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イブメリアの落し物と赤い薔薇



その日、ネアは昨日買いに行くはずだったノアの誕生日カードを買いに、リノアールを訪れた。

一度は買ってもう渾身のメッセージを書いてあったのだが、その日の日付を入れてしまったので、振替誕生日になった以上もう一通のカードが必要なのだ。



「うむ!昨日はたくさん寝たので、すっきり晴れやかな気持ちでさくさく歩けます!!」

「…………もう二度と、保冷庫には落ちない」

「ふふ。そうですよね、私も気を付けます!後は、白けものさんが落ちなければいいのですが………」

「アルテアが落ちるかな……」

「アルテアさんなら、なぜか落ちる気しかしないのです。いつかきっと、かちこちになった白けものさんを救出しなければならない時が来るでしょう」

「…………アルテアを」

「とは言え、白けものさんよりは、ちびふわの方が解凍し易いですよね」

「…………アルテアを」



ディノはなぜかしょんぼりしてしまい、保冷庫は怖いものなのだねと呟いた。

市場には特大サイズのものがあると教えてやると、市場では決してディノの手を離してはいけないと慌てて言い含められた。


どうやらディノの中で、保冷庫が最強の敵として認識されたらしい。



その日のウィームは格段に冷え込んでいた。

ラムネルのコートを着たネアはいつも通り快適にほこほこしていたが、やはり頬や耳に触れる風はかなり冷たい。

凛とした冬の空気に白い息を吐き、なぜか同じように体温がある筈なのに白い息を吐かない魔物を見上げる。



「ネア?」

「どうしてディノは、白い息を吐かないのですか?」

「…………どうしてだろうね。大気の調整が入ってしまっているのかな?」

「謎めいていますね。白い息を吐いているときもありましたよね?」

「これならどうだろう?」

「お揃いの白い息です!」


どうやら、大気が自然に魔術調整されてしまっていたらしい。

ディノの場合そのようなことは珍しくないようで、以前程ではないが今でも勝手に何かが整ってしまうことも多い。

このように気付けば調整は出来るので、ネアは大事な魔物が何かの楽しみを減らしてしまわないように、これからも注意して見ていてあげようと心に誓った。


手袋に包まれた手を差し出して手を繋ごうとすると、すかさず三つ編みが手の中に設置される。

その三つ編みに結ばれているのは、保冷庫の魔術を剥がしておいたディノのお気に入りのリボンだ。

一度は取り上げられてしまって悲しかったのか、今日は大事そうにいそいそと持ってきたので、ネアも意識して丁寧に結んでやった。



「そう言えば、今度ウィリアムが二日程リーエンベルクに滞在するそうだよ」

「あら、お泊りですか?」

「今の戦場が随分と過酷なようだ。その後で鳥籠のない時期を見計らって、二日程リーエンベルクの外客棟に滞在したいと連絡があった」

「親族同士でも戦ってしまっていると伺ったので、かなり凄惨なことになっているのでしょうか?」

「戦争は心から生まれるものでもあるからね。大きな区分で起こるものもあれば、そのように狭いところで生まれるものもあるだろう」

「…………この前、ノアが統一戦争の話を少しだけしてくれましたよね。ウィームが二度とそんなことにならないよう、ずっと平和でいて欲しいです」

「戦争ばかりは、多くの要素を人間が動かしてしまう。勿論そこに、様々な生き物の思惑が絡むから、そのどちらも管理して戦乱を動かさないように調整することで防げると思うよ」

「調整する余地があるものというだけでも、何だか安心してしまいます」


ネアがくしゅんと溜め息を吐くと、ディノがそっと頭を撫でてくれた。

こういう時のディノは魔物らしく老獪で、その分誰よりも頼りになるのだ。


「ヴェルリアの王宮であれば、アルテアとノアベルトが随分手を入れているようだ。あまり知られていないことだが、今代の王にもかなり強い呪いがかけられている。それを背負った上で、ウィームに手をかけることは出来ないだろう」


それは、初めて聞くことだった。

目を瞠って首を傾げたネアに、ディノはヴェルクレアの王の呪いについて教えてくれた。


「彼は、統一戦争でウィームを焼いた王の直系だからね。人外者の呪いは勿論その当人に降りかかるものだけれど、子や孫まで受け継がれる呪いもある。統一戦争の時のヴェルリアの王は、数多の守護に守られ人外者達の呪いを恐れない人間だったとされたけれど、とある魔物の呪いを受けて殺されている。その当人が亡くなってしまったことで、当時に既に生まれていた息子にも呪いが引き継がれているんだ」

「まぁ…………。そのようになってしまうのですね」

「今回の場合は、抑止力としてだろう。ウィームは人外者の寵愛の深かった土地だ。当時の戦争に関わったヴェルリアの王族達は、皆非業の死を遂げている。殺すことが出来ても、その呪いを防ぐ事が出来ないものは多い」

「…………死をもってかける呪いがあるからですね?」



歩いてゆくウィームの街は静かで穏やかだ。

その美しさに安堵し、失われてゆく悲惨さを知るからこそノアは、この日常を慈しむのだなと考える。


「うん、そうだね。ヴェルリアについては、次世代が王位を引き継ぐことが出来たのが国としては幸いだったのかもしれない。そしてその跡継ぎの者達には、二度と前王と同じ過ちを犯してはならないという、戒めの呪いが幾重にもかけられているんだよ」

「………そう言えば、あまり王様のお話は出てきませんよね」

「そのような生い立ちの王だからね。今代の王は随分と慎重な人間だと聞く。やはり大国の王であるから、彼が王位を継いだ後でも幾つもの戦乱はあったが、その影響がウィームに及んだことだけはなかった。自身の行いや国としての動き如何によっては、王だけではなく国も滅びるような呪いだ。ウィームに対してはかなり慎重にならざるを得ない分、それで為政者としての権威が失墜するようなこともあってはならない。その結果、国外への牽制として今の王妃を正妃としたのだろうと言われている」



国にとって厄介なものは、隙だ。

ヴェルクレアの現王は、この国にそんな隙があると考えられないよう、各国の有識者たる人外の者達が嫌厭する守護を持つ貴族の娘を伴侶として選んだ。


その守護に触れることを、高位の者達ですら嫌がる特別な存在なのだという。


「………ヴェンツェル様ですら敬遠するような、怖い王妃様だと伺っています。ヒルドさんに酷い事をした方なので、何か悪さをしたら許しません!」

「ノアベルトもそう思っているようだね。彼は元々幾重にも王都に呪いを潜ませているし、今は守るべきものを得てその手を更に深くまで沈めているだろう。アルテアも、統括の魔物として王都の動向には注視している。私も、あの人間を君に近付けたいとは思わないな。君が怖い思いをすることはないだろうから、安心していいよ」


ネアはその言葉の響きに、違和感を覚えた。



「ディノは、王妃様を知っているのですか?」

「直接に会ったことはないけれど、知ってはいる。それにかつて、彼女の契約の精霊達が、自分の契約の子供を私に引き合わせようとしたことがあったんだ」

「………………む」

「統一戦争の時にはもう、王妃は生まれていたし、幼い子供とは言え今の王の婚約者候補でもあった。いずれの王妃となれる子供として、少しでも階位の高い魔物の守護を得ようとさせたのだろう」

「その精霊さんは、そんな頃から王妃様の側にいたのですね」

「破壊や残虐さを好む人間は、その成長過程で心を変化させる者とは別に、生まれながらにしてその資質を強く持つ者がいる。そのような子供は、その種の嗜好を持つ者達にはとても目立つらしいからね」

「…………ということは、生まれながらにそのような気質の方なのですね」

「そのような資質を持つ者が、ただその気質ばかりに偏る訳でもない。あの王妃は、控えめで内向的な女性だとされていたそうだが、妖精や魔物達はその頃から彼女を嫌厭していた。魂の資質というものは人間同士には酷く見え難いものだと聞くが、人外者の目には良く見えることの一つだね」

「むぐぅ。ますます近付き難く思いました。偶然にでも遭遇しないよう、細心の注意を払います」


少し不安になったので魔物の三つ編みをぎゅっと握ったネアに、ディノはふわりと微笑みを深める。


「王妃がこのウィームに、そして君に害を為すことはないよ。あの精霊達が煩わしかったから、私に関われないような魔術を敷いているし、君は私の領域の者としてその魔術を共有している。縁や運命が繋がらないようになっているから、安心していい」

「ほわ……………。心からほっとしました」


夏に起きた光竜の事件などもあり、ネアはどこかで自分の名前や噂が耳に入ってしまっていないだろうかと心配していたが、そんな魔術があるのなら安心だと笑顔になる。

ぎゅうぎゅう握っていた三つ編みをぽいっと離されてしまった魔物は、ご主人様は移り気だとしょんぼりしてしまった。


「でも、もうお店に入りますからね」

「……………ご主人様」

「三つ編みは公共の場では禁止した筈です!」

「ひどい。ネアが虐待する………」

「その代り、後で美味しい紅茶を奢って差し上げるので、一緒にのんびりしましょうね」


本日のお買いものは、午前中の仕事を終えた後でのおでかけだ。

こういう時に疲れただとか、行きたくないと言わずに嬉しそうについて来てくれる魔物の為に、ネアはまだ行ったことのない老舗のカフェを調べてあった。

そこでは、ほんのりお酒風味のクリームを乗せた紅茶もあるそうなので、それを飲んでゆっくりとして貰おうという作戦だ。


「分けたりはしないのかい?」


魔物が目をきらきらさせてそう尋ねるのは、以前、ネアが一人では食べきれないけれど食べてみたい、ほろ苦いオレンジクリームにじゅわっとオレンジシロップを染み込ませたパンケーキのようなものがあり、ディノに半分手伝って貰ったことがあった。


あの時、あんまりそのようなことを好まないご主人様と、二人で一つのものを頼むという喜びに出会ってしまった魔物は、今回もそういうものがあるだろうかと期待しているのだ。


「…………もし、美味しそうなケーキやお菓子があれば、甘い系の紅茶なのでしつこくならないように、二人で一つを頼みますか?」

「そうしようか」


思ってたより普通に頷いた魔物だったが、その口角はきゅっと持ち上がっている。

酷く嬉しそうで何よりなので、ネアはケーキの分はまた狩りにでも行って軽量化を図ろうと考えた。



「………ノアへのカードは、これにしますね」

「星祭りのものなんだね」

「ええ。やはり、そのお祝いの季節が分るものが思い出深いと思うので、このカードがいいかなと思いました。ディノ、少しだけ耳を澄ませて下さいね。……………ほら!」


そのカードは、可愛らしい小さな街に降り注ぐ流星雨の絵柄のもので、星の部分は実際に星屑が埋め込まれている。

その星屑は普通のものなので願い事が叶ったりはしないのだが、指で触れるとしゃりんしゃりんと星が降る音がして何だか楽しくなってしまうカードなのだ。


「星の降る音だね。音の魔術で、本物の音を埋め込んであるようだ」

「ほんわりした青紫のカードですので、ノアの瞳の色にも似ているのです。素敵なものを見付けてしまいました」


ネアは掘り出し物を見付けた気分でそのカードを購入すると、ディノが見ていない内にもう一枚のカードを買っておいた。

それもまた星祭りの絵柄のある小さなカードなので、そこに何でもないメッセージを書いて、ディノにあげようと思ったのだ。

ケーキの半分こもそうだが、ささやかなことで無防備な喜びを見せてくれるので、もっと何かをしてあげたいと思うようになるのが、この魔物の怖いところである。

その反面、あまりにも怖がるので、時々きりんさんの絵を見せたくなってしまうのだが、それは秘密だ。



「………ディノ、あの赤い薔薇は何でしょう?」

「おや、何か特別なものなのかな」


無事に、お祝い用の少し高級めなカード売り場でノアのお誕生日カードを買ったネアは、リノアールを出ようとしたところで、宝飾品売り場の特設ブースに目を止めた。

そこで売られているのは深紅の薔薇のようだが、やけに専門家的な雰囲気の魔術師がおり、その薔薇も水晶のケースに入れて販売しているようなので不思議な特別感がある。


「…………血から育てた薔薇を贈ろう?………と書かれているようですね」


少し近付いたところではあるが、売り場の魔術師に声をかけられない程度の距離から観察していたネアは、お店の担当者が通りかかったお客様に配っているチラシのようなものを解読することに成功した。

とは言え、それだけでは要領を得ないので早々に諦め、ネア達もお店の前をうっかり通りかかった風に闊歩してみて、無事にチラシを貰うことにする。



「ふむふむ」

「血薔薇の契約かな………」


いただいたチラシを読んでみれば、それは血から薔薇を育ててくれるという商品であった。

勿論、血そのものを預けてしまうと大変危ういので、ここで売られている小さな水晶の箱を買うと、その中の小さなお皿に血を一滴垂らしただけで見事な赤い薔薇が育つのだそうだ。

育った薔薇をリノアールに持ってくると、贈答用の薔薇に結晶化加工してくれるという、薔薇の祝祭に向けた目玉商品なのだった。


「その箱の中に、特殊な魔術を定期更新で充満させておいてくれるようです」

「成る程。購入者が手元で育てられるように、箱の中の魔術を売るのだね」

「………この説明によると、東方にある大国では、自分の血から育てた薔薇を贈ることは、その相手に求婚することなのだそうです。薔薇の祝祭に、少し人とは違う渾身の薔薇を贈りたい方向けの商品なのでしょう」

「君も欲しいかい?」

「むむぅ。ディノからは去年貰った薔薇がとても素敵でしたので、あのような薔薇が欲しいです。ディノが切り出してくれたものは、指輪や後頭部のどこかに潜まされている髪の毛など、既にありますから」

「では、今年も普通の薔薇にしよう」

「ふふ。あんなに美しいものが普通の薔薇だと言ってしまうと、何だか美しさを表現しきれていない気がしてしまいますね」

「ご主人様!」



(そう言えば、去年のイブメリアに、アルテアさんから赤い薔薇のオルゴールを貰ったような………)



あの薔薇も血から育てたものだったような気がするので、そのオルゴールを気に入っているネアは、その東方の血から育てた薔薇の話をアルテアには聞かせないようにしようと考えた。

それなら渡せないと言われて取り上げられてしまうに違いないが、あのオルゴールはもうネアの大事な宝物の一つなのだ。


先日もディノからイブメリアに貰った飾り木の置物を眺め、その隣にあのオルゴールも置いて、二個使いの贅沢な時間を過ごしてあのオルゴールの美しさも再認識したばかりである。



強欲な人間は絶対に返却しないぞという気持ちでふすんと勇ましく息を吐いていたが、ふと足元の街路樹の根元に何か光るものが転がっていることに気付いた。

目で問いかけてディノが頷いてくれたので、そっと雪の中から拾い上げる。


「ディノ、こやつは何でしょう?」

「…………祝祭の結晶だ。ここまで大きなものは珍しいね。砂粒程のものはウィームではよく見かけるけれど、子供の手ぐらいはあるようだ」

「まぁ!淡い白緑色で、奥の方に林檎のような赤い色が揺れていてとても綺麗です………」

「イブメリアのものだろう。祝祭に向ける喜びが結晶化して、ちょうどここで生まれたのだと思うよ」

「………ということはまさか、星祭りに向けて溜め込んでいたリズモの収穫の祝福が、ここで少しだけ使われてしまった可能性も………」

「そうかもしれないね」

「むぐぅ。…………しかし、こんなに綺麗なので大事に持って帰るのです」

「部屋に飾るのかい?」

「いえ。これはぜひ、エーダリア様にあげましょう。もし可能ならば、リーエンベルクのどこかに飾って貰ったり、何かの内装に使って貰ってもいいですしね。私の今年のイブメリアの思い出は、ディノのくれた素敵な置物を眺めているだけで充分幸せですから」

「ずるい……………可愛い」

「あ、いけませんよ。お外でくしゃくしゃになると、路肩の雪に埋もれてしまいますよ!」



ディノがすっかり弱ってしまったので、ネアは慌ててお目当てのカフェに向かうことにした。

さくさくしゃりしゃりと踏む雪は、祝祭の名残と新年最初の祝祭に向けて祝福を宿して青白くきらきらと光る。




なお、ディノはその日に行ったカフェの、お酒の風味のあるホイップクリームを浮かべた紅茶をすっかり気に入ってしまい、ネアは自分の厨房でも度々再現してあげることになった。

紅茶は濃いめに淹れて濃厚なクリームを楽しむので、寝る前に飲むと体もぽかぽかになる魔法の紅茶だ。

ご主人様が作ってくれる美味しい飲み物を自慢した魔物によって、リーエンベルク内でもその紅茶のブームが起こるのだが、銀狐がそのままの姿で飲んでは顔周りをクリームまみれにすることを憂慮し、擬態したままの服用は禁止となった。



イブメリアの結晶石は、リーエンベルクの会食堂のシャンデリアの補修に使われることになった。

内部で暮らす者達しか足を運ばない部屋なので修復を後回しにされていたのだが、ここにはかつても素晴らしいイブメリアの結晶石があったのだが、前の領主が装飾品用の宝石として細かく砕いてから売り払ってしまい、家事妖精達はその喪失を惜しんでいたらしい。



イブメリアの結晶石がシャンデリアに戻った朝、お祝いとして、朝食にはイブメリアを彷彿とさせる小さな白いケーキのおまけがついた。












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