221. ノアのお誕生日をします(本編)
ノアのお誕生日の当日になった。
今回は振替日になるので、星祭りの翌々日の実施である。
案の定、昨日は紙容器の精霊に悩まされる事件が多発し、ヨシュアの訪問などもありバタついたので、この日に設定して良かったようだ。
幸いにも天候も安定し、リーエンベルクとしても大きな問題などは起こらなさそうである。
「ネア、今日もボラボラを見たんだって?」
「………ふぎゅう」
「ありゃ。落ち込んでるね」
「親指くらいにしか見えない距離でしたが、昨年の私を嫌がって転がろうとした姿が思い出され、ぞわりとしたのです」
「アルテアと一緒に攫われたんだよね?」
「ふぁい。…………しかし今年はもう大丈夫な筈なのです。昨年の時に、二度とアルテアさんを攫ってはいけないと約束しましたから。しかしながら私はその後、ボラボラには幾つもの集落があり独立した国のような組織を形成していることを知ったので、当日はアルテアさんの側にはいないようにします………」
「え、……………そうなの?」
「霧雨の妖精王さんが知っていたんですよ。あちらのご兄弟に、ボラボラの集落に迷い込んだ方がいたそうです。意思の疎通が出来たらしく、そんなことが判明したのでした……」
「そっかぁ。ってことは、違う国のボラボラが来たらアルテアがまた攫われる可能性があるんだね」
「………と言うか、ノアはボラボラの国にいましたよね?」
ネアがそう言えば、ノアはふわりと微笑んだ。
今日はきっちりと綺麗に結んでいる髪の毛は、くしゃ結びの時のどこか柔らかな雰囲気と、きりっと結んで怜悧な美貌を際立たせる時とで雰囲気が変わるのが面白い。
「秘密」
「なぬ。………もし、うっかり巻き添えになって私がまた攫われたら、助けに来てくれます?」
「うん。それは勿論すぐに助けに行くよ」
「それなら安心ですね!」
「…………ご主人様」
「ディノ、ここはやはり各自の専門分野を生かしてゆきましょう!ボラボラに関しては、アルテアさんとであれば祭り上げられても危害は加えられません。そしてノアは、ボラボラの国に来れるのです!」
「うん…………」
そう言えばディノはしょんぼりしたが、ノアはなぜか首を傾げる。
「それにしてもさ、何でボラボラはアルテアの系譜なんだろうね」
「…………ご本人的には、とても受け止めたくない現実であることを前提に仰られていましたが、ボラボラは魔術的な見地から獲物の選抜をする生き物なので、選択の系譜のものなのだろうということでした。なお、そのようなものがご自身の系譜にいるのはとても辛いそうです」
「わーお、それでなんだ。アルテアにお似合いでいいと思うよ」
「私も、ああして途方に暮れつつも崇められてしまう感じの事故具合がアルテアさんらしくて良いと思います」
そこでネアはディノから、以前のアルテアは決してそんな風に事故るような魔物ではなく、寧ろ隙のない魔物だったのだと教えてくれた。
なので、最近のアルテアを見ていると少しだけ心がざわつくようだ。
(…………事故らないアルテアさん?)
こてんと首を傾げたネアに、ディノは悲しそうな顔をした。
「君にはよく分からないのかな?」
「…………はい。出会った時から事故っておられましたので、それ以外の感想がありません」
「君は最初から、アルテアを椅子ごと捕まえてきてしまったしね…………」
「ありゃ。椅子ごとってことは、アルテアの固有結界ごと?!そりゃ凄いや」
「あの椅子は、固有結界なのですか?……前にも聞いたのかもしれませんが、すっかり失念していました」
「うん。そんなものだね。あの椅子の周囲がアルテアの選択領域になるんだよ。特定の魔術を元々椅子の形にしておくことで、面倒な魔術侵食や書き換えを都度行わない為のものなんだ」
ネアは、あの椅子はそんな特別なものだったのかと驚いてしまったが、続くディノの言葉で腑に落ちる。
「最近は、こちらではあまり椅子を出さないだろう?自身の領域で隔離しなくても大丈夫な場所だと認識したのだろう」
「…………まぁ、すっかり懐いて…………」
「言われてみると、確かにそんな感じだねぇ」
なぜここで三人でお喋りをしているのかと言えば、会場の準備が整うまでの足止め役としてネア達が選ばれたからだった。
ノアもそのあたりは心得たもので、実に楽しそうにお喋りに付き合ってくれる。
はらはらと、窓の外には粉雪が降っていた。
先日の大雪で反省したのか、雪竜達も落ち着いたようだ。
あんまりな大雪でさすがにどうしたのだと調査が入ったが、雪竜のお城も雪に埋まってしまったので外部からの入城が叶わないらしい。
とは言え、通信は可能なので雪竜達に事故などがなかったことは確認済みだ。
「………もういいようだね、そろそろ行こうか」
「やっと僕の誕生日だ。ねぇ、ネア。今日だけ特別に撫でてよ」
「ふふ。振替えお誕生日ですものね」
ネアは手を伸ばしてノアの頭を撫でてやったが、ディノは見てはいても荒ぶることはなかった。
「こりゃいいや!もっと」
「……………二回までかな」
「あら、ディノが我慢してくれる上限があるのですね」
「君は、私のものだからね」
「………あら?」
「婚約者…………」
頑張って領土主張をした魔物は、ご主人様に振り返られてしまったので慌てて言い換えていたが、ネアは別にそのままでもいいと教えてやった。
「ただしその場合は、私は私のものであることを大前提として、その上でディノのものでもあるのです」
「…………私のものでもあるんだね」
「なぜならば、ディノもまた私のものなのだからですね!失せ物探しの結晶で呼び戻せるのはそういうことなのです」
「ご主人様!」
はしゃいだ魔物が嬉しそうに目元を染め、ネアはすぐさま三つ編みを持たされた。
一緒にいたノアが驚いてしまうくらい、その流れには無駄がない。
「三つ編み…………」
「わーお…………。三つ編みなのは確定なんだね」
「ネアは三つ編みを持つのが好きだからね」
そうこうしている内に、ネア達はお誕生日会の会場に着いた。
ずずいと押されて会場に入ったノアは、嬉しそうに小さく息を飲む。
「無事に振り替えの日になったな。誕生日おめでとう」
「…………うん」
代表してお祝いの言葉をくれたエーダリアに、どこか擽ったそうに頷いたノアの背中ごしにぴょいっと会場を覗けば、そこには見事な青紫色と白のお花が生けられた、素晴らしいお誕生日会場が広がっていた。
「まぁ!テーブルクロスまでノアの色ですね」
「おや、瞳の色に合わせたのだね」
「見てよこれ、こんな風に花が沢山あるんだ。……ケーキもあるし、また料理も沢山ある」
「ふふ。ノアは皆さんから大事にされてますね」
ふくよかな色彩のその中には、確かに主賓のことを思って揃えられた時間と思いやりが見えた。
だからこそきっと、ノアもこんな風に瞳を輝かせているのだろう。
「僕だけ二個もケーキを食べていいのかな」
「あら、ディノに至っては、お誕生日が二日あるのですよ?」
「そっか。じゃあ、二個食べても良さそうだね」
本日のノアのお誕生日ケーキは、前回と同じように青紫色のクリームが作れるような果物を混ぜ込んだ素晴らしいケーキだ。
前回は華やかなお花を表現したクリームのデコレーションだったが、今回はなんとラベンダーを表現しており、いっそうにノアのものという感じがしてネアは嬉しくなる。
「ノアが前回のケーキを気に入ったということで、今回もこちらのクリームはブルーベリーだそうですよ。それと、この少し色味が青い部分は、夜の滴が入っているみたいです!」
「…………わーお。………ラベンダーなんだね。これはちょっと、なかなか、………食べるのが勿体ないくらいだね」
「ふふ。懐かしいラベンダー畑ですね。ノアのケーキという感じがします!」
「…………リーエンベルクの家族よりって書いてあるんだね」
「これは、料理長が考えたようですよ。すっかりあなたを………銀狐を気に入っているようですから」
「うん。時々チーズやソーセージをくれるからね」
リーエンベルクの料理長は、銀狐をかなり可愛がっているらしい。
塩の魔物に対しては畏怖のようなものもあるようだが、尻尾を振り回してソーセージに飛び跳ねる銀狐は可愛くて仕方がないらしく、よく餌付けしているのを目撃されていた。
「あ!狐さんがいますよ!!」
「ありゃ。僕がいる………」
だからなのか、ラベンダーのデコレーションの横には小さな狐の形がある。
それが何だか可愛らしくて、ネアも指を差してはしゃいでしまった。
勿論、先に目を惹くケーキで大騒ぎしてしまったものの、お料理も素晴らしい。
ノアの好きなものばかりが並び、先日の残念会にはなかったような好物までさり気なく置かれていたので、ノアはまた嬉しそうにくしゃりとなってしまった。
「ノア、お誕生日おめでとうございます。前回は言えなかったので、今日はたくさん言いますね!」
「今日がずっと続けばいいのになぁ」
「また来年も訪れるではないか」
「そっか。………そうなんだった。来年は当日に出来るかな」
「その場合、あなたはイブメリアのカードを開かない方が良さそうですね」
「ありゃ…………」
ヒルドにそう言われてしまったノアは少しだけ情けない目をしたが、すぐに嬉しそうにパテを食べ始めた。
ノアの性格を良く分っているらしく、全てのパテは予め一口サイズになっている。
香辛料や野菜などで色も楽しく作られたその一口パテを、何種類も集める楽しさに気持ちが浮き立ってしまうお料理だ。
「ノアは、このぴりっとする香辛料バターも大好きですよね」
「うん。これがあるだけで、充分に立派な食事になるからね」
「あなたは、もう少し野菜も食べた方がいいのでは?」
「ヒルド、僕だって酢漬け野菜は好きだよ……」
「面倒臭いからというどうしようもない理由で、いつもは食べていないでしょう?」
「そう言えば、ノアベルトはあまり食事の回数を持たないな?それも面倒なのだろうか?」
「………夜に、お酒も飲んで色々食べるからなぁ。………朝は寝ていたいんだよね」
困ったように難しい顔をでそう言うノアは、今日も白いシンプルなシャツにふわっとした生成り色のセーターという寛いだ服装だ。
こんな服装でこの部屋にいると、まるでウィームの王族の一人かのように場に馴染んでいるので、何だか不思議な光景である。
よく見れば人外者らしい美貌なのだが、やはりノアには場に馴染むという不思議な能力があるらしい。
「そしてまた、ノアが素敵なセーターを着ています………」
「これはお気に入りだよ。五年くらい着てる」
ノアがそう答えると、ヒルドが驚いたように目を瞠った。
「………随分綺麗な状態ですが、魔術で状態保持を?」
「ヒルド、僕だって洋服の手入れくらいするんだけどなぁ」
「あなたが………」
「そんなに驚かなくてもいいのに………。僕の場合、大体その季節の服は十枚以内しか持たないよ。あんまりあると混乱するし、面倒だからね」
「………ほわ…………尊敬してしまいました!お手入れにこだわりはあるのでしょうか?」
「うーん。着るときには自由に着るけど、着た後にはきちんと手入れしてるよ。お気に入りばっかりだからね」
「白いシャツも、その枚数の内に入るのか?」
意気込んでそう尋ねたエーダリアまでもが興味津々なのは、王族として育てられた環境上、どれだけ王都では難しい立場にあったとは言え、さすがに一般人よりは遥かに多くの衣装を持っているからだ。
そんなエーダリアからすれば、高位の魔物がそれだけの手持ちで生活していることがとても不思議に思えるらしい。
あまりにも無防備にそう尋ねたエーダリアに、ノアはくすりと微笑む。
「白いシャツと、黒いコートは別だね。これだけはいつも着るから、コートは三枚、シャツは十枚で揃えておいて、どれかが悪くなったら新しいのと取り換える。因みに、シャツは二種類あるんだよ」
「二種類あったのか………!」
またしてもそう素直に驚いているエーダリアの姿に、ネアはディノと顔を見合わせて微笑んだ。
ヒルドもおかしそうに見ているので、妙なところで子供っぽい驚き方をしてしまうエーダリアが微笑ましいということで全会一致する。
(そして、何だかすごく家族っぽい!)
「そんなノアに、リーエンベルクの家族から誕生日の贈り物なのです!」
「わーお。これを僕にくれるのかい?」
「はい」
ノアは淡い灰色の紙にもう少し濃いめの灰色で微かに光る繊細な模様のある包装紙を丁寧に剥がすと、その中から出てきたのは天鵞絨の小さな小箱だった。
何だろうとその箱をぱかりと開けたノアは、中に入っていたものに目を丸くする。
「……………ボタン?」
「はい、特製ボタンと特製の糸です!」
その箱の中にまるで高価な宝石のように設置されていたのは、十二個の黒いボタンだ。
ネアがノアのコートを研究し生まれた、ノアのコートに一番似合うボタンなのである。
「このボタンを、いつものコートのどれかに使って下さいね。ノアの持ち物にはこだわりがあるので、このボタンは形や手触りなどは、ノアと相談してディノが調整してくれます。ボタンをつける作業もこだわりをおろそかにしないよう、お好みの仕立て屋さんに頼んで下さいね。シシィさんか、ノアがコートを頼んでいるシシィさんの弟さんでもいいですし、リノアールには有名なお直し屋さんもいるそうです」
「………ボタン。………ありゃ、これって魔術結晶を紡いだものだね?」
「ええ。これはとても特殊なリーエンベルク魔術が結晶化したものや、私がたくさん狩りをした際に溜め込んだ祝福を結晶化して貰い、ノアが事故に遭っても無事に帰ってこれるよう、このリーエンベルクの魔術に紐付けて紡いだ特殊な宝石なのです」
「添えられた糸はヒルドが死の舞踏を紡いだそうだ。………なぜか、私にはまだ紡がれたことがないのだがな」
「え、…………これ、ヒルドのやつ?」
弾かれたようにそちらを見たノアに、ヒルドは淡く苦笑する。
「とは言え、精度は低いですよ。本来、死の舞踏は庇護を与えた者にしか紡げないものですから。そのようなもの、或いはその属性を帯びるものとして認識して下さい。エーダリア様も、このボタンには禁術を編み込まれていますからね」
「エーダリアの禁術も?」
「ああ。その…………女性問題でこじれた場合、興味を失くされることというのも重要だろうなと思ってな」
「…………どうしてこんなに複雑な宝石なのか分った。これって、色々なものを編み込んだ魔術が紡がれた宝石なんだね?」
「ふふ。ノア専用の宝石で出来たボタンなんですよ!」
ネアは自慢の贈り物にふんすと胸を張り、ノアはじわっと涙ぐんだ。
個別に贈り物を用意しても良かったのだが、ノアはこのリーエンベルクの仲間達を家族のようにして慈しんでいる。
そうして家族のような輪になって過ごすことを恩寵として大事にしている部分が強いので、であれば、あえて“家族から”という形の贈り物にすることになったのだ。
勿論、ノアが何かと刺されたり呪われたりしてしまうので、そんなノアがうっかり大事故にならないようにみんなで守ろうの会な感じの贈り物にしたという理由が一番ではある。
「良かった。………ケーキはまだ食べてなかった!」
そこに駆け付けてくれたのは、仕事終わりのゼノーシュだ。
後ろから顔を出したグラストと二人で、今朝から一度グラストの屋敷に戻っていた。
何とも驚くべきことに、掃除中に屋敷の窓を開けておいたら風で飛ばされてきたぺらぺらリボン生物ことカワセミが入り込んでしまい、慌てて駆除に向かっていたのだ。
このように本人の意志とは関係なく風で飛ばされてきたものなどは、うっかり結界をすり抜けてしまうことが多いのだそうだ。
「無事にカワセミめの駆除は終わりましたか?」
「うん。何だか弱ってたみたいで、風に流されたのかな」
「むむぅ。それでも、家人の方はびっくりされてしまいますよね」
「大事に至らなくて良かったな」
「申し訳ありません。お騒がせしました」
エーダリアもほっとした様子で、グラストは苦笑して頭を下げていた。
元々、ゼノーシュもいるのでカワセミ程度の駆除には心配がなかったものの、いきなりの連絡で焦ってしまったらしい。
ゼノーシュは、もし何か異変があったらリーエンベルクに連絡するようにとグラストの屋敷の家令に言い含めており、こちらの緊急連絡先に一報が入ったのだった。
「だが、どこでどのような事件に繋がるか分らないからな。都度連絡を貰えるのは助かる」
「ええ。グラストも知らないところで、下手に呪いなどを授かっていても困りますからね」
リーエンベルクには、そのような緊急連絡網がある。
敷地外のことであれ、騎士達や出入り業者達の親族の問題は、時としてそのままリーエンベルクに繋がってしまいかねない。
闇の妖精の事件の時にも関係者達が痛感させられたことだが、人外者の中にはそのような渡りの魔術で忍び寄ってくる者もいるからだ。
なので、エーダリアからも騎士達全員の親族も含め、何か不穏な気配を感じた場合は、各所属の上長に連絡をとあらためて徹底したのだが、グラストの屋敷の者達についてはゼノーシュが更にしっかりと言い含めておいたらしい。
すっかりゼノーシュを溺愛している家令は、可愛い坊ちゃんに手間をかけてしまうとしょんぼりしていたそうだが、きちんと連絡を入れてくれたことにゼノーシュは誇らしげであった。
「ゼノ、今はノアに贈り物の説明をしていたんですよ」
「そのボタンね、僕の魔術も少し入れてあるからね」
「………ありゃ。いいのかい?」
「うん。ノアベルトは、僕達の部屋にもよくボール遊びに来るし、グラストを取らないし、それに、騎士達のことを見てくれてグラストの仕事が減るから、迷子になると困るもの」
「わーお。大盤振る舞いだ…………」
ゼノーシュが潜ませてくれたのは、見通しの魔術であるらしい。
不穏なものや悪しきものが隠されていた場合、気付き易くなるという見聞の魔物としてのものだ。
そうして高位の魔物同士でその魔術の効果を贈り合うことは珍しいそうで、ノアベルトは何だか本当に家族みたいだねと嬉しそうに微笑む。
艶々とした黒色半透明のボタンの宝石は、ネアがヒルドから教わった技術をディノに引き継ぎ、ディノが頑張って紡いでくれたものだ。
ノアやアルテアのような繊細で緻密な魔術の細工は苦手だと言うディノだが、宝石紡ぎはやり方さえ覚えてしまえばある種の単純作業である。
最初はくしゃくしゃのへっぽこ宝石を作ってしまったディノも、すぐに慣れて美しい宝石を紡いでくれた。
そうして、その宝石は無事にノアのコート用の素敵なボタンになったのだ。
「つまり、そのコートを着ていると姿を隠しやすくなって、良くないものを見付けやすくなるのです。索敵と離脱向けのコートになり、ヒルドさんの紡いだ糸がそのボタンを守ってくれますからね!」
「一定間隔でその糸を使うことで、ある程度の防壁魔術の補填にもなる筈ですよ。とは言え、あなたであればその辺りは抜かりはないでしょうが」
「………でもさ、これは君達がくれたものだからね。…………有難う。ずっと大事にするよ」
しんみりとそう呟いたノアはボタンの入った箱を抱き締め、また嬉しそうに瞳を潤ませた。
「………こんなものをくれたりするから、僕はもうリーエンベルクから去らないよ。邪魔になってもここにいるから、追い出せなくなったけどいいのかい?」
「……………ああ。私がここを治めている間はずっと。そして、ここに居る他の者達がここにいる間も、どうかリーエンベルクに居てくれると嬉しい」
「ヒルド、エーダリアが泣かせようとしてくるんだけど」
「あなたは、一人で放っておくとよからぬことをしかねませんからね。ここで暮らしてゆくぐらいが丁度いいのでしょう」
「ネア!ヒルドまで泣かせようとする」
「ふふ。私も、ノアにはずっと、ここでみんなの家族のように傍にいて欲しいです。これからもずっと、お誕生日をお祝いさせて下さいね」
ネアにまでそう言われてしまったノアは、美しい青紫色の瞳を瞠ると、くしゃっとなってディノにへばりついていた。
へばりつかれたディノは、困惑したようにおろおろする。
「どうしてこんな風に幸せになれたんだろう。騎士達だって、いつも嫌がらずにボールで遊んでくれて、見かけると頭を撫でに来てくれるんだ」
「むむぅ。そのお姿で言われると複雑な気持ちになりますが、皆さんも狐さんが大好きですからね」
「ちょっと素っ気なくて嫌いな騎士がいたんだけど、この前、階段の氷の上で足が滑って動けなくなってたら助けてくれたんだよ」
「…………氷でつるつるして動けなくなってしまう魔物さんとは」
ネアは、紙容器の精霊のことといい、どうしてそこでやられてしまうのだろうと切なくなったが、ノアは助けて貰ったことがよほど嬉しかったようだ。
その後、銀狐姿の時に尻尾を振って近寄っていくと、頭を撫でてくれるようになったのだとか。
「まったく。一年目でこうなってしまっていますと、今後はどうなってゆくのか不安の種が尽きませんね……」
ヒルドはどこか遠い目でそう呟く。
エーダリアも頷いているが、銀狐の時のノアを誰よりも狐として甘やかしてしまうのもエーダリアなので、ネアは戦犯の一人なのではなかろうかと考えている。
叱られて泣きつけば、執務中でも膝の上で抱っこしていて貰えるので、銀狐は自分に甘いエーダリアのところによく逃げていくようになっているのだ。
「今日はさ、いい気分だから沢山飲もう!」
「僕ね、新しいお酒を貰ったよ。白夜がほこりにあげたみたいなんだけど、ほこりは高いお酒はあまり分らないんだって」
「まぁ!可愛いラベルのお酒ですね」
「ムムベル…………」
ディノがそう呟いて首を捻ったので、ネアは一緒に覗き込んでいた魔物の方を振り返った。
ゼノーシュが見せてくれたムムベルというお酒は、澄んだ薄緑色の瓶に入ったもので、中身のお酒は水のように透明だ。
しかし、絵本の挿絵のようなタッチで描かれた色とりどりに咲き乱れる花畑の絵のあるラベルが可愛らしく、ネアは頬を緩めてしまう。
お酒なので中身が美味しいことも勿論だが、単純な人間にはラベル買いという衝動があって、これはまさに心の中のそんな部分を刺激する素敵なラベルではないか。
「何か特別なお酒なのですか?」
「どこかで名前を聞いたことがあった気がしたのだけれど、………何だったかな」
「僕もこれは知らないなぁ。………ゼノーシュは知ってるのかい?」
「夜の系譜のお酒みたい。白夜の土地で育つ白い花の咲く木から作るお酒だって聞いたよ」
「わーお。ちょっと楽しみだなぁ」
家族のような仲間達で、いそいそとテーブルにつきその珍しいお酒を囲んだ。
ゼノーシュがきゅっとコルクを抜いてくれると、ふわりと漂うのは薄荷のような不思議な香りだ。
しかしその香りは一瞬で消えてしまい、その後には檸檬のような爽やかな香りに変わる。
「…………どう?」
やはり主賓からということで、最初に口をつけたのはノアだ。
無言で青紫の瞳をきらりとさせたので、期待は高まるばかりだ。
ネアは早く感想を言い給えな気分で身を乗り出し、ゼノーシュは、ノアに感想を急かしつつ自分の分のグラスを両手で持ったまま待っている。
「…………相当美味しいんじゃないかな。少しだけじゃりっとするのは、黎明の結晶だね」
「黎明の結晶が入れられているということは、慶事用のものなのだろうか」
「そうなりますと、尚更本日に相応しいものだったようですね」
ノアが美味しいと言うなりゼノーシュが自分のグラスのものをごくんと飲み干し、ヒルドも興味深げにグラスに口をつける。
少し遅れて顔を見合わせてから、ネアとディノも飲んでみた。
「ほわ!」
それは、何とも美味しいお酒であった。
きりっと爽やかで香りの強い檸檬水のような風味のあるお酒なのだが、お酒としての風味や味わいも澄んでいて味わい深く、なおかつ最後にグラスの底にじゃりっと甘さ控えめの砂糖のようなものが残る。
それは、お酒に溶け込んだ黎明の結晶がグラスの中で固形化するそうで、おめでたい席や幸運を願うような場で重宝されるものなのだそうだ。
「飲みやすい味のものだね。それに、魔術保有量もかなりのものだ」
「魔術保有量ですか?」
「飲み物や食べ物にも、魔術が含まれることがあるからね。このお酒のように上質な魔術を含むものは、魔物や妖精に好まれると思うよ」
「精霊さんや竜さんは違うのですか?」
「そうそう、体質が少し違うんだよ。ああ、いい酒だ。僕、これ好きだなぁ」
「では、ゼノにお礼を言わないとですね」
「うん。今日はみんなに口づけして回りたい気分だよ」
「え……………」
すっかり陽気になったノアにそう言われ、ディノはなぜかすすっとネアの影に隠れた。
そこは逆なら分るものの、なぜに隠してやる側になったのだろうとネアは眉を寄せる。
とは言え今の言葉は、それくらい幸せだという意味なのだからと説明してやれば、ディノは幸せな時には口付けをしていいのだろうかと真剣な目をして話を聞いていた。
それもそれで何かが違うのだが、ネアはすっかりほろ酔いのいい気分になってしまっており、訂正するのを忘れてしまった。
「次はこれにしよう!」
「お、おい、飲み過ぎではないか?」
「エーダリア様、そう言うのであれば、グラスを出すのはやめればいいでしょうに」
「飲んだことがないものばかりだし、今日は酔い覚ましの薬も準備済だからな。何しろ、祝い事だ」
「そうそう、僕の誕生日の振替日だからね!」
ネア達はすっかり楽しくなってしまい、案の定の事故が一つ起きた。
その結果、ご機嫌で服を脱いでしまったノアはヒルドにこってり絞られる羽目になるのだが、今回もまた、惨事の手前で見回りの騎士からの定時連絡でグラストは一時的に席を外しており、ネアは運命に守られた人間もいるのだなと羨望でいっぱいになる。
酔っ払いの魔術師が部屋をひよこもどきの生き物でいっぱいにしたり、服を脱いだ魔物がそこに飛び込んだりはしていたものの、良いお誕生日会であったのは間違いない。
ノアが大喜びしていたせいか、その部屋の窓には見事な塩の薔薇がぽこぽこと咲いていしまい、ネア達の目を楽しませてくれた。