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224. 生き返ったのは初めてです(本編)



ぱちりと目が覚めた。


「………………むぅ」


何だか初対面の槍を持った赤い人に殺されてしまう夢を見たぞという気分で眉を顰め、ネアは寝台の上にもそもそと体を起こす。


背中の後ろにふかふかの枕を突っ込み、何となく不安になってディノの指輪と首飾りがあるかどうかを確認した。

その両方があることに安堵してから、自室で寝ていたのにどうして首飾りをしているのだろうと目を瞬く。



「……………私のお部屋ではありません」



そこは、見たことのない美しい部屋だった。


柔らかな早朝の光を帯びて、部屋の全てがくすんだ白に細やかに光っている。

砂糖菓子のような不思議な色合いに目を瞬き、ネアはかつてこんな色のお城を見たことがあったような記憶に、首を傾げた。



「やぁ、目が覚めたね」


そこに、扉のない続き間から入って来たのはノアだ。

見慣れた魔物の姿にほっとしかけて、ネアは目の前にいるノアの髪の毛が短いことに困惑する。

首を傾げたまま固まっていると、微笑んだ塩の魔物は遠慮なくネアの寝ていた寝台の端に腰を下ろした。


「顔色もあの後にしては悪くない。………手を借りるよ。………うん、体温も低すぎたりはしないようだね。まだ寒いかい?」

「…………ノア、ここはどこでしょう?ノアのお城ですか?」

「うん、そうだよ。君が譫言みたいにしてウィームを離れる訳にはいかないって言うから、ひとまずウィームの中にはいる。シュタルトの城の一画なんだけど、地下の岩塩坑でも統一戦争の影響が出たみたいでね。この城の一部の区画は封鎖せざるを得なかった。でも、ここはもう安心だから怖がらなくていいよ」

「統一戦争…………」


ネアがその言葉を呟けば、ノアは少しだけ困ったような顔をした。

黒いパンツに白いシャツを簡単に羽織っただけの姿で、そんな簡素さがノアの容姿に良く似合う。

ネアの良く知っているノアより、短髪の今の姿の方がどこか男性的で魔物らしい雰囲気に思えた。


(そうか、ここはまだ悪夢の中なんだ…………)


そう考えると昨晩の炎の色が蘇り、ネアはぶるりと身震いした。


「君達は違う言い方をしていたのかな。統一だなんて言葉は、確かにヴェルリア側の言葉だろうね」

「………良く分らないので、統一戦争でいいのです。………ノア、ええと、………私は…………」


どう尋ねたものかと困って言葉を彷徨わせたネアに、ノアは微笑みを深めるとネアの頭を撫でた。

ふかふかの枕がたくさんある寝台に上半身を起こしているので、ぐりぐりと頭を撫でられると枕に沈んでしまいそうになる。



「リーエンベルクの転移の間に、僕が駆けつけたんだ。君は、…………意識を失っていたから、そんな君をあの場所から連れ出して運んだんだよ。君がいたのが転移の間で良かった。幾つもの魔術のしかけをすり抜けて、幾つか厄介な結界を壊したりしたけど、それでも一番壁が薄くて入ってすぐのところがあの部屋だったんだ」

「…………だからだったのですね」

「うん?」

「エドモンさんに、………灯台の妖精さんに、他にも精霊さんや妖精さんの道があるものの、私にとっての導きの道が繋がっているのは転移の間になると教えて貰ったのです」

「灯台の妖精かぁ。彼等は導き手としては優秀な生き物だ。運命上の道や羅針盤を持たない相手のことはどうにも出来ないけれど、君はそういうものを持っていたんだろうね」


清潔で静かな部屋にいると、あの炎の向こうから聞こえてきた彼の名前を呼ぶ声が耳の奥に蘇る。



「ノア、………その、あなたの大事な歌乞いさんは、………」

「ん?僕の歌乞いならここにいるよ?」

「………そうではなくて、ノアが大切に思っていた、リーエンベルクの歌乞いさんは、……その、亡くなってしまったようです。私もお話を聞いただけなのですが………」


ネアがそう言えば、ノアは青紫の瞳を瞠って首を傾げた。


「僕が知っているウィームの歌乞いって、君だけなんだけれど?」

「なぬ。…………その、言いたくないのですが、私は諸事情で前回ノアにお会いした時ぐらいしか、こちらに居なかったので、ノアがリーエンベルクの歌乞いとして認識しているのは、別の方なのでは………」

「…………もしかして、君の本名はネリシアじゃない?」

「ネリシアさんは、別の方だと思われます。確か、リーエンベルクの歌乞いさんで…」

「ええっ、」


ノアも驚いたが、ネアも驚いて固まってしまった。

二人は暫し見つめ合い、その後にほぼ同時にまた首を傾げる。


「君も、リーエンベルクの歌乞い?」

「ええ。たいへん説明しにくいのですが、私もそうではあります。ただ、こちらでリーエンベルクの歌乞いさんと言う方は、ネリシアさんしかいないのです」

「…………わーお。ってことは僕は、知らない女の子にあれこれ合図を送ってたんだ」

「…………むむぅ」


ネアは少しだけ首を傾げたまま考えた。


となると、塩の魔物の悲恋とされて後世にも伝えられているのは、ノアがラベンダー畑で出会ったことのあるネアに向けて、また遊ぼうぜ的なメッセージを送っていたという事象だったのだろうか。

この場合、全くの見ず知らずの魔物からそんなことをされ、ネリシア嬢はいたく困惑したであろう。


「…………じゃあ、昨日は偶然こちらに来ていたのかい?」

「はい。良く分らないのですが、呪いかなにかに触れてしまい、危ない状態にあるリーエンベルクにぽいっと入れられてしまったのです」

「………君の契約の魔物は?その指輪、君が眠っている間に見たけれど、随分白いね。僕の知っている誰かじゃないと、そこまで白い指輪は贈れないんじゃないかなぁ」

「あら、出会った時からこのくらいの白さでしたよね?」

「あの時はね、虫よけに指輪を白く見せる技術もあるから、その手の牽制だと思ってたんだよね。でもどうやら違うようだ。………その魔術の気配は、何だか知っている気がするんだけど…………ネイ?」



そこでノアは、ぎょっとしたようにじわりと涙ぐんだネアに慌ててその顔を覗き込む。

どこか怜悧ですらある美貌の魔物がおろおろする姿は奇妙でもあったが、ネアの知っている優しいノアと同じような瞳の色をしている。


「………この指輪も、失くしてしまったり、取られてしまったのかと思ったのです。…………転移の間で、指輪があるのに怪我をしたような気がして……」


大事な指輪をそっと撫でてそう言えば、ノアはどこか諦観の滲んだ淡い微笑みを浮かべる。

その透明さと温かさにはっとしてから、ネアは今はもう見慣れてしまった青紫の瞳を覗き込んだ。



「君を殺したのは、火竜の王だ」



その遠慮のない事実に、少しだけ強張った表情でネアは頷いた。


ネア自身も、ただの怪我や意識喪失とは違う、圧倒的な終わりの何かを感じたあの瞬間、確かに自分は死にかけていたのだと思う。


あの時、何かが壊れる音を聞いた気がしたのだ。



不思議なことに、直感的に自分は一度死んだなと分かった。



「………やはり私は、あの時に一度死んでしまったのですね?」

「君の守護はかなりの分厚さだけど、火竜の王の槍は特殊なんだ。あの槍は、一人の対象に限り一度のみ守護や結界ごとその相手を殺すことが出来る道具なんだ。火竜の前王だった子が、終焉の魔物の影や足跡を紡いで、火の精霊を一人生贄にして作ったものだからね」

「………ものすごく嫌なものな気がします。なぜにウィリアムさんは、そんな危険物を放置するのだ」

「ありゃ。ウィリアムを知ってるのか。………もしかして君は、ウィリアムの近くにいる誰かと契約しているのかい?」

「ええ。ウィリアムさんは、私の魔物と仲良しなのです!」

「ふぅん、そういうことか。ってことは、……あの辺なのかな。………ネイ、もしかして、僕よりもウィリアムに迎えに来て欲しかった?」


身を乗り出して、そう囁いた魔物は、ひどく魔物らしい艶やかさで仄暗い目をしていた。

ネアはおやっとそんな魔物を見上げ、ふるふると首を振る。


「諸事情により、今のウィリアムさんは私を知らないウィリアムさんなので、ノアでなければ駄目だったのです。………ノア、助けに来てくれて有難うございました」


僅かな沈黙が下りた。

目を丸くしてその言葉を聞いたノアは、なぜか困ったように視線を彷徨わせた後、すとんとお行儀よく座ってしまうと目元を染める。


「………君は悪い女だね」

「なぬ。なぜなのだ」

「それと、君を殺したあの火竜の王は、殺しておいた」

「……………まぁ」


ネアは、おぼろげな意識の中で見上げたノアの姿を思い出した。

今は小綺麗になってしまっているが、あの時のノアはずたぼろで血を流していたような気がする。



「………もしかして、その時にノアも怪我をしたのでは……?!」

「えっ?!ちょっ、ちょっと……………」


慌ててノアを捕まえると、ネアはその腕や肩を手ですりすりして怪我の痕跡を探す。

驚いてしまったのはノアで、慌てて少しだけ逃げると、もう傷は治してしまったのだと教えてくれた。

若干怯えているので、ネアはむぐぐっと眉を寄せる。


「そりゃ、相手は火竜の王だからね。僕もその時は無傷じゃ済まなかったけど、今はもうこの通りだよ」

「…………むぐぐ。ノアに何かがあったら困るのに、そんな無茶をしてくれたのですね?」

「勿論だよ。僕にとって、君は大事な女の子なんだ。それを、あんな風に傷付けられて、どうしてあんな竜を生かしておけるだろう。少し抵抗されたけれど、楽に死なせてやるつもりもなかったからね。………でもさ、君にかけられた何かが、君を生き返らせてくれたんだ」

「ノア…………」



それはきっと、凄惨なことになったのだろう。


ネアの記憶の中にいるあの火竜は、どこか悲し気で決して悪い人には思えなかった。

殺さねばならないのが彼等の約定で、それはネアにとっては酷いことであれ、きっと彼等にもきちんとした理由があるのだ。

でも、きっと心の綺麗な人間であれば悲しめる筈のその事実にも、なぜだかネアはほっとしてしまった。


そしてそんな己の意地汚さに悲しくなる。

戦争を憎んで人を憎まずと言うが、憎んですらいないあの火竜が死んでしまったと聞いて、ほんの少し安心すらしてしまったのだ。



「ネイ?」

「…………あの方は、見ず知らずの私を憐れんでいました。それなのに私は今、ノアがあの竜さんを滅ぼしてしまったと聞いて、顔を見られた方がいなくなったことに安堵したのです。そんな自分が情けなくて悲しくなりました。……あの方にだってきっと、大事な方や家族がいたでしょうに」

「人間は変なことで自分を責めるんだね。………あの竜をむごく殺した僕を、おぞましく思ったりもするのかい?」

「いいえ。魔物さんと我々人間の倫理観は違います。だから、ノアはそれでいいのだと思いますし、有体に言えば、怖い人を滅ぼしてくれてとても安心したので、頼もしい命の恩人なのです!」

「ありゃ。それなのに君は、自分が高潔じゃないことに落ち込むのかい?」

「…………ふぐ。私は、とっても大切な私なのです。だから、見知らぬ誰かの不幸に安堵してしまう自分も嫌いではありません。………それでも、人間という生き物の倫理観上は、そんな自分が情けないのでした………。でも、私とて殺されてしまったのは初めてなので、意地悪なことを考えてしまってもいいのでしょうか……」

「うん。そうだよね、怖かっただろう。意地悪でも不謹慎でもない、当たり前の安堵なんじゃないかな?」


ノアはそう慰めてくれたが、ネアにとってこの戦争は自分事ではない。


まず真っ先にそのことを踏まえた上で、ネアは本当なら、あの火竜の王の死に安堵なんてするべきではない。

彼は悪夢の中の一コマに過ぎず、彼からしてみても、見知らぬ人間を殺す羽目になった上にそのとばっちりで殺されてしまった悲劇なのだ。

しかしネアは、何度冷静に広い視野を持ち、そんな巻き添えの火竜に謝罪の気持ちを持とうと思っても、どうしても心が荒ぶってしまう。



自分の不甲斐なさと、今更ながらに殺されてしまったことへの憤りが湧きあがってきて、ネアはふぐふぐしながらその思いの丈をノアに一生懸命説明した。

話しながらどうしてノアにぶちまけてしまっているのだろうと、今度はノアに申し訳ない気持ちになったが、やはりこれは殺されてしまって動揺しているらしい。



「私が私にとっての最愛なのはともかくとして、こんな私が死んでしまったら私の大事な魔物が、私の家族のような人達が、どれだけ怖い思いをするでしょう。…………私は、一人ぼっちで生き残ったことがあるので、それがどれだけ悲惨なことなのかを知っているのです」


あの時は多分、ジーク・バレットがネアを生かした。


生きながら死に、死に続けながら生き延びたずたぼろのネアが、復讐のその為だけに生きるということを義務的に行い続けることが出来た。


殺す為に微笑み、窺うことで心を動かし、ネアという生き物の命を止めずに回したのは、あの日々があってこそ。

そうして、きっと両親であれば、娘が健やかに生きてゆくことを望むだろうと確信していたことが、ネアを生かした。


(きっと私自身にとっては、あの場で死んでいた方が楽だったのだろう)


引き裂かれた心を抱えて生きてゆくとして、やはり時間はその傷跡の横に新しいものを育てはする。

けれどもそれは、その引き裂かれた胸を抱えて生きてゆくことから解放される訳ではない。



あの苦痛を。

あの孤独を。

よりにもよってこの呪いは、ネアの一番大事でやっと手に入れた守りたい者に味わわせようとしたのだ。



そう考えると向ける相手も分からない癇癪でいっぱいになって、ネアは胸が破裂しそうになる。



苦しくて怖くて悲しくて、わあっと声をあげてとんでもなく酷いことをしてやりたかった。



「…………ネイ、君の家族達は」


しかし、そんなネアを我に返らせてくれたのは、続ける言葉を言い澱み、困ったように頭を撫でてくれたノアだった。



「ノア…………?」

「リーエンベルクは落ちた。僕が火竜の王を殺してしまったせいで、火竜達が怒ってしまってね。王宮の外で捕らえられた王子達も、皆その場で殺されてしまったらしい。ごめんよ。僕があまり派手にやらずにもっと慎重だったら、君の知り合いかもしれない誰かが生き残った可能性も…」

「い、いえ、ノア、違うのです!私はそもそも、この時代のウィームの人間ではないのですよ?」

「……………ネイ?」

「私は、もっと先の未来のウィームで暮らしている人間です。今回は、おかしな呪いにひっかかってしまって、ここに落ちてきたのです」



ネアの言葉に、塩の魔物は目を瞠った。

不審そうな目をされると、見慣れた髪型のノアではなく短い髪をオールバックにした凄艶な魔物らしい美貌にひやりとしてから、ネアはあえていつも通りに振る舞うことにした。



「…………でも君は、少し前に僕に会っただろう?」

「はい。あの時は、知り合いの妖精さんの迷路からあの場所に迷い込んだのでした」

「…………未来?」

「はい。なお、今のリーエンベルクにはノアが大好きな領主様とその代理妖精さんもいて、私達は家族のように一緒に暮らしているんですよ」

「……………僕が?」

「はい!こちらに落とされる前も、私の魔物と、ノアと一緒に遊んでいたのです」

「わーお、刺激的な遊びだね」

「むむ!違いますよ。ボール遊びです」

「え、…………僕がボール遊びって、それは本当に僕なのかな?」

「残念ながら私の知っているノアは、狐さんに擬態していた時間にすっかり毒されてしまい、今やボール遊びの虜に…………」



そう言うとノアはかなり複雑そうな疑いの目をしたが、ネアが真偽の程を疑われないよう、ノアから聞いたノアの話をあれこれしてゆけば、納得出来ることが幾つかあったらしい。

当初の疑わしげな眼差しから一転し、なぜか頭を抱えてしまう。



「…………ノア?」

「君が言ったことが本当なら、僕は愛玩犬みたいに、ボールで遊ぶのだろう?」

「そうですね。…………でもね、私の知っているノアは、いつも幸せだなぁって言ってくれるんですよ。領主様と契約もして、その代理妖精さんとはよくお二人で夜にお部屋で晩酌しています」

「僕が…………?」

「ええ」


ふすんと頷いたネアに、ノアは困惑したように視線を彷徨わせながらも、どこか期待に震えるように瞳をきらきらさせた。

それは意識をして変化させた作り物の魅力的な表情ではなく、彼の内側からこぼれたものに見える。



ネアはほろりときて、そんなノアの頭をそっと撫でた。

このノアはネアのよく知っている塩の魔物とは違うかも知れないが、それでもこのノアから始まったのであれば、完全に知らないノアでもないのだ。



「僕にも、大事なものが出来るのか」

「ええ、しかも幾つもですよ!」

「君の恋人にはならないのかな?」

「ふふ。それはなりません。しかしながら、家族のように一緒に暮らすので、ノアにとっては本当は、もっといいものかもしれませんね」

「それよりいいものを僕は知らないんだ。…………でもね、君は何か、僕の知らない特別なものを僕にくれると知っていた」



寝台の隣に座ったノアは、小さく微笑んだ。

その微笑みはとてもほろ苦く、どこか清々しくもある。



(…………でも、ここは記憶の残響や悪夢のようなものなのだ)



であれば、ネアが元の場所に戻る時に、ここにいるノアはどうなるのだろう?

そう思うと切なくなったので、いざとなったらこちらのノアも連れ帰れないだろうかとネアは考える。

魔術の理がよく分からない人間には、その程度の悪巧みしか出来なかった。



塩の魔物のお城には、清廉な白い光が揺れていた。

全ての面が滑らかではないからか、その光は白く眩し過ぎる無機質な光ではなく、どこか雪明りにも似た優しいものだ。



(昨晩の、あの燃えていたウィームとは違う………)



「きっと、…………この統一戦争がなければ、僕は君の言うことを信じなかっただろうな。或いは信じても、ふーんそれがどうしたの?って適当にあしらったよ」

「……………ノア」

「でもね、僕はついさっきまで、君が死んでしまったと思ってた。……やっと君が僕の名前を呼んでくれてそこに飛び込めば、君は血だらけで倒れていた。………僕が火竜の王を殺している間中ずっと、君はそこで動かなかったんだ」

「春告げの舞踏会で、一度限りの不死の祝福を貰ったのです。恐らくそれで生き返れたのではないでしょうか。それと、…………血だらけとなると、もしかして私はどこかに血を残して」


ぎくりとしたネアのその言葉に、ノアは淡く微笑んだ。


「大丈夫だよ。僕が気付いた時にはもう、君の体は修復されて血もどこにも流れても飛び散ってもいなかった。それがきっと、春告げの舞踏会の祝福だね」

「…………ほっとしました。一度、血を奪われて悪さをされたことがあるのです。その時に、あのラベンダー畑でノアに会ったんですよ?」

「…………それなら、僕はその誰かに感謝しよう」

「まぁ!その方には報復をしましたので、ノアは、この巡り合わせにだけ感謝して下さい」



そう主張したネアに、ノアがふっと微笑みを深める。

それはとても魔物らしい老獪な微笑みで、ネアはほんの少しだけ警戒を強めた。




「ねぇ、僕が君を助ける対価として、一つして欲しいことがあるんだけど」

「………む」

「…………僕を君の家族にしてよ。家族のような存在ってやつじゃなくて、本物の家族に」

「なぬ」

「ありゃ。その顔は警戒してる?………勿論、君に指輪を贈った魔物がいることは承知してる。だからさ、僕はそれとは別の家族にしてくれる?」

「…………それは、お父さんやお母さん、兄弟のような感じのものでしょうか?」

「…………ありゃ。お母さんは嫌だなぁ」

「…………一緒に暮らしているノアはもう、家族のようなものですよ」

「ようなものじゃなく、本物にして欲しいな」

「となると、義兄弟の誓いのようなものでしょうか?」

「…………何か違うような気がするけど、本物の家族になるなら、それでもいいよ」



ネアは少しだけ考えた。

つまりそれは、ネアの結婚式をいつかやるなら、花婿のところまで一緒に歩いてくれるのがノアになるのだろうか。



(何だか違う気がする………)



「………ヒルドさんとエーダリア様はどうしましょう?」

「誰か、先に予約した相手がいるのかい?」

「いえ。皆さんが家族めいているので、どの役割りに誰を当てはめるかで、悩んでしまいました。でも、ノアが家族になってくれるなら、私は嬉しいだけですよ?」

「…………君も?」

「はい。しかしながら、女性の方とのいざこざにまた巻き込まれたら堪らないので、家族になるのであれば、身内権限としてそちらも厳しく取り締まります!」

「…………ありゃ」


ネアは久し振りに心をわくわくとさせ、ノアが家族になることを考えた。



「ノア、私には病気で死んでしまった弟がいました…」

「………なるとしても、僕が兄だと思うけど?!」

「なぬ!すぐに女性に追いかけられてしまう困ったさんなのですから、ここは私が姉として厳しく躾けないと…」

「いいかい?僕は君よりどれだけ長生きしていると思っているんだい?」

「私の魔物もとても長生きさんですが、リボンがいつも縦結びになってしまう、稚い魔物さんなのです」

「……………分かった。ヨシュアだ」

「むぅ。ヨシュアさんではありません!しかしながら、ヨシュアさんもリボン結びは出来なさそうな予感がします………」



(ディノの名前を出してもいいのだろうか?)



ネアには、今のノアがやはり少しだけ分からない。

どうしたものかなと思い、素直にそれを打ち明けた。



「私にとってはもう家族のように一緒に暮らしているノアの印象が強くて、私の魔物が誰なのか言ってしまいたいのですが、今のノアにそれを言っても大丈夫なのかが分かりません」


するとノアは目を丸くしてから、ふわりと微笑んだ。



「ありゃ。………それを僕に言っちゃうってことはさ、君は自分で警戒してるよりもずっと僕を信頼しているんだね」

「…………むむ。ノアは身内という認識が隠しきれないようです」

「…………前に会った時の君とは違う。………君が戻るそこは、本当にいいところみたいだね」



そう微笑んだノアが、不意に身を寄せた。

眉を寄せたネアにくすりと笑い、頬に口づけを一つ落とす。



「絶対に君を帰してあげるよ。そこにいる僕が、統一戦争で君を喪ったと信じている僕なら、もう二度と君を失いたくはないだろう」

「……………ノア」

「さて。………となると、物凄く嫌だけど記録の魔物に会うしかないのか」

「記録の魔物さん?」

「記録の魔物だから、時間軸の歪みや、………悪夢になりえる残響の要を見付けるのに最も長けているのは彼だ」

「そういう方がいるのですね。…………っ、ノア?」



一度普通に頷いてから、ネアはノアが零した言葉の意味に気付いた。

こちらを見て微笑んでいる魔物は、どこか呆れたように微笑む。



「魔術は僕の領域だよ。僕が、君にとってのここが悪夢の残響なのだと気付かないと思ったのかい?………それに、君の魂は随分と淡いしね」

「ノア…………。でも、そうしたら、ここにいるノアはどうなるのですか?その……」

「気にしなくていい。ここは多分、君が元の場所に戻れば消える誰かの記憶の中だ。………多分………いや、それはさて置き、記録の魔物には気を付けるように。彼はね、何でだかよく分からないけど、女の子に死ぬ程モテるんだよね」

「…………間に合っております」

「そう言ってもみんなあいつに引っかかるんだ。僕は大嫌いだね」


そう手を振ったノアが立ち上がろうとしたので、ネアは慌てて手を伸ばして捕まえた。

おやっと眉を持ち上げ、ノアはこちらを見て微笑む。


「怖くなったかな?大丈夫、僕はどこにも行かないよ?」


その青紫色の瞳を真っ直ぐに覗き込み、ネアは選びきれない言葉に眉を下げる。



「ノア…………」

「ありゃ。もしかして、ここが悪夢か何かだって僕が気付いたことかい?」

「…………同じことに気付いたエドモンさんも、……そのリーエンベルクの灯台の妖精さんも、そう気付いてしまうのはむごいことだと仰っていました」

「うーん。それってさ、その先によるんじゃないかな。僕も、その先に君がいないなら違う結論を、……多分、君があまり喜ばない結論を出したかもしれないけど、ここで悪夢の中で漂ってるより、君が知っている場所に行った方が幸せそうだからね。僕はこれでも、自分の楽しみには貪欲なんだよね」

「寂しかったり怖かったりはしませんか?」

「ほら、そうやって君がかけてくれる言葉から、そこにいる僕がどれだけ大事にされているのかが分る。だから僕はきっと、早くその先のところへ統合されたいと思うんじゃないかな。悪夢の中の一部分のままここにいるより、きっとそこの方が楽しそうだ」


微笑んだノアは、ネアの頭を撫でてくれた。


「それにもう、この中の僕には悪夢をやってる理由もないしね。何しろ、君がこうして無事に助かったんだ。だったら、ここで同じ時間軸の中を彷徨うよりも、その先もずっと楽しめる方がいいに違いない。ネイ、僕はこれでも塩の魔物な訳だから、そういう部分の割り切りは人間より気楽なもんさ」

「……………ふぎゅ。…………不思議ですね。ここにいるノアは、私の馴染んだノアよりも随分過去のノアなのに、私の大好きなノアのままなのです」

「……………君ってさ、そんなことを涙目で言うんだからやっぱり悪い女だねぇ」

「解せぬ」

「じゃあ、一個だけ約束して?」


ノアのその声にはどこか切実な響きがあり、ネアは首を傾げる。

やはり不安なのだろうかと心配になって眉を下げると、違うよと笑ってくれた。


「絶対に、記録の魔物に恋をしないでね」



がしりと肩を掴まれて、微笑んでいるけれどかなり真剣な眼差しで言われてしまい、ネアは少しだけ嫌な予感がした。

昨晩のような悲劇を見てすっかり心が弱っている時に、心を奪う愛くるしいもふもふだったりしたらどうしようと考えていてふと、寝台に半身を起こして座っている自分が、見たことのない寝間着を着ていることに気付く。




「…………私の服はどこにいったのでしょう?」

「穴が空いてたから着替えさせたよ。煙臭かったしね」

「……………不覚。死んでいたとは言え、ノアに着替えさせられてしまいました」



がくりと項垂れたネアは、力なく寝台をばすばす叩いた。





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