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竜の花と竜の涙




その魔術師は、竜の花と呼ばれていた。



その魔術師が生む魔術の花が、竜を夢中にしたからだ。

そしてその魔術師が作る雪の魔術を、妖精や精霊達が好んだ。

魔物を魅惑したのは、主に彼の気質だろう。




みんなが彼を愛し彼を讃え、そしてその彼を、エヴナがこの手で殺した。




『少しでも多くを俺がこの手で殺そう。俺ならば、………苦しまずに殺せる』



そう告げた時、彼は微笑んでいた。



その足元に転がっているのは、ヴェルリア王の契約の精霊達と竜達だ。

咎竜の姫が二人に、調停の精霊王。

ただし、この調停の精霊王は伴侶を戦で亡くし悪食になっており、戦で人間を殺すことを何よりの喜びとしていた。



『エーヴァルト…………』



呟いた声が掠れ、涙が落ちた。

彼等を単身で撃滅はしていたが、彼はもう酷い有様だった。



『…………エヴナ、すまぬな。君が来てくれるのなら、こうも真剣になる必要はなかったか。………私の家族達を頼んでも良いか?……自らの手で死者の国に逃げ込むことを恐れたのだろう。我々はもう、自分の手で死ぬ事も出来ぬのだ。…………ヴェルリアの者の手で殺されることでしか、死ぬ事が出来ぬ』



歯を食い縛り拳を握ったが、零れ落ちる涙を堪えることは出来なかった。



『…………安心しろ。俺がやる。残忍な者共に、お前の家族を嬲り殺しになどさせない』

『大切な友に、一番辛いことを頼んでしまった。だが、君にしか頼めぬのだ』

『俺の弟も心得ている。俺の妻や娘達も。…………安心して、もう楽になってくれ』

『そうか。……それと、私はもう半分しか残ってないが、君が手心を加えて私を逃したなどと言われないよう、無くした半分はそちらの竜の腹の中だと言っておこう』

『エーヴァルト、…………頼むから……』



こんな時になんでそんなことを笑って言うのだと詰ってやりたかった。

それなのに彼は、死にかけているくせに朗らかに笑う。



『今際の際に、何と喜ばしいことか。君に最後に会えて、私はなかなかに運がいい。…………友よ、もしな、生まれ変われるものであれば、また友になろうぞ。あいつが一足先に行っているからな、きっと年長者ぶるのだろう』

『…………俺が一番遅くなるだろう。その時はお前が俺より年長者になるのだから、必ず俺を見付けてくれ』

『必ず見付けるさ。………………あの子を頼む』

『この命を賭けても。………安心していい。妻が迎えに行っている。姉妹達を連れているから、あの精霊達にも邪魔などさせるものか』

『………娘には言ってある。きっと、あの子を助けに来る者達がいる。目を見れば分かるから、安心して預けるようにと』



それは、友と交わした最後の約束だった。

このリーエンベルクにいる唯一人の赤子は、彼の孫だ。

その小さな命だけは、何としても逃してくれと。



まだ名前もなく、洗礼も祝福も受けていないこの戦火の中で生まれた子供だからこそ、唯一救われるその可能性を持っている。

どれだけ小さな子供であれ、生まれてウィームに住む者達の祝福を受けてしまった後では遅いのだ。



この夜に生まれた者だからこそ、まっさらな魂として赦される。



そうして、この魔術師でもある王は、そこに最後の希望を賭けて、娘の出産のその瞬間を二日も遅らせたのだ。

どんな戦乱でも虐殺でも、この世界の理で恩赦を得る者がいる。



それは、その瞬間に生まれ落ちた赤子だけ。



終焉の中で生まれたものは、終焉の先に行く者としての運命を持つとされ、その身に恩赦の理を宿す。

また、そんな子供を迎え入れることは、死の呪いを避けるとして王家などでは昔から尊ばれていた。




そうして、その赤子だけを救い出したリーエンベルクは、そこに栄え育んだそれ以外の全てを喪った。



愛する者の血に濡れた手で、燃え盛るリーエンベルクで咽び泣いたあの夜から、二十年あまりの月日が経った頃、妻がもういいと言ってくれた。



「エヴナ、あの子はもう大丈夫よ。あなたが因果の精霊王を脅しまでした甲斐があったわ。それに、終焉の先の運命を持つ子なのだから、ヴェルリア王家も無下には出来ないでしょう。…………バーンチュアも、塩の魔物の呪いを受けて、もう長くはないから。…………よく、竜の宝を失くしてここまで頑張ったわね、あなた」



王がその古き塩の魔物の呪いを受けたことは、ヴェルリア王家の秘密であった。

どれだけの者達が手を尽くしても、あの男はそう長くは生きられないだろう。



エヴナは実を言うと胸がすく思いであったが、この王家との長い契約が続く限りは火竜の王であるエヴナが決して口には出せないことでもあった。




どうして、




どうして、自分は雪竜に生まれなかったのだろう。



そうすれば、エーヴァルトと共に戦えたのに。




そこで死ぬとしても、愛する者達を手にかけることもなかった筈だ。




「だが、…………俺がヴェルリアのバーンチュアの契約の竜だったからこそ、お前の最後の頼みを聞いてやれたのだな」



そう言いはしても、心はやはり望むのだ。



雪竜に生まれたかった。

ずっとエヴナは、ウィームに住む雪竜になりたかった。


良き友が契約者だったからこそその憧れを押し殺していられたというのに、最初の契約者は最後の契約者に殺されてしまった。



火竜の王は、常にヴェルリア王の契約の竜であるというのが、一族の定め。

それ以外の時には対等であるとされるが、戦のその時だけは、ヴェルリアに全面的に力を貸すことを強いられる。


その代わりに、ヴェルリア王家は決して火竜の王族を損なってはならない。

火竜の繁栄を妨げたり、それに敵対する竜に力を貸してはならない。



そんな最初の約束を交わした誰かのお陰で、エヴナはこんなところまで来てしまった。




『すまない、エヴナ。竜達は愛情深く慈しみ深い。そんな君達を、我々人間の愚かさで傷付けてしまった。…………この戦争を回避出来なかった私の稚拙さを、どうか許してくれ』




彼が、たった一度でも望んでくれたなら。

そんな風に詫びるのではなく、手を差し伸べてくれたなら。



一族同胞のその全てを道連れにするとしても、ただその憎しみのままに、ヴェルリア王家など滅ぼしてしまえと、共に戦ってくれとそう望んでくれたなら、エヴナはこの命と引き替えにだって、自分の契約者を殺しただろう。



けれど、エーヴァルトはそれを望んではくれなかった。




『あの男が感情で動くのならば、私とて付け入る隙があっただろう。……だが恐らく、彼は国なのだ。国そのものの意思として、国を生かし国を繁栄させる為の最善をゆく。だからこそ魔物達の多くは、バーンチュアを好まずとも、彼の描く図案を支持しているのだろう。………確かにそれは、世界の最善だと。………時として、人間の世にはそのような為政者が現れると言うが、……なぜに私の生きる時代に交差してしまったのだろうな…………』




なぜ、友は死なねばならなかったのか。

なぜ、よりにもよってエーヴァルトなのか。



あの日から心の中で毎日繰り返して来た疑問をまた呟き、弟が封じられたヴェルリアの王宮の外れにある塔に赴いた。


こつこつと石壁を叩き、封印されたままの弟に、最後の挨拶をする。




「…………ドリー、聞こえるか?俺はもう逝くよ。お前がこの塔に封印されることを防ぐことも出来なかった不甲斐ない兄だが、……せめて、最後に俺のこの身をかけて、あの美しい土地を、その最後の主人を守ってみせよう。…………その身勝手を許してくれ」



先々代の王の時代に塔に封じられた弟に別れを告げた後は、翼を広げてヴェルリアにある庭園に降り立った。



この庭園に咲き誇る花々の豊かさに、どこかウィームに似ていると思ったことがあったのを思い出したのだ。


雪の慰霊祭の日を選んだのは、今日であればどこかに懐かしい者達がいるかもしれないと考えたから。



こうっと、このヴェルリアには滅多に降らない雪が吹きすさぶ。


その白さに安堵し、もう連れて行ってくれと小さく囁いた。




この身をもって、ウィーム王国滅亡の呪いは完成する。



契約の火竜の終焉の祝福を持つ槍と、この身に流れる魔術を盾として、バーンチュアは辛うじて塩の魔物の呪いを退けていた。

だからこそ、エヴナが死ねばその盾は一気に崩れ落ちるだろう。



後継の王子も育っていることだし、現王が崩御したところでこの国としての安定は今更揺るがない。

あのエーヴァルトの孫の王女は、今年の春に正式にその王子に嫁すことが決まった。



後はもう、その安寧を誰も傷付けずにいるように、一族にもこの願いを徹底するばかり。

ウィームとの蜜月であった時代を知らない若い火竜達の中にはヴェルリアの者達を愛するからこそ、ウィーム最後の血を快く思わない者も少なからずいる。



その全てに決して覆せない約定を残すのにも、やはりこの命を使うのが適切であった。





「安心していいぞ、友よ。いつだったか、お前が、背負うには重い名前だからと娘に却下されたと嘆いていた名前を、王宮の妖精に託して来た。お前の孫娘の名前はヴェルリアの者に決められてしまったが、あの子供が身籠もる子には、……いや、その先のいつの世代かにはきっと、お前が考えたあの名前が継承されてゆくだろう……………」




エヴナがその名前を託したのは、ヴェルリアの王宮に住む美しい紅薔薇のシーだ。

彼女であればきっと巧みに、その名前を、生まれてくるいつかの子供に届けてくれるだろう。



次の代でも。

その次でも、ずっと先でもいい。

いつか、その名前を持つ、ウィーム王家の血を受け継ぐ子供が生まれる。




「リーダリアとエーヴァルトの血を受け継ぐエーダリアよ。どうか、その名前を持つ子供がいつか、あの美しいリーエンベルクに戻れることを願って」




吹きすさぶ雪の中に、初めて見たウィームの美しい祝祭の雪景色を思った。




最初の契約者は幼子の頃から知る友であったが、エヴナが契約の竜になりたかった人間は一人だけだ。


この手で慈しみ、守りたかったのは一人だけだったのだ。




「…………エーヴァルト。約束通り、きっと俺を見付けてくれ」




ウィームに住む雪竜になりたかった。




目を閉じて、雪竜に生まれた自分が、エーヴァルトを契約の子供として守る姿を想像すると、ひどく安らかな気持ちになった。



きっと、ウィームで仲間達と過ごすイブメリアは、惚れ惚れするくらいに美しいだろう。








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