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217. 大晦日には新酒を飲みます(本編)



大晦日になった。


昨晩には婚約記念日認識違い事件があったが、無事に一年の最後の一日の朝食を迎え、昨晩にはウィーム各地の騎士達や地方伯達との忘年会的なものに参加していたエーダリアは、若干よれよれで現れる。



いつものように涼やかに現れたヒルドを見て、エーダリアはなぜなんだろうと項垂れてた。

ネアは、きっと人間とは体内構造が違うのだろうなと思うので、エーダリアには優しい眼差しを送っておいた。

でなければ、あんなに美味しい妖精の粉を生産してくれる筈がない。



「今日はエシュカルが飲める日なのです!昨年の私とは違いますよ。あの素敵なお酒を少しだけ買い占めて、ディノに魔術で保管して貰うのです!!」

「………悪酔いはするなよ」

「ふふ。今のエーダリア様に言われると、説得力がありますね。 エシュカルは私も酔っ払ってしまうお酒なのですが、ふわふわ気分が良くなるだけの効果なのでご安心下さい」

「それなら構わないが…」

「だから、私と一緒の時以外には飲んではいけないよ」

「なぬ…………」

「危ないからね」



ディノ曰く、ご主人様は酔っ払うととても無防備な感じで可愛いので、誰かに攫われてしまうからなのだとか。



「攫われてしまいそうなくらいの可愛さとは、ゼノや、ムグリスディノ、ちびふわさんのような生き物のことを言うのでは………」

「ご主人様も可愛い…………」

「お前の基準は全てが毛皮のものなのだな」

「は!海の白もふさんも愛くるしかったです。あの方がアルテアさんの伴侶さんになると、とても幸せなのですが………」

「おや、であれば取り持って差し上げればいかがですか?」

「ヒルド……………」



そんな使い魔なアルテアは、ネアが予約してしまった為に今夜もリーエンベルクに来なければならない。

しかしながら、ウィームにもお家があると分かったネアは、今迄以上に遠慮しなくても良いのだと確信している。


帰る森は案外近くにあったようだ。



「僕、エシュカル大好き」

「ふふ。ゼノも去年は沢山飲んだのですよね?」

「うん。お店のある土地によって、少しだけ味が違うところもあるんだよ」

「まぁ!それは知りませんでした。でも初心者ですので、今年はまず、昨年とても美味しかったお店のものを手に入れます!」

「ウィーム中央のエシュカルは、三箇所から仕入れている。どの店で飲んだのだ?」



エーダリアからそう尋ねられ、ネアがお店の名前を言えば、ザルツの近くにある時間の削り取られた不思議な町で作られたものだと教えてくれた。




エシュカルは、発酵途中の葡萄酒だ。

白葡萄酒の濁り酒のようなもので、葡萄ジュースとお酒の間のような何とも瑞々しくて美味しいお酒である。

酒精の祝福を受けたばかりなのでとても強いそうだが、喉越しはとても爽やかでごくごくと幾らでも飲めてしまう魔法のお酒なのだ。



なので勿論、ネアは朝食を終えてリーエンベルクでの大晦日の作業に手を貸した後には、街に出てエシュカルの狩人となる。


外に出ればもう、ここ数日でウィームの香りは随分と変わってきた。

イブメリア特有の甘くふくよかな祝祭の香りがなくなり、冬らしい澄んだ硬質な香りがする。




「新年の飾り付けがとても華やかですね」

「人間はとても素早く街を変えてしまうね」


魔物からすると、それは人間の不思議で力強い特徴なのだそうだ。

人外者達とは違い、手作業でさっさと季節の祝祭の飾り付けを入れ替えてゆく姿を見ると、なぜかほんの少しの恐れを覚えるのだとディノは言う。

特に、イブメリアや夏至祭などの華やかで美しい祝祭の飾りなどを容赦なくぽいっとする様には、残忍さしかないとディノは密かに慄いていたようだ。



「君がそういう人間ではなくて良かった」

「………私は、その手のものは意外に惜しんで取っておいてしまう人間ですものね」

「ご主人様は優しい………」

「ふふ。妙なものが捨てられない性分が、ディノにほっとして貰える要素で良かったです」



ウィームの街は賑わっていた。

エシュカルを飲む為に住人達がこぞってうろうろしているからでもあり、美しいウィームの街で大晦日のエシュカルを楽しもうと、観光客もたくさん訪れている。



エシュカルを飲む為だけに訪れる観光客は三種類に分けられる。


まずは頑張って前日から早朝までにはウィーム入りし、エシュカルを素早く飲んで観光をし、怪物達が出てくる前に自宅に帰る弾丸派。


次は、エシュカルを飲んで大晦日のウィーム観光を楽しみ、お宿で新年を迎えると、安息日で静まり返ったウィームに更に一泊してから帰宅する者達。

こちらは、新年の安息日は徹底的に休むウィームなので、安息日のチェックアウトが出来ないという弊害による連泊のお客様だ。


最後は魔術の才能や、公共の転移門を使う余裕、或いは携帯転移門を買う懐の余裕がある、謂わば魔術的富裕層な観光客である。

彼等はさっと来て美味しいエシュカルを楽しみ、ささっと帰ってゆく。



「見慣れない方達がたくさんいますね」

「人外者も混ざっているから、手を離さないようにするんだよ」

「…………三つ編みよりも、手にしませんか?」

「君は三つ編みが好きだからね」

「……………昨日の婚約記念日を振り替えしているので、手を繋ぎましょうか!」

「…………ネアが大胆過ぎる」

「むぐぅ」



つい先日まで家々の扉にかけられていたイブメリアのリースは、もうどこにも見当たらない。

その代わり、来年はこの色だという、淡いラベンダー色の新年のお祝いに備える飾りが目立った。

リーエンベルク前の広場で行われるお祝いのテーマカラーは、毎年こうして年末にリーエンベルクから配られるお祝い飾りで判明する。


イブメリアの安息日の翌日になると、配達妖精達が全力で配ってくれる手のひらくらいの素敵なお花と光る結晶石にリボンの飾りだ。

小さな輪っかに、長く垂らした幅広のイメージカラーなリボンと、細いリボンには、お花とぽわりと光る結晶石がぶら下がっている。



「見て下さい、去年は気付きませんでしたが、真紅の絨毯と旗が目印なザハなのに、正面玄関の真ん中の旗だけ、ラベンダー色になってますよ!」

「おや、きちんと色を取り入れるのだね」

「素敵ですね」

「あちらのお店も、ラベンダー色を取り入れているようだよ」

「まぁ。あのちみっとした、お花飾りですね。忍ばせるのが上手なお店です」



さくさくと雪を踏む音に、雪化粧をした街路樹の木々が美しい。

白く雪を纏ったウィームの街は、まるで宝石のようだ。



はらりと時折落ちてくる雪が見えるが、今日は朝から晴れている。

翼を広げて飛んでゆく雪竜に、ふわりとドレスの裾を翻してはしゃいでいる薄羽の妖精達。

輪になって井戸端会議中のご婦人達の足元では、その輪を真似した小さな栗鼠妖精達が輪になって踊っている。



そんなウィームの街を歩き、ネア達は昨年と同じカフェに来た。



「ディノ、今年も雪を見ながらお外の席でいいですか?」



テラス席が暖かいと知ってしまった人間は、ご機嫌でそう提案した。

ちょうど、通りの一部と街路樹の道がいい具合に見える席が空いたところで、ネアはしめしめとほくそ笑んだ。



「良い席が空いたようだね。おや、………昨年見た人間がいるね」

「む。…………愛情の積み立てについて話していた奥様ではない方とご一緒です」

「…………あの指輪は、人間が伴侶の証としてつけるものなのだろう?」

「むむぅ。新しい奥様ですね」

「新しい…………伴侶」



ディノはその事実に震え上がってしまい、見晴らしのいい空席を断固拒否した。

とても縁起が悪いので、どうしてもそのご夫婦の隣の席は嫌なのだそうだ。

ネアは、今日も振り替え婚約記念日でもあるので魔物を甘やかすべく、仕方なくもう一つの空席に座ることにした。



「あら、でもこちらの席は座ってみるととても素敵な眺めでした。建物と建物の隙間から、細い道の奥に歌劇場が見える絵葉書のようなお席です」


ネアは思いがけない景観の良さに微笑み、自分の我儘で席を変えてしまったことにしょんぼりしている魔物を手招きしてやる。



「…………良かった」

「ふふ。ディノのお陰で素敵な席になりましたね。そして今年は、昨年の経験を生かしてお外で飲むエシュカルは二杯くらいで止めておきますね」

「おや、私が一緒なのだから心配しなくても大丈夫だよ?」

「…………むぐ。宣言しておかないと、飲み過ぎてしまうからです」



己の心の弱さを知っている人間は賢く言葉を利用しようとしたのだが、ご主人様を甘やかす魔物のせいであっさり挫けてしまう。



エシュカルの注文を済ませると、さっそくネアの前には綺麗な青いグラスが置かれた。

この小さなグラスは美しく、飲んだ後は持って帰れるので、観光客にもとても人気がある。


エシュカルを扱う店には、その取り扱いの印として、しゃわりとした質感で、淡くふわりとした色合いな金色のリボンで束ねた、艶々の緑の柊の葉を店先に吊るしてある。


その柊が気になるのか、ぽわりとしたもさもさ小鳥妖精が何羽もたかっていて、柊の棘でぴっとなって逃げてゆく。



「あらあら、どうしてそんなに気になってしまうのでしょう」

「あのリボンにかけられた祝福が欲しいのではないかな」

「むむ。窃盗犯予備軍でした…………」



カフェは、心地よい喧騒に包まれていた。

ネア達のテーブルにも、待ちに待ったエシュカルの瓶がやって来る。

ことりと置かれたその瓶のラベルにも、リボンにくくられた柊の束の絵が上品に描かれていた。



「今年のエシュカルは、出来が良いそうですよ。ゼノが教えてくれました」

「弾んでる…………」


楽しみなあまり、ネアは椅子の上で弾んでしまう。

さっそくうきうきとエシュカルをグラスに注ぐのだが、シュプリなどは優雅にグラスに注いでくれるディノも、今日ばかりはネアからエシュカルの瓶を取り上げたりはしない。



ネアがどれだけこのお酒を楽しみにしているのか、ちゃんと知っているのだ。



「ほゎ。………ささ、ディノにも注いであげますね!」

「急いで飲まないでいいのかい?」

「とても楽しみにしていたエシュカルなので、大事な魔物と一緒に楽しみたいのです」



今年のグラスに刻まれた年号を、指先で撫でる。

その肌触りにふつりと緩む唇を一度引き結び、ネアははやる鼓動を抑えてから、綺麗な青いグラスに口をつけた。



「…………ぷは!まさかの今年はいっそうの美味しさです!!」

「…………ご主人様が、可愛い」

「ディノも飲んで下さいね。今年は、昨年よりも瑞々しくて喉の奥がしゅん!とします」

「しゅん…………」


はしゃぐご主人様に勧められ、ディノも小さなグラスを傾けた。

きっとディノが好むようなお酒とは違うのだろうが、それでも嬉しそうに飲んでくれるのだから、優しい魔物だ。



「………君は、エシュカルがとても好きなんだね」

「…………むぐ。もしかして、はしゃぎ過ぎて呆れてしまいました?」

「そんな事はないよ。………君が好きなものを見付けるのは、とても嬉しいことだからね」

「…………まぁ。何だか素敵な言葉を貰いました」

「ヒルドが話していただろう?好きなものを知っていれば、君は逃げないと」

「…………ぞくりとしました」



ネアは、向かいの席で艶麗に微笑んでいる魔物を見つめた。

青灰色の髪に擬態し、ネアの大好きな少し軍服寄りなデザインが魔物らしくて素敵な濃紺のコートを着ている。



微かに傾けるようにして首を傾げ、ディノは微笑みを深める。

したたかで美しい、魔物らしい微笑みだ。



「今年のものは出来がいいのなら、少し多めに保管しておこうか」

「買い占めをしない程度に、一箱くらいにしましょうね」

「保管をするところなど、幾らでもあるのに?」

「ふふ。せっかくの季節のものですので、どれだけ堪らずに大好きでも、あり過ぎるというのも宜しくないと思うのです」

「そういうものなのだね」



(そう言えば去年の今頃は、一年後には変態の扉を開いてそちらの住人になってしまっていると怯えていたのに…………)



あれだけ慄いていたのだが、幸いにもまだ一般人として健やかに過ごせているようだ。

よく三つ編みを引っ張るようになってしまったし、あれこれとご褒美も増えた。

腰に紐までつけるようにはなったが、恐らくまだ踏みとどまっていると信じている。


しかしそれは、あくまでも婚約期間が二年になったからであり、これからの一年でしっかりと学ばねばなるまい。


「…………うむ」

「ネア?」

「決意を新たにしたのです。来年は、ディノの婚約者としてのお勉強もありますから、どこかに落ちたり連れ去られたりしないようにしなければ!」

「ご主人様!」



そんなことを話していると、ふっとディノが目を細めた。

その視線を辿り、ネアはおやっと眉を持ち上げる。




「これはこれは」

「まぁ、アイザックさん」



そこに立っていたのは、舞踏会帰りの紳士のような服装をしたアイザックだった。

漆黒の仕立てのいいコートは裏地まで黒だが、帽子のリボンだけは上品なオリーブ色だ。

このアクス商会の代表が、黒と白以外のものを身に纏うのは珍しい。



(………お洒落してのことなのかしら?)



彼のことなので、お洒落というよりは、大事な顧客の色を取り入れているだとか、そのような理由があるのかもしれない。



「君が他の色を身につけるのはめずらしいね」

「ああ、これですね。ルドヴィークから、他の色も使ってみてはどうかと提案がありましてね。魔術で色を変えられてしまいました」

「おや、彼は、君が纏うものに魔術の侵食が可能なのかい?」

「あの友人には、まったく驚かされてばかりですよ。そこまで大きな力を持っているとは思っていなかったので、怒らせないようにしませんと」



そう言うくせに、どこかアイザックは愉快そうだった。

いい友人関係が築けているようなので、ネアはあの羊飼いの青年の姿を思い出し、微笑みを深める。



「アイザックさん、イブメリアには素敵なシュプリを届けて下さって有難うございました」

「いえ。お得意の皆様には、そのようにご挨拶をしておりますので。本年は、ネア様にお会い出来たことで良いご縁をいただきました」

「ふふ。ルドヴィークさんにどうぞ宜しくお伝え下さいね」



闇夜よりも暗い漆黒の瞳を微笑ませると、優雅に一礼してアイザックは歩み去ってゆく。

その後ろ姿が雑踏に紛れるのを見送り、普通に外も歩いているのだなと、ネアは妙なことで感動した。



(ある意味、一番魔物らしい魔物さんのイメージだからかしら………)



「…………変わりなさそうだね。少し気にかかっていたが、問題ないようだ」

「…………アイザックさんに、何かあったのですか?」

「ほこりが統括の魔物になっただろう?」

「ええ。前任の白百合の魔物さんのことも気に入っているようで、何だか安心なのです」

「そのジョーイとアイザックは、あまり相性が良くなくてね。………アイザックは、ほこりを気に入っていたから、どうしているのかなと思ったが」

「…………むむ。ほこりも、罪な雛玉です。でも、アイザックさんは、すっかりルドヴィークさんに夢中なご様子ですので、お友達と過ごすことの楽しさで、失恋の痛手を乗り越えられればいいですね」


ディノが複雑そうに頷いたので首を傾げると、アイザックに失恋という言葉の響きが、どうにもしっくりとこなかったようだ。



ネアはその後も、テラス席でディノと楽しくエシュカルを飲んだ。

昨日は不遇の思いをさせられたからか、ディノは婚約者との和やかなひと時を楽しんでいるようで、昨年のネアがどれだけ懐いていなかったのかをあれこれ語られる。



「今でも君は、場合によっては逃げてしまうかもしれない」

「まぁ!もう逃げたり、転職しようとしたりはしませんよ。夏に人生初の素晴らしき白もふに出会った時はくらりときましたが、今はディノもムグリスディノになってくれますし、ちびふわ魔術で好きな時にちびふわな使い魔さんを堪能すれば良いのです」

「では、もう君は決して逃げ出したりしないのかい?」

「うむ。逃げません!」

「……………良かった」



伏せ目がちにゆらりと微笑みを深めたその色の暗さに、ネアはふと、またしてもほろ酔いで安易な約束をしてしまったような気がした。

むぐぐと眉を顰めて警戒の目をすれば、ディノが手を伸ばして眉間の皺を伸ばしてくれる。



「ほら、どうして君はすぐに警戒してしまうのだろう」

「それはきっと、どれだけディノが何よりも大切な魔物になっても、やはり私は私を蔑ろには出来ないからなのです。具体的に言えば、手に入れた塩の魔物の転落物語の続編五巻を読む為に、どこかで読書な休日を設けますね」

「え…………」

「その間、ディノはしっかりと腰ベルトに紐を通して繋いでおくので、決して荒ぶってはいけませんよ」

「………それなら…………」



そんなに熱烈に懐かれるならと、ディノは読書休暇を承認してくれた。

たいそう悲しい婚約者の嗜好だが、読書時間を死守する為には捨てなければいけない誇りもある。

どちらにせよ来年中には変態の門戸をくぐるのであるし、致し方ない。



「それにしても、まだ私が逃げないかどうか心配になるのですか?」



腰紐のイメージを振り払うべく、ネアは話題を戻してみた。

ディノがしょんぼりしていたのは昨晩のことだ。

まだわだかまりがあるのであれば、丁寧にメンテナンスしておきたい。



「………もしかしたら、君が自身を蔑ろにしないことを、知っているからかもしれないね。でも、君がこの前、自分から私に口付けしてくれただろう?あの時は不安ではなかったよ」



ばさばさの真珠色の睫毛の影が、秀麗な目元に落ちる。

切なげに語るその言葉に、ネアは何だか自分が酷い婚約者のような気がした。



「…………またしてくれるかい?」

「む。……ディノが安心してくれるなら、いつでもしてあげます」

「君がそう約束してくれるなら、安心だね」

「………………む?」



ネアはぎりぎりと眉を寄せた。

どうやらこの老獪な魔物は、ご主人様の隙を見逃さずに、ほろ酔いのネアからあれこれ戦利品を持ち出しているようだ。



「むぐる」

「………残念だね。このくらいまでかな」

「確信犯です!さては、エシュカルを勧めたのはその為ですね!!」

「困ったご主人様だね。エシュカルを勧めたのは、君が大好きだと喜んで飲んでいる姿が可愛いからだよ」

「むぐぅ」



不信感に荒ぶった人間は、うっかり魔物の手をばしばし叩いて抗議してしまい、叩かれたい系の魔物を喜ばせてしまった。



エシュカルを飲むのはこのくらいにしておこうぞと頑張ってグラスを置き、ネアは、ふとお隣のテーブルに案内されて来たお客さんの足元が気になる。




「…………む。お久し振りですが、ウィームで悪さをしてはいませんね?」

「……………ふぇ。気付かれた」



地面から少しだけ浮かせた足元。

そんな効果を必要とする生き物を、ネアは一人だけ知っている。



聞けば、ディノはお店に入って来た時から、ターバンの代わりに何だか可憐なもこもこに毛皮で裏打ちされた帽子をかぶった男性が、雲の魔物であることには気付いていたらしい。

寒いのは苦手であるらしく、高貴なマダムのような毛皮のロングコート姿をしている。



「ヨシュアさんも、エシュカルを飲みに来たのですか?」

「…………イーザが、ウィームにいる筈なんだ」

「…………もしかして、喧嘩でもされました?」

「休暇中なんだよ。所属している会の晩餐会が、ウィームであったみたいだね。もう帰ってくる筈だから、迎えに来たんだ」

「まぁ、それは仲良しですね」

「イーザが迷子になるといけないからね」

「あらあら」



ネアは、あのしっかり者の霧雨のシーが迷子になることなど考えられなかったが、それでもヨシュアは心配なのだろう。

大切なものを得るというのは、そういうことなのだ。




待ち合わせをしていると言うので暫く隣の席でお喋りに付き合ってやっていると、少し焦ったようにイーザがテラス席にやって来た。



「申し訳ありません。ヨシュアがご迷惑をおかけしまして」

「僕は、迷惑なんてかけていないよ」

「お二人で楽しんでいるところですのに、あなたの面倒を見て下さったのでしょう。きちんとお礼を言うように」

「僕と話をしてとても楽しんでいたのに、僕がお礼なんて言う必要はないと思うよ」

「ヨシュア、そのような思い込みは、得てして本人が思う程には喜ばれていませんからね」

「…………イーザは、すぐに僕を虐めるんだ」



いじけたヨシュアがさっとディノの影に隠れてしまい、ディノは困ったような目をして背中にへばりついたヨシュアの存在をどうするべきか、途方に暮れていた。



「ヨシュア、ご迷惑ですよ」

「イーザなんて、迷子になって僕の有り難さを知ればいいんだ………」

「あなたの妄想はさて置き、ご迷惑をおかけするのはおやめなさい」

「てい!」

「ふぇ?!」



イーザがディノへの申し訳なさで本気で困ってしまっているのが分かり、ネアは意外に俊敏にしゃっと逃げているヨシュアの三つ編みを鷲掴みにしてその動きを封じた。



三つ編みがびぃんとなり、みゃっとなって涙目で固まったヨシュアを、無事にイーザの手に預け管理下に戻す。



「何とも、羨ま…………ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません」

「いえ。イーザさんが再会を喜んでくれないので、ヨシュアさんも拗ねているだけではないでしょうか?どうか、叱らないであげて下さいね」

「そうだ。イーザはもっと、僕を大事にするべきだと思うよ!僕だって、あまり蔑ろにするとネアのところに家出するからね」

「…………それはちょっと、やめていただいてもいいですか?」

「ふ、ふぇぇ」



リーエンベルクに迷惑がかかりそうだなと思ったネアがすかさずお断りした結果、心がへしゃげてしまった雲の魔物は、涙目でイーザの後ろに隠れてしまった。

なぜかディノまでぴゃっとなってしまい、ご主人様に捨てられないようにと、しっかりと三つ編みを持たせてくる。



結果、三つ編みの美しい男性にへばりつかれたネアとイーザという、何とも奇妙な光景が出現した。




「…………イーザさんも、ご苦労されているのですね」

「ええ。私の嗜好はこちら側ではないのですが、………」

「こちら側…………?」

「………っ、………いいえ、相談役であるとは言え、もう少ししっかりして欲しいところですね」

「イーザなんて、お腹でも壊せばいいんだ………」



すっかり不貞腐れたヨシュアはその後、雲の魔物のお城に帰るというイーザに引き摺られて帰っていった。


そこはそこで不思議な形ではあるが、そのように叱られたりしながら、ヨシュアはイーザからの友人としての愛情を確かめているのかもしれない。



(あの二人の関係や、霧雨の妖精さん達のお城はとても好きだな)



仲良しの二人にほっこりしたのでその思いをディノに伝えようとすると、ヨシュア達が立ち去った後のディノは、ネアがヨシュアの三つ編みを引っ張ったことに、とても荒ぶっていた。



髪の毛も引っ張られたい系の魔物をすっかり落ち込ませてしまったので、ネアは帰り道は三つ編みのリードをたくさん引っ張ってやる羽目になってしまった。



怪物達が出てくる前に体力を消耗してしまったので、今年は遮蔽カーテンとやらにご尽力いただこうと思う。









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