会長の一日
会長の一日はとても忙しい。
きちんとタイムスケジュールを練り、それでも発生する不測の事態に備えて日々神経を研ぎ澄ませている。
「………今月は舞踏会が多いな……」
そう呟くと溜め息が漏れ、新調していない舞踏会の服や、本職の方で生じている国際的な問題などに思考を彷徨わせる。
自宅の一室でカーテンを開けると、爽やかな朝の陽ざしに見事な雪景色が煌めいた。
(…………今日も、ウィームは美しい)
会長が住んでいるのは簡素な集合住宅の一室だ。
古いウィームの建築の一つで、この建物が出来上がったばかりの頃から実は密かに気に入っていた。
淡い灰色の外壁だが、夜の結晶石の一つで何とも言えないいい色合いで煌めき、その情感溢れる佇まいにいつかはこの建物に自分の部屋が欲しいと考えていたのだ。
(だが、あの頃は妻が反対していたし、ウィームに住むだけのゆとりもなかったからな)
今はもう亡き彼の妻は、この小さな部屋に住むことを好まなかった。
それよりも広い邸宅に住み、家族だけの時間をきちんと切り分けたかったのだろう。
確かに伸びやかで明るい妻にはこの部屋は似合わないなと思い、会長はくすりと微笑んだ。
彼女の趣味は、乗馬と山登りだったのだ。
そんなことを考えながら、小さいものの切れ味の素晴らしい職人の手作りの果物ナイフで、オレンジを切った。
ぷんと漂う香りに頬を緩め、香ばしく焼き上がったパンにバターを塗る。
入れたばかりの紅茶は奮発して買った良い茶葉なのだが、彼をよく知る者達からすればもっと上等なものを買えばいいのにと思うところだろう。
しかし彼は、この規則正しく決まりごとの多い日々をたいそう気に入っていた。
手当たり次第に何でも手に入る生活が豊かで幸福かと言えば、決してそうではないことを彼は知っているのだ。
確かにこの生活では、定められた職業の中で得られる報酬で暮らしてゆくしかないし、きちんともう一つの自分の顔とこちらを切り分けて考えなければならない。
それでも、対価を支払い取り戻したものや新しく得ることになった生活を考えれば、お釣りがくる程の穏やかな毎日だった。
(真実を知らないままで過ごすという選択もあった。だが、俺はそれを好まなかった)
愚かな選択をするものだと言う者もいるだろう。
進んで背負う苦労や苦痛がどれだけのものだろうかと。
ましてや取り戻すために支払った対価は複数に及び、その支払いはこれから先もずっと続くのだ。
けれどもそれは、決して彼を不幸にはしなかった。
不思議なことに、今は酷く安らかで穏やかなばかりなのだ。
「さてと」
そう呟いて仕立てのいい灰色のコートを羽織ると、昨年の秋に同僚から贈られた上等なマフラーを巻く。
このマフラーは深みのある葡萄酒色に灰色がかった深緑のストライプが入っていて、何とも小洒落ている。
さすがあの職場で働く者達だなと、家に帰ってきて箱を開けてから驚いたものだ。
このマフラーをいつもの灰色のコートに巻けば、それだけで彼は随分な洒落者に見えてしまう。
『あなたはこんなに素敵なのに、いつも服装には無頓着なのね』
そう笑ったのは、今はもう記憶の中で微笑むばかりの最愛のひと。
思い出す記憶も穏やかになり、最近は幸せだったころのことばかりを思い出すようになった。
確かに妻を亡くした時のことを思えば胸が引き攣れるように痛むが、それは彼を駄目にする程の傷ではなくなったのだろう。
それはもう、自分のものではないのだと。
不思議な諦観と、不思議な執着を以って、彼はいつもそう微笑む。
それでいて彼の心に愛おしい彩りをくれるのだから、堪らぬ恋しさと優しさを齎すその過去を、安心して愛せるようになったことに感謝せねばならない。
「…………それでも俺は、その過去の全てをまだ愛しているんだ」
そう呟くと冬の朝のほの白い光に目を細めた。
朝の公園は静かで美しかったが、ここで毎朝合流する友人が、今日はまだ来ていないようだ。
そう考えて腕時計を見たところで、いつもの踊るような不思議な足取りでやって来る友人が見えた。
「おはよう」
「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」
「ああ。昨晩は風が強かったな」
「ああ、強かった強かった。禁足地の森の方には、ボラボラが出始めたらしい」
「そうなのか。昨年は攫われた子供が少なかったようだが、果たして今年はどうなるんだろうな」
「今年も少ないといいな。そう言えば、実家の家業の方はどうだい?新年は忙しくなるんだろう?」
「ああ。いつも迷惑をかけてすまないな」
「いやなに、構わないさ。君があの場所から失われるくらいならって、みんなが思っていることだろう」
「古参の従業員でもないのに、みんなが良くしてくれるんだ。感謝の言葉もない」
「それは、君が優秀な従業員で、その上みんなから好かれるからだろう。私も、君が同僚で、そして友人で良かったといつも思うよ」
「…………それは、ほろりと来てしまうな」
「はは!朝から泣かないでくれよ?乙女の涙ならいざ知らず、この年の男の涙なんか有難いものじゃない」
「そりゃそうだな」
反対側の道から公園前で合流した友人は、素晴らしい腕の料理人だ。
彼が作る料理を食べる為だけに、世界各地から人間の王族達や高位の人外者達も足を運ぶ。
中には破格の待遇を提示して彼を引き抜こうとする者達も多かったが、それでも彼はこよなくウィームを愛しており、この地から生涯離れることはないだろう。
彼が恋をしているのは、この街と自分の職場そのものなのだ。
「今年の新年の祝い膳では、新作の料理を出そうと思っているんだ」
「もしかして、あのパイ料理か?」
「ああ。リーエンベルクの方々は、パイ料理がお好きな方が多いからな。喜んでくれるといいのだが」
「きっと喜ぶだろう。特にネア様は、パイ料理に目がないらしい」
「そうそう、それなのだが、時々一緒におられる男性がパイ料理の名人らしい。是非に一度、腕を競ってみたいものだ」
「…………ああ。決して料理上手には見えない男性だな。俺も、その話を聞いて驚いた」
「人は見かけによらないからなぁ」
「確かにそれはそうだ。特にこのウィームでは」
「そうだな」
隣を歩く友人は、このウィームで料理人になる前までは、とある国の王子だったのだそうだ。
しかしその国は大国だったものの酷く内政が荒れており、王女の一人が権力を握って突出した悪政を敷いた結果、あっけなく滅びてしまったのだそうだ。
彼も祖国を命からがら逃げだしたが、信頼していた部下達や唯一の家族であった叔母は、脱出が叶わず亡くなってしまったらしい。
そこで、見知らぬ異国に逃げ延びたもののすっかり絶望しきっていた彼を拾ったのは、先代のザハの料理長だったと言う訳だ。
(前料理長もまた、かつてはどこかの国の宮廷料理人だったらしい)
だからこそ身分を隠して難民に混じった王子にも気付き、保護してやるという気紛れを起こした。
彼はその料理長の弟子となり、今は養子としてその役目を見事に継いだ。
前料理長は息子にした青年を料理長にすると、自分は役職を返上し、まだ元気に厨房で働いている。
祖国への愛など跡形もなく消し飛んだというくらい、このウィームの水は友人の心に合ったようだ。
彼はもう、自分を生粋のウィームっ子のように言うどころか、生まれた国は違うところだろうと言えば気分を害するくらいにこの土地を愛している。
休日には近所の公園の清掃に参加し、リーエンベルクのエーダリア元王子の熱狂的な支持者だ。
何がどう彼の心の琴線に触れたのかは彼だけの物語だが、公式行事には必ず参加しているくらいである。
例え前日に徹夜で仕込みをすることになっても、領主の参加する儀式やミサには必ず参加してその姿を堪能し、エーダリア元王子ことウィーム領主を貶めるものがいれば、二度と自分の料理は食べさせないと息巻いて帰ってくる。
そんな彼の至高の味を失うことを恐れて、領主批判をやめたヴェルリア寄りの貴族の一団もあったそうだ。
つまりのところ、彼の料理を食べられなくなるくらいなら、貴族達が政治的な主張など翻してしまうというくらいに彼の料理は魅力的なのだ。
「さて、今日も我が職場は美しい」
「君は、毎日そう言うんだな」
「言うともさ。ザハは、私の誇りだからな。君だってそうだろう?」
「ああ。いつの間にか、そうなっていたようだ」
「そんなものさ。大事なものなんてみんなそうだ」
会長の一日は忙しい。
そもそも、誰が彼を会長に仕立て上げたのかと言えば、それは一人の霧雨のシーと、欲望を司る魔物であった。
なお、霧雨のシーは副会長になり実際のところの会の全てを取り仕切り、欲望の魔物は会計として会の運営費などを上手く運用してくれている。
(だが、実際に彼が欲望の魔物だと気付いているのは、俺の方だけなのか)
それとも、アイザックであれば見守る会の会長が実は魔物だと、気付いているだろうか。
そう考えて苦笑し、首を振った。
人間に擬態しているのは彼の趣味という訳ではなく、願い事の対価の一つなのだ。
その対価を支払う為に人間に擬態し、一週間の一部をこのウィームのザハで働いている。
夜と、休みを貰っている火曜日と水曜日は本職に戻り、ここから離れた遠い国でその土地の問題を解決していた。
そこは、熱く乾いた風の吹く熱砂の国でもあるので、働いているとウィームの清涼さが恋しくなる。
白い雪が見たいと切実に思う時、自分の心はウィームに置いてきてしまったのだなと実感させられた。
はらはらと、花びらが降る。
そんな熱砂の国でも新年が祝われ、彼は黄金の素晴らしい王座のようなものに座らせられていた。
交わされるのは畏怖にも似た眼差しに、媚びるようなねっとりとした無言の要求を隠した眼差し。
(ここは、居心地が悪いな……)
信仰の対象としても崇められている彼が、他の日々には一介の給仕として働いているのだと知ったら、彼等はどう思うだろう。
そしてここで振る舞われる豪華で貴重な食材ばかりを使ったものよりも、自分で焼いて食べる朝の一枚のパンの方がよほど美味しいと思っていると知ったならば。
「西の山岳地帯に、魔物が暮らし始めまして」
「この前の満月に、麦畑に魔物が出たらしい」
「南の農村地帯が日照り続きで困っております。あなた様のお力で何とかなりませんでしょうか?」
「いえ、権威ある魔物の御方の影に触れると、病が治るという言い伝えがありまして」
「我が自治区のシャフラムの姫は、精霊の王族に望まれる程の美貌。是非に一度、我らの地にお招きしたいと思っておりますが」
「なんのなんの、我らがグシャムリの姫の方がその美貌で名高い。おまけに踊りの名手ですぞ」
「姫達をあてがって何とするか。それよりも、私の息子は才気ある王子でして。是非に一度ご挨拶をと」
ちらりと視線を向ければ、溜め息や感嘆の声が漏れる。
大仰に平伏し、或いは感涙する者まで。
そして彼を恐れ崇めない数少ない者達は、それはそれで彼の地位と力を自身の欲の為に利用しようとしているのだ。
「御君、この前の話をお考えいただけただろうか?」
「俺の力を貸すには、やはり対価が必要となる。君達はそれがどのような喪失になるのか、考えてはみたのだろうか」
「生贄であれば、若い娘を数十人までは用意出来ます。殺戮を好まれるようであれば、適当な町を一つお渡ししましょう」
そう抜け目なく鋭い瞳で囁かれ、彼は微笑んだ。
彼が魔物である以上、彼等がその資質を見るのであれば、彼もまた残忍で強欲な魔物であるべきだ。
そう考えるのは不思議もない。
強欲で残忍な生き物達は、こちらもまたそうであることを望むという不思議な性質がある。
「では、王族の人生を一つ」
そう言えば、彼等がいささか怯むのを感じた。
しかし表情を変えることもなく、その対価の詳細を滑らかに言い重ねる。
「直系でも傍流でも構わないが、より多くの血を流し、破滅させたものが多い王族であることが望ましい。清廉な者や力のない者は論外だ。そんな王族の一人を、国内で最も貧しい土地に送ること。土地の民を損なわず、まるで善人のように己の財を切り崩しながら十年暮らし、その後は好きなところに戻って構わないが、その土地と土地の民をまるで自分の体の一部のように庇護し続けること。約定が破られた場合は、こちらから授けたものも無に帰る」
「………それは、……………なぜそのような対価を望まれるのでしょう?」
「悪しき者や残忍な者が、善人であることを強いられることほどの苦痛はない。望まないものを強いられるのが対価であり、魔術の犠牲となる。己の身を損なわないものなど本来では対価になり得ないが、今回はそのような条件を満たす者が在れば誰でもいいことにしよう」
そう答えた魔物に、その王子は酷く困惑したような目をした。
「時々あなたは、清廉で善良なものに思えることもある」
だから彼は、微笑んで首を振った。
「それが俺の思う愉快さだからだ。善良なものや弱きものから得る対価が対価としての価値を成さないのは、そこに滲む絶望や嫌悪が俺が望むものより遥かに少ないからだ」
「あなたが望まれるのは、そのようなものだと」
「願い事を持つのであれば、相応しい対価をというだけだな。麦の魔物も、新しい畑を増やすのを許す代わりに、その土地の領主の娘の最初の子供を望んでいるという。さして違いはないだろう」
「その契約が何百年続こうと、さして古い血も引いてはいない属州の領主の子供に過ぎません。子供一人の命と、傍流であれ尊き王族の血とは違う。………だが、限られ尊ばれるその血を持つ者であるからこそ、あなたは望むのだろうな」
「そしてその人物が、望まないことだろうと思うからだ」
「それは間違いないな。この国の王族に慈善事業を好む者などおるまい。戦に長けていることこそが王族の力であるというのに、自身の生活すら満足に守れない民の生活に力を貸してやらねばならんのだとすれば、王族としての誇りは地に落ちたようなものだ」
この国には、明確な身分制度がある。
身分により服装を変え、生活とその生活圏を変える。
身分の違いを隔てた婚姻は禁じられているし、上の者が下の者に手を貸すなどという行いは、たいへんな恥辱だとされていた。
最も身分の低い階層の国民達は、女性であれ髪を伸ばすことすら禁じられている。
長い髪を維持出来るのは、見合った階級に暮らす裕福な女達だけなのだ。
王子は暫く考え込んでいたが、さして日を置かずに、己の野望の為に身内の誰かを犠牲として差し出すだろう。
そうなったとき、彼の動かせる王族の内、指定された条件を満たしている者は一人しかいない。
そうして、誰もが悲劇だと考えるであろうこの対価の条件を、その王子が内心は嬉々として受け入れることを彼等は知るまい。
その王子は、かつて一度だけ見かけた奴隷の少女の面影を追い続けており、兄の手駒となって多くの反乱者達を討つことに辟易としている。
生きる為に支配し殺すことに馴染んだ魂とは言え、それとはまるで違うものを望んでいる者も実は少なくない。
彼はきっと、秋になると黄金色に染まる麦畑の美しさや、夏の嵐の後に空にかかる虹を美しく思うだろう。
ざあっと熱い風が吹く。
その風に目を細め、眩いばかりの星空を見上げた。
きっと明日の夜には、ウィームの雪を踏んで白い息を吐いていることだろう。
僅かばかりの滞在であの熱砂の国を出ると、久し振りに帰ってくる自分の城に少しだけ立ち寄った。
勿論ここにも月に数回は帰ってくるし愛着もあるのだが、暮らしてゆくという感覚としては、ウィームの小さな部屋の方が性に合っている。
とは言えこの城を手放そうとは思わず、ここもまた自分の領域として愛着を持ってはいるので、困ったものだなと苦笑した。
そして今日は、この城に珍しく客人が来るのだ。
「久し振りだな」
「ああ、無理を言ってすまないな」
申し訳なさそうにそう言って、城を訪れたのは霧雨の妖精王だった。
少年の姿をしてはいるが、老獪な手腕を持つ古参の妖精王だ。
「いや。…………ただ、最近はこちらにはあまり戻っていないんだ」
「最近の魔物達は、城を出てこざっぱりした小さな家に住むのが流行であるらしい」
「気質にもよるだろうな。ご子息に聞いたのか?」
「僕の伴侶がとても過保護でね。この前、野生の獣に擬態して、イーザを尾行したらしい」
「あの時の灰色のムグリスは、君の伴侶だったんだな」
「イーザに掴まって締め上げられていたそうだな。その時のムグリスがそうだ」
先月だっただろうか。
見守る会の今後の活動や、イブメリアの夜遅くに集まれる者達で飲みに行こうという計画を詰めるにあたり、あの夜のイーザは会長である彼の部屋を訪れたのだった。
イーザとはなかなかに良い関係を築いている。
月に一度くらいは、活動の報告会やそれに合わせての夕食会や昼食会などもあり、困った会員がいるのは事実だが、会の活動はそれなりに楽しくもあった。
「息子はどうだろう?………その、生真面目で優しい息子なのだが、知人からそのような気質の方が、羽目を外し易いと聞いてね」
「それでわざわざこちらに?妖精の国からは遠いだろうに」
「地上に上がる用事があったので、そのついでさ。ハムハムが、そろそろヨシュアが気付いている筈だと焦れ始めていてね」
「…………イーザから話を聞いたことがある。ヨシュアのペットだったな。家出して、随分と長いように思うが」
「精巧な身代わり人形を作って置いてきてあるそうだ。イーザ曰く、身代わりだと気付かずに今も毎日話しかけているらしい」
「…………そろそろ、本当のことを教えてやったらどうなんだ?」
「提案はしたのだが、………こうも気付かないことでも、また怒りを溜め込んでいるみたいだね」
「それもそうか………」
人形と生き物の区別がつかない魔物と言うのもどうかと思ったが、その身代わり人形がどれだけ精巧なのかが分らないので、あまり深くは踏み込まないことにした。
霧雨の妖精王は一時間程あれこれ話をしてゆき、息子の話を聞かせて貰ったお礼にと、年代物の妖精の酒を置いていってくれた。
ウィームに帰ってからその話をしてやれば、イーザはどこか呆れたような複雑な顔で微笑む。
「私がもう立派な大人だと理解はしている筈なのですが、時折過保護な親に戻ってしまう。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑ではなかったし、構わないさ。彼は良い親で良い王だと思う」
「あなたにそう言っていただけると、少しほっとします。………それから、実は妖精の方に不穏な動きがありまして」
「闇の妖精の問題は無事に解決したと聞いていたが、また別の妖精だろうか?」
「ええ。今回は水仙の妖精でして」
「…………植物の系譜か」
「ご存知の通り、植物の系譜の妖精と精霊は厄介ですからね。あえて危害を加え滅ぼされたいという厄介な嗜好の者がいるようです。勿論、同族のことですので私の方でも管理しますが、もし何かお耳に入れば…」
「やっと雪の魔物が落ち着いてくれたと思っていたんだが………」
「あちらは、トナカイの魔物が良い抑止力になってくれていますからね。彼とは友人になったんですよ」
「君はすぐに友人を増やしてしまうな。友人としては誇らしい限りだ。……さて、今年の新年の祝い膳でも、新たな信奉者が増えるのだろう。そちらも考えておかなければ」
「とは言え、新参者の姿が目立つ機会でもありますからね。浮ついた者達は、古参の会員が粛清してしまうでしょう」
このイーザとは、彼がザハに訪れ、ネア達が好んで注文するものばかりを買ってゆくことなど、幾つか不安要因が重なり声をかけたのがきっかけで親しくなったが、闇の妖精の事件を経て、実際に顔見知りにもなり本人はとても嬉しそうだ。
最近では、ヨシュアがネアに懐いてしまったところが心配の種なのだそうだが、話を聞いていると、雲の魔物は、ネア個人というよりは万象も含めたその全員に会いに行きたいのだろう。
「………あなたがいてくれると助かります。我々の嗜好とはまた違う領域で、あの方を見守っていて下さる方に治めていただくのが最良でしたから」
「そうすれば、他の会員達も不満を溜め込まないというのが、君の意見だった」
「ええ。それと、アクスの代表もそう仰っていましたよ。………そう言えば、会費を投資して何倍かに増やしたそうで、いっそ、その資金で定例会用の集会所のようなものを借りるかどうか考えてみてくれと連絡が来ていました」
「………集会所か。資金に不足がなければ、そのような場所を借りてしまうのもいいかもしれないな。拠点となるところが決まっていると、集団の活動の場としては便利なのは確かだ」
その晩も二人で色々と話をし、霧雨の妖精王が持ってきてくれた妖精の酒を飲んだ。
食べるものはオリーブくらいしかなかったが、その不自由さがまた愛おしい。
その夜は満月だった。
イーザが帰った後で一人でグラスを傾けながら、月光が青白く照らすウィームの街を窓から見ていた。
今夜はもしかしたら、ネアはアルバンの雪山に雪菓子を採りに行くのかもしれない。
或いは、夜の森に狩りにでも出るのだろうか。
そうすると万象の魔物が心配そうについてゆき、生き生きと狩りをする婚約者の隣で、その楽しそうな様子に瞳を輝かせて微笑むのだ。
そんなことを思い浮かべるだけで、その夜はとてもいい夜になった。
ウィームに戻ってきてほっとしたのだろうとは思うが、その余韻の暖かさに微笑みを深める。
今日はいい一日だったなと思いながら。