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ひよこの夜と新しい誕生日



ひよこ事件のあったその日の夜、ネアはけばけばになったままの銀狐を抱っこして、ヒルドの部屋にいた。


銀狐は被害者の会な仲間と一緒にいたいらしくヒルドの部屋に寝ていたのだが、ネアが来たところですっ飛んで来てネアにぐりぐりと頭を擦り付けてくる。



「ヒルドさん、ご気分は如何ですか?ぴよぴよ達に羽にすりすりされてしまった後遺症は……」

「………ネア様、御足労をおかけしまして、申し訳ありません」

「……………ほわ、ヒルドさんが弱ってしまっています」

「エーダリア様は如何でしょうか?」

「ふふ、ご安心下さいね。グラストさんとゼノが見ていてくれますから」

「…………そうでしたか。安心しました」



ほっと息を吐いたヒルドは、部屋着姿で寝室の横にある一人用のクッション張りの椅子に座っていた。

ふかふか過ぎずに適度な硬さを残した深緑の椅子は何とも座り心地が良さそうで、肘置きのついたゆったりと寛げるタイプの素敵な椅子だ。



「狐さんもすっかりべったりでしたが、振替のお誕生日から日付が変わったとは言え、その夜にヒルドさんと一緒に居られるなんて贅沢ですねぇ」


ネアにそう言われた銀狐は、その発想はなかったと目を丸くしてから尻尾をぶりぶりに振り回した。


「あらあら、ご機嫌になりました」

「今夜は狐のままなんだね………」

「確か、酔っ払いさんなので、狐さんになった方が皆さんに面倒を見て貰えるのでいいと仰ってましたよ」

「ノアベルト…………」



ヒルドは、その椅子の近くに簡単に移動できる小さなテーブルを寄せて水差しを置き、膝の上に置いた小さなペット用毛布の上で銀狐はすやすや眠っていたようだ。


今はネアの腕の中でふにゃんとなっており、時折尻尾をふりふりしては、頭をぐりぐりと擦り付けてくる。



「……………それにしても、ひよことは」

「でもあれが虫さんだったりしたら、私は死んでしまったので、ひよこで良かったです」

「確かに、もっと悍ましいことになった可能性もあるのですね……」


ヒルドがこんな風に弱ってしまっているのは、なぜか元茶葉なひよこ達が、ヒルドの妖精の羽に並々ならぬ興味を示したからだ。


埋められてしまったヒルドの羽にひよこ達がすりすりするムーブメントが沸き起こり、ヒルドの脱出は困難を極めたのだそうだ。

ウィリアムが元凶となった魔術書を剣で刺して無力化して事なきを得たので、ヒルドはあの後、心からウィリアムに感謝を伝えていた。



「ヒルドさんの羽は私にとっても大事な羽なのです!ぴよぴよ達に消耗させるなど、許すまじ!!」

「………ネア、妖精の羽への所有を示すのは、求婚と主従の場合のみだ。やめようね」

「むむ、…………ごめんなさい、ヒルドさん。大事さが爆発してしまいました………」


そんな仕組みだとは知らなかったので、ネアは慌ててヒルドに詫びた。

しかしヒルドは、艶麗に微笑んで全く問題ないと言ってくれる。



ネアも以前借りたことのある裏起毛な部屋着は、仕立てのよく形の綺麗なシャツにすとんとした形のズボンという、一般的なパジャマセットだが、敷地内ぐらいであれば外にも出れそうな程度には上品なデザインである。



(きっと、ヒルドさんのことだから、有事の際には着の身着のまま飛び出すことを想定の上で、部屋着の形はそこまでだるんだるんじゃなくて、それでいてふかふか肌触りの裏起毛で癒し機能を備えているような気がする………)



ヒルドの部屋は、落ち着いた深い森を連想させるような色彩で統一されていた。

花瓶の花はヒルドが庭から貰ってきたものが生けられているそうで、瑞々しい葉の色を生かしたお花だけではない清々しい色合わせに、そんな花瓶の影が落ちる書き物机の上には濃紺のインクの瓶が置かれている。

カーテンは全て閉じてしまうのではなく、部屋の窓から見える夜の雪の庭が美しい。


あの窓の外から考えれば、部屋の中にこんな美しい妖精が暮らしているとなるので、まるでお伽話のような素敵さではないか。


寝台の横に置かれた愛剣に、ネアは何だか嬉しくなる。

ヒルドは、イブメリアの贈り物も大事に使ってくれていた。



「…………そう言えば、ヒルドさんはお誕生日をお祝いされないのですね」



ネアがそう言ったのは、ヒルドの誕生日を知っているからだ。

しかし、エーダリアからはその日は何事もなく過ごすようにと厳命されており、ダリルからも誕生日には触れるなと言われている。



ヒルドの誕生日は、彼がその家族や一族の多くを失った、祖国の開戦の日である。

ヒルドの誕生祝いでお城に呼ばれた精霊王が、ヒルドの父親であった妖精王と母親、小さな妹達を惨殺した、呪わしく悲しい日。



(でも私は、それに触れてしまう残虐な人間なのだ)



「……………ええ。その日は、私にとっては死者を弔う日でもありますからね」

「では、うちの魔物のように、新しい切り替えのお誕生日を作りませんか?きっと、エーダリア様やノアも、他の皆さんも、ヒルドさんのお祝いをしたいと思うのです!」



そんなネアの提案に、美しい妖精は瑠璃色の瞳を静かに瞠る。

深い湖のような、静かな夜の空のような、何とも美しいその色彩に、ネアは密かに魅せられた。



自慢の家族だ。



そう思ってしまってからその図々しさに恥じ入ったが、でも、もうここにいる人達は、ネアの家族のようにして自分ごとで守りたい宝物なのだった。



「ディノは、私が家族を亡くした日には素敵なお食事に連れて行ってくれるのです」

「ディノ様が…………?」

「ええ。もう寂しくないよの日として、私を労ってくれるのですよ。ですからヒルドさんにも、リーエンベルクの永久家族になった日ですとか、そのような記念日を作っていただいて、みんなでヒルドさんだけのことでも何かお祝いをしたいです!」



ネアは敢えて、あまり分かっていなさそうにそうはしゃいでみせた。

どこかで誰かがその枷を外して新しいきっかけを作らないと、ヒルドだけずっと誕生日を祝えないような気がしたのだ。


そしてそれは、ヒルド自身の心の有り様に踏み込むのではなく、ヒルドを大好きな一家族として、ネアが勝手に寂しいので困るのである。



「…………ネア様」



ヒルドがそれだけを呟いたその時、ネアの腕の中から飛び出した銀狐がヒルドの膝の上に駆け上がり、ムギムギとそちらからも新誕生日の設定を訴えている。



「ほら、狐さんもヒルドさんのことではしゃぎたいのです。………これは、私達の我が儘でしかないのでヒルドさんはご負担でしょうが、私達がはしゃげる日を作っていただけると、喜んでお祝いしてしまうので是非にご検討下さいね」



力強くそう宣言した強欲な人間に、ヒルドはふっと微笑みを深めた。


それはまるで一つの傷深く悲しいものの隣に新芽が育ったように、ぽこんと芽吹いた美しく健やかなものの気配がする。



「……………そう言われてしまうと、お応えするしかなさそうですね」


ゆっくりとそう呟いたヒルドは、ネアの手をそっと取ると、手の甲に口づけを一つ落とす。


それはまるで誓約にも似て、どこか真摯な覚悟と決別のよう。

顔を上げて微笑んだヒルドは、じわっと泣いてしまいたくなる程に優しい微笑みを浮かべてくれた。



「やりました!」

「良かったね」

「はい!これで年間ケーキ量がまたしても増え、おまけにヒルドさんへの贈り物を選べるのです!!」



ネアが大喜びで弾めば、銀狐もヒルドの膝の上でムギムギと喜び弾んでいる。

ヒルドは、そんな塩の魔物の狂態に苦笑してしまっていた。

綺麗な手に撫でられ、銀狐も尻尾を振り回す。



ヒルドの新しい誕生日は、もう少し元気になってからエーダリア達とも相談して決めてくれるのだそうだ。


ネアはその日を楽しみに待つことにする。

きっとヒルドがやはりお祝い事はと躊躇したり、日常業務を優先して自分のことを蔑ろにしてしまっても、ノアが急かして決めさせてくれるだろう。



「それにしても、なぜ茶葉達から妖精の羽が好まれたのか…………」

「妖精の粉は嗜好や愛情の祝福そのものだ。君は森のシーでもあるから、植物の系譜として派生したもの達からすれば、君の気配や魔術はさぞかし心地良かったのだろう」

「まぁ、それでべったりすりすりしてたのですね………」



ヒルドはまだ本調子ではないようなので、ネアはそんなヒルドがゆっくり休めるようにと就寝の手伝いや必要そうなものの手配などをさせて貰い、ヒルドの寝台で眠るという銀狐もきちんと設置してから部屋を出た。



ぱたんと扉を閉じてから、ネアはむふんと口元を緩め、共犯者な魔物を微笑んで見上げる。


「彼が、誕生日を作ろうとしてくれて嬉しかったのだね?」

「それも勿論ですが、大切な方達に大切だと伝えられる良いきっかけになりますからね。エーダリア様はずっと、ヒルドさんにはそれが出来ないことを悔やんでおられました。ヒルドさんのご事情を知らない内に強引にお祝いしてしまえば良かったと、何度か仰っていましたから」



ネアは、そう教えてくれた時のエーダリアの眼差しが忘れられずにいた。

どれだけネアがヒルドを大切だと感じても、やはりヒルドとエーダリアとの関係は特別なものだ。

だからこそ、ネアはエーダリアにこそ、そんなヒルドのお祝いをさせてあげたかった。



そんな野望が叶ったので、ネアはご機嫌で廊下を歩いていた。

魔物は弾むように歩くネアが可愛いと恥じらってしまい、三つ編みをそっと差し出してくる。



「あら………?」


部屋に戻ろうとしたその時、外客用の棟を通り抜ける廊下を歩いていたネアは、部屋の扉を開けているウィリアムの姿を目撃した。


明日の朝には戦場に戻るので、今夜は泊まるとは聞いていたが、どこかよろりとしているので気になってぱたぱたと駆け寄る。


ネア達の姿に気付いたのか、ウィリアムはおやっと眉を持ち上げこちらを見た。

終焉の魔物としての軍服姿をしており、暗い廊下に浮かび上がるその姿はどこか禍々しく美しい。



「ウィリアムさん、眠れないのですか?」

「いや、ゼノーシュに頼まれてな。いつもはヒルドが就寝前に確認している、外客棟から見える禁足地の森を見ておいたんだ」

「まぁ!そんなことをしてくれたのですね。有難うございました」

「終焉の予兆や不安な気配を探るのであれば、俺の領域だからな。俺が見に行くのが一番手っ取り早い」


そう微笑んで頭を撫でてくれたウィリアムは、微かに首を傾げてネアを見つめる。

何だろうかと目を瞠ったネアに、ウィリアムは唇の片端を持ち上げて苦笑した。


「ヒルドの様子を見に行っていたのか?」

「ええ。すっかりぴよぴよに蹂躙されてしまいとても心配だったのですが、狐さんがついていてくれるので、大丈夫そうでした」

「…………あのひよこは凄かったものな」

「む。…………ウィリアムさんも、少ししょんぼりですか?」

「そうか。妙に力が出ないと思っていたが、あのひよこ騒動のせいかもしれないな………」

「なぬ!それなら、すぐにでも休んで下さい。ささ、明日もお仕事なのでしょう?」



聞けば明日は二日目の鳥籠という、やはりこの国は滅びるのかという諦観を覚え、人々の絶望感が募るような厄介な日なのだそうだ。


忙しくなるそうなので、慌ててしっかりと休ませることにする。



「………入浴はされましたか?」

「ああ。残念ながら、もう済ませてしまったな」

「残念ながら?………となると、就寝の準備だけですね。着替えますか?」

「…………うーん、そうだな。やはり着替えるか」

「しっかり休む為にはやはり、寝間着に着替えることも大事ですからね」



ネアは意識した途端に疲れが出てきてしまったというウィリアムに肩を貸し、彼が着替えるのを手伝った。

隣で魔物がずるいと荒ぶっていたが、ひよこ騒動を止めてくれた功労者なのである。


軍服のような上着やシャツを脱ぐのを手助けし、ウィリアムが脱いだ服を手際よく畳んでやる。

このあたりの作業は、よく魔物が死んでしまったり、ノアが潰れていたりするのですっかり慣れてしまった。



(こうして誰かの世話を焼くのは、何だか家族が増えたようで楽しいし)



面倒臭がりな残念な人間ではあるが、そんなネアの数少ない長所だと言えよう。

なのでネアも、進んでウィリアムの世話を焼いた。


「………さて。あとは……」


ふうっと息を吐いて前髪を掻き上げたウィリアムに、ネアはおもむろに体を屈めると、容赦なくごちんと額を合わせてしまう。


睫毛の影が見えるほどの距離で、見開かれた白金の瞳に散らばる葡萄酒色の虹彩がよく見える。

ややあって、ウィリアムは掠れた声でそっとネアの名前を呼んだ。



「…………ネア?」

「うむ。熱はなさそうですね。気怠げな感じでしたので、熱が出てしまっていたらと心配でしたが、良かったです」

「ずるい。ネアがウィリアムに頭突きする……」

「困りましたねぇ。熱があるかどうかは、体調管理の要なのですよ?」


しかし魔物はすっかり拗ねてしまい、自分だけ面倒を見て貰えないのは不平等だと悲しげに言うので、ネアは仕方なく部屋に帰った後にはディノの着替えも手伝ってやる約束をする羽目になった。



熱はないと判明したウィリアムはしっかり寝かしつけ、ネアは最後に頭をふわりと撫でてやった。



部屋を出て廊下に出ると、すっかりいじけた魔物がぎゅうぎゅうと体を押し付けてくる。

これは体当たりをして欲しい時の合図なので、ネアはやれやれと体当たりをしてやった。



「ウィリアムを撫でるなんて……」

「最近ウィリアムさんが弱っていると、震えながら丸まっていたちびふわを思い出してしまうので、ついつい撫でてしまいたくなるのです。ウィリアムさんがご不快にならないよう、気を付けなくてはいけませんね…………」

「ウィリアムなんて………」

「いけませんよ。ウィリアムさんは、ひよこ騒動を止めてくれましたし、ゼノの依頼で見回りもしてくれたのです。ディノのお友達でもありますし、大事にしましょうね?」

「………頭突きをしてくれるかい?」

「ふふ。ディノも熱を測ってみますか?」

「ご主人様!」



やっと嬉しそうに目元を染めてくれた魔物が、さっと三つ編みを握らせ、いそいそと部屋へ向かって歩き始めた。

体当たりからの三つ編みリードで、頭突きまでしたらフルコースでははないかとネアは混迷に包まれたが、ひよこの海に沈んだのはディノも同じなので今夜は甘やかしてやるべきなのだろう。




「仕方ありませんね。寝る前にホットミルクも作ってあげましょう。ほこほこになって、眠りましょうね」

「まだあの茶葉の影響が残っているといけないから、今夜は隣に寝るよ」

「なぬ。茶葉ごときに打ち負かされたりしませんよ」

「君に何かがあったら困るだろう?」

「むぐぅ」



お世話モードをいつもより切り出してしまった底の浅い人間は、本日は一人で伸び伸びと寝たい所存であった。

しかしそんな願いは打ち砕かれ、へなへなとなりながら部屋に連れ帰られる。


魔物はよろよろするご主人様を抱えて歩く楽しみも得られ、ご機嫌な夜となった。




なお、今回の事件をきっかけに、ヒルドは、エーダリアに久し振りの持ち物徹底検査を実施した。

前回は五年前で、その時は禁術の魔術書にゼベルが食べられかけたり、ダリルが見たことのない新種の精霊を発見したりしたそうだ。



とても恐ろしいので、是非に今後も定期的に実施して欲しいとネアは思っている。



そして、そんな危険物一斉捜索で事件が起こるのは、その二日後のことになる。

エーダリア本人のみならず、その問題になった危険物を持ち込んだアルテアも、ヒルドだけではなくダリルからも激しく叱責されることになった。









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