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208. トナカイの魔物と話し合います(本編)



この世界の冬に活躍する特殊な魔物の中には、最盛期には白持ちになるトナカイの魔物がいる。



長い銀白の髪を編み上げ、青い瞳をした美しい青年で、冬の資質の邪魔になるものを切り開き、冬を牽引するというなかなかに武闘派の魔物だ。

人型の時だけ、装飾の美しい淡い金色のイブメリアの祝祭の槍を持ち、存在しないものを一時的に接触可能にするという特殊な固有魔術を持つらしい。


普段は見事な角までの全身が灰白のトナカイの姿で、冬走りの精霊王や雪の魔物の護衛をする冬の番人の一人だが、イブメリアの前一週間だけは彼等と同列の白持ちの人型の魔物となり、幸運や災いをもたらすと言われている。



そしてそんな魔物は今、ウィームにある多目的な封印庫の一つに収容され、厄介な魔物達と向かい合わされていた。



封印庫の中は本来、多目的使用が可能なようにがらんとした空間になっているが、その中央に今日ばかりは誰が持ち込んだものか不似合いな長方形のテーブルが置かれている。

その周囲に参加者達が座って、お誕生日席に着席させられたオルガを囲んでいるので、ちょっとした最後の晩餐めいた不穏な光景になっていた。


オルガは、ネアには何だかきらきらした帯にしか見えない布のようなもので椅子に縛り付けられていて、脆弱そうに見えても、ディノ曰く絶対に断ち切ることは出来ない布なのだそうだ。



そしてそんなトナカイの魔物を眺め、ネアの正面に座ったノアは魔物らしい微笑みを深めた。

漆黒のコートを無造作に羽織り、白いシャツ姿のノアは、こういう表情をするとアルテアなどよりも禍々しく見える瞬間がある。



「エーダリア、彼は、用が済んだら僕にくれるかな」

「…………やめておいた方が良さそうだ」

「ありゃ、なんでだい?」

「嫌な予感しかしないからだろうか」


にこにこしているが、なぜか全く目が笑っていないノアにそう言われ、エーダリアは既に苦労人の顔になってしまっている。

しかし折れはしないあたりが、この二人が仲良しなのだなと思えてネアはほっこりした。


拘束されたオルガを遠慮なく隣の席から観察しているのは、同席したダリルだ。

ドレス姿の絶世の美女に見える妖精に遠慮なく凝視され、オルガは困惑したように眉を顰めている。


「しかし、この時期は何かと忙しいですからね。ネイの言うように内々に処分してしまった方が、祝祭の準備に早く戻れると思いますよ」

「ヒルド…………」


ヒルドにもノアの提案を推されてしまい、ぐったりとしてしまったエーダリアは、縋るようにこちらを見るではないか。

一応は被害者として参加しているのだが、ネアは仕方なく場の調整に乗り出すことにした。

なお、ネアとエーダリアは、万全を期してオルガから一番遠い席に配置されていた。



「ノア、ひとまずは、この方のご事情を伺いませんか?」

「ネア、僕達はこれでも魔物だし、魔物が自分の守護を与えた人間に触れられて、相手を許すことは滅多にないんだからね?」


そう微笑んだ瞳は鮮やかな青紫色だ。

ディノの瞳より色が鮮やかなので、薄暗い封印庫の中で向かい合うと、その鋭さに圧倒される。



「しかし現状はお仕事の範疇です。その上、聞けば何だかいないと誰かが困りそうな警備隊長さんなので、お仕事利用を終えた後は、こちらの利になること以外での一切の接触と画策を禁ずるという旨の誓約でもさせて、ぽいしておけば良いのではないでしょうか?ついでに、お騒がせ慰謝料も毟り取りますし、私はこやつめの角をへし折ります」

「………ありゃ。シル、ネアが妙に過激なんだけど」

「角は、絶対に折るんだね………」

「ゆるすまじ………」



暗い目で呟いた人間に、オルガはそっと目を瞬いた。

拘束魔術をかけられてはいるが、焦ったような素振りはなく冷静に見える。

というかやはり、教師めいた静謐さで佇んでいる彼の感情は酷く読み取り難い。



「僕は君に、一時的な記憶の入れ替え以外に何かしただろうか?」

「あなたが入れ替えて塞いでしまった方の記憶には、私がようやく安心して暮らせるようになった理由の全てがあったのです。そういうものを剥ぎ取られた世界がどれだけ暗く、不愉快なことか。私はとても自分本位な人間なので、僅かな時間であれ、またあんな思いをさせられたことが許せないのです」



かさかさに乾いた心はやるせなかった。

中途半端に違う世界から落とされた記憶も封じられていたので、ネアは不安定な心でその不器用さと無能さに心を痛めたのだ。



だからだと教えてやれば、オルガは、人間は変わっているなと小さく頷く。

本来は冬を司る人外者達の側にいる魔物なので、こうして人間という生き物をじっくりと知る機会はなかったそうだ。


「だから、……契約の魔物のようなことをしてみたかったのでしょうか?」

「ああ。契約の魔物達はよく幸福だと言う。どれだけやるせない思いをしても、やはり歌乞いがいると良いと。だから、折角だし知れるものならばと興味が湧いた」


ネアはふと、人里に降りて来てしまった人ならざる者の不自由さのようなものを覚えた。

知らなかったことを盾にせず、素直に頷く魔物だからだろう。


「しかし、巻き込まれる人間からすれば、最終的には元通りでも腹が立つことはあるのです」

「…………人間は、そういうものなのか。すまなかった」

「角一本で我慢して差し上げますが、もし誰かの所為でああいう行動に出ざるを得なかったのだとしたら、その方に支払わせますので仰って下さいね」

「……………君の魔術可動域で、僕の角を折れるだろうか」

「あら、私の歌で動けなくなってしまったのに、良く言えましたね」

「ああ、あれは酷かった」

「おのれ!」


ここで心の狭い人間が怒り狂ってしまい、怒っていた筈のディノとノアは、トナカイの魔物を踏み滅ぼそうとするネアを必死に宥める羽目になる。

ぐるると唸っている人間に驚いたのか、オルガは目を瞠って固まってしまっていた。



「……………人間の女性にも、獰猛な種類があるんだな。レインカルみたいだ」

「むぐるるる!!」

「ネア!ネア、落ち着いて。仕事を終えるまでは損なえないのだろう?」

「むぐ!」


またしても凶悪な面構えの灰色の獣に例えられ、ネアは怒りのあまりにじたばたする。

ディノが抱き上げてあやしてくれているが、もはや恨み骨髄なのでこの場で踏み滅ぼすのも吝かではない。

ネアがすっかり荒ぶってしまったので、呆れたダリルが取り調べを再開してくれた。



「…………あっちは落ち着くまで無理そうだから、私から話を聞こうか。あんたは、何でまたこんなに面倒なやり方でウィームに来なければならなかったんだい?」

「冬の多くを過ごすこの領域の統括の魔物に、冬の統括と、僕の配置換えを申し出る為だ」

「………配置換え?」



そうして、トナカイの魔物は静かに話し始めた。


今年の冬のオルガは、雪の魔物と冬を治めていたらしい。

彼は、その年の冬を統括する人外者達に仕え、その人外者が冬を運営する手伝いをする魔物だ。

例えば、一昨年は冬走りの精霊で、昨年は雪竜、今年は雪の魔物という様に。

そして今年の統括に、とある問題が起きたらしい。


オルガの硬質で静かな声で語られると、その言葉の向こう側に、しんしんと雪の降り注ぐ情景が見えてきそうな気がする。

静かな静かな、クリスマスの夜のような不思議な声だ。


「だが、ニエークは最近すっかり様子がおかしくなってしまった。冬の仕事を全部僕に任せ、私用にかかりきりだ。彼に僕の言葉が届かなくなってから色々考えたが、彼の仕事は季節を司るものだ。取り返しのつかないところに影響が出る前に、ひとまず今年の冬の統括を変えた方がいい」

「だとしてもそれは、魔物同士の話し合いだ。こんな目立つ騒ぎを起こさずとも、直接統括を探せばいいだろうに」


そう返したダリルに、オルガは小さく溜め息を吐く。

深い溜息に前髪が揺れる程なので、淡々と説明してはいるが、相当苦労した部分もあったのだろう。


「その系譜の問題を系譜の中で解決出来ないのは、身内の恥とされる。ニエークは勿論のこと、ニエークの系譜の魔物や妖精達にも僕がしようとしていることが露見すれば、猛反対されるだろう。だが、季節の統括を変える権限を持つのは、各種族の最高位と、その季節が最も力を持つ土地の統括の魔物だけなんだ」



事情を聞けばなんだか苦労人めいてきたので、ネアはひとまず唸るのをやめてみた。


ほっとしたように隣の席のディノの膝の上に抱え上げられ、お仕事中なのでやめ給えと、先程までの名残で小さく唸る。

するとそっと三つ編みがお供えされ、頭を撫でられた。

困ったことにそれで済ませようとするので、勝手に椅子になる魔物から逃れようとむがむがすると、お供えが足りないと思ったのか紐を束ねたものを渡された。

魔物の腰に縛って持っていてもいいという自己主張なので、恐ろしくなったネアはぴたりと黙る。



「…………困ったものだな。雪の魔物はそんな様子なのか」

「ありゃ。ニエークが珍しいなぁ」


ネアが魔物との攻防戦を繰り広げていたその間にも、オルガの取り調べは続いていたようだ。


雪の魔物がどんな様子なのかを知らされていたエーダリア達が、いつの間にか酷く遠い目になってしまっている。

慌てて聞き逃した部分を教えて貰えば、雪の魔物ことニエークは、どうやら誰かに恋をしたらしい。

その相手のことを調べたり、人気者らしいお相手の情報を共有する信奉者達の勉強会に出かけていったりと、すっかり忙しくなってしまったのだそうだ。


(魔物さんとは………)


ネアも、エーダリア達に引き続き遠い目になる。

ヒルドは若干頭を抱え気味であったし、ここ数日の大雪で仕事量が増えているダリルも呆れ顔だ。

しかし、前の統括の魔物は失恋で引き籠りになっていたくらいなので、案外そのような要素であっさり自分の仕事を投げ出してしまえる種族なのかもしれない。



「だが、彼は冬の統括だ。当たり前だがそれでは済まない」



オルガの言葉はもっともだ。

この時期の雪の魔物はかなり忙しい。


結果、雪の魔物が捌くべき仕事は溜まりに溜まり、仕方なくオルガが片付ける日々。

雪が降らない土地からの相談ごとなど、本来であればニエークにしか出来ない仕事まで、何とか雪の系譜の妖精や精霊達と相談して解決しなければ間に合わないこともあったのだとか。


そしてそんな日が十日を超え、雪の魔物が当分仕事をする気がないと察したオルガは、早々に見切りをつけて統括の魔物を探しに行くことにした。


季節を司りそれを補う魔物が手を抜くと、思いもよらないところで事故が起こったりする。

案外常識人だったオルガは、自分が自由に白持ちの力を振るえる内にと早めに決断していた。



「最初はヴェルリアに行った。彼は、この国の王都によく現れると聞いたからな。アルテアは面倒事を嫌う傾向があるから、出会う前に逃げられないよう擬態をしておいた。しかし、ヴェルリアに行けば、統括の魔物が最も良く出没するのはウィームだと言う」

「何でまたグリムドールに擬態したんだい?」

「あの一角獣は、かつて月の魔物の愛玩物だった。その寵を失った今でも、かつてそれだけの庇護と寵愛を得た無垢な生き物を傷付けたがる者達は少ない。擬態をしても身を守れ、尚且つ人間を怖がらせずに短期間で目を惹いて必要な情報を持つ者達に出会うには、一番適当だと思った」


(………意外にしっかりした理由だった)


一見杜撰にも見える計画だが、オルガにはそれなりに理由があったようだ。

確かに、月の魔物が溺愛していた一角獣の出現に王都では騒ぎになったのだと思えば、彼の目的は達成されているようだ。

扱いの難しい稀少な生き物だということで上の者の判断が仰がれ、その結果彼は、アルテアの出没情報を持つ者に接触することが出来たのだろう。


「そもそも、ウィームに統括の魔物が出没すると聞いたのなら、わざわざ運ばせずとも、ウィームに自ら訪れればいいだけのことじゃないかい?」

「僕が姿を消したことで、ニエークは探しているだろう。彼は勘が鋭くて部下も多いから、一角獣に擬態してはいても、あまりあちこちに証跡を残さない方がいい。であれば、人間達に運ばせるのが一番だ。それに元々、この時期のウィームには僕を退ける為のまじないがあるから、自分だけでは入ることが出来なかった」

「おや、あんたこの土地から排除されているのかい?」

「…………土地にと言うよりも、信仰の魔物にそうされている。彼女がここに滞在する、イブメリアの祝祭の月だけだが」


不服そうにそう呟いたオルガに、ネア達は顔を見合わせた。

そんな信仰の魔物は現在失踪中だが、こちらの案件と何か関係があるのだろうか。


「もしかして、レイラに何かを言ったかい?」


そう尋ねたディノに、オルガは僅かながらに表情を引き締めた。

先程からディノに対してのみ言葉遣いが変わるので、顔に出難いだけで緊張しているのかもしれない。


「どうしてもウィームに立ち寄らねばならない理由が出来た為、一日から数日の予定でウィームに滞在すると手紙を送っています。彼女に何かありましたか?」

「いなくなってしまったようだ。祝祭が近いからね、探しているのだけれど」


(……………あ)


今度の表情はネアにも分った。

どこか疲れたような呆れの色を目に浮かべ、オルガは成程と小さく呟いた。

表情があまり動かないので、目を伏せると、まつ毛の影が目元に落ちて何とも憂鬱そうに見える。


「……………僕に会いたくないのでしょう」

「ってことは、何かしたのかな?それも君が理由なら、迷惑なんだけど」

「…………十年程前から、三年前まで、毎日のように恋文を送られて迷惑をしていた。共に仕事をする同僚などに嫌がらせもされて仕事に支障をきたすようになったので、迷惑だということと、そろそろ周囲の迷惑を考えられるような女性になった方がいいと伝えたところ、………イブメリアの祝祭月にウィームに入れないように、まじないをかけられた」

「…………わーお」

「いっきに、レイラさんが不利になりましたね………」

「愚かな女だねぇ」

「ダリル……………」


ということはもしや、レイラがもの凄い姿勢で頭を抱えていたのは、手酷く自分を振った相手がやって来ると知り、身悶えていた瞬間だったのだろうか。

何となく、自分の黒歴史と対面させられるようでいたたまれないのは分るが、もういい大人なので大事なイブメリアの前に逃げないで欲しいとネアは思う。


「逃げてしまうんだね………」

「その後だからこそ、お仕事を投げ出さずに踏み止まれる姿を披露して欲しかったですね」


思わず何とも言えない顔になってしまったネアとディノの隣で、ヒルドは顎に手を当てて考え込んでいる。

封印庫の奇妙な薄闇の中では、ヒルドの羽はけぶるように光っていた。

天窓からの光の筋に微かな妖精の粉の粒子が大気中に煌めき、何とも幻想的だ。


「そうなると、教会内部には信仰の魔物の居場所を知っている者がいそうですね。会いたくない相手がいつ立ち去るのかを確かめる為にも、こちらに残り、彼女と定期的に連絡を取る者が必要でしょう」

「それなら心当たりがある。私が締め上げておこうかね」

「ほわ、その上で昔好きだったダリルさんに今回のことが知られたとなれば、レイラさんの心はずたぼろですね……………」

「知ったことかい。そつなくやり過ごすことも出来たのに、自業自得だ」

「そうなると、信仰の魔物の失踪については、近日中に片が付きそうではあるのか」



少しだけ良い情報があったと、エーダリアはほっとしたようだ。

一度立ち上がり少し離れたヒルドが、グラストとゼノーシュのチームに通信を行い、こちらで判明した事情を説明してから、レイラのお付きの者達の中から、彼女の現在の居場所を知っていそうな者達を探した方がいいのではと提案している。



その隙にネアは、先程まで自分の契約の魔物だと思っていたオルガを、こっそりと観察しておいた。



(オルガさんが私を選んだのは、本当にただの偶然だったらしい)



まだまだダリルの聴取は続いており、様々なことが聞こえて来る。


ネアを選んだのには、オルガなりの基準があったそうだが、複数名を見た上でネアにしたというだけだった。

もしかしたらそこには、歌乞いの契約の魔物をやってみたいという憧れがあったのだろうか。


また、オルガが擬態した一角獣の特殊魔術のようなものは、買い付けた擬態魔術を使う上での、完全に気配を消して他の生き物に変化することで発症する副作用だったらしい。

その、気配まで変えられる代わりに、特定の者にしか認識させないという弊害を上手く生かし、オルガは逆に利用してみせたのだ。

擬態薬は一日に一度飲むので、ウィームだけという設定は後から足したのだそうだ。



静かに座っているオルガには、悪さをして捕まった罪人というよりは、苦境を訴えその解決を願っているような、どこか崇高な雰囲気すらあった。


しかし、その道中で迷惑を被った者達がいるのは確かなので、ネアは悪意がないところでもやはり人間とは違う心の動かし方をする、魔物という生き物について少しだけ考える。

今は荒ぶるご主人様を宥めるまでになったディノですら、かつては邪魔な魔物達を壊してしまう悪い魔物だったのだ。


(……………冬告げの舞踏会で、ディートリンデさんが話していたことを忘れないようにしよう。あの言葉は、ウィリアムさんやアルテアさんだけではなく、ディノやノアに対しても言えることなんだ……)



大事な相手だからこそ、見失わないようにするべきなのだとネアは思う。

彼等はやはり、魔物という生き物でもあるのだ。



「ディノ、アルテアさんに来て貰うのですか?」

「いや。ニエークであれば、私が話をしよう。その方が早いからね」

「僕も行くよ。僕とシルで、オルガを連れてニエークに会いに行けばいいんじゃないかな」

「そうだね。エーダリア、それで問題ないかい?」

「…………それなのだが、今回の件では、捕まえた一角獣に特殊な固有魔術が確認されたことで、ウィームが妙な手駒を得ないよう中央で議論されていた。この案件が魔物の手に委ねられたことを、どこかで拡散出来ると有難いのだが」


偽物だったと言うにせよ、ウィームに由縁のある人間を含む、特定の人間しか出会えないという謎設定を持つ生き物が、中央にとってウィームへの警戒の理由とならないようにせねばならない。


ありとあらゆる不安要因を机上の議論に上げてしまう政治の場に立つ以上、面倒でもしなければならないパフォーマンスが必要なのだ。



「うーん、ってことは、アルテアがこのトナカイ男を回収したってことを、王都で話せばいいのかな?確かに、居心地のいいウィームにおかしな勘繰りが入ると面倒だよね」

「ではそうしようか」


ネア達がそう話していると、なぜかオルガが首を傾げている。


「オルガさん?」

「………ノアベルトは塩の魔物だが、心臓を失くしてからは階位が不安定だ。僕は拘束されている状態で、ノアベルトとあなただけで大丈夫だろうか?ニエークはあれでも、この時期は公爵の中で階位を上げる」

「まぁ……………」



そう言って真っ直ぐにディノを見ているので、一同は何とも言えない複雑な気持ちになる。

ディノはまだ、擬態したままの青みがかった灰色の髪のままだったのだ。

ノアよりは上の階位と判断しても、雪の魔物より偉いかどうかは分からなかったらしい。


どう答えたものかなと一拍の沈黙が落ちたが、すぐにノアが気を取り直してくれたようだ。



「シルなら大丈夫だよ。万象だからね」

「…………万象」

「言っておくけど、君が記憶に手を出して怒らせたネアは、その万象の指輪持ちだよ?」

「……………君が?」

「なぬ!何やら失礼な眼差しを向けないでいただきたい!」

「ネア、後で叱っておくよ」

「……………万象」


また同じ言葉を呟き、オルガは固まってしまった。

喋らず動かなくなったので、その隙にとネア達は今後の方針を話し合うことにする。



「アルテアさんは忙しいのですか?自分事で事後報告だけになると、拗ねないでしょうか?」

「………忙しくはないようだね。だが、大浴場でネアと仲良くしていたから、もう充分ではないかな」


思いがけない理由が返ってきて、ネアはえっとなる。

忙しそうだからとか、こちらで済ませてしまう方が楽だからという理由ではなく、個人的な感情が絡んでいるようだ。

しかもなぜか、ノアまで大きく頷いている。


「僕も同じ意見」

「むぅ。すっかり不貞腐れていますが、あの時は、ディノがくしゃくしゃになってしまったので、アルテアさんが助けになってくれたのです。魔術でディノの体を支えるのを手伝ってくれなければ、ディノはお湯の底に沈んでしまっていましたよ?」

「アルテアなんて………」

「だいたい、僕には浴室着を着ないと駄目だって言うくせに、何でアルテアはいいんだろう」

「現地で遭遇しただけの、基本別行動のお客様だったからですね。しかし私も、浴室着を着させるべく猛然と抗議しましたよ!」

「お前の場合、途中からどうでも良くなったようだがな」

「そう言えば確かに見慣れ…………アルテアさん?!」



ネアがそろりと振り返ったそこには、なぜか暗い目をしたアルテアと、穏やかに微笑んだウィリアムがいる。

なぜここにいるのだろうと首を傾げれば、アルテアは眼差しを険しくした。



「…………ご機嫌斜めです」

「お前がまた、妙な事故を起こすからだ」

「なぬ」

「ネア、誰かに魔術介入されただろう?与えてある守護が特定の揺らぎをみせたんだ」

「…………まぁ、分かってしまうものなのですね?」

「怪我は無かったのか?………シルハーン、すみません、さすがに無視しきれずにこちらに伺いました」

「………そうか、君達にも分かるものなのだね」



小さく溜め息を吐いたディノは、守護をそのような状態にしておいたのだったと悲しげにしている。

今回はノアと二人で解決するつもりだったようだが、オルガが探していたアルテアが来てしまった以上、ここから先は彼に預けるのが自然だろう。



(頑張ってくれようとしていたところだったのかな………)



もうすることはないと思っていそうだが、ネアは、オルガをアルテアとウィリアムに預けるのは不安である。

この二人こそ、後腐れなくという理由一つで簡単に邪魔なものを排除してしまう側の魔物達だ。



「ディノ、このお仕事は、最後までお付き合いをお願いしてもいいですか?」

「ネア?」

「あのお二人ですと、解決する前にくしゃっとやって終わりにしそうな気がするので、こちらで主導権を握りましょう!」

「ご主人様!」

「…………おい、聞こえてるからな?」

「私は穏健派なのです。素敵な冬と、素敵なイブメリアが来るのがまずは第一なので、きちんと物事を収めたいです」

「穏健派?」

「アルテアさん、その眼差しは失礼ですよ!」

「レインカルそっくりのお前が言う言葉じゃないな」

「むぐるるる!」

「アルテア、久し振りだな」

「オルガ、他人のものに手を出したのはお前だったか………」



ご挨拶中のアルテアを見つつ、本日二度目のレインカル呼ばわりに、ネアは荒んだ目になる。

にっこりと微笑んだウィリアムが、アルテアは後で叱っておくと約束してくれた。

なお、浴室着についても、しっかりしつけておいてくれるそうだ。



「……ってことはまぁ、こいつの処遇はネアちゃん達に任せていいかい?」


魔物達のご挨拶や安全確認が落ち着いてから、そう尋ねたのはダリルだ。

ネアはこくりと頷いた。


「はい。こちらで、あまり荒ぶらないように、まずは原因となった魔物さんをどうにかしようと思います」

「私もご一緒したいところですが、あまり人数ばかり増やしても生産的ではありませんね」

「ふふ、ヒルドさんがいたら頼もしいですが、既に頼もしい魔物さんが沢山いるので大丈夫そうです」

「…………その、……頼んだぞ」



エーダリアの言葉はずしりと重い。

暗に魔物達の管理も任されているので、ネアは凛々しく頷いた。

いざとなれば、きりんさんの絵で黙らせるより他にない。




そうして、雪の魔物ニエークの城に、何とも大所帯な面々で訪問することが決まった。

ウィリアムは、一度ネアの頬に触れて無事を確かめると、ニエークの城に入るまでの物理的な道の確保だけを助けてくれ、その後は西方の小国群の戦乱に戻っていった。


やはり、もっとも長い祝祭前、そして年末となるこの時期のウィリアムは忙しいようだ。

翻ったケープの裏地の真紅に目を奪われつつ、ネアは軍帽をかぶり直して微笑んだウィリアムに手を振る。




「…………そして、雪の魔物さんのお城は綺麗ですね!白さと青さが素晴らしいのは勿論ですが、繊細なお城の造りが何とも言えません」


お伽話に出て来る白鳥城にも似た美しく繊細なシルエットに、ネアは目を輝かせる。

するとネアを失くさないようにしっかり抱えた魔物が悲しげに息を飲んだ。



「…………浮気」

「建造物を褒めただけですよ。確かに、冬告げの舞踏会でお見かけした雪の魔物さんもお綺麗でしたが…」

「ネアが虐待する………」

「あら。私はこれでも、お仕事を投げ出して周囲の方々に迷惑をかける方は嫌いです。自分であれば言い訳して許してしまうかもしれない残念な人間ですが、他の方の行いは許さないのです」



びゅおるりと雪交じりの冷たい風が吹く。

本来であれば首を竦めて目を閉じてしまいそうなその風を、ネアは初めて余裕を持ってまじまじと見ることが出来た。

そんな贅沢さにまた、それを可能にしてくれる魔物の存在を感じる。



これからここで、冬なのにさぼり魔な雪の魔物と対峙するのだ。













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