました……」
そこでネアは、他にも人間に害を成しやすい魔物がいるのかどうかを尋ねてみた。
「どうだろう。魔物は元々、人間にとって善きものであることも、悪しきものであることもあるけれど、………それ以上に好んで関わるとしたら、先代の白樺は人間達にも警戒されていたのではないかな」
「あー、あいつは人間の魔術師を術比べで殺すのが好きだったからね。でも確か、その人間に蝋燭にされたんじゃなかったっけ?」
「なぬ。悪いやつな感じですが、蝋燭にされてしまったのですね………」
「そのような場所があるんだ。賭けをして、負けた方を蝋燭にしてしまう魔術特異点だよ」
ディノのその話に、ふるふるしながら詰め寄ってきた者がいる。
ヒルドに無言で押し止められているが、エーダリアは興奮を隠しきれない様子で目を輝かせていた。
「そ、それは、燭台の塔の話だろうか?」
「おや、君も知っているのかい?」
「ああ。魔物達だけが通じる道を知っているという、人間の寿命を司る蝋燭のある塔だとも、世界の全ての生き物達の寿命を司る蝋燭がある塔だとも聞いていたが………」
「人間にはそう伝わってるのかぁ。面白いね。あそこはさ、蝋燭になった魔物を保管する塔なんだよ」
「………魔物だけを?」
苦笑してそう教えてくれたノアに、エーダリアは鳶色の瞳を丸くする。
ネアも驚いてしまって、慌てて魔物の三つ編みを握った。
「大丈夫だよ。自らあの場で誰かと勝負をしなければ、蝋燭にされることもない」
「うん。だから僕は、滅多にはやらないかな。アイザックがよく気に入らない魔物達で蝋燭を増やしているし、特定の魔物の討伐に他の魔物が手を貸して、人間が魔物と勝負をすることもある」
「……蝋燭にされてしまった魔物さんは、どうなるのですか?」
「勿論、いなくなるよ。………ただ、……」
こちらを見たディノは、少しだけ考え込むようなそぶりを見せた。
ネアはふと、そこにはディノにとって大切なひとも蝋燭になって保管されていたのではないかなと考える。
「……あの場は魔術特異点だからね。こちら側とは同一の時間軸にない、難しい場所なんだよ。だから、直接の繋がりは不明とされているが、蝋燭に火を点けてその蝋燭が燃え尽きると、その魔物は新しい代の者が生まれるとされてきた。……けれど、同一の時間軸にないからか、蝋燭がまだそこにあっても新代の魔物が生まれていることもある。白夜と犠牲などのようにね」
「…………と言うことは、そこの蝋燭が全てでは無いかもしれないのでしょうか?」
「蝋燭にされた魔物は消えてしまうけれど、あの場所自体が過去にあたるのか、もしくは、そこに残る蝋燭には、魂の全てではなく影絵のようなものが残されているのかもしれないね」
白夜と白樺は、討伐という形で蝋燭にされたらしい。
犠牲の魔物は、祟りものになってしまったことで、友人であった絶望の魔物がそこに封じたのだそうだ。
「お友達だからこそ、その方はそうしたのでしょうね」
「そうだね。…………グレアムの蝋燭に最後に火を点けたのは私だ。やはり、それが彼の願いであれば、叶えてやりたかった」
「では、きっとグレアムさんはほっとしたことでしょう。ディノが火を点けてくれたのは、救いだったに違いないと、私は思うのです」
「…………そう思うかい?」
「勿論ですよ。見ず知らずのどなたかや、ちょっと嫌いな奴に火を点けられたりしたら、どれだけ腹立たしいことか!お友達がそんな目に遭わないように、ディノは守ってあげたのですから」
「…………そうだね」
その可能性は考えなかったのか、ディノは水紺の瞳を無防備に瞠ってから、こくりと頷いた。
どこか安堵にも似たほっとしたような瞳の透明さに、ネアは手を伸ばして頭を撫でてやる。
(今の犠牲の魔物さんの名前は、何と言うのだろう………)
白夜の魔物は、調伏の儀式などを経て斃されたので、名前と姿を変えて新しく派生した魔物であるらしい。
そこから更にディノの書き換えで一度斃されてしまったので、より多くの要素を変えた。
今はほこりに齧られてすっかり若返ってしまい、老人姿の白夜の魔物はもういない。
老人と美少女風美少年だととんでもない絵面になるので、ネアはそのことには感謝していた。
ディノ曰く、白樺もそうなるだろうと言うことだった。
(だからディノは、今の犠牲の魔物さんには会おうとしないのだわ)
ネアは、やっとその理由がよく分かった気がする。
同じように蝋燭にされたグレアムは、もしかしたらもう、ディノの知る犠牲の魔物とは随分違う姿や心を持っているのかも知れない。
ディノは多分、その見知らぬ犠牲の魔物に出会うのが恐ろしいのだろう。
「では、そこにはこれまでの長い歴史の中で、封じられてきた魔物達が保管されているのですね」
感慨深くそう呟いたヒルドに、ディノがそうだねと静かな相槌を打った。
「白樺さんは、新しい方がいるのでしょうか?」
「いるよ。……ただ、今の白樺は、………どんな魔物なのかな。前はね、栗色の髪に鹿の子供のような白い斑点がある魔物だったから、もしそのような魔物を見かけたら私から離れないようにね」
「奴隷を作るのが好きな魔物だったからなぁ。よく有名な音楽家や美しい妖精を攫ってきて、奴隷にしていたっけ。そんな噂を聞かないから、今は少し落ち着いたんじゃないかな」
「…………ディノが拐われたら困るので、不穏な兆候があれば滅ぼします」
「わーお。君がそっちの警戒をするんだね…………」
「ご主人様、危ないからいけないよ」
「ふふふ、獏さんとぞうさんの被験体にしてやるのです!」
「ご主人様……………」
そこでネアは、エーダリアから魔物達が怯えてしまうので、白樺の魔物を倒すのは、白樺の魔物が悪さをしてからにするようにと言い含められた。
なお、白樺の魔物は性別を持たない少女のようにも少年のようにも見える美しい魔物なのだそうだ。
万が一出会うことがあれば、ちょっとだけ様子を見てから、不穏な気配があればすかさず滅ぼそうと思う。
ここにあるのは、ネアにとっての宝物なのだ。