優しい店と二つの椅子
「む。なぜにここにいるのだ…………」
ノアのお誕生日会ならぬ、残念会を終えたネア達がその人物に出会ったのは、ウィームの大浴場でだった。
「生きてたんだね」
「………死んでしまいそうだったのですか?何があったのでしょう?」
「ご主人様…………」
「なぜに落ち込むのだ………」
魔物の説明によれば、昨晩の打ち上げで、酔っ払ったネアはこの目の前の人物ととても楽しそうなことをしたらしい。
ディノ曰くとても心が荒む仲良しさだったのだが、お店のご厚意によりその相手が死んでしまった時、とても良いお店だったのだと判断したのだそうだ。
「さっぱり分かりませんが、私は特にお酒で記憶など失っていない筈なのに、その出来事を覚えていないのです」
「途中のことを忘れてしまったのかな?節制と夜行の酒を飲んだのは覚えているかい?」
「む…………。覚えていません…………」
「やはりその辺りかな。私も、君が飲んだ後には問題がないか調べたのだけど、遅れて効果が出たのかもしれないね。節制の蒸留酒は、珍しいものだけど、とても強いものなんだ。あの店の店主は君を気に入ったようだったから、君が酒類に強いと聞いて出してしまったのだろう」
(…………そう言えば、何だか頼んでないお料理も出してくれたり、色々優しかった気がする)
そのお店を選んだのは、アルテアだった。
エーダリアやヒルド達も知っているらしく、古くからウィームに住む魔物が経営しているのだそうだ。
酒蔵の魔物と呼ばれるその魔物は、セラーなどの温度管理などをかなりしつこくやる、面倒見がいいが若干粘着質な拘りの強い魔物だ。
「…………ようこそおいで下さいました、ご主人様」
上客であるらしいアルテアと、一番高価な完全遮蔽の個室を押さえて打ち上げをやってくれるお客を迎えに出たその店主は、なかなかに個性的な歓迎の挨拶をしてくれる。
お店は苔色の半透明な貴石煉瓦の古い建造物で、統一戦争前からある文化財的なものなのだそうだ。
三階建てで一階にはこのお店が入り、二階をオーナーの住まいにして、三階にはとある有名な作家が住んでいるらしい。
建物にはかつて向かいの通りにあった見事な時計塔の影が残っており、その影には今でも鳥が飛んで来たり、妖精や竜の影が見えたりと、在りし日のウィームを映している。
ただ、一つだけ注意点があるとしたら、かつてウィームに訪れた大寒波の日の影が再現されている時にその部分の影に触れると、凍死してしまうので気を付ける必要がある。
「……あ、いいえ。………アルテア様、以前予約されていた、雪底の葡萄酒を出されますか?」
「…………ん、ああ、そんなものも取り置きしてあったな。出してくれ」
アルテアと話している店主は、短い鳶色の髪にカフェエプロン的な黒いエプロン姿がスマートな男性だ。
手足が長く見える細っそり体型だが、人外者らしい凛とした美貌でそこに貧弱さはない。
一緒に迎え出てくれた女性は美熟女極まるといった感じの赤毛の美女で、アルテア曰く蒸留所のシーなのだとか。
近くにあるパイプ屋のパイプ妖精の奥様で、常連さんの知り合いでも下戸は店から放り出す、このお店の名物店員さんでもあるらしい。
「あらま、可愛いお嬢さんだこと。お腹は空いてないかい?うちは食事も美味しいよ」
「ほわ、…………物凄い美人さんです」
「あらあら、いい子だねぇ!お酒は飲めるかい?」
「安心しろ、こいつは殆どの酒では底なしだ。巨人の酒では悪酔いするからな。その蔵のものも避けてくれ」
「せっかくの酒で悪酔いすると勿体ないからね。そうするよ」
蒸留所のシーはそう微笑み、ネアは貴腐葡萄酒のような凛とした感じの甘みの強いお酒と、きりっとした辛口が好きなのだとお伝えしておく。
そうして、個室に無事に入店し、橇遊びの打ち上げが始まった。
「雪崩と滑ったのは初めてだったな」
「正確には、雪崩に追われて、だな」
契約の子供にそう言い重ねたドリーに、ネアはヴェンツェルが怪我をしないだろうかと怖かったのかもしれないと申し訳なくなる。
「ドリーさん、ノアがお騒がせしました」
「これは火竜だ。触れるまでもなく雪崩など避けられるのに、大袈裟だからな」
「ネア、ヴェンツェルの言う通り、雪崩については心配しなくていい。ただ、すぐに危険なことを安易に楽しもうとするヴェンツェルは叱ろうと思う」
「…………もしかして、ヴェンツェル様はシュタルトのブランコも楽しんでしまうのでは…………」
「…………ああ、あのブランコだな………。本人はとても気に入っていたが、危ないので四年前に禁止にした」
「竜姿になったお前が周囲をうろうろと飛んでいて、風景を満足に見ることも叶わなかったではないか」
「ヴェンツェル…………」
そのやり取りを見ながら、ネアは、エーダリアといい、激しめのアトラクションを好む血筋なのだろうかと眉を寄せる。
第四王子とは一緒に考えたくないが、ある意味彼も危ない橋を渡ってしまう系のスキルは持っている気がする。
「ネア、何か食べるかい?」
「むむ。橇に乗るので晩餐は軽めでしたものね。………アルテアさん、軽くおつまみになる系の美味しいお薦めはありますか?」
「お前の場合は、軽くじゃ済まないだろうが」
「なぬ。一応は夜も遅いので、あまり暴食する予定はないのです」
「僕はね、これ食べる」
「…………おい、それは丸ごとくるぞ?」
「大丈夫、食べられるよ。後はね、苺と生クリームのケーキ」
ゼノーシュはお店のイチオシの白身魚の白葡萄酒蒸しを注文しており、アルテアはみんなで食べる用も合わせて二個注文してくれた。
ヴェルリアの新鮮なお魚を、香草と輪切りにした沢山の檸檬と一緒に白葡萄酒で蒸し焼きにするのだ。
塩胡椒が効いたシンプルな味わいだが、酸味がお口をさっぱりしてくれるのでぱくぱく食べれる。
苺と生クリームのケーキは、イブメリアの市井の風習である親しい者にケーキを投げつける儀式の為に、日付が変わった後の今もたまたまメニューにあったらしい。
こんなところでも、少しだけ祝祭の気分を引き摺ってほんわりした。
後は定番のチーズやサラミ、アヒージョ的キノコのオイル焼きなどが頼まれ、飲み物が揃ったところで打ち上げが始まった。
ネアは、先程店主がアルテアに確認していたお酒が出てきたので、両手でグラスを持ち上げて澄んだ水色の葡萄酒を眺める。
「アルテアさん、このお酒はとっておきだったのですか?」
「ああ、高価ではないが生産数が少ないからな。かなり稀少なものだ。だが、長期間寝かせるのには向いてない。そろそろ飲み頃だろう」
お店のメニューには、魔物達との飲み会で出てくる程にとびきり珍しいだとか高価ものではないが、それでもこの一つのお店に揃うのは珍しいというようなお酒が沢山ある。
メニューを見たヴェンツェルがかなりご機嫌なので、酒豪ではないが美味しいお酒が好きだという第一王子はこのお店を気に入ったらしい。
(なぜか、雪底の葡萄酒とやらが、アルテアさんより先に私に注がれた………)
ご店主は一人だけの淑女に気を遣ってくれたのか、その珍しいお酒を真っ先にネアに出してくれる。
小さな小皿に乗せた真っ赤な苺まであり、ネアは目を瞠って店主を見上げる。
「………苺さんが」
「雪底の葡萄酒は、苺と合わせて飲むと女性好みの味になりますから。当店からのサービスです」
「まぁ!有難うございます」
ディノとアルテアには丁寧に一礼してからのことだったので、魔物達も苺のサービスには荒ぶらなかった。
細身のグラスにしゅわしゅわしているのは、決して発泡酒だからなのではない。
この雪底の葡萄酒を育んだ太古の雪に含まれた気泡が立ち昇っているのだそうだ。
「……………むむ。きりりとした味で美味しいです」
澄んだ氷を食むような澄み渡った味で、雪底の葡萄酒はとても美味しかった。
青林檎めいた香りが鼻に抜けるが、葡萄酒としての味わいが深いというよりは、冬の清廉さをそのまま口に含むような不思議な爽快感がある。
だからこそ、苺をその後に食べると、濃厚で瑞々しい甘さが際立ち幸せな気分になるのだ。
「…………ほわ」
「料理が来ると、合わせて飲むには負ける酒だな。だが、口直しや眠気覚ましにはこれ程向いた酒もない」
「…………これは初めて飲みましたが、かなり良いですね。気に入りました」
そう呟いたのはヒルドだ。
驚いたようにグラスに目を向け、硝子細工のような美しい羽を微かに開く。
「森の系譜や湖の系譜の妖精は好むだろうな。至高とする清廉さに近しい味だ」
「僕は、もう少し味が残る方が好きかなぁ」
「ああ。私もそう思うが、橇で体を動かした後には、魔術回路に沁みるような何とも言えない涼やかさだな」
ノアとエーダリアは特別なお気に入りという訳ではなさそうだったのが、また面白い。
それぞれに好みの味わいがあるのだ。
「ドリーにも弱いだろう。だが、私は好きだ」
そう言ったヴェンツェルにドリーが頷く。
ネアが見上げてみたディノも、特に大好きという反応ではない。
「それと、これが氷河の酒の亜種だ。まぁ、所謂ところの模倣品だな。安価だが、この年はどう転んだのか妙に出来がいい」
「わーお、僕もこれは何回か飲んだことあるけどさ、普段のやつはイマイチなんだよね。これは美味しいや」
早速口をつけたノアが目を輝かせ、ネアもいただいてみたが、本家よりは酸味が強めだ。
ボトルの年号を見ていたディノが、眉を持ち上げる。
「………氷河の魔物が、海鯨の魔物を滅ぼした年のものだね」
「…………ああ、あの決着が着いた年か。なら、ここまで出来がいいのも納得がいくな」
「…………仲が悪かったのですか?」
「特別にね。氷河の魔物の城を、よく海鯨の魔物が壊していたからかな」
「それは嫌いになりそうです…………」
なお、海鯨の魔物は、巨大な鯨の姿をした魔物だったそうだ。
硝子のように透明だが巨大なので、近付いていることに気付かずにぶつかってしまった船舶などにも被害が出ていたらしい。
進路上にあるものを破壊するという気質のどう猛な魔物で、今は次の代の海鯨がいるものの、まだ小さめなのだとか。
「エーダリア、イブメリアの贈り物を毎年すまないな。ヴェンツェルは、きちんとお礼を言っているか?」
「ドリー、私は幼子ではないのだぞ?」
「充分に若いし小さいだろう。それに、大人であれ、贈り物には礼を言うべきだ」
「お前が口を出さずとも、そのくらいは自分で言える」
「と言っているが、出来ていたか?」
「………あ、ああ。兄上からは、きちんと感謝の言葉を貰っている。それに私にも贈り物を下さったからな」
「それなら良かった」
向こう側の席で、ドリーはイブメリアの贈り物のお礼をエーダリアにしている。
エーダリアは、その表情に見慣れたネアには分かるようになってきた少しだけ照れたような表情をしていて、ネアはノアと顔を見合わせて微笑んだ。
憮然とした面持ちの第一王子が、まるでお母さんのように世話を焼くドリーに言い返している。
「ネア、これを食べてごらん」
「ディノ………?」
わいわいしている中、ディノが勧めてくれたのは小指の先くらいの小さな丸いチーズだ。
葡萄に見立てて盛り付けられており、葉っぱの部分にはブルーチーズがある。
そんなお勧めチーズを口に入れると、ネアは目を丸くした。
「…………もぎゅ。中に蜂蜜が入っています!」
「君は好きかなと思って」
「はい!こ、この美味しさはやみつきになるやつでは…………!」
「おい、弾むな……」
「むが!ドレスでもないのに肩を掴んで押しとどめるのは許しませんよ。私とて、普段は伸びやかに喜びを表現したいのです!」
ネアはすっかりその蜂蜜チーズにはまってしまい、ぷちぷち食べながら美味しくお酒をいただく。
ヴェンツェルが王都での退屈な舞踏会の話をすると、ガーウィンの伯爵家のご令嬢と知り合いであるらしいアルテアに、ネアはおやっと眉を持ち上げた。
「その方のお名前は、ダリルさんから聞いたことがあります。新しく女公爵の名を継がれた方で、庶民育ちなのにとても切れ味のいい政治的な視点をお持ちなのだとか。絶対に悪さをしてはいけませんよ?」
「さあな。お前には関係ないことだろうが」
「しかし、そのような方を恋人さんにするのであれば、とても応援するので頑張って下さいね!そして奥様になったら是非に私のお友達に…むぎゃふ?!」
同性お友達計画はそちらの道から進めようと考えたネアだったが、なぜか渋面のアルテアにべしりと頭を叩かれる。
「ディノ、照れたアルテアさんが八つ当たりします」
「可哀想に。後で叱っておくよ」
「…………何か僕、時々アルテアは苦労人に見えるんだよなぁ」
「…………成る程な。このように手懐けているのか。弱みを突くのだな」
「ヴェンツェル様、それは違いますよ?アルテアさんは、パイやタルトを美味しく食べて欲しい系の魔物さんなのです」
「ふざけるな」
「ふふ。そして照れ屋さんなのですよね?」
アルテアはネアの鼻を摘もうとしたが、ヒルドにタイミングを指示されたノアが、すかさず邪魔してくれた。
「…………ネア」
そこで寂しげにこちらを見たのは、真珠色の三つ編みも麗しい美貌の魔物だ。
少しだけいじましい目をしており、最近は情に訴えかけてくる技を覚えつつある悪しき魔物でもある。
「………ディノは、大事な大事な、優しい魔物です」
「ご主人様!」
これは自分も評価が欲しいのだなと思ってそう言えば、魔物は水紺の瞳をきらきらさせて嬉しそうに微笑む。
「………なぬ」
そして椅子を引くと、評価してくれたご主人様をひょいと膝の上に抱え上げてしまった。
めっと叱るために視線を合わせると、どこか魔物らしい老獪で頑固な目をしている。
「褒めてくれたのだろう?ご褒美をくれないとだからね」
「…………そして、椅子になりたい系の魔物でした」
(でも、一年前のディノなら、こんな風にみんなでお酒を飲んで楽しくお喋りするのは嫌がったのだろうし………)
この魔物は、最初は、彼が見目麗しい王子だというだけで、ネアをヴェンツェルに会わせることさえ嫌がったのだ。
そのことを考えると、こうして時々ご主人様は自分が一番の仲良しだと主張したくなるのも仕方ないのかも知れない。
ネアは仕方なくディノのお膝の上に少しだけ留まってやり、もういいかなというところで容赦なく椅子を捨てた。
「椅子は終わりです」
「そんな、ご主人様!」
「食べたり飲んだりするのには、何だか落ち着かないのです。やはり、私の椅子はこちらの子ですね」
「………木の椅子なんて……」
魔物が荒ぶっているのでヴェンツェルがじっと見ていたが、リーエンベルク勢は特に気にするでもなく聞き流していた。
その様子を見てヴェンツェルも気にしなくていいのだと判断したようで、会話に戻ってゆく。
そこに、扉をノックして店主が入ってきた。
「こちらは、様々な商品でお客様からのご意見を伺っておりますので、もし宜しければお召し上がり下さい」
注文を取りに来たのかと思ったらしく、アルテアが幾つかオーダーをした後、店主はワゴンでお料理とお酒を差し入れてくれた。
「………珍しいな」
「こういう機会はなかなかありませんので、是非にお試しいただければと思いまして」
「…………成る程な」
そう呟いてアルテアが見たのは、恐らくエーダリアとヴェンツェルだ。
ネアもそちらをちらりと見て、確かにあまりこのようなお店にはあまり訪れない人材なので、好みなどの意見が聞きたいのかなと考えた。
「節制の育てた白蜜の蒸留酒、そして夜行の葡萄酒になります」
「……………よく出したな」
「わーお、こりゃ珍しいや!ボトルごと出していいのかい?」
「夜行の葡萄酒だ!」
「あら、ゼノはこのお酒を知っているのですか?」
「うん。すごく珍しいんだ。砂漠に満月の夜だけに現れる夜行妖精が持ってる葡萄酒なんだよ」
「まぁ!何だか素敵な葡萄酒ですね」
ネアがそうはしゃぐと、店主はどこか満足げに微笑んだ。
「貴腐葡萄酒がお好きなら、こちらの夜行の葡萄酒はお好きかと思われまして」
「そちらの系統のものなのですね!とても楽しみです」
「…………本命はそっちか」
なぜかアルテアがそう低く呟いていたが、店主が気にせず華麗な手捌きでコルクを抜いてくれ部屋を出てゆくと、ネア達は早速そちらのお酒達をいただくことにした。
まず、節制の育てた白蜜の蒸留酒はとても強いという事で、ネアはディノのグラスから唇を触れさせる程度に分けて貰い、お味だけみさせて貰った。
小さな黒水晶のグラスにそのお酒を注ぐと、しゅわりもふもふと、結晶化した白砂糖のような泡が立つ。
あえてグラスから零してその泡を立たせるので、受け皿に溢れたお酒がたらりとならないよう、ディノが反対側から手を添えてグラスと受け皿を支えてくれる。
息が触れる程の近さでネアがグラスに口をつけたので、ディノは目元を染めてしまう。
「ご主人様が可愛い……」
「むぐ。………とっても美味しいけれど、やはり強いのですね」
「そうだね、だから君はそれくらいにしようか」
「はい。夜行の葡萄酒さんをいただきますね!」
そうして、ネアはその夜行の葡萄酒を飲んだのだった。
勿論特別に強いものでもなく、その前に飲んだ節制のお酒も、悪酔いなどしていないかどうかディノが心配して見てくれたので安心してのことである。
「…………むぐ。そう言えば、ドリーさんはとてもお酒が強いと伺いました!アルテアさんよりも強いのですか?」
「どうだろう。ヴェンツェルから、アルテアもかなり強いと聞いているな」
「………おい、何で俺を基準にした」
「む?アルテアさんは、そこそこにお酒に強い印象なのです。ノアはほろ酔いくしゃりで長く楽しむ派ですし、ヒルドさんはご自身の許容量以上には飲まない方ですからね。ゼノも強いですが、少し体格差もありますし、ディノは死んでしまうことが多いような………」
「ご主人様……………」
よくネアとの飲み会で潰されてしまうディノは、悲しげにぺそりと項垂れる。
「あれ、シルってネアには特殊な感じで潰されるけど、結構変わらずの底なしの記憶…………じゃなかった!それは別の誰かだね」
「む?」
「それより、アルテアはそんなに強くないんじゃないかな?よくネアに潰されてるよね」
「おい、やめろ。あれは、毎回こいつが加算の銀器を使うからだ」
「………恐らく、ドリーの方が強いだろうな。飲む量が元々多い」
そう言ったのはヴェンツェルだった。
そうしてそこで、ネアはやっぱりドリーは凄いと褒めたような気がする。
気付けば、アルテアとドリーは飲み比べをしていた。
お気に入りの蜂蜜チーズをぱくりと食べ、ネアはやや不利となったアルテアにやきもきする。
「むぐぅ!ヴェンツェル様がドリーさんを応援するのなら、私も使い魔さんを応援するのです!ご主人様の為に頑張るのだ!!強いやつもぐいっといけるのを見せてやって下さい!!」
「おい?!お前、さては酔ってるな?!」
飲み比べは、品なく強いお酒をぐびぐび飲むのではなく、お店にある様々なお酒をスマートに味わって飲むようにと、グラス注文での勝負だった。
その時にテーブルにあったグラスを掴むと、ネアは隣の席のアルテアによいしょとよじ登る。
直接ご主人様からぐいっと飲ませてやろうぞな、スパルタ応援を試みたのだ。
「ご主人様が虐待する。アルテアを椅子にするなんて………!」
「むむ?ディノ、これは激励ですので荒ぶってはいけませんよ?」
「アルテアなんて………」
「いけませんよ、今は使い魔さんを勝たせるのです!さぁ、ぐびぐび飲むのだ!」
「おい、やめろ。………っ」
膝の上に向かい合わせに陣取ったネアにグラスを口元につけられ、アルテアは仕方なくそのグラスのものを飲み干してくれた。
強引に飲まされたので唇に溢れたお酒を指先で拭い、アルテアは小さく息を吐いて片方の眉を持ち上げる。
「………ったく」
「よし!いい子ですね、使い魔さん。撫でて差し上げるので勝つのですよ!そして私に美味しい勝利のパイを捧げて下さい」
「いや、おかしいだろ。何でお前が貰う側なんだよ。………おい、やめろ。撫でるな!」
「いやいや、それよりアルテアから降りようか!」
「…………む?確かに、激励は済んだのでもはやこの椅子は用済みなのです。主に私のパイの為に、引き続き頑張って下さいね」
「………おい、妙な跨ぎ方をするな」
「しかし、降りる時は後ろ向きなのでこうしないと……………」
「ほら、ネアこっちにおいで。他の魔物を椅子にするなんて、困ったご主人様だね」
ネアは、片手でアルテアごとずりっと椅子を引きテーブルとの隙間を開けてくれたディノに、ひょいと持ち上げられる。
「ほわ。ディノは力持ちですね!格好いいです」
「では、これからは私を椅子にするね?」
「なぬ。これからは、是非に普通の椅子さんに戻らせていただきたく………」
「ネア?」
「むぐぅ」
こうしてネアはディノを椅子にすることになり、ヒルドが用意してくれていた酔い覚ましの薬を飲まされたらしい。
ネアの記憶にあるのはこの後、店主がアルテアに次のお酒を持ってきた頃からだった。
「こちらがご注文のもの、私のお勧めです。珍しいものですが、味は間違いないかと」
「やっぱり、まだ隠し持ってたな」
「ええ、これでも商売柄色々取り揃えておりますからね。そちらの方のものよりは弱くありませんので、お得意様を贔屓はしませんのでご安心下さい」
「気を遣わせてすまない。もし良ければ、俺もそれを頼んでみようかな」
「いえ、こちらは………」
微笑んだ店主がなぜか首を横に振り、ドリーが不思議そうに目を瞠る。
その直後にごすりと音がしてネア達が視線をそちらに向けると、アルテアがテーブルの上に潰れていた。
「………死んでしまいました」
「ありゃ、酔いつぶれたね。そのお酒何?」
「コルヘムグレスという蒸留酒です。コルヘムの五十倍程の強さでしょうか。それに少し、妖精の祝福がかけられた特別なものです。この酒自体は、巨人達が好んで飲むそうですよ」
にこやかに微笑んでそう説明すると、店主は丁寧にディノに一礼して部屋を出て行った。
「おや、愉快な店主だね」
店主の背中を見送った後、ディノはなぜかそう上機嫌に微笑む。
ノアもにやりと笑って頷いた。
「わーお、気が効いてるねぇ」
「こうなると、勝負は引き分けだな」
ドリーも苦笑してそう言ったのだが、隣に座ったヒルドが首を振った。
「いえ、アルテア様は、次のグラスは店主のお勧めのものをとご自身で頼まれていましたから、自業自得かと。この勝負は、ドリー様の勝ちで宜しいでしょう」
「ヒルド………」
ヒルドが冷静にそう判断し、エーダリアはなぜか片手で目元を覆っている。
「僕、次は林檎とオーロラのお酒頼もうかな。ネアも飲む?」
「なぬ!ご一緒します」
「ネア、お前は少し控えた方がいいのではないか?」
「あら、エーダリア様、私はまだ酔っていませんよ?」
「今はな…………」
なお、その後ネアはドリーに打ち負かされた使い魔の敵討ちで、なかなかに強いという火竜のお酒をヴェンツェルと同時にいただき、第一王子をテーブルに沈めた。
ひとしきり盛り上がり解散したのは夜半過ぎだったが、時間にすると二時間ほどの打ち上げだったようだ。
ネアは楽しい時間の割に長く感じたのだなと考えていたが、聞けばネア達が飲んでいたのは影絵の部屋なのだそうだ。
時間の流れが少し違うらしく、実際には四時間ほどそこにいたらしい。
なぜかその晩は魔物がご褒美をたくさん欲しがったので、ネアはイブメリア気分が続いているのかなと思い、伸び上がって口付けをして寝かしつけておいた。
ぱたりと倒れて動かなくなったが、幸せそうなので良しとしよう。
翌日はノアの誕生日もあるし、何だか筋肉痛も出てきた気がするので早く寝たい。
そう思ってネアは、ディノにも毛布をかけてやり、隣で魔物が死んでしまっている寝台に横になる。
こうして、橇遊びの打ち上げは無事に終わったのだった。
「………まぁ、そんな事があったのですね。となるとご店主さんは、私が使い魔さんと仲良くしてしまい、ディノを寂しがらせたのでアルテアさんを酔い潰してしまったのでしょうか?」
「どうだろうね。ただ、意図的に酔わせたのは確かのようだ」
「そして使い魔さんは、実は密かに、今日はずっとリーエンベルクで潰れたまま寝かされていたのですね」
「私が君を連れ帰った後、仕方なくノアベルトが運んだそうだよ。今日はこちらでは残念会があったので、邪魔をしないようにと外客棟に寝かせたと聞いたかな」
ネア達がそう話していると、またしても浴槽のへりに両肘をかけ、仰け反って目を閉じる方式で入浴していたアルテアが片目を開ける。
「……………うるさいぞ」
「まぁ、拗ねていますね」
そこに、何やらわちゃわちゃしていた後続組が入ってくる。
「あれ、アルテアはまたここに居たんですか?」
「……………ウィリアム。お前に言われたくないな」
「俺は、たまたまこちらに通信をした時に、大浴場が開いていると聞いて半刻だけ入浴休憩に来ただけですよ」
「そうですよ。そして、ウィリアムさんはきちんと浴室着です!」
ウィリアムの浴室着は、いささかぴったりとした扇情的な黒い下着めいたもので若干目のやり場に困るが、着ていてくれるだけでもネアとしては有難い。
対するノアは、先程までウィリアムに無理やり何か着せられていたようだが、見れば腰にタオルを巻き付けられていた。
「ネア、取り敢えず反対側から入ろうか」
「ふむ。ウィリアムさんの言う通り、反対側に行きますね」
「そうしろ。俺の邪魔をするな」
「ありゃ。まだ弱ってるのかな」
「少し気になるのですが、加算の銀器でももう少し復活が早かったような気がするのです………」
「何か違うものを飲まされたのかな……」
その後、ネア達は反対側で楽しくお風呂を楽しみ、出る時には湯当たりで大浴場の藻屑にならないように、ぐったりめのアルテアも連れてゆくことにした。
(…………気持ちのいいお風呂で幸せ)
ほんわりしたネアが、両手にお湯をすくってくんくんしていると、ネアは隣で気持ちよさそうに寛いでいるウィリアムに微笑みかけられた。
濡れた前髪を掻き上げた横顔は、なかなかに艶っぽい。
「ネアも、昨晩はかなり飲んだのか?」
「ヴェンツェル様を潰してやりました!それと…」
新しいお酒で酔っ払った話をウィリアムにすれば、何で酔っ払ったのか分かるとウィリアムが言い出した。
驚くべきことに、お酒そのものではなく、使われた葡萄に秘密があったらしい。
「まぁ、……では、私が酔っ払ったのは、夜行の葡萄酒の方だったのですね?」
「ああ。ネアの場合、弱い強いは関係ないんだろうな。何か特定の要素に反応するんだろう」
「夜行の葡萄酒の葡萄だったのか。そちらだとは思わなかったよ」
「たまたま俺の領域のことで、聞いていましたから。知っている者の方が少ないでしょう。……ネアも、今後は夜行の葡萄酒には気を付けような」
「はい。まさか夜行の葡萄酒が、かつて巨人さん達の住んでいたお山で育てられた葡萄から作られたとは知りませんでした」
「夜行の妖精も、また宿命的に彷徨える一族だ。彼らが、どこから既に滅びた筈の土地の葡萄を手に入れくるのかは謎なんだが、その結果、彼らの葡萄酒は巨人の酒と似た香りや味わいを持つそうだ」
砂漠に住まいを持ち、時々その夜行の妖精達を見かけるウィリアムだからこそ、夜行の葡萄酒の秘密を知っていたのだった。
ディノですら知らなかったことなので、ネアは、世の中にはまだまだ知らない巨人のお酒があるのではと、密かに心配している。
(また酔っ払わないようにしないと!)
なお、アルテアは見るに見かねたヒルドが調合した妖精の薬を飲むと、すぐに二日酔いが抜けたそうだ。
アルテアの魔術でも妙に回復が遅かったそうなので、妖精の呪いだったのかも知れないのだとか。
誰かを怒らせたのかもしれませんねとヒルドは話していたので、酒蔵の魔物が、王様なディノの為に、ネアが椅子にする可能性があるアルテアを妖精の助けを借りて葬ってしまったのかもしれない。
「ご主人様が椅子にするのは、私だけでいいと思うよ」
その日から暫く、ディノが全ての椅子に対して心が狭くなったのは確かだ。
ネアは魔物が寂しくならないように、何度も魔物製の椅子に座ってやらなければならなかった。