218. 大晦日の夜は危険がいっぱいです(本編)
大晦日の夜には、怪物達が溢れかえる。
それは、一年で最もこちら側とあちら側の境界が曖昧になるからで、幾つかあるそのような時節の中でも、大晦日に出現するのは怪物と呼ばれるちょっと怖い見た目の生き物達だ。
様々な生き物達の中でも、一際恐れられ、或いは疎まれたり怖がられたりする系譜の者達が住まう場所の、その境界こそが最も緩むのだという。
他にも曖昧になる境界線は幾つもあるが、そんな怪物達が真っ先にこちら側に飛び出してくるので、他の界隈ではこの夜の越境は遠慮の傾向であるらしい。
ごーんと、鐘の音が鳴った。
これは夕暮れを伝える鐘の音で、この音が鳴り始めたら誰もが慌てて屋内に避難する。
また、ごーんと鐘が鳴った。
この先も外にいるとすれば、それは使い魔を求める向こう見ずな魔術師か、怪物達の襲来に影響を受けない人外者くらいだ。
勿論リーエンベルクの騎士達は実力者ばかりだが、そんな彼等もきちんと屋内に退避する。
人ならざる者達の営みに無駄な抵抗をすることなく、その摂理に従う。
それもまた、この世界で賢く生きて行くための人間の知恵なのだった。
(だから、夕方までにどの施設も、怪物達対策で結界を万全にする)
勿論、公共の施設の管理人は、残って内側から番をしている。
完全にその守りを放棄するのではなく、大晦日のお祝いをしながら、怪物を避ける場所から仕事を続けるのだ。
ごーんと最後の鐘が鳴り、ネアはそろりと窓から目を離した。
そろそろ最初の怪物達が出てくる頃合いだ。
今年は、怪物封じの遮蔽カーテンをおろせると知っているので、窓の外を見ようとしない限り問題はない。
「ネア、もうすぐ始まるよ」
「ゼノ、今年のお料理も素敵な感じですか?」
「うん。僕はね、詰め物をした鶏の丸焼きが気になるんだ。お米とかも入ってるんだよ」
「なぬ!それはきっと、鶏のお味が染み込んでかなり美味しい筈なのです」
「それとね、衣をつけて揚げた牛肉にグレイビーソースをかけたやつ。ソースはね、後から自分でかけるの」
「………じゅるり」
それはきっと、さくさくとろりでジューシーなお肉な食感になる筈だ。
ネアは心が沸き立つあまり、小さく足踏みしてしまう。
「ネア様、今年はカーテンを下ろせますので、どうぞご安心下さいね」
「ヒルドさん、お仕事はもう大丈夫なのですか?何かお手伝いすることがあれば仰って下さいね」
そこにやって来たヒルドは、つい先程までリーエンベルクの結界や禁足地の森の見回りなどで忙しなくしていた。
ネアも手伝いを申し出たのだが、エシュカルを飲んでの帰り道にリーエンベルクの外門にへばりついていたアライグマにしか見えない祟りものを撃滅したことで、本日はとてつもない成果を上げたとされている。
何しろそのアライグマは、リーエンベルクの騎士達を美味しいおやつにするべく、ここ数日地味な嫌がらせを続けて彼等の心を削り続けていたからだ。
正面からぶつかれば騎士二人ほどで倒せる相手であったが、悪知恵が働くアライグマは、影から彼等を苛々させることに徹底していたそうだ。
そうして生まれた隙に乗じて、騎士達を襲うつもりであったらしい。
門に掴まってげへへと笑っていたので、ネアはディノに相談してから、べしりと手刀で滅ぼした次第である。
「あの水絞りの精霊を排除出来ただけでも、どれだけの助けになったことか。リーナは安堵のあまりに泣いていたでしょう?」
「リーナさんは特に、竜さんの血が入っているので美味しそうに見えていたのですよね?」
「ええ。その結果、お気に入りのマグカップが割られたり、履く靴の中に毛玉の妖精を敷き詰められていたり、何かと苦労が絶えなかったようです」
「…………お気に入りのマグカップが嫌がらせで割られたのであれば、あのアライグマめは滅ぼされてしかるべきです!」
(撃滅しておいて良かった!!)
己の決断を誇りに思い、ネアはエーダリアと何かを話しているディノのところに歩いて行った。
ゼノーシュはお部屋のグラストを迎えに行くようで、ヒルドはノアを起こしに行くらしい。
また後でと二人を見送ると、ディノとエーダリアのとこへ合流した。
「………ネア。今、年明けの守りについて、幾つか頼んでいたところだ」
「ええ、私達に任せて下さいね。のんびりごろごろしながら、悪いやつは滅ぼします!」
「今年はアルテアも王都に入るそうだが、手を借りられずとも問題はなさそうか?」
「まぁ、使い魔さんは王都で新年を過ごすのですね?」
「兄上が、擬態した彼を友人として招いたそうだ。カルウィから使節も来ていることだし、王妃も珍しく新年の儀に参加する。私としても、統括の魔物が密かに現場にいてくれるのは心強い」
ネアは、その言葉に少しだけひやりとした。
未だカルウィの情勢はきな臭く、ヴェルクレアに友好的な王族もいるのだが、国力が安定している今こそ領土拡張をと声高に唱える勢力もあるのだそうだ。
直接に国境線を引く隣り合わせの国ではないものの、大陸間公路の線上に位置する大国同士。
昨年には水竜の問題も起きており、カルウィの動向は、ヴェルクレアにとっても頭の痛い問題ではあるのだろう。
(でも、国やその国同士の確執の物語の中の登場人物を、私が知る必要はないと思っている)
それはネアの役目として関わるところではないし、判断をするのはネアなどより遥かに政治的な手腕を磨いた者達だ。
例えば、ダリルの、名前を知らないような弟子一人であれ、ネアよりは優れた意見や能力を持つだろう。
であればネアに必要なのは、もしいつかその火の粉を払うのにネア達の力が必要だと現場が判断した時、惜しみなく力を貸す覚悟だけである。
エーダリアはともかく、ダリルはまず間違いなく頼ってくれるだろうし、第一王子や、ウォルター、リーベルなど、ダリルの手が塞がっていてもどこかしらから連絡は入るに違いない。
なのでネアは、その手の問題にはしゃしゃり出ないように注意していた。
「エーダリア様、ノアがくれたお守りを忘れずに持って行って下さいね」
「ああ。だがそれ以前に、銀狐は肩に乗せていくがな」
「…………あの襟巻きがあれば大丈夫そうです」
その話の途中で、ぽこんと窓に柔らかなものがぶつかる音がした。
「むぎゃ!」
ネアは慌ててディノにしがみつき、魔物をもじもじさせてしまう。
怪物達の襲来が始まったのだ。
「見えなくても怖いのかい?」
「むぎゅう。人間はとても想像力豊かな生き物なので、こうしてそこに怪物達がいると知るだけでもぞわりとするのです。もしどこかに、誰も知らないような思いがけない結界の綻びがあったりして、その結果とんでもない事件に発展したりするという物語はよくありますから」
「そうなんだね」
「………不吉なことを言わないでくれ」
エーダリアが青い顔でそう言うので、ネアもこれ以上は不吉なことを考えまいとしてきりりと頷いた。
「まぁ!なんて素敵な飾り付けなのでしょう!」
会場になる広間に入ると、ネアはその美しさに声を上げた。
昨年の飾り付けも素晴らしかったが、今年もとても美しく飾られ、ふくよかな花と果実の香りに満ちている。
特にふんだんに生けられた花々の香りが、果実の香りを焚くことで見事に調和され、食事をするのに邪魔にならないような、清々しい香りになっているのはやはり驚きだ。
胸いっぱいに吸い込めば、一年の疲れも吹き飛びそうなくらいにいい匂いにうっとりする。
雪結晶の白い床石にはシャンデリアの煌めきが落ち、その上にはふかふかの瑠璃色と水灰色の繊細で美しい織り柄の絨毯を敷いてある。
水灰色とミントグリーンの壁には、ほわりと色づいた程度の柔らかな色彩の、艶消しの金の装飾で草花の美しさが表現されていた。
天井に広がる精緻な森の木々と花々の彫刻が森の天蓋のような安らかさを齎し、そこに煌めく淡い菫色と水色の宝石の輝きは何度見ても素晴らしい。
魔術的な要素を多分に含む石たちは、この室内に花を生けたりするとその魔術を循環させ、喜びに煌めくのだった。
(やっぱり、何度見ても見慣れても、ここはお伽話の世界なのだわ)
「…………そうして、今年はカーテンが」
ただお料理を楽しむだけでいいのだと、うきうきとしたまま広間に入ったネアは、大広間の窓がカーテンを下ろさずにいることに愕然とする。
はわわとしながらディノを振り返ると、直前まで外の中庭の様子を見ていたのだと、慌ててヒルドがカーテンを下ろしてくれた。
「ふぎゅ。怪物封じの遮蔽カーテンがなければ、去年の二の舞なのです!」
ネアが涙目でそう訴えれば、なぜかエーダリアとヒルドがこちらを驚いたように見る。
「………あれは、普通のカーテンだぞ?」
「ネア様、遮蔽カーテンであればあちらにありますよ?」
「……………なぬ」
指し示してくれたヒルドの指先を追えば、そこには奇妙な、ちんまりとした仮設更衣室のようなものがある。
ちょっとした罰ゲーム的な感じの一角で、人一人が座って食事が出来るよう、小さなテーブルと椅子が添えつけられているようだ。
「……………随分と狭くないでしょうか?」
「そうでもないぞ。世界から遮断して怪物達を見えなくする魔術空間なのだ。あれだけあれば、かなりのものではないか」
「………そうなると、一般のご家庭などでは………」
「確かに、怪物封じのカーテンを持たないところもあるな。だが大抵は小さなものを持っていて、まだ抵抗力のない子供達を優先し、顔まわりだけにカーテンをかける」
「…………考えていたものと、だいぶ違いました」
ふるふるしながら、ネアはその臨時更衣室を凝視する。
せっかくの大晦日にあの中で一人きりになり、周囲から隔離されたようになっているのと、多少の無理があってもみんなと一緒に居るのとでは、どちらが心に優しいのだろう。
「心が限界値に達したら、あの中に避難すればいいのですね…………」
「そうだな。最初の頃はまださして出てもくるまい」
「むぐぅ。なぜに皆さん平気なのだ………」
「そう言われますと、慣れでしょうか………」
「慣れだろうな」
そうそう慣れるようなものではないので、みんなは心が丈夫過ぎるのだと、ネアは荒んだ面持ちでこくりと頷く。
ご主人様がふるふるしているからか、ディノがすぐに後ろから抱き締めてくれ、ネアは今夜は片時もご主人様から離れてはならないと言い含めなければならなかった。
「…………可愛い。甘えてくる」
「もう、何をどう考えてくれても構いませんので、どうかずっと側にいて下さいね」
「何だ、お前はまた何かしでかしたのか?」
「使い魔さんもです!私が心の限界値に達してあの遮蔽カーテンに逃げ込むまでは、怪物達が近付かないように私の側にいて下さい!」
いつの間にか、広間の中にはアルテアの姿があった。
昨年は無理やり呼びつけられてしまったが、今年からは約束しているので最初から参加してくれることとなる。
黒檀色のスリーピースに、ジレだけがくすんだ薔薇色で何とも言えない艶やかな装いだ。
イブメリアとは違う大晦日の華やいだ気分に合わせたのか、アルテアもこの日ばかりは人間の若者達のような羽目を外して大騒ぎしたいのかもしれない。
「アルテアさんも、乱痴気騒ぎに憧れるのですね」
「…………は?」
「しかしながら、あまりに羽目を外してもいけませんよ」
「おい、妙な勘違いをするな」
アルテアはとても嫌そうに顔を顰めていたが、ネアは分かっているぞよと生温い眼差しで頷いてやった。
種族など関係なく、男性特有の無邪気さのようなものなのかもしれない。
「さて。今年も始めようか」
そんなエーダリアの一言で、リーエンベルクの大晦日のお祝いが始まった。
騎士棟でのお祝いは一足先に始まっており、警備を続ける者達との入れ替えで満遍なく楽しむ仕組みなのだそうだ。
素晴らしく上等なお酒と、ディノ特製の酔い覚ましの薬が用意されており、ご機嫌とすっきりを無理なく行き来出来る。
グラストはそちらに参加している時間の方が多く、エーダリアやヒルドも途中で顔を出すが、そちらには騎士達の家族も来ており、仲間内でわしゃわしゃするのが楽しいそうだ。
「僕があんまりいると、魔物の討伐の話とかし難いみたい」
そうしょんぼりするゼノーシュだが、グラストが笑って教えてくれたことによると、騎士達はゼノーシュが愛くるしいあまり、少しでも悲しませたくなくて必死なのだという。
なお、ゼノーシュにお菓子をあげたり、可愛い魔物と話すことを至高の喜びとする単身者も多く、あの騎士達は結婚出来るのだろうかとグラストは心配なのだそうだ。
「ゼノは皆さんの人気者なのですね。でも、グラストさんがしょんぼりしないように、グラストさん大好きなゼノのままでいて下さいね」
「僕、いつだってグラストが一番好きだよ」
ネアの企みにうっかり乗ってしまい、ゼノーシュはそう口にしてしまってから、ぽぽっと頬を染めた。
そんな愛くるしいクッキーモンスターを見たグラストは、破顔して子煩悩な父親のような顔になる。
「ゼノーシュが好きでいてくれるなら、俺は世界一の幸せ者だな」
「やった!」
そんな幸せそうな二人を眺め、ネアはご機嫌でその場を離れた。
今のやり取りを側で見られただけで、心の温もりが満腹である。
ご馳走様でしたというやつだ。
ぽわぽわの心で帰ってくると、アルテアとヒルドが珍しく話し込んでいる姿に遭遇した。
その話に加わってしまっているエーダリアは、なぜか青ざめているようだ。
「エーダリア様?」
「…………その、イブメリアのカードがな、届いたのだそうだ」
「ニエークからのものかな」
「む。羽織りものが喋ってくれました」
「そうか、そちらには話していたのだな。………その、雪の魔物からのカードの処遇について、話しているのだが」
「なぬ。雪は大好きなので、ニエークさんには大人しく関わらず元気でいて欲しいです」
「ネア、ニエークがカードを送って来たことが問題なのでないよ。ニエークのカードに、書かれていたことが問題なのだろう」
「どんなことが書かれていたのですか?」
「樹氷の精霊に祟りものが出たようなんだ」
「…………あまり良くない雰囲気ですね…………」
樹氷の精霊は、それはそれは美しく樹氷になった木が、ここではない何処かへの門となるという伝承から生まれた精霊だ。
門の魔術や可能性の魔術などを司り、階位は決して高くはないものの、保有魔術が厄介な生き物として警戒を促してきたらしい。
そのカードが届いたことは伏せられていたのかなとネアが首を傾げると、気付いたヒルドが事情を教えてくれる。
「正確には、ネア様宛のイブメリアのカードではなく、我々に対し、ネア様が雪菓子に困ることがあれば、いつでも声をかけてくれという内容のものでしたが、そこにその樹氷の精霊の情報も書かれていたのですよ」
「どうせお前のことだからな。きっと、その精霊とも出会うぞ」
「不吉なことを言わないで下さい。使い魔さんも圧倒的な事故率を誇るではないですか!」
ネアはぷんすかして足を踏みならしたが、その途端にぞわりと床が揺れた気がしてぎくりとする。
その視線に振り返ったヒルドが、くしゃりと盛り上がった絨毯を踏んでおいてくれた。
「ご安心を。まだ何かが出てきた訳ではないようです。入り口が開きかけていただけですね」
「…………入り口が。………ディノ、こうなったら、一刻も早く大晦日のお祝いを堪能しきりましょう!ひとまず、あの鶏の詰め物を狙います!」
「な!……ま、待て………」
「エーダリア様…………」
かくして、第三次鶏肉戦争が勃発した。
とは言えいつの間にかゼノーシュが食べ始めており、ネアとエーダリアも大慌てで参戦する。
だが、エーダリアはまだ知らないものの、今回のネアの標的は、鶏肉の旨味がたっぷり染み込んでいるに違いない中のお米のあたりなのだ。
ネアが襲撃した部位を見て、エーダリアがおやっという顔をしていたが、ネアは他人の評価に左右されずに自分の主張や欲求を貫き通す崇高な人間である。
「ディノ、鶏の旨味がたっぷり染み込んでいるお米のところと、美味しい鶏肉を略奪してきました。分けて差し上げますね」
「ご主人様が可愛い………」
ここでディノはなぜか、両手にグラスとお皿を持ってみたので、ネアは苦笑してスプーンを手に取ると、お口にお米の部分を入れてやる。
「美味しいですか?…………む、逃げましたね」
きゃっとなったディノは逃げてしまったので、ネアは慌てて一番近くにいたアルテアを捕まえる。
本日は怪物が出るので、決して一人ではいたくない。
「…………なんだ?」
「むぐ。ディノが窓辺に逃げてしまったのですが、あの位置はとても危険なのです。そこで使い魔さんを捕獲しました」
「ほお。それで…………おい、何をして……」
ネアがずぼっとアルテアの腕の中に入り、勝手に羽織りものにしたところ、アルテアは絶句してしまった。
「ネアが浮気してる……。アルテアを羽織りものにするなんて…………」
「ふふ。目論見通りに戻ってきましたね!」
「アルテアなんて…………」
「おい、俺は完全に利用されただけだぞ?」
「ほら、荒ぶってしまわないで下さいね。先にご主人様を放り出して逃げてしまった困った魔物は誰でしょう?大人しく側に戻ってくるのですよ!」
「………ずるい。可愛い」
魔物が戻ってきたので、ネアはぺっと使い魔を脱ぎ捨てて、ディノの隣にぴたりとくっついた。
「むふぅ。やっぱり、事故りがちなアルテアさんよりは、安心のディノですね」
「ご主人様!」
「おい、やめろ」
「私の厨房でも事故ってしまったのはどなたでしょう?………それと、ノアが起きたようです」
「静かだなと思ったけれど、寝ていたんだね」
それまでどこか虚ろな目で、持たされたグラスを両手で握ったまま大広間の端っこの椅子に置物になっていたノアが、はっとしたように立ち上がるのが見えた。
「…………ありゃ。僕はいつの間に」
「やっと起きたのですか。今年はリーエンベルクの大晦日の祝い事に参加したいのでしょう?」
「………そうだった!」
ヒルドにそう言われ、ぴしゃっと立ち上がったノアは、まだ髪の毛をくしゃくしゃにしたまま、慌ててこちらにやって来た。
今日は寝起きで連れてこられたもののヒルドが面倒を見たのか、白いシャツに淡い灰色のアラン編みのセーターのようなものを羽織っており、良家のお坊ちゃん風の装いである。
余談だが、実はネアは、ノアの手持ちの服には羨ましい系のセーターが多いと思っていた。
白いシャツや黒いロングコートなど、質のいいものを長く丁寧に使うのも素敵だなと思う。
「………………ありゃ」
しかしそこで、ノアは眉を寄せて立ち止まると振り返った。
ネア達もそちらを向けば、ふわりとケープの裾を翻したウィリアムが到着したところだった。
来るとは聞いていなかったので、ネアは思わずディノを仰ぎ見てしまった。
「わーお、ウィリアムって忙しい時期じゃないの?」
思わずそう尋ねたノアに、微笑んだウィリアムはそうだなと頷く。
柔和に微笑んではいるが、どこか表情が固い。
「シルハーン、予定なくすみません。気になったことがありまして」
「随分と無理をして出てきたのではないかい?君は、鳥籠の最後を見届けないのは嫌うだろうに」
ディノのその言葉に、ウィリアムは少しだけ淡く瞳の色を揺らした。
ああ、今の言葉は嬉しかったのだなとネアは思い、そんな言葉を選んだディノによく分からないが何だか嬉しくなる。
「…………そうですね。確かに少しらしくない畳み方をしました」
「ウィリアムさん、お疲れなら、仲間外れ感が出ない中央に椅子を持って来ますよ?」
思わずネアがそう声をかけると、ウィリアムはふっと微笑みを深めて首を振る。
「いや、大丈夫だ。心配させてしまったな。………それよりも、ネアには変わったことはなかったか?」
「ウィリアムさん?」
「いや、ウィームの中央に局地的な終焉の予兆が出たんだ。予兆は流動的なものだから、そこまで心配することもなかったんだが、それが少し気になってな」
そう笑ったウィリアムにふわりと頭を撫でて貰い、ネアは不安に目を瞠った。
こちらを見下ろしたウィリアムの表情には、微かな翳りと厳しさがある。
過酷な戦場だったのだろうかと、ネアはちびふわにして撫でてやりたくなった。
「………もしかして、リーエンベルクの方に何か被害が出たりするのでしょうか?」
「いや、俺がここにいれば、終焉の芽の派生の瞬間に潰せばいいだけだからな。シルハーンとアルテアもいるから、心配ない」
「ほわ…………」
ほっとしたネアは、視線をお料理に戻した。
怪物出現までの時間を思えば、早く楽しむという任務を続けるのが最良だろう。
「…………お前らしいな」
「はは。ネアは食べ物の方が気になるか」
「ウィリアムさんが来てくれたなら、きっと安心の筈なのです。後はもう、アルテアさんが事故ってしまわなければ………」
「賭けてもいいが、事故るのはお前だろうな」
「では、事故ったのがアルテアさんであれば、ちびふわ一日の刑に処しますよ!」
「勝手にしろ」
その後は暫く、リーエンベルクの大晦日は恙なく進んだ。
ウィリアムは、エーダリアとヒルドとその終焉の予兆とやらについて話し込んでおり、とは言え深刻そうな様子ではなかった。
ノア曰く、その終焉の予兆というのは決して珍しいものではないのだそうだ。
「まぁ、ウィリアムも過保護になったってことかな。駆け付けることが楽しい時期なのかも知れないし、アルテアに負けたくないのかも知れないね」
「終焉の予兆というのは、随分と多くのものに適応されてしまうものなんだよ。ただ、……あまり細かなことは気にしないウィリアムが、今回ばかりは気になったのだとしたら、少しだけ注意が必要かもしれないね」
そんなディノの言葉が、ネアは気になった。
彼等にはきっと、ネアには分からないような様々なものが見えているのだろう。
その上で、ディノまでそう言うのであれば、本当に何かが起こるのかも知れない。
「…………ふぎゅ。怪物が荒ぶらなければ良いのですが」
「君の手を離さないようにしよう」
「ふふ。ディノがいてくれて、リーエンベルクの頼もしい皆さんがいて、おまけに使い魔さんや、ウィリアムさんまでいればもう安心ですね」
そう微笑んだネアが、そのままの流れで首を傾げたのは、ぽこんとちび毛玉が視線の先に出現したからだ。
「……………む。なにやつ」
そしてその生き物は、ふわふわぽわぽわの水色ボディにちびちび鹿角があり、猫尻尾の持ち主という、また新しい生き物だ。
(可愛い筈なのに、なぜか可愛くない。…………どこか長老めいた表情だろうか)
しかしながら、これはもしや大晦日の怪物なのだろうかと考えたネアは、くいくいっとディノの腕を引っ張った。
「ディノ、あやつは…………ディノ?」
「…………合成獣だね。…………ネア、下がっておいで」
「むむ。さては苦手な感じなのですね?……幸い私は特に問題ないので、何だか可愛くも見えますが、悪い奴であればくしゃっとやっておきますか?」
憂鬱そうな表情のディノが可哀想になり、ネアはそう提案してみた。
するとディノは、淡く微笑み首を振ってくれる。
「君は心配しなくていいよ。ノアベルト、この子を見ていてくれるかい?」
「勿論。でもあれってさ、もしかして……」
その時だった。
ディノが対処するよりも早く、その謎生物に立ち向かった魔物がいた。
「醜悪だな。さっさと潰しておくぞ」
「やれやれ、これの予兆だったのかな。祟りものですし、排除しておきますね」
そしてそれが、大晦日の悲劇の幕開けだったのだ。