201. 冬告げの舞踏会に参加します(本編)
大きな鏡の前で丁寧に髪を整えられ、少し崩したようなふわりとした編み込みで結い上げて貰う。
今回はきらきら光る冬の星の髪飾りをつけ、長い足元までのヴェールをかけるのだ。
薄い冬霧のヴェールは素晴らしく、そこにはアーヘムの施した淡い水色と白の花の刺繍が何ともあえやかである。
ヴェールが限りなく透明に近いので、刺繍が浮かび上がるような素晴らしいデザインになった。
「このドレスは、冬らしくてなんとも素敵ですね。お伽噺の中に出てくる雪の女王になった気分です!」
ネアがそう言えば、髪を整えてくれていたウィリアムは満足げに微笑んだ。
思いがけない才能を発揮し、ウィリアムは髪結いが得意であると判明したこの朝、ネアは冬告げの舞踏会に出かけるべく準備をしているところだ。
ウィリアムの用意してくれたドレスは、シシィの母親である仕立て妖精のシーが作ってくれたものだ。
仕立て妖精の女王であり、新進気鋭の仕立て屋であるシシィのドレスとはまた違い、古き良きデザインのものを素晴らしく仕上げる技術に長けている。
そうしてネアの為にあつらえられたそのドレスは、透けるような雪と冬霧の布をふんだんに重ね、スカート部分にはしっかりとした刺繍で存在感を出している。
裾から薔薇の模様が這い上がるような真っ白な刺繍はヴェールと同じで、薄い生地が透けるので浮かび上がるような効果があった。
そんな素晴らしい刺繍の模様を生かすのは、ドレスの下に着た、目の覚めるような艶やかな水色のパニエだ。
湖に張る氷の色をモチーフにしたそうで、真っ白な氷の割れ目から覗く鮮やかな青や水色を、中から透けるパニエの色合いで表現しているのだとか。
パニエにはオーロラの結晶石がふんだんに縫い付けられ、表層のドレスの生地を透かしてきらきらと上品に光る。
ヴェールで隠れる背面部分のスカートは、雪の系譜の狼の毛皮を使った軽くて暖かな仕上がりだ。
(何て綺麗なドレスなのかしら。パニエの裾の部分の水色が、ネオンカラーのように鮮やかなのだけど、全体的に白い霧のようなドレスが上からかかっているから、けぶるような色合いに見える……)
上半身は、両肩と背中を出してぴったりとした長袖になっているデザインだが、足元までのヴェールが剥き出しになった首筋や背中をうまく覆っている。
素肌の色を透かすようなヴェールなのだが、保温の魔術がかけられていてちっとも寒いとは感じなかった。
体に吸い付くような細身のデザインの上半身も、どこも窮屈だったり動き難いところはない。
冬のドレスらしく胸元が開き過ぎることもないが、体のラインを綺麗に出すので長袖でも軽やかだ。
(ウィリアムさんも、すごく素敵だ)
ウィリアムは終焉の魔物としての正装姿に近い、純白の軍服姿だ。
ただし、舞踏会用の軍服仕様になっており、素晴らしい雪の系譜の宝石を散りばめたブローチがあったり、羽織ったケープの裏側が豪奢な織模様になっていたりする。
ケープの襟元には雪竜の毛皮をあしらい、ドレープをつけて片方の肩だけにかけたような優美な羽織り方だ。
前髪をふわりとオールバックにしているので、際立った瞳の色合いの見慣れない凄艶さにどきりとする。
「ウィリアムさんは、ケープの裏側とブーツの刺繍が青色なのですね」
「ああ。ネアのドレスと合わせるように、ところどころに同じ色の宝石を使っているそうだ」
加えて、あまり慣れないのだと苦笑しながら、ウィリアムは頭には軍帽ではなくて、水晶の小枝を編んだような華奢な王冠を乗せていた。
種族の王族相当のものが参加する場合のしきたりだそうで、夏の舞踏会に参加していた光竜が滅びた今ではもう、ウィリアムだけになってしまったのだそうだ。
だからこそ、外す訳にはいかないのだとウィリアムは肩を竦めていた。
「綺麗な王冠ですね。小枝に花の蕾がつくように、宝石がきらきらとしているのが素敵です」
「それなら、また来年もネアを誘わないとだな」
「ふふ、またこんな素敵なドレスを着せて貰えるよう、今日は粗相がないようにしますね」
そんなやり取りをするネア達の背後には、部屋の一画に固まって何やらこそこそと話し合っているリーエンベルクの住人達がいる。
なぜかダリルまで来ているのは、ウィリアムのドレスのセンスを見てみたかったからなのだそうだ。
「シル、あのドレスは怒った方がいいって!」
「ほとんど白い………」
「変なドレスを着せやしないかと期待して見にきたら、粘着質なドレス選びの粋を見た感じだねぇ」
「成程、まるで婚姻のドレスのようですね」
「ヒルド…………、その、冬のドレスだからではないのか?」
どうやらディノはしょげているようなので、ネアは支度を整えて貰った後、いそいそとドレスを見せに行った。
「ディノ、素敵なドレスですよ?やはり、下のパニエの水色が際立って、氷のような素敵な色合いですね。ディノの首飾りと、指輪にも合って素敵なのです!」
「ずるい………。今回は一緒に踊ってない」
「むむぅ。ちびふわ事件もあったので、仕方ないですね。その代り、冬は雪白の香炉の舞踏会に連れて行ってくれるのですよね?」
「………うん」
「そして、今回は褒めてくれないのですか?ディノに褒めて貰いたいです」
「……………ずるい。可愛い」
「くるっとしますね!」
ネアがくるりと回って見せると、ディノはきゃっとなって逃げて行こうとした。
その行動は既に予測出来ていたので、ネアは三つ編みを掴んで魔物の逃走防止を図る。
「ディノ?」
「…………素晴らしく綺麗だよ、ネア。………ウィリアムなんて」
「おや、シルハーン。あなたの婚約者なんですから、最高のドレスを用意しないとですからね」
「………ウィリアムなんて」
「わーお。腹黒いな、ウィリアムは」
「さて、そろそろ時間だな。ネア、もう出られるか?」
「はい!ディノ、みなさん、行ってきますね」
にっこりと微笑んだウィリアムは、ネアの手を取るとリーエンベルクの面々に一礼する。
ディノやノアが何か言っていたようだが、そんな歓声も転移の薄闇にふわりと紛れた。
ネアの手を持ち変え、しっかりと腕を組んでくれたウィリアムに、ネアはわくわくする気持ちを押さえて尋ねてみる。
「冬はどなたがいらしゃるのですか?ジゼルさんと、ディートリンデさんは存知上げています」
「ネアが知っている魔物だと、統括のネビアやヨシュアもいる。ヨシュアは統括でも欠席気味な魔物だが、今回は参加しているだろうな」
「なぬ。参加したい理由があるのでしょうか?」
「寒いのが苦手だから、冬告げの舞踏会では必ず出てきて自分の城に寒気を入れないように系譜の者達を脅して行くんだ」
「まぁ………。でもヨシュアさんにもお会い出来るなら、楽しみですね」
「後は雪の魔物、氷の魔物あたりかな。妖精の最高位は、ネアの言う雪のシーだ。冬告げにあたるのが、冬走りの精霊になるが、こちらも気体化してるからあまり存在感はないだろう。雪竜のジゼルに、氷竜のエイス………彼は今回も欠席かもしれない。それと、雪喰い鳥も来る筈だ」
「なぬ。ラファエルさんでしょうか?」
「そうか。そうなると、伴侶としてネアの知っているあの騎士を連れてくるのか……」
「ラッカムさんに久し振りに会えるなら、とても楽しみです!」
ひやりと、空気が変わった。
転移の中の生温い風ではなく、澄みわたった冬らしい空気が胸の奥をすっきりさせてくれる。
ネアは開けた視界で冬告げの舞踏会の会場を望み、ほうっと感嘆の息を吐いた。
「………何て美しいのでしょう」
そこは、お伽噺のクリスマスの森だった。
凛とした青緑の針葉樹に囲まれ、その全てが雪化粧に輝き、イブメリアのような繊細で麗しい飾りをかけている。
装飾の色合いは淡い水色がかったシャンパン色で統一されており、インスの真っ赤な実が一際鮮やかだ。
木々の根元には純白の百合に、白い薔薇、そして鈴蘭や水仙など白を基調とした花々が咲き乱れ、会場の天蓋は、氷で作り上げた高い天井と素晴らしいシャンデリアだった。
そして、その天井からはらはらと雪が降っている。
肌に当る前に淡く光って消えてしまうので、ただ美しいばかりの光景だ。
「…………春も素敵でしたが、ウィームの住人としては、やはり冬の美しいものが一番好きなようです」
ネアが思わずそう呟くと、ウィリアムは白金の瞳を瞠って無防備な微笑みを見せた。
「それは光栄だな」
「テーブルは、とろりとした青みがかった乳白色なのですね」
「冬告げは、白持ちが多い舞踏会なだけあって、内装にも白に近いものが多いんだ。さて、入るぞ」
「はい」
かつりと、踵を鳴らしてネアは会場に入った。
ふわっと音楽の波が押し寄せ、その優美でどこか物悲しい旋律にうっとりと聞き入る。
ウィリアムのエスコートはとても安定していて、ネアは安心して氷にも見える美しい青色の結晶石の床の上を歩いた。
お花畑に水を張って凍らせてしまったように、その透明な床石のしたには花びらが敷き詰められている。
終焉の魔物の登場にざわりと揺れた会場の中で、近くにいた一人の人外者が、同伴者に何か耳打ちをしてからこちらに歩み寄って来た。
「やあ、ウィリアム」
「久し振りだな、リハク。招待状は書き終わったのか?」
「まだまださ。どれだけ沢山書くと思っているんだい。毎年この時期は指が取れそうだよ」
「ネア、リハクだ。冬眠の精霊王で、冬眠に入る全ての生き物達には、冬眠の精霊達からその招待状が届くようになってる」
「初めまして、ネアと申します。まぁ、冬眠の招待状を受け取ってから眠りにつくのですね。素敵な仕組みですね」
このような場では珍しく、きちんと名前を紹介されてネアはぺこりとお辞儀をする。
冬眠の精霊王は、黒に近い灰色の髪に、柔らかな灰色の目をした口髭のある男性だった。
おっとりと微笑んで挨拶を返してくれ、ネアはその指先がインクで汚れていることに気付く。
どうやら、王様自らも招待状を書くようだ。
「ここでは、名乗ってしまっても大丈夫なのですか?」
冬眠の精霊王が去った後、ネアはウィリアムにそう尋ねてみた。
すると、ウィリアムは微笑んで教えてくれる。
「心配しなくていい。今日のネアは俺の連れだからな。俺がそう望まない限り、元々の知り合い以外の者達の記憶からは、舞踏会が終わるのと同時にネアの名前は抜け落ちてしまう」
「まぁ、そんなことが出来るんですね!」
「俺の系譜の魔術だな。忘却も、完全な喪失は終焉の系譜のものなんだ。会話の流れによっては挨拶を出来ないと不便だろう?」
「ええ。ですので、そんな素敵な魔術を適応していただけるととても助かります!」
人並みの向こうでは、ネアとヒルドがリーエンベルクの敷地内で保護したのとは違う、どこか高貴な雰囲気のする冬籠りの魔物の姿が見えた。
すっきりしたスタイルで、可愛らしい蝶ネクタイを結んでいる。
その奥にいるのは雪竜達のようで、真ん中の背の高い男性は、後姿の白みがかった紫の髪の色からジゼルではないかなとネアは思う。
(となると、足元にいる大型犬くらいになっているのが子狐さんだろうか……)
すっかりしなやかな毛並みになっているようだが、何やらキュンキュンと怒っているので、ジゼルに近付く者に嫉妬してしまうのは相変わらずのようだ。
そんなことを考えていたら、また近付いてくる影があった。
「ウィリアム、あなたが逃げないなんて珍しいわね。………あら、………同伴者と、随分と色合わせをしたのね」
「………エイシー、久しいな」
「その子は、…………人間かしら?」
そう目を細めてこちらを見たのは、鮮やかな青い髪の美しい女性だった。
羽がないので妖精ではないようだが、では何だろうというところまではネアには分らない。
淡い灰色のドレスが素晴らしく、鋭い氷の切っ先のような強さのある美貌が際立つ。
「ああ、彼女は人間だ。可動域が低いから触らないようにしてくれ」
「あら、あなたはそんなにしっかりと触れているのに?」
「俺は守護を与えているからな」
「……………守護を」
その一言で女性は目を瞠り、今度は先程までとは違う鋭い目でネアを観察し始めた。
その女性の隣にいる男性はどこか気弱そうで、ひたすらウィリアムの存在に慄いているのか、蒼白で目の焦点が合っていない。
「ふぅん。でもまぁ、雪を降らせる雲のような髪の色は綺麗ね」
「ああ、俺もそう思う」
ネアも何かを言うべきか迷ったが、先程の冬眠の精霊王の時とは違い、ウィリアムが半身前に出ている様子を見てぺこりと会釈するにとどめた。
そして、微笑んではいるがそれ以上は口を開かないウィリアムの様子に気圧されたのか、女性はそそくさと同伴者を連れて立ち去っていった。
「…………お綺麗な分、力強い方でしたね」
「北風の精霊だ。隣は木枯らしの精霊だな。生き物の体温を奪って殺してしまうこともある、気紛れで残忍な精霊だ。とは言え、冬の加護を受けた者達にとっては慈悲深くもある」
「だから、少しだけ私を隠して下さったのですか?」
「というか、………うーん」
ウィリアムが少し口籠ったので首を傾げると、困ったように唇の端を持ち上げて遠い目をされた。
「何百年か前に求婚されたことがあるんだ。舞踏会で少し会話をしたときに勘違いさせたらしくてな。暫くの間随分と困った」
「まぁ、だからなのですね」
困ったと言うのであれば、敢えてネアは他の誰かの婚約者なのだと言い重ねる必要もないのだろう。
ネアは後でおかしな諍いに巻き込まれないよう、その女性のことは覚えておいてディノに話しておこうとエイシーという名前を心に書き留める。
どんな種族であれ、痴情のもつれが一番恐ろしい。
その後、ネアはめまぐるしく、ウィリアムのご機嫌伺いで挨拶に来た人外者達に紹介された。
中にはウィリアムに期待の籠った眼差しを向けるご婦人方もいたが、なぜかネアのドレスを見ると怯んだようになって立ち去っていってしまう。
白を使っている分量が多いので怖いのかなと、ネアは安全ドレスを手配してくれたウィリアムに感謝した。
「ネア、元気そうだな」
やっとその輪が途切れたところで声をかけてくれたのは、ネアも大好きな妖精のディートリンデだ。
暫くぶりに見るミルクブルーの美しい髪のシーに、振り返ったネアはほわっと笑顔になった。
「ディートリンデさん。ご無沙汰しておりました!」
「この前ヒルドがこちらに来てな、色々な話を聞かせて貰った」
「むむぅ。いい噂だといいのですが」
「安心していい。彼は君が好きだからな。君の万象は元気か?」
「ええ、今日はお留守番で荒ぶっていましたが、元気にしております。あの森の皆さんは元気ですか?」
「ああ。お菓子を貰える悪夢が来ないと、驚くような理由で落ち込んでいたが」
「ふふ。では今度また、悪夢ではない時の特別お菓子日を設けますね」
「それは喜ぶだろう。あの者達は、すっかりそなたを大好きになってしまった。……ああ、いかんな。すっかり懐かしさにかまけてしまった。終焉の王に、俺の連れを紹介しよう。ダイヤモンドダストの妖精の、ハザーナだ」
ここでディートリンデが主導してくれ、ウィリアムとディートリンデの同伴者の挨拶が交わされる。
ディートリンデは面識があるほどではないがウィリアムのことは知っており、ウィリアムも冬告げの舞踏会では挨拶を交わしたり、世間話をする程度には顔見知りなのだと教えてくれた。
ハザーナと呼ばれた女性は、銀白の髪を綺麗に結い上げた老婦人だった。
しかし、輝くような微笑みは理知的で美しく、しっかりと刻まれた皺ですらその魅力を損なうことはない。
きらきらと光る青い瞳に吸い込まれそうで、ネアは一目でこの妖精が大好きになってしまった。
「ご無沙汰しておりますわ、終焉の君。可愛らしいお連れさまですこと。心なしか穏やかな目になられましたわね」
「ハザーナ、君に会えるのは久し振りだな。元気そうで良かった」
「ふふ、すっかりおばあちゃんになりましたわ」
「だが壮健そうだ。娘達は元気にしているか?」
「三番目の娘は亡くなりましたが、他の子供達は元気ですよ。孫達も大きくなったくらいですのに、年甲斐もなくドレスなど着て踊れるのですから、幸せな世の中ね」
「ああ。ウィームはこれからも穏やかだと思うよ」
「そうでありますように。あの美しい国が損なわれるのは、もうたくさん」
そう微笑んだ妖精は、ネアの方を見てにっこりと微笑んでくれた。
「可愛い御嬢さん。ディートリンデ様から、あなたのことは聞きましたよ。どうか、私達の大事なウィームの愛し子を、これからも守ってやって頂戴ね」
「はい。こんなに素敵な妖精さん達に大事にされているあの方を、誰かが苛めたら踏み滅ぼしてしまいます!」
「まぁ、頼もしいこと。そして何とも美しい冬の恩寵の色合いの髪と瞳ね。あなただからこそ、あの孤独な万象の君もあのように幸福に微笑むのでしょう」
「ディノのことをご存知なのですか?」
「去年の冬に、万象の君がダイヤモンドダストを見に来たと、私の孫がはしゃいで報告に来たの。勿論、私も嬉しくなって見に行ったんですよ。そうしたらあの方は、あなたを連れてそれは幸福そうに微笑んでいらっしゃって。そんな目で我々のダイヤモンドダストを眺めて下さったのは、光栄以外の何物でもないわ」
「あの時にいらっしゃったのですね!ディノから、特別で美しいものがあるからと、見せに連れて行って貰ったんです。すっかり気に入ってしまったので、今年もまた伺わせていただきますね」
「では、とびきり静かで美しい良い夜にしましょう。可愛らしく頼もしい御嬢さんと、我々の敬愛する万象の君が、いつまでも幸福でありますように」
「あれ、ハザーナ、俺は?」
「ふふ。ウィリアム様も勿論です。そのような優しい目をされているのであれば、私が言うまでもないかもしれませんけどね」
そう微笑んだダイヤモンドダストの妖精に、ウィリアムは不思議そうに自分の頬に指先を這わせた。
ネアがぴょこんと弾んでその顔を見上げると、ふっと口元を綻ばせて微笑みを深める。
「きっと、今日はネアと一緒だからだろうな」
「もう暫くしたらお食事に夢中になって、食いしん坊めとがっかりさせてしまうかもしれないので、せめて少しはそうだと嬉しいです」
「そうか。まずは、ネアを料理のテーブルに連れて行かないとだ」
「でも、こうしてディートリンデさんとハザーナさんにお会い出来たお蔭で、眼福極まれりで幸せな気分になりましたね」
根元の鮮やかな南洋の青で始まり、毛先にいくにつれて白が混ざる、ミルクブルーのグラデーションの髪のディートリンデはネアがこの世界で二番目に美しいと思う妖精だ。
しかし、かつて一目見ただけの春風の妖精を三位の座から追い落としてしまうくらい、ハザーナという妖精も魅力的であった。
優しい藍色の羽には、ダイヤモンドダストのような煌めきが散らばっていて、星空のような美しさだ。
何だか離れがたく、四人はお喋りをしながら一緒に料理のテーブルの方に移動してから、何はともあれ甘いものからというディートリンデ達とはそこで一度別れた。
ネアはお料理の方に邁進したのだが、冬らしい素晴らしいお料理の数々に目を奪われっ放しになってしまう。
「お料理は、イブメリアの祝祭の晩餐のようです。好きなものばっかりあって、心がくしゃくしゃになりました…………」
「冬告げの舞踏会は、食事をしてからのダンスなんだ。ゆっくりと楽しんでくれ」
「はい!」
喜びに弾めばウィリアムは少しだけ苦笑を深めたが、それは呆れているような眼差しではなく、どこか男性的なしっとりとした微笑みだった。
ネアはその頼もしさにすっかり甘えさせて貰い、大好きなローストビーフから遠慮なくお皿に取り分ける。
黒スグリのソースをかけた鴨肉やフォアグラのパテ、無花果のソースの白いソーセージに、宝石のようなゼリー寄せにはトマトクリームのソースをかけて食べるのだ。
濃厚なチーズクリームのスープには、鮭と香草とジャガイモが入っている。
(この丸鶏は、エーダリア様が見たら喜びそうだわ……)
そんなことを考えていたら、近くを通りかかった誰かがぴっとなった。
文字通りの声を上げ垂直跳びしたので、ネアはおやっとそちらに視線を向ける。
「……………まぁ、アンナさん。お久し振りです。秋のキノコは美味しかったですか?」
「…………鶏を食べようとして見ていたわね?」
月光のような淡い金髪に、銀貨のような鈍い灰銀の瞳をした美しい少女は、先の冬にネアに試練を与えた雪喰い鳥だ。
同伴者は魔物のようで、ウィリアムを見たまま固まってしまっている。
「ええ。美味しそうな鶏肉ですよね。ラファエルさんはお元気ですか?」
「な、何もしてないわよ?あれからは、ウィームにだって近付いていないんだから!!」
びゃっと逃げていってしまったオレンジ色のドレスの美少女の姿を目で追い、ネアは肩を竦めた。
どうやらこの舞踏会には、ラファエルではなくアンナが参加しているようだ。
見上げたウィリアムに、むぐむぐローストビーフを食べながら寂しい思いを打ち明ける。
「まるで私が、アンナさんを食べてしまうとでも言いたげな逃げっぷりです」
「あの雪喰い鳥は力を持っているのだから、畏れを持つのはいいことだ。あのくらいの方が、一族にとっても良い上位者になるだろう。純白はまだ冬眠中みたいだしな」
「純白………?」
「一人だけ、髪も翼も真っ白な雪喰い鳥がいるんだ。最高位の雪喰い鳥だが、悪食でな。目を覚ますと小さな国一つを食べ尽くしてしまうと言われている」
「食いしん坊ですねぇ………」
「そのこともあるから、純白が目を覚まさない内に、雪喰い鳥達に、ウィームを荒らしてはいけないと認識させたのは良いことだと思うぞ」
「むむ。確かにそうですね………」
そんなことを話していたら、またざわりと会場がざわめいた。
この会場の中に入るとわかることだが、誰か参加者達の興味を惹くお客が来るとそんな風にお喋りの波が揺れる。
ディートリンデが、ウィリアムとネアが入った時もそうだったのだと教えてくれたし、ネアも先程、白百合の魔物がやって来た際にそのざわめきを聞いている。
白百合の魔物は、白に近い檸檬色の髪をした美しい男性で、優しい緑色の瞳はどこか悲し気だった。
彼が、ロサの大切な友人なのだなと思い、ネアは二人が仲直りしたのかどうかそわそわしたものだ。
「また、高位の方でしょうか?」
「アルテアだな………」
「なぬ。…………まぁ、ほんとうです!ということは、お隣が今の恋人さんなのですね。振られていなくて良かったです」
「ん?振られそうだったのか?」
「最近、アルテアさんはすっかり懐いてしまっていましたし、色々と事件もあったでしょう?そんな忙しさのせいで恋人さんに去られてしまっていたらと、少しだけやきもきしたのでした」
「成程、そうなんだな。上手くいってそうだから、心配はないだろう」
「ええ。お似合いな感じのお二人ですね。使い魔さんが見知らぬ魔物さんのようで少し寂しく感じますが、恋人達の語らいを邪魔しないように近付かないようにしますね」
「近付かないのには意味があるのか?」
「使い魔さんとて、恋人さんの前では恰好つけたいと思うのです。知り合いが近くにいると、甘い言葉を囁くのに恥ずかしいかもしれませんから」
「そうか、ネアは優しいな」
「はい!美味しいローストビーフを贅沢に二枚重ねで食べたので、今は優しさに満ち溢れています」
アルテアが同伴したのは、腰までの黒髪の妖艶な美女であった。
冬の夜空を司る魔物であるらしく、高級な蒸留酒のような澄んだ琥珀色の瞳がなんとも艶めかしい。
二人とも漆黒の装いが際立ち、冬の系譜の清廉さとは違うどこか退廃的な美貌だ。
女性はぎゅっと細く括れた腰に豊満な胸の理想的なスタイルで、ネアは自分の腰を見下ろして少しだけしょんぼりする。
「どうしたんだネア?」
「アルテアさんによくムグリス体型だと馬鹿にされるのは、あんなに綺麗な恋人さんがいるからなのですね。私も頑張ればもう少し腰肉を減らせるでしょうか?」
「そうかな。俺は今のままのネアがちょうどいいと思うけどな」
「………ほんとうですか?」
「ああ。それに、綺麗に括れているじゃないか」
そう言ってくれたウィリアムが腰に手を回し、ネアはたらふく食べたばかりだったので少しだけお腹の筋肉に力を込めた。
「へこまさなくて大丈夫だぞ?」
「むぐ!気付いても黙っていて下さい!!」
「はは、すまない。可愛かったからつい」
小さく声を上げて笑ったウィリアムに、周囲の者達が驚いたように振り返る。
余程珍しいのか、中にはフォークからお料理を落しても気付かない者もおり、ネアは楽しそうにしてくれたウィリアムに口角を上げる。
「ウィリアムさんだって、たくさん食べてお腹をぱんぱんにすればいいのです!」
そう言って、ネアがウィリアムのお腹をつつき返せば、誰かがカシャンとカトラリ―を落す音が聞こえた。
(これで、ウィリアムさんも案外親しみやすい魔物さんだと分かったかしら?)
そんな目論見を持っていたネアは、しめしめと頬っぺたを撫でてくれたウィリアムに微笑みを返す。
ウィリアム自身が線引きをしっかりと引く魔物ではあるが、より深くまで踏み込んで仲良くすれば彼は傷深いけれども優しい人だ。
この優しいウィリアムの微笑みを、誰かが自分の心から警戒心を取り払うきっかけとしてくれればとネアは思う。
ふっと、人並みの向こうにいるアルテアと目が合った気がしたが、ネアは巧妙に焦点をぼかして気付かなかったふりをした。
せっかくの舞踏会なので、契約主としても、使い魔の恋人達の時間を守ってやらねばならない。
「む………」
「ネア?」
「アルテアさんに睨まれました。あれは、絶対に近付くなよというサインだと思うので、今日は全力で避けて差し上げようと思います!」
「そうか。じゃぁ、俺も協力しよう。……ディートリンデ達と合流するか?ネアもそろそろケーキに移行するだろうし、複数名で話していると、アルテアもわざわざ挨拶に来る必要がなくてほっとするだろう?」
「むむ、それではそうしましょうか。あのお二人が大好きなので、またお喋り出来たら嬉しいです」
そして、ウィリアムはふっとネアの耳元に唇を寄せ、秘密めいた囁きを一つ落とす。
「それと、そろそろダンスがある。これでも俺は、ダンスは得意なんだ」
「まぁ、以前に苦手だと仰ってませんでしたか?」
「乗り気のしない社交の場では、あちこちで相手をしなければいけないからかなり苦手だな。ただ、今日はネアが一緒だから、久し振りに楽しめそうだ」
「ふふ。じゃあ、爪先を踏みそうになったら、助けて下さいね」
「ああ」
少し顔を離したウィリアムと微笑み合ったネアは、またしてもじっとりとしたアルテアからの視線を感じて眉を寄せそうになってしまう。
絶対に近付かないので、そんなに警戒しなくてもいいではないか。
ネアはこれでも空気の読める大人なのである。