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エルト




エルトは白い花の夢を見ていた。

それはウィームの山間部に咲くという、万象の魔物の加護を得た美しい花だ。



だがその時はそんなことも知らず、ただ、白い花に囲まれる夢を見て、うとうとと眠っていた。



がくんと、揺り籠が揺れる。



いい匂いがした。

誰かの手で運ばれたその場所は、雪の匂いがしてとても嬉しくなった。


ここはとてもいい匂いで、とても幸せだ。



エルトは嬉しくなって揺り籠の壁をばすばす叩いた。

けれども、どこかでまだ早いと分かっている。

まだ外には出られないと考えると、悲しくなってまた丸まって眠った。




「…………戻って来てしまったのか。良かれと思ったのだろうが、父上の遺言通りにはいかぬな」



生まれたばかりの頃に聞いたのは、そんな悲しげな母親の言葉だった。

エルトは癇癪持ちでいつも泣いてばかりおり、他の竜達もおろおろするばかり。

そんな火竜達に囲まれるとますます我慢がならなくて、あのいい匂いの場所に行きたくて火竜の城を暴れまわった。



そんなある日の事だ。




「エルト、……俺と一緒にウィームに行くか?」



そう尋ねたのは、母親が何度かこっそり会っているのを見た特別な竜だ。

エルトの父親ではないが、エルトにとっては父親よりも親しみ易い匂いがする。


どんな火竜よりも大きく強く、けれどもこの火竜の土地には暮らしていないらしい。



「その代わり、二度とここには戻れないぞ。父や母とも別れなければならず、お前は火竜ではなくなるし、火竜であったことを口にすることは許されない。だが、ウィームで暮らす事が出来る。得られるのはそれだけだ」

「うぃむ?」

「お前がよく話している、いい匂いのした土地だ。一度見てみるか?」

「あい!」



ドリーと呼ばれたその竜は、恐縮する母親に笑って手を振ると、エルトを連れてそのウィームという土地に連れて行ってくれた。



(ここ!ここがいい!!)



綺麗な雪の香りがした。

胸がいっぱいで目の奥が熱くなり、あまりの喜びにドリーの背中で弾んでしまう。



「ここ!」

「…………そうか。やはり、ウィームなんだな。ここに暮らしたいか?でも、その為には火竜であることを捨てる必要がある。一族とは縁を切らねばならないし、決して楽な生き方も出来ないだろう」

「あい!がんばゆ」

「はは、頑張るか。……では俺は、お前の為に出来る限りのことをしてやろう。まずは、ここを守護する者達に許可を貰わねばだな。……言わずに済むのであればそれが一番確かだが、…………いや、やはり許可を貰わねばか。………俺も努力しよう。だがその代わり、お前もきちんと努力をして幸福になってくれ」

「あい!」



エルトは、その日のことを生涯忘れないだろう。


まだ何も分からないままに、ドリーの背中に乗せて貰い、ウィームの空を飛んだ。

ただそうするだけのことに、ドリーや、ドリーの契約の子供がどれだけ政治的な手札を切ったのか、どれだけの特例だったのかを知るのはその数日後のことだった。




「………あの子に翼を継がせる必要はないでしょう」

「だが、せっかくウィームで暮らせるのだ。その喜びを実感する為に、必要な記憶ではないのか?だって、あの子は………エヴナ様の魂を持っているのだろう?」

「でも、………父の愛したあの人間はもういないのよ?あの子の卵の色を見た時にすぐ分かったの。祖父から聞いていた父の卵の色そっくりだったんだもの」



その日エルトは、そんな両親のやり取りを偶然聞いてしまった。

そうして、ピンと来たのだ。




(誰かに会いたい)



それは胸が苦しくなる程の願いで、思いで、エルトの内側を滅茶苦茶にする。

会いたくて会いたくて、揺り籠の中で微睡んでいる時は嬉しくて堪らなかった。


やっと会える。

やっと自由になって、やっと幸せになれる。

嬉しくて嬉しくて、エルトは幸せでならなかった。



けれども生まれてしまうと、その幸福感は消えてしまったのだ。


どうにかしたいのに、どうすればいいのか分からずに胸が苦しい。



でもそれは、その翼を継ぐという行為によって、きっとはっきりするのだろう。




今思えば、賢者を継ぐ者として生まれたのだから、やはり生まれたばかりの子供とは言え、エルトは賢い竜だったのだと思う。

両親の会話から、その翼を食べればいいのだろうと判断し、いつものように癇癪で城を荒らしているふりをして、王の間に保管されていたその翼を見つけ出し、飲み込んだのだ。



その結果、エルトは高熱を出して寝込んだ。




そうして目を覚ましたその時にはもう、エルトは火竜ではなくなっていた。

エルトが飲み込んだ翼には、その前歴の火竜の王の死への渇望が染み込み過ぎていたのだそうだ。

それを取り込んだことで、エルトは死にかけていた。


ウィームに住む為の置き換えではなく、置き換えをしなければ生き延びられないような状態になってしまったのだ。




薔薇の香りがした。

赤く、赤く、ふくよかな薔薇の香りだ。

その香りの中で死の淵から救われ、そうしてエルトは、花竜として生まれ変わった。



アクス商会という特殊な商会の商品の力を借りて、容れ物の置き換えで花竜となったと聞き、翼を継いだエルトは、あの商会であればと頷く。

その置き換えに使う祝福の花を貸してくれたのは、ヴェルリアに住む紅薔薇のシーであったそうだ。


だからエルトは、見事な真紅の尾を持つ花竜となったのだ。



(ロクサーヌは、エヴナの親友だった)



そう思っても言葉は出ない。

エルトは、置き換えの魔術の為に、五年分の変化と声を対価とせねばならなかった。

だから、これから五年の間は、人型になることも喋ることも出来ないのだ。



「ギャオ!」



最初に頭を撫でてくれたのはドリーだ。

目の下の隈から、この優しい竜がどれだけ気を揉んだのか、手を尽くしてくれたのかを知る事が出来る。



「元気いっぱいだなぁ。もう大丈夫か」



そう微笑んだ男を見てはっとする。

これはバンルだ。

あのウィームに住んでいた、元夏闇の竜の王子であった男。

エーヴァルトが仲良くしていた、少しだけ腹の立つ軽薄な男だ。



「すまないな、バンル。心配をかけた」

「いやいや、歓迎するさ。うちの見習いになるなら尚更だ」

「……それも、迷惑をかける」

「これでも元竜だからな。竜が愛する者を求める気持ちが、俺にだってよく分かる。それに、ウィームを愛する者は誰だって歓迎するよ。俺の親友は問題を避けて通る天才だからな。エイミンに任せておけば、安心出来るってもんさ。それに、俺達に預けるのもウィームに住まわせる条件だったんだろう?」

「正確には、ウィームに暮らしている者に真実を伝え、その上で保護者になって貰えることをだな」



(…………置き換えの魔術。……ああ、今のウィームを治める誰かは、ここに火竜であった者が暮らすことを赦してくれたのか)



そう考えると、涙が溢れそうだった。

勿論エーヴァルトはもういないし、エルトはエヴナではない。


でも引き継がれた記憶はとても鮮明で、そこに色濃く残された苦痛と愛が、エルトの心を大きく占めていたのは確かだ。



「ギャオ!」


前足でドリーの膝を叩けば、優しい目をした火竜の祝福の子は、こちらを見て微笑んだ。



「エルト、翼を継いだお前には、きちんと話しておかないとだな。……俺には契約の子供が出来た。今のこの国、ヴェルクレアの第一王子だ。名前を、ヴェンツェルと言う。俺の、竜の宝だ」

「ギャオ?!」

「ああ。もう、封印されてはいない」

「ギャオ………」

「いや、ウィームの血筋ではない。ヴェルリア系の王族だが、塩の魔物の呪いで前王が死んでから、あの王家の子供達には呪い避けとしてウィーム風の名前がつけられるようになったんだ。………今のウィームを治めている領主が、エーヴァルトの血族にあたる。名前を、エーダリアと言う。ロクサーヌがな、絶対にそれを伝えてくれと言っていた」

「ギャオ!!!」



あまりの歓喜にまだふらふらの体で飛び上がってしまい、エルトはどすんと床に落ちた。

背中は痛かったが、それくらいに嬉しかった。



エヴナの友は、あの約束を守ってくれた。

ウィームの血を引く者に、エーダリアの名前を持たせてくれたのだ。

それを思うと幸せな気持ちでいっぱいになり、そんなエルトの姿に安心したようにドリーは王都に帰って行った。



「さて、まずは今のことを勉強しようか。賢者を継ぐ者が注意しなければならないのは、その知識と記憶に今の自分が飲み込まれないようにすることだ。以前にそれで身を滅ぼした竜がいた。…………まぁ、その結果絶望の魔物の逆鱗に触れて、壺に封じられた俺の話になるが」

「ギャオ…………」

「ここはいい土地になったぞ。エーダリア様は素晴らしい領主だし、今のリーエンベルクはどれだけ頑強なことか。お前はきっとうちの会の会員になるだろうが、あの歌乞いのお嬢さんの会も大所帯だからなぁ」

「ギャオ?」



そうして、バンルやエイミンハーヌから様々なことを学んでいた最中に、あの事故が起こったのだ。




「エルト!」



バンルの声を振り切り、大事な大事なエーダリアに牙を向けた呪いに体当たりした。

鋭いものが胸を貫くのが分かりぞっとしたが、すぐさま薬のようなものがばしゃりと浴びせられる。


そうして、エルトを傷付けた呪いを容赦なく踏み潰したのは、灰色の瞳をした人間の少女であった。

ぐりぐりと踏み潰され、呪いはあっという間に霧散する。


呆気にとられてそれを見つめていると、見ず知らずの騎士がエルトを抱き上げてくれた。



「大丈夫か?!………ああ、死んではいないな。良かった…………」



その騎士からは竜の香りがした。

竜の血を引いているのだろう。

リーエンベルクの騎士なのかと思えば、なぜだか胸が羨望に満たされる。


この騎士は、エヴナが焦がれていたリーエンベルクに住むことの出来る騎士なのだ。



「助かった。礼を言う。……今のは、私の浅慮からの不祥事だ」

「…………ギャオ」



エルトに聞こえるくらいの声でそう言って頭を撫でてくれたのは、エーダリアだ。

ほっとしたように瞳が揺れ、触れた指先が震える。



今はもうエーダリアだと分かる。

エーヴァルトにこれでもかと言う程によく似ている、このウィームの領主。


触れられると体が熱くなった。

嬉しくて嬉しくて、弾みたくなる程に嬉しかった。



でも、違ったのだ。




「怪我の具合はどうだ?」


薬の効果の強さを隠す為にリーエンベルクに三日だけ留まることになったエルトを、エーダリアは何度も見舞ってくれた。


確かにエーダリアは心を傾けて案じてくれはしたが、それは領主としての正しい形ではあれ、エルトを望んでくれたものではなかった。

よく分からない銀色のふわふわした生き物を愛でており、代理妖精や、時折現れる青みがかった白い髪の塩の魔物には、家族のような寛いだ目を向ける。


それこそが多分、エルトの欲しかったものなのだ。




(…………違ったのか)




エルトは会いたかった。


会いたくて、会いたくて堪らなかった。

けれどここにいるエーダリアは違う。

この上なく大切な、エルトの中に残るエヴナの守り抜いた大切な子供ではあるが、エルトの探していた誰かではない。


エルトを望んでくれる者ではなかった。




「ギャオ………」

「あらあら、しょんぼりですか?エーダリア様はお忙しいですものね」

「ギャオ?!」


そう撫でてくれたのはネアだ。

この少女はウィームの歌乞いで、なんと万象の魔物を契約の魔物としている。



『この花には、万象の加護があると言う。これを君に』



そう言っていつだったか、エーヴァルトがエヴナに贈ってくれた花があった。

だからこそ、エーダリアという名前は、エヴナにとっても大切なものだったのだ。



(エーヴァルトが、最初で最後にエヴナに贈ってくれた花の名前が、ここに残っている……)



彼が与えてくれた友情の証であり、彼と彼の伴侶の名前のその響きであり。

決して誰にも奪えはしない、あの一族の不滅の愛を継承する名前であった。



「エルトさん、今日の午後のお時間は私とディノがお散歩担当です。お昼寝が終わったら、リーエンベルクの素敵なところをたくさん案内してあげますからね」



そう言ってお辞儀をしてくれたのは、リーエンベルクの歌乞いだ。

残念ながら、時々一緒にいるエルトの大好きな、バーンチュアを討ってくれた塩の魔物の姿はないようだ。


とりあえず、ネアという少女は偉大な人間なので平伏しておき、その爪先だけで呪いを滅することが出来る力を讃えた。

竜種は自分よりも強い者を崇める生き物だ。

この少女は、崇めておこう。



「む。………私の偉大さを知るのは良いことですよ。お利口な竜さんですので、あなたが幸せになれるように、願いを込めて撫でて差し上げるのです」



そっと小さな人間の手が、小さなこの体を撫でる。

そのぬくもりに泣きたくなり、眠たくなったふりをして目を閉じた。



(…………気持ちを切り替えよう。それでも、ウィームに暮らせるのだ。エヴナの大切なエーヴァルトの血族を守る事が出来るし、ずっとこの土地で暮らすことが出来る)




“俺を見付けてくれ”



けれども、そう願った前歴の王の悲しい願いが胸の中に蘇り、また苦しくなる。



終戦後にエヴナは、死者の国にも行かせられぬという理由で、ウィーム王家の者達の亡骸が石炭にされて砕かれた事を知り、どれだけ絶望しただろう。


死者の国に行けなかった者達の魂がどうなるのかを、誰も知らないのだ。



そうして、とうとうエルトがリーエンベルクを出るしかなくなったその日、ヒルドというエーダリアの妖精が声をかけてきた。



「エルト、あなたを引き取りたいという者が現れたのですが、会ってみますか?」

「ギャオ?」

「勿論、あなたには既に、バンルという保護者がいることは存じております。ですが、その上でもあなたに会いたいと、面会を申し出て来た者がおりまして。エーダリア様が、そのような縁もあるかもしれないからと、あなたが望むのであれば会ってみてはどうかと」

「ギャオ…………」



それは、不思議な予感だった。



その時なぜか、そう示された扉の向こうに、とても大事なものがあるのが分かったのだ。




「初めまして、エルト。私は、フェルフィーズだ。このウィームで商いをしている」



その部屋に居たのは、現在の保護者であるバンルと、その隣に座って談笑していた人間の青年であった。

どうやらこの二人は知り合いであるらしい。



「初めて見た時から、どうしても君と暮らしたいと思ってしまったんだが、もし良ければ、バンルのところの見習いを辞めて、うちに来てくれないだろうか?」



そうして差し伸べられた手からは、ふわりと花の匂いがした。

思わずくんくんと嗅いでしまい、青年は苦笑する。



「何の力もないものしか作れないが、これでも花の魔術が得意でね。君は花の竜なのだから、嫌ではないかなと思うのだけれど………」



そうして彼は、どうしてエルトを引き取りたいと申し出たのかを教えてくれた。

どうして、火竜を好きになったのかを。

それはとても、エルトにとって大切な話だったのだ。





ぽたりと、涙が溢れた。



驚いたようにこちらを見た青年に、エルトはその緑色の瞳を見上げる。

淡い銀髪に緑色の瞳をしたフェルフィーズは、少し困ったように、けれども期待を込めた眼差しでこちらを見ている。




「ギャオ!」

「…………っ?!」



その瞬間、エルトは思わずフェルフィーズの胸に飛び込んでしまい、鳩尾に鋭い衝撃を受けた彼が吹き飛んでしまう事件を起こした。


けれどもフェルフィーズはエルトを叱らず、咳き込みながらも抱き締めてくれる。



彼はずっと、火竜に憧れがあったのだそうだ。



「統一戦争終結の翌朝に、私は生まれたんだ。戦後何年かして国内が落ち着くと、両親が、親族のいるシュタルトに旅行に連れて行ってくれたことがあった。………そこでね、火竜を見たんだ。………その人はとても孤独そうで、イブメリアの夜に白い花を手に持って、シュタルトの湖畔で静かに泣いていた。私はまだ小さな子供だったけれど、その一瞬見ただけの光景に胸が潰れそうになって、涙が止まらなかったよ。そして、その火竜を見た日からずっと、どうしてだか火竜がとても好きなんだ」



その日のことを、エルトは知っている。


エヴナの記憶として、一輪の花を自分に贈ってくれたエーヴァルトを悼んで泣いた日のこととして。


イブメリアの夜にどんな花飾りから零れ落ちたものか、その花が湖畔に落ちているのを見付けて、エヴナはそれを拾わずにはいられなかった。

へしゃげた一輪の花を大事に持って歯を食い縛りながら王都に戻り、その後も何とか暫くは生き延びた。



それでも、エヴナがその花を抱きしめて泣いた夜もあった。



つまり彼は、エヴナを見たことで火竜に思い入れを持ち、エルトを選んでくれたのだ。

そう考えると嬉しくなって、フェルフィーズの腕に頭を擦り付ける。



「はは。こりゃお気に入りだな、勝てそうにない」

「ギャオ!」

「おいおい、早くもお前が大好きだそうだ。惚気られたぞ」

「おやおや、思いがけず良いご縁だったようですね」

「こうなった以上は、フェルフィーズに任せるしかないな。ともあれ、よく知った奴な上に程々に腹も黒いとなれば、安心して預けられるか」

「失礼だなぁ。友達じゃなけりゃ、私でも怒りますよ」

「そうか?商人ってのはある程度腹黒くないとな。……エルト?!」

「ギャルル!」


大事な相手を貶されて腹が立ったので、エルトはバンルに噛み付いておいた。

すぐに引き剥がされて、大笑いしている青年の暖かな手に抱き締められる。



これから、この腕に抱かれて一緒に帰るのだ。



一緒に。



どこまでも、どこまでも。


ウィームで暮らしてゆけるのが嬉しいが、彼とならどこにだって行こう。

どこにでも。

ああ、彼と一緒なら、どこにだって行ける。




「やあ、エルト。俺はな、ロデルと言う。こいつの兄貴だ」

「ギャオ?!」


フェルフィーズの家に連れ帰られると、そこに居たのは赤い髪をした男性であった。

短い赤い髪はヴェルリアの民のようだが、それよりも驚いたのは、その人間が記憶の中にいるエヴナの最初の契約の子供によく似ていたことだ。



「ギャオ?!ギャオ?!」



あんまりな偶然に、驚きと喜びのあまり木の床をたしたしとかけずりまわってしまい、エルトはすてんと転んでしたたかに頭を打った。

慌てたフェルフィーズが、抱き上げてくれて冷たい雪湿布で打ったところを冷やして貰う。



「ギャウ…………」

「ああ、驚いた。君は怪我を治したばかりなんだ。心配をさせないでおくれ」

「ギャウ」

「…………はは、エルトは可愛いなぁ」



エルトの最初で最後の宝物は、随分と過保護な青年だった。

エルトが寂しがって鳴くのでと毎晩一緒に寝てくれて、どこに行くのにも一緒に連れて行ってくれる。


しかしそんなフェルフィーズが、人が変わったようにしたたかな人間になることがある。



「ふぅん、そうか。…………エルト、ガーウィンの腐れ商人が、エーダリア様をうちの商会の支店でこき下ろしていたらしい。これはもう、その軽口を後悔させてやらないとだな。軽んじられることは、思いがけない悪意に繋がることがある。…………二度と余計な口をきけないようにしておこうな」

「…………ギャウ」


彼は、エルトですら慄いてしまうくらいに、エーダリアを溺愛しているウィーム領民の一人でもあったのだ。


あれだけ火竜に焦がれながらもウィームを離れられなかったのは、敬愛し溺愛しているエーダリアがウィームにいるからであったらしい。


バンルと友人になったきっかけも、エーダリアを守護する非公式な組織にお互いが属しているからだったのだそうだ。



「……いい報せが来たぞ」

「ギャウ?」

「…………その商人は、バンルが始末しておいてくれるらしい。余計な角が立たないように、ヴェルリアの悪徳商人とぶつけておいてくれるそうだ」

「……………ギャ、ギャウ」

「我が弟ながら、お前のその趣味は時々しんどいぞ。エルトも呆れているだろうが」

「エルトは私の味方だと思うよ。……なあ?」

「ギャウ…………」

「ん?照れたな」

「可愛いなぁ、エルトは」

「ギャウ!」





エルトは幸福だった。




ウィームは清々しく美しく、竜の宝は常に隣にある。


薔薇の祝祭に初めて作ってみた魔術の薔薇を渡すと、フェルフィーズは大喜びでその薔薇を飾ってくれ、お返しにと魔術で作った薔薇の花束をくれた。



フェルフィーズは、公式行事の度にエーダリアを見に連れて行ってくれるので、エヴナの守った大事な子供が健やかでいるかどうかも適時確認が出来る。

そんな領主を見ているフェルフィーズも嬉しそうで、愛する者と同じものを慈しめるのもまた、この上ない喜びであった。



毎朝、目を覚ますとそこに大切な人間がいる。


眠そうにこちらを見て、おはようと頭を撫でてくれる。

エルトは毎晩、花の香りのするフェルフィーズの隣で、彼にくっついて眠るのだ。


膝に乗せて貰って仕事に連れて行って貰い、のどかな家族の食卓でも、エルトはいつも彼の隣にいた。



しかし、そんな幸せは、ある日唐突に終わりを告げてしまう。




「ギャウ……………」




その日、エルトが失意の夜を越え、目に涙をいっぱいに溜めて廊下で項垂れていたところで、両親と交代で定期的にお忍びで会いに来てくれているドリーが、家令に案内されてやって来た。


エルトは朝からこんな具合であったので、家令は特に気にすることもなく、一礼して立ち去る。



「エルト…………?」

「ん?ちび、どうしたんだ?」


バンルも一緒に来たらしく、二人で廊下の隅っこで蹲っているエルトの前にしゃがみ込んでくれたが、エルトは顔を上げる元気もなかった。



「フェルフィーズ、…………エルトはどうしたんだ?」



そこにやって来たのは、フェルフィーズだ。

エルトが涙目でじっと見上げると、困ったように淡く微笑む。



「昨日から寝台を別にしたら、すっかりしょぼくれてしまった」

「…………は?ちびは、それで泣いてるのか?」

「エルト、…………五年近くも彼と一緒に寝ていたんだな?」

「…………ギャウ」



ドリーは呆れ顔だったが、エルトはそんなのは当たり前だとぷいっとそっぽを向いて、フェルフィーズがまた甘やかしてくれないかと、哀れっぽく涙を浮かべて啜り泣く。


するとフェルフィーズは、エルトの側まで来てくれて優しく頭を撫でてくれた。



「エルト、暫くは寂しくなると思うけれど、明日からは人型にもなれるし、お喋りも出来るようになるだろう?年頃の女の子が、こんなおじさんと同じ寝台なのはどうかと思うんだ」

「…………ギャウ」



言われた言葉に悲しくなって項垂れていると、廊下に物凄い音が響いた。


怪訝に思ってそちらを見れば、バンルが廊下の隅まで後退り壁に張り付いており、ドリーは目を丸くして立ち上がっている。

今の大きな音は、後ずさって背中から壁に激突したバンルが立てたらしい。



「……………エルトは、……女の子なのか?」

「ドリー殿?…………まさか、ご存知なかったのですか?」

「……………あ、ああ。てっきり男の子だとばかり…………いや、この子の親達も男の子だと言っていたぞ………」

「う、嘘だろ?!ちびが女の子?!竜だった俺にも、男にしか見えないぞ?!」

「ギャルルルル………」

「失礼だよ、バンル。エルトも傷付いているじゃないか」

「おいおいおい……………」

「女の子だったのか………」


それきりバンルは絶句してしまい、ドリーは頭を抱えていた。

エルトとフェルフィーズは顔を見合わせ、呆れた二人に溜め息を吐く。




結局その後、無事に人型を取れるようになったエルトは、枕を抱えてフェルフィーズの部屋に突入した。

せっかく言葉を取り戻せたので、竜は竜の宝を守るのだと涙ながらに説得すれば、フェルフィーズは渋々許してくれた。


つまりのところ、根負けしたのだ。




(ああ、幸せだ…………)




今日も、大切な宝物に寄り添って眠る。

小さな腕でフェルフィーズを抱き締めて、決して失くさないように。



ふとした折に、あの炎に包まれたリーエンベルクのことを思い起こすこともあったが、それは腕の中の宝を抱き締めればすぐに消えた。



エルトは、観賞用の竜とされる脆弱な花竜だが、それでもリーエンベルクの名誉騎士である。

勿論、命の限りにこの宝を守るだろう。




“俺を、見付けてくれ”



エヴナは知らなかったし、知ろうともしなかったことであるが、エーヴァルトは生涯、契約の竜を持たなかったのだそうだ。

それを教えてくれたのはバンルで、彼の使い魔だった山猫は、エーヴァルトをよく知っていたらしい。

彼が、贈る為に魔術で花を作った相手は、妻子以外にはいなかったのだそうだ。



(では、…………エーヴァルトがエヴナに贈った花は………)




“俺を見付けてくれ”



そう願ったエヴナに、生まれ変わったらまた会おうと話してくれたエーヴァルトがいた。



そう願ったエヴナの願いを、彼は叶えてくれたのだと信じている。

けれどもそれを信じているのは、エルトの中のエヴナだけで、エルトは、フェルフィーズがフェルフィーズである限り幸福であった。





エルトは、ウィームに暮らす花竜だ。

この腕の中には今日も、エルトの一番大切な宝物がある。



一つだけ問題があるとすれば、大事なフェルフィーズが女性に人気があり過ぎるところだろうか。

お互い一刻も早く大人になろうと、最近出来た雪竜の王の伴侶候補である友人とよく話している。






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