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203. 戦争が多過ぎます(本編)


ネアはウィリアムと少し離れたところにある、雪と氷で作った花壇のような素晴らしいオブジェのところまで逃げてきた。

流石にこのような社交の場での逃げ足は鍛え抜かれているのか、ウィリアムの移動には一切の無駄がない。

さぞや美女たちに追いかけ回されたのだろうなと、ネアは心の中で労っておく。



「さて、これで一安心です」


しかしネアは、その直後に何者かに捕縛されて無念と呟いた。

追っ手もこのような場所での移動には長けていたようだ。


「………おい、ふざけるな。何のつもりだ」

「ウィリアムさん、私に見える幻覚が何だか荒ぶっています。黒っぽくて少し恰好をつけた悪いやつなので、助けて下さい」


「確かに俺にもそんな幻覚が見えるな。危ないものだといけないから、どかしておこう」

「成る程な。お前が何か吹き込んだな」

「嫌だな。俺は何も強要していませんよ。………おっと、幻覚と口をきいてしまったかな」

「むむぅ。危ない幻覚ですね。……むぐ?!何をするのだ!!」


黒っぽい幻覚に頬っぺたを摘ままれたネアは、怒り狂って爪先を踏み潰すべく足をがすっと踏み下す。


「ほお、しっかり見えているようだな」

「……………むぐぅ。せっかく、恋人さんとの時間を邪魔しないように気を使って差し上げたのに、なぜにぐいぐい懐いてくるのだ」

「……………は?」

「このような場所に一緒に来る恋人さんです。きっと、この後でいい雰囲気に…………む。いない」


ネアは渋面になって周囲を見回したが、アルテアはいつの間にか一人になっているではないか。


なお、本日のアルテアは天鵞絨に似た毛皮素材な漆黒の盛装で、まるでウィリアムと対になるようなケープ姿だ。

シルクめいた純白のクラヴァットに、艶やかな雪を象った赤紫の宝石のタイピンが美しい。

青光りするような白いドレスシャツに、ケープの裏側の深い赤色がぞくりとする程に仄暗く、ウィリアムと二人で並び立つと見惚れる者が出るくらいに華やかだ。



「アルテア、連れの女性はどうしたんですか?」

「さあな。その辺にいるだろ」

「なぬ。早く行って上げて下さい。無視してしまったのは、使い魔さんがこんなに懐いてしまっているところを見られてがっかりされないようにという優しさですので、決して虐めではありません。納得したら、恋人さんの所に戻ってあげるのだ」

「子供じゃあるまいし、一人で問題ないだろ」

「…………舞踏会でこんな仕打ちをしたら、ふられてしまいますよ?あんなに綺麗な方でお似合いなのですから、恋人さんは大事にして下さい。むぐ!」


今度は反対側の頬っぺたも摘ままれたネアは、怒り狂ってアルテアの爪先を踏み滅ぼしにかかった。

今日の靴は華奢な白いパンプスなのだが、ウィリアムが安全の為にと素敵な守護をくれたのだ。


「おのれ、好意にこの仕打ちとはゆるすまじ!」

「お前が勝手に暴走したんだろうが」

「ネア、あまりアルテアに構わない方がいい。調子に乗るからな」

「む。………そうでした。さらりと大人の余裕で流すことにしますね。あらあら、やんちゃな魔物さんですねぇ」

「その妙な笑い方をやめろ」

「頬っぺたを離すのだ!」

「やれやれ、このような場で他の者の同伴者に手を出すのは褒められたことではありませんよ、アルテア」


ウィリアムはそう言うと、ネアを悪い使い魔から解放してくれた。

頬っぺたを押さえてさっとウィリアムの背後に隠れたネアは、ぐるると唸りながら使い魔を威嚇する。



(…………ん?)



そして、背後の不穏な気配に気付いた。



そこにいるのはお盆を持った水色のドレスの美しい女性と、藍色の盛装姿の男性、檸檬色のドレスの女性の三人組だ。

檸檬色のドレスの女性は、どんな事情か今にも世界を滅ぼさんという目をしている。



「どうして、一緒に舞踏会に来た私ではなく、エミリアにその繋ぎ石を渡したのかしら?」

「…………い、いや、えーっと」

「簡単なことよ。ロマルは、私を愛しているからでしょうね。精霊の女はうんざりだと話していたわよ」

「………ふぅん?」



そろりと振り返ってその光景を見てしまったネアは、あ、これからここで殺し合いが起きるなと理解した。

ウィリアムの背中の影から再び前面に戻ろうとそろりそろりと移動しかけたところで、その悲劇は起きた。



「みぎゃ!」



突然ネアが悲鳴を上げたので、何やらやり合っていたウィリアムとアルテアがぎょっとしたようにこちらを見る。


ネアはおでこを押さえて、よろりと傾いて涙目になっているところだった。


「ネア?!」

「………おで、おでこに苺が飛んで来てびしっと当たりました」

「苺が?…………大丈夫か?」

「むぎゅう。私は戦場から少しでも遠ざかろうとしたのに。戦に一般市民を巻き込んではいけないと思います」


ふるふるしながらウィリアムにそう訴えれば、ネアを慌てて腕の中に収めたウィリアムも、背後で痴情のもつれで戦争が始まったことを理解したようだ。

既に男性はケーキ皿を顔面に叩きつけられて死んでしまっており、残された女達の戦いが始まったようだ。


ネアの見立てでは、一組の男女のお客様と、会場で働いていた雪竜の女性との戦である。

おまけに、精霊と竜の戦いだ。



「可哀想に。見せてくれるか?」

「……苺があんなに激しく飛んでくるとは思いませんでした。恐ろしいケーキ皿投げの技術です」


ウィリアムはネアが見せたおでこを指先で撫でると、ふわりと唇を頬に寄せた。



「……………ふゎ?」



一瞬何があったのか分からず、ネアは目を瞠って至近距離で微笑んだウィリアムを見上げる。

翳った白金の瞳は艶やかで、ウィリアムは微笑みを深めると戻された指先で唇の端を拭う。



「頬にクリームが付いてたからな」

「なぬ。クリームまで飛んで来ていたのですね」

「おい、お前は危機感が無さすぎるぞ!」

「なぜに叱られたのだ。苺が飛来するかどうかなど、私には予測出来ません」

「ウィリアムの方だ」

「ウィリアムさん………?」

「…………まさかお前、意識もしてなかったのか?」


なんとも言えない顔のアルテアに頬を指差され、ネアはそのことかとふすんと頷く。

ウィリアムに、頬に付いていたと思われるクリームを舐め取られたことの方だったらしい。


「もふ化の後遺症ですね。ディノも最近、ムグリスな威嚇をするんですよ。ウィリアムさんはちびふわな時、すっかり甘えたになり、夜中に私の顔をあちこち舐めていましたから」

「………ネア、言いたいことは色々あるが、それは俺じゃない」

「なぬ。ではアルテアさんなちびふわだったのでしょうか。さては、私が食べられるかどうか確認したのですね!ゆるすまじ!」

「認識の区分がおかしいからな。俺とウィリアムの区分けの差は何なんだ………」

「それは悪さをするかどう………そう言えばウィリアムさんも、人間を丸齧りする魔物さんだとどこかで聞いたような……」


そんなことを思い出してさっと頬っぺたを押さえたネアに、ウィリアムはどこか遠い目をした。


「誰がそんなことを………。ネア、俺は人間は食べないから安心していい」

「か、囓りません?」

「するとしても、甘噛みで止めておくよ」

「ふむ。それならムグリスディノもやりますしね」

「馬鹿か。納得するな」

「むぎゃふ!なぜに先程から頭頂部をはたくのだ!私は太鼓ではありませんよ!情緒不安定になるくらいなら、さっさと恋人さんと仲直りをして下さい」

「そうか。アルテアは多分、先程の女性と何かあって荒んでるんだな。ネア、あまり刺激しないようにしよう」

「はい。あっちでもこっちでも痴情のもつればかりです………」



すっかり太鼓扱いに疲れたネアは、ウィリアムの手に縋るようにしてウィリアムの陰に隠れた。

ネアがぴったりとウィリアムの背中に貼り付けば、アルテアのご機嫌は最悪になり、恋人とはぐれて荒ぶるアルテアは珍しいのか何だか周囲はざわざわしている。



しかしその向こう側では、またダンスが始まったりもしていて、優雅に穏やかに冬告げの舞踏会を楽しむ人々の姿も見えた。



(いいなぁ、あちら側に混ざりたい……)



ネアは苺で攻撃されて惨めな気持ちになっていたので、是非にまた踊りたいと切に願う。

アルテアと何やらお互いの過去の悪事を引っ張り出し合い舌戦中のウィリアムのケープをくいくい引っ張ってみたが、ネアのお願いには気付いてくれないようだ。



「むぐぅ」



しかし、その主張に気付いてくれた優しい知人が、そっと歩み寄るとネアの手を取ってくれた。



「………ディートリンデさん」

「ウィリアム、ウィームの子を一曲お借りする。ハザーナは少し疲れたそうだからな」

「そうなんですの。ですからわたくしはそちらの会話に混ぜていただきますわ。審判が必要そうですものね」

「………ネア、」

「一曲だけ行ってきてもいいですか?」


ネアが自己主張の続きのままケープをくいくいすると、ウィリアムは淡く苦笑して、ネアの頬をするりと指の背で撫でる。



「一曲だけだぞ。それと、危ないことはしないように。……ディートリンデ、すまない、少しだけ彼女を頼む」

「ああ、勿論だ。この子は大事なウィームの子供だからな」



ディートリンデは流れるような優美な動きでネアの手を取り直すと、くすりと共犯者の微笑みを深めてエスコートしてくれる。

ネアは振り返ってハザーナにぺこりと会釈すると、ダイヤモンドダストの妖精はにっこり笑って胸を叩いてみせてくれた。



「ディートリンデさん、気付いて下さって有難うございます。ハザーナさんは良いのですか?」

「彼女が疲れたと話していたのは本当なのだ。………さて、人ならざるものの舞踏会は気紛れだ。音楽が流れている間に踊るのが良いだろう。そなたの保護者達も困ったものだな。周囲もはらはらしていたぞ」

「あのお二人は、仲良しなのですがお互いにその自覚がないのが問題なのだと思うのです」

「ふむ。そのような兄弟はよくいるな。加えて、どちらが妹を愛でるか競い合う兄達のようでもある」

「まぁ、大変なお兄さん達が出来てしまいました」

「確かにいささか荷が重いな。兄はやめておこうか」



微笑みを交わし合い、ネアはディートリンデと最初のステップを踏む。

ディートリンデの踊り方は、以前にヒルドから教わった高位の妖精独特のダンスだ。



「だが、愛するものがあるというのは良いことだ。彼等は浮かれているのかもしれないな」

「困った魔物さん達ですが、最近はすっかりお二人とも過保護になってしまいました」

「何か理由があるのか?」


そこでネアは、闇の妖精事件こと荒ぶるちびまろ事件の顛末を、ダンスの邪魔にならない程度にかいつまんで説明した。

それを聞いたディートリンデは、長命な人外者らしい澄んだ瞳でネアの瞳を覗き込む。


「見知らぬ誰かの手を意識して、殊更に愛しさが募ったのだろう。………だが、彼等とて魔物。それもその気質がとりわけ厄介とされる高位の魔物達だ。良い関係を続けてゆく為にも、そなたも努力をせねばな」

「はい」


優しい目は厳しくもあり、だからネアは真摯にその言葉に耳を傾ける。

エーダリアと話す時のヒルドによく似た、自分の領域の者を教え諭す妖精の目をした雪のシーは、何だかとても頼もしい。


ダンスのターンでさらりと翻った髪が例えようもなく美しく、ネアは微笑みを深める。


「魔物はその気質故に、気紛れで残忍だ。そなたの契約の魔物は伴侶としてそなたを認識するのだろうからその限りではないが、その他の魔物達と関わる場合は、彼等の為にもそなたの為にも、その牙や爪で傷付けられぬよう、よく注意するといい」

「はい、気を付けますね。慣れ親しんでその手を取ることに慣れるのなら、ウィリアムさんやアルテアさんのその資質にも目を凝らすようにします」

「そなたは勘がいいので、その勘を信じていいだろう。………まぁ、いささか鈍いところもあるが、それはそれで案外そなたを助けているのかもしれないな」

「鈍いところ」

「転じて長所となっているようだ。気にしなくていい。……そうだな、そして我々の種族である妖精も、したたかで執念深い。ヒルドも妖精だという事を忘れぬように」

「むむ。そちらも充分に考えて、ヒルドさんを困らせないようにしますね」



身内だからこその言葉は、ディートリンデがネアを庇護する土地の子供だと考えてくれたからだろう。

ネアはそんな喜びを噛み締めつつ、年長者の教えに耳を傾けていた。

種族のどこかに偏るでもなく、穏やかで優しい雪のシーの言葉や声は、彼が長らく人間の営みの近くにあり、それを助けてきた人外者なのだなという感じがする。

ディートリンデは、きっと今迄にも同じような会話を様々な人間達としてきたに違いない。



「…………妙だな。雪の気配が薄い」

「…………ディートリンデさん?」

「ネア、俺の手を離すなよ。………ジゼル、冬走りはどこへ行った?」


ダンスの途中で、ディートリンデは踊りの輪を抜けるとジゼルに声をかける。

その言葉に視線を巡らせたジゼルは、はっとしたように短く息を飲んだ。



「………まさか、また雪を追いかけて」

「有りうるな」


深刻そうな会話が交わされ、不安げに見上げたネアに、ディートリンデが困った事情を教えてくれる。



「冬走りの精霊は、名前の通り冬を追いかけて走り、その足跡に冬を生む精霊だ。ただ、その気質が意識の殆どを占める冬走りの精霊王は、時々雪雲を追いかけて失踪してしまうのだ」

「………ちょっと嫌な予感がしてきました。なぜに毎回主催者が失踪するのだ」

「他の季節もそうなのだな……」

「秋の時も、お気に入りのどなたかを探して脱走されてましたよ」



ネアの言葉に、ディートリンデとジゼルはどこか遠い目をした。

高位の精霊とはとジゼルが呟いたので、少し悲しくなったのかもしれない。


「今年は雪竜が会場の管理を任されている。捜索は任せてくれ」

「ああ。では俺は、雪の気配が薄くなり過ぎないように手をかけておこう」


ジゼルがさっと姿を消した後、ネアは目を細めて周囲を見回したディートリンデを見上げた。

長いミルクブルーの髪がさらりと柔らかな風に揺れ、銀色の羽が煌めくと、舞踏会の会場の天井から降っていた雪が白さを増す。

はらりはらりと降る量は変わらないのだが、より輪郭がはっきりしたという感じだった。



「そなたを終焉の魔物のところに戻そう。場が揺らぐと良くないからな」

「ディートリンデさんは大丈夫なのですか?」

「ああ、幸いにも冬の舞踏会には高位のものが多い。最悪の事態になったとしても、被害などは出ないだろうが、季節の舞踏会がきちんと終わらないとその季節が曖昧になってしまうのだ」

「……そういえば、そんなことを以前に聞いたことがあります」

「なので、冬走りの精霊王を何としても連れ戻さなければならない」

「そうなんで……ふきゃ?!」



その時ネアは、思いがけず氷の結晶のような床石が濡れていたところで、つるりと足を滑らせて転びそうになった。

ディートリンデに手を取られてはいたのだが、ダンスの名残でゆるく手をかけていただけだったので、驚いてその手を離してしまったのだ。



「おっと、」


ばすんと、誰かが背後から支えてくれる。


「も、申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」


慌ててネアが謝ると、振り返って目を合わせたその誰かは、穏やかに微笑んだ。



砂漠の国の装束のような髪を全て白灰色の布で覆ってしまう不思議な装いで、その上でお城に参じる貴族のような、けれどもどこか異国風の装束がアンバランスだが妙にしっくりとくる。

腰丈のふわりとしたケープの裏地は、鮮やかな真紅だ。


「怪我はないか?君が怪我をすると困るからな」

「寧ろ、私がぶつかってきて痛くありませんでしたか?」

「いいや、俺は問題ない。さぁ、連れの手をしっかりと握っているといい。この辺りは少しだけ場が揺らいでいるから」

「はい。助けて下さって有難うございます」



ネアはその男性の目を見返し、あまりの美しさに小さく息を飲んだ。

灰色にほんの少しだけ青が混ざったような曇りの日の夜明けの空の色をしていて、けれどもどこまでも澄明である。



ふわりと踵を返して去って行くその背中を見送り、ネアは強い印象を残したその瞳を思った。



「ネア、すまぬな。そなたの手を掴み損ねてしまった」

「いえ、あのままでもディートリンデさんが引っ張ろうとしてくれていたので、倒れはしなかったと思います。足元に注意を払っていなくて油断してしまいました」

「この場は整えたから安心するといい。………それにしても、二回に一度はこのようなことになるのだ。今年はせめてと思ったが………」

「脱走し過ぎでは………」

「冬告げのその頃合いがな、ちょうど冬の始まりを追いかけたくなる季節なのだそうだ。だが、翼の大きなジゼルが追いかければ、あっという間に追いつくだろう」

「雪竜さんですものね」

「ああ」



そこでネアは、迎えに来てくれたウィリアムの手に戻され、しっかりと腕の中に収められる。



「ネア、何度も不安な思いをさせてすまない。離れていた時に怖かっただろう?」

「ディートリンデさんがいたので大丈夫ですよ。でも、これでもうずっと安心です」

「ったく、あいつは二年に一度は必ず脱走しないといけない決まりでもあるのか……」

「アルテアさんが統括になってからは、二度目の冬ではないのですか?」

「俺は、その前も別の土地で統括をしていたぞ?」

「なぬ」


なぜかアルテアにも手をしっかりと掴まれながら、ネアは思わぬ事実に目を瞠る。


「だが、飽きてたからな。適当な奴に譲って三年程手を離してはいたが」

「適当な奴に譲っては駄目なお役目なのでは……」

「ヴェルクレアの統括は事実上不在だったくらいだ。大抵は何とかなる」

「むむぅ………」

「因みに、アルテアが統括を譲っていたのが、さっきまで一緒にいた女性だな」

「恋人さんにお任せしたのですね!」


そう教えてくれたウィリアムにネアがそれならと頷くと、なぜかアルテアは酷く嫌そうに目を細めていた。



(恋人に自分の仕事を任せたということが、何だか気恥ずかしいのかしら……)


なのでネアは、一度アルテアの手から指先を引き抜き、腕をぽんぽんと叩いておいた。


「やめろ」

「ふふ、意外に照れ屋さんでしたね。それと、そんな恋人さんのところに戻ってあげて下さい。私にはウィリアムさんがいますし、ここで、恋人さんの側にいる使い魔さんを仕事で呼びつけたりはしませんよ?」

「お前とウィリアムだけにしておくと、事故る予感しかないだろうが」

「俺から言わせて貰えば、あなたに言われたくありませんが……、ほら、リーゼが探しているようですよ」



ふっと、人並みの向こうから漆黒のドレス姿の美女が歩いてくるのが見えた。

ネアは迎えに来られる前に戻って欲しかったなと、叱られてしまうアルテアを想像してしょんぼりする。

ウィリアムと仲良しなのも何だか好きだったし、事故率を心配してくれるのは嬉しいが、目の前で恋人とアルテアが喧嘩になったりしたら悲しいと思ったのだ。



「アルテア?」


その女性はこちらまで来ると、鈴を鳴らすような声でそっと不実なパートナーに呼びかける。

彼女がこちらに向かって来ていた時から気付いていた筈なのに、すぐに謝らないアルテアにむむっと眉を顰め、ネアは念で色々指示を飛ばす。

女性はゆったりと微笑んでいるが、舞踏会で一人ぼっちにされて悲しくない筈もないだろう。


(すぐに謝るのだ!細いヒールの靴なので、エスコートもするのだ!)


しかしアルテアは、謝るどころか眉を持ち上げて、どこか鋭い冷やかな眼差しになる。

ネアならそんな目で一瞥されたらむしゃくしゃするだろう。



「見て分らないのか?今は取り込んでいる」

「だとしても、私が側にいても邪魔にはならないでしょう?……終焉の君、ご無沙汰しております」

「リーゼ、アルテアならもう連れていって大丈夫だぞ」

「おい、季節の舞踏会の足場が、どれだけ不安定なのか忘れたのか。今、こいつの側を離れてみろ」

「……………むぐぐ」

「ネア?」

「…………ウィリアムさん、他人様の事情ですので、私は口は挟みません。そのままお持ち帰りを勧めていて下さい。むぐぐ」

「………お前な、言いたいことがあるなら言え」

「むぐぅ。わざわざ恋人さんに探しに来て貰ったのですから、ごめんなさいと有難うを言うのだ」

「…………は?」

「私とウィリアムさんを心配して下さったことにもお礼を言います。アルテアさんは、案外心配性なのですね、ご心配いただき有難うございました。でも…むぎゃ?!何をするのだ!!」


ぐいっと鼻を摘ままれ、ネアはふがふがと荒れ狂う。

べしべしと手を叩かれ、やっと手を離したアルテアは、ひどく嫌そうな顔をしたままだ。


「さては、恋愛事情に口を出されて恥じらいましたね!だから言わずにおいたのに、言えと言ったのはアルテアさんですよ!」

「そんな訳あるか。それと、言っておくが、こいつはただの同伴者だ。お前がいらん深読みをするな」

「まぁ、こんなにお似合いなのにお友達の方だったのですか?であれば、こんな時こそいいところを見せて、好きになって貰……むぎゃ!またしても!!」


今度の鼻つまみは、ウィリアムが無言でアルテアの手を引き剥がしてくれた。

にっこりと微笑んだウィリアムだが、何を感じたのか、アルテアの隣でその眼差しを受けてしまったリーゼと呼ばれた女性は、思わずといった感じで半歩後退する。


「アルテア、いい加減に俺の連れにちょっかいをかけるのはやめて下さい」

「たまたま今日は、お前の連れだっただけだろ。言っておくが、契約があるのは俺の方だからな」

「ネアも使い魔とばかり踊るのには、そろそろ飽きた頃でしょう」

「お前に雑な管理をされるよりましだろうな。………っ!」

「うわっ、ネア、すまない。落ち着いてくれ」


肝心の女性を放っておいてやり合う男達に面倒臭くなったネアは、アルテアの爪先をがすっと踏み、返す足でウィリアムの爪先も踏んでおいた。

じっとりとした顔で唸っていると、反省したのか困り顔でウィリアムが謝ってくれる。



「そうだな。巻き込まれるばかりで、ネアはうんざりだよな」

「むぐるるる」


ウィリアムは分かってくれたので、ネアは残された使い魔に向かって唸る。

呆れた顔で溜め息を吐くと、アルテアは先程までの剣呑とした雰囲気を霧散させた。


「…………ったく。ウィリアムの手を離すなよ?こいつは俺と違って、お前の奇行に対処する機敏さはないからな。それと、絶対に他人の皿からは食うな。妙なものも受け取るなよ?」

「むぐる。アルテアさんがお母さんのようです」

「やめろ。あと、もう一つだ。竜は持ち帰るな。精霊も妖精も魔物もだ。毛皮の生き物も撫でるなよ?」

「なぬ。しかも一つではなくなりました」


ネアはさっと会場に視線を戻す。

実は、会場の隅っこで遊んでいる小さな毛玉アザラシのようなものが気になっており、後で撫でてみようと思っていたのだ。

先手を打たれたことにおのれと思っていると、アルテアは更に禁止事項を増やすではないか。


「知らない奴に手も借りるなよ。お前は手当たり次第だからな。むやみに触るな」

「ふっ、それはもう手遅れですね。先程親切な方に転倒防止のご尽力をいただきました」

「………おい、ウィリアム」

「………ネア、それはいつのことだ?」

「なぜに外界との接触にこんなに厳しいのだ。解せぬ」


アルテアを言い負かす為だけに迂闊に反論してしまったネアは、ウィリアムとアルテアに詰められてぎりぎりと眉を寄せた。


助けを求めて周囲を見回してみたが、先程のリーゼという女性も既に若干引いている。

使い魔発言が出たあたりから何とも言えない顔になってしまったので、ネアはその事実をばらしてしまったウィリアムを少しだけ恨んだ。


目の前の冬の夜を司る美しく妖艶な魔物は、これだけ色めいた美貌なのに透明で清楚な声を持ち、淡い金色の瞳がとても魅力的な女性だ。

知人の恋人であればディノも荒ぶらずお友達になるのを許してくれるかもしれないので、ネアはどうか逃げないで欲しいと切に思う。

身近な誰かが女性と安定した関係性を持てば、そこからお友達侵略を図る気満々の狡猾な人間なのである。



「ただの通りすがりの、何だか素敵で綺麗な瞳をした、ふわっといい匂いのする格好のいい人でした」

「………妙に描写が細かいな。どう思います?」

「これは放置するなよ。さてはお前、気に入ったな………?」

「むぅ。急に仲良しになりましたね………」

「ネア、その誰かにお礼を言う必要があるんだが、この近くにいるか?」

「ああ。是非に俺も会っておいた方が良さそうだ。髪色と目の色、服装の特徴を言え」



ネアはその後、見ず知らずの善意の人の抹殺を防ぐべく、頑張って身体的特徴の漏洩を阻止した。

しかしネアが黙ってしまったので魔物達は結託してしまい、左右を固められた挙句、手を変え品を変えネアから情報を引き出そうとするではないか。



ネアは途中までは、駄々を捏ねて冬の夜空の魔物であるリーゼも一緒がいいと連れて来て貰ったが、懐き過ぎの魔物が変な感じになってしまったからか彼女も何だか微妙な感じになってしまっており、そそくさとアルテアを捨てて知り合いだという氷柱の魔物と冬霧の精霊の夫婦のところへ逃げていってしまう。

そちらの夫婦は、氷柱の魔物な奥様が素敵な灰色の狸姿だったので、ネアとしてもそちらに入れてもらって、リーゼがするように艶々ふかふかの灰色狸を抱っこしたかった。




なお、件の男性とはその後遭遇することはなかった。


逃亡した冬走りの精霊を捕まえて帰ってきたジゼルと場を収め、ネア達にも安心するようにと言いに来てくれたディートリンデは、ネアの様子を見るなり、そなたも大変なのだなと労ってくれる。



「落とすなよ?」


ディートリンデ達とウィリアムが会話をしている隙に、ネアは、アルテアから手のひらに何かをぽとりと落とされて目を瞠った。

見上げると、赤紫の瞳にどこか老獪な色を浮かべたアルテアが、もう一つの小さな宝石を指先でつまんでみせる。

ネアは、自分の手のひらに落とされたのが繋ぎ石の一つであると分かって、目を丸くした。


(アルテアさんも手に入れていたんだ……)


何かを言おうとして口を開きかけると、ウィリアムの方を見てふっと唇に指を当てるので、なぜかネアは悪事に加担したような複雑な気持ちになる。

ふっと微笑みの形につり上がったその唇に、真っ白な手袋の指が妙に艶めかしい。



「…………ネア?」


こちらに視線を戻したウィリアムが不審そうに目を細めたので、ネアは慌てて首を振っておいた。

手の中に握られた小さな繋ぎ石をどこにしまうか少し悩み、ウィリアムのものと見分けがつかなくならないように腕輪の金庫にしまっておこうと考える。



「………は!しかしその前に、ちびふわにまた会えるように祈りをかけておかねば……」



しかし、そう呟いて手の中の繋ぎ石をぎゅっと胸元で握りしめていると、なぜかアルテアに再び頭をはたかれてネアは首がもげそうになった。



ウィリアムの石にも同じことを願ったので、次もまた二匹揃って遊びに来て欲しいと考えている。

ディノが、ちびふわが泳げるかどうかとても気にしていたのだ。




なお、ネアはその後、雪の魔物と氷の魔物を目撃して独特な美しさを持つ魔物達の姿にはしゃいだところ、ウィリアムとアルテアに左右から抱えられ即座に強制帰還となった。



勿論、そんな姿で連行される凶悪犯風な淑女の姿には会場も騒然とし、あんまりな公開処刑の辱めに、涙目でふるふるしながら帰って来たご主人様を、ディノは慌てて抱き締めてくれた。



強制送還の辱めにはきちんと抗議したいので、いつかまた、誰かに二人をちびふわにして貰おうと思う。








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