リボンの話と花竜の話
「いいですか。強く良くないものだからこそ、その身を守る強力な盾になるということがあります。私のいた世界でも、怨霊を祀り上げて神様にしてしまうことがありましたし、毒をもって毒を制すというのもまさにそれなのです」
ネアその日、魔物達にカワセミリボンの有用性を説明していた。
しかし、ネアの正面に座った魔物達は、青い顔をしたままふるふると首を振る。
「僕ね、思うんだけど………カワセミの加工品は鎧とかであるんだ」
「なぬ。ゼノの言う通りならば、なぜにこんな風に怯えるのだ」
「……………ネア、きりんが………」
「ディノ?………しかしきりんさんは、皆さんが怖くならないようにと、輪郭だけにしたのですが…………」
「何だろうね、あれ。シルが怖がるのも分かるよ。黒塗りにしたからかな。祟りものみたいですごく怖い………」
「まぁ、良かれと思ってやったのですが。………しかし、作り直しがきくものではないので、今年は我慢して下さいね。ヒルドさんは最初から受け取ってくれましたし、エーダリア様とグラストさんは説得済みなのです」
「……………え。グラストがつけるなら、僕もつける」
その一言で、ゼノーシュはふらふらと寝返ってくれた。
目は虚ろだが、大事なグラストがその腕輪をつけるのであれば、お揃いにしない訳にはいかないのだろう。
説得されたゼノーシュがリボンを受け取って部屋に帰って行く姿に悪辣な人間は微笑み、残された魔物達は絶望的な目をする。
「うむ!ゼノは攻略しました」
「ご主人様……………」
「ネアがシルだけじゃなくて、僕まで虐めるんだけど………」
「虐めではなく、これはお守りなのです!影傘とやらが出現した時に、ディノ達だって何かあったら困るでしょう?私の大切なものをよく分からない黒っぽいやつなどに傷付けさせるものですか!」
「ご主人様!」
「あっ!シルが籠絡された………」
そうして一人残されたノアは、最初にその腕輪の使用を受け入れてくれたヒルドが説得してくれて、何とか事なきを得た。
ネアは脆弱で普通の人間なので、影傘などという怖いものが来たら困るのだ。
よく分かっていないからこそ、こうして対策をしておかなければならない。
「ヒルドさんのお陰で、何とかノアも落ち着いたようです。今年のノアも狐さんな参加ですが、首飾りにしてくれるそうですよ」
「それは良かったです。………影傘が出現するとなれば、打てる手は一つでも多い方がいいのに、ネイの我が儘にも困ったものですね」
すると足元を歩いていた銀狐がムギムギと抗議して弾んだが、ヒルドは怖いお母さんのような鋭い目で一瞥し、銀狐は尻尾をけばけばにした。
「ヒルドさんは、影傘を見たことがあるのですか?」
「…………いえ、残念ながら、私は見たことがありませんでして。ガレンには専門の魔術師がいたのですが、先の討伐で片腕を無くしたばかりですからね。義手制作の魔物に預けられておりますから、今年の参加は難しいかと……」
「まぁ、その魔術師さんは大丈夫なのでしょうか?手を無くされたとなると、とてもお辛いでしょう………」
「泣き叫んで暴れておりましたよ。………影傘討伐に参加出来ないと聞いて」
「…………とても魔術師さんだという感じがします」
ヒルドは昨日、影傘の出現の可能性をガレンに報告に行ったエーダリアに同行したのだった。
傘祭りには観光客も来るので、影傘の出現予報はガレンを通して国内外に通知される。
それでも減るお客はそれ程多くないので、後は自己責任でどうぞということなのだ。
何しろ、魔術の潤沢なウィームの荒ぶる祭りで観戦し放題ともなれば、多少の危険くらい何のそので押し寄せてくる観光客は沢山いる。
それどころか、さっそくヴェルリアでは、影傘観覧ツアーのようなものが準備されて予約が殺到しているのだそうだ。
海の男達が多いヴェルリアでは、このような度胸試しのお祭りはとても人気らしい。
(やはり、牛追い祭り的な…………)
ネアはそう考えて不思議なものだと眉を顰めると、今日もあえやかに煌めいている妖精の羽をちらりと見た。
隣を歩いているヒルドの横顔に、揺れた長い髪の影が落ちる。
窓からの陽光を透かしたその羽は、森の木漏れ日を眺めているような清々しさで心がほぐれてゆく美しさだ。
「…………ネア様?」
「………ヒルドさんの羽が今日も綺麗です。……やはり、私は妖精さんの中では、一番ヒルドさんが好きなのでした」
「……………っ、………それは、光栄ですね。ネア様にそう言っていただけるのが何より誇らしい」
「これはもう、好みの問題なのだと思いますが、不思議なことに、普段の私であれば配色的には同じくらいに好きになりそうな、イーザさんやディートリンデさんよりも、やはりヒルドさんがとても好きで…」
「ネア様、……それ以上はどうか、二人きりのときに」
「むむ、褒め殺しになってしまいましたね」
ヒルドにそっと押し止められて、ネアは好意というものは難しいのだなとぺこりと頭を下げた。
するとヒルドは微笑んで首を振ってくれて、もっとゆっくりと落ち着いた場所で聞きたいですからねと、秘密めかして教えてくれた。
「それはそうと、ディノ様はどうされました?」
「今日はお出かけ………というか、アクス商会に出かけているようでして」
「ああ、…………バンルとの」
「ええ。…………まぁ、ノア」
その話題は、塩の魔物をとても敏感にしてしまうものである。
ふわりと人型に戻ったノアは、ひょいとネアを持ち上げると抱き上げたネアの首元に顔を埋めた。
ネアは少し可哀想になり、そんなノアの頭を撫でてみる。
「僕は、火竜なんて嫌いだ。あいつらが、ネアや、ヒルドやエーダリアの助けになるならともかく……」
「だから、ドリーさんだけは別枠なのですね?」
「うん。彼は、君達の助けになったことが何度かあるから特別。………だから、他の竜は嫌いだね。ウィームに来るのはドリーだけでいいじゃないか」
「でも、その竜さんはもう、火竜さんではなくなるのですよ?」
「…………おまけに、悪夢の中で君を傷付けたあの火竜なのに」
「でも、その方がいたからこそ、エーダリア様が元気でここにいてくれるのですよ?なので、その方も特別枠にして下さい。私にとっては、エーダリア様をここに準備してくれた恩人さんなのです」
ネアがそう言ったのは、今回の置き換え転入者の安全性を示すために、ドリーがリーエンベルク側に明かした真実であった。
エーダリアの母親であった第三王女をあの最後の夜のリーエンベルクから連れ出したのは、置き換え転入者となる火竜の意向であったらしい。
そうして、仮にも当時の火竜の王にそれがなされた背景には、曽祖父であるエーヴァルト王への深い友情があったことを知り、エーダリアはとても驚いたようだ。
エーダリアが生まれる前に、自害してしまっている竜なのである。
「…………君は意地悪だなぁ」
その話を持ち出したネアに、ノアは面白くなさそうな顔をした。
「ふふ。人間は邪悪なのですよ。その代わりそんな人間はノアがとても大好きなので、ノアが悲しんでしまうのも嫌なのです。…………ノアが怖くない竜さんにして貰いましたからね」
ネアのその言葉に、ノアは目を丸くした。
こうして今もノアをもやもやさせている火竜の問題に、ネアの意見が反映されていたことを知らなかったのだ。
「君も、…………置き換えに参加したのかい?」
「いいえ。ただ、ノアは火が嫌いなので、火の関係のものや火を連想させるものもいけませんと我が儘を言っておきました。そうして、出来ればノアが警戒しなくて済むような竜さんにするべきだと、さりげなくエーダリア様の隣で独り言を言っておいたのです」
「…………わーお」
今回、ウィームでは統一戦争時に火竜の王であった者の翼を継ぐという子竜の、容れ物の置き換えがなされている。
本当はもっと後になってから時期を見て行われる筈だったその儀式なのだが、問題の子竜が翼を継ぐ儀式を勝手に一人で行ってしまい、その儀式の反動で死にかけてしまっているのだ。
ウィームに暮らす為ではなく、生き延びる為に置き換えをするしかなくなり、急遽昨晩からその術式の購入と施術がアクス商会で行われていた。
ぐったりとした子竜を抱いてウィームにやって来たドリーは、真っ青になってしまっていたそうだ。
ヴェンツェルからエーダリアに有事用の回線で通信が入り、兄にどうか儀式と受け入れを前倒しして欲しいと頼まれたエーダリアは、説明を遮ってすぐさま承諾した。
『兄にとってのドリーは、私にとってのヒルドのようなものなのだ』
そう頭を下げられ、その子竜の受け入れに反対していたノアも渋々了承した。
問題が問題なのでエーダリアは少しひやりとしていたそうだが、ぷんぷんしたノアに、エーダリアは自分が僕に大事にされているのが分かってるよねと文句を言われ、耳を真っ赤にしておろおろしていた。
つまりのところ、仲良しなのである。
「その子竜は、花竜になるそうですよ」
なので、そんな風に嫌で堪らないことを頑張って飲み込んでくれた塩の魔物を安心させる為に、子竜の置き換え後の種族を教えてくれたのはヒルドだった。
こちらを見たノアの瞳は鮮やかな青紫色だ。
その目を瞬き、ヒルドを疑わしげに見返す。
「………え、………花竜って、愛玩竜だよね。えーと、……よく、貴族の妻君とかが見栄え重視の従者として飼ってるやつ」
「ええ、その花竜です。件の竜が成竜になろうと、ネア様に指輪のある手で叩かれれば死んでしまうくらいの強度でしょうか」
「…………むぎゅ。幼気な花竜さんを殺害したりはしません」
「ええ、勿論ネア様はそんなことをなさらないでしょう。ですが、決してネア様を傷付けることが出来ないという意味で、ネイに分かっていただきたいと思いまして」
「…………うん。花竜なら、ネアが踏んだら死んじゃうよね」
「…………踏み滅ぼしません」
「ありゃ。例えだからね。………そっか、……うーん、花竜ならいいかな。………でも、花竜だと自活出来ないでしょ」
「ですので、バンルの店の工房で、見習いとして引き取ることになりまして。今はまだ幼いので無理でしょうが、数年もすれば糸紡ぎや型紙の管理は出来るようになるでしょう」
「……ああ、……店舗もあるから、そこにしたのか」
その子竜の身元引き受け人となったのは、ウィームにある手袋専門店の店主である、バンルという男性だ。
彼もまた置き換えの魔術で竜であることを捨てた経歴を持つらしいので、まずは同じ経験をした者としての手助けが出来ることが、保護者候補として重視されたのだろう。
しかし、彼の店には住み込みの工房もあるので、子竜はそこで働くことも出来る。
手に職をつけられるし、店舗に出れば、接客をする体で不審がられずに以前の知り合いとも会えるのだ。
(それに、集団生活の中に迎え入れられれば、こちらで一人で暮らすようになってもきっと寂しくない筈………)
勿論、そういうことと、心が孤独なのかどうかは違うとは思う。
誰かが側に居てくれても、自分の心が内側に向いていればきっと寂しさを感じるだろう。
けれどやはり、生活を共にする他者がいるという恩恵はあると思うのだ。
「バンルであれば、………エーダリア様に不利益を齎すものは容赦しないでしょう。そういう意味でも、あの場所が選ばれたのかと」
「………あー、そっか。エーダリアの方の会の人だ」
「む。ダリルさんから、エーダリア様を助ける会の会長さんだと聞いております!」
「おや、ネア様がご存知であれば、言葉を濁す必要もありませんでしたね。どうか、ご本人にはご内密に」
「ふふ、エーダリア様にはやはり秘密なのですね?」
ネアがそう言えば、ヒルドは悪戯っぽく唇に人差し指をあててみせた。
「あの方は、お一人で勝手に背負うものを増やす傾向があります。本人が知らないからこそ、エーダリア様のご負担を減らせるという組織ですからね」
「素敵ですね。私も、あちらのお店をご贔屓にして、元気にエーダリア様を守って貰えるようにしますね」
「ネア、一人であの店に行くのは禁止だからね。必ず僕かシルと行くこと!」
「むむぐぅ!」
ネアはすかさず竜規制法に引っかかってしまい、そんなエーダリアを守っていてくれる会の会長さんにこっそりお礼を言う機会を奪われてしまった。
荒ぶってばすばすとノアの腕を攻撃したところ、持ち上げられたままくるりと回されてむぎゃっとなった。
「いいかい、シルはあまり説明しないけどね、魔物と妖精は、竜が振りまく愛情はあまり評価しないんだ」
それは、初めて聞く話であった。
だからきちんと聞こうと黙ったネアに、ノアは魔物らしく排他的な微笑みを浮かべる。
「竜は、愛した者に殉じるのが大好きなんだよ。そりゃ、僕達だって伴侶が失われれば死んだりもするし、妖精だって主人や伴侶と死ぬさ。………でもね、竜はお利口で愚かなんだ。望まれた事に応えるのが竜で、望まれないことでも手を尽くすのが、魔物や妖精なんだよね」
「………それが、竜規制の理由なのですか?」
「うーん、単純にこれ以上君にお気に入りを増やされると、僕との時間が減るってこともあるけどね。………でも、愛する者を不利にする忠実さにも殉じる生き物だなんて、危なくて君のお気に入りにしたくはないなぁ」
「…………ダナエさん達と仲良くするのも、ノアは反対なのでしょうか?」
「ダナエ達はさ、季節のお客みたいなものだから構わないよ。君が仲良くしていても、君と日常を共にする者じゃないからね。それに彼は悪食だから、普通の竜とは少し違うしね。…………でもまぁ何て言うか、バンルはかなり駄目だなぁ」
「…………ウィームに住まわれている方だからでしょうか?」
ネアがこてんと首を傾げると、ヒルドが静かな声で決定的な情報をくれた。
その表情を見る限り、この部分に対してはヒルドもノアの意見に賛成のようだ。
「ネア様、……バンルは長命な竜らしく頼れる男ですが、ご婦人に関しては少々手癖が悪いところがありまして」
「…………まぁ。そういう理由もあったのですね?」
「女癖の悪いドリーみたいな感じかな。君は結構気に入りそうだ」
「ドリーさんの女癖が悪かったら、ドリーさんの良さは死ぬのでは………」
ネアは思わずそう答えてしまい、その返答でノアはだいぶ安心したようだ。
どうやら、そのバンルという元竜の気質もあり、手袋専門店はかなりの警戒スポットであったらしい。
(ウィームに住む竜さんなら、とげとげしてないのが残念だけど、ベージさんがいいかしら………)
しかしながら、既にウィームにはお気に入りの竜がいる人間は、そのことを告白はしないでおいた。
自分に懐いている訳でもない感じのいいベージを、ここで魔物達の餌食にしてはならない。
「とにかく!ネアは、竜を飼うのは禁止されているから気を付けること。誰もいないところで、竜と楽しく話すのも禁止」
「なぬ!弾圧反対なのです。お庭で飼えない上に、お喋りも駄目だなんて謎めいています」
「…………念の為に確認させていただきますが、ネア様は人型を持つ竜であれ、最終目標は庭で飼われることなのですか?」
そこでなぜか、ヒルドにそんなことを尋ねられた。
なのでネアは、勿論だと微笑んで頷く。
「はい!番犬ならぬ番竜のような、格好良くて頼りになるペットを飼うのが夢なのです!」
「…………成る程」
「わーお。………その反応は、本来なら反感を買いかねないから大歓迎なんだけど、竜は自分を打ち負かす相手にすぐ恋をしちゃうからなぁ……」
そんなことを話していると、また窓の外で雪が降り始めた。
はらはらと降り続けるその白さに、ネアは今年の冬も後半にさしかかってしまったことに微かな寂しさを覚える。
こうして遠い過去の出来事に触れる時、ネアは、今いるここも過去になってゆくという事実に内心密かに怯えていた。
(こうしてみんなで一緒にいられる時間を、どうか大切にしよう………)
その大切さが胸に沁みた今だからこそ、ネアはここにあるものを自分の大切なものとして、失われないで欲しいと願う。
それは、失われる筈などないと信じていたのに失われた過去であり、この世界でのネアが、守る術をあまり持たない魔術的な弱者にあたるからである。
そう考えると少しだけ切なくなったので、ネアは、持ち上げてくれているノアにこてんと頭を寄せた。
「ネア、疲れたかい?」
「…………私はノアが言う竜さんのように、大切に思うものを損なう可能性を見逃したくはありません。幸い人間は慎重で強欲なのですが、そのぶん脆弱なのです。………怖いものが出てきたら、必ず、きりんリボンで撃滅して下さいね。怪我をしたりしないで下さい」
そう言えば、ノアが小さく息を飲むのがわかった。
心配し過ぎだと笑われてしまうのだろうかと考えへにゃりとしていると、ごつんと頭を寄せてきた塩の魔物が微笑みかけてくれる。
「そうだったね。……君は失くした子なんだ。それに失くした者達を見てきたばかりなんだね。……うん。困った奴らは全部滅ぼしてしまうから、怖がらなくていいよ。僕もヒルドも、……エーダリアやグラストとゼノーシュも。勿論シルも。あのリボンがあれば安全だからさ」
「…………むぐ」
ふわりと頭を撫でられてネアがほっとしていると、ヒルドも同じような優しい目で微笑んでくれた。
「やれやれ、やっと観念しましたね」
「………僕としては、何でヒルドが平気なのかが凄く気になるけどね」
「おや、ネア様が我々の為を思って苦労されて作って下さったものを、そもそもお断りするという選択肢自体ありませんので」
「わーお。…………それとネア、今回の竜の置き換えの件って、アルテアは知ってるのかい?」
「ええ。ヴェンツェル様とドリーさんからお話があり、その後、その為に必要な品物を売るアイザックさんから、そしてディノも報告してくれたようです。まぁ、後は私が明日以降に餌付けして黙らせておくので、どうかご安心下さいね」
「餌付けですか……………」
「はい!明日はディノの為にお菓子を作る日なので、それを御裾分けして餌付けします。ディノ曰く、アルテアさんも今回の子が翼を継いだ火竜さんには思うところがあるそうなので、悪さをしないように、場合によってはちびふわにするかもしれません」
「ネアさ、あの生き物気に入ったよね………」
「あの愛くるしいちびふわを、気に入らずにいられるでしょうか。本当は、同じくらいに白けものさんも大好きなのですが、あちらは正体がアルテアさんであることを知らない体ですので、何かと招聘が難しいのです………」
もふもふを撫でたい症状が出てきたネアが手をわきわきさせると、ヒルドとノアは顔を見合わせた。
「…………ボール遊びしちゃう?」
「むむ!狐さんのふかふか尻尾を愛でられるので、吝かではありません!でも、きっかり半刻までですよ?」
「であればネア様、今は外で保冷庫の中身の出し入れをしておりますので、大広間を使われては如何ですか?ご不在にされておりますディノ様も、ネア様が屋内にいた方が安心でしょう」
「すっかりお庭に出る気満々でしたので、ヒルドさんがいてくれて良かったです。大広間の中であれば、戻って来たディノを不安にさせないように出来ますね」
かくしてその日は、大広間の床をしゃかしゃかと駆け回る銀狐を堪能しながら、魔物の帰りを待つことが出来た。
火竜の子供の容れ物の置き換えは無事に成功したようで、弱ってしまった子供を担ぎ込んだドリーは安堵のあまり涙を浮かべていたそうだ。
エーダリアもほっとしたようで、その日の夜は、ヴェンツェルと長らく話し込んでいたらしい。
シュタルト旅行であの絵を見て以来、密かに火竜の前王の翼を継いだ子供の応援団だったネアも内心不安で堪らなかったので、その嬉しい報告を持ち帰ってくれた魔物に体当たりしてしまった。
エルトと名付けられた子竜は、淡い薔薇色に深紅の尾っぽを持つ薔薇の花竜になったらしい。
ロクサーヌの薔薇を使って置き換えの魔術の恩恵を受け、愛情の祝福を得られる竜として目を覚ましたエルトは、その日の夜の内に大はしゃぎでウィームの雪遊びを堪能し、保護者達をやきもきさせたのだそうだ。
翌日、リーエンベルクにはドリーの名前で美味しい海産物がたっぷり届いた。
とは言え、エルトが優しい火竜の祝福の子を本当に心配させるのは、その数日後のことである。