バレンタインと致死率
今年のネアは、昨年とは一味違うと声を大にして言いたい。
何しろ、今年はバレンタインを忘れずにいたのだ。
昨年はやってあげると宣言しておきながらもすっかり忘れてしまっていた失態ぶりだったが、今年のネアは万全の準備を整えておいた。
(苺と、オレンジ、それから梅も準備した!)
その材料で、今年は三種のコンフィチュールを入れたチョコを作る予定なのだ。
一口サイズのチョコをぱくりと食べると、甘酸っぱいコンフィチュールがとろりと出てくる予定なので、まさに昨年のリベンジなのである。
「ご主人様…………」
「ふふ、ディノは昨年と同じように目隠しなのです!」
「…………ずるい。また可愛いことをする」
「揺り椅子が止まってしまったら言って下さいね。大事な魔物が暇になってしまわないように、揺らしてあげますから」
「……………触ってきた。可愛い………」
ネアがそう言って魔物をつんつんしたところ、ディノはくしゃくしゃになって椅子の上に丸まってしまった。
肩をつんつんしただけなので、まだ死なないで欲しいと思う。
今年のディノも、昨年と同じように目隠しをされて揺り椅子に設置されている。
離れてはいられない魔物なので、仕方のない措置なのだが何だか誘拐されてきた美麗な魔物のようで、少しだけ涙を誘う光景ではないか。
ネアは出来るだけ話しかけてやることにして、そんな仕上がりで感じてしまう申し訳なさを紛らわせた。
「くつくついい匂いがしますか?」
「…………うん。果物かな?」
「はい。今年は色々な味が楽しめるようなものにしますね。……それと、特別な贈り物もあるので楽しみにしていて下さいね」
「…………ご主人様かな」
「なぬ。こちらは限定品なので、差し上げることは出来ません」
「……………ずるい」
「なぜなのだ」
ネアは、準備をしていたことへの安心感から、ご機嫌でコンフィチュールをくつくつと煮込んだ。
苺はまずお砂糖を合わせてからボウルで置いておいたので、そのまま白い琺瑯のお鍋で煮込むばかりだ。
お鍋の中で砂糖と合わさり、苺からどんどん色が抜けてゆく。
そうして、一度苺から抜けた赤い色がまた苺に戻ってゆく頃には、赤い宝石のような美しい透明感が出るのだ。
オレンジは皮の部分も使い、お酒を垂らしてほろ苦さも楽しめるように。
梅コンフィチュールこと、どうしてもそう呼びたくなる梅ジャムは、甘酸っぱさを生かし、ジャムそのものは酸っぱさを損なわないように仕上げて、じゃりっとしたお砂糖の質感のある甘めのチョコで包むのだ。
(コンフィチュールを流し込む型は作っておいたから、冷やしたものをそこに流し込んで………)
魔物がご主人様がいないと慌ててしまわないように、お風呂時間の内に何度かに分けて型になるチョコレートを作っておいた。
去年は図らずもケーキで豪華になったが、今年はシンプルな丸いチョコレートだ。
とは言え、味重視なのでぷちぷちと楽しく食べて欲しい。
蓋をするチョコレートは生クリームを溶かしたお口の中でとろりとするものと、固めに作って持ち歩いても溶けないものにする。
梅ジャムのものは、型の中にじゃりっとした舌触りが楽しめる星空の祝福が込められた上等なお砂糖をぱらぱらと敷いておき、その上に梅ジャムを入れてから、同じようにお砂糖をぱらぱらしてからチョコレートで蓋をした。
あとは固めてから最後のデコレーションとなったところで、ネアは苺のコンフィチュールの製作過程で出てきた苺の風味たっぷりのシロップと泡で紅茶を淹れた。
目隠しをされて椅子に座っている魔物は、どこか寄る辺なく無力で可愛く見える。
「出来上がるまで、一休みしましょう。苺の香りの紅茶を淹れたので…………ディノ?」
「膝の上に乗ってきた…………」
「あら、嫌でしたか?」
あまりにもはわはわしているので休憩中はと目隠しを外してやると、魔物は目元を染めて微かに震えていた。
「ずるい、ネアが虐待する」
「なぬ。今日は椅子になりたくない気分だったのですね?降りま…」
しかしディノは、ふわりとネアを抱き締めて捕まえてしまうと、しっかりと膝の上に抱き上げ直すではないか。
「目隠しをされていると、…………君がどこに触れるのかがとても気になるんだ」
「まぁ、目隠しをしてしまっても、大事な魔物を虐めたりはしませんよ?」
「そうではないよ。…………そうだね。君も、やってみるかい?」
首を傾げて困惑の目をしたネアに、困ったように淡く微笑んだ魔物はするりと目隠しの布を巻いてきた。
さりさりと、衣摺れの音が耳元でする。
肌を滑る冷たくつるりとした感触に、なぜだか不思議な危うさを覚えた。
(…………確かに、視界を封じられると心許ない感じはするかしら)
しかし、その暗闇はどこか秘密めいた甘さで、不思議な高揚感が胸をざわめかせるのだ。
「ほら、…………感覚が鋭くならないかい?」
「………むぅ。しかし、この状態では敵を倒したりは出来なさそうです。むが!私はやはり、目隠しでは上手く動けません!」
よく凄腕の剣士などが、目隠しをされたことで精神が研ぎ澄まされて神技を披露するやつかと思って手を動かしてみてからそう答えたネアに、なぜだか魔物が少しだけ落ち込んだような気配があった。
「……………ディノ?」
「…………君は、すぐにそうやって私を揺さぶる、困ったご主人様だね」
その言葉の吐息が頬に触れた。
ふわりと唇に触れた温度に、ネアは胃の底がむずむずするような気恥ずかしさと心地よさに息を詰める。
「でも、……………おや、大人しくなったかな」
悪戯に耳朶に触れた唇は、そっと甘やかな囁きを一つ残した。
そうしてはらりと目隠しを取られると、なぜだか戻された視界の明るさが妙に気恥ずかしく思えるのだった。
「…………ディノが悪さをします」
「嫌だったかい?」
「むぐ。………ディノとくっつくのは嫌ではありませんよ。………ただ、………むぐる?!」
嫌ではないと言われて嬉しかったのか、魔物は少しだけはしゃいだようだ。
上機嫌でもう一度ネアに口づけを落とすと、ごつんと自ら頭突きをしてくる。
「まぁ!頭突きをされてしまいました」
「今朝は、君が室内履きに躓いて転ばないように助けたのだから、ご褒美を貰わないとだからね」
「ふふ、それはそうですね。あそこで転んだら、私はおでこがへしゃげていましたから」
「うん。君がへこんでしまったら大変だからね」
二人は微笑み合うと、苺の香りがふわりと漂う甘酸っぱい紅茶をいただいた。
ディノはこれっぽっちでもご主人様の手料理扱いしてしまい、頬を染めて嬉しそうに飲んでくれる。
ネアは少しだけ、元の世界でのバレンタインデーがどれだけ不遇だったのかを話してみた。
すると魔物は慰めるよりもまず、ご主人様が誰にも取られなかったと安堵するので、ネアは少しだけ不貞腐れて唸る。
本来は男性からいただく系のイベントではあるが、これはバレンタインデーのある世界のネアから、それを知らない世界のディノへの贈り物の日だ。
なので、特に本来の形を完全に踏襲する必要はない。
「ディノ、そう言えば最近は髪の毛を洗ってあげていませんね」
「……………洗ってくれるのかい?」
「傘祭りの後で、洗ってあげますね。傘祭りもお仕事ですから、そのご褒美に」
「うん。…………乾かしてもくれるのかな?」
「ふふ。びしゃびしゃのまま放置したりはしませんよ。その代わり、また今度ムグリスディノのお腹を撫でさせて下さいね」
「あの祟りものの兎なんかより、ずっといいと思うよ」
「…………むむ。すっかり敵に認定されましたね。しかし、触ってもいないのでそんなに警戒しなくても良いのです」
「君は、すぐ毛の多い生き物に浮気してしまうだろう?」
「言い方が……!!」
りんと、鈴が鳴った。
魔術保冷庫の中身がきちんと冷えたという合図なので、ネアは慌てて魔物をぺっと捨てて立ち上がった。
「ひどい、ネアが虐待する…………」
「まぁ!今日の今こそは、チョコレートが優先なのです」
「……………チョコレートなんて」
「あら、ディノが美味しく食べてくれることを楽しみに作っているのにですか?」
「……………ずるい」
「ふふ、ちょっと待っていて下さいね。………は!目隠しを忘れてました」
「……………虐待する」
「ささ、じっとしていて下さいね。……なぬ!逃げてはいけませんよ!」
「ご主人様……………」
膝の上によじ登って魔物の目隠しをしようとした人間に、なぜか魔物は頬を染めて体をよじってしまう。
必死に首を振ってから、ネアの手から目隠しを奪うとなぜか自分で装着している。
「…………解せぬ」
「…………向かい合わせはいけないよ。その、…………最初の時のように、後ろからにしてくれないと」
「…………む?」
「その、体が…………顔にあたるからね」
「は!窒息してしまいそうで怖かったのですね。ごめんなさい、怯えさせてしまいましたね………」
ネアは慌てて魔物を撫でてやってから、よいしょと膝から下りて、冷やされたチョコレートを確認にゆく。
保冷庫の中から型を取り出し、ぽこんと丸く出来上がったチョコレートをつついてみる。
良い固さだと判断してから、ネアはその味気ない茶色の丸いやつの装飾に取り掛かることにした。
(まずは、苺のものを…………)
型の中でくるりとひっくり返して上の部分を出すと、そこに細かく切られた乾燥苺を振りかけて固定する。
途中で悪戯心を起こし、固定用のピンク色に色付けしたチョコレートを絞り、一つだけは綺麗なハートマークを描いてみた。
「うむ!」
「…………出来たのかい?」
「まだ一つだけですよ。もう少し待っていて下さいね」
「うん。………君は疲れていないね?」
「はい!ディノの為に作っているのが、何だか楽しいですね」
「…………大胆過ぎる……………」
「むぐ!まだ死なないで下さいね」
魔物がそろそろ危なくなってきたので、ネアは慌ててオレンジのもののデコレーションにとりかかった。
こちらには細かく砕いた緑色のナッツと、ホワイトチョコレートで繊細な線の模様を入れる。
目標はレース模様だったが、若干歪で味わいのある模様になった。
(そして、梅ジャム!!)
こちらにまぶすのは、細かく砕いた飴の装飾である。
ウィームの市場のお菓子用品などを売っているお店で見付けて、買っておいたのだ。
きらきらと細やかに光るのが目当てなので、あまりまぶし過ぎないように苦心して良いバランスにした。
前日に欲を出して作っておいたチョコのお花も装着して完成だ。
「出来ました!箱に入れてリボンをかけます」
「…………箱に入れてしまうのかい?」
「しょんぼりしないで下さいね。本来はこのようにして包装してから渡すものですが、去年はケーキでしたのでそのままだったんですよ。…………リボン、リボン…………」
「リボン……………!」
魔物は新しいリボンが貰えると思ったのか、ぴゃっとなると、いそいそと座り直している。
勿論ご主人様も魔物がこうなることはお見通しであり、箱に巻きつけるリボンは、髪を結ぶのにも使えるようないい素材のものにしたのだ。
こちらは、他の買い物の時にリボン専門店で購入しており、一緒にいたディノは、ご主人様用のリボンなのだろうとしゅんとしながらも買い物の間中我慢して待っていてくれた。
「完成です!目隠しを取りに行きますね」
エプロンを外し、ネアは作業台を綺麗に片付ける。
甘い香りの漂う厨房には、こちらに移動して飾ってあるイブメリアのお花が彩りを添えている。
アルテアから貰った硝子管には、その中だけで育つ水胡椒が優しい水色の花を咲かせていた。
「解きますね」
「……………後ろからがいいかな」
「は!またしても窒息させるところでした。後ろに回りますね」
「うん……………」
そうして、やっと魔物はバレンタインデーの贈り物の箱と対面した。
「…………リボン」
淡い水色の箱に巻かれたリボンは、ふくよかな白藍の天鵞絨のリボンだ。
かすかにラベンダー色の艶があり、ネアはこのリボンを見た時になぜか、春に向かう雪景色を思ったのだった。
「それと、バレンタインデーのカードです」
「…………カード」
ご主人様からカードを貰うのが好きな魔物はまたしてもびゃっとなり、差し出された白いカードをよれよれになりながら受け取った。
「………カードもくれるんだね」
「ええ。シュタルトの日記帳を見た時に、ディノにも何か言葉を書いて贈りたいと思ったのです」
「…………君も日記を書くのかな」
「むぅ。日記は日記帳が可愛くて買っても続きません。それなら、ディノにお手紙を書いた方が素敵なのです」
「……………ずるい。ネアが可愛い」
「またしてもずるいの使い方が旅に出ましたね!」
「……………ずるい」
ディノは息も絶え絶えにカードを開くと、そのままぱたりとテーブルに突っ伏してしまった。
まだ死なないで欲しい人間にゆさゆさと揺さぶられ、小さく呻く。
「……………ご主人様が虐待する」
「まぁ!言いがかりなのです。ずっと元気でずっと側にいて下さいと書いたのに、なぜに死んでしまうのだ」
「…………揺さぶってくる。可愛い」
「むぐぅ!」
その後、何とか動き出した魔物によると、どうやら、“大事なディノへ”と書かれたその宛名でもう死んでしまったようだ。
何ともささやかな言葉で致死率が高過ぎるので、ネアは眉を寄せて首を傾げた。
目の前ではまだ手つきのおぼつかない魔物が、解いたリボンに大切そうに触れている。
そんな風に大事にされると、また胸の奥がざわりと熱くなった。
かぱりと箱が開いた。
「…………ハート」
「なぬ!また死んでしまいました!!」
そうして、魔物はチョコレートに描かれたハートマークを見てまた死んでしまうではないか。
荒ぶったご主人様にぽかすか腕を叩かれて、すっかり動かなくなってしまったので、ネアは三つ編みをぐいぐい引っ張って荒れ狂った。
「おのれ、起きるのだ!お味の感想を聞かせて下さい!!出来立てチョコレートなのです!」
「……………可愛い」
「生き返るのだ!」
ネアが頑張って復活の願いをかけ続けたお陰で、魔物はその後また少しだけ生き返ってくれて作り立てのチョコレートを食べて嬉しそうに目元を染めてくれた。
「……………ネア、有難う。とても美味しいよ」
「ふふ。そう言ってくれるのが幸せなので、また作ってあげますね」
「………ばれんたいん、でーは、一年に一度でいいんじゃないかな。とても危ないからね」
「………なぜに死んでしまうのでしょうね」
「ネアがずるいことばかりするからだと思うよ」
「解せぬ」
その後ネアは、検証の意味を兼ねてお世話になりましたチョコを知人達に差し上げてみた。
手作りの上に贈り物になるので、特定の人達にしか渡せないものの、どうしてディノがあんな風に死んでしまうのかを知りたかったのだ。
「……………その結果のまさかの致死率の高さに、私は混迷に包まれています」
「ご主人様が浮気する」
「差し上げたものは、ディノ用の愛情たっぷりチョコレートとは違いますよ?いつも有難うございますな、日頃の感謝チョコレートです」
「………………愛情たっぷり」
「なぬ!また死んでしまおうとしています!」
検証の結果、ヒルドとノアは普通に微笑んで美味しく食べてくれた。
しかしなぜか、アルテアは頭を抱えて暫く動かなくなってしまったし、ウィリアムにはまた椅子になられてしまった。
なお、その疑問が解けたのは翌月のことで、ダリルから、ハートマークを描いた食べ物を与えるのは、求婚相当の熱烈な求愛になるのだと教えられて愕然としたのだった。
ディノ用のものでハートが歪になったものの再利用だっただけなのだが、結婚詐欺師になってしまうので、今後はくれぐれも乱用しないように注意しようと思う。