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232. 新たな認定をされました(本編)



あなたはずっとここで暮らすと言っておいたと言われてしまったアルテアに、ネアは手を伸ばしてその背中を叩いてあげたくなった。


ボラボラが苦手なのだ。


それは、どこか悪しきものだという気配を纏う美貌の男性であることや、彼が実際に高位の魔物であることとは関係ない。


現状彼しか有利系譜ではないのだから交渉はして貰うにしても、このようなことを言われてしまったらさぞかし恐ろしいだろう。

なので慰めてあげたくなったネアだったが、ディノは手を持ち上げようとしたネアをさりげなくしっかりと抱き込んだ。

目が合うと微かに首を振られたので、今はいけないということらしい。



「…………そうか。それならこのあわいごと、お前達を滅ぼせばいいだけだな」


響いた返答は、魔物らしく酷薄で冷やかなもの。

その言葉を聞いて、ボラボラに抱えられた少女は困惑したように目を瞠る。


「出られないんじゃないの?」

「面倒だというだけだ。お前達が生者ならともかく、亡霊だと分かれば話は違う」

「…………ぼうれ、い?」


小さな女の子の瞳が静かに丸く瞠られることに、ネアは胸が苦しくなって息を詰める。

地上のことを気にしていた子供なのだから、きっと帰りたいところがあるのだろう。

それなのに、自分の持ち時間はもう終わってしまっているのだと知るのはどれだけ怖いことだろうか。

この世界に来て一番驚いたのは、これだけ人外者が闊歩していて魔術も潤沢な世界なのに、地上に死者が出ていられるのは限りなく短い時間であることだった。


死を管理しているウィリアムがしっかりしているからか、この世界の人間達は、死と生の境界線が非情な程に明確だ。

死者達は問題なければ死者の国にゆき、死者の日にしか地上に出て来れないし、魔物に殺された死者だけはあわいと呼ばれる別の死者の区画に送られる。しかし彼等もまた、死者の日にしか地上には出て来られないのだ。

他の、魂などに干渉する生き物や死者を連れ去ってしまうような生き物に襲われた被害者達は、解放されたからといって決して地上での自由を得られることはない。


正規の道順を辿らなかった者達は、解放されても浄化されて消されてしまうだけなのである。



(だから、この女の子は、自分が亡霊だということに気付いても、もうどこにも行けないのだ)



そんな子供にお前は死者なのだと突きつけることは残酷なようでもあるが、そう感じてしまう欠片の心もまた、随分と高慢なものだ。

何しろこちらはこの少女の思惑を打ち砕かねば無事に帰れないのであるし、そうなった場合はアルテアのやり方は決して間違っていない。

ネアはそう考えてしまう冷淡な人間でもあるので、こうしてつきんと痛んだ僅かな胸の痛みはただの我が儘なのだった。


それなのに、魔物はネアの体の強張りに気付いてしまったのか、そっと背中を撫でてくれた。


「怖いなら目を閉じておいで」

「………いいえ。頑張ってお話ししてくれているので、せめて見ていて差し上げなければ。ディノ、アルテアさんが困ったことになりそうなら、助けてあげてくれますか?」

「わかったよ」



視線の先では、先程の子供が不安そうに視線を彷徨わせていた。

そこには先程垣間見せた大人っぽさはなく、なにかとても怖い話を聞いてしまって怯える小さな子供のようにしか見えない。



「…………わたしが、亡霊?」

「そんなことにも気付いてなかったのか。ここはあわいだ。お前も、その周囲にいるボラボラ達も、もうとうに死んでいる」

「…………そんなこと、…………そんなことないもの。私はここにいるし、生きてるよ。………いつかここを出たら、お母さんに会いに行くんだ。…………私は砂漠の民に売られてなんかいないし、いつかきっとすごい契約の魔物を捕まえて、国一番の歌乞いに………」


ネアはそこで、ディノが小さくセーラスの亡霊かと呟いた声を聞いた。

何か彼女の言葉から気付くことがあったのだろうかと思えば、ディノがすいっと片手を振るのが見える。


「音の壁を作ったよ。ここは特殊な足場だから、あまり長くは保たないが……。あの子供は、セーラスの亡霊だろう。そこには小さな区画に一部だけ魔術が潤沢な土地があってね、優秀な歌乞いや契約の子供を大量に排出し、その派遣で国費を稼いでいた砂漠の中の小さな国だ。良い歌乞いに育ちそうにない子供は、砂漠の民達に売られてゆき、ボラボラ避けや砂漠で遭遇した生贄を求めるような生き物達の餌にされたらしい。………だが、とある子供が厄介な魔物を捕まえようとしたことで、その国は滅びてしまったそうだ。………もう、数百年くらい前のことだよ」

「では、あのお嬢さんは、…………砂漠の民達に、売られてしまったお子さんなのでしょうか?」

「恐らくはそうだろう。何か理由があってこのボラボラの集落も滅びたのだろうが、あの子供は魔術可動域が随分と高かったようだから、一緒にこの土地に縛り付けられてしまっているのだろうね。…………亡霊や特殊な生き物が住むあわいは、ある特定の条件を満たさないと出現しないものがある。………ここは、長らく外と繋がった気配がないから、そうして閉ざされていた場所なのではないかな」


(ではこの子は、家に帰りたいと思いながらも、死んだ後もずっとこのボラボラの集落に閉じ込められていたのだろうか……)


そう考えてまた胸が苦しくなり、何かを言おうとした時のことだった。



ばりんと、大きな音がした。



はっとして視線を戻せば、目の前に広がっていた世界が、割れた鏡のようにばりばりとひび割れてゆき、粉々になって散らばり落ちてゆくではないか。


その中には恐怖に顔を歪めた先程の子供もおり、ボラボラ達も恐慌状態に陥ってしまっている。

そんな光景と向かい合わせに立ったアルテアは、しゃんと背筋を伸ばして帽子もかぶり、いつの間にか良く見かける真っ白なステッキを持っているようだ。

そのステッキがまたカツンとリズミカルに何度か床を打ち、ひびの入った残りの風景も崩れ落ちてゆく。



選択の魔物は、目の前の亡霊達と話し合ってどうこうするという手段ではなく、問答無用で崩してしまうような手段に出たらしい。



(そうか、ディノが音の壁を作ってくれて、私の意識を自分との会話に向けたのは、こうなるのが分っていたからだったんだわ…………)



「ディノ、…………ディノはあの子の悲鳴を私に聞かせないようにしてくれたのですね?」

「君はきっと、割り切るだろうけれど心を痛めもするだろう。…………慟哭や悲鳴の音は、耳の奥に残るからね」


そう言ってくれる魔物の耳の奥にも、何か消えない悲鳴があるのだろうか。

ネアはそう思って心配になったので、甘えるふりをしてぎゅっと体を寄せてみた。


「…………ネア?」

「ディノの耳の奥の悲しいものが、少しでも和らぎますように。………それと、アルテアさんが辛い思いをされていないといいのですが………」


心配された魔物はぽわりと目元を染めて嬉しそうにしたが、アルテアは大丈夫じゃないかなと首を傾げていた。



「…………ったく。妄執の残滓のくせにろくでもないものを見せやがって」

「ほら、大丈夫だっただろう?」

「寧ろ、ボラボラに崇められたことの方が辛かったようですね…………」


目の前に広がっていたものが全て崩れてしまうと、踵を返してこちらに戻って来たアルテアは、鬱陶しそうに顔を顰めて、うんざりした様子で戻って来た。

片手の指先でくるりと回したステッキをどこかに消してしまい、代わりに煙草を取り出してからネアの方をじっと見た。


「…………吸うぞ」

「む。お好きにどうぞなのです。私は父が喫煙者でしたので、あまりにも過度なもくもく部屋に閉じ込められでもしない限りは、煙草の煙は気になりませんよ?それに、アルテアさんには、煙草が似合いますしね」

「となると、あの妖精の前でだけ吸わなければいいのか」

「ヒルドさんは属性的に厳しいそうですよね。みなさんが一緒の時には、アルテアさんの周囲だけかぽっと結界か何かで覆ってしまって、その中で吸えばいいのではないでしょうか?」

「何の罰ゲームだよ」

「むむ。確かに…………。アルテアさんだけ、中の煙で見えなくなってしまったりしたら、おかしな光景になりますね………」



そんなことを話していると、風景が粉々になってしまった世界がざらざらと砂が零れるように周囲の色を変えてゆき、辺りが薄暗くなってきた。



「まぁ………。暗くなってきましたね…………」


ここはどうなってしまうのだろうと、ネアは眉を下げて周囲を見回す。

そうすると、目が合ったアルテアがなぜだか嫌そうな顔をした。

ボラボラとの交渉を任せてしまったことを怒っているのかなと首を傾げたネアは、なぜだかこちらに来て手を伸ばしたアルテアに口に何かを突っ込まれる。


「むぐ!…………ふぁぐ。美味しい果物的ななにやつかの飴です!!」

「言っておくが、あの人間は亡霊だ。どうにもならなかったからな?」

「…………あら、アルテアさんは、意外に心配性ですねぇ」


美味しい飴を頬張って幸せな気持ちになった人間は、こちらを見た魔物の繊細さに何だか微笑んでしまう。

何の躊躇もなくあの世界を粉々にしたくせに、こんな風に案じてくれることもあるだなんて、不思議な生き物ではないか。


「確かにああして顔を見てしまった以上は、あの子に降りかかったことを思って胸がぎゅっとなります。それは否定しませんが、やはりあの子は私の与り知らない場所にいた、見知らぬ方なのです。であれば、私の見知った方と何より大事な私自身が健やかに脱出するのが一番です。特に気にしてはいませんので、安心して下さいね?」

「……………そうだったな、お前はそういう人間だった」


もしその言葉を、アルテアが辟易としたように口にしていたら、ネアは自分の薄情さに少し恥じ入ったかもしれない。

けれども目の前の赤紫色の瞳の魔物は、それをひどく愉快そうに呟いてくれたので、ネアも自分の心に失望することはなかった。



(だからきっと、私はこの世界ではとても息がしやすいのだろう)



大事なものと、自分の手の中には抱えきれないものを線引きするとき、人外者達のそれはネアにはとても理解しやすい。

そしてまた、そんな人外者達と過ごしてきたエーダリアやグラスト、ゼベル達も、ネアがなぜそんな非効率的で危ないことをするのだろうと思うようなことはしなかった。

あれだけ穏やかで懐深く見えるグラストも、騎士団長として手を伸ばせるものと伸ばせないものの線をきっちりと引いている。

そこに、視野が広くバランス感覚のいいゼノーシュがいてくれるので、ネアは彼等をそういう意味で心配したことはなかった。


(ヴェンツェル様達も、………多分、ウォルターさん達も………)


ネアが失われないでいて欲しいと思う、今迄に出会った人達も、それなりに危険や敵も多いであろう立場でありながらも、掲げるものの甘さで自損事故を起こすような人達ではないようだ。

大事なものや、大事なものが大事にするものが失われないということは、どれだけ安らかで幸福なことか。

だからこそネアは、そんな彼等の足取りの確かさにも感謝をしなければと思った。



「あの子の居た街は、どうして滅びてしまったのでしょう?」

「ウィリアムだな」

「…………何だか、ウィリアムさんのお名前が出てくると、それはもう仕方がなかったのだろうなという気持ちになりますね」

「おや、あの国の子供が捕まえようとしたのは、ウィリアムだったのかい?」

「恐らくな。終焉を手中に収めることが出来れば、それはこの上ない戦力にも、富にもなる。最後の二年程は、国を挙げてウィリアムを捕まえようとしていたからな。どこかで逆鱗に触れたんだろう」

「彼がどう思うのであれ、捕えようとすれば壊すしかなくなってしまうね」

「ウィリアムさんご自身が満更ではなくても、それは難しいのですか?」

「彼は、司るものの管理以上のことを優先させられない魔物だからね」



ディノが教えてくれたことによると、もしウィリアムがそこまで怒っていなかったとしても、もし彼の行動を制限したり、彼を捕縛しようとする試みが行われた場合、鳥籠の管理をしなければいけない終焉の魔物は、どんな手段であれその妨害を突破して仕事に行かねばならない。


「だから、彼と関わる者は、彼が終焉であることをきちんと理解しなければいけないんだ」

「………だからウィリアムさんは、時々とても疲れてしまうのですね?リーエンベルクに二日ほど休みに来ると仰っていたのに、私が悪夢に落ちたりしてそのお休みを使ってしまっていたとしたら、余計に疲れていなければいいのですが………」

「あいつが自分の取り分を諦めることはないから、安心しろ」

「アルテアさんも、ボラボラが解決したら、お疲れ様会をしましょうか?なお、お料理には久し振りに棘牛のタルタルが食べたいです!」

「何で俺が作るんだよ。おかしいだろうが」

「ネアがタルタルに浮気する……………」

「ディノには、シチューかグヤーシュを作って貰いますか?」

「うん………」


アルテアは強欲な人間の鼻を摘まもうと悪い手を伸ばしたが、ネアが頬っぺたをもごもごさせて飴を食べているのだと主張すると渋々その手を引っ込めてくれた。



(…………あ、暗くなったところが、今度は少し明るくなってきた気がする)



魔物達曰く、今回ボラボラの亡霊達の集落に落ちてしまったのは、他のボラボラがかけた願いの糸が、ボラボラの特殊な魔術の道を介して、過去の願いの糸に繋がってしまったからだろうと言う事だった。

専門家ではないネアにはさっぱりだが、そういうこともあるのだそうだ。


足下に敷かれていたピンク色の絨毯はとうに消え去り、石床は苔むしてゆくとそのまま緑の深い森の中のような地面に変化してきている。


見上げれば、この空間の照度を上げてゆくのは、細い猫の瞳のようになっていた満月が明るく大きくなってゆくからのようだ。

やがてそれは空全体を照らす太陽の光になり、ぷんと、水と緑の匂いが鼻腔に届く。

空には木々の枝葉の天蓋が薄らと見え始めているので、このまま森の中のようなところになるのだろうか。



「良く考えたら、迷子になったところから出てきてもまた、ボラボラがいるのですか?」

「やめろ。考えさせるな」

「…………ほわ、いるようです。ディノ、もし私の周囲に転がりそうなボラボラがいたら、すぐに教えて下さいね。この指輪を見せつけてやるのです!」

「うん、わかったよ」



どこかで、鳥の声が聞こえた。


さあっと渡ってゆく風は清涼な森の匂いを帯び、色を濃くしてゆく周囲の緑からは初夏のような気配を感じる。

ピチチとまた小鳥が鳴いて、頭上を飛んでゆく黄色い物が見えたかなと思ったあたりで、ネア達はいつの間にか深く豊かな森の中に立っていた。


足元を見れば、立っているのは石の祭壇のようだ。

円形の舞台のようなもので、周囲をぐるりとボラボラに囲まれている。



「ムフゥ!」

「ムホッ!」



ボラボラの輪より近くの目の前に立っていたのは、どこか長老めいた二匹のボラボラだ。

奥には石造りの神殿のようなものが見え、可憐な花輪を頭に乗せたボラボラも何匹か見える。

その花輪のボラボラ達はなぜか恥らっており、もじもじしながらさかんにアルテアの方を見ていた。



「ようこそおいで下さいました。粒ぞろいの美女を揃えてあります、というところでしょうか」

「やめろ」

「アルテアは、ボラボラでもいいのだろうか…………」


ディノにまで心配そうにそう呟かれてしまい、アルテアは荒んだ瞳でこちらを振り返る。

どう見てもそういう流れにしか見えないので、ボラボラ語が分らないネアにも、長老たちの言いたいことが分ってしまった。

なお、花輪のボラボラには、つつましやかに恥らう淑女系と、強気にアピールをしてくる村一番の美女系、そして無邪気に手を振ってくる純真無垢な妹系が取り揃えられているようで、ネアはみんな同じに見えるボラボラにもここまで個性があることに感心してしまった。


「アルテアさん、私は恥らう淑女系の、真ん中のボラボラさんがお勧めです」

「それ以上余計なことを言ったら、今月のパイはなしだぞ?」

「なぬ。…………それを言われたら黙るしかありません。何という姑息な脅しなのだ」

「可哀想に、後で叱っておこう」



しかし、ネアが黙っても召喚されてしまった以上、アルテアはボラボラと交渉するしかなかった。


南国の森の中にある石造りの神殿というまた新しい風景の中、優美なチョコレート色のスリーピース姿の魔物はかなり浮いて見えたが、そんな服装のままに精一杯ボラボラ達に何かを伝えようと頑張っている。

暫く何かを交渉した結果、一匹のボラボラが、なぜかワフワフと息を弾ませている愛くるしい子犬を連れて戻ってきた。




「…………違う。お前達の集落には、攫ってきた人間の子供はいないのかと聞いたんだぞ?!」

「ムフォフゥ!」

「ワフ!!」


その一連の流れに、ネアはディノと顔を見合わせた。

掴んだ三つ編みをくいっと引っ張って魔物な乗り物に少し前進して貰うと、少し後ろからではあるが、ボラボラの長老に話しかけてみる。



「もしかして、そちらのワンコが、皆さんの伴侶なのですか?」

「ムフゥ!」

「ムッフ!!」

「ワフ!」


こくこくと頷いてくれたので、これはもう間違いなさそうだ。

そもそも、問いかけが通じているっぽい謎が気になるとか、ゼスチャーまでこちらのものと違う場合はどうしようもないが、見る限りは肯定してくれているようだ。


「アルテアさん、こちらのボラボラさんの伴侶は、どうもここにいるワンコのようです」

「…………………嬉しそうだな」

「あら、愛くるしいちび犬を伴侶にするボラボラなら、害のないいいボラボラではありませんか」

「分ってるのか?その代わり、通訳をする奴がいなくなるんだからな?」

「むむぅ。…………ちび犬よ、私達はお家に帰りたいのです。ここにいるアルテアさんは、お会いすることは出来ても決して引き止めることは許されない偉い方ですので、一度崇めたら速やかにここから帰して下さい」

「ワフ…………」


ネアはひとまず、ちびグレイシアの感覚でボラボラの腕の中にいる茶色い子犬に話しかけてみた。

くりくりっとした瞳をした子犬は首を傾げていたが、何かを伝えようとしてくれたのか、ワフワフキュンキュンとちび犬語でボラボラに話しかけてくれている。


「ムホッ?!」

「ムグフゥホッ?!」



(何だかとても驚いているけど、大丈夫だろうか…………)


ネアが、あのちび犬はきちんと通訳出来ただろうかと心配になって固唾を飲んでいると、すぐさまボラボラの長老たちは謎の木の棒にファンシーな色とりどりの毛糸を結びつけた魔法の杖的なものをどこからか持ち出し、それを掲げてネア達の立っている石の祭壇の周囲をぐるぐると踊り出した。


途中で何度かばたんと地面にひれ伏して、崇めてくれていたりもするので、ボラボラという謎めいた生き物の行動を憶測だけで判断するのであれば、これは何かを鎮める為の儀式のようだ。



「何となくですが、伝わるには伝わったというような気がしてきました………」

「もう、お前が全部交渉しろよ」

「む。ボラボラとは話せませんよ?」

「…………何をしているんだろう」

「ひとまず、怒りを鎮めようとしているのでは………」


ディノは、ボラボラが踊りながら周囲をぐるぐるするのがとても怖かったようだ。

途中からすっかり弱ってしまったので一刻も早くこの儀式が終わらないかと焦れていると、やがて、ネア達の周囲をぐるぐると回りながら崇め奉りきったボラボラの長老達は、しずしずと奥から進み出てきたボラボラ達が持つ木のお皿に積み上げた奉納品を受け取ると、ボラボラ手芸品の山をこちらにお供えしてくれた。


そろそろディノの腕が心配になったネアは、ご主人様を地面に下しても構わないとこっそり伝えてみたのだが、謎めいているボラボラ達に囲まれたディノは怯えてしまっており、頑なにネアを離そうとはしなかった。

気付けば、いつの間にか後退してきたアルテアも、ネア達にぴったりとくっついてしまっている。

アルテアがどんどん無表情になっていくのが心配であったが、ネアはひとまず魔物の乗り物の上から、その腕をつんつんしてみる。



「奉納品が来ました…………」

「お前に全部やる。好きにしろ」

「すっかり弱ってしまいましたので、代わりに受け取るくらいはして差し上げたいのですが、下手に拗れると厄介なので、まずは仕方ないぞよという感じでこの奉納品を受け取って下さい。私からちび犬に、アルテアさんの怒りは鎮まったのでお家に返して下さいと頼んでみますから」

「……………本当にその通りに伝わっているんだろうな?」

「その確証は私にもないのですが、とは言え帰る為の努力を怠ってはいけないのです!」


ネアはそこで、ぎくりとした。

なぜかボラボラの長老の一人が、ネアの方をじーっと見ているではないか。

嫌な予感がして背筋を冷たい汗が伝い、ネアは背中に手をしっかり回してくれたディノの腕の中に深く収まる。



「ムフゥ!!」


そこでなぜか、長老は謎は解けた的な声で、一声鳴いた。



「……………なぜなのだ」


そして貢物の山を二等分すると、その内の一つをネアの方に差し出してきたのだ。


「お前も崇めることにしたらしいぞ。良かったな」

「解せぬ」

「君が、アルテアよりも上位だと思ってしまったようだね」

「やめていただきたい。とんだ誤解です!」


ネアはとんでもない誤解に荒ぶって魔物の腕の中でじたばたしたが、ボラボラ達は大喜びしているとでも思ったのか、嬉しそうに弾み出した。

いつもならボラボラ的には嫌がられる存在であった筈なのになぜこうなったのだろうと考え、ネアは、今日の自分がずっと魔物の腕の中にいることに気付いた。


よりにもよって万象の魔物の腕の中にいるので、ネアの魔術可動域の低さがボラボラ達に伝わらなかったに違いない。



「ディノ、ボラボラ達に、私が取るに足らないちっぽけな存在であることを知らしめたいです!一度、地面に下して貰えますか?」

「ネア、こういう場所なのだから危ないだろう?君を離す訳にはいかないよ」

「で、では、どうやってボラボラに、私を崇める必要はないのだと理解させれば………」

「拗れても厄介なんだろ?そのままにしておけばいいだろうが」

「まぁ!自分だけ崇められて辛いので、私も道連れにしようとしていますね!ゆるすまじ」

「案外、何かの助けになるかもしれないぞ」

「………………ボラボラが?」

「お前、言葉が伝わらないにしても、よくその表情が出来たな………」


自分の系譜の者達をそんな風に言われて不愉快だったのか、顔を顰めたアルテアにネアは反省した。

良く考えれば、これほどに言動の不一致がある捻くれた魔物も珍しい。

実は結構に気に入り始めていて、ネアの失礼な評価から庇ってやりたくなって来たに違いない。


「ふむ。アルテアさんも、とうとうボラボラに愛着が…………」

「やめろ」



結果、捧げものはネアとアルテアの二人で受け取ることになった。

ワフワフしているちび犬にネアが帰りたいと伝えると、ちび犬を抱えたボラボラが伝言ゲームの要領でそのことを長老達に伝えてくれた。

そのまま無事に出口になる場所に案内してくれる運びになり、ネアは己の交渉能力を讃えた。




ピチチと、鳥の鳴く声がする。



ぞろぞろと森の中を歩きながら、ネアは鮮やかな緑の天蓋を見上げてあともう少しの辛抱だと万感の思いでいた。

そしてそこで、何かがひらりと視界の端で揺れたことに気付く。



「ていっ!」

「……………何を狩ったんだい?ご主人様」

「ぺらぺらリボン生物です」

「それは少し幅広だし、カワセミではないと思うよ。ほら、怪我をするといけないから手を見せてご覧」

「なにやつ…………」


ボラボラの居住区からの出口に案内されているその道中で、ネアが手刀ではたき落したのは、木の枝の影からこちらに飛びかかってきたぺらぺらした生き物だ。

てっきりカワセミかと思っていたのだが、ディノ曰くカワセミではないらしい。



「おい……………、お前は何をしたんだ」


アルテアの声が消え入りそうになっているのは、ネアがその生き物を狩った直後から、周囲のボラボラ達が歓喜の乱舞を繰り広げ始めたからだ。


中には喜びのあまりもこもこと枝分かれして増えてしまうボラボラもいて、ちび犬達がそんなボラボラの枝分かれして増えた部分を、ぶちっと咥え千切ってやっている。


これはボラボラの増える仕組みのようで、以前見かけたボラボラも、伴侶になる少年の言動で心が喜びに満たされた時に増えていた。



「ディノ?顔が真っ青ですよ………。気分が悪いですか?」

「………………体から小さいものが生えてくるんだね」

「ええ。ボラボラは、こうして繁殖してゆくようですね。祟りものの一種なのに、こんな風に増えるだなんて、なんて謎めいた生き物でしょう」


地面にリリースされたそのボラボラの欠片がそのままちょこちょこと歩き出し、ディノはすっかり震え上がってしまう。

震えながらネアを必死に抱き締めており、守ってもくれているのだが縋りついてもいるような状態だ。



「………お前の狩った獲物が死んだことに喜んでいるようだな」

「む。であればこやつめは、珍しい生き物だったのでしょう。エーダリア様に見せた後、アクス商会に売り捌きますね」

「だいたい、何で毎回お前は素手で狩りをするんだ」

「なぬ、であれば、綺麗な状態で獲物を狩れるような武器が必要なのです」



ネアのその主張に魔物達は顔を見合わせて、この残虐な人間にこれ以上武器を持たせるのはどうだろうという表情になった。

露骨にすっと視線を逸らされ、ネアは、では今迄通りでいいのだろうと納得する。



「ムフゥ!」

「ワフ!」

「ムホッ!!」



今回の出口は、遺跡めいた石造りの門だった。

そこをくぐるその瞬間まで、ボラボラ達の歓喜の声は続いていた。




かくして、ネア達は二箇所ものボラボラの生息地を巡るツアーをする羽目になってしまい、何とか夕方にはリーエンベルクに帰ることが出来た。


三人がいた部屋がもぬけの空になっており、アルテアの椅子が倒れて転がっていたことで、その部屋を発見してしまったノアはかなり怖い思いをしたらしい。

エーダリアはボラボラ手芸品の山を今年も喜んでくれた。

今回のものはまた違う文化圏のボラボラの作品であることに着目し、ガレンの魔術師達と山分けするのだと大はしゃぎであった。



夜には街に出ていた騎士達の指揮系統も担っていたヒルドも無事に戻ってきて、今年のボラボラのあまりの数の多さに辟易とした様子でぐったりと椅子に座り込む。


奥の方の長椅子でくしゃくしゃになっているアルテアと、同じような表情だ。



その日の夜、ネア達はボラボラの祭りが無事に乗り切れたことを祝い、ささやかな打ち上げをした。

残念ながら死者が出たが、それはいつものことなので良しとしよう。










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