一口と目覚まし
「大好きなので、ずっと傍に居てください」
そう言ったのは勿論ネアだが、その言葉には続きがあった。
そう言うとディノが弱ってしまうのだと、ウィリアムに相談しようとしていたのだ。
なぜならば、その手の言葉を幾つか言われた魔物が熱を出してしまい、毛布に包まってご主人様が酷いことをするとしくしく泣いているのである。
看病することすら出来ずにノアから屋内の散歩を言いつけられ、ネアはとても混乱していた。
しかしその言葉を言った途端、ウィリアムは片手を上げてネアの続きの言葉を封じた。
目を覆うように顔に手を当てて深く息を吐くと、ネアはなぜか次の瞬間には椅子に座っていた筈のウィリアムの膝の上に抱え上げられていた。
吐息が触れる程に顔を寄せられ、はっとしたネアは慌てて頭突きでウィリアムを撃破する。
大好きだと言ってみてこの現象が起こると言うことは、思っていたより事態は深刻なようだ。
「…………っ、俺もつい箍が外れかけたが、頭突きをされるとは思わなかったな」
「むぐる!人間は食べられたら死んでしまうのです!齧るなどゆるすまじ」
「…………そうか、確かその誤解を誰かに植え付けられたんだったな…………」
「ウィリアムさんとて、一口は許しません。その一口で私のお肉がどれだけ減ってしまうことでしょう。断固として拒絶します!」
「安心していい、ネア。君を食べようとした訳じゃないんだ。…………いや、紛らわしい表現だな」
「…………後ろめたい目をしました。怪しいのです」
「………そう言われると困ったな」
「なぬ。やはり齧る気ですね?」
「ネアが思っているような酷いことはしないから、試して判断してみるか?」
「むぐるるる」
「はは、威嚇されてしまったら、諦めるしかないな」
小さく笑って膝から下ろしてくれたウィリアムだったが、ネアはその手が離れるとすかさず距離をあけてすぐにでも撃破出来るような警戒態勢に入った。
いざという時にはきりんの絵を出せばいいし、幸い今はぞうさんの試作品もある。
「先程の言葉は、齧っていいよの合図になるのですか?ディノにたくさん言ったところ、なぜか熱を出してしまったのです」
「ああ、それで突然言われたのか。俺は…………そうだな、触れたくなるかな。シルハーンは喜びが大き過ぎて受け止められなかったんだろう」
「触れたく………齧りたく?」
疑心暗鬼の人間が暗い声でそう繰り返すと、ふわりと空気が揺れた。
はっとした時にはもう、ネアはウィリアムの腕の中にいる。
むぎゃっとなって反撃しようとしたのだが、巧みに抱き締められてしまって体が動かせない。
じたばたしているネアを高い高いの要領で二回ほど持ち上げた後、ウィリアムは、ネアのおでこに口づけを落としてくれた。
唸っていた人間は、齧られなかったのできょとんとする。
「……………むぐる?」
「俺はこういうことをしたくなる。まぁ、俺に向けられた言葉じゃなかったけれどな」
「ウィリアムさんのことも、好きなのです」
最後の一言がどこか寂しそうに言われたので、ネアは慌ててそう重ねてしまった。
もっと丁寧な言い方もあったが、ウィリアムにどこか乾いたような悲しげな眼差しをされると焦ってしまうのだ。
しかし、そんな雑な仲良し宣言でも、ウィリアムは目を瞠ると小さく微笑んでくれた。
「そうか。…………今日はリーエンベルクに来て良かったな。……それと、俺の祝福は危ういから、祝福抜きにしてあるからな」
「…………齧りません?」
「齧ったりはしないよ。ネアが減ったら困るだろう?」
「…………ふぁい。齧られたら痛いのです」
齧らないようだぞとおずおずと体の力を抜くと、ウィリアムは白金色の瞳を細めて微笑んだ。
安心していい筈なのに、先程の名残かまだ心の何処かに警戒心が残っていてどきどきしている。
「齧るとしても、痛くない程度にするよ」
「…………なぬ」
「ネアは、アルテアにも甘噛みされたんだろう?」
「ちびふわが酔っ払って私の指をあぐあぐ噛んでいました。ふきゅんふきゅんしていて可愛かったのです」
「やれやれ、あんまりな様子だったら叱っておかないとだな」
「まぁ、叱らなくてもいいですよ。ちびふわは癒しのもふもふなのです。……ふぐ?!」
そこでネアは、ウィリアムに掴まれていた手を持ち上げられてあぐりと噛み付かれた。
あまりのことにそのまま固まっていたが、軽く歯を当てただけのもので、寧ろアルテアなちびふわの時よりも圧迫感もない。
「…………な?痛くはしないだろう?」
「むぐる」
「はは、また警戒されたかな」
「うっかり美味しかったりしたら困るので、危ない橋を渡らないで欲しいのです。指もなくなったら大変ではないですか!」
「すまない、怖かったな」
「むぐ!」
柔らかく苦笑したウィリアムにひょいと持ち上げられ、唇に口づけを落とされた。
これで家族相当の祝福抜きの祝福をくれて、もう大丈夫だよというメッセージなのかもしれないが、全体的にはらはらするのでやめて欲しい。
けれどもなぜか、ウィリアムはとても楽しそうなので、ちょっと怖がらせて遊ばれてしまったのだろうかとネアは眉を寄せる。
「それで、シルハーンはまだ寝込んでいるのか?」
「ふぁい………。ノアが看病をしてくれていて、私はお部屋から出されてしまいました。解せぬのです」
「さっき、シルハーンの場合は喜びが大き過ぎて受け止められなかったと話しただろう?そんな時にネアが側にいると、心が落ち着かないからじゃないかな。少しだけそっとしておいてから、また、今度はいつものように接してみるといい」
「…………しかし、あのくらいは慣れてくれないと、すぐに死んでしまいます」
これは女性として心配するのもどうなのかやという感じがしたが、ネアは婚約期間が終了した後のことが心配になる。
場合によっては婚約期間をもう少し長くして、慣らしていった方がいいのだろうか。
しかしそれを相談すると、ウィリアムは婚約期間は伸ばさない方がいいと教えてくれた。
「それに、…………そちらの方は大丈夫だと思うぞ。さすがに、………うーん、それは試してみるようにとは言えないけれどな」
「そちら?」
「寧ろ、ネアはもう大丈夫なのか?………その、アルビクロムに行ったのはあれきりだろう?」
「……………ふぐぅ。今年こそは練習を積むのです。昨年は、苦手なことは後回しの悪い癖が出てしまい、あまり鍛錬を詰めませんでした。しかし、今年の私は既に腰紐までの経験値は積んでいるのです!きっと、……」
「だとしても、誰と行くんだ?一人で行くのは駄目だぞ?」
「むむぅ。ウィリアムさんはご負担になるそうなので、アルテアさんか、………ノアでしょうか」
ネアがそう言うと、ウィリアムは片手で目元を覆って深い息を吐いた。
「………いや。俺が行こう。どっちも危なさそうだ」
「なぬ。………その、大丈夫ですか?」
「ああ。…………それまでに何とか自制心を磨いておくよ。アルテアとノアベルトも呼ぶのか?」
「むむ。ウィリアムさんが一緒なら、ノアにはリーエンベルクやディノを見ていて欲しいような気がします。あちらの夜の街には女性の方も多そうですし、ノアと一緒に歩くのは危険ではないだろうかと、少しだけ不安だったのでした」
「…………ああ、確かにそうだな。余計な騒動に巻き込まれそうだ」
そこでネアは、ウィリアムとアルビクロムな練習日の日程相談を暫くしていた。
これから暫くはまた忙しくなってしまうそうなので、行くとしても来月あたりだろうということになる。
今月は、傘祭りの周りと、薔薇の祝祭で日程を開けてくれるので、そこで貴重なお休みを使ってしまうのだ。
「それと、俺も心配していたんだが、次の週末には必ずシルハーンと旅行に行くように。………そうだな、こういう時だから、二人の時間をゆっくり作った方がいい」
「…………トレトレのクッションが子兎になって荒ぶる日があるからですね?」
「…………ん?知っていたのか」
「諸事情で知ってしまいました。しかし、ダリルさんが心配してしまうというのは相当に凶悪な可愛さに違いないので、ここはぐっと涙を堪えて旅に出るのです」
「ああ、そうした方がいいな。ネア程ではなくてもそういう小さな動物が好きな人間が、トレトレに籠絡されて屋敷に三日閉じこもった事件が、前回ヴェルリアであったらしい」
「なぬ。ヴェルリアでもそんなことがあったのですね………」
ネアは、地域性としてはヴェルリアは割りと現実的な人達が多いように感じていたので、そんな事件があったということに唖然とした。
これはもうやはり、かなりの愛くるしさなのだろう。
「それは是非に見たい………ではなく、是非に避難しますね」
「ああ。万が一、ウィームを出れないような事情があって囲まれるようなことがあれば、俺を呼んでくれ。すぐに排除出来るからな」
「排除………」
ネアはその言葉を聞いて、決してウィリアムのお世話にならないように、何としてでもウィームを出なくてはならないと心に誓う。
愛くるしい子兎達を、終焉の魔物に滅ぼさせたくなんてない。
きっとウィリアムも、夜寝る前に悲しくなってしまったりするだろう。
そんな風には感じなさそうに見えるが、これでも終焉の魔物は毛皮の会の会員なのである。
ウィリアムは凛々しく頷いたネアに、微笑んで頭を撫でてくれる。
もう齧る系の動きはないようだぞとネアが安心していると、なぜか急にぐいっと持ち上げられた。
「むぎゃ!」
「はは、驚かせたな。………さて、そろそろエーダリアに用があるんだが、一緒に来てくれるか?」
「むぐる。お部屋から出されているので吝かではないのですが、私も一緒に行っていいのでしょうか?」
「ああ。別に秘密の話じゃないからな」
なぜかウィリアムは、こんなところでディノのやり方を踏襲するらしい。
持ち上げに甘んじて運ばれているネアは、何だか不思議な気持ちになった。
良く分らないなりに、今日のウィリアムは若干ご機嫌のようだぞとネアは内心首を傾げた。
もしかしたら、痛くない程度にしか齧らないという主張が出来てほっとしたのかもしれない。
そう考えるとしっくりきたので、ネアは必要以上に怖がらないようにしようと考えた。
「ウィリアムさん、この前、略奪の精霊王さんを狩ってしまいました。有名な方の方でなく、もう一人………一匹の精霊王さんの方なのです。ぺらぺらリボン生物にしか見えませんでしたが、既にそやつは儚くなっていて、アイザックさんが個人買い取りしてくれました。ディノが転換石を買ってくれていますが、それだけで大丈夫ですか?」
「……………またとんでもないものを狩ったな」
そこでウィリアムは歩きながらこつんとおでこを合せてくれて、ネアは何かがじわりと冷たい手を体の中に広げるのを感じた。
「………終焉に繋がるようなものはないようだ。何か決定的にまずいものが添付されてはいないが、念の為に転換石で掃除をした後も、アルテアかノアベルトに調べさせるといい」
「アイザックさんも、そのお二人の名前を挙げていました」
「ああ、魔術の繊細な感知に長けているのは、魔物の中でもその二人が筆頭だろう。そういう意味では、ネアの周りにはいい人材がいるな」
「まぁ、頼もしいですね」
ネアはそこでふと考える。
ノアもアルテアも、以前のディノの周囲に常にいた魔物ではない。
ディノの思い出話で出て来る魔物達は、また別の名前をしている。
「以前のディノは、そういうことがあまり得意ではなくても大丈夫だったのですか?」
そう尋ねたネアに、ウィリアムはふっと息を吐くように微笑んだ。
(…………あ、)
それはまるで、胸の痛みを微笑みで散らすかのような、淡く儚い微笑みだ。
その儚さの美しさで、ネアの胸を薄く鋭く痛ませる。
「グレアムがな………先代の犠牲の魔物が、そういうものを得意としていた。一緒にいたギード、絶望の魔物が今のネアみたいに勘が良くてな。グレアムが調整や工夫に向いていて、俺はもっぱらその二人が対処しかねるような大きなものを排除する。そんな感じだったんだ。手先の器用さで言うなら、グレアムはアルテアやノアベルト達よりも上だったかもしれないな」
「…………そんなに凄い方だったんですね」
「ああ。彼をいつも頼りにしていたな………俺も、シルハーンも。………まぁ、でも今はアルテアも、少し複雑なところだがノアベルトも居る。その部分を補えるような存在がいてくれて、俺は正直ほっとしているんだ。俺にとってもネアは大事な存在だが、シルハーンにはもう二度と何も失って欲しくないからな」
「…………私は、そんな風に思ってくれるウィリアムさんが、今もこうしてディノの側にいてくれて嬉しいです。どうか、お忙しくても体を壊さないようにして下さいね。私自身にとっても、大事な大事なウィリアムさんなのです!」
ネアの言葉にウィリアムは微笑み、またネアの頭を撫でてくれた。
「その言葉だけで、この明日あたりから勃発しそうな戦乱にも耐えられそうだよ」
「むむ。無茶はいけませんよ!どうしても疲れていてぐっすり眠りたい時には、エーダリア様に一報を入れてここに来ればいいのです。予め何時に起きたいのかを教えてくれれば、起こして差し上げますから」
「ネア………」
目覚ましになる宣言に、ウィリアムはどこか慣れないように小さく頷いた。
よくノアやアルテアがウィリアムは腹黒いと言うのだが、不思議と、ディノがあまりそう言うことはない。
ネアも、ウィリアムはどちらかと言えば不器用な人なのではないかなと思う。
こうして上機嫌でネアを抱えている終焉の魔物は、不器用だからこそ少し極端な部分があるだけなのだ。
(少なくとも、私にはそう思える魔物さんだし、私にそうであれば私にとってはそういう人なのだ)
「ウィリアムさんは、無茶をしがちなので心配なのです。悲しくてむしゃくしゃしたら、もふふわの毛皮生物を撫でまわすと落ち着きますよ?」
「………毛皮の会の会員としてはそれも大事だが、俺はこうしてネアと話すのが一番だな」
そう微笑んだウィリアムがひどく安堵したようだったので、ネアも何だか気持ちが落ち着いた。
良かれと思って向けた愛情に慣れずにお部屋で死んでしまった魔物がいる中、こうして持ち上げてもらったことで強欲な人間の心が満たされたのだろう。
「……………ネア?お前はどうしたのだ」
そのままウィリアムに持ち上げられたままエーダリアの執務室に入ると、ネアの上司はひどく困惑したような顔をした。
ネアは、ディノがお部屋で死んでしまったので一時的に放浪の身となったことを、そしてウィリアムは、こうしてネアを持ち上げていることで仕事の間の貴重な息抜きをしているのだと説明する。
「まぁ、そういうことだから、今回の話はネアも一緒に聞いてくれ」
「むむ。エーダリア様、一緒でもいいですか?」
「ああ、私は別に構わないが………」
そこで、ネアは謎にウィリアムの膝の上に設置されたまま、エーダリアの執務机の向かいに座っての会談とあいなった。
なぜに膝の上のままなのか、隣の椅子に開放してくれないのが謎だったが、きっとディノの代わりに保護者を全力で引き受けてくれているのだろうと、ネアはウィリアムのそんな律義なところにもほっこりしてしまう。
「………しかし、私が邪魔で、エーダリア様が見えなかったりしませんか?」
「ああ、ちゃんと見えているから安心していい」
「うむ。それならここで、守られております」
「…………それは、警備上のものなのか……?………いや、それで、純白についてだったな」
(純白…………?)
ネアは首を傾げるとウィリアムの視界を遮ってしまうかもしれないので、目を瞠ってその単語を受け止めた。
どこかで聞いたことがあるような気がしたので記憶をふるいにかけていると、幸いにもエーダリアがその言葉の意味を教えてくれる。
「純白は、過去に最大級の被害を出している、特殊な雪喰い鳥だ。竜の祝福の子や、災いの子のようなものだと思ってくれていい。お前が昨年接触したラファエルやアンナは、その純白の血族だったようだな」
「どこかで聞いたような気がしたのですが、ラファエルさんのご兄弟な雪喰い鳥さんでした!」
「その純白に、覚醒の予兆がある。………あれはいつも、食べすぎるからな。純白が目を覚ます年には、終焉の予兆が出るんだ」
そのウィリアムの言葉に、エーダリアがどこか苦しげに目を伏せる。
きっととんでもない生き物なのだろうとネアは不安に胸が苦しくなり、息をひそめて二人の会話を見守った。
「…………予兆は、ウィームなのだろうか」
「いや、それは安心していい。予兆が出たのは、ウィームより国境の外、隣国の山間の村だ。だが、そちらでの討伐隊などに追われてこちらに逃げ込むことも考えられるが、………俺の経験上、純白は目をつけた一つの集落を全滅させた後は、大抵眠ってしまう。最初の出現地以外に被害が広がる可能性はないと見てもいいだろう」
「そうか………それなら助かるのだがな」
「とは言え純白の被害が出るとなると、国境沿いに鳥籠を敷く可能性もある。俺が対処するような案件になった場合は、逆に管理出来るが、そうではないと少し注意が必要だろう」
「そうか。その争乱が、こちらに飛び火してもかなわない。………結界の守りを頑強にせねば」
「…………きりん箱の試作品を貸し出せますよ?」
ネアが思わずそう言えば、エーダリアが何とも言えない複雑な表情でこちらを見る。
振り返ってみれば、ウィリアムが同じ顔でネアの方を見ていた。
「あの箱があれば、純白さんは死んでしまうかもしれませんが、まぁ、被害が出るようであれば致し方ありませんからね」
「…………そ、そうだな。それがあれば手堅い気もするが、………その、高位の生き物だからな、生態系の均衡を崩しかねない。出来れば、絵を一枚貸して貰えると助かる」
「一枚と言わず、何枚でも描きますからね。是非に発注して下さい!」
「…………その場合だが、他の生き物や人間にも被害が出ないのか?」
「…………なぬ」
「エーダリア、まずはノアベルトに相談して、結界を強固にすることを最優先にした方がいいだろう。ネアのその、………絵は、最終手段として取っておいた方がいい」
「そうだな。あまりにも大きな力を手にしているとどこかに漏れるのも厄介だ。………ネア、そういうことだから、そのきりん……の絵を一枚、描いてくれると助かる。決して誰かの目に触れないように封印して、国境添いの護り手に託そう」
ネアはそんなエーダリアの言葉を聞きながら、国境沿いの護り手というのはどんな人なのだろうと不思議に思う。
今迄名前が出てきたことはあまりなかったが、確かにウィーム領には他国との国境にあたる部分の土地があるのだ。
切り立った山々が生き物の往来を妨げ、魔術的にも脆弱な生き物は生存が難しいくらいの特異点になるそうで、そちらの国境線を超えてウィームに入ろうとする者達はほとんどいない。
その結果、背後の護りという意味では、ウィームはかなり楽をしているのだった。
「………いや、やはり、その絵をこちらから手放すのはまずいだろうな。万が一悪用された場合に、被害が甚大になり過ぎる」
「…………きりんさん」
エーダリアはその後、きりんの絵の運用方法に頭を抱えてしまった。
ウィリアムも酷く渋い顔をしており、あまりにも邪悪な武器であるきりんの絵は、もろ刃の剣過ぎるという結論が出た為、今回の導入は見送られることとなった。
ネアはそれを聞いてとても悲しかったが、確かにウィームに住む人外者達が死んでしまうと大変なので、今回はノアの持つ特殊な結界とやらに頼ろうと思う。
(それにしても、純白というくらいだから、真っ白な雪喰い鳥さん………)
ディノにアイザックが纏う雰囲気に見てしまう、聖書の悪しきものについて語ったことを思い出した。
きっと真っ白な雪喰い鳥ともなれば、天使のような姿をしているのだろう。
ちらりとそう考えて気になりはしたが、ネアは現状の生活にいたく満足していたので、その雪喰い鳥に会いたいとは思わなかった。
翼のある聖なるものの姿を求めて泣いたのは、もうずっと昔のことなのだ。