213. 雪白の舞踏会でイブメリアを堪能します(本編)
イブメリアの朝になった。
ネアは美しい祝祭用の絵皿に盛られた朝食を眺め、ふすんと満足の吐息を漏らす。
イブメリア用の料理は、この祝祭の時節に入ってからの料理を一口ずつ盛り付けて思い出を辿りながらわいわいと食べ直すのが当日の料理の習わしだ。
窓の外は美しい雪景色で、イブメリアの祝福の輝きを帯びた雪は、ふくよかな光を孕む。
窓の向こうの庭園にははしゃぐ妖精達の煌めきが見えて、ネアはその安らかさにほんわりした。
テーブルの中央には真っ白な大きなケーキが置かれ、何でもいいから赤い実が食べたかったに違いない人々の願いに応えて生まれた筈なケーキの赤い実の風習として、今年は真っ赤な苺と各種のベリー類で美しく飾られている。
昨年も思ったのだが、華麗な包丁さばきで飾り切りなども出来るのに、それをやり過ぎてお洒落だが食べにくいということもなく、ひたすらスタンダードに美味しそうなケーキにこだわってくれるリーエンベルクの料理人をネアは尊敬していた。
イブメリアの風物詩である白いケーキは、ウィームの雪に見立てたケーキと、血脈の繁栄と犠牲を意味する赤い装飾が満たされればイブメリアのケーキとなるので、巷にはなかなかに斬新なケーキも売られているのだ。
これまでの日々で美味しくいただいてきた、前菜やスープ。
それに、ネアを夢中にさせる、ローストビーフに、シュタルトの薔薇塩と香草で焼いたチキン。
そんな美味しいものを一口ずついただけるなんて、どれだけの贅沢だろう。
ネアがお気に入りだった、栗のペーストをのせていただく甘しょっぱい厚切りハムもあり、ディノがお気に入りだった海老に香草マヨネーズのようなソースをかけて香ばしく焼き目をつけたものもある。
サラダには焼き茄子と、焼き南瓜が乗っていて、ほこほこ美味しい祝祭の朝食にぴったりだ。
「今朝の雪は、祝祭の朝に相応しい降り方だな」
「ええ。ネア様のお蔭で、雪の魔物のご尽力がいただけているのでしょう」
「ジゼルも良い朝だと思ったのか、先程飛んでいるのを見かけた」
「おや、それは雪の系譜の者としてもかなり良い雪の具合なのでしょうね」
「…………ふぁぁ。……うん、いい朝食だね」
「ネイ、起きれたのは良かったですが、その恰好は何ですか」
「ヒルドは口煩いなぁ。………ごめんなさい」
朝型ではないノアもよろよろと入ってきて、遅ればせながら朝食の席に着く。
予めお願いしておいたそうで、ヒルドにさっそく叱られているノアの朝食は量が少なめだ。
髪の毛はくしゃくしゃで、白いシャツをなんとか着ており、その上からもこもこストールを羽織って何やらしどけない。
「早く食べないと、僕のケーキが………」
「ノア。ほら、ゼノがケーキ待ちをしていますので、さくさく食べるんですよ」
「えー、ネアはゼノーシュに甘いなぁ」
「昨晩は、私達より早く寝てしまったので、よほど大変な目に遭ったのでしょうか?」
「…………危うく、捕まって力ずくで婚姻を結ばされそうになったんだ。竜も竜で怖いよね」
「おや、そうなりますと、勘違いさせるような言動があったのではないですか?」
「違うんだよ、ヒルド!僕は最初からそういうのはないからねって言っておいたのに、彼女は最初からどうにかして力ずくで伴侶になるつもりだったんだ……………。はぁ」
「その、何と言うか、お互い様なのではないか?」
「シル、誰も僕の味方をしてくれないんだ………」
「私には良く分らないけれど、君はどうしていつも襲われてしまうんだろうね」
「そう言えばそうですね。ノアのお相手さんは、悲しみに泣き暮れるというよりは、怒り狂って追いかけてくるような方が多いような気がします」
「…………え、みんなの相手の女の子はそうじゃないの?」
ノアが呆然としたところで、ネアは最後に残しておいた美味しいローストビーフをお口の中に入れた。
もぐもぐしながら幸せを噛み締めていると、ノアに、ローストビーフよりも優先してと苦情を申し立てられる。
「それは、………難しいかもしれません。ほとんどのものは、この素敵なリーエンベルク特製ローストビーフの前には霞んでしまうのですから」
「ご主人様…………」
「む!ディノはさすがに、ローストビーフよりは………………きっと…………むぐぐ」
「ローストビーフなんて……」
「私の大事なローストビーフに何かをしたら、婚約破棄ですよ!」
「ひどい…………。ネアがローストビーフに浮気する………」
ディノはすっかりしょげてしまいめそめそしていたが、ヒルドから、美味しいローストビーフを定期的に振る舞えば、ネアはもうどこにも行かないのではと提案され、はっとしていた。
「そうか。君が逃げそうになった時は、ローストビーフを与えればいいんだね」
「なぬ。餌付けのようになりましたが、あながち否定もし切れないのが悔しいところです………」
「ありゃ。ネアはそれでいいんだ」
「僕も、美味しいお菓子があったら、気になっちゃう……」
「ほら、ゼノは私の味方ですよ」
そんなことを話しながら、一同はようやくケーキに辿り着いた。
イブメリアのケーキは、みんなで食べるのが決まりごとの一つなのだ。
「ケーキ様!」
「僕、苺のところがいいな」
「ゼノーシュは苺が大好きだな」
「うん!」
ネアとゼノーシュが弾む中、給仕妖精は心得たもので、食いしん坊達の分を大きめに。
そして、あまり量を食べないヒルドとノアの分は小さめに。
普通サイズのエーダリアとグラスト、そしてディノと切り分けてくれた。
かくして会話は、イブメリアの贈り物の話に移行してゆく。
この白いイブメリアのケーキを食べながら、贈り物やカードの話をするのがイブメリアの朝の風習の一つなのだ。
「ネアがくれた金庫はいいよね。ボールが全部収納出来たよ」
「なぬ。せっかくノアにも、彼女さん達から逃げる用に迷路を差し上げたのに、なぜにボールだらけにするのだ」
「何でだろうねぇ。……それと、あれってどれくらいから準備してくれたんだい?僕の宝石に使った花が咲いてたのって、夏の終わりくらいだよね?」
「そう言えば、夏頃にあなたはあまり品物を持たないので、小さなもので使えるようなものは何だろうと悩まれていましたよ」
「わーお、そんな前から考えてくれてたんだ」
青紫色の瞳に擽ったそうな光を浮かべて、ノアはイブメリアのケーキをぱくりと食べる。
エーダリアからは、新しい狐の玩具を、そしてヒルドからは美味しい妖精のお酒を貰ったのだそうだ。
エーダリアと契約をしたことで代理妖精のヒルドまで連鎖的に可能になった贈り物交換なので、こういう風に過ごすイブメリアは初めてだと言うノアは、何だか幸せそうにしている。
ノアからその二人に贈られたのは、理の系譜の呪いなどの手におえない系の襲撃を一度だけ逸らす便利グッズだ。
しかし、逸らした呪いはその術符に溜め込まれるので、後々にその処理をしなければならないのだという。
その時はまた一緒に考えようとノアに言われ、二人は暖かな眼差しで頷いていた。
「私は、皆さんから素敵なセーターを貰いました。あんなに素敵なセーターを見たのは初めてなので、一刻も早く着たくて、実は朝に一度だけ袖を通してしまったくらいです!」
「お前がよくセーターの話をほこりにしていたからな、なぜかセーターしか浮かばなかった」
「ふふ。そのお陰で私は、こんなに素敵なセーターを手に入れたのですね!」
「特にさ、編み物の魔物を探すのが大変だったんだよなぁ………」
「僕が見付けたんだよ。で、ノアベルトが捕まえたの」
「まぁ、そのようにして編み手を確保して下さったんですね!」
ネアがリーエンベルクのみんなから連名で貰ったのは、編み物の魔物が、毛糸のシーが十年に一度しか作らない極上の森の毛糸を編んでくれたものだ。
セーターのデザインは、ネアの体型を知っているシシィに発注してくれたようで、着てみるとだぼりともしないがピッタリすぎることもなく、そのままこてんと眠ってしまいたいくらいに着心地のいいセーターだった。
夜明けの森と夜の森から紡がれた毛糸のセーターは、ほわりとけぶるような青白さを持つふくよかな緑色で、そんな緑に雪化粧の飾り木を思わせる白みが堪らなくいい雰囲気でイブメリアの贈り物にも相応しい。
ただのセーターと侮るなかれ。
毛糸だけでもドレスが買えるくらいになると、ディノが教えてくれた。
編み物の魔物は、ノアとヒルドに厳しく監視されつつ、必死の形相で祝福を込めたセーターを編んでくれたそうだ。
「僕が貰ったのは、シュタルトのホテルの宿泊券なんだよ!グラストと旅行に行くの」
「ネア殿、お気遣いいただきまして有難うございます」
「いえ。シュタルトの騎士さん達との交流会があると聞き、エーダリア様とヒルドさんに、その前日か翌日に、お二人が一日のんびりできるかどうかご相談したのです。たまたま、あまり忙しくない時期だったようなので、宿泊券にしました。シュタルトは、美味しいお店も多いですしね!」
「湖水メゾンの葡萄ジュースをお土産に買ってくるね」
優しいゼノーシュが、ネアの大好きな葡萄ジュースのお土産を約束してくれ、贈り主のネアも幸せいっぱいになってしまう。
「私は、剣の保管にと良いものをいただきました。剣の主としてだけではなく、有事の際にもどれだけ有用なことか。助かります」
「あの大事な剣をヒルドさんがもう二度と手放すことがないように、石紐にしたのです。石紐の存在は、エーダリア様が教えてくれたんですよ」
「おや、そうだったのですね」
ヒルドには、石紐という魔術師の装身具を贈った。
力のある祝福結晶石を紐に編み込み腕輪や髪紐にしたもので、その中に編み込まれた結晶石が細やかにきらきらきら光って美しいだけではなく、その祝福を使うことも出来る実用的な装身具だ。
ネアは、失せもの探しの結晶と、持ち物の性能を上げるという加算の銀器系統の能力を持つ藍色の結晶石も編み込んでおいた。
身に着ける前にその品物と魔術で紐付けることも出来て、事前にあの剣と繋いでおいてくれれば、失くしたり奪われたりした場合もそうだが、突然襲撃があった場合にもすぐさま取り寄せることが出来る。
「エーダリアは何を貰ったの?」
そう尋ねたノアに、ぎくりと肩を揺らしたエーダリアを見て、ヒルドが鋭い眼差しを向ける。
そろりとこちらを向いたエーダリアに、ヒルドは優しく微笑んだ。
「そう言えば、先程から何やらポケットが膨らんでいるようですが?」
「………………歌劇の都にある地下遺跡から発掘された、稀覯本だ………」
「この後はイブメリアのミサだった筈なので、置いて行かれては如何ですか?」
「………いや、念の為に」
「エーダリア様?」
ヒルドの声がぐっと低くなり、昨晩、ヒルドがノアを部屋に運んでいる時にこの本を渡したところ、飛び上がって喜んでいたエーダリアはがくりと肩を落とした。
顔色がおかしくなっていたりもしないので、大事なミサのある日の前夜に徹夜で読みふけってしまうようなことはなかったようだが、その代わりにずっと持っていたい病にかかったようだ。
今年でイブメリアのミサは二回目になるネアと、そもそも襟巻になっているだけのノアも含め、みんなであれこれお喋りをして、イブメリアのケーキを食べ終えた。
そうなると、次は朝のミサなのである。
クラヴィスの儀式ぶりの大聖堂に、その半刻後ネアは佇んでいた。
今日は儀式には参加せずに観覧するばかりなのだが、初回参加時に二度目は眠たくなるような気がしたことを今更ながらに思い出し、襟巻になって寝るだけのノアをほんの少しだけ羨ましく思う。
大聖堂の前面は柵で区切られ、その奥の祭壇のある聖域には、信仰の魔物と領主であるエーダリア、司祭、そして送り火の魔物が立っている。
ネアは、せっかくなので、そうそう日常使いはしない儀式用の白いケープを紺色に擬態させて羽織り、澄んだ夜明けの色のような素晴らしい色合いのあたたかな天鵞絨のドレスを着た。
ウィームの冬を表現した見事な瑠璃紺と紫紺の織模様の絨毯が通路ごとに敷かれているのを昨年見ていて、その絨毯の色と雪の結晶石を掘り出して造られた会衆席の灰白の色合いに、しっくりくるドレスを着たいなと思っていたのだ。
隣に座ってくれているディノも、濃紺のコートに青灰色の髪に擬態してくれているので、二人がこのイブメリアの装いの大聖堂に馴染んでいるようで、ネアはなかなかに気に入っている。
なお、今日のディノが三つ編みに結んでいるのは、魔物の巣を洗濯に出した日に購入した灰雨のリボンだ。
青みがかった暗い灰色で、リボンのふちに、目を細めて見ないとわからないような細さで、虹の紡ぎ糸をステッチしているお出かけ用のリボンである。
灰色の雲と青さのある冷たい雨、時折雲間から覗く陽光の虹色の煌めき。
そんな商品紹介に心躍らせてからやっと購入したもので、実はネアもお揃いで持っていたので、後で遊びにゆく雪白の香炉の舞踏会ではそのリボンをつける予定なのだ。
(でも、本来であれば、自分より階位の劣る魔物の領域に居ることを、魔物は嫌がる筈なのだわ)
それなのに、ディノもノアも。
別にそういうことは気にならないとさらりと守護するべき人間の側にいてくれるのだから、それは好き嫌いの激しいとされる魔物の、妙に愛情深い一面なのだと思う。
(イブメリアだ…………)
聖卓には、冬の赤い果実が綺麗に盛り付けられた雪の結晶石の器があり、昨年と同じように丁度その上にステンドグラスの鮮やかな影が揺らぐ。
大聖堂の静謐さに香の煙がたなびき、ステンドグラスの薔薇窓の向こうに降りしきる雪の影が映る。
荘厳なパイプオルガンの音と共に、ゆっくりと歩き出した者達が祭壇に向かう行列は美しい一枚の絵画のようだ。
最初から祭壇に立ちこちらを睥睨していた信仰の魔物が、ゆっくりと手を広げる。
奉仕者達の儀式が始まった。
開祭の儀にはきりりとして祭壇を見上げていたネアも、説教や讃歌、祈願などが続いてゆくと、大聖堂の窓のところで遊んでいる妖精や、天井の端っこにぶら下がっている魔物のようなものを観察してしまったりもした。
美しく豊かな時間ではあるのだが、一点に集中するにはやはり時間が長いのだ。
けれども目を惹くものばかりの大聖堂をちらちらと見ていれば、ミサは、あっという間に昨年のネアが問答に参加した箇所まで進んでいる。
「汝、イブメリアの訪れを、その祝祭の成就と繁栄を望むだろうか?」
「はい。我々は皆、イブメリアの成就を願う者。この雪深き祝祭に、多くの恩寵と奇跡があらんことを」
教皇に相当する教え子が今年の選出者だったようで、そんな人が詠唱に参加したことで観客達は少しだけざわりとする。
他の領地に籍を置く者がこの問答に参加するのは珍しいと、あらかじめエーダリアから聞いていたネアはくすりと微笑んだ。
今年のミサで教皇が頑張ったのは、良く分からないが、ガーウィンのお偉いさんが何かしでかしたそうで、ウィームに借りがあったのだとか。
彼がウィームの催しに準じるという姿勢を見せたことになり、周囲の驚きはそれでのようだった。
やっと儀式が後半になり、詠唱の輪の中を抜けたグレイシアが、自信に満ちた眼差しで壇上に上がった。
深紅の王様のローブのような衣装がその容姿を引き立て、やはり目が醒めるほどに美しい。
篝火の瞳が聖堂の薄闇に尾を引けば、白けものに恋をしてしょんぼりしていた姿が嘘のようではないか。
豊かな火の祝福を思わせる素晴らしい声でグレイシアが詠唱を重ねれば、翳したその手の平から、祭壇に大きな青い炎が燃え上がり尖塔の方へと炎が昇ってゆく。
尖塔の送り火台に火が灯されたところで、聖堂の鐘が一斉に鳴らされる。
華やかなイブメリアの装いに身を包み、ミサを見守っていた一般席から安堵と歓迎の歓声が上がった。
これで、イブメリアの祝福が正式に訪れたことになる。
夜のミサで送り火が消えるその時まで、人々がウィームの大聖堂の火を見る度に祝福欠片を貰うことの出来る有難い火なのだ。
最後は司祭の詠唱と、信仰の魔物の魔術で締めくくられ、儀式色の強いイブメリアのミサが終わった。
「…………無事に終わりましたね。………ディノ、今年の雪白の香炉の舞踏会は、少し早めの開始なのですよね?」
「昨年は、飾り木を燃やした際の煙で、あまり夜景が見えなかったようだ。開始を早めにして、送り火にかぶらないようにしたらしいね」
二時間程の儀式が終わると、ネア達は早々にリーエンベルクに戻り、雪白の香炉の舞踏会の準備に入る。
凛々しく大聖堂の天井を見上げていたグレイシアと目が合ったので手を振り、ネア達はひとまずお部屋に戻った。
「疲れていないかい?」
部屋に戻るなり、心配そうなディノにそう尋ねられる。
イブメリアのミサの途中で、一瞬の眠気に襲われたところを見ていたのだろう。
気付かれていたかと無念な思いで首を振ると、あのような場での詠唱には一種の睡眠導入の効果があったようだと言い訳しておく。
「ディノと舞踏会で踊れるのですから、それよりもわくわくしていますよ?」
「…………うん」
そう言われた魔物はぽわりと目元を染め、もじもじした後でさっと爪先を出す。
昨晩は、なんやかんやとエーダリア達も合流してしまってご褒美がおろそかになっていたので、ネアは奮起してぎゅっと踏んでやった。
「昨晩はとっても素敵な贈り物を貰ったので、おまけです!」
「ご主人様!」
てやっと体当たりをされた魔物はすっかりはしゃいでしまい、ネアはしばらくはご褒美を与えることに尽力する羽目になった。
与え過ぎもよくないのだが、何だか楽しくてはしゃいでしまうのが祝祭というものだ。
もし、この魔物がそのような時間を得られずに過ごしてきたのだとしたら、今日くらいは甘やかす時間があってもいいと思ってしまう。
(…………この一日がもっと続けばいいのに)
清らかな雪が降り、飾り木が煌めく。
そんな安らかさに酔い、軽めの昼食をいただいた後、二人はリーエンベルクの周囲を散策した。
昨年のイブメリアでは、アクス商会を初めて訪問した日だ。
あの時は街の方に出てみたので、今年は森の方へということになり、祝祭に華やぐ森の煌めきを堪能しつつ、長めのお散歩を終える。
帰り道ではどこか遠くで教会の鐘の音が聞こえ、ネアはここから見えないどこかでもイブメリアが祝われているのだろうかと思いを馳せた。
「………うん。とても綺麗だよ」
ドレスに着替えれば、ディノはさっそくそう褒めてくれる。
今回は自分で手配したので逃げないのだなと思っていると、ディノとお揃いのリボンに目を留め、一瞬だけ長椅子の後ろに逃げ込みそうになる。
そんな魔物を捕獲して、ネアはドレスの話を続けた。
「家事妖精さんが着せてくれました!何て素敵なドレスなんでしょう。この刺繍の宝石は、もしかして雪と虹のものでしょうか?」
「君が綺麗だと話していたものだからね。こういう色は好きかい?」
「大好きです!こんな素敵なドレスを着たのですから、張り切って踊りますね。それに、一度きりでは勿体ないので、また今度のご機嫌なお休みの日にでも、このドレスで一緒に大広間で踊って下さい」
ネアがそう言えば、ディノはほっとしたように微笑みを深めた。
凄艶な美貌にはどこか男性的な満足感が滲み、素晴らしいドレスに着替えたネアを誇らしげに見つめてくれる。
ディノが用意してくれたのは、美しい雪白のドレスだった。
両肩を出して後ろの裾を引き摺るような花嫁のような白いドレスだが、ウエストをきゅっと締めてくれる幅広のリボンがとにかく素晴らしい。
淡い青みのラベンダー色の天鵞絨地に、乳白色に虹色の煌めきのある、雪原に映った月光とオーロラの色が淡くきらきらする結晶石を、細やかにみっしりと刺繍で縫い付けているのだ。
お尻の上で、そのリボンがふわりと凝った形に飾り結びにされていて、シンプルな白いドレスをなんとも華やかに可憐にしてくれる。
ドレスの裾からふわっと覗かせているのは、同色の青みがかったラベンダー色のチュールだ。
こちらは昨晩のドレスが試作だったのがよく分るように、ダイヤモンドダストの結晶を縫い付けているものの上から白いドレスで透かすので、雪白のドレスは何とも上品に細やかにきらきらと光る。
(あちこちがイブメリアらしくきらきらしているけれど、でもとっても上品で詩的なドレスだわ……)
ここにあの白いケープを羽織り、ディノが雪白の香炉を持てば準備は完了だ。
用意されていた靴はディノの要素を繋いだもので、硝子の靴のような虹色の煌めきのある乳白色のパンプスだが、足を入れてもふわりと柔らかく感じる。
ネアが脱げば靄のように崩れてしまってディノの中に戻る、自身の欠片を切り出して履かせるというかなり強固な安全靴だ。
今年もまたふわりと抱き上げられて、大きく窓を開いた。
ディノが持つのは、鎖でぶら下げるタイプの香炉で、じゃらんと音を立てて雪交じりの風に揺れる。
香炉から立ち昇る煙が、何もない虚空に、二度目にお目にかかる精緻な模様の彫りがある階段を浮かび上がらせた。
雪雲の隙間に見える真っ白な扉に、胸が高鳴った。
片手でネアを抱き上げて、もう片方の手には香炉を持ったままのディノに、その白い扉はすっと開いた。
「ほわ…………」
二度目になるのだが、感動したネアはディノの肩にぎゅっと掴まる。
こちらを見たディノが、満足げに微笑みを深めた。
雲の上にある森は薄っすらと輪郭を透かし、どこからともなく舞踏会の会場を包んでいる。
床は透明な氷のようで、眼下には祝祭の彩りに弾ける街が見えた。
雪雲の影を帯び、ほの暗い街はイブメリアの装飾にきらきらと揺らめく。
そっと床に下して貰えば、ネアの雪白のドレスがふわりと温度のない風に揺れた。
昨年と同じように、深々と頭を下げる者や会釈をする者達がいるが、イブメリアをお熱く過ごすことに夢中でこちらを見ていない者達も少なからずいる。
風のような囁きが一陣吹き抜けた後はもう、ネア達も、ただ舞踏会を楽しむことが出来た。
「踊ろうか」
「はい。こんなに素敵な場所でディノと踊れるなんて、私はとっても贅沢ものですね」
大きなシャンデリアの下で、ウィームの街のその真上に立つ。
空の上にある不思議な森には、赤い実がぼうっとその光を放ちながら揺れていて、外の雪とはまた違う、この会場にだけ降っている柔らかな粉雪がある。
周囲の壁に触れると藍色の星屑になって消えてゆくその雪がひらりと視界を横切り、ネアは微笑みを深めて重ねたディノの手を握る。
音楽が始まった。
優雅にのびやかに、床を踏み音楽とディノのリードに身を任せ、ただの幸福感に酔いしれる。
ウィリアムと出かけた冬告げの舞踏会の話をしてしまったからか、ディノもターンのところでは、ふわっと体を羽のように回してくれた。
不思議な森の木々の根元には、水仙や薔薇、芍薬に菫なども咲き誇り、雪の澄んだ清廉な香りに甘い花の芳香を重ねてこの会場だけの独特な香気に変える。
訪れる際に使った雪白の香の香りも合わされば、深呼吸したいような祝祭の香りになった。
テーブルにはきっと特別なイブメリア仕様に違いない飲み物と食べ物が並んでいるので、ネアは帰るまでにシュプリを一杯と、何かケーキを一つくらいお口に放り込もうかなと思案する。
宝石で出来たテーブルの横には、ダンスの足を止めて語り合う夫婦や、恋人同士の姿があった。
妖精達は羽をきらめかせ、竜はその指先や頬の鱗にシャンデリアの光を映す。
魔物や精霊達の美しい装いは、まるでお伽噺の中の楽園を垣間見るかのようだ。
そんな風に余所見をしていても、ディノの腕の中なので安心なのだ。
普段は浮気だと荒ぶりかねないディノも、今日ばかりはネアが会場の空気を堪能しているのが分るので、同じように瞳をきらきらさせてくれている。
「…………来年もまた君と踊ろう」
「ふふ。言い出すのに、少しだけ躊躇いましたね?是非来年も、どうか連れて来て下さいね」
「ご主人様!」
どうやら魔物は、喜びが一定量を振り切ってしまうと、くしゃくしゃになってしまうらしい。
一瞬前までの艶麗な魔物ではなく、目元を染めてもじもじしてしまったディノに、ネアは嬉しくなって頭を撫でてやりたくなる。
くるりとステップを踏み、おとぎの森の美しい舞踏会場のその真ん中で何曲目か分らないダンスを踊った。
踊っても踊っても、爪先は軽やかだし、一度離れてもう一度手を取ったり、ふわっとターンで回して貰ったりと、ちっとも飽きない。
「ディノと踊ると楽しいですね!」
「ネア………」
曲の終わりのところで、翻っていたドレスの裾がゆっくりと落ちてゆく。
はらはら舞う雪の中、ふわりと落とされた口付けには安堵と悦びがあった。
「…………来年は、婚約期間が終わる頃だろうか」
「ええ。きっと、思い出深いイブメリアになるでしょうね」
「君と過ごす時間は、いつだって思い出深いよ」
「まぁ!今年のイブメリアにこんなに素敵な思い出ばかり作った私に、ディノは勝てますか?」
「…………負けないんじゃないかな」
「ふふ。じゃあきっと、お揃いくらいの分量ですね」
会場の端っこに移動した二人は、美しい経典の楽園と呼ばれるその森から、イブメリアのウィームを見下ろした。
しっかりとネアの腰に腕を回した魔物の手に、やはりどこか魔物らしい独占欲のようなものを感じつつ、いつの間にか持たされてしまっていた三つ編みを撫でてやる。
(あと一年となるのだから、アルビクロムに修行にも行かなければだわ………)
美しい祝祭の夕暮れを見下ろしながら、ネアはそんな決意をよりにもよってここで新たにしてしまった自分に何だか悲しくなった。
でも、大事な魔物がこんな幸せそうに微笑むのだから、頑張って良いご主人様にもなろうと思う。
ふくよかな雪白の香の香りの中で、ネアはそう決意を新たにした。