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230. 遅れていた新年のお祝いです(本編)



ウィームの、遅れていた新年のお祝いが始まった。



本来であれば星祭りの後に開催される、リーエンベルク主催の振る舞い料理が目玉のお祝いだが、今回は一人の迷惑精霊の引き起こした事故により少し遅めの開催となった。



その結果、随分とボラボラが出て来てしまったので、本日に限りこのウィーム中央からはボラボラは特殊な魔術の箒で掃き出されている。

ボラボラが周囲にいないので、最近は何かと弱り気味だったアルテアも、元のどこか不穏な気配も漂わせる艶麗な魔物に戻っていた。


ヴェルクレアの四領の全てが星祭りの後に行う新年の儀式だが、今年は珍しく三領でのお祝いが遅れた。


ウィームは夜の時間石の持ち逃げ事件があったからだが、ガーウィンは昨年末にかけて高官達の不幸が続いたので、新年はまず浄化の儀式を優先させたらしい。

アルビクロムは季節性の子供の咳病が流行り、念の為に三日ほど後ろ倒しされた。

これはアルビクロムの土地や産業から発生するもので一週間程咳に悩まされるが、重症者や死者などが出るようなものではないそうだ。



そうして今日、四領の中で最後となるウィームのお祝いが開催されるのだ。



「今年のお祝いの色はラベンダー色で、ディノのリボンの色にも似ているので何だか素敵ですね」

「ご主人様!」

「婚約の最後の年でもあるので、この色は思い出の年になりそうです」


ネアが発見したその事実に、魔物はご機嫌で頬を染めた。

ラベンダー色のリボンと、ミントグリーンのリボンは、ネアから最初に買ってもらえたリボンとして、ディノの宝物になっている。


以前にネアが、ミントグリーンのものは春夏に似合うと言ってしまったことがあるせいで、今後、秋冬に活躍するのはラベンダー色のみの運用になってゆくらしい。

状態保持の魔術をかけてあるので、ディノはその二本のリボンをこれからもずっと大切に使うと公言してやまない。

何とも幼気な魔物である。



(自分達の思い出の色なのだけれど、それが今年のお祝いの色だなんて何だか少し嬉しいな)



ネアはそう考えてほくほくしていたが、人間の心理とは不思議なもので、ここで誰もがラベンダー色の良さに気付いてしまって大流行したらそれはそれで少し悔しい気もする。


複雑な気持ちで街の方に続く並木道の飾りを見ていると、ダリルとヒルドがお祝い飾りの難しさを教えてくれた。



「今年は、こういう色だからね、くどくならないように白が強めの水色と深緑で清涼感を出しているんだ」

「ラベンダー色となると、淡い青みがかった緑色も合うのですが、そうなると男性の中には少し女性的だと感じる者も多いようでして。昨年の飾りが女性的な柔らかい色合いでしたからね」

「それで、あえてきりっとした色合いにしたのですね」


街中の街灯に飾られる大きめのリースのようなリボン飾りは、葉っぱものが多めの花飾りに青みがかったラベンダー色の薔薇が添えられており、何とも絶妙なバランスだ。

小花の白に近い水色は、青みになんとも言えない情感があり、ふっと心を動かすような物語的な色合わせで美しい。


街を飾る上品でふくよかな色合いの素晴らしさに、薔薇の祝祭ではこんな花束にしたかったと、ネアは少しだけ心が焦れた。

何となくだが、この色合わせを決めたダリルに感服の思いである。

本日のドレスも赤みがかった渋めな紫色のドレスで、とても美しいとネアが溜め息を漏らせば、そりゃそうだよと、絶世の美女にしか見えない青い瞳の書架妖精は自信たっぷりに微笑んだ。



「ネアちゃんのドレスもいい色合いだねぇ」

「有難うございます!ディノが選んでくれたのですが、一目惚れでした。あえて華美ではない形のものにしてくれたので、何度も着たいお気に入りなのです」

「そのリボンはディノとお揃い?」

「はい。お揃いなんですよね?」

「………うん」

「あらあら、照れてしまいましたね」



お揃いのラベンダー色のリボンは、今日は珍しくふわりと崩したようなまとめ髪にしているネアも、そのお団子にくるりと巻いている。

この髪型は何故か髪結いに奮起したアルテアがやってくれたもので、仕上がりにネアは嬉しくなって弾んでしまったし、ディノとノアは長椅子の後ろに暫く隠れてしまった。

なお、アルテアはボラボラ警戒中でリーエンベルクに滞在している模様だ。



(ふわふわに巻いたものを、ゆるふわに編み込んでまとめてくれていて、可憐でロマンティックな感じがするのに、少しだけ凛とした感じにもしてくれて……)


ネアが着ているのは、白に淡く淡くディノの瞳の色の水紺を垂らしたような、えもいわれぬ繊細な色合いの冬用ドレスだ。

天鵞絨地に見えるような伸縮性のある生地に、同色のレースと刺繍で華やかにしている部分もあるが、その面積を控えめにしているのでとても上品だ。


胸元が少し広めに開いているが、いつもの首飾りの上にふわりとかけた花冠のような生花を編んだ風の首飾りが、実は保温魔術の装飾品になっている。

薔薇に似た白い小花とミントグリーンの小さな葉っぱが可愛くて、ネアはこれを渡された時にかなりはしゃいでしまった。


因みに、こうして植物の形を生かしたものは、加工品よりも守護の力も強いのだそうだ。



「ここから見ると壮観ですね………。広場の雪の上に敷き詰められた花吹雪が、なんて美しいのでしょう!用意された花火のものとは違うのですよね?」

「ああ。あれは事前に敷き詰められたものなのだ。夜の時間石の事件があっただろう?そのことで領民達の感情が曇らないようにと、とある資産家が善意で提供してくれた花の魔術でな」

「まぁ!何て素敵な方なのでしょう」

「………ああ。まぁ、………そうだな。お前が喜ぶのが一番だろう」

「む?」


ネアの返答が心ここにあらずとなったのは、最初のお料理が準備されているのを目撃したからだ。

そんな様子に苦笑し、エーダリアは領主が挨拶をする特設の壇上に向かう。

さり気なく立っているような騎士達は全員が巧みに術陣の線上に並んでおり、強固な結界を描く点の一つになっている。

しかしながら、一番の護衛は襟巻きの銀狐だろう。

一応あれでも塩の魔物なのだ。



「始まりますよ」

「二回目だね。……今年も君の隣かな」

「ふふ、今年はきちんと最初から隣のお席ですから、安心して下さいね」



わあっと歓声が上がり、壇上にエーダリアが立つ。



本日の服装は白に近しい水色の正装姿で、ウィーム領主の正装だと言われているものの、ネアはふと、悪夢の中のリーエンベルクで見たウィーム国王の肖像画を思い出した。

もしかしたら原型は、かつてのウィーム王の装いなのかもしれない。



新年の挨拶の後には、領民達への祝福を願う詠唱が厳かに続く。

エーダリアが高位の魔術師でもあるからか、この新年の挨拶を疎かにする者はいないのだそうだ。

国内では力のある本物の儀式詠唱が出来る、唯一人の領主なのだとか。

しかしそれは、力無き者達の詠唱を演出する裏側を知る代理妖精達のような、ほんの一握りの者達の秘密である。



ばぁんと音がして、きらきら星屑のように光る花火が上がった。


そこから魔術の花吹雪が降り、人々に降り注ぐそのほんの少し上でしゅわりと光って消えてゆく。

その美しさと華やかさに、広場の領民達からまた歓声が上がる。


この花火を合図にご挨拶の一礼をし、エーダリアの後ろに並んでいたネア達も、用意された席に向かうのだ。

ネアは普通に歩いて行こうとしたが、しゅぽんと投げ込まれてきた三つ編みを条件反射で掴んでしまった。

手に取ってしまったので、ぐぬぬと眉を寄せ、仕方なくリード代わりに引っ張ってやる。



(また今年もやってしまった………)



あちこちから強い視線を感じ、変な奴だと思われてしまっただろうかとネアはしょんぼりしたが、魔物はとても満足そうなので、やれやれと苦笑して諦めた。



今年の席次は、端からゼノーシュにグラスト、統括の魔物であるアルテア、ネアにディノと並び、ヒルドにエーダリアと続く。

エーダリアを挟んでダリル、ゼベルとリーナが座り、通路を挟んだ座席にはその弟子であるエメルも擬態して座っている。


ウィームの有識者達の中でも特殊な階位にある、封印庫の魔術師達、ウィームの守護を司る雪竜達のテーブル。

そして昨年は気付かなかったが、雪の系譜の人外者達のテーブルには、擬態してはいるがニエークや氷の系譜な見知らぬ誰か達もいるようだ。



(こういう時、エーダリア様は自分の虚栄心の為に席次を利用したりはしない)



アルテアの席が本人の希望通りなのもそうだが、奥のテーブルにいる雪竜の王やその他の人外者達など、領主の権威を示すのにうってつけな者達は沢山いる。

しかしエーダリアは毎年、参加者達が過ごしやすいように席を決めており、華のある者達でも望めば隅っこの席にしてくれるし、貴族達の参加も義務ではない。

あくまでも領主からの振る舞いの日であるからと本人は言っていたが、このようなところに人柄が出ているのだと、ネアは密かに誇らしく思っていた。



領主の着く席に素晴らしい料理が並び、グラスにお祝いのお酒が注がれるといよいよ食事開始となる。


エーダリアがグラスを持ち上げ食事を始めるのと同時に、貴賓席を仕切っていたリボンが解かれ、まずは一般区画よりも一足先にそちらに給仕達が入った。



「ザハのお料理です!………それと、まぁ!何て美味しそうなんでしょう……」



ザハの料理は、良くも悪くも伝統料理だ。

古くからある料理を生かし、その中で新しい工夫や味付けを研究して楽しませてくれる。


けれどもこの新年の振る舞い料理の時ばかりは、見た目の華やかさも追求していつものメニューにはないものも作ってくれる。

今回ザハがその枠に用意したのは、見目も美しい前菜だった。

ゼリー寄せに似た料理ながら、ビー玉にも見える形状のその中には絞り器でじゅわっと入れ込んだものか、様々な色のお花が咲いているように見える何かが入っている。



「ディノ、綺麗なお料理ですね。どんなお味なんでしょう!」

「………可愛い、弾んでる…………」

「おい、弾むな!」

「むぐぅ、何故に使い魔さんにがしりと肩を押さえられたのだ」

「ネア、今日はその呼び名はいけないよ?」

「むむ、そうでした。統括の魔物さんが使い魔さんだと知られないようにするのです………」

「僕、もう結構みんな知ってる気がする」


ぽそりとそんなゼノーシュの声が聞こえた気がしたが、幸いにも飛来したジゼルの方を見ていたアルテアには聞こえなかったようだ。




本日のお料理は全て、ウィーム領主の振る舞いになる。

ウィームの名店の祝い料理が無料で食べられるということもあり、リーエンベルク前広場には朝から大勢の人達が集まった。

楽しみにしていた振る舞い料理が少し後ろ倒しになってしまったものの、人々の顔は明るい。


わいわいと楽しげにお目当の料理の話をし、お気に入りの誰それを見に行こうと楽しげだ。

歴戦の猛者達は全てのお料理のテーブルを経由出来るようなコース取りを、今年も鋭く目視で確認している。

すぐにそちらも入場となり、見惚れるような無駄のない動きでお料理を手にする常連の妙技を、今年も感嘆の思いで拝見することが出来た。


勿論彼等は、最大の見所であるエーダリアに一番近いところを通ってからはけてゆく。

人気者の上司の姿にネアは嬉しくなったが、毛皮の競合は許さない銀狐や、ご挨拶にやって来る貴族達の妻子を警戒するゼノーシュの目は鋭い。



「ネア、先程のものは取れたかい?」

「ええ、真っ先に奪いました。ディノのものは、中のお花が赤いものですね」

「君のものは、…………黄色と赤かな?」

「はい。いただいてみますね…………むむ!」


ネアは、お口に入れた一口ゼリー的な獲物のその美味しさに、感動してじたばたしたくなった。


外側がぶどうの皮のように薄く硬めのゼリーになっており、中のゼリーはじゅわっと口の中で溶ける。

澄んだゼリーは美味しいスープの味で、お花の部分はマスタードとサーモンの風味のある濃厚なムースだ。


「ほわ、宝石のような綺麗さだけではなく、とても美味しいです」

「………一度固形魔術で固めてから、中にムースを絞り込む為の溝を彫り込んだな。半分ずつ作って、最後に貼り合わせるんだろう」


アルテアが取ったのは、淡い緑色の花のものだ。

帆立とバジルのムースが入っているらしく、ネアのものよりゼリーの部分の色が薄いので、ゼリーそのものの味も違うのだろう。


「手の込んだお料理ですが、色々なお味で作れるので流行りそうですね。そしてこちらは、煮込み料理の有名店のものだそうです。鶏のクリーム煮でしょうか。ほこほこしていて美味しそうですね」

「…………クリーム煮」

「ディノの好きな系統のものですね」

「うん。君も好きだろう?」

「ええ。なので、私も半分いただきますね」

「半分こにする………」



残念ながらクリーム煮は一つの鶏の塊しか回って来なかったので、ネアとディノは半分こにしていただいた。

口の中でほろりと崩れる鶏肉はしっとりむちむちとしていて、複雑な美味しさを引き立てる香草の香りがふわりと抜ける。


半分こにする作業だけでもう、隣の魔物は恥じらってしまっていた。


「思っていたよりもスパイシーで、とっても美味しいです!このソースだけでも幸せな味ですね」

「どの店のものなのだろう……」

「さてはお気に入りですね?………ルルスとムムムルの店と書いたテーブルにこの大皿があるようですよ。行ったことのないお店ですね………」


ネアがさっとアルテアの方を見ると、食通に違いない本日は使い魔だとは公言出来ない魔物が、すぐにどこのお店のものかを教えてくれる。



「ザルツの老舗だな。元々は演奏会の幕間に売るスープを作っていた店だ。古い店だが、ここ百年程で大型の店舗を構えて、煮込み料理の専門店になった」

「アルテアさんは、美味しいお店をたくさん知ってるのですね。そのお店にも行ったことはありますか?」

「ああ。本店はどちらかといえば貴族向けだな。シチューにメニューを絞った大衆向けの店もある」

「それは行かないとです!」

「今度の休日に行ってみるかい?」

「行かれる際にはご注意下さい。ザルツには、少し厄介な御仁がおりますので」


すると、ディノの隣に座っているヒルドからそんな忠告があった。

このような場なので少し声をひそめているが、それでも言わざるを得なかった程の誰かがいるのだろう。



「まぁ、それならお忍びで行きますね」

「この子に害はなさそうかい?」

「害は及ぼさないでしょうが、お会いされるのはお勧めしませんね」

「…………あの男か。………そうだな、お前は近付くな」

「なぬ。アルテアさんもご存知の方なのですね?」

「お前と引き合わせたら、事故しか起こさないだろうな」

「事故率高めで、昨日は保冷庫に落ちた魔物さんに言われたくありません」

「やめろ」



今年は二度目なので、新代の歌乞いの魔物が薬の魔物にしては美麗過ぎると領民達がざわつくことはなかった。


その代わり、今年の領民の達の視線を釘付けにしているのはエーダリアの襟巻きから、肩乗り食いしん坊に転職しつつある銀狐だ。

時折エーダリアからお料理のお裾分けを貰ってふりふりと尻尾を振っており、その度にあちこちから至福の溜め息が漏れているので、ネアも属する毛皮の会的な仲間達があちこちにいるのだろう。



「ネア、豚肉とチーズのやつ食べた?アルバンのバターと蜂蜜で焼いてあって美味しいよ。僕これ好き!」

「そ、それはどこに………!!」

「ああ、これか?お前が気付かずにこっちに回した皿にあったやつだな」

「なぬ!豚肉チーズ様………」

「残念ながら、この三枚で終いだ。諦めろ」

「………三枚も隠し持っておいて、分けてくれないのですか?」

「ほお?そんなに欲しいのか?」


こちらを見たアルテアは、魔物らしい妖艶な微笑みを浮かべた。

これだけ人々の注目を集める場であるので微かに擬態はしているものの、本日のアルテアは統括の魔物としての参加だ。

もっとも、統括の魔物がこのような場所に最初から最後までいること自体異例なのだが、参加する立場上、白持ちであることは隠していない。



「………ここに、私の分が迷い込んでいたようです」



そんな白を隠さずどこか意味ありげに暗く艶やかに微笑んだアルテアだったが、ネアはすっと冷ややかな目になると、がすっとアルテアのお皿の豚肉にフォークを突き立てた。

そのまま豚肉を奪うと、唖然としているアルテアが取り返しに来る前に、冷たい眼差しでもぐもぐと食べてしまう。



「ご主人様がアルテアに浮気する…………」

「ディノ、今のは、お食事を与えたり貰ったりする行為には該当しませんよ?ただの、誤配事故なのです」

「誤配事故…………」

「はい。私のお料理が迷子になっただけなので、通常のそれとは条件が違いますからね」

「そうなんだね」


ディノは驚いたように目を瞠ってから、こくりと頷いてくれたが、豚肉の略奪に遭った魔物は呆れ顔だ。



「そんな訳あるか。お前は、食い気で危ない橋を渡り過ぎだぞ」

「む?よく聞こえませんでした。そして、次はそこにある鮭とセロリのお料理を食べるのです」

「そうだな。その意味が分かってるなら好きにしろ」

「アルテアなんて……………」

「ふむ。今日ばかりはその通りです。美味しいお料理をアルテアさんに独り占めされないよう、決して心を許してはなりません!」

「何でだよ」

「そして、こやつは何でしょうか?」



ネアがフォークにぷすりと刺して眉を顰めた食材は、小さな小さな黄色いプチトマトのようなものだ。

ディノも何だろうかと首を傾げているので、割と大雑把な人間はそれをぱくりと食べてしまった。



「おい………?!」



ぎょっとしたようにこちらを見たアルテアに、おやっと眉を持ち上げたところで、ネアはびゃっと椅子の上で飛び上がった。



「ふぎゃ!!かりゃ、………かりゃい、辛いです……………」

「ネア、ほら水があるよ?」

「ふぎゅう…………」



慌てたディノにきりっと冷たい水を貰ってなんとかその場凌ぎはしたが、ネアはぴりぴりする舌を口の中で強張らせたまま、お皿の端にある黄色いプチトマトもどきを睨んだ。


どこか遠くでご主人様がというざわめきが聞こえた気がしたので、ネア以外にも何か事故に見舞われていた参加者がいたのだろう。

失態が目立たないように重なってくれて幸いだと、ぴりぴりする舌を持て余しつつ苦く感謝する。



「おのれ…………」

「それはマスタードの祝福の実だ。マスタードを作る際に上等なものが出来るとその証拠に、その瓶の上に稀に実る」

「…………外見詐欺なのです。ちょびっとだけをソーセージと食べたら美味しかったに違いありません」

「………ったく。がっつくからだぞ」

「むぐ!」


呆れた使い魔が、ネアの顎をひょいっと掴んだ。

何をするのだと唸ろうとしたネアは、舌のぴりぴりがすっと引いたことに目を瞠る。



「ほわ、辛いのが吹き飛びました………」

「そのままにしておくと、お前は煩いからな」

「む。理由は釈然としませんが、有難うございます」

「これを食べてみるかい?」


使い魔にご主人様の治癒をされてしまったので、焦った魔物は美味しいミートボールの煮込みを取ってくれた。

黒すぐりのジャムと合わせて食べるお酒の風味強めのクリームソースのもので、ウィームの冬の定番料理だ。

ネアはすぐさま元気を取り戻し、ミートボールを攻略することにした。



「むぐふ。美味しいいつもの味です。こうして目新しいお料理と、いつもの安心の美味しさを交互に食べるのは堪りませんね!」

「可愛い………」


頬を押さえてうっとりとするネアに、隣の魔物はもじもじしながら膝の上に三つ編みを投げ込んで来た。

先程から何度かやられているが、お食事中なのでネアは無慈悲に投げ返す。



「ネアが虐待する…………」

「公の場と、お食事中はいけません」

「可愛いことばかりしておいて、危ないだろう?」

「言葉の流れが謎めいているのです」

「おい、勝手にこっちの皿から食べ物を取るな」

「む?アルテアさんのお皿だったのですか?」

「白々しいぞ………」



少し離れた位置では、エーダリアに挨拶をしている地方伯の姿が見えた。

一緒にいる娘さんと思しきご令嬢は、頬を染めてエーダリアに新年のご挨拶をしたが、美麗な独身の領主を意識する年頃の少女にも効果絶大なのか、視線がちらちらと銀狐に逸れてしまっていた。


彼女達がはけて行く際にはこちら側も通るので、ゼノーシュは早くも厳戒態勢だ。



(ダリルさんはいつも、こちらで少し飲んで代表的な地方伯のご挨拶が終わると、お弟子さん達のテーブルに………)



ちょうどその場面を目撃し、敬愛する書架妖精が訪れたことに大はしゃぎするテーブルが見えた。

先程から気になっていたのだが、給仕の中には、ダリルの手配なのか面識のあるウォルターの姿も見え、給仕されたエーダリアも複雑そうだ。


(リーベルさんは公にダリルさんの周囲には顔を出さないそうだけど、私が知らないだけであちこちの貴族の子弟が給仕をしてくれているのだとか………)


そんな光景に、ネアは微笑みを深める。

みんながこぞってご挨拶に来る程に愛されている領主なエーダリアと、あのダリルの熱烈な信奉者達がいるだけで、このウィームはどれだけ心強いだろう。


グラストのところにも退役した騎士達や、グラストに憧れ騎士を目指す息子を連れた貴族のご家族が挨拶に来ており、ヒルドの前には彼らの屋敷の代理妖精達がこれまた謁見かのように丁寧に頭を下げてゆく。


大事な人達が慕われるのは良いことだと、幸せな気持ちでいた時だった。



「…………なぬ」

「本年も、どうぞよろしくお願いいたします」


視界が翳ったと思って視線を戻したところ、神妙な顔をした美しい人外者にそう深々と頭を下げられていた。


期待に満ちた眼差しでちらちらとこちらを見ていて、とても怖い。

隣でディノが小さく息を吐くのが分かったので、ネアはみんなの前で叱ってしまわないように、テーブルの下で手を伸ばしてディノの手を掴む。



「す、すまなかった!ジゼルと話している間にこちらに逃げ出してしまったようだ」


幸いにも、すぐさま駆け付けてきた懐かしいトナカイの魔物が、そんな青年を慌てて連れ戻してゆく。


「お騒がせいたしました」


その隣で、一緒にニエークだと思われる青年を拘束する手伝いをしているのは、ネアが初めて見る男性の竜だ。



(……………すごい、格好いい!)



少し癖のある短い髪は白にも見える淡い水色で、瞳は檸檬色の虹彩模様のある鮮やかで強い水色だ。

すらりと背が高く、騎士のような装いで白銀の甲冑姿に真っ青なケープを羽織っていて、所謂ところの物語に出て来る騎士王のような麗しさと清廉さがある。



「珍しいね。氷竜の騎士だ」

「…………まぁ。思っていた竜さんと違います」

「そうなのかい?」



ネアがじっと見ていたので気になったのか、ディノがそう教えてくれた。

竜なので少し心配そうだったが、ネアが露骨にがっかりした様子を見せると、少しほっとしたようだ。



「氷の竜さんがいると聞いて、もっとごつごつとげとげしているのだと思っていました。葡萄の妖精さんもつぶつぶしていませんし、なんということでしょう………」

「………ごつごつとげとげ………」

「氷感が足りないのです。残念ですね…………」



その時、貴賓席の入り口の方で誰かが驚き叫ぶ声が聞こえてきて振り向くと、先程の竜の男性がばたりと倒れていた。

他の竜達が、口々に隊長と呼びながら右往左往している。



「………持病か何かでしょうか?」

「どうしたのだろうね」



そんな彼に取り縋っているのは、氷竜の騎士達のようで、ニエークとオルガは、なぜか慄いたような眼差しでこちらを見ているようだ。



「救援が欲しいのでしょうか?」

「給仕達の中にも優秀な魔術の使い手がおりますし、そもそもあちらは高位の方々の席です。ご心配の必要はないかと」

「ヒルドさんの言葉で安心しました。…………なぜにエーダリア様は私を見ているのでしょう?このグラタンは差し上げませんよ?!」

「いや、………そうではなくてだな。……まぁ、知らなくて良さそうだな」

「む?」

「あの氷竜も哀れなことだ…………」




その後は誰も倒れず、新年のお祝いは特に大きな事件もなく、無事に終わったようだ。


ネアは広場の奥の方で、イーザ達と楽しげにお喋りをしているザハのおじさま給仕を見た気がして、何だかいいものを見た気分でこっそり微笑みを深めた。

好感を持つ知り合いと知り合いが一緒にいるとなぜか勝手に嬉しくなるのは、身勝手な人間らしい喜びなのかもしれない。



(やっぱり、………私は、私が出会ったこの、ウィームが好きだわ)



賑やかな広場を見回し、ネアはあの炎の夜の上にこれだけの平穏が築かれたことに、心から感謝した。

その幸福がいつかのように容易く奪われるものではなく、こうして守りたいと思っている人々がたくさんいるに違いないということに、あらためて胸が熱くなった一日だった。






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