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ルディガエルの鋏と家族の温度



「……………はぁ」


廊下の端の所で、深い溜息を吐いて窓の外を眺める。

悪いのは自分なのだ。

それは分っていた。


魔術の呪いや悪変は非常に厄介なもので、どれだけ警戒をしてもし過ぎることはない。

調整を得意とする魔術に恵まれても、それだけは心がけているつもりだった。

あの赤い封筒はそういう効果などを遮蔽する特殊なもので、封鎖の魔術を上から重ねてかけ、関心などを惹かないような禁術の効果も重ねてあったぐらいだ。


だがそんな呪いの残滓は、ガレンからの勿忘草の魔術に反応してネアを呑み込んでしまった。


彼女がこの世界において不安定な存在であるということは問題ではなく、今回のことはひとえにエーダリアの管理不足と慢心にある。

防げた筈であるし、こんなつまらないことで不死の祝福を使わせてしまったのだ。



(ディノは、何も言わなかったな…………)


本当はもっと言葉を尽くして謝罪するべきだったのだが、何を言っても保身の為になりそうで上手く言葉を選べなかった。

だが、言葉を選ぶと言うことは誠意そのものでもあるのだから、そのような時にこそ、そう思われてしまうことも覚悟の上で言葉を尽くして謝罪するべきだったのだ。



「エーダリア様、そちらは壁ですよ」

「わかっている。きちんと歩けて………っ」


ごすりと壁に腕をぶつけ、角を上手く曲がることさえ出来なかった自分のふがいなさに情けなくなった。

そろりと顔を上げて振り返れば、呆れた顔のヒルドがすぐ側に立っている。


「…………すまなかった」

「いえ。今回のことは、あなたの性格を把握しきれていなかった私にも責任がありますからね。それと、ディノ様はあなたを責めようとは思われないそうです」

「そうか、私の言葉が足りなかったせいで、お前に謝罪をさせてしまったのだな」


ますます情けなくなってそう言えば、かつて師であった頃の目をした妖精は微笑んだ。


「幸いにも、それはそのままあの方の本心のようです。どれだけここで共に暮らしているとは言え、ディノ様は魔物に他なりません。ましてやネア様がご不在の今、不愉快に思うものを許すとは言わない気質の方です」

「だとすればそれはよりいっそうに、私は自分の責を自覚せねばならないな」

「ええ。その通りですね。そして起こってしまったことは取り返しがつきません。今、なさるべきことに無駄な時間をかけませんよう。私の方では、あの郵便妖精にいつもとは何か違うことや、何か気にかかることがなかったのかを聞いておきます。因果の方の助力があると良かったのですが、レーヌの件などもありましたから、偶然ではなく仕組まれたこととならないよう、念には念を入れて調べておかねば」

「悪夢などの扱いに長けている魔術師はガレンにもいるが、誰よりもそちらの魔術に長けていた魔術師が一人いる。私は、ダリルに連絡を入れた後は、グエンに相談してみようと思う」

「……………成程。あの方はかつて、ここではないどこかという隔離地やあわい、悪夢などの研究をされていましたからね」

「ああ。死者の国に行っても尚このような要請をするのは情けない限りだが、手を尽くすというのが今の私のするべきことだからな」


ヒルドは一度、エーダリアの肩に手を乗せぎゅっと掴んでから廊下を反対側に歩いていった。

彼は犯した罪や失態には厳しい男だが、その上で庇護した者の手を決して離しもするまい。

過去に幾つか、忌むべき選択や、愚かな選択をした。

その時もいつも、彼は必ず立ち去り際にあのように肩に手を置いてくれたのだった。


(妖精が、庇護をした者の手を離すことはないと言う)


そう言われているが、決してその通りではない。

妖精とて気紛れに友人や仲間を見捨てるし、長命な者達はそれ相応の判断を下し愚かなものを切り捨てる。

だからこそ感謝せねばならないその一線で、幸運にも自分はヒルドが決して見捨てない存在になり得たのだ。



(ヒルドは、まだ一度も自分の恐れを出してすらいないではないか)


羽の庇護を与えた女性が生き返ったとは言え、殺されてしまったのだ。

そんなヒルドが踏み堪えているのに、エーダリアがここで無様に悩んで時間を無駄にする訳にはいかない。

ふらふらしないようにと自分を叱咤し、出来るだけ早く執務室に帰るとダリルに一報を入れた。



「この馬鹿王子!!!」


勿論、ダリルはすぐにこちらにやって来て、容赦なく頭を叩かれる。

事態の収拾に全力を尽くす前に首がなくなりそうな勢いだったので、エーダリアは首を押さえて無言で項垂れた。


「…………自分がどれだけ愚かなのかは、痛いほどに思い知らされた。その上でお前に負担をかけるのは…」

「まったくだ。ディノが怒ってないのが幸いだったね。万象を怒らせたとなったら、ありったけの悪質な呪いをネアちゃんにあげて宥めて貰うしか手がなくなるところだったよ。私にだって、温存して自分だけの技術にしておきたい呪いはあるんだ。はー、危うく術式貧乏にされるところだったよ」

「…………ダリル」


うんざりしたようにそう言うくせに、ダリルが言っているのは、自分事として今回のエーダリアの失態の責任の一端を背負うということなのだ。

思いがけない言葉を聞いてしまったことで一度目を瞬いてから、そこに触れられることをこの妖精は好まないだろうと思って、そのことには触れないようにした。


「…………そうだな。お前の手持ちの魔術を削ってしまうところだった。すまない」

「詫びる気持ちがあるんだったら、きちんと働きな。今回の問題の対処は勿論、今回のことで意気消沈して、他の仕事でも粗相をするんじゃないよ」

「粗相………。そうだな、その通りだ」



ダリルはその後、エーダリアの執務室の机に腰かけたまま、あちこちに指示を出していた。

ドレス姿で机の上に胡坐をかかれてしまうと複雑な気持ちであったが、不思議なことに同じ部屋で同じ問題に対処する誰かがいるというのは、どこか安らかなことであった。


グエンとのやり取りで幾つかの情報を得て、エーダリアはその情報を分りやすくまとめる。

ふと思い出して幾つかの魔術書を持ってくると、内容を擦り合わせて小さく声を上げる。


「そうか、縁切りの魔物がいたのか!」

「ん?去年ネアちゃんが捕まえてきたやつ?」


思わず声を上げてしまったエーダリアに、ちょうど通信を切ったところだったダリルが振り返る。

真っ青な瞳は相変わらず澄明で、落ちるまつ毛の影も深い。

この妖精が男性だと知っても尚、エーダリアはこれだけ美しいと感じるものを他に知らなかった。


勿論、ネアが来てから知り合うことになった白持ちの魔物達の方が美しいのだが、人間の知覚出来る範囲で、単純に美しいとだけ言える温度のある美貌は、妖精特有のものだ。

魔物の美貌にはどうしても微かな畏怖が含まれてしまい、気安く感嘆しにくい。


ノアベルトはその限りではないが、今度は狐の印象が強過ぎてそちらに引っ張られてしまう。



「ああ。あの時に狩ってきたものを、保管したままだったことが幸いした。これは縁切りの薬になるからな。悪夢や呪いの中に縛り付けられている箇所が分れば、その部分を縁切りの魔物の魔術を浸透させた鋏で切ればいいのだそうだ。悪夢そのものの中心を見付けられなかった場合、その鋏をどうにかして悪夢の中に届けることが出来れば………」

「まぁ、ネアちゃんはそういう勘は鋭い方だし、あの子に渡しておけばどうにかするだろう。………悪夢の中に品物を届ける方法か。…………ここはやっぱり、ディノ達に夢の魔物を捕まえて貰うのが良さそうだね」

「その魔物であれば、中に入れるのだろうか?」

「まず間違いなくね。………本当は、悪夢や呪いを断ち切る鋏としては、ルディガエルの鋏が最良の道具とされる。あの鋏は、その悪夢や呪いの切るべきところも示してくれるからね」

「………その鋏は、誰が持っているのだ?」

「とある商人が、あこぎな商売をするせいで始終呪われるからって特別に作らせて持っていたんだけどね。十年程前に誰かの呪いがやっと成就して、魔物に食われて死んだらしい。それ以降、その鋏も行方不明さ」

「………そちらの方が良ければ、グラストに頼んで、ゼノーシュに探して貰うことも出来るが」

「うーん。そうだね。その鋏も同時に探しておいて、間に合えばそっちを悪夢の中に送り込もう。後は、ディノがどれだけ夢の魔物に圧力をかけられるかどうかだね」



なお、この夢の魔物に関しては、終焉の魔物がかなりの圧力をかけたようだ。

ネアが呪いに落ちたその地点から潜るのがいいということでリーエンベルクを訪れた夢の魔物は、ふわふわの子鹿姿が不憫になるくらいがたがたと震えていた。


ディノを見て震え上がり、ウィリアムを見て倒れそうになりと、姿が姿なだけに不憫になるが、アルテアのことはあまり好きではないのか、どこか顔色も機嫌も悪く立っているアルテアの方を見ると、キヒッという奇妙な声を上げて笑っている。



「いいかい、ドーミッシュ。私の守護もあるから、捜索には同行するよ」

「プリュ!」

「細かな魔術異変の捜索などには向いているそうだから、アルテアも一緒だ」

「………………プリュッキュ」

「確かにそうかもしれないが、彼はネアの使い魔だからね」

「キヒッ」

「やめろ。お前が残響にろくでもないものを分け与えたせいだろうが」

「プリュ、プリュキュ」

「言っておくが、俺は残響に手を出したことは一度もないからな」

「ドーミッシュ、アルテアで遊ぶのは後にしようか」

「プリュ!」


そこで夢の魔物は、そろりと振り返って垂直に飛び上がりまたしてもがたがたと震え出した。

どうやら、ウィリアムと目が合ってしまったらしい。


「向こうにノアベルトしかいないのが不安だからな。一秒でも早く、シルハーンをネアの所にお連れするように」

「プリュ!」


短い足で敬礼のようなことをすると、小さな足の短い鹿にしか見えないその魔物はくるくるとその周辺を回り出した。

ふと、その尻尾のあたりから、妙な細い糸が伸びているのが気になった。



「あれは何かが引っかかっているようだな。邪魔なら切ってやったらどう…」

「プリュギュ?!」


しかし、ネアの救出に何かがあってはいけないからとそう提案したエーダリアに、夢の魔物はじわっと涙目になると、さっとディノの足の影に隠れてしまった。


「ああ、あの糸がないとドーミッシュは存在出来ないんだ。不始末があれば切ってしまってもいいかもしれないな」

「プリュギュッ?!」


ウィリアムにまでそんなことを言われてしまい、小さな鹿はどこか必死の眼差しで悪夢の呪いを掘り返し始めた。

ノアベルト曰く、今回は悪夢と残響が結びついているので、夢の魔物も簡単にはその奥に降りられないらしいが、小さな足で必死に地面を掻く姿を見ているとどこか不憫になってしまった。



「無事に戻ってきたら、馬用の上等な飼料でも……」

「ありゃ。エーダリア、ドーミッシュは人間と同じものを食べるからね」

「そ、そうなのか。すまなかった………。てっきり、草などを食べるのかと」

「エーダリア様………」


ノアベルトとヒルドは呆れていたが、幸いにも本人には聞こえていなかったようだ。

ほっとしているその間に、魔物達は暗く立ち上がった悪夢の織りに飲み込まれ、あっという間に姿を消してしまった。



「無事に迎えに行けたみたいだね」

「あのお二人が行けば、ネア様も安心でしょう」

「ヒルド、あちらの僕だって一緒にいる筈なんだけどなぁ」

「勿論、あなたがいてくれたからこそ、私はこうして平静にいられるのですからね」

「…………うん」


そう話しているヒルドとノアベルトを横に、エーダリアは魔物達が消えた一画を見つめ、へなへなと地面に蹲った。

自分でも情けないことだったが、無事に救援の手が及ぶ運びになり、安堵に気が緩んだのだろう。



「何、雪の上に座ってるんだい。馬鹿王子」

「…………早く無事に帰って来て欲しいものだ。本人に謝罪しなければ、落ち着かない」

「帰ってきたら、ちゃんと謝るんだよ。ネアちゃんを他の土地に取られたら、ウィームの大損失だ」

「ダリル…………」

「それにしても、ルディガエルの鋏をアルテアが持ってたとはね。それもありゃ、後はもう昼寝でもして待ってられるってもんさ」



そう言って笑いながらダリルは帰ってゆき、エーダリアは呆れた目をしてこちらに歩いて来たヒルドに腕を掴んで立たされた。




「気を抜くのはまだ早いですよ。ネア様がお戻りになるまでは、まだ終わっていないのですから」

「そうだな。………ああ。気を引き締めて帰りを待つこととしよう」

「それまでの時間に、ザルツの予算資料を見られるといいでしょう。あの街は昨年から、いささか観光業に無駄な予算を使い過ぎですね。あの父あってあの子供という感じもしますが、金銭感覚が破たんしている割には、政治的な手腕だけは狡猾なあたりが頭の痛いところです」

「そ、そうだな…………」


奇しくもこの時期に予算資料を出してきてしまったザルツは、かなり厳しい査定を受けたようだ。

領民の害悪とならない限りは多少狡猾でも構わないのだが、ザルツを任されている伯爵とヒルドは折り合いが悪い。

過去に何かがあった訳でもなく、単純に性格の不一致である。

ネアがまだ一度もザルツにしっかりと滞在していないのも、ヒルドがさり気なくザルツの仕事を排除しているからなのだが、いずれはそちらにも行くことになる筈だ。

その時にはまさかとは思うが、ヒルドも同行するのだろうか。



(…………これから、か)



ふとした時に、これからのことを考える。

それはまるで家族のことを思うように、そんな奇妙な深さをもって思う、確固たる未来。

それについて考えれば、今回のような事件が起きても尚、エーダリアはその中の誰かが欠けてしまうことなんて、一度も考えはしなかったのだと思い至る。



そんなことをあらためて感じ、ほんの少しだけ口元を緩めた。



王都の暗い部屋で、あの母親の柩の置かれたがらんとした大聖堂で、この先もずっとこんな場所に居るのだろうかと考えた幼い日。

このウィームに戻ることが出来たその後も、まだ背負うものは大きく重く、ただの安堵とはまた違う緊張も感じたものだ。



(だが、それが今はどうだろう)



リーエンベルクやウィームについて考えるその時、エーダリアはまず人の姿を思い浮かべるようになった。

ここで何かがあったら連れて逃げるよという塩の魔物に、決してそれを頭ごなしに止めずに微笑んだ妖精がいる。

困ったことに、ネアも同じようなことを言うのだ。



その少女が来てから、エーダリアは随分と贅沢になった。



(だからこそ、…………どうか無事に戻ってきてくれ。早く、ここをいつものリーエンベルクに戻してくれ)



それがいつものという認識になってから、また一年程度ではないか。

それなのにこの賑やかさが、エーダリアはずっと続くような気がしてならない。



「………帰ってきたら、暫くは鶏皮はネアに譲ろう」

「エーダリア様………」

「ネアが早く帰って来ないと、騎士棟の厄除け帰還祈願が終わらないしね。朝晩祈るから結構怖いよあれ」

「騎士達も必死なようですよ。ネア様がご不在にされたその翌日には、騎士が一人、毛玉の精に襲われて負傷しましたからね」

「…………ありゃ、それで必死なのかぁ」

「厄除け帰還ということは、ネアは厄除け扱いなのだな」

「みたいだね…………」



何とも言えない気持ちで後ろの騎士棟の方を振り返った。

ネアを失いたくないのは、彼等も同じ気持ちであるらしい。



(今、お前の魔物が迎えに行ったからな…………)



そう心の中でネアに呼びかけ、エーダリアはヒルドとノアベルトと共に屋内に戻った。











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