236. 傘祭りが終了します(本編)
「さて、今年もそろそろ騒ぎが大きくなっている頃合いだな」
「グラスト達は外に戻ったようですよ。………まぁ、頃合いでしょうか」
「………そうか。今年は押しが強かったのかもしれないな」
エーダリアがそう呟き、ネアはきっと苦労したに違いないゼノーシュのことを思った。
幸いにも、影傘が破壊された後の外の混乱は大きくなく、グラストとゼノーシュもネア達に遅れて半刻程してから議事堂での昼食に加われたようだ。
先に昼食に入っていたゼベルが、奥さんが傘祭りが楽しくて大はしゃぎなのでと素早く外に戻ったこともあり、早めに中に入って昼食が摂れたらしい。
とは言え、この昼食の時間は貴族のご令嬢達や、騎士の家のお嬢さん達、裕福な商人達の家の娘達が正攻法で騎士達に出会える交流の機会となっている。
グラストを誰にも渡さない系のクッキーモンスターは、かなり奮戦したに違いなく、心は休まらなかっただろうと推測される。
エーダリアが席を立つその前に、我慢の限界が来たゼノーシュは、グラストを引っ張って一足早く外に戻っていったらしいと、苦笑したヒルドがネアにも教えてくれた。
昼食を終えたネア達が外に出ると、お散歩に張り切る傘達と荒ぶる人間達の饗宴は続いていた。
「ほわ……………」
ネアはそこで、いつの間にかすっかり青い傘に懐かれてしまった黒い傘を見付け、ディノの袖をくいくいと引っ張ってそちらを指差す。
「見て下さい、ディノの傘がエーダリア様の傘に懐かれました!仲良しになってますよ」
「…………あれは、仲良しなのかな」
「振り回されては引き戻され、お転婆なお嬢さんと、そんなお嬢さんが懐いた世話焼きな騎士さんのようで素敵なのです」
青い傘は相変わらず大はしゃぎのままだ。
ぎゅんぎゅん飛び回っているので、壁にぶつかりそうになったり、飛び過ぎた時にはすかさず黒い傘が捕まえに行く。
心配そうに青い傘を追い掛けている姿は何やらご婦人達の心を掴んだようで、ご婦人方はきゃっきゃっとそちらを見て目を染めていた。
青い傘を窘めるような飛び方をしているのに、他の傘が青い傘にぶつかりそうになると、そちらを容赦なくばしんとはたき落としているので過保護な感じがいいようだ。
青い傘も、黒い傘が少し離れるとおやっという感じに戻って行くので、そこがまた可愛いではないか。
「………むぐぅ。私の傘はどうしたのだ」
「…………どうして戦っているのだろう」
「なぜあの流れになったのかが謎めいています」
ネアの紫の傘は、なぜか観客席の一部の者達と一騎打ちをして力比べをしているようだ。
ネアはそこに私服のべージがいるのを見付けて目を輝かせたが、ベージはすぐに紫の傘にこてんぱんにされてしまい、悔しそうに膝を突いた。
中には道路に伸びてしまっている者もいるので、誰があの傘に勝てるのかをみんなで競っているらしい。
「むむ!あれは、ザハの給仕さんです!!」
「おや、よく君相手をしてくれる給仕だね」
「あの方は、ディノもお気に入りですよね?」
「なぜだろうね。彼の給仕は、とても気持ちがいいんだよ。一度も、置かれた皿や銀器の入れ替えを邪魔だと思ったことがない」
「ふふ。二人のお気に入りの方が一緒なのが、何だか素敵ですね」
「ご主人様……………」
そんなザハの給仕のおじさまは、苦笑しながら周囲の者達に勧められて傘と戦ってみたようだ。
こちらはこてんぱんにやられるというよりは、お祭りの記念に腕試しをしただけという感じで、ネアも安心して見ていることが出来た。
「ふふ、楽しそうですね。男性特有のお祭りの楽しみ方という感じがします」
「………まだ戦うのかな」
「あら、背後から忍び寄った失礼な傘は、一撃でばきばきにしましたよ!」
そんなことを話していると、籠に入れられて眠っていたエルトが目を覚ましたようだ。
荒ぶる街の姿に驚いていまったのか、籠を持っていてくれたヒルドにびゃっとへばりついている。
それを見た銀狐が、エーダリアの肩の上でけばけばになっていた。
「まぁ!綿菓子ですね?」
そんな中、ネア達が外に戻って来たことに気付いた紫の傘がすいっと戻ってくると、円筒形の可愛い水色の袋を、柄の部分にひっかけて渡してくれた。
なんと、傘祭りで人気の限定綿菓子である。
お支払いはどうしたのかなと思って袋を見ると、袋には小さなメモが貼られており、屋台主から支払い済みであることの一筆が添えられていて、その支払い主はベージになっていた。
「もしかして、先ほどの一騎打ちで……?」
思わずそう問いかけたネアに、紫の傘は房飾りをふりふりしてくれる。
嬉しくなったネアは、柄の部分をなでなでして傘を大いに照れさせた。
「ネアが傘に浮気する………」
「まぁ!勝利の報酬を分けていただいたのですよ?…………あらあら?………見て下さい!綿菓子が沢山です!!」
またしてもすいっと消えた紫の傘は、なんと大量の綿菓子の袋を持って戻ってきた。
柄の部分には十袋近くの綿菓子をかけており、それぞれの袋に支払い主のメモがある。
ネアはせっかくの好意を傷付けないように、あまりにも沢山なのでみんなで分けてもいいかを聞いてみると、紫の傘は房飾りをふりふりしてくれた。
どうやら元々最初の一つをネアにと思い、それ以外はみんなでどうぞということだったらしい。
「…………これはディノに差し上げますね」
「ニエークとも戦ったんだね」
「ど、どうしたのだそれは………」
「私の傘さんが、決闘で稼いでくれた綿菓子なのです。エーダリア様のはこれにしましょうね」
「ミカ…………?誰なのだ」
「ヒルドさんは、………まぁ!イーザさんのものもありますよ?」
「………おや、彼が負けたとは驚きですね………」
「ゼノは、エドモンさんのものにしますか?」
「わぁ!僕にもくれるの?」
「勿論ですよ!ふふ、傘さんのお陰で、私は美味しい綿菓子が食べられるだけではなく、皆さんに喜んで貰えるという恩恵に預かれました!知らない方のお名前が多いですが、………まぁ、ザハの職員よりというお名前があります。……と言うことは。………うむ!これは私とディノで分けませんか?」
「うん。そうしようか」
「グラストさんの分は、ゼノが問題なさそうなお名前の方を選んで下さいね」
「………この、会計士って書いてあるやつは、ノアベルトがいいと思うよ」
「会計士………さん?」
ゼノーシュにそう言われ、ネアはこてんと首を傾げた。
この一人と、ザハ名義のものだけは個人名ではないようだ。
「エルトさんにも差し上げましょうね。綿菓子は食べられますか?」
「ギャオ!」
「ふふ、ではエルトさんの分も取っておきますね」
エルトは自分も綿菓子が貰えると分かって、嬉しそうにヒルドを見上げている。
ヒルドに微笑みかけて貰ったエルトに、銀狐がムギーと鳴いて荒ぶってしまい、慌てたエーダリアにお尻をもふもふと撫でられていた。
「そろそろ、昇華する傘が増え始める頃だな。グラスト、例年通りに西側を頼む」
「承知しました。終了後に魔術師達に配る記念品の準備は、ダリル殿が始めて下さっています」
「ああ。………今年も無事に終わりそうで何よりだ」
眩しそうに綺麗に晴れて青空を写した雪景色を眺め、エーダリアはそう微笑む。
ネアはまだふるふるしてしまうこともある荒々しいお祭りだが、こうして領民達が元気いっぱいでいるのを見るとエーダリアはほっこりするのだそうだ。
むっと眉を顰めたので視線を追ってみれば、物陰に滑り込んで隠れた傘を引っ張り出しているゼベルが見えた。
この時間になると、ああして物陰に隠れてしまう傘が多く出るのだが、時折、エーダリアの青い傘がしゅばっとあちこちを飛び抜けて、そんな傘達を弾き出してくれている。
街のあちこちでは、散歩に満足した傘達がしゅわりと光の粒子になって浄化し始めていた。
そんな傘の群れを爽やかに見送り別れを惜しむ男達は、共闘した仲間とこの後飲みに行く約束を交わしている。
このようなお祭りの後は、いつもなら見せないような一面をそれぞれに把握したりして、友情が深まったり生まれたりするのだそうだ。
それは淑女達も例外ではないのか、女達も最後の激闘で倒した傘をぺっと背後に投げ捨てつつ、楽しそうに交流を深めている。
観光客達と意気投合したグループや、自分の持った傘の旅立ちにしんみりしている子供達。
遠くの路地裏からは、さっと顔を出しているパンの魔物も見えた。
「あ!僕達の傘だよ」
ゼノーシュの声が聞こえて空を見上げると、紺色の傘がしゅわしゅわと綺麗な光の尾を引いて浄化してゆくのが見えた。
オレンジ色のグラストの傘が寄り添い、細やかで優しい光を振りまいて昇華してゆく。
その光の穏やかさにつられたのか、周囲の傘達がぽわりぽわりと昇華し始めた。
上昇気流に乗って、沢山の光の粒子がさらさらと金色の波のように揺らめく。
黄昏の淡いラベンダー色と、薔薇色が滲み始めた空にその光の帯が重なると、えもいわれぬ美しさで目を奪われた。
「ギャオ…………」
初めて見るものなのか、エルトは琥珀色の瞳をきらきらさせ、魅入られたようにそんな空を見上げていた。
「ギャオ!ギャオル!!」
嬉しそうに鳴いたその方向には、バンルが、同行者であるらしい巻角の美しい青年と一緒に昇華されてゆく水色の傘を見送っていた。
こちらに気付いたのか、振り返って手を振ってくれる。
その傘が綺麗な光の波に混ざり合うのを、エルトは嬉しそうに見ている。
その無垢な幸福の表情につられて、ネアも美しい傘祭りのクライマックスの姿に目を凝らした。
なぜか胸が熱くなったので、隣の魔物の手をきゅっと握れば、ディノは目元を染めてへなりとしてしまう。
「ご主人様…………三つ編みにしないかい?」
「何だか、綺麗な空を見て胸がきゅっとしたので、ディノと手を繋ぎたいのです」
「…………かわいい。ずるい」
「む!……あちらに、隠れた悪い傘がいます!」
ネアが見たのは、さっと物陰に隠れた黄色い傘だ。
ぱたんと綺麗に身を畳んで、転がって軒下に入り込むまで実に巧みである。
「昨年は、あの光竜の骨を使った傘が昇華を促進してくれたのだがな。………今年は捜索が大変そうだ………」
そう呟いたのはエーダリアだ。
おやっと首を傾げたネアに、いつもはこの最後の時間になると、もっと散歩するぞと物陰に隠れてしまう傘達を引っ張り出すのが一苦労であるらしい。
「………まぁ、そうだったのですね」
「領民達は、そろそろ飲食店などに移動してゆくから、これからは我々だけで傘祭りを締め括らねばならない時間になる。昨年は、光竜というものの特性が作用したから、楽をさせて貰えたのだろうな。…………さて、外に出ている傘達はそろそろか」
その言葉通り、大きな昇華の波が来たようだ。
青い傘が一度しゅばっとエーダリアの元に飛んで来て、体をすりすりして別れを惜しんでいる。
そんな姫の従者のように控えている黒い傘には、リーエンベルクの騎士達が騎士の敬礼を向けていたので、ネア達が昼食に出ている間にも色々と交流を深めたのだろう。
若い一人の騎士が、えぐえぐと泣きながら見送っていると、黒い傘が呆れたように、ふわりと体当たりをして慰めていた。
「あの傘さんは、とても優しい面倒見のいい傘さんだったのですね」
「飛び方を見ていると、あの傘も竜を材料にしているようだ。翼の印象が強いから、大きな竜の翼が材料になっているのかもしれないね」
「まぁ!となると、ウィームの竜さんだったのですか?」
「どうだろう。風の系譜のようだから、風竜だったのかもしれないよ」
「…………風竜?!」
ものすごい勢いでエーダリアが振り返り、肩に乗った銀狐がじっとりとした目になる。
「ギャオ……」
エルトもしょんぼりかと思って、ネアが大人気ないエーダリアを窘めようとすると、はっとしたようにエーダリアが目を瞠った。
「そうか、お前にはわかるのだな」
「む?」
「その子供が、あれは風竜の血を引く秋闇の竜のものだと、エーダリアに教えてくれたんだ。やはり賢者を継ぐものは目がいいね」
「まぁ!あの黒い傘さんは、そんな格好いい竜さんだったのですね!」
「浮気………」
「むむぅ。ただの感想なのです………」
ざあっと、昇華してゆく光の粒子が揺れる。
波打つように、鼓動のように。
その揺らめきは美しいものだが、どこか心を打ち、去りゆくもの達の美貌で胸の奥にある柔らかい部分を掻き毟る。
だからなのか、この傘祭りの終わりの頃には、あちこちで涙を拭っている者達が見かけられた。
この傘達の昇華に彼等が見るのは、いつかに失われた愛する者や、見知らぬ過去に住んだ誰かを思うからだ。
(ああ……………)
そんな美しさに惹かれて、もしかしたらネアは傘祭りが好きなのかもしれない。
こうして見知らぬ傘に自分の知る誰かを重ね、きらきらと星屑のようになって空に昇ってゆく姿に、真っさらになって生まれ変わるものの清々しさを見るのだ。
だからネアは、グラストとゼノーシュの傘に父と母のことを思ったし、小さな水色の子供傘に大好きだったユーリを思った。
みんなが大きな本流の中に戻ってゆき、そこで一つの美しい光の波になるだなんて、素敵なことではないか。
またあの向こうから地上に降りてきてくれればいいのにと、微かな願いを託して。
「…………ギャオ」
ふとそちらを見ると、エルトが静かに泣いていた。
優しく微笑んだヒルドがその涙が溢れないように、籠の中のタオルで拭ってやっている。
エルトは、えぐえぐしながら小さな前足で踏ん張って、いつまでも光る空を眺めていた。
「………あ、エーダリア様の傘と、ディノの傘が」
その二つの傘の昇華は、ほぼ同時だった。
水色の傘がぐんと高いところでぱっと光に包まれ、その光を少し下で浴びるように黒い傘が光り始める。
「おお、……!」
そう声を上げたのは、騎士の誰かだ。
ばさりと、大きく翼を広げる美しい竜の姿が見えた気がしたのだ。
そうして、その青い竜を包み込むように翼を広げた漆黒の大きな竜の姿も。
ぱっと光が弾けて豊かな光の川になり、その粒子を浴びて多くの傘達が昇華を進めた。
わぁぁぁっと、最後の大きな花火を見送るように領民達から歓声が上がる。
「…………素敵な昇華でしたね。ぎゅぎゅっと胸が苦しくなりました」
「咎人の傘は、元々は王族などの護衛が使うものだ。青い傘も人間の領域にいた高貴な竜だと思えば、あの傘同士は知り合いだったのかな………」
「ふふ、もしそうだとしたら、なんて素敵なんでしょう。………まぁ、あちらの騎士さんはもう泣き崩れてしまっています。………む、あちらで泣いているのは、ベージさんでしょうか?」
ネアはお気に入りの氷竜が片手で涙を拭っている場面を発見してしまい、そちらに行きたくてじたばたした。
とは言え、そんな時に親しげに駆け寄れるような友達ではないし、どうやら一緒に来たらしい男達が彼の肩を叩いているので、気遣いは不要だろう。
「むぎぎ………」
「ご主人様?」
「………いえ、獲物を捕らえる好機を逃さざるを得ないことを悔しく思っていました」
「ご主人様…………」
そこでネアは、こつんと誰かに肩をつつかれておやっと振り返った。
するとそこには、ネアの紫の傘が控えているではないか。
「あら、………あの大きな波に乗らなくても良いのですか?…………むむ!」
後からだと華やかさに欠けて寂しくないだろうかと紫の傘を心配したネアだったが、紫の傘はすいっと石突きの部分を動かしてみせ、とある商店の雨樋にきっちり収まって隠れている黒い傘のことを教えてくれたのだ。
「おや、……もしかして、この後の仕事を手伝おうとしているのかな?」
ディノのその言葉に、紫の傘はこくりと頷くように体を揺らしてくれる。
「なんて頼もしいのでしょう!」
しかしネアがそう弾めば、房飾りをふりふりして可愛い一面も見せてくれた。
「…………そうか。傘目線………?……もあれば、探索が楽になるのか………」
そう呟いたのはエーダリアだ。
「はい!傘目線の手助けです」
「傘目線…………」
魔物は、傘目線を足してくる相手に危機感を覚えたのか、慌ててネアの羽織物になってきてしまう。
羽織物になった上に肩の上から三つ編みを投下する完全防備スタイルなので、ネアはむぐぐっと眉を寄せた。
「ディノ、この組み合わせは捜索活動に向きませんよ?」
「ネアが傘に浮気をするといけないからね」
「なぜなのだ」
「ほら、転ばないようにね」
「…………羽織物を背負ったまま歩く私に、難題を課してきました」
「持ち上げてあげようか?」
「いけませんよ、お仕事中なのです」
「ご主人様…………」
目論見が外れた魔物はぺそりと項垂れたが、エルトが目を丸くしてこちらを見ているので、是非にやめて欲しい。
ご主人様にも世間体というものがあるのだ。
「で、では、そちらは任せてもいいか?」
「エーダリア様達は、傘目線はいらないのですか?」
「我々は、毎年のことだからな。二人と、………その傘だけで大丈夫だろうか?」
「はい!たくさんの困ったさんを捕獲しますね」
ネアはその時、傘祭りの締め括りを甘く見ていたと言わざるを得ない。
そのツケは、すぐに支払う羽目になった。
一時間後、そろそろ日が暮れて夜闇に包まれ始めたウィームの街で、ネアは荒んだ目をしてうろうろと彷徨っていた。
「むが!傘が多過ぎます!!傘祭りに参加していない一般傘が紛らわしくて、脱走犯が逃げてしまうのです!!」
「ご主人様、落ち着いて。ほら、すぐに捕まえてあげるからね」
「ディノが狡いのです!ディノと傘さんはすぐに脱走犯を見付けられるのに、私はまだ一本も見付けられていないだなんて!」
「ご主人様………」
ウィームは雪深い土地であるので、作業用のものや、店舗の屋根代わりにと、様々な種類の傘に溢れている。
その結果、すぐに傘を見付けては誇らしげな顔をしたネアは、それは動かない一般傘だというよく分からない失望感を覚える羽目になった。
地団駄を踏むご主人様にディノはすっかり怯えてしまい、一刻も早くこの残業を終わらせようと隠れている傘を見付けてきては、ネアをますます焦らせた。
焦りに目を曇らせた人間は、その結果更に、一般傘と祭り参加の傘を見分けられなくなってしまうという悪循環に陥り、ネアの目は暗く鋭くなるばかりだ。
「むぐるるる」
しかし、自己顕示欲を満たせずに傷付いた人間が唸りながらうろうろし始めると、物陰から、ぶるぶる震えて怯えきった傘達が飛び出してくるようになった。
ところが、人間はとても捻くれた生き物なので、今更自ら出てこられても釈然としない怒りが募るばかりなのだ。
出頭しても捕まえて貰えず震えが止まらなくなった傘達を引き連れ、ネアはさながら死者の行列のような様相で主会場となった封印庫前の広場に戻った。
「…………な、何があった?」
広場で街中の傘達の最終確認に入っていたエーダリアは、ぎょっとしたようにそんなネアを振り返る。
すっかり荒んでしまった部下に、ヒルドと顔を見合わせていた。
すぐにこちらに来てくれたヒルドが、ネアの向かいで屈んで目線を合わせてくれる。
「ネア様?………もしや、傘達に何かされましたか?」
「むぐる!……一般傘と、お祭りに参加する傘さんの区別がつきませんでした。………私は自力では、一本も見付けられなかったのです…………」
世界を呪うような暗い声に、ヒルドは目を瞠ると優しく微笑みかけてくれた。
「おや、では私と同じですね」
「……………む?」
「私も、教え方の上手い者達に教授して貰わなければ、一本も見付けられなかったでしょう。淡く光の粒子を内側から透かすような艶感が見極めのこつだと聞きましたが、それでもなかなか」
微笑んでそう告白してくれたヒルドに、危うく祟りものになりかけていた人間は、くしゅんと息を吐いた。
「…………むぎゅう。ヒルドさんでも、見分けが難しいものなのですか?」
「ええ。私も苦労しましたから、特徴の見分け方を知らなかったネア様には、少し意地悪な仕事でしたね。やはりご一緒すれば良かった」
「…………むぐ」
優しく慰められ、幸いにもネアは世界を滅ぼすような野望は抱かずに済んだ。
「…………傘さん、手伝ってくれたのにくさくさしてしまい、申し訳ありませんでした」
あらためてネアにそう撫でられた紫の傘は、頭にあたる部分を撫でられてしまい、へなりとなった。
悲しげに息を飲む魔物がいたが、こちらにも、背伸びをして頭をなでなでしてやる。
「ディノも、一緒に脱走犯を探してくれて有難うございました」
「…………ずるい。懐いてくる」
「まったく謎めいた感想なのです………」
「でも、傘の頭を撫でるなんて………」
拗れると長引きそうだったので、ネアは魔物を更に撫でて黙らせておくと、ゆっくりと振り返った。
その途端、後ろについてきていた脱走犯な傘達は、びゃっとなって竦み上がった。
「わぁ、凄いね」
「………これは、大したものですね」
広場には、残りの傘の捜索を終えた騎士達も集まって来ていた。
そんな騎士達は、ネアの後を追いかけて来ていた沢山の傘達がいっせいに自主昇華を始めたことで、驚いたようにこちらを見ている。
すっかり陽の落ちたウィームの夜に、最後の傘達の旅立ちが始まった。
それはさながら星雲のように煌めき、夜の広場を明るく淡い金色に染め上げてゆく。
「もう行かれるのですね。……傘さん、今日は一緒にお祭りに参加してくれて、有難うございました」
ネアの紫の傘も、ぽわりと光ってきらきらした光の粒子を零すと、ネアにお別れの挨拶をしに来てくれた。
背後の星雲に加わり、一緒に昇華をするようだ。
(すごい、………夜の昇華もとても綺麗………)
ネアは、やっと美しいものを見てうきうき出来る心の余裕を取り戻し、隣のヒルドと、また羽織ものになってきた魔物と一緒に空を見上げた。
ふと気になって周囲を見回せば、エルトの入った籠はリーナが抱いているようだ。
毛布をかけて貰い、すやすや眠っているように見えるのでネアはこの空を見せてあげたかったと思って、すぐに思い直した。
「………エルトさんは、これからはもう、何回でもこのお祭りに参加出来るのですものね」
そう呟いたネアに、ディノがふわりと微笑む気配がした。
「………君もね」
「ふふ、そうでした。来年はきっと、脱走犯な傘さんの見分けがつくようになってみせますね」
「そうだね。私も見て分かるように学んでみよう」
「では、一緒に教えて貰いましょう?」
「うん………」
嬉しそうに微笑んだディノと一緒に、今はもう星空の煌めきだけになったウィームの夜空を見上げた。
なお、ネアが傘祭りで散歩させた傘は、驚くべきことにアルテアのものだったらしい。
エルトの為の独身者探しでお部屋に軟禁された後に傘祭りの話をしたのだが、その傘はアルテアが五年ほど使い、軸の金具が歪んでしまったこともあり傘祭り用にと専門業者に処分に出したものであったらしい。
どうやって見付け出したのだとたいそう訝しまれたので、あの紫の傘の出会いを話して聞かせたところ、アルテアは何とも言えない顔で黙ってしまった。
なぜかしょんぼりしているので、あの傘がくれた綿菓子を一袋分けてやり、ニエークがお金を支払ったものだと知ったアルテアはとても怪訝な顔をしていた。
「来年は、どんな傘さんと出会うのでしょうね?」
「また君の傘は勝ち抜け戦なのかな………」
様々なことがあった一日が終わり、ディノとそんなことを話しながら眠りについたネアは、いつかの懐かしい自分の家の屋根の上を、沢山の傘が飛んでゆく不思議な夢を見たのだった。